笠木恵司の主な著書

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福助くん その6

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    福助くん、9歳の秋です。 ちょっと長めの散歩をして、世田谷公園へ。 紅葉と福助をご覧くださいまし。

福助くん その5

  • 赤いサルビア♪
    2010年秋の福助くん。とある週末に埼玉県所沢市にある航空公園に行ってきました!

福助くん その4

  • 1 毎年恒例の・・・
    今さらですが、今年の花見の福助くん。ご近所の目黒川に行ってきました。

福助くん その3

  • 1 田舎に行ってきました!
    飼い主の田舎に行ってきた福助。うららかな春を迎えた大自然のなかで、いつもと違った表情に。

福助くん その2

  • 定位置
    平日は会社にいる福助。こんな感じの毎日です。

福助くん その1

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    笠木の飼い犬。甘えん坊でちゃっかり屋の8歳。雄。

2020年10月26日 (月)

嵐のように

 

 日記的なことを書くのは好きではありませんが、先週の金曜日から締め切りが嵐のようにやってきました。あっさり「無理でーす」と断ることができれば簡単なのですが、日頃からお世話になっているので、そんなことが言えるはずありません。

 かくて、4時間おきに寝ては起きて原稿に取り組み、今朝の時点で受注した原稿のほとんどを納品。残るは1ページというという状況になりました。要するに突貫工事なので、最低限の品質は確保しているはずでも、読んで感動するレベルかどうかはまるきり自信がありません、そもそも、そういうタイプの仕事ではないしね。

 そんなわけで、取り合えず締め切りには間に合いましたが、何だか忸怩たるものを感じております。かといって、時間さえかれば名文になるかといえば、絶対にそういうことはありません。どんな仕事もそうですが、締め切りがなければ、どんどん先送りするだけですからね。

 そんな言い訳をブログで書いてどうすんだよと叱られそうですが、嵐をやり過ごしてホッとした安心感だけはあります。そんな繰り返しが仕事なんですよね。

 あ、そういえば第2波が明日やってくるんでした。ひえーっ。こちらもさっさとやらないと不義理になってしまいます。でも今日だけは休みということにさせて下さい。

 

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2020年10月23日 (金)

生牡蠣

 

 新型コロナの影響で、今年の夏は生牡蠣を逃してしまいました。生牡蠣といえば冬の風物と考えている人もまだいるかも知れません。夏場は岩牡蠣という人はかなりの食通ですけど、近年は物流と養殖の技術革新によって、暑い夏でも世界中の牡蠣を生でいただけるようになったんですよね。

  これに合わせるのは、やはりシャンパンしかないとボクは断言します。シャープな細長のシルエットが美しいフルートグラスに注がれた黄金色のシャンパンで舌と喉を湿らしながら、冷たい生牡蠣をシュルリと口の中に放り込む。これこそが夏の醍醐味だったのであります。

  なのに、ああそれなのに、今年はたった1回だけです。銀座コリドー街の専門店でそそくさと食べたくらい。とはいっても2人で1ダース+アルファなので、居酒屋の3個一皿とは違います。氷を敷き詰めた皿にズラリと並んだ生牡蠣は、味が薄い順に食すのがコツだそうです。濃い味を先に食べると、微妙な差を感知しにくくなってしまうからです。 

 こんなふうに表現すると、贅沢なグルメのように思われるかもしれませんが、シャンパンはグラス一杯だけ。生牡蠣もハッピーアワーに行けば割安でいただけます。いくら好きでも、生牡蠣を1度に20個も食べる人は滅多にいないので、そんなに高価な食事ではありません。 

 ただし、問題なのは時間なんだよね。サーブされるまで時間がかかっても、半ダースなんかあっという間ですから。1個30秒もあればきっちり咀嚼できるので、続けて6個なら合計3分。1ダースでも6分程度。ガツガツするのはみっともないので、なるべく時間をかけようとは意識するのですが、ヒョイと殻を持ち上げて肉厚の身をシュルリですからね。ボクは無駄話というか、世間話が苦手なので、時間をかけたつもりでも、時計の針はほとんど進んでいなかったりするのです。

 そんなわけで、レストランの滞在時間もせいぜい30分程度。ダメだよなぁ。もうちょっと食事と会話を楽しまなきゃ、人生が勿体ない。そこで今年こそはと意気込んでいたのに、新型コロナで外食習慣まで消滅しつつあります。ああつまらん。どんな格好をしてもマスクでぶち壊しになるので、着替える楽しみもありません。早くワクチンを作ってくれないかなぁ。

 

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2020年10月22日 (木)

ズボンの裾

 

 ズボンの裾の長さは男にとって永遠の課題、と喝破したファッション評論家がいます。

 まったくその通りで、シニア世代の人たちは総じて長く、いわゆるワンクッションどころではないですからね。ズボンの幅も太いと、ほとんど袴状態といっていい。しかしながら、これが2〜30年前のスタンダードだったのです。

 ところが、今の若い人たちの裾はくるぶしを見せるくらい短くなっています。短い靴下をはいているので、裸足で革靴というわけはないのですが、どうしてもそのように見えてしまう。夏場は「抜け感」があって涼しそうに感じられても、今のような冬場になると寒々しく見えないですかねぇ。 

 こういうスタイルはちょっと前まで「ビジネスではNG」とされてきたのですが、おっとどっこいで、大手町のビル街でも普通に見かけるようになりました。ついでに、上半身はネクタイ姿でも、下半身はデニムなんていうドレスダウンな格好も珍しくありません。 

 どんな服を着ようが、基本的には個人の自由であり、ルールや礼儀もどんどん変わっていくので、もはや「そんな格好をするもんじゃない」なんてことを誰も言えなくなってきたようです。

 ボク自身も「なんでもあり」でやってきましたが、無意識に流行に引きずられるのだけはイヤだなぁ。率直に言えば、中高年がトレンドを追いかけても痛々しく見えるだけです。そんなことよりも、横並びなんかもうやめて、自分だけの理念や哲学や世界観を確立するべきじゃないかな。そして、それは生き方にほかならないってことなんですよね。

 

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2020年10月21日 (水)

不公平感

 

 さすがのトランプ大統領も、2度目の選挙は苦戦しているようです。彼はトリックスター以上の何者でもないとボクは考えているのですが、大方の予想を裏切ってそんな男を大統領にしてしまった背景をもっと深掘りすべきではないでしょうか。

 というのも、ボクは1990年代末に遠隔学習の取材でアメリカに行った時に、「プアホワイト」という言葉を知ったからです。社会的に有利な立場にいたはずの白人が、固定資産税のかからないトレーラーハウスに住んで貧困に喘いでいる。食事も粗末な豆料理ばかり。けれども、アメリカは自助努力による自由競争が国是ですから、そんな境涯も自業自得のように見られてしまうわけですね。

 それが20年ほどを経て、必ずしも自分たちの努力不足で貧困に陥ったわけではなく、社会の仕組みそのものが不公平であると認識されるようになったのではないでしょうか。そもそも親にカネがなければ大学に行くことができず、低所得の労働に甘んじなければならない。子供世代にまでそれが連鎖していく。それだけならまだしも、カネ持ちや高学歴の黒人が多くなり、彼らにこき遣われる白人だって珍しくない。そんな鬱屈した不満のはけ口が、これまでの政治的な支配層には属さないトランプに向かったことは間違いないでしょう。

 だからトランプが明らかに追い込まれるようになると、ミリシア=民兵組織の蜂起という恐ろしい予想もできなくはありません。要するに、第2次世界大戦を経て生まれた学歴による新たな秩序が、封建社会と同じように階級を固定化しつつある。それに対する不満や不公平感を抑えてきたのが、実はマイノリティと黒人に対する苛烈な差別だったんじゃないかな。ところが、1960年代の公民権運動などを経て、その重石が取れてしまった。もはや「見下す」相手がどこにもいなくなり、いよいよ自分たちが最下層であることを認識せざるを得なくなったわけです。

 こうした状況は社会の制度自体を変えなければどうしようもないのですが、富裕層や中間所得層が自らの既得権を捨てるはずがない。となれば、トランプが選挙で敗北したところで、憤懣の火種が消えることはありません。フランス革命で封建貴族たちが首を切られたように、新たな階級闘争が始まるような気もします。これからアメリカは大荒れになっていくんじゃないかな。そんな不穏な行動まで輸入してほしくはないけど、衆知のように情報化社会ですから、羊のように従順な国民性の日本にも大きな影響を及ぼす可能性は否定できません。

 そうした不公平感を解消するためには、いつでもやり直しができる社会にするしかないとボクは考えています。それを担保するのが出入り自由な学校制度です。年齢を問わず無料で学ぶことができ、得た学位は等しく尊重される。それこそが本来の学歴社会のはずなのに、現実は18〜20歳時点で入学した大学の名前だけで評価されますからね。社会に階級が生まれてしまうのは、スタートラインが平等ではないからです。だったら、それを改善すればいい。こんな簡単なことがどうしてできないんだろうか。

 

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2020年10月20日 (火)

消費行動

 

 人間というのは本当に不思議な生き物ですよね。新型コロナが大きな問題となり、政府が緊急事態宣言を発令したのは4月7日。それが5月25日に解除されるまで、繁華街から人の気配が完全に消えてしまいました。

 銀座の百貨店や高級店も軒並み営業を自粛。昼間にもかかわらず、日本を代表する繁華街に冷たい風が吹き抜けていく無惨な光景を眼前にした時は、強烈な終末感を覚えました。SF的なディストピアが、映画ではなく現実としてそこにあったのです。

 ちなみにボクは5月18日に恵比寿から西新井に移転しました。何もこんな時期に、と誰でも思うでしょうが、予定を立てたのは2月頃。3~4月は引越しシーズンなので、それを避けたおかげで、たまたま緊急事態宣言にぶつかってしまったんですよね。

 その経緯はいずれご紹介するとして、現在では当時のことをすっかり忘れてしまったかのような活況を呈しております。ボクなんかは、底なしの不景気がやってくるのではないかと震撼していたのですが、第一波よりも多数の感染者を出しているにもかかわらず、繁華街はもちろん、GoToナンタラで観光地も大賑わい。次はGoTo商店街だそうです。

 まさに「喉元過ぎれば暑さを忘れる」ですけど、その気分は分からないわけではありません。つまり、皆さんはおカネを遣いたくてウズウズしていたんですよね。3月アタマからほぼ3か月にわたって、スーパーマーケットくらいしか営業していなかったので、消費行動がかつてないほど抑圧されてきました。「モノを買いたい」という欲求がどんどん発酵・醸成され、そこに定額給付金が導火線となって、とうとう爆発したといえそうです。

 もちろん、新型コロナのおかげで職を失ったり、収入が激減した人はそれどころじゃないはずです。これからもっと手厚いサポートが必要になり、そろそろ本気でベーシックインカムも検討すべきだと思いますが、やはり消費行動の強烈な反動ぶりには驚かざるを得ません。人間はモノを作らないではいらない生き物であると同時に、おカネを遣いたいという欲求を止めることはできないらしい。

 ボクはもちろんカネ持ちではありませんが、もしも仮に貯金通帳の数字が知らないうちにヒトケタ増えていたとしても、それがどうしたと思いませんか。様々な贅沢を想像させるファンタジーの源にはなり得ても、しょせん数字は数字そのものに過ぎません。実体としてのボリュームはまったく感じられないはずです。

 つまりおカネは、遣わなければ価値を生まないんですよね。今回の新型コロナ禍で、そのことを何となくにせよ、みんなが理解したような気がします。サスティナブルも大変に結構ですが、そうした消費欲求をコントロールしない限り、簡単に後戻りしてしまうんじゃないかな。状況はもはや自然科学や経済学のフェイズではなく、心理学に移行しつつあるとボクは痛感したのですが、いかがでしょうか。

 

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2020年10月19日 (月)

ネットの真実

 

 不動産に興味があるので、ネットの記事をいろいろ読んできましたが、本当のところはどうなんだろうという疑問ばかりが膨れあがります。 

 ごく単純に考えれば、新型コロナ禍でマンションなどの購入意欲は激減。それに対応して価格も下がるはずですが、必ずしもそうはなっていないらしい。ひとつの理由としては、新築は資本力のある大手デベロッパーが高いシェアを占めているので、昔のようにダンピングして慌てて売り急ぐことがなくなったと分析されています。 低金利時代なので、ある程度は寝かせておいても資金負担は少ないのかもしれません。

 また、緊急事態宣言による自粛で我慢していた反動から、潜在的な購入希望者がここに来て一気に顕在化。それに対して新築マンションの供給は比較的少ないので、活況を呈しているなんていう解説もあります。それにつれて中古市場も活発化しているらしい。何のことはない、東京オリンピック以降は冷え込むと見込まれていた不動産市場が、新型コロナのおかげで逆に買い急ぎを促しているとも考えられるわけです。 

 その一方で、住宅ローンが払えず銀行から競売を迫られるケースが急増という記事もあるんだよな。そりゃそうです。厚労省の発表によれば、新型コロナによる今年の累計解雇者・雇い止め者数は9月末で6万人を突破しています。解雇されないまでも、給与を引き下げる会社だって珍しくないはずです。そうなったら、10万円の定額給付金なんて、ほとんど焼け石に水です。 

 こうした深刻な事情と、前述した景気の良さそうな解釈や情報が一緒くたになっているから、ネットは眉唾というか、にわかに信用できないんですよね。もちろん世間はそもそも一枚岩ではなく、不景気と好景気がモザイクのように織りなしています。その一部を捉えて、「針小棒大」と言いますが、些末な事実を大きく膨らませて語るのは難しくありません。高度な情報操作が行われている可能性もあるので、ネットから本当の情報を得ようとすれば、より高度なリテラシーが必要になってくるわけです。ま、いろいろあるのが世の中と言えばそうなんですけどね。

 ちなみにボクは、そんなリテラシーの持ち合わせはありません。唯一あるのは人生経験かな。いろいろ苦労だけはしましたからね。そこから普通に判断すれば、仮に不動産市場が好景気に見えても、それが長続きするはずがない。そもそも日本の人口はどんどん縮小しています。総務省統計局のデータによれば、全国平均の持ち家率は6割に達しているので、よほどの好景気にならない限り不動産需要が全国的に急拡大するなんてことは望めないはずです。 

 そんなわけで、普通の人が普通に考えれば、現下の不動産市場がいかに活況だとしても、その勢いが続くと考えるのは相当に無理があります。ということは、売れる時に売っておきたいという業界の意図が活況論を広めているとも考えられるわけです。ボク自身は、年末から年明けにかけて息切れするのではないかと見ています。その通りになるかどうかは神様ではないので分かりませんよ。 

 要するに、ネットの中の真実は、誰かが決めるのではなく、自分自身が判断するほかありません。その時の拠り所になるのは、常に変化するミクロな局面ではなくマクロな大状況だと思います。抜け駆け的に儲けたいのであれば、知る人がまだ少ない局所的な変化に注目すべきです。しかしながら、損や被害をできるだけ回避したいのであれば、大状況をきちんと踏まえておいたほうがいい。不動産であれば、買い手の家計環境と売り手の動向ということになるのかな。つまり需要と供給のバランスです。そこから考えれば、東京都心3区の不動産人気は依然として続くとしても、都内であるからといって値崩れの例外ではなくなるでしょう。実際に、山手線内にもかかわらず放置された空き家は少なくないといわれます。それが東京の未来図としたら、暗澹たる気分に陥ってしまいますけどね。 

「売上げはすべてを癒す」と喝破した経営者がいますが、経済が劇的に回復しない限りは、これから混乱と諍いと小競り合いと弱い者いじめが激化していくでしょうね。あおり運転はその予兆にほかならないと思います。心が抑圧されてこじれちゃってるんだよな。不動産市場なんかより、ボクはそっちのほうを深く憂慮するのであります。

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2020年10月16日 (金)

自由

 

 青春とは人生のある時期ではなく、心の持ち方を言う。こう書いたのはアメリカの詩人、サミュエル・ウルマンです。初めて知った時は何と美しい言葉かと思いましたが、現実には金と権力を持つ老人たちの合言葉になっているような気がします。

  若い人にはおよそ手の届かない地位と財力を持ったからこそ、心身ともに元気溌剌としていた頃の青春を憧憬するんじゃないかな。気持ちだけならともかく、シニアが若い人にこんなセリフを語り始めたら、「とっとと引退して俺たちに道を譲れよ」と心中で毒づかれるに決まっています。ボク自身もこれからの課題として意識しているのですが、ほどよく枯れていかないご老人は、自分自身を持てあますだけでなく、社会の邪魔者に近い存在になりかねません。どのように美しく格好良く引退するかが、日本のような超高齢社会の課題だと思うのであります。

 前置きが長くなりましたが、本題です。このウルマンに倣えば、自由とは以下のように表現できるのではないでしょうか。

 自由とは外的な状況を言うのでなく、心のありようを言う。

 自由といえば、反語である束縛や拘束、あるいは規制をすぐに思い浮かべますが、こうした外的あるいは社会的な状況を不自由だと感じるのは、心の中に自由を希求する気持ちが存在するからです。そして、誤解されがちなのですが、誰もが自由になりたいわけではありません。自ら進んで奴隷的に従属する人たちも少なくないのです。たとえばモリカケをもみ消した財務省の官僚が典型的じゃないですか。そこそこの権力があるくせに、いやだからこそヒラメのように上の意向を忖度してやまない。

 そうしなければカネや地位を失ってしまうと考えるだけでも、自由とはほど遠いところにいるとしか思えません。それだけに、こういう人ほど自由という言葉が大嫌いであり、何よりも憎悪するんですよね。「学問の自由? けっ、そんなもん現実には存在しないんだよ」とか何とか、自分自身の不自由と一緒に自由という概念まで抹殺しようとする。

 しかしながら、たとえ牢獄につながれても心の中を自由に保つことは可能です。手枷足枷で身体を拘束されても、頭の中は自由であり、知識と深い思惟さえあれば世界を、いや宇宙の果てまで飛び回ることも不可能ではありません。だからね、教養=リベラルアーツは「自由民の技芸」というより、自由になるための技芸であるとボクは解釈しているのです。

 自由を本当に束縛するものがあるとすれば、それは恐怖かもしれません。何かを失うだけでなく、疎外感が底なしの孤独に突き落としてしまう。自由というのはすっきり晴れた青空のように爽快なだけでなく、時が経つにれて不安と空虚感が立ちのぼってきますからね。何をするのも自由ということは、誰にも頼ることができないことと同義なのです。

 いずれにしても、誰もが自由を望むわけではないからこそ、不自由があり得る。逆にいえば、不自由を望む人たちが自由を殺し続けてきたのです。不自由に甘んじるのは個人の勝手でも、他人の自由まで侵害してはいけない。某大勲位に対する「弔意の表明」も、わざわざ「強制を伴うものではない」と付け加えるのであれば、そもそも通知なんかしなきゃいいじゃないか。忖度を強制する卑劣な支配はいい加減にやめろよ。おかげで自死した役人だっているんだぜ。

 かくのごとく、まさに真綿で首を絞められるかのように自由が制限されつつあります。これを看過しちゃっていいのかなぁ。かつても同じ道を辿り、結局は大政翼賛会を経て悲惨な太平洋戦争に突入したんですぜ。

 

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2020年10月15日 (木)

何も変わらない

 

 繰り返すようですが、ボクは日本学術会議がどんな団体なのか、まるきり知りません。しかしながら、この会議が選出した6名の学者の任命を拒否することと、団体としての活動見直しなどが、まったく違う次元の話であることくらいは分かります。 

 要するに「6人の学者の任命拒否の理由を教えて欲しい」という至極まっとうな要求に一切答えることなく、千人会議だの中国への協力とか何とか、論議が違うところで浮遊しまくっているんだよな。 フェイクな情報も飛び交っているしね。

 日本の学者の皆さんは、よくもまぁこんな理不尽を許しているものです。10月13日に、任命拒否に反対する14万人の署名が内閣府に提出されたらしいけど、国内の学者の数ってそんな程度なのかな。おそらく、これから似たような暴虐や無理難題が次から次へとやってくるはずです。その時に後悔したって遅いんですから、みんなが立ち上がって食い止めるべきじゃないかな。それとも「沈黙は金」なのでしょうか。

 もうひとつ。3月から5月あたりまで、あれほど流行したオンラインミーティングが、ボクのところだけかもしれませんが、近頃はさっぱりです。そりゃまあ、パソコンのディスプレイより実際に面談したほうがいろいろなことが分かるのですが、それにしてもZoomなどの使用頻度が激減しているんじゃないかな。とても便利なシステムなんですけどね

 前述の政府のゴリ押しも含めて、新型コロナを経験しても、世の中はなーんにも変わっていないように見えます。ボクは再び深く絶望してしまうのでありますよ。

 

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2020年10月14日 (水)

美しい食べ方

 

 夕方の5時頃から6時過ぎくらいまで、テレビでは食べ物の話題が花盛りになるようです。夕食の参考にしようとする主婦が多く、視聴率を稼げる話題だからでしょうか。

 確かに毎日毎日、献立を考えるのは大変ですからね。秋の名物があれば「あ、今晩はあれにしよう!」なんて思うことも十分にあり得るはずです。ただし、食レポというのか、タレントの食べ方や解説が最悪なのです。そもそも食事というのは、動物であれ植物であれ、生命を食べることにほかならないので、野蛮な営みであるということをどれだけ理解しているんだろうか。にもかかわらず、大口をあけてムシャムシャなんていうのは、太古の昔に戻るのと同じですから、営々と築いてきた食文化もへったくれもないじゃないか。 

 とりわけ握り寿司に至っては、このブログで何度も触れましたが、今もって平気でご飯のほうに醤油をつけて食べている人が少なくありません。ネタのほうに醤油をつけなきゃしょっぱくて仕方ないだろうと思うのですが、ディレクターなどが注意しないということは、テレビ局のおエライさんも同じように不細工な食べ方をしているのかな。高級店では煮きり醤油を刷毛でまぶしてくれますけどね。さらに、醤油をつけたネタのほうを舌の上に載せるのが旨い食べ方なのです。これができていない人もすごく目立つんだよな。では寿司をどうやってひっくり返すのか。それくらいは自分で勉強しようぜ。

 ところが、ネタが大きいと、このようには食べられず、どのように工夫しても口の端からこぼれまくって、実に不格好なことになります。昔はこういう寿司は「お女郎寿司」と呼び、下品だと考えられていました。近頃は逆にネタが大きいほうが褒められたりするので、それに迎合して寿司店も頑張ったりする。もはや世も末ですな。ネタがでかい「お女郎寿司」を上手に食べられるという人がいたら、ぜひ見て見たいものです。 

 というわけで、もうそろそろ分かっていただけたかと思うのですが、綺麗な食べ方の基本は、口の中にいれるものを小さくするってことなのです。逆にいえば大きなものにかぶりついたりしないこと。それだけでも上品に見えるので、是非やってみてください。こうした理由から、ボクは大食い選手権が大っ嫌いです。スポーツ感覚と豪語するプロの選手もいるらしいですが、スポーツはもっと美しいですよ。少なくとも生命をそんな粗末に扱ってはいけない。生けとし生きるものを口の中にいれて自分のエネルギーにするのですから、畏敬や感謝がなきゃウソでしょう。 

 そうした気持ちも込めて、大口をあけないことを心がければ、格好良く気品ある食事ができると思いますよ。

 

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2020年10月13日 (火)

あざとい

 

 このところ批判や悪口が目立つような気がするので、簡単に終わりますね。 

 目下、渋谷は100年に1度ともいわれる大規模な再開発が進んでいます。ボクには新しいビルがどんどん建つだけで、中のテナントなどにまったく新味を感じないのですが、それはそれとしておいておきましょう。 

 問題なのは「渋谷横丁」なんだよね。調べてみると、恵比寿の有名なナンパスポット「恵比寿横丁」を手がけた会社が運営しているらしい。「恵比寿横丁」は女性なら入店後1分以内に確実にお誘いを受ける飲み屋街であり、ボクの知人の歯科衛生士は「メチャうざいのですぐに外に出た」と言っておりました。 

 つまり、この「恵比寿横丁」をちょっと広く長くしただけで、まるきり完全コピーなのです。この姿勢は、ちょっとあざと過ぎるんじゃないかな。「横丁」というのは雑然とした界隈性が魅力なわけです。それを渋谷的にアレンジするならともかく、飲食系のメニューに関しても、ボクにとって興味を惹くものは何もありません。 

 要するに、「こんな風な仕立てにしておけば、テッパンで若い人たちが集まりますぜ」という魂胆がスカスカに透けて見えるんだよな。客を舐めんなよ、とボクは言いたい。こんな横丁がもしも長く繁盛したら、もはや若者たちのセンスに期待はできません。

 まぁね、そんな気配は以前からあったけど、マーケティングに踊らされるのがそんなに気持ちいいのかな?

 

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