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福助くん その6

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    福助くん、9歳の秋です。 ちょっと長めの散歩をして、世田谷公園へ。 紅葉と福助をご覧くださいまし。

福助くん その5

  • 赤いサルビア♪
    2010年秋の福助くん。とある週末に埼玉県所沢市にある航空公園に行ってきました!

福助くん その4

  • 1 毎年恒例の・・・
    今さらですが、今年の花見の福助くん。ご近所の目黒川に行ってきました。

福助くん その3

  • 1 田舎に行ってきました!
    飼い主の田舎に行ってきた福助。うららかな春を迎えた大自然のなかで、いつもと違った表情に。

福助くん その2

  • 定位置
    平日は会社にいる福助。こんな感じの毎日です。

福助くん その1

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    笠木の飼い犬。甘えん坊でちゃっかり屋の8歳。雄。

2019年7月19日 (金)

婦女子が嫌うもの

 

 あくまでも一般論ですが、婦女子は生理的に嫌いなものがあるようです。ゴキブリやクモやムカデなどを除いて人間に限るなら、第一に不潔ってことになるでしょう。むさ苦しいとか汚らしいのは、よほどのことがなければアウト。この「よほどのこと」というのは、好意または愛情あるいは尊敬ということかな。ただし、こうした内面を理解した感情を持つためには、ある程度の期間をそれなりの近さで交流することが必要です。その入口段階で拒否されたら、内面の精神性もへったくれもないので、敗者復活は無理でしょうね。

 次に、脚の毛です。何てったって毛嫌いという言葉があるもんね。あれ? 念のために調べてみたら、毛嫌いの毛って、すね毛ではなく「毛並み」のことだそうです。相手の毛並み、すなわち家柄や血筋によって好き嫌いすることが転じて、「これという理由もなく嫌うこと」と解釈されています。「良い毛並み」なら見境なく好きになるというなら、やっぱ打算的としか言いようがありません。

 毛深い男が好きという女性もいるので、必ずしも毛が嫌いとはいえないのですが、ごく平均的には、夏の半ズボンからワラワラとはみ出したスネ毛が大嫌いという婦女子は圧倒的に多いんじゃないかな。

 それで終わりではなくて、もう1つ。どうやら婦女子は、男の乳首も嫌いだそうです。服の上から乳首の形が分かると「ゲゲゲッ」と鳥肌が立つほどの嫌悪を感じるらしい。この季節ですから、シャツなしで薄手の白のポロシャツ1枚になると、汗とか雨で乳首が透ける状態も想定されます。これがね、まさに蛇蝎のように嫌われるらしい。

 男にどうして乳首があって何の役に立つのか皆目分かりませんが、婦女子が嫌いといえば、とにかく嫌いなものは嫌いとなります。そうなると、欧米のように下着なしで薄手のワイシャツを着るのもかなりヤバイということになるじゃないですか。上着を脱がない限りはセーフですけどね。あ、そうかぁ。だからジャケットはちょうど乳首のあたりをギリで隠すようにデザインされているわけです。昔の服飾デザイナーの鋭いセンスに感心させられました。

 このようにオッサンと婦女子の美意識は相当に違います。だからといって「これどうかな?」と訊いても、彼女たちは「いいんじゃないですかぁ」と平気でウソをつくので要注意です。自分が好きな男子以外はすべて圏外ですから、感想もテキトー極まりないと心得たほうがいい。

 結婚を完全に諦め、婦女子に好かれてもカネが減るだけでロクなことがないと考えていない限りは、くれぐれもご注意ください。ボクなんか相当な数の女性に嫌われてきたんじゃないかという自覚があるんですけどね。

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2019年7月18日 (木)

52歳で他界した人

 

 織田信長は扇子を手にして「人生50年」と舞いながら本能寺で炎に包まれたなんていわれますが、50歳くらいで亡くなった有名人は案外多いんですよね。それに気づいたのは、美空ひばりも石原裕次郎も同じ52歳で他界しているからです。

 ネットには「訃報新聞」なる禍々しいサイトがあるので、52歳で逝去された人をチェックしてみたら、案外いらっしゃるんですよね。古いところでは後醍醐天皇。思わずホントかよと眉に唾をつけましたが、エレキテルと鰻丼のマーケティングで知られる平賀源内も52歳。さらにウィリアム・シェイクスビアとマイケル・ジャクソンもそうらしい。
 かと思えば、ボクが愛読してきた景山民夫も、この年齢でお亡くなりでした。

 だから何なんだと言われそうですが、これらの皆さんは50代になる前に何らかの仕事を成し遂げているんですよね。ボクは、人間というのは何事かを為すために生まれてきたと信じているので、人生に長いも短いも関係ないと思っています。
 野球で有名な沢村栄治は史上初のノーヒットノーランなど数々の記録を残しましたが、27歳で戦死ですぜ。それでも21世紀の今でもボクのように彼を知る人は少なくないはずですから、まさに長生きすることにどれほどの意味や価値があるんだろうと。

 けれども、そんなことはまったく考慮することなく、医療は人間を生かし続けることに汲々としています。かくて、犬まで平均寿命がどんどん伸びてきたのは慶賀すべきでも、何を為すべきかが置いてきぼりになりました。そんなボク自身も、52歳から遠ざかってしまったにもかかわらず、ロクなことをやっていません。そりゃね、生まれながらの天分はあるはずだけど、それにしても惑いや躊躇ばかりで、この世に残したといえるものはとんと見当たりません。ただ、ただ、ひたすらに、ひたすらに生き延びてきただけ。前述の有名人諸氏に及ばないことは分かり切っていても、恥ずかしい限りです。

 にもかかわらず、ボクになお生を続けよと神が考えているのであれば、いったい何をすべきかヒントくらいくれよ。惰眠という言葉がありますが、惰生という言葉はあるのかな。そういえば惰性というのはあるな。ボクの今は、どうやらそれに近いようです。何だかなぁ、風が吹きすさぶ丘の上に1人座り込んで、果てしない虚空を見ているような気がします。

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2019年7月17日 (水)

渋谷の景色

 

 渋谷の景色が急速に変わってきました。以前から駅を中心とする大型再開発工事に突入。地下鉄などの乗り換え時に「どこ行きゃいいんだ!」とキレそうなくらいの迷路状態だったのですが、そんな混乱を尻目に周辺の建設工事はとっとと進行していたらしく、高層ビルがニョキニョキと建ち始めてきました。

 このブログでは、都心の新築病院を批判したことがあります。とても病院とは思えないクール過ぎる外観と、いつでもオフィスビルに転用できそうな院内。病気を抱えて思い悩む患者のことを考えた設計とは思えないんですよね。屋根に尖塔を持つ教会建築があるのですから、病院建築があってもいいじゃないかと指摘しました。

 渋谷の再開発も、それと似ているんですよね、往来する人たちでなく、どこかのビルの高層階から見おろした視点で設計なり施設配置をやったんじゃないかな。

 渋谷の中心って、いったいどこだと思いますか? 「世界の中心」はとっくに発見されたみたいですが、街の中心を見つけるのは意外に困難です。ところが渋谷はまったく簡単。駅を出てすぐのところに、超大型のスクランブル交差点があるじゃないですか。世界的にも知られた存在であり、ハロウィンや年越しなどの時にはうんざりするほどの若者や外国人が集まります。ここからどこに向かうにしても、渋谷の中心といって過言ではないでしょう。

 この渋谷名物の交差点が、暗く陰るようになってきたのです。文芸的な比喩なんぞではなく、スクランブル交差点に立ってみると、明るさが以前とは違うことに気づくはずです。梅雨時だからではなくて、ふと見上げれば、ヒカリエなどの超高層ビルが南東方面の視野を遮るようにそびえ立っています。簡単にいえば、スクランブル交差点がいくつもの高層ビルの日陰になってしまった。おかげで景色の「抜け感」が著しく乏しくなり、ボクは息苦しさすら感じます。

 施主や設計者は、スクランブル交差点をあまり利用していないんじゃないかな。さもなければ、あんなガラス張りの定番的で退屈な高層建築を周囲に林立させることなんてできないはずです。渋谷は「谷」の文字があるように、宮益坂や道玄坂の下方に位置します。これまでは遠くまで見渡せたので気づきにくかったのですが、谷底という感覚が強調されつつあるといえば、分かっていただけるでしょうか。

 いまの日本は、首相の方針でもあるのか、勝ち組が最優先で負け組は自己責任。そんな方針というか雰囲気が、こうした自分勝手、じゃなかった東急勝手な再開発にも象徴されているような気がします。

 もともと渋谷は好きな街ではなかったのですが、いよいよ行かなくなるだろうな。雑然とした淫猥さを今でも引きずっている新宿のほうがよほどマシです。天気のいい昼間の歌舞伎町は、意外にも陽光を受けてすごく明るいですよ。ゴールデン街も同様です。高層ビルを西口にまとめたのは誰か知りませんが、慧眼だったと思うぞ。

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2019年7月16日 (火)

衣食足りても礼節知らず

 

 税込みで4000円近い値段の朝ゴハンがあります。ボクの行きつけの松屋なら朝定食が400円なので、およそ10日分にもなります。もちろん普通の飲食店ではなく、都心に立地する高級ホテルのレストランなんですけどね。

 ビジネスに常識や定理などなく、いかに高額であれ客が来れば取引は成立するので、それがいけないなんて思いません。さぞかし美味しいんだろうなぁ。けれどもね、ああ何ということでしょうか、そのレストランから出て来た1人は、すごく短いパンツに半袖のシャツ1枚。とっさにサイゴン陥落時のボートピープルかと思いましたが(古っ!)、流暢な日本語を話していたので、明らかに外国人ではありません。

 ついさっきまでホテルの部屋で寝ていて、「あ、腹減ったメシ食おう」と起き抜けでそのままやってきた感じなのです。4000円の朝食をいただけるような立派なご身分で、高級ホテルに宿泊できるカネ持ちなのに、これではいけませんや。

 ボクは若い頃に、ホテルの廊下は街路と同じだぞと先輩からきつく教えられたのですが、彼はそうした礼儀を知らないのでしょうか。ボクは4000円の朝食を惜しみますが、ホテルの自室を出る時に最低限の身支度をすることは惜しみません。よほどセクシーな女性でない限り、寝間着姿なんぞでは宿泊者のみなさんの気分を害することになるからです。

 昔の日本では、こういう礼儀を知らないお金持ちを「成金」と呼んで正しく区別してきました。新興のビジネスが儲かる度に、こういう人たちが増殖したようですが、先進国と呼ばれるようになって久しい21世紀の日本でもこれかよと。隣の国の悪口なんて、とても言えませんぜ。イマドキの学校では、勉強はおしえても礼儀は教えてくれないみたいですね。

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2019年7月12日 (金)

時代遅れ

 

 仕事というものは、学校と違って教科書通りにはいきません。過去のことを体系的にまとめたものが教科書ですが、現実は常に未来に向けた現在進行形だからです。

「ここからここまでは試験に出るので勉強してね」なんて親切なことも、ビジネス社会ではあり得ません。自由競争のもとでは、みんなが学んだ教科書を裏切ることがライバル企業に勝つ秘訣であり、社会を進歩させていきます。たとえばコンビニエンスストアは昔の教科書には出てこない新業態ですが、それが急成長して商品流通そのものを革新していきました。教科書はそれを追認して歴史的かつ経営的に解釈するだけですから、次のビジネスモデルが示唆されることすらないのです。

 ところが学校では、この教科書にもとづいて勉強し、テストを受けて点数で評価されます。つまり、過去のことを知っている、あるいは過去の理論や理屈に詳しいというだけでのことなんですよね。要するに、学校時代の成績が良いからといってビジネスも優秀とは限らないわけです。大きな利権を持つ伝統的な大企業なら比較的に教科書に近いとはいえますが、そこに待遇がいいからという理由で学校優等生が集まってしまうと、いよいよ教科書的なことしかやれなくなってしまう。かくて時代の変化から取り残されたオールドビジネスとなり、恐竜のように滅びていくわけです。

 こうしたライフサイクルが、高度情報化によって圧倒的に短縮されています。企業の寿命がどんどん短かくなるだけでなく、利権のあり方も工場や鉱山、大型店舗といった重厚長大の装置型から、情報へと大きくシフトしてきました。文部科学省では「ソサエティ5.0」なんていう小洒落た言葉を提唱していますが、ビジネス社会から見た本質は、儲けを生み出す利権のあり方が、農作物から工業生産物に移り変わり、今では情報になったということなんですよね。主戦場が変わってきたと言い換えた方がいいかな。

 必要な武器だって変わってきますよね。狩猟社会なら刃物や弓矢でしたが、農業社会ならスキと鍬。工業社会は各種の工作機械と設備、そして情報社会はご存じパソコンであり、それを経た5番目の社会はネットワークと人工知能、いや、それを動かすプログラムということになるでしょうか。

 でね、上記の社会で常に重要なツールになってきたのは、やはり人間なわけですよ。それを戦力化するのは教育ですが、前述したようにコアとなっているのは教科書化された知識なので、教えられたことが片っ端から古びていく可能性が高い。学部卒なら3年程度、修士でもせいぜい5年と聞いたことがあります。となれば、よくいわれることですが、社会に出た後でも自分自身で学ぶスキルを身につけなければならない。

 そして、優等生のあり方も根本的に見直すべきだとボクは考えています。現状のままなら、囲碁や将棋のように人工知能に負けるのは間違いありません。学校教育を云々できるほどの知見はボクにはないので、前述してきたようなことを1人ひとりが意識するところから始めるほかないでしょう。それだけでも、今の日本には時代遅れがあまりにも目立つことに気づけるはずなんだけどなぁ。

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2019年7月11日 (木)

横並び

 

 そりゃもうジャニー氏の業績は偉大で、勲章ものだろうと心底思いますが、この横並びの大量報道は何だよ、って思いませんか。

 しかも、事務所のタレントの映像を垂れ流し状態といっていい。だぁからね、ボクは地上波を見ないのであります。どのチャンネルを見ているのか、すっかり忘れてしまうほどみごとな横並び。商業放送ですから、視聴率を稼ぎ、それにもとづく広告費でいろいろとまかなっているのはガッテン承知の上でも、ちょっとなぁ。訃報といえども芸能ニュースですよね。しかも、内容が各局ほとんど同じで、上っ面をサラリと流しているだけ。最後に、お世話になったタレントの追悼コメントでまとめるというのは安易に過ぎるんじゃないかな。

 新聞社には亡くなりそうな人の予定稿があるといわれるのですが、入院されてからほど良く時間があり、失礼ながら容態もまったく予測できないものではありませんから、準備する期間はあったと思うんですけどね。にもかかわらず、ほとんど構成を投げているのではないかと思うほど工夫がありません。

 かと思えば、BPOが放送倫理違反と認定した海外の祭りのデッチ上げなど、日本のテレビは末期状態といっていい。これまでエンタティンメントとしての大ウソがなかったとはいいませんが、いかにもドキュメンタリーの顔をしたヤラセは大問題ですよ。これではネットにどんどん視聴者が流れても何の不思議もありません。衛星放送は受信費用がかかりますからね。

 それもこれも、業態が安定して人気業種になったからでしょう。昔のテレビ局は、いまのネットと同じく新興産業であり、混沌としたエネルギーに満ちていました。それがいつの間にか役所のような組織主義となり、横や上ばかりを見るようになってきたんじゃないかな。これは古今東西のいかなる産業にも共通している病理なので、もう少し深く考察したいのですが、本日は時間がないので、このへんで。ああ、それにしてもなぁ。。。

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2019年7月10日 (水)

なぜ長く生きるのか

 

 えーと、またまたすいません。人間についても言えますが、犬の福助のことであります。

 トイレに行くにもヨタヨタ状態なので、たまにね、ウンコが長い毛にくっついてくることがあります。それだけなら微笑ましいと言えなくもないのですが、それがポロリと床に転がっていたりすると、踏んでしまうこともあるじゃないですか。

 昨日早朝も、考え事をしていて黄色いウンコの上をスニーカーで歩いてしまい、横からはみ出るほどの状態であることを後で気づきました。こうなると、ボクの足跡には必ずウンコが残るという大惨事が発生しているわけです。仕方ないので別の靴に変えて、床にへばりついているウンコをティッシュで拭き取り、それだけでは足りないので濡れ雑巾でゴシゴシ。その後で脱臭剤をふりまくという作業を30分ほど続けたでしょうか。それで終了というわけではなく、靴の底という大仕事が残っていることに気づいて、福助に軽度の殺意を覚えました。

 それでハッと気づいたボクはホントに大馬鹿野郎なのですが、人間の介護はこんなもんじゃないですよね。認知症になって自分のウンコを投げつけることもあると聞いたことがあります。体重7キロの犬と50キロ以上ある人間とでは、やることが比較になりませんよね。そんなヘビーな介護が毎日となったら、いっそ殺してしまおうと思っても不思議ではなく、それを安易にいけないという人にも憎悪を感じんじゃないかな。だったらアンタがやってみろってね。年金もそうだけど、大家族から核家族化した段階で、こうした老後は社会全体で保障・扶助するということになったはずです。けれども、それがあまりにも貧弱なので、家庭内介護が強いられているのです。年金も不十分なので、ヘルパーを頼むにも限度があります。いったい誰のせいだよと、参議院議員選挙前にヘコヘコと軽く頭を下げ回っている政治家を問いつめるべきです。

 ところで、ボクのスニーカーはナイキのスケートボード用でありまして、ソールは低くてフラット、つまりペッタンコです。けれども、スケボー用なので、滑らないようにものすごく細かなトレッドパターンが刻まれています。そこにウンコがぎっしりと埋まっていたんですよね。これをどうやって洗うんだと途方にくれて、いっそ捨てちまうかとも思ったのですが、それも勿体ないので、やりましたよ掃除を。お湯を流しっ放しにして、爪楊枝でトレッドからほじくりだす。この作業を延々と30分くらいかな。もうホントに、なんてこったという疲労感ですけど、くどいようですが人間ならもっと大変でしょうからね。

 はぁ。犬も人間も、そんな状態になってまで長生きする必要があるのでしょうか。犬と違って、人間なら誰にも迷惑をかけたくないという気持ちもあるはずですからね。それでも長生きしなきゃいけないというなら、今のうちに理由をぜひ教えてほしいものです。

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2019年7月 9日 (火)

喫煙は国策

 

 とっくにやめたから言うけど、煙草は百害あって一利もなしです。すでに若い人たちは「カッコ悪い」として喫煙者が激減しており、何よりだと思います。ボクたちの頃は、まさか命を削るハイリスクな悪習なんて知りませんでしたからね。映画でもプカプカ、テレビでもプカプカ。だから親も家でプカプカとなったら、そりゃもう子供だってプカプカではありませんか。もともとはインディアン、じゃなかった北アメリカ大陸の先住民がプカプカだったみたいですけどね。

 そんな喫煙習慣は自己責任と言うのなら、見かけの上では確かにそうです。食費を削って酒代に回そうが、煙草にしようが、ボクたちの勝手というほかありません。しかしながら、ですよ。煙草を独占的に販売してきたのは、日本専売公社というレッキとした特殊法人なんですぜ。もとをたどれば、1949年までは旧・大蔵省の外局である専売局が煙草を製造・販売していました。さらに遡れば、1948年に占領軍のマッカーサーが煙草と塩と、なぜだか樟脳を政府事業として運営せよと指示を出したわけです。

 けれども、国が何かを専売するというのは民主主義下の自由競争に反するとして、62年に樟脳が専売ではなくなり、1985年にJT、日本たばこ産業が発足して現在に至ります。ところが、この会社は民営化したように見えても、株の3分の1を有する大株主は国(財務大臣)なのであります。しかも煙草を独占的に製造する権利を専売公社から引き継いでおり、要するに日本ではJTしか煙草を作ることはできないわけです。

 つまり、ボクたちをニコチン中毒にしてきたのは、高価な輸入煙草もあるけど、ほとんどは日本国ってことになるではありませんか。アメリカでは肺がんで亡くなった人の奥さんが民間の煙草会社を訴えて、何と2兆円の懲罰的賠償金が認められています。だったら、日本たばこ産業ならびに日本国の責任を問うべきでしょう。すでに告訴した人がいますが、残念ながら2012年に東京高裁で敗訴が確定しています。

 その理由も「自由な意志決定」つまり自己責任となっているのですが、これはちゃんちゃらおかしい。漢字を使うなら「噴飯もの」です。煙草の製造・販売は、民間ではなく、国が深く関与する独占事業だったことをどう説明するのかなぁ。そもそも裁判なんていうのは、時の権力に逆らった判決なんか出すはずがないのですが、急速に進展する情報化ならびに国際化の昨今はそうは言っていられないはずです。アメリカで民間の煙草会社が莫大な賠償金を迫られているのに、専売公社だった日本が自己責任で逃げられるはずがないじゃないですか。

 もっと明確に指摘すれば、喫煙は国策だった可能性が高いのです。日中戦争の頃に、満州で阿片を独占的に製造・販売。巨額の利益を軍事費に回していた「前科」があるので、喫煙も同じく日本国民をニコチン中毒にする政策だったに違いないとボクは考えています。壮大な陰謀論として一笑に付す人もいるだろうけど、敗戦で国の財布はすっからかんという時期に煙草を専売ですから、納得できる理屈ではありませんか。

 いずれにしても、喫煙の害と国の責任は最高裁まで争うべきです。その結果によって、この国が一般民衆をどう扱ってきたかがはっきりするじゃないですか。年金でとっくに答は出ていますけどね。

 弁護士の皆さんも、いつまでサラ金の過払金や肝炎訴訟をやるつもりなんですかね。こっちのほうが可能性はデカいと思うぞ。

 

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2019年7月 8日 (月)

超能力

 

 ワタクシ、自慢ではありませんが、超能力を持っております。

 瞳を見れば心が読めるとか、瞬時にどこかに移動できるとか、未来が分かる予知能力なんぞではありません。そんなパワーが本当にあったら、こんなブログで紹介するはずないじゃないですか。モノカキとしても、そんな常識的()な超能力なんて、わざわざ書き記すには及びません。手垢がつきまくりで、オリジナリティのカケラもないですからね。

 では、どんな超能力なのか。知りたいですか? ホントに? 心からホントーに知りたいですか? っていつまでやってんだよ。

 はい、ではボクの秘密をここにお教えすることにします。

 実は、スーパーで買い物した金額を、電卓なしで当てることができるのです。チョコ1個とキャベツ1個という暗算でもやれる数ではありません。買い物カゴを一杯にした状態で、レジを通る前に「5000円」と感じると、ビシッと「5200円」だったりするのであります。中身をじっと見て判断するのでなく、ひと目で瞬時に分かるというのがポイントです。しかも誤差は3〜400円以内。スーパーで1万円を使うなんてことは滅多にないので、数千円レベルの金額ですが、ほかの人の買い物カゴもビシッと当てて、驚かれたことがしばしばあります。それでね、どうやらこれは超能力ではないだろうかと自覚したのであります。

 さらに、飲み屋でもほぼビシッと代金をあてることができます。酒がナンボでもヤキトリが10本だから、なんて姑息な計算はしません。パッと感覚的に分かるんだよな。一度や二度のことではないので、知り合いに「どうして分かるの」と不思議がられました。

 そのほかにも店の売り場面積とか、時計のケース径なんかもほぼ命中させることができますが、これはまぁ経験的な積み重ねがありますからね。スーパーや飲み屋の代金がどうして分かるかは、自分ながら謎としか言いようがないのです。Xmenでなくて、¥ manと名乗ろうかな。

 ああ、でも、しかし、この超能力は何の役にも立たないんですな。レジのオバサンが気づかないうちに通り抜けるとか、列の後ろの人の財布から必要なお金を自分のポケットにテレポートするとか(コラコラ!)、なんてことができればいいのですが、レジでピピッとやる直前に支払い金額が分かっても仕方ありません。電卓いらずというだけでのことで、実にしょうもない。電卓がない時代にタイムスリップしたら珍しがられるかもしれないけど、物価がまるきり違いますからねぇ。

 そうした無意味極まりない超能力を持っている人は、ボクだけじゃないような気がします。そんな人が複数集まったら、何かの役に立つかもしれない。役立たず超能力ブラザーズとして浅草演芸ホールに出るとか、意味なし超能力アベンジャーズとして人類の敵と戦うとか。差がありすぎか。少なくともコメディドラマにはなるかな。もしも書けというなら書きますので、出版社の方は連絡ください。

 

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2019年7月 5日 (金)

安保反対!

 

 トランプ大統領が日米安全保障条約を不平等だとして、これを破棄する意向を漏らしたことが話題となりました。なぜだか続報はなく、安倍首相との出来レースだとか何とか、例によってワケの分からない憶測報道ならびに評論がまかり通っているようですが、もっとびっくりしろよ、とワタクシは言いたい。

 あんたらは、安保闘争という歴史的な大騒ぎを知らないのですかねぇ。念のために紹介しておくと、1960年と70年の2回にわたって行われた日米安全保障条約改定に対する大規模な反対運動のことです。1951年に安保条約は締結されていたのですが、軍事同盟をもっと強化する新安保条約が結ばれるとして、セクトはもちろん一般市民の多くが反対集会などに駆けつけました。機動隊との衝突で、デモに参加していた東京大学の女子学生が圧死したことも超有名じゃないですか。10年後の条約再改定時、1970年はそれほどでもなかったと記憶しますが、やはり破棄を求める運動が起きています。

 太平洋戦争がやっと終わって平和になったのに、アメリカの戦争に日本が巻き込まれるなんてゴメンだというのが、基本的な反対理由です。米軍基地も冗談じゃない、空母エンタープライズも危ないから日本に寄るんじゃねぇよと、氷雨が降りしきる横須賀でプラカードを持った人もまだご存命なはずです。

 いつの時代にしても、安保反対運動にかかわったり、デモに参加した人たちは、トランプの意見は大歓迎のはずですよね。さっさと条約を破棄して、ちゃんとした主権国家に生まれ変われるチャンスではありませんか。それによって、沖縄から米軍基地を一掃できるんですぜ。ヘリコプターの基地反対運動などに煩わされることもなく、国会で毎年のように特別予算を組む必要もなくなります。

 半世紀も前の悲願が、こともあろうにアメリカ様の意向で実現しようとしているのですから、もっと大々的な賛成運動が起きなきゃヘンです。なのに、この静けさは何だよ。デモで亡くなった樺さんに失礼じゃないか。

 もっとはっきりいえば、安保反対運動の主役は団塊世代の皆さんでした。まだまだ元気で達者な方ばかりですから、まさか忘れたはずがありません。だったら、あの時の反対運動はいったい何だったんだよと、ボクは問いたい。1960~70年代といえば、まさに東西冷戦。そんな状況下でアメリカとの軍事同盟離脱なんて、今よりよっぽどヤバい話ですよね。にもかかわらず、60年安保反対闘争では国会議事堂をデモ隊が取り巻いたんですから。いやはや忘れっぽいというか何というか。当時のデモを率いた日本共産党も何とか言えよ。

 何かねぇ、日本人は心の底から豊かさの奴隷になってしまったのかなぁ。いいじゃないですか、アメリカがそう言うなら安保なんかやめちまえよ。

 それで何が起きるか知りませんが、少なくとも半世紀前には存在した崇高な独立心を取り戻す絶好のチャンスだと思うぞ。国際政治なんてことをトランプは考えていないのですから、こっちもくそ食らえだ、そんなもん。というジーサンがテレビに出てきても、ちっともおかしくないんですけどねぇ。朝ナマの田原さんも、もっと騒げよ。

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