オンライン
このところ再びオンラインによるブレゼンテーションやミーティングが増加しています。2回目の緊急事態宣言が続行中なので、多数の人たちを1か所に集めて「密」にするわけにはいきません。出席する側のボクにとっても、出かける準備や移動時間を省略できるので、便利この上ないのは事実ですが、旧式の人間のせいか、思うことがないわけではありません。
いつになく奥歯にモノが挟まったような言い方になるのは、オンラインを否定するつもりはないからです。人間の歴史なんていうのは、不便から便利へと不可逆的に進行しており、不便に戻るのはむしろ不自然で無理が伴います。その意味ではオンラインの普及は当然過ぎることであって、それに感情的な意義を唱えるのは、情報機器が嫌いな古手のジーサンたちといっていい。
ただね、あまりにも楽すぎて、心に残りにくいんですよね。人間の記憶はコンビュータとは違って、雑事が絡まっているのが普通です。むしろ、その雑事のほうから記憶が鮮やかに蘇るということも珍しくないじゃないですか。匂いなんか典型的で、ボクは寿司酢の甘酸っぱい香りを嗅ぐと、保育園の七夕で笹の葉に願い事を書いた短冊を巻き付けていた光景が頭の中に浮かびます。
オンラインでも、ミーティングの真っ最中に誰かが花瓶を落として割るといった雑事は起こるはずで、何かの発表と花瓶の割れた音がセットになって記憶されるケースもあるはずです。ところが、そうならないように気を配るために、ほとんどはモニターの2次元だけに留まっていますよね。このため、よほど衝撃的な映像とか内容でない限り、いつまで覚えていられるだろうかと心配になってしまうのです。一言でいえば、2次元の動画や音声は忘れやすいと言えるんじゃないかな。しかしながら、劇場で見た映画は結構覚えていますよね。これは自腹で入場料を払ったということと、映画館まで足を運んだこと、そして誰かと一緒だったということが3重に絡まっているからです。有料のテレビでも支払いは必要ですが、映画館まで行く時間と労力はカットされているので、その分だけ忘れやすくなるのではないでしょうか。
思い出も同じでありまして、航空機や列車の遅延などで苦労した旅行は細部まできちんと覚えているのに、他人任せの安楽な旅行はほとんど忘れているじゃないですか。その意味では、ちゃんとネクタイを締めて革靴を履いて、駅まで行って電車に乗るという労力をかけたほうが、記憶に残りやすいと思うのです。
そもそも2次元の画面によるコミュニケーションなんて、まだ始まって100年も経っていないですよね。だから人間の脳による記憶力は、それに順応していないんじゃないかなぁ。特に立体的なモノは重量が映らず、匂いも漂ってきません。奥ゆきもよく分からない。それで果たして脳は「見た」と感じるんだろうか。
オンラインの送り手も受け手も、この欠点をそろそろ真剣に考えたほうがいいと思うんですよね。前述したように、衝撃的な映像や音で耳目を刺激するというのは第一段階であって、視聴者に能動的に何かをさせるといった仕掛けも施すようになるんじゃないかな。とっくにテレビではクイズの三択を回答させるなんてことをやっていますが、何もしないよりは番組を覚えていますからね。
いずれにしてもオンラインは発展途上なので、テクノロジーはこのままとしても、人文学あるいは心理学的な工夫がいよいよ必要になると感じたのであります。こう考えれば、文系だって情報科学に貢献できるではありませんか。
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