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2010年4月28日 (水)

我あり、ゆえに我思う

 20歳の頃に、ある女性に去られてしまい、半年ほど誰とも話さない引きこもりになったことがあります。当時のボクは彼女のバイト代をアテにするカスなヒモ野郎でしたから、愛想をつかされるのは当然でしたが、それなりの苦労を経て(これはいつか紹介します)一緒に住むようになった恋人なので、大変なショックを受けました。

 たった一人で部屋から見る赤い夕陽が、あんなに悲しいものとは知りませんでした。

 しかし、若い頃には客観的に自分を見直すことはなかなか難しいのです。こんなにいい性格なのに何でだろう、能力はあるはずなのに、とかね。自己を否定しなければ、いずれは社会が悪い世間が悪い、運が途方もなく悪い、みんながオレを理解しないからだとか、原因を自分の外に転嫁していくようになります。

 引きこもりの男による家族殺傷事件が話題になっていますが、あの頃のボクに誰か近親者が同居していれば、もしかすると同じことになっていたかも知れません。でも、たった1人で暮らしていたので、転嫁する相手は世間とか社会しかないわけです。ならば社会を変えようといっても、革命を一人でやるわけにもいきません。

 こりゃ大変だ、とてもじゃないけどヘンクツな一人っ子が悪い社会を変えるなんて無理だと諦めて、ただひたすら悶々と過ごしていました。

 そんな時に、サイモン&ガーファンクルの「I am a rock 」を聴いたわけです。

 きっと本当の歌詞とは全然違うはずですけど、ボクには「オマエは石ころなんだ。石ころがじっとしていれば何者でもないただの小さな岩だ。どこかに転がって動いた分だけが、オマエなんだ」と聞こえました。

 アタマの中で考えている自分なんて誰にも分からないし、認識できません。社会に出て何かをすることが、自分そのものになれる方法なのだと思ったわけですね。それでまあ生活のためでもありますが、引きこもりを中止して、次第にアルバイトなどに精を出すようになったのです。

 そして、以前からサルトルの実存主義に興味を持っていた関係から(当時はファッションみたいな流行ものでした)、ハっと気づいたのです。

 デカルトは「我思う、ゆえに我あり」と言いました。サルトルは、これをひっくり返して考えたのではないか。

 つまり、「我あり、ゆえに我思う」ということです。思念が先にあるわけでは決してなく、オマエが物理的に存在しているから考えることができる、と。人間は物理的な存在ですが、社会的な意味のほうが大きいですから、「我あり」とは即ち社会の中で何かをなすことではないか。

 後になって、サルトルはこれを「アンガージュマン(社会参加)」と言っていることを知りました。何しろ、恥ずかしい話ですがボクはサルトルの本を一冊も読んだことがありません。当時の流行ということに対する反発も大きかったのですが、自分に対する哲学を他人に教えてもらっても仕方がない、自分で発見できなきゃどうするんだ、という若い自負心もあったように思います。

 さて、こうした考え方が決して間違いではなかったことを、『週刊現代』2010年5月8日・15日合併号の「わが人生最高の10冊」で、映画監督の篠田正浩さんがみごとに解説してくれたのです。

「つまりアンガージュマン(社会参加)によって自分の存在を発見すると。ゆえにアクティビティ(行動)のない、行動の伴わない人間が頭の中で考えているような世界はウソだというのです」

 子供も学生諸君も、いや大人だって、時には引きこもりたくなることがあるでしょう。こもること自体は決して悪いことではありません。一人で静かに癒したり、内省する時間や、孤独の中で研究や勉強と格闘する時間はとても大切です。けれども、自覚がないと、今はインターネットという仮想現実がリアルな社会に触れる機会を奪ってしまう可能性があります。

 我あり、というのは仮想現実の中での存在を意味するものではありません。どんなにアクセスしても、仮に掲示板で発言しても、リアルな社会との接点を失えば、それは「我思う」に過ぎません。だから、いつまで経っても「我あり」にはたどり着けないだろうと思うのです。

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