笠木恵司の主な著書

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福助くん その6

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    福助くん、9歳の秋です。 ちょっと長めの散歩をして、世田谷公園へ。 紅葉と福助をご覧くださいまし。

福助くん その5

  • 赤いサルビア♪
    2010年秋の福助くん。とある週末に埼玉県所沢市にある航空公園に行ってきました!

福助くん その4

  • 1 毎年恒例の・・・
    今さらですが、今年の花見の福助くん。ご近所の目黒川に行ってきました。

福助くん その3

  • 1 田舎に行ってきました!
    飼い主の田舎に行ってきた福助。うららかな春を迎えた大自然のなかで、いつもと違った表情に。

福助くん その2

  • 定位置
    平日は会社にいる福助。こんな感じの毎日です。

福助くん その1

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    笠木の飼い犬。甘えん坊でちゃっかり屋の8歳。雄。

2020年7月10日 (金)

ヒゲそり

 

 女性の化粧もそうだろうけど、出かける時のヒゲそりがね、どうしようかって悩むようになりました。

 理由はマスクです。近頃はどんなところでもマスクなしでは入れてくれなくなったので、自宅から外に出たらほとんど着けっぱなしじゃないですか。なのに、律儀にヒゲをそらなきゃいけないのかぁと考え込むようになったわけです。頬やアゴがむさ苦しく汚らしくても、マスクがきっちり隠してくれるじゃないですか。

 それで悩むほど大げさなことではありませんが、ボクはそもそも不精者でありまして、取材などに出ない時はヒゲの手当てはしません。ステイホームの頃なんか伸び放題で、いざ剃ろうと思ったら電動シェーバーの刃がひっかかったくらいです。けれども、仮に見えないとしても、取材時の礼儀として身なりはきちんとしておきたい。オンラインミーティングも同じで、上半身しか見えないから下はパジャマ姿というのでは、緊張感に著しく欠けるじゃないですか。

 だから「無駄なんだよな」と思いながらも結局はヒゲを剃るわけですね。面倒でも、これならマスクを外したシチュエーションも安心です。普通なら飲食以外にそんなケースはあり得ませんが、ボクは元・小説家志望なので、菜々緒みたいな美女とあんなことやこんなことになることも常に想定しております。チクチク刺さるヒゲはお相手の迷惑になるので、剃っておこうじゃないかと。

 新型コロナ以前から、女性もすっぴん隠しにマスクを利用していると聞いたことがあります。花粉症とか鼻風邪とか理由はいろいろつけられますからね。でもさ、ボクに言わせれば想像力がちょと足りない。人生は何が起きるか分かりません。悪いことがあるなら、いいこともある。その「いいこと」のために、準備を怠ってはいけないのであります。

 

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2020年7月 9日 (木)

BGM、やめろよ

 

 本日も出がけなのでそそさくと終わりますが、NHKと民放各社の災害報道って、どこが違うか分かりますか。

 家が濁流に呑まれてユラユラと流れていく衝撃的な動画は、様々な視聴者がスマホで録画したものを提供するので、極端な差はありません。そうした報道内容ではなく、最も際立った違いは、BGMなのです。

 申し訳ないけど、ヘンなサウンドが被ってクソうるさい民放からNHKにチャンネルを変えると、実に静かに感じます。そうした静寂が、災害や悲劇をより深く心に浸透させるとボクは思っております。

 お願いだから、被災者をおちょくるようなBGMや、大げさで感情的な報道はやめてくんないかな。腹が立って仕方ないのは、ボクだけでしょうか。

 

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2020年7月 8日 (水)

誤字・脱字


 昔はテロップ、今はスーパーインポーズ、または略してスーパーと呼んでいるようですが、テレビの画面の下とか横に文字が出ますよね。時には大きな文字にして、うるさいくらいに画面に被る編集も常識的になってきたようですが、この文章に近頃は誤字・脱字が目立つのであります。

 仕事以外で校正なんかしたくないのですが、目につくから仕方ないじゃないですか。明らかな変換ミスにもかかわらず、ほとんどチェックされていないように感じます。印刷メディアでは、ライターはもちろん編集者からデスクまで文章に目を通し、さらに校閲という専門家が誤字・脱字だけでなく、差別的な言葉使いまでチェックします。性的マイノリティ、LGBTなどへの配慮は言うまでもなく、女性のジェンダー的な表記も直されたりするんですよね。大昔にあったCMのコピー「私つくる人、あなた食べる人」なんて、男女の役割として決めつけが過ぎると完全にアウトです。

 テレビ局に直ちに抗議が殺到するせいか、そうした意味的な間違いや錯誤は少ないのですが、前述した単純な変換ミスはスーパーだけでなく、ニュースショーなどで使われるフリップと呼ばれるボードでもしばしば見かけます。印刷メディアの誤植はいったん出版されたら直すことはできないのですが、テレビでは番組中にマジックで訂正したり、番組後に「間違いがありました」などというお詫びがあったりします。

 ボク自身も誤字・脱字の経験がないわけではありませんが、それにしても最近のテレビはやたら目立つんですよね。こういう下働き的な仕事は若くて給料の安いAD(アシスタント・ディレクター)がやると聞いております。ハードな労働であることも広く知られるようになったので、間違いが頻出しても不思議ではないのですが、ディレクターやプロデューサーなど管理職のチェック抜きでスーパーが画面に出てくるとは思えません。つまり、彼らも誤字・脱字に気づくことができなかった。そこに大きな問題が潜んでいるようにボクは思うのであります。

 それでね、ここからがボクの勝手で独断的な仮説です。若い人が本を読まなくなったなんていう手垢まみれの意見ではありません。遠慮会釈なく言わせてもらえれば、優秀な連中はもはやテレビ局を目指さなくなったのではないでしょうか。何しろ小学生の憧れの職業は、編集者でもライターでもアナウンサーでもテレビマンでもなく、ユーチューバーですからね。

 出版業界の構造不況は20年来ですが、テレビ局も広告クライアントをインターネットに奪われており、落ち目が続いています。こんなことは優秀な大学生なら誰でも分かっていることですから、将来性を考えれば他の業界を探しますよね。アナウンサーなどの「出方」はタレントや芸能人と同じで憧れる人は相変わらず多いと思いますが、裏方はもはやかつてのような人気ではなくなり、それに伴って仕事の品質も低下すると言ったら叱られるかな。

 けれども、社会が変化すれば人材の流動も止めることはできません。唯一できることは、面白い番組や興味を惹く番組を作って話題を提供することでしょう。ところが、組織というのは年を経れば経るほど硬直化していきます。そうなると周囲への目配りばかりが優先されがちなんだよな。ネットTVが人気を集めているのも、ニューメディアという理由だけでなく、既存のテレビ局ができないことをやろうとしているからではないでしょうか。

 サミュエル・ウルマンは70代になって「青春とは年齢のことではなく、心のありようを言う」なんていう図々しい詩を書きつけましたが、クリエイターは常に若い心を持っています。持っていなければクリエイターとは言えません。しかしながら、その一方で組織は確実に老化していくんだよな。そこにこそ構造的な問題があると気づいている人が、どれだけいるんだろうか。

 これをブレイクスルーするためには、面白い仕事をやるほかありません。ユニークで楽しい仕事には、優秀な若い人たちが自然に集まってきます。今ならロケットとかね。それさえ分かっていれば、オールドビジネスもニュービジネスに変貌できるはずなんだけど。

 

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2020年7月 7日 (火)

プランB

「天候がさらに悪化した場合は、羽田発の航空機が北九州空港に着陸できないことも考えられます」

 日曜日から北九州市に出張。小倉で一泊した翌月曜日の午後、北九州空港で羽田に帰る便の搭乗を待っていた時のことです。テレビでさんざん報道されているように、熊本や鹿児島など九州南部は観測史上初ともいわれる豪雨。九州北部も例外ではなく、白い靄のなかで雨がざざ降りとなっておりました。

 大丈夫かよと心配しながら仕事を終えて、タクシーで北九州空港にたどり着き、ほっとひと息ついた瞬間に、冒頭のアナウンスがあったのです。航空機というのは待機させておくと損失となるので、常に往復しています。つまり、羽田からの航空機が着陸しなければ、代替機は用意されていないので、欠航となるわけですね。

 海外で何度もこうした遅延や欠航に遭遇しました。乗り継ぎ先のアムステルダム空港が激しい嵐に見舞われたおかげで、ジュネーブ空港で8時間ほど待機していたこともあります。幸いにフランクフルト経由の便があり、ようやく日本までたどり着きましたが、それに比べれば国内便ですからね。とはいえ、早く帰りたい気持ちは海外でも国内でも同じです。こういう場合は、気持ちを落ち着かせるために、代替案としてプランB、プランCを考えることにしています。

 昨日の場合は、次の便をすかさずチェック。新型コロナで搭乗客が少ないためか、欠航が続き、午後7時半発の最終便しか残っていませんでした。少ない旅客を一機にまとめて飛ばそうという魂胆なんでしょうね。それでも、夜遅くとはいえ当日中には帰京することができます。これをプランBとして、予約状況をチェック。どうやら搭乗する余地はありそうです。次に天候の様子をネットで再びチェックすると、雨雲はどんどん北上しており、ヘタすればこの便も着陸できない可能性があります。それを想定したプランCとして、ホテル探しになるわけですな。その前にボクの翌日の予定をチェックすると、宅配便が届く程度なので、もう一泊しても被害は僅かということが分かりました。時節柄か、前夜に泊まったホテルは閑散としていたので、どこも満室でお断りということはなさそうです。

 だからといって早く帰りたい気持ちに変わりはなく、不安はつきまといますが、ノープランよりはマシってものです。特に海外では予定通りに行かないほうが普通でしたから、アクシデントに遭遇しそうになると、間髪を入れずに複数の代替案を考えるのが習慣化したようです。

 でね、新型コロナウイルスです。都内の感染者が5日連続で100人超というのは、緊急事態としか思えません。ここに至って「まだ第2波とは考えられない」「毎日の感染者数に一喜一憂するのはいかがなものか」とする専門家もいるようですが、ホントかよ。再選された都知事に至っては「東京版のCDCを設置する」としていますが、そんなことがプランAなんですかねぇ。遅すぎですよ。「もう誰も緊急事態宣言、休業はやりたくないでしょ」と泣き出しそうに言った大臣もいるくらいですから、ほとほと呆れ果てます。

 つまり、危機に直面しても当事者能力のない連中が行政のトップに君臨している。これでは第2波を食い止められるはずがない。プランB、プランCが今こそ必要なのに、とボクは歯がみを堪えることができないのです。

 

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2020年7月 6日 (月)

週が心を亡くす?


 住宅関係の週刊情報誌を編集している頃に、ある不動産団体の重職者から食事に誘われました。ボクはまだ20代の若僧でしたが、一応はメディア関係者なので気を使われたのかもしれません。某社の取材で上着のポケットに押し込まれた1万円札は断固として押し返しましたが、メシくらいは儀礼上いいかなと。

 業界動向など他愛もない話に終始したのですが、ひとつだけ彼は興味深いことを言ったのです。

「週刊誌というのは微妙だよね。1年間は太陽の動き、月は文字通り月の満ち欠けで始まったものだけど、週は人間がこしらえた人工的なサイクル。だから、たまに曜日のリアリティを喪失するのも不思議ではないですよね」

 まさしくその通りでありまして、今回の新型コロナ渦による巣ごもりで、曜日感覚が乏しくなった人もいるはずです。早々とボケたわけでは決してありません。そもそも1週間というのは、衆知のように旧約聖書から生まれた概念です。神様がせっせと働いて世界を創り、最後の1日は休んだと言われても、それを見た人間はどこにもいません。早い話が神様でなく人間が頭の中で1週間をこしらえたのですから、太陽の角度や月の満ち欠けのようなメジャーが自然界には存在しないのです。

 しかも1年間は7日間で割り切れず、53週の年もあれば52週の時もある。にもかかわらず、おそらくキリスト教圏だと思うのですが、欧米ではウイークカレンダー、すなわち週番号も使用しており、それを表示する時計もあります。今日は正月の第1週から数えて何番目の週か、なんてことが分かっても日本ではほとんど役立ちませんが、貿易契約などで日付の誤認を避けるために使用されることが少なくないそうです。

 こんなトリビアはさておき、1週間は許すとしても、週休2日制の浸透によってどんどん忙しくなってきたような気がします。「まだ水曜だよね」「いーえ木曜日です」と言われて慌てたことってありませんか。月曜と金曜は比較的に認識しやすいのですが、火曜水曜あたりはどうも区別が怪しい。だからね、日々が忙しく過ぎ去っていくように感じるのかな。これでは、死んでもそれに気づかず仕事を続けるかもしれません。ゾンビかよ。

 忙しいとは、心を亡くすと書きます。誰でも知っていることですが、心を亡くすというのはどういう意味だと思いますか。人が死ぬことを亡くなるというのですから、まさに心が死んだということになりますよね。まだまだ続きそうなコロナ禍で、心が死にかけている人があちこちにいます。そうした人たちの蘇生も政治家の役割のひとつなのに、都知事選ではライバル批判と自分のことばっかり。安倍さんの悪口なんて言えないよな。政策論争ではなくて、何よりも癒しが必要なのかもしれないという発想を持てないのかな。みんなが同じ土俵に立ってどうするんだよ。マザー・テレサは果たして何処に。


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2020年7月 3日 (金)

言葉遊び

 

 本日は早朝から取材のための移動があるので、簡単にまとめます。

 連日50人を超えていた都内の感染者が、昨日になってとうとう100人を超えてしまいました。これが第2波なのかどうかという論議もそうですが、国も自治体も対処法がなくなり、言葉を弄ぶだけになってしまったようです。再び緊急事態宣言→休業要請すれば、それを補償する給付金をセットにしないと効力がありませんが、もはや予算がないってことなんでしょうね。でもさ、安倍さんは予備費として10兆円を用意したはずなんだけどな。

 いずれにしても、記者会見で都知事が麗々しく掲げた「感染拡大要警戒」なんて、何か具体的な意味があるのでしょうか。「危ないから気をつけてね」なんて、ボクたちだって言えることです。そんなことより具体的な対策を実施すべきですよね。

 こうなったら、覚悟して「自己責任」で生きるほかないようです。自主的に巣ごもりを復活するのも、混雑した電車で通勤して仕事をするのも、すべて命がけの「自己責任」。こんな放置状態でいいのかと思うけど、都知事選の立候補者も大した人はいないですから、以前に書いた「ジャングルの掟」に従って生きるほかなくなってきたようです。

 今こそ創造的なリーダーが必要なのに、どこにも見当たらないというのは、国家的な悲劇というほかありません。


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2020年7月 2日 (木)

人気者

 

 誤解して欲しくないのですが、敢えて極論を言わせていただけば、新型コロナウイルスは「人気者」に取り憑く感染症かもしれません。

 日本にリアルな恐怖感を最初にもたらしたのは、3月末に亡くなった志村けんさんであり、その後も芸能人やアナウンサーなどテレビでお馴染みの人たちの罹患や死去が相次いで報告されたからです。基本的にはインフルエンザと同じ感染症ですから、人との接触が頻繁かつ濃厚である人がなりやすいことは分かりますが、誰でも知っているこの人もあの人も、なんていう事態はこれまで経験したことがありません。

 それがアラートとなったおかげで、日本全体がステイホーム、巣ごもりを徹底する動機になったのですが、逆にいえば偏屈で人嫌いというボクのようなタイプは、感染しにくいということになります。山奥に一人暮らしというわけではないので、現実には感染する機会は至るところにありますが、連日報道されている歌舞伎町などのホストクラブよりウイルス入りの飛沫を浴びる可能性が低いことは事実です。

 あ、だったら、どうして政治家に感染者がいないのでしょうか。少なくとも、テレビで毎日見るような人たちが罹患したなんて、これまで聞いたことがありません。やはり「民度」が違うのかな。確かに奴らの「民度」はボクたちとは大違いですけど。それとも、多数の票は集められても、実は「人気者」ではないからでしょうか。タレントや芸能人の感染者は多いのに、政治家はほとんどいないということを本気で研究すると、意外な事実を発見できるかもしれません。

 

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2020年7月 1日 (水)

人権という視点


 人間はそもそも区別する生き物だと思うんですよね。でなければ対象をきちんと認識できなくなるからです。Aさんの顔は四角いけど、Bさんは丸いなぁ、とかね。物真似にしても、顔つきや表情、話し方などから普通とは違うところを見つけて、それを誇張することで笑いを取る芸に仕立てています。

 その区別感覚が、ある種の感情を伴って発展したのが「差別」ですから、いくら口を酸っぱくしていけないと指導しても、それだけではなくならないはずです。区別はいいけど差別はダメだよと子供にいっても、ではどう違うのか。そこのところを正しく説明しない限り、子供たちは表向き分かったフリをするだけで、翌日もイジメに走ったりします。どうして区別はいいけど差別はダメなのかを、おそらく学校でも正しく指導していないんじゃないかな。

 区別は差違を見つけることですが、差別はそれにもとづいて人間を貶めることです。では、貶めるとは何か。そこに「人権」という言葉が入ってこなければアカンのですよね。他者の人権を認めないことが、バカにする、イジメるといった行動につながるのです。

 人間は大きく見ればみんな同じでも、細部を見ればそれぞれ違いがあります。肌の色だって、それこそいろいろです。ただし、誰でもが人間として生きる権利を持っています。それを正しく認識して認めることが、すなわち自分自身の人権をも認めさせることになります。だからね、世の中に数多ある差別問題は、自分自身の人権問題として捉えなきゃいけない。あなたが仮に黒人やゲイやレズではないとしても、彼らの人権を尊重しなければ、自分自身の人権が蹂躙されることも認めなきゃいけなくなります。ある人をイジメしていたら、いつの間にか今度は自分がイジメられる側に、というのと同じです。

アメリカやヨーロッパと日本は違う、と言う人がたまにいますが、差別の根っ子に変わりがあるはずがない。感情をうまく押し隠している分だけ悪質といってもいい。成績で人を区別する学校の先生にそうした人が少なからずいるから、いよいよ大問題なんですけどね。


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2020年6月30日 (火)

クラウドファンディング


 今から10年以上も前になるかな。クラウドファンディングという言葉が上陸したばかりの頃です。ボクはインターネットが草の根民主主義の実現につながると信じていたので、クラウドファンディングも投資の民主化を促すのではないかと大いなる期待を持っていました。

 そんな頃に、ある超有名な経済学者にインタビューする機会があったので、その話題を振ってみたのです。当時はアメリカの投資・金融業がイケイケ&ドンドンの大活況であり、日本はそのはるか後ろで塵や埃を拝していました。ま、いつものことではありますけど。

 クラウドはそんな状態を打開する新しい手段として認識されているのではないかと、ボクは希望を込めて思い込んでいました。ところが彼は、ひどくつまらなそうな顔で「フン」と鼻からひとつ息を吐き、「そのカネをどこに投資するんだね」と斜に構えて嘲笑したのです。「カネをいくら集めても有力な投資先がなきゃ仕方ないだろう」と、驚くほど冷淡な態度だったことを今でもありありと思い出します。

 ところが、彼の予想に反してクラウドファンディングはじわじわと普及。今回の新型コロナ禍では、様々なカタチで飲食やサービス業などをサポートしているようです。たとえば倒産寸前のラーメン店がネットでクラウドを募集。目標を上回る資金を得たと報道されました。寄付ではなく、あくまでも投資ですから、リターンがなければいけません。そこで休業要請解除後に使える未来の飲食券を配布するなど、いろいろと工夫しているみたいですね。

 従来の投資と異なるのは、そこに利回りなどを超えた人情や精神性が絡んでいることです。その店のラーメンが大好きだとか、店主の人柄に惚れるとか、要するにカネ勘定だけでの投資ではないんですよね。オリジナルの時計を限定数だけ製作するというクラウドファンディングもありますが、こちらもマニアックな趣味性が大前提となっています。つまり、儲けることだけが目的で投資するわけではないんですよね。

 そうしたブラスアルファの付加価値のやりとりが、実はクラウドファンディングの本質といっていい。アメリカ発祥のクールで強欲な経済学や財政学に染まっていた高名な学者様には、まるで予測できない要素だったのではないでしょうか。しかしながら、自慢じゃありませんが、理想主義者のボクはちゃんと今のような事態を感知しておりました。

 自慢ではないと言いながらきっちり自慢しているのが恥ずかしいのですが、やはり新しい物事は、教室や図書館などの中ではなく、あちこちの現場で起きているのです。街に出て、他者とかかわらなければ、大切なサインをみすみす見逃してしまう。だからボクは今でも現役のライターであり続けたいと思っているのです。


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2020年6月29日 (月)

不完全な生き物


 人類は食物連鎖の頂点に位置するとされています。他の動物は捕食し・捕食されるというバランスの中で生存していますが、人間はそのサイクルを超越。天上天下のどこにも捕食者がいないからこそ、地球上に70億もの人間が君臨しているわけです。ライオンに食われた人はいるけど、エサになったわけではありませんからね。

 しかしながら、生き物として見直せば、決して完成されているとはいえないんじゃないかな。新型コロナが典型的ですが、顕微鏡でも見えない微小なウイルスに蹂躙されてしまう。遺伝病も少なくなく、長生きすればしたで細胞の異常増殖=ガンだって覚悟しなきゃいけない。猫や犬よりは元気で長生きかもしれないけど、ゴキブリやアメーバに比べたら、生存能力は著しく劣るのではないでしょうか。体力的にも、人間より強い動物はいくらでもいます。

 ダーウィンの「進化論」に従えば、人類は環境不適応、あるいは弱肉強食でとっくに絶滅していてもおかしくありません。にもかかわらず生き延びることができたのは、他の生物とは異なる生存戦略を持っていたからです。人間を除くすべての生物は、自らの身体を変えることで環境に適応してきました。いわゆる「進化」です。これを文化人類学者の今西錦司は「棲み分け」と表現しましたが、いずれにしても自然環境が絶対的な存在だったのです。

 ところが人類は逆に、この環境を変えることで存続してきたといえるんじゃないかな。2本足歩行によって自由を得た2本の手で武器を作り、それまでの捕食者を自分たちのエサにしてしまった。それだけでなく、道具を作って土地という環境にもアクセス。農業革命によって、狩猟ではとても望めない安定的な食糧確保に成功しています。

 その後の産業革命、情報革命、バージョンなんたらについては省略しますが、文化・文明はどんどん進化。今では地球環境を壊しかねないほどのレベルに達しています。けれども、前述したように身体のほうはほとんど変化していません。そのかわりに医学が進歩しており、いずれ新型コロナもワクチンなどが開発されるはずです。

 このことから、前述した今西錦司は「人類はもはや進化しない」と言い切っています。進化を迫る環境条件そのものを変えられるのだから、わざわざ自分の身体を変える必要なんてないということです、

 さて、ここまでは人類全体の話。いざ個人に立ち戻ってみると、「進化論」的に自分のあり方を環境に適応させようとする人は少なくないんだよな。何のことはない、自然環境は征服したけど、今度は社会という環境への適応を常に求められていることになります。そのストレスが精神に様々な悪影響を及ぼしているのが現代ではないかと。

 でもね、自然環境を変えることができたんだから、社会環境だって変えることができるはずです。少なくとも、自分の生き方を無理して曲げることはないんじゃないかな。人類は両手を使って生物としての不利を克服してきました。今度は知恵を使って、社会的な不利を克服すればいい。具体的には、他律的な状況を少しでも自律的に生きるということです。

 ごく簡単にいえば、楽しく仕事をするためには、自由でなきゃダメってことです。人からいちいち指示されて面白いと思う人はいませんよね。自分が主役となって自律的になればなるほど、環境のほうが変わってくる。そうした主体的な意志を持つべき時代になってきたと思うんだけどね。


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