笠木恵司の主な著書

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福助くん その6

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    福助くん、9歳の秋です。 ちょっと長めの散歩をして、世田谷公園へ。 紅葉と福助をご覧くださいまし。

福助くん その5

  • 赤いサルビア♪
    2010年秋の福助くん。とある週末に埼玉県所沢市にある航空公園に行ってきました!

福助くん その4

  • 1 毎年恒例の・・・
    今さらですが、今年の花見の福助くん。ご近所の目黒川に行ってきました。

福助くん その3

  • 1 田舎に行ってきました!
    飼い主の田舎に行ってきた福助。うららかな春を迎えた大自然のなかで、いつもと違った表情に。

福助くん その2

  • 定位置
    平日は会社にいる福助。こんな感じの毎日です。

福助くん その1

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    笠木の飼い犬。甘えん坊でちゃっかり屋の8歳。雄。

2021年1月22日 (金)

コロナ禍のビルドゥングスロマン

 

 小説にはビルドゥングスロマンと呼ばれるジャンルがあります。知ったかぶりでビルディングロマンと発音する人もいるようですが、これは間違い。英語ではなくてドイツ語のBildungs romanですからね。

 直訳すれば「教育小説」、日本では一般に「教養小説」と訳されています。若者が精神的に成長していく過程を描いた小説なので、意味的には英語のビルディングでも似たようなものじゃないかな。ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスター』を中心として、それに類した作品群の概念をドイツの哲学者ディルタイがこのように表現したとウィキでは紹介されています。

 あはははは、ボクは一冊も読んでいないのでホントは何も言えないんですけどね。トーマス・マンの『魔の山』も、この系譜だそうです。若い頃は翻訳小説がどうにも馴染めず苦手だったので、まったく不勉強の極みですが、こちらも読んでおりません。 

 しかしながら、ビルドゥングスが「教育」=「自己形成」の意味であるなら、J・K・ローリング女史が失業中に書き始めたといわれる『ハリー・ポッター』シリーズもまさしくそうですよね。映画の『スパイダーマン』だって同じです。漫画大国の日本でも、長編作品の多くは成長物語といえるじゃないですか。やはりろくすっぽ読んでいないのですが、『ヒカルの碁』とか『JIN』などなど。ストーリーどころか設定すら知らないのですが、目下大流行中といわれる『鬼滅の刃』もそうした要素が必ず含まれているはずです。

 よくもまぁ読んでいない作品ばかりをズラズラ並べて論評できるものだと、我ながら呆れてしまいますが、そろそろ新型コロナ禍での教養小説あるいは成長物語が求められている気がしてならないんですよね。もしかすると、その兆しが『鬼滅の刃』なのかな。 

 総理大臣がモソモソと紙を見て読み上げるタテマエよりも、都知事の一方的なお願いなんかよりも、小説あるいは映画やテレビドラマのほうが若い人たちの心に届くんじゃないかなぁ。深い感動とともに、自分自身の生き方を主人公と一緒に学んでいく。それがビルドゥングスロマンであるなら、このパンデミックの時代にこそ求められていると思うんですよね。

 ボクも『コロナの夜に』という仮タイトルだけは作ってみたのですが、何しろネットを介した出会い経験が皆無であり、ジーサン&バーサンの熟年恋愛くらいは描けても、今の時代性をリアルに読み込むのはもはや困難なのであります。

 今年の芥川賞と直木賞は、そうした成長小説が選ばれたのでしょうか。こちらも読んでいない、というより賞自体に興味がないのですが、文壇の大御所が最終選考する小説なんかより、長編漫画に期待したほうがいいんじゃないかな。

 

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2021年1月21日 (木)

生々流転

 

 個人事業主でなく、法務局に登録したレッキとした法人組織であっても、ボクの会社は資本も人員も超零細の編集プロダクションですから、業態はフリーランス、いや下請けといったほうが適切じゃないかな。

 数年越しの長期的な契約なんて結んだことがなく、定期刊行物で連載的な仕事をいただいたとしても、安心したことは一度としてありません。担当者の異動などで他社や別の人に交代ということも頻繁にあり得るほか、誌面刷新でシリーズそのものが打ち切りになることも珍しくありません。能力や実力もさることながら、俳優やタレントなどの芸能人とほとんど変わりない人気商売であり、使い捨てという側面も強いんじゃないかな。

 ましてや紙媒体は衆知のように長期の構造不況にさらされており、雑誌の休刊廃刊が続いてきました。20年ほど前は電車の中で本や雑誌を読むのが普通でしたが、今ではスマホが圧倒的ですからね。

 そんなことはハナから覚悟して始めた仕事であり、要するに浮き草稼業ですから、いつ何が起きても驚いたりうろたえないように、悪いことをあれこれと事前に想定するようになりました。このため「諸行無常」を長く合言葉にしてきたのですが、むしろ「生々流転」のほうが正しいかもしれません。

 個人的にも、子供の頃から数えれば3〜4回は死にかけたことがあるからです。生きていること自体が儲けものなんだから、過度な贅沢を望むなってことかな。だからといって未来に期待したり、明日の予定を考えないわけではありません。物事が変化し、移り変わっていく中で、ボクたちは奇跡的に生かされているということを自覚しなきゃいけない。

 新型コロナは、そうしたことを考えさせる稀少な機会といえるかもしれません。いつ感染して死に至るかもしれない。後遺症も残るといわれております。外出自粛や時短営業などによる不況が続けば、立場の弱い非正規雇用者は今後も解雇が続くでしょう。正社員にしても、副業が解禁されたということは、これまでの高給が保証されないことを意味します。労働基準法と組合がいつまでも従業者を守ってくれるとは限りませんよね。会社が倒産すれば、いきなり路頭に迷うことになります。

 その意味では、皆さん等しく「生々流転」に直面しているわけです。明日も今日が続くとは決して限らない中で、後悔しないように生きていくにはどうしたらいいか。ボクは30年以上も前からそんなことを考え続けてきましたが、まだ正解らしきものには出会っておりません。ただし、時代や物事が変わり得るからこそ、自分の中にしっかりした羅針盤を持たなきゃいけない。それが信念であり、倫理であり、目標を持つということなんでしょうね。

 ちなみに、美味しいものは残しておいて最後にいただくのが習慣でしたが、40歳を過ぎてから逆にしました。だってさ、いつ死ぬか分からないじゃないですか。「年齢相応不相応」みたいなことを言う人がいますが、そんな決めつけもやめたほうがいい。今やりたいこと、今やるべきことを、今やらなくていつやるっていうんですか。

 だからね、コロナ禍で必要なのはワクチンだけではありません。哲学が何よりも希求されているというのに、誰もそれに応えない。文系の学問はいつまで沈黙を続けるのだろうか。

 

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2021年1月20日 (水)

ツインクラリネットの夜

 

 久々にライブに行ってきました。クラリネットが2本に、ピアノ、ベース、ドラムスの5人編成。クインテットというのかな。やはりスピーカー越しに聴く音楽とは迫力がまるで違います。音の違いが際立っており、それだけにツインクラリネットによるハーモニーの重層感が、まるでバウムクーヘンみたいにはっきりと耳に伝わってきました。プロのミュージシャンは息づかいまで細かくコントロールしているんですよね。甘くデリケートな音色にしばし酔わせていただきました。

 ただし、ライブは午後6時40分から始まって、きっちり1時間。普通は2ステージなのですが、時節柄で8時前にとっとと追い出されるシステムになっていました。この店は音楽もさることながら、「牛頬肉のワイン煮込み」という料理が近頃のマイブームとなっております。牛の頬に触ったことなんて一度もないですけど、おそらくきっとこんな感じに違いないという柔らかな肉が、赤ワインの濃厚なコクによって味付けされており、超絶的な逸品というほかありません。ちなみに頬肉は、あたりまえですが顔の両側にしかないので、一頭の牛から1〜2㎏程度しか取れない稀少部位だそうです。自分で料理してみようと思いたったこともありますが、スーパーなどで普通に購入できるものではないらしく、食材の入手からして困難。調べてみたらフランス料理の定番メニューのようです。

 新型コロナばっかりの毎日がいい加減イヤになってきました。海外にも行けず、不要不急の外出は昼間も自粛。政府も自治体も後追いの政策ばかりで、まともな対応が何ひとつできていない。テレビなんかもっとバカで、民間クリニックに僅かばかりのコロナ病床を強制的に作らせてどうすんだよ。それよりも公立病院をコロナ専門に集中させて、他の診療科と患者を医師と看護師込みで短期的に引き取ってもらうという体制を作ったほうがいい。公立病院ならコロナ診療でもしも仮に大赤字になっても財政支援できるじゃないですか。

 そんな憤懣だらけのカラカラに乾いた気分になってきたので、たまにはこんな贅沢も許されるのではないかと、敢えてご紹介してみました。

 

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2021年1月19日 (火)

スピークイージー

 

 ライブハウス、というよりレストランシアターですけど、今月末の土曜日に予約していたバンドの公演がキャンセルとなりました。もっとも、2部に分かれているうちの遅いほうで、ボクが予約していた午後4時半開演のファーストステージは実施されるそうです。セカンドは7時半からなので、都の要請に従うなら酒を提供できなくなります。中止になるのも仕方ないですよね。

 ただ、このバンドは昨年にも予約してキャンセルされました。今度こそ大丈夫だろうと意気込んでいたところに再度の緊急事態宣言ですから、またかよと半ば諦めていたのですが、たまたまファーストのほうに予約したおかげで助かったようです。

 ライブは娯楽のひとつですから、現下の時節に「不要不急」と言われれば反論しにくいですよね。けれども、それがなければ心がカラカラに乾いて、人生がものすごくつまらなくなります。多人数が集まれば新型コロナ感染の怖れがあるのでハイリスクではありますが、それでも水や食べ物と同じく、音楽のような娯楽を欲する人は少なくないはずです。何とかならないものでしょうか。

 そう考えて思い出したのですが、アメリカが禁酒法を施行していた1920〜33年頃に、スピークイージーと呼ばれる秘密酒場が大流行しました。密造または密輸した酒を隠れて提供するだけでなく、ライブでジャズなども演奏していたようです。アルコールと音楽は不可分の関係ですから、不思議ではありません。ついでにダンスとかね。世間的には禁酒法に従ったフリをしながら、お金持ちは美女を伴って夜な夜なスピークイージーに出没し、普通の人たちも月に数度の楽しみにしていたんじゃないかな。ウソかホントか、この頃に酒を密売して莫大な財産を蓄えたのがケネディ家といわれます。用心棒にしていたマフィアとの暗い関係が、大統領暗殺につながったという説も流れたことがありますよね。

 いずれにしても、新型コロナによる時短要請が長引くと、大変に不謹慎な想像で恐縮ですが、日本版のスピークイージーが生まれるかもしれない。一軒家の地下や、マンションの一室で秘かに深夜から営業。さすがに料理は質素ですが、アルコールが充実しているほか、3〜4人編制のバンドが入れ替わりで演奏するとかね。デニムは禁止でネクタイ着用といったドレスコードも設定しておくと、雰囲気も良くなります。

 海外には行けず、飲食店街も賑わいが乏しい。夜がどんどん息苦しくなってくると、こんな店が登場する予感がするんだけど、どうだろうか。

 

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2021年1月18日 (月)

普通の復権

 

 緊急事態宣言が出されているにもかかわらず、約53万人の若者を全国各地に移動・集合させる学力試験をどうして実施したんですかねぇ。中にはわざわざ離島から出てくる高校生たちもいたんですよ。超短期的な「GoTo」ともいえるじゃないですか。その結果がどうなってもボクは知りませんからね。

 さすがに「不要不急の外出」とは言いませんが、センター試験改め大学入学共通テストを現下の状況で同時期一斉に「強行」することに、果たしてどれだけの意味や意義があるのでしょうか。スマホで調べればたいていのことが分かる時代なのに、机に向かってクイズのような試験を解くことがどれだけ必要なのかなぁ。ましてや、その試験で人間を点数化して選別したところで、一生にわたってその学力が維持できるとは限らないですよね。

 緊急事態宣言は史上初の昨年に続いて2回目なので、繁華街の人出が比較され、「まるで減少せず、むしろ増加している地域も」なんてテレビで騒いでおります。こいつらはバカかって思いませんか。前回の時は、デパートなども揃って休業していたんですよ。店が開いていなければ、銀座や新宿なんかに行っても仕方がない。だから閑散としていたわけです。ところが今回は飲食店の時短営業とテレワークの要請程度。さすがに夜は出歩かないにしても、昼間の人出を止められるはずがありません。なのに、ああ、なのに、ですよ、歩行者天国だけは中止だってさ。やってることがメチャメチャに矛盾しております。

 新型コロナの影響が強すぎて、為政者は普通にモノを考えられなくなったのでしょうか。普通に考えればやめるべきことを無理強いする、普通に考えればあたりまえのことなのに嘆いたり批判したりする。さらには、要請に逆らったら罰則を付与することを本日から国会で審議するそうです。そんなことの前に、解決すべき課題や問題は山のようにあると思うぞ。

 すべては「大人の事情」で物事を進めようとするから奇想天外なことになっていくわけでね。普通に考えたことを、普通に実行すれば、期待した普通の結果に至るはずです。いわば普通の復権。これが今の日本の政治や行政に何よりも必要なことではないでしょうか。

 

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2021年1月15日 (金)

孤高のグルメは何処へ

 

 どうもね、政府や自治体は自らの無策を飲食業にどんどん押しつけることで、責任逃れをしているんじゃないかという気がしてきました。

 ここで改めて確認しておくと、食べたり飲んだりする時には、どうしたってマスクを外しますよね。この時に会話をすると、ウイルスが侵入する可能性がある。だからマスクなしで会話するのは控えようねってことでした。

 もっと過激に言い直せば、「黙って飲食しろ。話す時は必ずマスクをしろ。それでも多人数は危険だからやめろ」ってことじゃないですか。これはあくまでも飲食する側の態度の問題であって、店には何の罪もありません。近頃はほとんどの飲食店が常にアルコール消毒しているほか、透明なアクリル版の仕切りもあるので、できる限りのことはしていますよね。

 ただし、夜はどうしても酒がらみになり、居酒屋などに集まって会食すれば、次第にマスクなしの談笑が伴うことになります。これが感染を拡大させるので、午後8時の閉店が要請されたはずです。それによる飲食店のダメージは甚大であり、ボクの行きつけのライブハウスも休業を余儀なくされました。

 そのうえさらに昼間の外食も自粛しろというのですから、某チェーン店の社長が「ふざけんな!」と激怒するのは当然です。もしも飲食店に構造的な問題があるなら、午後8時までという悠長なやり方ではなく、新型コロナの隔離期間である2週間を前提として、余裕を加えた3週間の限定で完全休業にしたほうが効果的ではありませんか。その期間の休業補償が多額になるから、中途半端なことをやっているんじゃないかな。これでは店も客もヘビの生殺しですよね。

 東京都のモニタリング会議によるクラスター分析でも、「経済活動が活発になった第2波では医療機関が減り、企業や飲食店が大部分を占めた」とするものの、今回の第3波では高齢者施設が最多であり、「学校などの教育施設が40件、医療機関が38件、企業が34件に上り、クラスターの多様化が浮き彫りになった」と報告しています(日本経済新聞、本日付け朝刊)。

 第2波のクラスターで槍玉にあげられた飲食店にしても「接待が伴う飲食店」であって、一般的なレストランや居酒屋じゃないですよね。もちろん、飲食店で感染して家庭内に持ち込まれて発覚するということも否定はできませんが、路上で堂々と酒瓶を回し飲みする蛮勇を示した新成人がいたように、やはり問題は飲食する側にあるとしか思えません。

 にもかかわらず、今度は昼間の飲食まで自粛しろという。これはどうにも筋違いじゃないかな。前述したように、昼夜を問わず「食うなら黙って食え。話すならマスクをして話せ」を徹底すべきですよ。さもなきゃ早晩、飲食店は絶滅危惧業種になってしまう。

 孤高のグルメを自称してきたボクは、明日からどうすりゃいいんだろう。自炊も出前もすぐに飽きるんですから。「お一人様」の飲食も増えてきたようですが、やはり3週間に限定したロックダウンで痛みを互いに分かち合うのが最も有効な対策だと思うんだけどなぁ。

 

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2021年1月14日 (木)

風を受けて進め

 

 テレビに限られますが、菅首相を見ていると、番頭さんが主人になってはいけないとつくづく思わされます。日本の政治が国民を面前にするのでなく、奥の院=御簾の向こうで院政的、あるいは根回しや談合で進められてきたことを、これほどあからさまに体現した人物も珍しいんじゃないかな。

 安倍政権では内閣官房長官として活躍。カミソリのような切れ者と噂されたようですが、いったいどこがだよ。緊急事態宣言は出さない、いや出しますと短時日でフラフラ変更するだけでなく、会見があまりにもヘタ過ぎる。しかも頻繁に言い淀み、間違えることもしばしば。こんな人でも日本のトップになれるのですから、政治が国民の意思をないがしろにして進められてきたとしか思えないじゃないですか。

 少なくとも、紙に書かれた文字やプロンプターを読むのはやめたほうがいい、ドイツのメルケルもイギリスのジョンソンも、あのトランプでさえ自分の言葉で国民に話しかけているじゃないですか。ボクが個人的に最も贔屓にしているのは、ニュージーランドのジャシンダ・アーダーン首相ですけどね。そこらのオバサンが井戸端会議で話をしているかのように、聴衆に距離をまったく感じさせません。そのせいかどうか、かなり早期からロックダウンを敢行したにもかかわらず、国民が好意的に協力。新型コロナウイルスの封じ込めに成功したと伝えられています。

 首相在任中に産休を取って女児を生むという、相当にキモの座った女性でありながら、小池さんのような薄気味悪さがないんだよな。ロックダウン中は会見を毎朝行うだけでなく、「うふふふふ。今日はとても嬉しいことがあったので、子供と一緒に小躍りしました。だって感染者がゼロだったんですよ」。こんなスピーチができる政治家が果たして日本にいるでしょうか。

 海外の事例をひきあいに出すと、「だったら日本から出て行け」という人がいるようですが、良いことは率先して学ぶべきじゃないですか。国民の気持ちに寄り添えないリーダーなんて即刻クビにしたほうがいい。

 それもこれも、ボクたちはリスクを避けた2番手意識が強過ぎる。1番のすぐ後ろで風をよけながらチャンスを待つというか、旧軍隊の参謀のように、意見や文句はうるさいほど具申するクセに、結果責任は指揮官に押しつける人が少なくないんだよな。

 2番手は先頭を走る人の背中越しに世界を見ているけど、トップの人が眼前にする景色はまるで違います。菅さんは、自分が首相になってみて、官房長官とはあまりにも異なる政治責任の重さに当惑しているんじゃないかな。だからさ、番頭がいきなり主人になってはいけないのです。

 今さらこんなことを言っても遅いですから、学校でちゃんとしたリーダー教育をやっとけよ。決して難しいことではなく、先頭に立つことを怖れず、常に風を真正面から受けて進めってことなんですけどね。あるいは、他人の後塵を拝することを潔しとせず、たった一人で違う道を行くとかね。そうすれば、どんな振る舞いが卑怯なのか、誰が本当の勇気を持っているか、なんてことがすぐに分かるんだけどな。

 

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2021年1月13日 (水)

福袋

 

 今さら福袋なんて、絶妙に季節外れな話題で恐縮です。あの中にはいったい何が入っているのでしょうか。

 というのも、ボクはこれまで一度も買ったことがないんですよね。確か1月2日だと思いますが、新春の大売り出しの際に、大きな赤い字で「福袋」と書かれた大きな紙袋の山積みを横目で見続けてきたわけですな。安いものなら、おそらく売れ残りのセーターやら食器だとか、そのような雑貨が入っているんだろうと予測はできても、何しろ買ったことがないので、よく分かりません。もしも衣類が入っていたら、サイズが合わない場合は返品できるのでしょうか。それすら知らないんだもんね。

 「渋谷109」の初売りに若い娘たちが長い行列を作り、福袋に群がった時代もありましたよね。舗道で袋を開けて、好みの服を交換するのを見た時は驚きました。あんな面倒なことをするのも、彼女たちの楽しみのひとつだったんでしょうね。「密」が問題になる今では、遠い昔のノスタルジックなエピソードになってしまったようです。

 ついでに言えば、クリスマスの「長靴」も欲しかったんだよな。サイズはいろいろですが、サンタの赤い長靴を模した容れ物の中に、様々なお菓子が詰め込まれていたはずです。これまたボクは、親に買ってもらったことも、自分で買ったこともありません。幕の内弁当と同じで、美味しいものなんか入っているはずがない。という負け惜しみは、まさにイソップの「酸っぱい葡萄」じゃないですか。

 そんなに味醂が、じゃなかった未練があるなら、とっとと買えばいいのにね。その程度のおカネがないわけではありませんが、ああいうものは常に買い付けていないと、どうにも勇気が出ないらしい。加えて近年は、断捨離志向がますます昂進。室内に無駄なモノや余計なモノは一切置きたくないので、わざわざ中身が分からない袋を購入するわけにはいかないのです。

 しかしながら、サンタの靴や福袋に惹かれる気持ちは今でもなくなっていないから始末におえないよな。あれを買ったことがある人は、どんなに中身に失望しようが、ボクよりも楽しみや幸福感を知っていることは間違いありません。それをぜひ自覚してくださいね。

 

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2021年1月12日 (火)

生物はノーブレーキ(後)


 こんな状況なので、毎朝のニュース番組を視聴してきましたが、「そろそろいい加減にしろよ」と言いたい。たいていの人が気づいているように、医療資源を急に拡充できるはずがないので、今の段階でやれることは選択と集中しかありません。たとえば公的な大病院を新型コロナに専門特化して、他の診療科や患者は、医師や看護師の移動も含めて近隣の民間病院に任せる。以前にも指摘したように、そうした面的な総力で受け止めなければ、途方もない数の陽性者や重症者をケアできませんよ。だから、討議すべきなのはもはや方法論ではないはずです。どうして政治家や行政は分かり切ったことを迅速に実行できないのか。その理由や原因を探ると同時に、緊急時の総力体制を構築するために何をすべきなのか。そこまで踏み込まなければ、堂々めぐりの不毛極まりない知ったかぶり大会になってしまう。だからこそ「いい加減にしろよ」と腹が立ってくるわけです。テレビなんか見なきゃいいんだけどね。

 さて、前回の続きです。生物は増殖するアクセルはあってもブレーキが備わっていない。このため、生態系が何らかの理由で崩れて、捕食者=天敵がいなくなれば、特定の生物種がどんどん際限なく増え続けていく。それを止める機能は生物の側にはないのですから、いずれエサを完全に蕩尽するなど、食物連鎖のバランスを根本的に破壊することになるわけです。

 ネズミのような小動物のレミングは、過度に増加すると次々に海に飛び込んで自殺する「死の行進」で知られていますが、あれは大変な誤解らしい。食物の欠乏から海でエサを探そうとしたものの、慣れない波打ち際で右往左往・大混乱して溺死する個体が多かったことから、大量自殺と判断されたようです。普通に考えれば、生物が自殺するなんて想像しにくいですよね。それどころか、旧約聖書には「産めよ、増えよ、地に満ちよ」と大変に威勢のいいことが書かれています。その逆に「増えすぎると環境を汚染し、食物も不足するのでヤバイよ」と指摘した宗教書は寡聞にして知りません。

 このように生物のすべてはノーブレーキですから、増殖を阻む役割を果たすのは外的な要因しかありません。それが環境や気候などの激変であり、小惑星の衝突だったのかなと。結果論に過ぎませんが、自然による秩序の回復ともいえそうです。

 そんなわけで、ボクが中学生の頃は戦争が人口の調節手段かもしれないと考えていました。ところが、2度の世界大戦を経ても、人口は減少するどころか、むしろ爆発的に増加しています。1900年の世界人口は約16億5000万人でしたが、第2次世界大戦が終わった後の1950年は25億人を突破。それから50年後の2000年には約61億人と2倍以上に。現在は約78億人とされています。人類は比較的大型の動物ですから、それが120年という短期間で5倍近い増加というのはタダ事ではありません。日本国内では少子化による人口減少が問題になっていますが、地球規模では異常ともいえる人口爆発に直面しているのです。

 それによる危機を初めて本格的に警告したのは、1968年のローマ・クラブですが、いつの間にか忘れられたようになっています。2015年9月の国連サミットで採択されたSDGsはあくまでも「持続可能な開発目標」であって、環境破壊などを抑止できても、人口増加のブレーキになるとはいえません。

 知性を持つ人類ですらブレーキが備わっていない。このままでは、いずれ地球から深刻なしっぺ返しをくらうならまだしも、再び大量絶滅に追い込まれる可能性は否定できないじゃないですか。

 この増殖のアクセルをもう少し深く考え直せば、要するに「強欲」なんですよね。こちらは「産めよ、増やせよ」と主張するキリスト教でも「7つの大罪」に含まれています。この「強欲」が危機や困難に直面すると、保身のためのアクセルが全開になってしまう。おそらくキリスト教は、そうしたメンタルの側から過度な増殖にブレーキをかけようとしたのかな。それにしたって、新型コロナのワクチンを大金で入手しようとする動きが早々と出ているらしいですからね。

 生物は仕方ないにしても、知性を持つ人類だけは、この「強欲」にブレーキがないことを改めて強く意識すべきじゃないかな。だからこそ文明文化が進歩発展してきたことも事実ですが、少なくとも「自分さえよければ」というエゴイズムは種の存続を危機に陥れることになります。酒を飲んで大声で騒いでウイルスをまき散らすなんて迷惑もいいところですからね。その意味では、新型コロナは人類の成熟度、つまり「知性によるブレーキ」の効き目を測る先行的な災厄と考えられるかもしれません。

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2021年1月 8日 (金)

生物はノーブレーキ(前)

 

 以前に「ビッグファイブ」について少しご紹介しました。このブログを継続的に読んでいる人には繰り返しになりますが、地球上の生物が大量絶滅したことが5回あったことを意味します。最近の研究結果ではもう1回あったことが判明。「銀座シックス」、じゃなかった「ビッグシックス」を提唱する学者もいるそうですが、そのうち4回は下記とされています。

1)約4億4400万年前のオルドビス紀に生物種の約85%が絶滅。
2)約3億7000万年前のデボン紀後期に約82%が絶滅。
3)約2億5100万年前のペルム紀末に90〜95%が絶滅。
4)約1億9960万年前の三畳紀末に約76%が絶滅。 

 およそ1億数千万年の間隔で、地球上の生物の7〜9割前後が絶滅する大変動を繰り返してきたことになります。「ビッグシックス」として新しく追加されたのは、ペルム紀末から800万年ほど前のグアダルピアン世(今からおよそ2億6000万年前)。海底火山の爆発によって、海洋生物の60%が死滅したそうです。そうです、とはいっても、万年から億年単位と気が遠くなるほどの過去であり、「それを見たのかよ?」と問われたら絶句するほかありません。しかしながら、ウィキペディアやネットの投稿などではこのように解説されており、生物考古学の定説になっているようです。

 そして、いよいよお待ちかね、約6600万年前の白亜紀末が5回目または6回目にあたる最新の大量絶滅ということになります。地球上の覇者として君臨してきた恐竜が、小惑星の衝突による激烈な気候変動によって完全に死滅したことはご存じですよね。それまで約1億6000万年という長きにわたって繁栄していたというのですから、人類なんかまだまだ新参の幼児とすら言えません。猿人からヒト属(ホモ・ハピリス)に進化したのは僅か200万年前ですからね。

 いずれにしても、人類が今のように発展できたのは、恐竜が絶滅してくれたおかげといっていいでしょう。ちなみに、小惑星の衝突によってメキシコのユカタン半島北部に直径160キロの巨大なクレーターが残ったほか、この年代の地層から地球では稀少なイリジウムが検出されるそうです。宇宙から飛来した特殊な元素が、短期間に地表全体に降り注いだ明らかな証拠があるわけです。

 もしも「歴史は繰り返す」が真実であるなら、こうした大量絶滅は白亜紀末の恐竜時代で終わったわけではなく、6回目または7回目がいつかやってくることになります。その忌まわしいきっかけが、新型コロナウイルスでなければ何よりなんですけどね。 

 前述したように、ざっくりと最短1億年の間隔で生物がカタストロフィに直面するというなら、まだ3000万年以上の余裕がある計算になります。ところが、人類の科学文明は地球環境をどんどん破壊するだけでなく、人口も爆発的に増加。食物資源を蕩尽しつつあるので、早期化しても決して不思議ではありません。

 これまでの大量絶滅の原因は、地殻や気候などの環境変動やら海底火山の爆発、そして小惑星の衝突と様々ですが、今回は人類自身が大量絶滅の原因を作り出したなんてことになりかねないですよね。新型コロナウイルスにしても、生物兵器の開発中に漏れ出したという陰謀論すら囁かれたことがあります。

 こうした破滅的な事態が定期的に発生する理由をずっと考え続けてきたのですが、ボクなりに思いあたることがありました。生物には増殖するアクセルはあっても、それを阻むブレーキが備わっていないということです。

 長くなるので、連休明けの火曜日に(後)として続けます。

 

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