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福助くん その6

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    福助くん、9歳の秋です。 ちょっと長めの散歩をして、世田谷公園へ。 紅葉と福助をご覧くださいまし。

福助くん その5

  • 赤いサルビア♪
    2010年秋の福助くん。とある週末に埼玉県所沢市にある航空公園に行ってきました!

福助くん その4

  • 1 毎年恒例の・・・
    今さらですが、今年の花見の福助くん。ご近所の目黒川に行ってきました。

福助くん その3

  • 1 田舎に行ってきました!
    飼い主の田舎に行ってきた福助。うららかな春を迎えた大自然のなかで、いつもと違った表情に。

福助くん その2

  • 定位置
    平日は会社にいる福助。こんな感じの毎日です。

福助くん その1

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    笠木の飼い犬。甘えん坊でちゃっかり屋の8歳。雄。

2018年5月25日 (金)

スーザフォン

 

 スーザフォンという楽器を知っていますか。

 

 文字で説明するのは大変に難しいのですが、金管を奏者の身体に巻き、その頭上に巨大なアサガオみたいな開口部があるといえば、少しは分かるでしょうか。ボクは映画『ゴーストバスターズ』のシンボルイラストを思い出しました。

 

 ウィキペディアによれば、ブラスバンドの行進や野外演奏を前提として、チューバを担ぎやすく改良した楽器と説明されています。アメリカの作曲家、ジョン・フィリップ・スーザが1893年に考案したことから、スーザフォンとなりました。

 

 実にユーモラスな形の楽器なのですが、ものすごい重低音を発するんですよね。直接に空気をふるわせる管楽器のせいか、圧倒的なド迫力があります。とてもじゃないけど生身の人間が出せるような音質ではないので、演奏者の表情と音階のイメージがどうにも一致しない。え、あの顔でこんな音が出るの? という感じでしょうか。そのズレも大変に面白いんだよな。

 

 前置きが長くなりましたが、昨日も浅草HUBに行ってきました。ディキシーランドジャズを得意とするバンドが出演しており、いつもはウッドベースが配置される奥のほうに、金色に輝く大きな「アサガオ」があったのです。それで興味を持って調べてみたのですが、ソロの演奏もあったので、この楽器の魅力がよく分かりました。腹のところに直接に音が伝わってくるのです。いやぁ、音楽って奥が深いんですね。

 

 こんなことを書くと、毎晩のようにライブハウスに行っていると思われそうですが、できることなら是非そうしたい。だってさ、ミュージックチャージがたった1600円なんですぜ。そのほかはメニュー通りの金額で、消費税以外に追加はありません。宣伝するつもりはありませんが、名物のフィッシュ&チップスにワインを2杯飲んでも4000円以下で済むはずです。ただし、事務所のある恵比寿から浅草はやはり遠い。だから銀座方面で記者発表なんかがある時にだけ、足を延ばすことにしています。

 

 そんな浅草HUBがすごいなぁとつくづく感心させられるのは、出演するバンドに当たり外れがまったくなく、ジャンルはいろいろあっても、必ず一流の演奏が聴けるということです。これまでがっかりしたことが一度もないんですよね。昨晩も、スーザフォンもさることながら、サキソフォンが素晴らしかった。久々に伝説的なスタンダード『世界は日の出を待っている』を聴いて胸が震えました。

 いろいろと屈託があったのですが、気分が洗われたような気がします。

 

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2018年5月24日 (木)

BURN the FLOOR joy of dancing

 

 2年ぶりになりますが、またまた「バーン・ザ・フロア」を東急オーブで観てしまいました。やっぱね、ダンスはいいなぁ。ソロやデュエットもいいけど、何といっても圧巻なのは群舞です。まさにステージの床を燃やすほどの迫力に満ちており、観ているこちらの心まで躍り出すような感動があります。

 

 ダンサーたちがそれぞれに、けれども同じ方向を目指す潮の流れのように一斉に踊り始めると、広いステージがいきなり小さく見えるだけでなく、一瞬一瞬の決めポーズがまるで一枚の絵画のように美しい構図になっているのです。

 

 男のダンサーはスピードと力強さ。女性のダンサーはしなやかさと花のような可憐さ。それがメロディとリズムに合わせてみごとに重なり合い、時にはエロティックに融合していく。いわば音楽における和音のハーモニーが、ダンスという目に見える形でダイナミックに表現されているのです。上手なコーラスが脳内に快感をもたらすように、トレーニングされた完成度の高い群舞も心の中の感動ホルモンみたいなものを分泌させるのだとボクは考えています。

 

 この「バーン・ザ・フロア」の概要は、2016年4月11日のブログBURN the FLOOR NEW HORIZONで詳しく紹介したので、そちらを参考にしてください。今年はカンパニー創設20周年、来日10回目を記念した公演であり、joy of dancingとサブタイトルされていました。

 

 そんな知識がなくても、ひと目見るだけで、彼らのダンスに圧倒されると思いますよ。比較してはいけないと思うけど、それまで見ていたダンスと称するものが、型紙の上をなぞった体操のように感じるかもしれません。

 

 20分の休憩を含めて前半後半で合計2時間5分。それがあっという間に過ぎていき、注意が途切れたり弛緩することはまったくありませんでした。ボクの大好きなレナード・コーエンの『ハレルヤ』が曲目に含まれていたほか、アンコールもこのカンパニーの代表作のひとつで、何度となくYouTubeで観てきたティナ・ターナー版の『プラウド・メアリー』。満足感はもちろんとして、もっともっと見たいなぁという余韻を強く残す希有な舞台なので、機会があればぜひ鑑賞をオススメいたします。

 

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2018年5月23日 (水)

Do the right thing(続)

 

 この国もまだまだ捨てたもんじゃないと感じたのが、昨日の日大アメフト選手による記者会見です。もはや大勢の意見が決しているようなトピックをあまり取り上げたくはないのですが、前回に「Do the right thing」というテーマで書いた以上は、それに対応しておかないとダメですよね。

 

 まだ20歳の大学生が顔を隠すことなく実名で謝罪し、多数のテレビカメラやメディア関係者の前で、それまでの経緯や事実を嘘偽りなく述べたというのは、掛け値なしにものすごく立派な態度です。しかも、明らかに監督やコーチからの卑劣極まりない圧力で追い込まれた結果にもかかわらず、自分以外の誰のせいにもしていません。

 

 あんなに潔い態度は社会人でもなかなかできないはずです。むしろ社会人だからこそ往生際が悪いともいえるんですけどね。それを正々堂々とこなした経験は、彼の将来にとって貴重な糧になるんじゃないかな。

 

 それに比べて、今に至っても逃げ回っている監督やコーチたちの何と情けなくみすぼらしいことか。自分たちに非がないというなら、書面を通してではなく、あの選手と同じように公開の場に出てこいよ。大学側の対応も完全に腰が引けており、選手=学生を守ろうとする気概がまるで感じられない。もはや彼らを擁護する意見なんて、よほどの利害関係者しかあり得ないので、ボクが敢えて後追いする必要はもうないですよね。

 

 ただ、選手がいみじくも語ったように、やはり個人としては「もっと意思を強く持つこと」が大切だと思います。組織と個人の軋轢による葛藤なんてザラにあることですが、自分の内なる声を裏切れば、一生それに苛まれることになるでしょう。であるなら、最初から自分の意思を強く持って理不尽に抵抗したほうがいい。彼の告白によって、様々に勇気付けられた人が相当数いるのではないでしょうか。

 

 人間なら誰だって間違いはするし、ミスも犯します。ヘタすりゃ法に反することに手を染めることだってありますよね。そんな時には、自分の内なる声に素直に従って、起きたことを真正面から受け止め、被害や迷惑をかけた人にできるだけ早く謝罪するほかありません。やっぱね、どんな時にもDo the right thing。これしかないだろうと、ボクは強く再認識したのであります。

 

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2018年5月22日 (火)

Do the right thing

 

 世間で大騒ぎになっていることはなるべくテーマにしないと決めてきたのですが、日本もアメリカナイズされてきたなぁと呆れざるを得ません。アメリカンフットボールで起きた事件ですから当然ともいえるのですが、日大の監督が指示したとされるルール無視のラフプレーなんて、それこそアメリカの映画やドラマで何度となく描かれているんですよね。

 

 ゲームが終わった後にしても、ミスした選手がチームメイトから凄絶ないじめを受け、悪質な感染症で死んでしまうドラマがありました。それを刑事が調べていくうちに、どうやらコーチが指示したと分かるんですよね。勝利至上主義のアメリカでは、おそらく試合中も観客席から「殺せ」ではないにしても「壊せ」くらいの物騒な掛け声が飛ぶことも珍しくないんじゃないかな。

 

 その反面で、仮にタテマエだけとしてもキリスト教がブレーキになっているせいか、良心との葛藤に悩む選手が必ず登場してきます。チームなんだから監督やコーチの指示に従わなければならない。さもなければ総力を効果的に集約できないので、それに抵抗することは即ちチームみんなへの裏切りになってしまう。けれども、その指示にはどうにも納得できないし、そんなことはしたくない……。

 

 セットが終わって無防備になったクォーターバックの背後から強烈なタックルを行った日大の選手も、そうした葛藤があったはずです。しかしながら、日本には個人の倫理や道徳を支えてくれる宗教が普及しているとはいえません。このことからキリスト教圏の欧米を「罪の文化」として、日本は「恥の文化」ともいわれます。つまり、自分の内側に罪があるのでなく、その外側にある他人の眼や会社など組織の判断や評価が強い影響力を持つということです。いかに理不尽な指示だと思っても、組織内で誹りを受けたり孤立しないために、敢えて間違ったことをしなきゃいけない時もあるでしょう。そんな時の便利な言い訳として「上司が」あるいは「組織としての」みたいな言葉が準備されているのですが、自分を捨て切った歯車のような人材が優秀とされてきたのは20世紀までじゃないかなぁ。

 

 現在の大学教育は、アクティブラーニングが象徴的ですが、講義を黙って聴くのでなく、主体的な思考力や行動力を育成しようとしています。もはや追いかけるべき先進国なんて世界のどこにもないので、日本自身が新しい産業や社会モデルを創っていくほかありません。そのためには、指示待ちの歯車ではなく、自分から問題を発見して解決していく人材が必要なのです。言い換えれば、出力は小さいにしても、1人ひとりがエンジンであることが求められているのではないでしょうか。

 

 そうはいっても、ピラミッド的な組織社会ではまだまだ通用しないこともあるはずです。だからこそ、より生き良い未来を創ろうというなら、学内にそんな理不尽や不条理を持ち込んではいけない。スポーツだって、フェアプレイのサンクチュアリ(聖域)であるべきです。プロになれば、いろいろと大人の事情があって、なかなか理想を追求しにくいですからね。

 

 にもかかわらず、あのような事件が起きてしまった。まだ明らかにはなっていませんが、仮に監督が極悪非道な指示をしたとしたら、選手の側の葛藤にもボクは注目してしまうんですよね。そんな命令に従う前に、彼だけでなくみんなが「監督、そんなのおかしいですよ」と抵抗すればいいのに、どうしてできなかったのでしょうか。社会に出たらなかなかできないことでも、大学スポーツだからこそ、そうした反発があって然るべきじゃないかな。封建社会にだって「逆命利君」という言葉がありました。自ら考えて発言することができなければ、それは奴隷に等しいではありませんか。

 

 だから、どうせアメリカナイズするなら、“Do the right thing”という合言葉も真似しようよ。「正しいことを為せ」という呪文をみんなが心の中で呟くことが、このような悲しい事件を再発させない最も有効な対策だとボクは信じるのであります。

 

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2018年5月21日 (月)

孤独のショッピング

 

 テレビドラマとしてもシリーズ化されましたが、『孤独のグルメ』という漫画がありました。原作は久住昌之、作画が谷口ジロー。1994年の『月刊PANJA』が初出らしいのですが、ボクは2008年に『SPA!』で復活した読み切りシリーズのほうを愛読していました。

 

 中年のオッサンが1人でランチや晩飯を食べるという、実にまったく単純なストーリーであり、「グルメ」とタイトルされているものの、美味に極端なこだわりはなく、いわゆる3大珍味なんかも出てこなかったと記憶します。とにかく1人で街を歩き、1人で食べ物屋を探して、1人でメシを食いながら、心の中であーだこーだと「独白」する。仮にまずかったとしても、それをむしろ珍しい経験と解釈して、愛想良く「ごちそうさま」と言って勘定を払って立ち去る。

 

 谷口ジローの細い線描による白っぽい画面と痩身の主人公は、そうした心地良い孤独感と絶妙にフィットしていたんですよね。夏の眩しい陽光で白と黒のハイコントラストになった街の光景と似ていて、様々な階調=グラデーションが消し飛んでいる。この透明感に優れた画質が、オッサンが1人でメシを食うという悲哀や貧乏くささを完全に脱色しており、ヘタすりゃオシャレに見えなくもない雰囲気がボクは好きでした。

 

 であるなら、ですね。ぜひ「孤独のショッピング」という漫画かテレビドラマをやって欲しいなぁ。オリジナルは「独白」のおもしろさが魅力でもあったので、たとえば紳士服のバーゲンなんかに行って、うるさくつきまとうオバサンに要望を言いながら「この人のご亭主はどんな仕事をしているのかな。もしも現場仕事なら作業着だからサイズにこだわるなんてことはないだろう。それに比べて、オレたちはどうしてこんな窮屈な格好をしなきゃいけないのか」とかね。

 

 百貨店や専門店、それにアウトレットまで、販売店だけでなく、ジャンルも広げられるので、いろいろ話は続けられるように思うんですけどね。そこにウンチクをちょっとばかり加味するのはもちろんだけど、中高年の寂しさが込められていることが必要になります。

 

 カナダの精神分析学者が命名したらしいですけど、「ミッドライフ・クライシス」=「中年の危機」。そうした心理的な葛藤への共感こそが、『孤独のグルメ』が人気になった本質的な理由だったのかもしれません。であるならば、ボクにもちょっとは書けそうな気がするんだけどなぁ。

 

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2018年5月18日 (金)

辟易

 

 辟易、へきえきと読みます。中国の漢代の故事から生まれた言葉とされていますが、日本ではかなり違う意味で使われています。

 

 小学館デジタル大辞泉によれば、ひどく迷惑して、うんざりすること、嫌気がさすこと、閉口すること、とあります。

 

 ボクが近頃、いや21世紀に入ってからずっとかなぁ、「辟易」しているのは、無思慮で無反省な自己アピール、過剰なほどの大言壮語、美辞麗句、言葉だけの大伽藍、聞いたことのない英語、中でもこじつけのゴロ合わせがね、1~2行読むだけでヘドが出そうになるのです。それって何だよと思う人のために説明しておくと、たとえば英単語のアルファベットの1つ1つに意味や内容を加えて、コンセプトみたいに仕立てあげた文言のことです。

 

 まだ分からない人もいるはずなので、ボクの経験を挙げておくと、20代の終わりくらいに所属した雑誌の編集長から以下の指示を受けたことがあります。

 

「この雑誌が目指すところや、他の媒体との違いを簡単に説明できるキャッチフレーズが必要だと思うんだ」

「もう代理店が広告なんかでアピールしていますよ」

「いや、あれだけじゃ足りない。もうちょっとだな、クライアントを納得させるようなまとまった文言を作れないかなぁ」

 

 もともとが二番煎じの後追いなんですから、そんな際立った違いなんてないじゃないですか、という喉まで出かけた反論を、もちろんボクは呑み込みました。その夜に数時間かけてボクが無理矢理にヒネり出したのは、「NICE」であります。Nは「ニュース」、Iは「インタレスト(興味)」、Cは「クリア(明快」、Eは、、、、えーと、ヘヘヘへ忘れてしまいました。何しろはるかな大昔の話で、というより、前述したようにそもそも意味なんてないわけですよ、こんなもん。Eがエナジーだろうがエッセンスだろうが、エモーションやエロスにしても、英語の辞書を見ながら、いくらだってこじつけられるじゃないですか。

 

 ところが、こういう現実から乖離した文言の塊が近年はものすごく増殖しており、その解題をちょっと読み始めるだけで、そのあまりな空疎っぷりに「辟易」しちゃうんだよな。ボクたちが知りたいのはあくまでも本質・実質・現実であって、奇妙な屁理屈や流行語じゃないはずです。キャッチフレーズやコンセプトだけでモノが売れたり人気が出るはずがないじゃないですか。

 それでも何かを解説や説明したいのであれば、言いたいことは多くても3つにまとめて、言葉も凝縮することで力を持たせないと市場に届くはずがありません。にもかかわらず、今もってこういうカタチばっかりの古くっさいやり方をしている会社や組織がものすごく眼につくんだよな。

 

 そんな観点から、ボクが最も感心させられたのは、テレビドラマのタイトル『逃げるのは恥だが役に立つ』です。漫画が原作らしく、さらに調べてみるとハンガリーのことわざらしい。ドラマを一度も見ていないので恐縮ですが、日大のアメフト監督なんて、これを地で行っているじゃないですか。相手チームの選手に大怪我を負わせた責任者のくせに、陰に隠れてまったく表に出てこない。「恥ずかしい逃げ方だったとしても生き抜くことが大切」というオリジナルは、弱者である庶民に向けて説いた言葉であるはずです。だから支持されて生き残ってきた。にもかかわらず、権力とカネをふんだんに持ったおエライ皆さんが、そんな身の処し方をしてはいけませんよ。しかも、こういう連中が大好きなのが、もはやスカスカに形骸化したタテマエに基づく通り一遍の言い訳なんですから始末に負えません。はぁ、もう勘弁してほしいなぁ。これを「辟易」と言わずして何といえばいいのでしょうか。

 

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2018年5月17日 (木)

含羞

 

 六本木のフジフィルムスクウェアで、林忠彦の写真展を見てきました。敗戦直後の日本の景色と人間たちを精力的に撮影した超有名なカメラマンですが、ボクにとってはやはり作家、太宰治が強く印象に残っています。銀座のバー「ルパン」のスツールの上で脚を組んだ写真があまりにも格好良くて、本気で小説家になろうと思いましたもんね。厚手のツイードと思われるズボンと登山靴を探しに出かけたことがあるくらいです。はい、ワタクシ、何事もスタイルから入っていくタチなもので。。。。

 

 このあまりにも有名な写真は、フィルムが正方形のブローニーで撮影されたものなんですよね。ところが、ボクだけでなく、世間の大多数の人たちは縦長の紙焼写真で見てきたはずです。つまり、正方形の横方向がカットされた結果ということです。今回の展示会では、そのオリジナルフィルムをまんまの状態でプリントしていたので、それまで明かされていなかった太宰の斜め向かいに座っている話し相手の後ろ姿が映っています。それって誰だよ、と興味が沸くところですが、何てことはない、戦後無頼派と呼ばれる作家仲間のひとり、坂口安吾です。腰から下だけが黒い影のように映っているので、まったく不要で邪魔な部分と断言してもいい。トリミングしたのは当然だよなとボクも思います。そのおかげで、みんなの心に強烈に残る完璧な構図が生まれたのです。消された坂口安吾にしても、書き散らかした紙くずの山の中で、眼光鋭くカメラマンを見つめる、こちらも超有名な写真がありますからね。

 

 ただ、ボクは高校生の頃から知っていた写真だけに、改めて鑑賞し直しても、それほどの感慨を覚えることはできませんでした。むしろ、思わず眼の下が熱くなったのが復員兵たちの写真です。南方か中国か、海外の派兵先から命からがら帰国できた兵隊さんたちが故郷に帰る直前の姿を列車の中で撮影したものです。おそらく夜汽車だろうと思いますが、戦場で死ぬ恐怖から免れることができ、一度は諦めた父や母や兄弟に再会できる喜びから、皆さん歯を見せて明るく笑っています。それでもね、1〜2分見続けると、その笑い顔はボクたちの見知っているものではないことが分かります。元気だけど爆笑ではありません。間違いなく笑顔なんだけど、すぐに感得できる屈託が隠されているのです。

 

 考えてみればあたりまえで、無数の戦友が敵に殺されたり、南方では餓死や病死も普通でした。それまで隣にいた戦友の多くが死ぬことで、彼らは負け戦から奇跡的に生還できたわけです。生きていて良かった、けれどもあいつとこいつは死んでしまったという負い目を感じないはずがない。いわば生き残ったことの含羞みたいなものが次第に伝わってきて、もう少しそこにいたらボクは落涙していたでしょう。

 

 それに比べれば、スポーツで勝った負けたとはしゃぐサポーターの皆さんの笑顔は、何と無邪気なことでしょうか。いや、それを批判する気は毛頭ありません。彼ら復員兵は、自分たちが2度とできなくなった無心な笑顔を守り通すために、戦後を頑張ってきたに違いないと思うからです。

 

 だからこそ、「忖度」を強要する権力を振りかざす政治家や、セクハラやパワハラやり放題の官僚たち、フェアプレーを旨とするスポーツにもかかわらず「クォーターバックを壊せ」と指示するアメフト監督などを強く憎みます。無邪気な笑顔ほど貴重なものはこの世にないのだと、どうして分からないのかな。自分たちが生き残り、生き延びているということは、すなわち誰かを何かを殺す、あるいは誰かや何かが死んだおかげかもしれない。そうした認識に基づく含羞を知らない人とは、あまり親しくなりたくないなぁ。

 

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2018年5月16日 (水)

宇宙人瞰

 

 最近つくづく感心するのは、生物の再生産メカニズムです。特に人間ですけど、あんな簡単なことをするだけで、実に精密なミニチュア=赤ん坊が発生するというのは、ものすごい仕組みというほかありません。生まれた後はお湯をかけるだけで、というのは冗談ですが、水と食糧さえ与えれば体格は成長していきます。人間は社会的動物なので、それに適応するために長期の教育が必要になることが、他の動物とは際立った違いです。

 

 人工知能やロボットがいくら進化したところで、このような人間の機能を持つ存在を再生産しようしたら、途方もない金額が必要となるでしょう。少なくともロボット同士が勝手に合体して子ロボットを作るなんてことは、まったく不可能ではないにしても、遠い遠いはるかな未来の話ですよね。現時点ではコストさえ見当もつきませんが、何十億円を費やしても不可能でしょう。

 

 それがね、男女が一緒になって、あんなことをちょちょいとするだけで、卵子に精子が突入。それで合体できれば細胞分裂が始まります。デートや結婚式などの間接経費をどんなに含めたところで、数千万円にはなりませんよね。直接経費に限ればゼロです。それでいて1年も経たないうちに、人間の原型が完成するんですぜ。これに驚かないで何に仰天しろっていうんですか。

 

 しかも、男女の双方から遺伝子を半分ずつ継承していることにも注目しなきゃいけない。電車の中で親子を観察して、子供の鼻の形は母親に、唇なんかは父親にそっくりなことを見つけて、遺伝子がまぎれもなく人体の設計図であることを実感したことがあります。そして子供は単純に親の複製ではないわけです。それぞれが混じり合うことで、新しい個体が生まれる。それによって、自然環境に変化があっても個体のどれかが適応できる多様性が実現するわけですな。遺伝子の突然変異に基づく進化だって、この再生産メカニズムがなければあり得ないはずです。

 

 俯瞰という言葉があります。これは高いところから下を見おろすことであり、対義語は「仰望」「仰視」とされています。ボクは俯瞰=鳥瞰に対する「虫瞰」という言葉を日常的に使ってきました。虫のように、上からは見えない地べたの細かいところや隙間を余さず見つめるってことです。大所高所からの空論になりがちな俯瞰よりも、取材者には必要な見方だと思ってきました。

 

 ところが最近は、考え方が人間からいささか乖離して、宇宙人のようになってきたかなと思う時があります。前述の子作りにしても、医学的には「生殖」ですけど、ボクには「再生産」のほうが事態を理解しやすい。英語では「生殖」をReproductionとも表記するので、彼らのほうが宇宙人的なのかな。

 

 いずれにしても、そうした視点からは、女子のアイドル団体(というのかな)は、思春期の発情メンタリティを巧妙にビジネスにしているとしか思えません。ごく簡単にいえば「まとめ売り」ですから、誰かが売れればいいわけで、ローリスクかつハイリターン。微妙に変化していく若者たちの多様な好みを吸収でき、グループですから新陳代謝も容易じゃないかと。

 

 あまりに批判的なのもナニなのでもうやめますが、たまにはこうした「宇宙人瞰」を持つと、複雑に見えることの本質が余計な情緒抜きで見えてくると思うんですけどね。

 

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2018年5月15日 (火)

スニーカー

 

 スポーツ庁が官民連携でスニーカー通勤を推奨しているそうです。運動不足でメタボになりがちなので、革靴より軽いスニーカーを履いて一駅くらいは歩いて健康を維持しようよ、ってなことらしい。

 

 特段に反対する理由など見当たらないので、勝手にしたらというレベルの話なのですが、どうやらスーツやジャケパンといったビジネスウェアに運動靴を履かせることを目論んでいるようです。通勤時なんだから当然ではありますが。このため、そんな格好で違和感はないのか、ビジネスマナーとしていかがなものか、ということが論点として浮上しているみたい。

 

 実例はすでに皆さんが学校時代に間近に見ているはずなのに、思い出さないのかなぁ。中学・高校あたりの体育の先生で、煙のような灰色のスーツに白い運動靴を履いたオジサンを見たことありませんか。ファッションは社会的な記号でもあるので、「そんなヘンな格好をしているのは体育の先生だけ」という共通認識があったんだろうと思います。いや、もしかすると学校は閉鎖社会なので、教育管理職以外は運動靴でもオッケーという不文律があったのかもしれません。

 

 本人が履きたいならゲタでもゾーリでも結構ですけど、ボク個人としては、オフィシャルな場でそういうカジュアルな格好は好きではありません。お役所の人たちが職場で履き替えるペタペタサンダルなんか大大大大大っ嫌いです。内勤で未知の他人に会わないというなら、そもそもスーツなんか着なきゃいいのに。スーツ着てネクタイ締めたら、足元もそれなりでないとおかしいじゃないですか。それでこそ気分もオフからオンに切り替えられるというものです。

 

 でもまぁ、歩くことはボクも大好きですけど、革靴でアスファルトを歩けばカカトは磨り減り、カタチもヘタってきます。買ったことはありませんが、青山あたりでは数十万円という驚愕価格の靴も売られているので、そんな革靴で距離を歩くのはコスト的に大きな負担となります。女性のピンヒールだって、どう考えても長く歩くための靴ではないですよね。

 

 つまり、歩くことだけが目的なら、やっぱ軽くて足に密着した運動靴に優るものはないのです。それがビジネスウェアにいかがなものかという論議以前に、だったら身体の上のほうもトレーナーやジャージにすれば、もっと歩きやすくなるんじゃないかな。夏ならランニングウェアでしょうか。そのほうがスーツよりも似合うことは論を待ちません。会社に到着したらさっさとスーツと革靴に着替えればいい。できればシャワーも浴びたいですよね。

 

 そうしたことができない貧弱な職場や業務習慣が、実は大問題なのです。オフィスの施設的な改善はもとより、もっと自由に多彩に使いこなすことを今日的な課題にすべきだと思うんだけどなぁ。少なくとも職場での着替えを常識にしていくべきですよ。そうなってないからこそ、パーティのドレスコードが満足に機能していないのです。バリバリにオシャレして満員の通勤電車は無理があるし、よしんば会社までたどりついても、夜になるまでにはシワまみれのヘロヘロっすよ。だからさ、ちょいと派手目のスーツやシャツを会社に置いておき、仕事を終えたら着替えて颯爽とデートやパーティに行くようにすりゃいいんです。それこそが働き方改革ってことじゃないのかなぁ。どうもね、政府が提案することはいちいちオシャレじゃないんだよな。

 

 でもって今度はスニーカーですか。お役人に自分の履く物までいちいち指図されたくないなぁ。江戸時代じゃないんですから。それとも、役所ってそんなにヒマなのでしょうか。

 

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2018年5月14日 (月)

生まれて初めて

 

 いやぁ、この歳になったら、もはや「生まれて初めて」みたいなことはないだろうと思っていたのですが、そんなことはないんですよね。

 

 すでにご報告したように、金曜日の早朝は風邪のせいか、強烈な寒気が上半身を襲い、尋常ではない状態になりました。体温計では38度5分の微熱にもかかわらず、いざデスクでノートパソコンに向かったら、肩全体がガタガタと大きく震えるんですよね。指先も三連符のダダダとなってキーボードをうまく打てないだけでなく、愛用のマックブック・エアーは超薄型なので、一緒になってゴトゴトと踊り出すのです。

 

 息を整えて、懸命に肩を落ち着かせようとしても、身体は意思に従ってくれません。どうにも定まらない指先がパソコンとハイビートのダンスをしているようでした。

 

 風邪をひいて高熱を出したことはありますが、こんなことはかつて経験したことがありません。とはいっても、平日はブログを最初の日課にしてきたので、それだけは中断したくない。風邪の熱ごときで退散するのも不愉快ですから、騙し騙しで頑張って数行を仕上げましたが、いやはやホントに大変でした。

 

 しかも、その日は1本締め切りをかかえていたので、コートを着てソファでしばらく休んだ後に、再びパソコンにトライアルです。前述した物理的な難行苦行に加えて、アタマもうまく働かない。二重苦で泣きそうになりながら、何とかアップしましたよ。

 

 こういう「生まれて初めて」は果たしてあと何回くらい経験するのでしょうか。雑談やブログのネタにはなるので面白いとはいえるけど、身体関係の波瀾万丈はちょっとパスさせて欲しいなぁ。

 

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