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福助くん その6

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    福助くん、9歳の秋です。 ちょっと長めの散歩をして、世田谷公園へ。 紅葉と福助をご覧くださいまし。

福助くん その5

  • 赤いサルビア♪
    2010年秋の福助くん。とある週末に埼玉県所沢市にある航空公園に行ってきました!

福助くん その4

  • 1 毎年恒例の・・・
    今さらですが、今年の花見の福助くん。ご近所の目黒川に行ってきました。

福助くん その3

  • 1 田舎に行ってきました!
    飼い主の田舎に行ってきた福助。うららかな春を迎えた大自然のなかで、いつもと違った表情に。

福助くん その2

  • 定位置
    平日は会社にいる福助。こんな感じの毎日です。

福助くん その1

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    笠木の飼い犬。甘えん坊でちゃっかり屋の8歳。雄。

2020年8月 7日 (金)

「永遠」という罰

 

   まだ贅肉だらけのデブデブではなく、スリムなイケメンで色気ムンムンだったミッキー・ローク主演の『エンゼル・ハート』という映画があります(1987年公開)。その前年に公開された映画『ナインハーフ』で世界的なスターに躍り出ていたので、どれどれと映画館に足を運んだのですが、キリスト教に無縁な日本人にはいささか難解なミステリーでした。

 細かい部分を忘れてしまったのですが、香水瓶ほどに小さなガラス瓶の中に人間が閉じ込められており、内部を両手の拳で叩きながら、外からは決して聞こえない叫び声を上げているシーンは今でも鮮明に思い出すことができます。

 ミッキー・ロークは私立探偵役で、彼の事務所に「ある男を捜して欲しい」という依頼が舞い込むのがプロローグです。「ある男」は第2次世界大戦直前に突如として大ヒットを連発。全米で大人気となった歌手ですが、精神を病んで入院。その病院からも失踪してしまったので、見つけ出して欲しいというのです。ボクにはエルビス・プレスリーを彷彿とさせる設定でしたが、彼の足取りを追いかけていくうちに、陰惨な殺人事件に何度も遭遇。このあたりのエピソードはすっかり忘れましたが、結局は探偵自身が「ある男」だったことに気づきます。ネタバレですけど、ウィキペディアでもストーリーが紹介されているから構わないですよね。

 彼はビッグスターになるために悪魔と契約。約束の期日には魂を引き渡すことになっていたのですが、それを恐怖した彼は別人に化けるだけでなく、厳しい追究から逃れるために自らの記憶まで封印してしまったのです。ここがポイントでありまして、そもそもの依頼主は悪魔ですから、探偵が「ある男」なんてとっくに知っていたのですが、本人に自覚がなければ契約を履行できないらしい。そのために、自分を探させるというややこしいことをやらせたわけです。やがて彼は血まみれの鏡に映っている自分自身が探している相手にほかならず、悪魔の探索から逃げるために、複数の殺人事件も引き起こしたことを知ります。

 刑事に身柄を確保されて、骨組みが露わな昔のエレベータで階下に降りるラストシーンがなかなか印象的だったのですが、ボクが最も気になったのは彼の罪と罰です。悪魔を騙そうとしたのですから極刑ですけど、人間のように死刑に処されるのではありません。どんなシチュエーションだったか忘れましたが、悪魔はポケットの中から前述した小さなガラス瓶を取り出して、「この男も罪を犯した。もはや永遠にこの中から出られない」なんてことを言うんですよね

 えっ、こんな金魚鉢より小さな、人間1人でギリギリという狭い空間に、一生どころか永遠かよ、と。この時に、ボクは「永遠」という途方もない時間(?)に初めて戦慄したのであります。寿命に縛られた人間は「時の虜囚」とも言われますが、そこから解放されるかのように思える「永遠」のほうがよほど怖い。何しろ終わりがないんですぜ。

 これほど暗い内容なのに、どうして邦題が『エンゼル・ハート』なのか意味不明であり(原題は『墜ちた天使』)、もちろん国内ではヒットしなかったようですが、ボクにとっては記憶に残る映画でした。ミッキー・ロークはこの映画の後でなぜかイケメン路線を捨ててグダグダな生き方を選び、やがて盛りを過ぎた惨めなプロレスラーを演じたりしています。それもまた悪魔との契約解消を狙った所業なのかもしれない。このように様々な暗喩を感じさせる不思議な魅力を湛えた映画なので、興味があればレンタルでどうぞ。

 

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2020年8月 6日 (木)

自分の仕事をしろよ


 小池都知事が口うるさい保健所のオバサンみたいになってきたと思ったら、今度は大阪の吉村府知事が薬屋のセールスマンのようなことを言い出しました。

 3密を避けて、手洗いを頻繁に行い、たとえ家族でも日用品は別々にしましょう、ということに異論はありません。帰省も今年は控えたほうがいいというのも同感です。ピカドン、じゃなかったポビドンヨード (悪い冗談ですいません)入りのうがい薬が口中のウイルスを減少させる効果があるってことも、それなりに有用な情報ではあります。新型コロナは発症前にも強い感染力を発揮するほか、若い人の多くは無症状とされています。だからこそ他人にうつさないようにマスクで飛沫を抑えているわけでね。その意味では、くそ暑い時期だけに、このうがい薬を使えば、マスクを適宜外せるという効果はあるんじゃないかな。少なくとも無駄な知見ではないはずです。

 ただし、それらの告知や広報は、自治体の首長がやるべき仕事ではないんじゃないかな。具体的な衛生指導は、行政組織の中にしかるべき部署があるじゃないですか。うがい薬の効能だって、何も府知事がテレビで記者会見するようなことではありませんよ。画期的な特効薬なら別だけど。おかげでイソジンの棚は空っぽだもんね。

 だからといって文句を付けられる筋合いではありませんが、知事として、ほかにやることはないのかなぁ。以前の報道では、医療関係者のボーナスが軒並み大幅に減少。中にはゼロという病院もあったとようです。病院経営も、ウイルスで頑張ったところほど危機的状態になったとも聞いています。だったら、国から予算をふんだくってくるとか、地域住民から寄金を募るとか、そういうことをテレビで言うべきじゃないかな。

 ぼくが何度も「当事者能力」と言い続けてきたのは、そうした広域に及ぶ福祉的な発想や行動力なのであって、手を洗えうがいしろよ歯を磨いたか、なんてことはドリフの長さんなんかにまかせておけばいい。かといって、そこらの校長先生のように何の役にも立たない独創性皆無の故事成語を引用されても苦笑するほかありませんけどね。

 どうやら責任者や地位ある人たちは、途方に暮れると実に些末なことを言い出すのが習性のようです。ここでもね、日本のリーダー教育がどれどけ貧弱か分かるじゃないですか。何とか塾の出身者だって、あの原発事故以来、すっかりメッキが剥げちゃった。せっかく権力を手に入れたのなら、それに見合った自分の仕事をして欲しいなぁ、さもなきゃ次はきっちりと落選させるというのが、本来の民主主義社会だろうとボクは思います。

 だったら安倍さんはどうよと、話はどんどん堂々めぐりになるから、この手の話題は始末に終えないんだよな。


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2020年8月 5日 (水)

どこまでバカなのか

 

 ホントはバカなんじゃなくて、ものすごく賢いと言うべきかなのかなぁ。新型コロナをめぐるモロモロなんてもう書きたくはないけど、当方はハイリスクグループに属するので、毎日をほとんど命がけで過ごしております。そんなオッサンから見れば、バカなんじゃないのと嘆息したいことばかりなんだよな。 

 まず、テレビ局など報道関係はなぜだか「第2波」と言いたがらない。最近になってようやく認め始めていますが、それでも「今回の第2波が」とか主語に使うことはほとんどありません。けれども、そんなもんグラフを見れば明らかで、7月初め頃から感染者が急増。このあたりから第2波と言わないでどうすんだよという事態に陥っているのに、まるで政府が箝口令でも敷いているかのように、誰も口にしなかったじゃないですか。

 今になってそりゃそうだよな、と妙に納得するのは、最初の経験から何ひとつ学んでいなかったからです。PCR検査も病床の不足もまるで解決されていない。安倍首相は前回のピーク時に「PCR検査を1日2万件体制に拡充します」と確かに言っていたぜ。この時のセリフをテレビ局は忘れたかのように無視しているのも不思議でなりません。テレビは郵政省、じゃなかった総務省の許認可事業だからかな。 

 前回は不足しまくりだったマスクにしても、首相は似たような大言壮語をぶちかましていました。第1波の感染がようやく沈静化した頃に、子供用かと思うほど小さな布製を配るんだから、悪い冗談としか言いようがない。しかも、そちらの第1波は汚物混じりだったもんね。 

 いかなる理由があろうが、命にかかわる病床不足を相変わらず繰り返すというのは、やっぱバカとしかいいようがないじゃないですか。でもって、最近は夜の街から家庭内感染が増加したという。感染者が入院できずに家庭内で療養していたら、1人暮らしでない限り、家族に広がるのはあたりまえですよ。それもこれも、第2波が予測されていたにもかかわらず、まともな受け入れ体制を準備できなかった政府と関係官庁、自治体首長と地域行政の不手際以外のなにものでもありません。だからこそ第2波であることを認めたくないわけですな。

 PCR検査をどんどんやれやれ論者にも訊きたいんだけど、それで多数の感染者を見つけたら、どこに隔離・収容するつもりなんだろうか。軽症者用のホテルなどを大幅に増加しなければ、自宅待機になって家庭内感染を増やすだけですよね。それなら検査をやってもやらなくても結果は同じということになってしまいます。つまり、検査と感染者受け入れ体制をセットで論じなきゃいかんだろうと思うわけです。 

 Go To トラベルによる地域への感染拡大なんてもはや論外です。「少しくらい国民が死んでも経済のほうが大切」という本音をスッパリ言い切ってくれたほうが分かりやすいではありませんか。いちいちカンバン、じゃなかったフリップを振り回して「厳重警戒」だの「感染拡大」と言うだけで、何もかも国民や都民、市民に押しつけるんじゃねぇよ。 

 かの東日本大震災から、日本のリーダーは危機に対する当事者能力がまるで欠けています。誰だよ、こんな奴らを選んだのは。さすがに温厚で篤実なワタクシも切れました。もう自分のことしか考えないようにしよう。ポビドンヨードだっけか、たとえばイソジンでうがいしなさいというのも何だかなぁ。だったら3か月分くらい買い占めてやるぞ、と思ったら、すでに売り切れだってさ。はぁ、こんなこともまたもや繰り返しかよ。 

 大声でバカヤローと何度言ったところでなんにも解決しませんが、せめて原稿料がタダのブログで1度くらい鬱憤、いや公憤を晴らしてみたかったのです。ますます不愉快になってきたけどね。よくまぁ皆さん、暴動のひとつも起こさずじっと我慢できるものだと、飼い慣らされた羊のような温和しさにも呆れ果てます。国会に集結したところで、閉会中ってことでみんな逃げているけどさ。

  

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2020年8月 4日 (火)

世界観(後)


 クルマのようなプロダクトやパッケージデザインを見れば、それぞれの世界観の違いは明瞭に理解できます。ところが、これらはあくまでも表出されたものであって、世界観は人間の内部にしか存在しません。

   というより、そもそも世界はひとつしかないんだから、世界観にそんなにも違いがあってたまるかと考える人のほうが多いんじゃないかな。

 確かに、日の出も夕焼けも星空も、見えているものは同じという前提でボクたちは生活しています。ところが、他人と長く同居してみると、必ずしもそうではないことが分かってきますよね。日の出を太陽と地球の位置関係でとらえる人もいるだろうし、何だか元気になると感性的に捉える人もいます。もしもそうでないとすると、その同居人があなたの世界観に忠実に従っていることを意味します。
 結婚して、お互いの違いが次第に分かるようになり、それが我慢できないほどの不満に膨れあがってしまうと、「世界観が違う」として別れることにもなります。離婚理由で最多といわれる「性格の不一致」は、その言い換えに過ぎないとボクは思っています。

 このように世界観は人によって異なるはずですが、違い過ぎては生きていけないから面倒なんですよね。たいていの人は働いてカネを得ないと生活できません。この働くというのは、モノを生産、あるいはサービスなどを他者に提供してカネと交換することを意味しますが、その認識が違えばメシを食うこともできなくなります。親の遺産で働く必要のない人もいますが、いずれにしても社会生活のほとんどは過去から蓄積されてきた共通の世界観で運営されています。
 とりわけ時間が典型的なのですが、午後12時の解釈はいろいろあっても、オレは昼飯は食べないという人がいても、12時という時間は絶対的な存在です。さもなきゃ社会の秩序が根底から壊れてしまう。「キミとボクは世界観がまるで違う」という人たちも、離婚調停の始まりが12時であれば、時計が故障していない限りは同じ時間に集合することになるわけです。

 ということで、共同体である社会を円滑に営むためには、世界観が標準化されていなければなりません。それを定着させるのが、教育の主要な役割だろうとボクは思います。昨日も書いたように、本来は個性的であるべき美術まで「教えよう」とするから困るんだけどね。しかしながら、この教育も人間=権力者によって作られた世界観の1つに過ぎないことは、学習指導要領を読めばすぐに分かります。ちょっと前までは他者と共存するための協調心を重視していたはずなのに、近頃は主体性・積極性ですもんね。

 このように世界観を語り始めると、社会と個人が錯綜してどんどん厄介なことになっていきます。ただ、生活のために標準化された世界観、すなわち常識と、個人特有の世界観の共存は不可能なことではありません。たとえばクルマは物理の法則から逃れることはできませんが、その範囲内であればスタイルやデザインに制約はないのです。牧歌的な田舎暮らしをイメージしてもいいし、カモシカのように高速道路を疾走するイメージでクルマを作ることもできます。あるいは山肌を駆け上がる猛牛のような力強さとかね。ただし、それが沢山売れるかどうかは別問題ですから、ビジネスであれば消費者の最大公約数的な世界観も認識しておく必要があるわけです。

 でね、ボクはもう、こうした理屈に辟易としている自分を感じるのであります。つまり、約束事だらけの世界観から生まれたプロダクトにはほとんど魅力を感じないのです。世の中は昔に比べて圧倒的に高度化・複雑化しており、人工知能だって発展しているのですから、もっとヘンテコでぶっ飛んだ世界観があっていい。そのほうが人間的で面白いじゃないかと。

 さらに言えば、社会的かつ標準的な世界観に縛られて生きていく必要なんて、もはやないんじゃないかな。自分が世界の中心にいると信じて、そこから世界はこうあるべきだと叫んでもいいじゃないですか。それこそが本来の自由であり、生きている醍醐味のような気がする。そうしたカネ儲けとは無関係な超個人的発想が、これから必要になると思うんだけどな。少なくとも人工知能に勝つためには、そこに人間が至らなきゃアカンだろうと。

 草間彌生が水玉にこだわったのは、世界がそのように見えていたからです。これなら売れると商業目的で発想したのであれば、たちまち行き詰まっていたでしょうね。彼女が若い頃に美術教師から無理矢理に矯正されたとしたら、ものすごく生きづらく感じたに違いありません。やっぱね、芸術は個人の世界観の爆発なわけですよ。

 けれども、実際には大多数の人たちが、標準化された世界観に自分を折衷させながら生きています。もしも仮にそのように感じたことはないというなら、心まで支配された哀れな奴隷としかボクには思えません。それはそれで批判するようなことではありませんけどね。

 それらを踏まえた上で、再び自分なりの世界観を獲得しなきゃいけない。要するに、世界の面白さを自分なりに再解釈するってことかな。そんな時にも、世間や隣の人を横目で見て従うなんて、ボクはゴメンだな。


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2020年8月 3日 (月)

世界観(前)


 まだまだうまく説明できないのですが、これからは個人の「世界観」が大切になってくるんじゃないだろうか。

 幼児の絵が典型的なのですが、自由に勝手気ままに描かせると、それこそいろいろありますよね。対象や構図もバラバラなら、線の太さもそれぞれ違う。色の使い方も、ボクは寒色ばかり選んでいたような気がします。なぜなら、そうした色は男らしくて、ピンクや赤などの暖色は女の色だと思っていたからです。おかげで両親は小学校の先生から「この子は要注意」みたいなことを言われたらしいんだけどね。

 そうした子どもたちの絵は、上手下手は別にして、彼らにとって世界がそのように見えている、ってことなのです。つまり、これが世界観ということになります。

 個性と基本的に同義であるだけでなく、親との関係性や生育環境からの影響も色濃く反映されています。だからこそ、この世界観は子どもによって千差万別であるはずですよね。

 ところが、個性的であるはずの世界観が、教育のおかげで、年齢が上がれば上がるほど、どんどん標準化されていくことになるのです。たとえば絵の構図にしても、先生によって「みんなが同じ方向を向いているのはおかしいだろ」などと修正されます。確かに絵のバランスとしては正しいかもしれないけど、ボクが今の日本を描くとするなら、むしろみんなを同じ向きにするだろうな。新型コロナに関する方針や説明にしても、政治家はすべて似たようなことしか言わない。それよりも感染の第1波がもたらした数々の悲劇や問題や課題をまるで学習していません。

 少なくともボクにとっては、みんなが同じように、たとえば右を向いていると感じるのですから、絵画の構図に関する理論はどうあれ、それこそがボクの世界観、いや日本観なわけですよ。文章の語尾だって、「です、ます」と「だ、である」を混在させてはいけないと指導されてきましたが、果たしてそうかな。ボクの世界観に従えば、会話は混在しています。「だ、である」は一種の押しつけであり、「です、ます」は共感あるいは納得を求める機能があります。だったら、「言文一致」の文章中に2種類が混在していて何がいけないのでしょうか。

 そのように考えながら、機能とデザインの2つが要求されるクルマを見直してみると、世界観が明瞭に分かるんですよね。これは国民性にもかかわってくると思いますが、おしなべて日本とドイツのクルマは理屈が優先しているように感じられます。奇しくも両国はかつて工業後進国であったせいか、技術や理論に対するコンプレックスの反動から無際限な礼賛が入り混じっているんじゃないかな。つまり、極めて合理的ではあるんだけど、テクノロジーという標準化された世界観に率直に従っているために、個性があまり感じられません。それに比べて、イギリスやイタリア、フランスやスウェーデンのクルマは、確固たる世界観が感じられじゃないですか。昔のシトロエンなんか、見る人を好き嫌いで二分するくらいの強いクセがありました。

 わぁあ、ちょっと面倒なところに行き着いてしまったので、1日考えてから、明日も続けることにします。


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2020年7月31日 (金)

リュック


 どんな格好をしようが勝手というものですが、通勤時のリュックがすっかり定着したようです。電車の中では邪魔になるので、前側に回すことも常識になっているようですが、すいません、あの格好はうっとうしくて息苦しく感じないですか?

 両手が自由になるのは確かにメリットとしても、スーツやジャケットの肩や背中がこすれるなど、布地に余計な負担をかけると思うんだけどなぁ。あんなモノが流行するのは、もしかして売上げ増を狙う洋服屋さんの陰謀かも知れませんよ。

 そもそも、あのリュックにいったい何を入れているのでしょうか。仕事に必要なモノは会社の机やロッカーの中に置けばいいので、基本的には私物ばかりのはずですよね。それで、あんなにも不格好に膨らむかな。

 ちなみに、ボクは取材時には100円ショップで購入した透明のビニールケースを愛用しております。持参するのはICレコーダーに筆記用具、それにスマホとノートくらい。資料も必要最低限に抑えているので、それで十分なのです。もちろんビジネスバッグも持っていますが、出張以外には滅多に使いません。最軽量が特長のバッグなのに、何も収納していない状態でも重いですから。

 それに、中に入れたモノが分かりにくいので、たまに忘れ物をしてしまう。「あ、あれ持ったかな」といちいちゴソゴソと中をかき回すのは、面倒でカッコ悪いじゃないですか。それに比べて透明のビニールケースはすぐに外から中身が視認できます。このため、現地までの電車の経路や地図をプリントアウトしたものを一番外側に配置するようにしています。これなら、「どこで乗り換えだっけ」と忘れた時も、ビニールケースを裏返すだけで、すぐに確認できるわけですね。

 このシースルーケースは、我ながら素晴らしいアイデアと自負しているのですが、なぜだかリュックのように流行する気配がまったくありません。

 そんなわけで、取材先ではちょっと変わったオッサンだと思われているかもしれない。ライターなんだから、汚くさえなければ普通でなくてもいいんですけどね。でも、ホントに便利なんだけどな。軽いし。。。。

 

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2020年7月30日 (木)

もう「パイプ」は不要


 テレワークやリモートワークがもたらしたものはいろいろあるはずですが、使える人材と使えない人材が、より鮮明になったのではないかと思います。

 厳しい言い方をすれば、それまでは主体的・自主的な仕事を何ひとつしないで、会社の机の列の中に埋没して生き延びてきた連中があぶり出されたのではないでしょうか。テレワークでは、業務を分担したグループワークとなるとしても、個人の能力が常に問われるからです。

 ただでさえ新型コロナで大不況の真っ盛りですから、テレワークでなくても、会議などで沈黙を続ける人たちは重荷だと判断されるでしょうね。いわゆる「ぶら下がり族」ですが、昨今の大学では、そうした人材を生み出さないように、アクティブ・ラーニングなど自主性や創造性を発揮させる授業が浸透してきました。けれども、企業にはまだまだ授業を座して聴いてきただけの「ぶら下がり族」は少なくありません。特に大手の場合、ボクの長い経験に照らして言わせていただければ、「パイプ」のような人が存在します。

 業種別では圧倒的に公務員が目立つのですが、「こう言われたから」「こうなっているから」と自分の判断を完全に放棄して、指示されたことを無批判に他人に押しつけるだけの役割と言い換えられます。まるで「パイプ」のように、上からの指示を伝令するだけ。こちらから異議を唱えても、まったく聞く耳を持ちません。常に一方向に指示が通り過ぎていくだけなのです。

 情報技術が今ほど発達していなかった昔は、こうした伝令役が必要だったかもしれません。しかしながら、この「パイプ」役がいつの間にか権力を握り、幻の院政を敷くことがままあるんですよね。本当の権力者はお飾りとなってしまい、そいつを通さないと何事も進まない。本人は「パイプ」以外にロクな能力もないくせに、やたらに権勢を振るおうとする。10年以上の社会経験がある人なら、「ああ、あいつのことか」と思いあたることが少なくないんじゃないかな。

 ところが、今では電子メールやLINE、そして最近ではZoomといった直接的なコミュニケーションツールが発達。こうした「パイプ」的な役割は不要になってきました。というより、日本の改革の足を引っ張ってきたのは、こいつらじゃないかと。少なくとも「パイプ」が多い会社ほど、情報の目詰まりや誤解・曲解が発生しやすく、結果として仕事が遅延したり、品質の低下を招くことにもつながります。

 爆発的に普及したテレワークによって、個人の能力が明確に表現されるようになったので、こうした「パイプ」人材は排除されていくことになるとボクは見ています。

 効率化がすべて望ましいとは思いませんが、新型コロナで業績不振が続く環境下では、こうした何も生まない「パイプ」役に高額の給与を支払う余裕はないはずです。そして、テレワークやリモートワークが完全になくなることもあり得ません。なぜなら、企業にとっては、そのほうが高効率だからです。都心部の高額な賃貸オフィスを縮小することも常識になっていくんじゃないかな。指示の流れの中間に存在する「パイプ」も、同じような設備負担としてどんどんカットされることになるでしょう。逆に、創意工夫に優れた人は頭角を現すチャンスといえるわけです。

 もうちょっとだけ過激なことをいえば、日本が太平洋戦争に敗北して75年。そろそろガラガラポンですべてを変えたほうがいい。再び蔓延する新型コロナに茫然自失。当事者能力を完全に喪失している政治家や官僚をテレビで見るにつけ、誰がこんな連中をトップに据えたんだよと怒りが沸いてきます。

 そろそろ税金の使途をボクたちの手に取り戻す革命を起こすべき時期じゃないかな。あの舌足らずの首相の手元に予備費として10兆円があるなんて、憲政史上初の異常事態にほかならないとボクは思うんだけどな。あ、かつての大政翼賛会も似たようなものだったかな。


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2020年7月29日 (水)

2週間の蟄居

 

 大切なことが残っていたので、理容店に行くことができず、ついに髪が耳に被ってしまいました。これからが大変なんですよね。というのも、ボクの髪はクセがあるのに太いらしく、放置しておくと、両端が重力に逆らってビョイーンとハネ上がってしまうのです。

 まさか、というなら免許証を見せましょうか? 5年前に撮影された時はまさにその状態でありまして、コントの芸人のような髪型になっておりました。今年になって免許更新した時はそれほどでもなかったので、ひと安心でしたが、それから2週間ほどして、いよいよ危なくなってきたのであります。とはいえ、巷は新型コロナの嵐。濃厚接触が不可避な理容店に足を向ける勇気がありません。しかも、転居したばかりで土地勘もないため、途方にくれているのであります。

 金曜日には重要な仕事のカタがつく予定なので、来週は感染しても仕方がないと覚悟を決めて、髪を切ってもらうつもりです。

 それにしても、新型コロナの第2波はいよいよ勢いを増しております。こんな時にGoToトラベルはないだろうと9割の人が思っているのに、それを無視して敢行してしまうんだから、政界と行政は残り1割の少数派が占めているんだろうな。小池さんは「都外に出かけないでください」とか何とか、このところずっとお願いばっかりじゃないか。もうちょっとまともな政策を打ち出してくれよ。

 批判ばかりではつまらないので、ボクからの提案です。全国民が2週間だけ、完全に閉じこもれば、さすがの新型コロナも沈静化すると思うんですけどね。これはPCR検査による陽性者の隔離期間に匹敵するので、国民全員が他者との接触をほぼ完全にやめるわけです。それでも家庭内での感染は発生しますが、やはり2週間がメドになるじゃないですか。

 前回の自粛要請は、いつまで続くか分からないところに不安と不満があったのですが、今回はきっちり2週間と区切り、自粛でなく強制することがポイントです。そのかわりに、たとえば明日から始めたら8月12日には確実に解放されます。それまではひたすら家の中にいろってことです。

 食料品などの生活インフラを除いて、すべての産業もストップさせます。テレワークができる人はやればいいし、それができない人も会社には行かない。そのために公共交通機関は物資の輸送を除いて完全に停止。もちろん道路などもトラック以外は封鎖となります。

 どこかの教授も他者との接触率を8割減少すれば感染者の増加が急速に低下すると言っていたではありませんか。それなら2週間だけ接触を1割以下に抑え込めばいい。こんなことを言えば、経済はどうすんだという人が出てきますが、今のようにどっちつかずの中途半端であれば、長引くばかりでかえって危険ですよ。そのかわりに、政府が国民の生存に関するすべての面倒をみる。

 おそらく、こんなことは政治も行政も医療関係者も分かり切っていると思うんですよね。ただし、誰も責任を取りたがらないだけのことです。そりゃそうです。1億超の国民に2週間の在宅を強制するなんて、戦争中でもない限り、できませんよね。

 だったら、日本の得意技である横並びの「総意」っことにすればいい。専門家会議だか分科会だか知りませんが、参加者すべてを回ってハンコをついてもらい、全員で責任を分散する。だーれのせいでもありゃしないんだから、誰も咎めませんてば。そのかわりに栄誉もありません。後になって褒められるのは日本人の国民性とすれば、それこそ棒々鶏、じゃなかった万々歳だと思うんだけどな。どこぞの大臣が言った「民度が違う」ことも客観的に証明されるではありませんか。

 

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2020年7月28日 (火)

願えば叶う(後)

 

 昨日の続きを書こうとしたのですが、何だか自慢話のようになりそうなので、具体的なエピソードの紹介はやめることにしました。ともかく、そうした体験から、たいていの願いは叶うとボクは断言いたします。

 逆に言えば、どんなことも自分自身が思わなければ実現するはずがありません。たとえばオリンピックで金メダルが欲しいと強く望まなければ、取れるわけがない。よしんば天賦の体格や優れた運動神経があっても、そんな連中が厳しい練習を重ねた末に戦うのですから、メダルが勝手に転がり込んでくるなんてことはあり得ないですよね。あの娘と仲良くなりたいと願わなければ、声をかけることもないし、ましてやデートなんか不可能。イケメンはモテるのでそうした苦労はないにしても、だからといって好きな女の子が寄ってくるとは限りませんよね。

 要するに、美味しいフルーツが食べたいと思わなければ、口に入れることはできないのです。親が無理矢理に食べさせることもあるだろうけど、それを願望とは呼びませんからね。

 もちろん人生はいろいろあるので、「思いもかけないこと」にも遭遇します。しかしながら、そのうち9割9分は病気や事故といった歓迎できないアクシデントであって、幸運なんてごくごく一部に過ぎません。自分が欲しいものやしたいことは、やはり第一に、欲しいとかしたいと強く思うことが最低限の条件であり、実現の始まりなんですよね。

  そして、レベルの高い願望ほど実現までに時間がかかります。その間に置かれた状況や心境が大きく変化することもあるでしょう。おかげで願望を忘れてしまえば、それっきりで終わりとなります。

 これを正しく言い換えれば、「忘れさえしなければ、願いは必ず叶う」ということになるでしょう。かといって神棚に祈ってばかりではダメなのは言うまでもありません。「幸せになりたい」といった抽象的な願いも、達成した状態が見えにくい。けれども「火星に行くぞ」といま願えば、行けないとは限らないじゃないですか。

 その意味では「千里の道も一歩から」や「ローマは1日にして成らず」も同じカテゴリーに属する箴言といえるかもしれない。ということは、ですよ。新型コロナの特効薬も必ず実現するってことになりませんか。ウイルスは変異を繰り返すだろうけど、どこかの国の誰かが研究室にこもって深夜まで「人類の分子生物学をなめんなよ!」と頑張っているはずです。

 近頃のボクは絶望しがちですけど、人間の意志は途方もないエネルギーを秘めています。それを本気で信じるかどうかのリトマス試験紙みたいなものが(古いなぁ)、この「願えば叶う」なんですよね。

 

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2020年7月27日 (月)

願えば叶う(前)

 

 突然に、誰かが首を絞められて悲鳴を上げたような怪音が室内に響き渡りました。そういえば、洗い上がった下着やトレーナーを乾燥機に入れて動かしていたなぁ。音源はそこしかないと浴室のほうに行ってみると、やはりドラムの回転が止まっていました。前のマンションに入居した直後に購入したので、ほぼ20年。壊れても仕方がないと諦めながらも、試しにスイッチを入れ直してみると、嬉しいことに再び動き出したではありませんか。

 けれども、30分ほどたって乾燥機を触ってみると、ちっとも熱くない。つまり、回転するだけでヒーター機能がアウトだったんですよね。

 もはや限界と判断して、思い切ってドラム式洗濯乾燥機を購入することにしました。ボクにとって、このドラム式は15年来の念願だったのであります。汚れ物を放り込むだけで、洗いから完全に乾くまで、まったく手がかからない。これぞ上等な文化生活の鑑といえるではありませんか。ところが、出始めた頃は20万円以上。おいそれと手を出せる価格ではありませんでした。1人暮らしにそんな大層なものが必要なのか、コインランドリーで十分じゃねぇのという指摘はさておき、どうせ家電なんだから、いつかハイビジョンテレビのように安くなるだろうと見込んでいたのに、どういうわけだかそうはならない。

 それで現在まで至ったのですが、今回はボクを後押しする強力な理由があります。とにかく壊れたんだから仕方がないもんね。ヨドバシでいろいろチェックしてみると、価格が以前とほとんど変わらないので驚きました。それに怯むことなく、最小&最安を条件に探してみると、シャープで15万円強の製品が見つかりました。ボクの理想は10万円前後でしたが、ちょっと無理みたい。それで即座に意思決定。決して安くはないけれど、ずっと欲しいと憧れていたドラム式洗濯乾燥機が、とうとう納品されることになったのです。おおおお、夢のような洗濯ライフ、てな感じですよ。

 そこで、つらつらと過去を振り返ってみると、ボクの願いは必ずといっていいほど叶ってきたように思うのです。 

 最初はアルミサッシの窓でした。アホかと思われるかもしれませんが、すきま風がヒューヒューと吹き込み、いつも湿気を含んでいた木枠のガラス窓は、子供の頃からの貧乏暮らしの思い出ときっちり重なっていました。これを軽量で錆びない金属製に変えることが、ボクにとっての生活向上を意味していたのです。それがようやく実現したのは20代半ばかな。当時は木造の賃貸アパートがコンクリート造のワンルームマンションにどんどん建て替えられていたので、日本全体の住居環境が急速に改善された頃ではあるんですけどね。それでも隅々までカッチリと締まるアルミ製の窓は嬉しかったなぁ。貧乏暮らしを知る人には分かるはずですが、やっと人並みの生活を手に入れたという喜びがあったのです。

 そのほかにも群小もろもろの願いがあったのですが、必ず実現してきたといっても過言ではありません。でも、さすがにこれだけは絶対的に不可能だろうという、インポッシブル・ドリーム=見果てぬ夢を東京・恵比寿で見つけてしまったのです。長くなったので、続きは明日に。

 

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