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福助くん その6

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    福助くん、9歳の秋です。 ちょっと長めの散歩をして、世田谷公園へ。 紅葉と福助をご覧くださいまし。

福助くん その5

  • 赤いサルビア♪
    2010年秋の福助くん。とある週末に埼玉県所沢市にある航空公園に行ってきました!

福助くん その4

  • 1 毎年恒例の・・・
    今さらですが、今年の花見の福助くん。ご近所の目黒川に行ってきました。

福助くん その3

  • 1 田舎に行ってきました!
    飼い主の田舎に行ってきた福助。うららかな春を迎えた大自然のなかで、いつもと違った表情に。

福助くん その2

  • 定位置
    平日は会社にいる福助。こんな感じの毎日です。

福助くん その1

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    笠木の飼い犬。甘えん坊でちゃっかり屋の8歳。雄。

2018年2月19日 (月)

『気分を変えて』

 

 年を取ったらもう少し穏やかな気分になれるんじゃないかと期待していたのですが、決してそうではないんですよね。もしかすると、男の更年期障害の一種なのかもしれませんが、自分の未熟さに対する怒りや、焦燥感がひどく強くて、早い話がイライラして落ち着くことができません。

 

 原因や理由はちゃんとあるのですが、焦りや苛立ちはそれを振り切ったレベルに達してしまうことがあります。これが昨今の大きな問題となっている「暴走老人」を生み出すメカニズムなのかなぁ。

 

 などと鬱々としていたら、この不愉快な気分に寸分の狂いもなくピタリと合致する楽曲がWOWOWから流れてきました。Huluとの共同製作ドラマ『コートダジュールN10』のエンディングテーマ『気分を変えて』です。小林聡美と大島優子の出演で昨年から放映されているらしいのですが、ドラマなんかより、この歌が一瞬で心に突き刺さってしまったのです。

 

ゆううつな毎日をどうしよう

歌を聴いても酒を飲んでも直らない

いつもの彼のぬくみも欲しくない

ざーざー雨降る舗道に1人で泣きたいよ

 

 このフレーズの最後、「ざーざー雨降る舗道に1人で泣きたいよ」がね、まさにボクの心境なのであります。靴や下着の中まで冷たい雨でびしょ濡れになりながら、這いつくばって熱い涙を流す感覚、って分かりますかねぇ。まだ前向きにはとてもなれないから、この救いのない惨めさにしばらく浸らせておいてくれ、ということです。

 

 傷ついて露出した粘膜は、空気が揺らぐだけでも、ヒリヒリした焼け付くような痛みを与えます。そんな苦しくて切ない気分を、そのまま放りだしたような歌詞であり、メロディなんだよな。

 

やさしい言葉が欲しいわけじゃない

どうせ言葉だけに決まってるもの

今日は1人になりたいの

みんなどっかに行っとくれ バイバイ

 

 作詞・作曲はシンガーソングライターの山崎ハコ。1975年にリリースされたデビュー・アルバム『飛・び・ま・す』に収録されています。彼女が17歳の時の作品だと思いますが、今頃になって激しく共感して動揺するボクって、いったい何だろうね。人生というグラウンドを一周回って、再びもとの思春期に戻ってきたのでしょうか。だったら年齢や経験なんて何の意味もないじゃないかと、さらに焦燥は募るわけであります。

 

ゆううつな毎日をどうしよう

わかってるけどグズグズしていて直らない

このままとじこまっているわけにゃいかないが

いくら言葉でいってもダメなこともあるのさ

 

 うーん。よく分かるなぁ。70年代って、そんな雰囲気だったような気もします。でもさ、どうすれば『気分を変えて』となれるのか。初めて聴いた時は内容とタイトルにすごく違和感があったのですが、最後の最後にドラマチックな解決策が提示されているのです。

 

なぐさめてもらいたいよな気もするの

グチをこぼしたら笑われるし

そんな弱い私なら

そんな弱い私なら バイバイ

 

 まず「みんな」にバイバイして1人になり、「気分をうまく晴らせないあんた」にもバイバイ。そして、「そんな弱い私なら」自分にもバイバイしてしまう。それが何を意味するのか、様々な含蓄に富んでいますが、すごい歌詞でしょ。自分自身も含めたすべてをバイバイと突き放した先に、いったい何があるのか。

 

 ボクなんかはついつい実存主義の萌芽を読み取ってしまうのですが、そんなアホみたいな屁理屈でなくて、「俺ってさ、いまはこんな気分なので」として、皆様にご紹介しておこうかな、と。

 

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2018年2月16日 (金)

自分につく嘘

 

 人間は基本的に嘘をつく生き物です。中でも最も罪深く、そして悲しいのが、自分に対する嘘じゃないかな。

 

 たとえば、と、具体的に紹介しようとして消しては直すことを繰り返しているうちに2時間以上が経ってしまいました。大変にデリケートな問題なので、具体例を出せば必ずあちこちに支障が生まれるからです。

 

 ごく簡単に、ぶっちゃけて結論から先に言えば、人間は「自己肯定」という嘘を自分につくわけですね。その中でも死の間際が最高潮でありまして、「あーつまらなかった」と否定的な言葉を残して亡くなった人なんか、ボクは寡聞にして知りません。「まったく不愉快極まりない」とか「こんなに生きて損した」とか「もっと早くに死んでおきゃ良かった」なんてね。まったくないということはないにしても、滅多にないじゃないですか。

 だから、ボクなんかはその時がきたら「劣悪な罰ゲームだったよ」と言うつもりですが、こんなのは天の邪鬼もいいところでね。たいていの人は「それなりにいい人生だった」と前向きな、って、死んだ先に何かがあるわっきゃないのに、どういうわけだか肯定的な評価をしてコト切れるのであります。

 

 でもさ、本当にそうかなぁ。自分が死ぬ前にどうしても殺しておきたかった奴とかは、いないのかな。高級な住宅や別荘やスーツやスーパーカーやクルーザーや金髪美女の愛人を持てない人生なんて明らかにクソじゃんかよと、元気なうちは思っても、天国まであと数キロあたりのところにくると、「まぁまぁそこそこいい人生だったかな」と意見がコロリと変わってしまう。

 

 あくまで仮にですが、カスでクソでゲスなボクをいろいろと親身になってケアしてくれた優しい女性がいたとして、ですよ。そんなご婦人がいまわの際に寄り添ってくれていたら、彼女の手を握りながら「ありがとう。楽しい人生でした」とか何とか言ってしまうでしょうね。それは彼女に気遣いしたからであって、暗い闇の中を落ちていく途中で「もっと綺麗で妖艶な女だったら良かったのになぁ」と不満を漏らすかもしれない。

 

 スポーツも同じで、「金以外はメダルじゃねぇ」と思っている人でも、銅メダルとか8位入賞とか、さらには「五輪に出られて良かった」とか。それがいけないと言っているわけではありませんよ。自己肯定は絶対的に必要なことであって、それを「嘘」呼ばわりするボクのほうが圧倒的に根性がねじ曲がっているのであります。

 

 ただ、そんなことはそれこそ最期の最期にやるべき仕方のない「心象操作」でありまして、生きているうちは自己否定を繰り返しながら、体制に反逆し、怒り、哀しみ、少しでも世の中を変えようすることが大切ではないかと。奴隷のような生活を「食べられるんだからまだ幸せ」なんて思ってはいけないのです。

 

 さて、あなたは、自分に嘘をついていませんか?

 

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2018年2月15日 (木)

新型インフルエンザ?

 

 連休中に寝込んでいた時はただの風邪だろうと自己判断していましたが、どうやら新型インフルエンザの疑いが濃厚になってまいりました。新しいものは決して嫌いではありませんが、感染症だけは勘弁してほしいなぁ。

 

 ネットをかるく調べてみると、インフルエンザの特徴的な症状は38度以上の高熱とあります。ボクの場合は最高でも37度8分でしたから、これには該当しません。ひどい時には体中がガタガタ震えるほどでしたが、それでも体温計では微熱程度ですから、ヘンだなぁとは思っていたんですけどね。

 

 ただ、全身性の関節痛はないものの、腰痛と肋骨痛みたいなものがあったので、いつもの風邪ではないとは分かっていました。念のために、さらにいろいろ調べていくと、最近は高熱が出ない新型インフルエンザも流行しているらしいんですな。

 

 さて、ここで問題です。もしも新型インフルエンザだったとしたら、あなたはどうしますか。悪寒がするくらいになってしまったのですから、自分から医者に行く体力も気力も残っていません。やたらに出歩いて菌をばらまくのも他人迷惑じゃないですか。

 

 次に、悪質な風邪だった場合。こちらも症状は同じなので、ベッドから起き上がって着替えて医者に行くなんてことは無理です。立てるようになるまでひたすら我慢するしかありません。

 

 つまり、ですね。新型インフルであろうがなかろうが、患者としてやれることはまったく同じで、ひたすら寝るだけなんですな。特効薬があるなら別ですが、ワクチンでの予防はともかく、罹患していったん症状が出てしまったら、効き目はあまりないと言われます。気休め程度だと承知している大衆薬と比較しても、それほど極端な違いはないんじゃないかな。

 それより何より、医者が往診してくれるなら別ですが、わざわざ起き上がって、クソ寒い風がビュービュー吹きすさぶ中を歩いて、またはパスやタクシーに乗って病院を目指す価値がどれほどあるのでしょうか。

 

 インフルエンザと風邪の際立った違いなんて、その名称のように強力な感染力しかありませんから、菌をばらまかないのが防疫上最も必要な措置となるので、やっぱ寝ているのが一番となるわけです。

 

 そうこうしているうちに3日で平熱に戻り、翌日には関節痛なども解消しました。今でも鼻水と咳は残っていますが。

 医者もねぇ、とにかく(這ってでも)病院に来い、というのでなく、市販薬ならこういうのが効果的ですよ、とか、食欲はないでしょうが、微熱で舌が鈍感になっているので思い切ってカレーにチャレンジ(あくまで冗談です)とか、もっと患者の側に立ったプラクティカルなアドバイスをして欲しいなぁ。健康保険の点数にはならないまでも、来院者数はぐっと増えると思うぞ。

 

 とにかくネットの記事はコピペだらけで、間違いはないにしても実際にはあまり役には立ちません。このブログで言いたいボクの結論的なアドバイスは、「こりゃあかん」と身体からの最終危険信号が出るまでは、ひたすら寝ているほうがむしろ体力を温存できるってことです。とてもじゃないけど注射1本で快癒するような病気とは思えませんからね。ということは、敢えて病院に行くリスクと引き換えに、どんな効果が得られるかってことです。そのあたりをきちんと自分のアタマで判断して決断できるのが、頼りになる大人ってものではないでしょうか。

 

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2018年2月14日 (水)

スタイル(下)

 

 ハイウェイの開通などで一時は盛り上がったものの、それからは寂れるばかりという山間の温泉地がありました。家業の旅館の先行きを深く危惧した24歳の若者は、金槌とノミだけで裏山に洞窟を掘り始め、3年半もの歳月をかけて全長30メートルに及ぶ「洞窟風呂」を完成。たちまち大評判となったそうです。さらに彼は、周囲から雑木などを集めて、野趣に富んだ露天風呂をこしらえました。こちらも、ありきたりの温泉旅館に飽き飽きしていた女性たちの人気を集め、来訪客はどんどん増加。こうなると、それまで彼を奇人変人扱いしていた他の旅館経営者たちも無視できなくなり、態度を一変して師匠として仰ぐようになったそうです。

 

 このように、独創性や創造力というのは、常に異端視・白眼視されるわけで、おそらくですけど、奇人変人扱いどころか、イジメや村八分的な差別だってあったでしょう。それでも昔は情報がいまほど早く流通していなかったので、個人的な信念や頑固を通すことができたように思いますが、現代ではトレンドや大勢から外れたことをやり通すのはますます困難になってきたんじゃないかな。

 

 ボクは、もはやそのあたりの日本的体質に完全に絶望しておりまして、これから期待される「創造力」とは、思考や生き方なども含めた多様な「スタイル」にほかならないと説明しようとしていたのですが、もうやめます。風邪のおかげで思考体力が弱っていることもありますが、何しろ霞ヶ関が一声かけるだけで右向け右に一斉に雪崩をうつような社会ですからね。

 

 こうした体質はボクが生きている間に絶対に変わることはないと思います。ということは、世界で一番になるなんて、とてもじゃないけど無理ですよ。安全地帯でリスクを冒さない2番手主義で1番になれるものならなってみろと言いたい。

 それだけならまだしも、冒頭の例では、自分では何ひとつ考えることなく「師匠」にただぶら下がって教えを請うだけの旅館経営者もいたんじゃないかな。もしもボクなら「それでも経営者かよ」と一蹴したでしょうが、彼はそうではありませんでした。温泉地としての全体的な発展がそれぞれの旅館の繁盛につながることから、その後も様々なアイデアを提供したのです。

 

 阿蘇山麓の黒川温泉を全国的に有名にした彼、後藤哲也さんが、今年1月22日に亡くなられました。2003年には国土交通省の「観光カリスマ100選」に選ばれたそうですが、何だろうね、それって。思考力が欠如したぶら下がり族を増やすだけじゃないかなぁ。そんなことより、新しいチャレンジの足を引っ張ることのないような教育をすべきだろうとボクは思いますが。ともかく合掌させていただきます。

 

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2018年2月13日 (火)

スタイル(中)

 

 3連休は、もしかしてインフルエンザかなぁという症状に悩まされました。ボクは滅多に熱を出したことはないのですが、37度台が続いて、なかなか下回りません。いつもは35~36度なので、これはボクにとって微熱とは言いがたいのです。だるくて熱っぽいというだけでなく、咳もひどくなり、やがて喉に痛みも。そのうちに、寝返りをうつと肋骨のあたりに痛みが走るようになりました。

 

 仮にインフルエンザではないにしても、重篤な風邪症状に変わりないので、ずっと寝たきりです。そもそも悪寒があって、ベッドを抜け出す気にもなりませんでしたから。昨日深夜あたりからようやく36度台に回復。何とか復帰できそうですが、その後遺症というべきか、アタマがうまく回らないので、複雑なことが書けません。

 

 そこで前回のブログを読み返してみると、どうやら「創造力」の重要性は理解され始めているにもかかわらず、実際の社会生活では、それが必然的に生み出す「多様性」を許容する段階には至っていない、ということを言いたかったらしい。

 

 実際に、見るともなく見ていたテレビでは、どの局も冬季オリンピックばっかりで、そのほかに報道に値するニュースはありませんといわんばかりの洪水状態ですもんね。「メダルラッシュ」といわれた昨日夜あたりからさらにエスカレート。スピードスケートやジャンプの同じ映像を何度見せられたことか。仕方がないので、いつものように衛星放送に戻りましたが、この圧倒的で、風邪で弱っているボクには暴力的とすら感じられる画一的な報道姿勢は何とかならないものでしょうか。しかも「列島感動!」とかなんとか押しつけがましい過剰な称賛がくっついてくるので、ますます辟易とさせられるわけです。

 

 おそらく視聴率が理由でしょうけど、だったらもうちょっと違う姿勢や視点から報道すべきじゃないかな。ここらにボクたちの「横並び体質」が炸裂しているとしか思えないんですよね。こんなことを言うと「オリンピックを応援して何が悪い」と叱られそうですが、それがいけないというのではなく、どの局も同じような報道を繰り返して飽きないということが、どうもね。そんな社会環境の中で、果たして「創造力」は育つのでしょうか。

 

 民主主義に言論の自由が不可欠なように、創造力は多様性と不可分のセットになっていると思います。普通の人が考えもしないことを発想する人は、しばしば「変わり者」あるいは「異端者」扱いされますからね。そうした同調圧力の強い環境のもとで、創造力が発達するはずがない。だから、もしも文科省が子供たちの教育に本気で「創造力」を導入しようとするなら、むしろ親の側、すなわち会社や社会がもっと多様性を認めるように変えるべきでしょう。しかしながら、こんなことは政府や行政がいくら音頭を取っても簡単に変わるはずがありません。

 

 ということを、どうやら前回は言いたかったらしい。ならば、「スタイル」というタイトルはどんな意味なのでしょうか。どうやら、これを「多様性」と同義で考えていたフシがあるので、思考力が回復すると思われる明日に続けたいと思います。

 

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2018年2月 9日 (金)

スタイル(前)

 

 以前もご紹介したと思いますが、ボクは何をやっても最初のデキが一番良くて、それからどんどんパフォーマンスが落ちていきます。たとえば、スーパーマリオなんかのゲームが典型的で、1回目は相当な難関もヒョイヒョイとクリアできたのに、2回目、3回目は簡単なところで失敗するなんてことが結構あるんですよね。

 

 逆に、何度も繰り返すことで技能や成績が次第にアップしていく人もいるでしょう。むしろ、ボクのような「初速全開」タイプよりも、後者のほうが圧倒的に多いんじゃないかな。「練習」とか「熟練」という言葉があることから分かるように、そうでなきゃいかんとボクも思います。早い話がウサギとカメですな。

 

 自分がウサギとは思いませんが、その理由というか原因は明らかで、要するに性格的に飽きっぽいのです。特段の才能がないにもかかわらず、すぐに飽きてしまう。メンタルと身体行動は抜きがたく結びついているので、モチベーションが下がればパフォーマンスがアップするはずがありません。でも、そのかわりにね、新しいことやアクシデントへの対応能力は自分ながらあるんじゃないかと。実例を挙げると自慢話になるので紹介は控えますが、「いつもと違うこと」に興奮しやすいんですよね。

 

 そんなわけで、文章についても、何かをテーマに何かを書けと指示されると、たいていの人は前例を探します。ボクもまったく同じですが、問題はそれからなのです。「あ、こういうふうに書けばいいのね」と納得して従う人と、「こういうふうに書けばいいのか。でも、同じことをしても目立たないよな」と感じる人の2種類に分かれていくのです。

 

 飽きっぽいボクはもちろん後者に属しますが、その試みが新しければ新しいほどハイリスクとなり、場合によっては結果が100点か0点ということになりかねません。ところが「こういうふうに書くのね」と納得するタイプは、平均レベルを極端に下回ることはないでしょう。というより、優等生の皆さんは間違いなく80点以上を取るんじゃないかな。だってさ、もともとアタマのいい人たちなので、評価される勘所をすぐに見破ることができるからです。

 

 しかしながら、これは明治以降の「欧米の文明国に追いつけ追い越せ」の時代は大変に効果的であっても、追いついてしまった後は「こういうふうに」というモデルが目の前から消滅してしまいます。となれば、何でもかんでも前例のないところから作り上げていかなきゃいけない。

 

 ボクは、目下のところ文部科学省などが一生懸命進めている教育改革の本質は、そこにあるはずだと推定しています。簡単に言ってしまえば、「想像」重視から「創造」への大転換ではないかと。ペーパーテストで問われるのは、出題者の思惑を見抜く能力です。学習塾でも「この問題はこれに関する学力が問われているんだよ」と解説しますよね。つまり、出題者の意図や仕掛けを推し量る「想像力」が、求められる学力の本質だったのではないでしょうか。その究極ともいえるのが「忖度」ですから、学校優等生出身の「官僚」がそれに長けているのは当然です。

 

 ところが、学校から社会に出てしまえば、そうしたテストを出題してくれる人はいません。けれども、戦前並びに戦後の日本社会は、常に欧米から問題用紙が配られていたといっていい。問題用紙が目の前にあるなら、それに的確に解答すればいいのですが、問題用紙が配布されなくなったら、今度は自分たちで問題を見つけていくほかないじゃないですか。

 

 この時に必要なのは「想像力」でなく、「創造力」ではないかと。実際に、高大接続改革などのややこしい資料を読み込んでいくと、そんな雰囲気を強く感じるのです。ということは、これって文明開化した明治の頃からの教育の大転換といっても過言ではないですよね。ただし、その崇高な改革理念に社会環境が追いついているとは言いがたいのです。

 何だか話が急カーブするだけでなく大きく膨張してきたので、何が言いたいかは来週の休み明けに続けます。

 

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2018年2月 8日 (木)

麻酔

 

 2年がかりで通っていた歯科治療も、いよいよ大詰めという段階なのですが、ちょっと油断したせいで、火傷してしまいました。

 

 今週は上顎左側の仮歯をブリッジで本番の歯に取り替えるとともに、右側の仮歯を外して型取りを行ったのですが、この時に麻酔を何本も注射したんですよね。何しろ痛がりなものですから。そうなると、完全に醒めるまでに3~4時間ほどかかります。

 

 いつものことなので、それはアタマで理解していたのですが、たまたま昼飯抜きだったので、夕方に猛烈な空腹を感じました。そこで取り置きしてあったオデンを鍋に入れて暖めることに。グツグツと高温でゆであがった竹輪などをハシで小さくして、唇に触れないようにホイッと口の中に投げ入れるように食べ始めました。麻酔のおかげで神経が相当に鈍感になっているので、それなりに注意はしていたのですが、ダイコンがね、ダメだったんだよな。

 

 熱々の、汁がたっぷりとしみこんだと察せられるダイコンですぜ。ちゃんと面取もされております。相当な熱量も維持していますが(文系にしては科学的でしょ)、それだけに実にうまそうじゃないですか。これをね、どうもパクリといってしまったらしい。「らしい」というのは、食後しばらくしてから痛みを感じるようになったからです。洗面所に行って、唇をひっくり返すと案の定で、口内炎のように白くなっているところがあるじゃないですか。麻酔で熱さを感じなかったために、みごとに火傷してしまったのです。

 

 今ではかなり軽減されてきましたが、まだ強い痛みを感じます。虫歯のように継続的な鈍痛ではないのが救いですが、いい年こいてなーにやってんだろうね、と自分ながら呆れております。

 

 このことを皆様の参考になるような話に結び付けるのも、ライターという職業柄で決して不可能ではありませんが、そんな取って付けたような屁理屈ほどつまらんものはないですよね。迂闊で粗忽なライターだなぁと嗤っていただければ何よりであります。それにしても、ああ痛い。

 

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2018年2月 7日 (水)

自分を律するのは……

 

「こういうことは申し上げたくありませんが、御党の幹部の方も現在、同様に説明をされていると承知をいたしております」

 

 昨日の衆議院予算委員会で、線香問題を取り上げた野党議員に対する経済再生大臣の応答です。こういう反論・反駁は、首相もしばしばやっているのではないでしょうか。下品な表現をお許しいただけるなら、ヘドが出そうと言いたい。「一度食べて胃に入ったものを口から吐きもどすこと。また、その吐いたもの」(デジタル大辞典)という意味です。大臣の言い方はインキン、じゃなかった慇懃かつ巧妙ですが、国権の最高機関である国会で「アンタのところでもやってるじゃないか」なんて稚拙な応酬をしないで欲しいなぁ。

 

 立ち入りが禁止されている波止場の柵を平気で乗り越えて釣りをしたり、河川敷で迷惑かつ危険極まりない打ちっ放しをやっている連中の常套的な言い訳も「みんなやっているから」じゃないですか。慰安婦問題にしても、どんな軍隊も同じようなことをしてきたという人がいます。事実関係を問う以前に、この言い方は何の意味もありません。みんながやっていることだから悪いことをしても許されるというなら、刑務所に見学に行ったほうがいい。それこそ、「みんな」が牢獄につながれているではありませんか。ならアンタも入れよ、ってね。

 

 身内に瑕疵を抱えながら、同じ問題を追及する野党も野党ですから、何だかね、もはや倫理は末期的状態。世の中、勝ち負けと利益しかないみたいです。どんなに糾弾されようが、横車を通し切った者が凱歌を挙げる社会に、再びヘドが出そうになります。

 

 というわけで、人間を本当に律するのは社会規範や道徳や倫理なんかではないんですよね。命や利権が危うくなったら、そんなもの簡単に踏みつけられてしまいます。法律は罰則が伴うといっても、それは発覚した時の話なので、バレるまで具体的に機能するとはいえません。もしバレたらヤバいことになるぞ、というイマジネーションが行動を縛っているだけのことです。

 

 つまり、自分を律するのは畢竟、自分自身しかないわけですよ。にもかかわらず「忖度」が昨年の流行語大賞になったことがいみじくも表しているように、周囲や立場意識、もっと端的に言えば「権力の高低」が社会を支配しているといっていい。そんなもん、どこが平等な民主社会だよって思いませんか。

 

 それに対抗するには、ボクたち1人ひとりが高潔であり続けるしかない。それがいったん崩れてしまえば、原始社会に一気に逆戻り。もういっぺんフランス革命からやり直しですぜ。自分を律する者は自分自身しかない。だからこそ、イザという時に、世界を敵に回してでも大切なものを守れるのではないかと思うんですけどね。

 

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2018年2月 6日 (火)

行きつけ(後)

 

 みなさま、大変に長らくお待たせいたしました。ジュワァーーーーンワンワンワーン(銅鑼の音です)、いよいよ具体的な「行きつけ」を発表するお時間がやってまいりました。

 

 なんてね、溜めている場合ではありません。本日は朝から取材が入っており、ほとんど余裕がないので取り急ぎ。ここまで2回に分けて「行きつけ」についてボクの考え方を述べてきましたが、このブログを継続的に読んでいる人にはもはや自明のことではないでしょうか。

 

 前提条件となっている、話をあまりしなくても初対面の女性と楽しく時が過ごせる場所として、ボクはライブハウス以外に適切な場所を知りません。昔はディスコが流行していましたが、今では「クラブ」となってしまい、とてもじゃないけどオッサンが女性連れで行けるところとは思えませんからね。

 

 経済規模の関係で地方都市では限られているので大変に申し訳ないのですが、東京には大小取りまぜて数多くのライブハウスがあります。ジャンルもスタイルもいろいろで、渋谷あたりでは椅子がそもそもなく、ガランとした打ちっ放しのコンクリートの空間で、ロックバンドの巨大な音響に最初から立てノリなんていう店に行った時は仰天しました。今でもあるのかな。

 

 誰かのファンでもない限り、そんな店にエスコートするわけにはいかないので、取りあえず音楽的なジャンルを決めて「行きつけ」を見つけると、退社後の夜が楽しくなってきます。本格的なコンサートや人気バンドの場合は前売り券の確保が問題になりますが、そうした必要のない、あるいは当日に電話を入れて簡単に予約できるような店がポイントです。それが分かるまでに、ある程度は「行きつけ」になっておかなきゃいけないってことなんですよね。

 

 ボクの場合は銀座のカントリー&ウェスタン「ナッシュビル」が始まりでした。食事もアメリカ西部開拓時代のユニークなメニューだったのですが、残念ながら数年前に閉店。ただし、今でも銀座には同じジャンルのライブハウスが2店ほどあります。それからオールディーズ。こちらも銀座に2~3店あるかな。

 

 その後、若い頃に凝ったシャンソンが聴きたくなり、やはり銀座で3店ほど、新橋や赤坂にも足を伸ばしました(というほどの距離ではありませんが)。青山や自由が丘にもありますけどね。ピアフやアズナブールで知られるシャンソンはオワコンと思われがちですが、おっとどっこいで、若い女性歌手も少なくありません。落ち着いた雰囲気の中で、ピアノとしっとりした楽曲で心を潤すことができます。

 

 それからジャズに傾倒するようになり、目下のところスウィングジャズとデキシーランドジャズが聞ける格安の店がある浅草に行く頻度を高めつつあります。浅草には昭和の歌謡曲をレビューにしてきた「虎姫一座」のホームグラウンドもあるので、同地域自体が行きつけになりつつある状況です。ちなみに「虎姫」では、80年代に一世を風靡したキャンディーズが現在の演目になっております。「春一番」「微笑みがえし」なんか名曲ですよね。

 

 問題は価格だと思うのですが、ここまで紹介してきたライブハウスのほとんどはミュージックチャージが5000円前後。浅草のジャズなんか1600円くらいですぜ。5000円コースではドリンク一杯付きが常識なので、要するに飲み過ぎさえしなければ、それほど高価ではないってことなのです。

 

 奥様を乳がんで亡くされた歌舞伎俳優は、かつては酒豪で知られていましたが、今ではほとんど飲まないそうです。その理由をインタビュアーに問われて、「酒を飲まなくても楽しくなれることが分かったから」と答えています。人それぞれに楽しみ方はあるにしても、これは至言・名言ではないでしょうか。したたかに酩酊酔眼&朦朧の夜も夢幻のごとくステキではありますが、飲み屋以外の「行きつけ」を作ることをオススメする所以なのであります。

 

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2018年2月 5日 (月)

行きつけ(中)

 

 先週は「乞うご期待!」なんて威勢のいいことを言ってしまいましたが、「行きつけ」というのは、つまるところライフスタイル、あるいは趣味の如実な反映なんですよね。

 

 ちなみに、ボクは記者またはモノカキ、あるいは文筆業に入る段階で、こんな仕事はどう考えてもカタギとはいえないので、いずれ野垂れ死にしても仕方がないと覚悟していました。雑誌などに文章を書いてメシが食えるなんて、せいぜい戦後のことであって、絶対的な必要性に乏しく、確立された職業ともいえないじゃないですか。

 

 だから、人並みに結婚はしても、とてもじゃないけど子供をまともに育て上げる自信はなかったので、最初から作る気はありませんでした。睡眠時間と飲酒以外はすべて仕事のためと考えてきたので、むしろ趣味や個人的なライフワークを持つ人を心の隅で軽蔑していたくらいです。そのかわりに、生活の安定や悠々自適の老後なんてハナから捨てておりました。いささか大げさですが、才能は別にして、一球入魂ならぬ一文入魂の心意気だけはあったのです。

 

 でもね、今になって思えば、個人的な趣味やライフワークも、間違いなく仕事の肥やしなんですな。何でもかんでも目先の仕事に関することばっかりでは、若い頃ならまだしも、その仕事だって奥ゆきや滋味がなくなり、ペラペラの平面的でつまらないものになっていくじゃないですか。どんな業種も職種も、特定の狭い専門分野だけでなく、広く社会や人生に様々にかかわっているはずなんですよね。

 

 すでに仕事以外の別分野も充実している人は、それに関係する「行きつけ」があるはずなので、今さらこんなテーマの文章を読む必要はありません。ちょっと飛躍するようですが、たとえばボクシングが趣味なら、どこかのジムに行ってスパーリングでも見せてあげればいい。最近はボクササイズなんてのも流行しているらしいのですが、普通の女性なら1人では行きにくいところなので、面白くは感じないまでも、珍しい体験になるはずです。

 

 問題なのは、ボクのような仕事人間なんですよね。

 

 どうしてこんなことをクドクドと念を押すかというと、人と人が出会って交流する時に最重要なのは、会話のほかにないからです、他人を楽しくする会話ができる人なら、雰囲気が良くて料理も美味しいレストランで必要十分ではありませんか。食後にカウンターバーに場所を移して、コニャックで熱くした舌の上でチョコレートを溶かしながら、面白く会話を続けることができるでしょう。それだけで念願の「素敵なおじさま」になれるかもしれない。

 

 ところが仕事人間は、特定分野と会社の話題は山のようにあっても、若い女性の興味を惹くような内容には乏しく、そもそも上手な話し方だってできません。かといって付け焼き刃でトレンディな話題を仕込んでおいても、いよいよ悲惨なことになるのがオチです。

 

 ボクは初対面の人にインタビューして話を聞いて記事にまとめるという仕事を30年以上にわたって続けてきました。だから聞き出すことはそれなりにやれるという自信はあっても、自分からまとまったことを話すのはまるきりダメだと自覚しております。柄にもなくテレビに出たり、講演をしたこともありますが、自分ながら失敗もいいところだったので、それからは依頼があってもすべてお断りしてきました。

 

 仮にいくらオシャベリが上手だとしても、相手が興味を持たないテーマや内容ではヘタクソと同じですよね。特に最近は、世代がちょっと離れたら、もはや外国人か異星人と思ったほうがいい。それくらい言語やカルチュアが違うのです。

 

 そうなると、先週にご紹介した「離婚したばかりの30代女性」を50歳前後のオッサンが連れ歩くと仮定すれば、無理に会話を続ける必要がない場所がベターということになってきます。そんな「行きつけ」があれば、話がヘンなところに発展したり、ハズした話題を続けるリスクも軽減できます。深い話は仲良くなってからやればいいのであって、最初の段階は嫌われないことに最大限の配慮をすべきですよね。では、具体的にどんなところに行けばいいのか。

 

 先に触れたスパーリングはなかなか面白い「行きつけ」だとは思いますが、一般的とはいえません。座って飲食も不可能ですからね。ボク的なデート場所のベストは映画館でございまして、上映中は完全に沈黙することができます。映画館を出たら出たで、その映画を共通の話題にすることもできるじゃないですか。とはいえ、前述のシチュエーションでいきなり映画館は場違いもいいところで、「デート気分かよっ!」と思いっきり引かれてしまいますよね。

 

 うわぁ、またまた長くなってしまいました。大変に恐縮ですが、この続きはさらに明日ということで。

 

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