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2010年9月10日 (金)

信じる者は救われる?

 ある仕事で浄土真宗の開祖、親鸞に関する本をいろいろと読み込んだことがあります。ボク自身は死後の世界なんて信じちゃいませんけど、そんな浄土=天国さえないとしたら、とても救われないという人たちが生きて、そして死んでいった時代に彼は生まれました。

 ここからはボクの勝手な解釈であり、浄土真宗の教義とは異なっていたり、誤解や誤認もあるかもしれないので、一方的に信じないでくださいね。興味があったら、自分で調べてみてください。

 仏教が日本に伝来したのは6世紀頃とされています。それから、奈良や京都や比叡山などに大きな寺が作られていくわけですが、これらは実は天皇や貴族など支配階級が檀家の菩提寺でした。つまり、彼らと国家の安寧を仏様にお祈りするために生まれたわけです。

 これに対して、鎌倉時代には庶民のための新しい宗教が続々と誕生しました。だから浄土宗や真宗や日蓮宗などは「鎌倉新仏教」とも呼ばれており、当時はいわゆる新興宗教、あるいは既存仏教から見れば「異端宗教」でもあったわけです。

 こうした新宗教の派生は、ユダヤ人のためのユダヤ教からキリスト教が生まれてきたこととすごく似ています。特定の民族や上流階級だけを救う宗教が広く普及するはずないのですからね。

 それともう一つ、鎌倉幕府は日本の歴史上初の武家政権で、それが江戸時代まで続くのですが、その成立前後は武家同士あるいは武家と王朝による激しい権力闘争があったらしく、小説などでも描かれているように、京都の中心を流れる鴨川の河川敷には数多くの死体が漂着していたなんていわれます。保元・平治の乱は歴史で習いましたよね。

 そうした戦争は弱者に甚大な被害を及ぼしますから、当時の民衆は貧困と飢餓など悲惨な状態にあったわけです。

 親鸞は、もともとは比叡山で修業していたエリート候補の坊さんだったのですが、そうした庶民の状況を見かねて、とうとう山を降りることにしました。そして、本格的に一般民衆の救済になる仏教を思想したのです。

 浄土宗の開祖である法然は彼より先に山を降りた先輩であり、厳しい修業や優れた悟りを開けないと浄土に行けないのなら、そんなカネもヒマもない庶民は救われないではないか。仏様はきっとそんなケチな奴じゃないはずだから、お念仏を何度も唱えるだけで浄土に行けるはずだと教えていました。

 この法然を親鸞は死ぬまでお師匠さんと考えていましたが、実は彼の思想はもっと過激であり、念仏さえ唱えなくていい、死ぬ直前でも信じてすがるだけで、仏様が浄土へ連れていってくれるというものでした。だから「他力本願」というわけです。

 この他力というのは仏の救いということで、現世でそんなに大変な目にあった人を、仏様が見捨てるはずないというのが根拠です。だから「悪人」だって往生できないはずがないと。

 さて、あなたの前に「せめて一度はオニギリを腹一杯食いたかった」という餓死寸前の人がいたとします。あなたも、人にやれるような食い物は残っていません。あるいは重病で死に行く人にですよ、「自然科学では死後の世界はないんだよね」と言えますか?

 あるいは「哲学としての死は……」なんて言っても、「お前はまだ死なないからそう言えるんだ、ふざけんな!」でしょうね。

 当時は、もちろん識字率が低くて、知識や哲学や思想なんて庶民には雲の上のことです。

 そうした人たちに、生活支援は無理でも、何とか死だけは安らかに迎えさせてやりたい。親鸞はきっとそう考えたと思います。もとより完全に死んでから生き返った人なんて古今東西いませんから、はっきりいえば浄土なんてどんな理屈でも成立します。

 そこで「阿弥陀仏を信じるだけで、安らかな浄土に行けるのだよ」と説き、「こんな私でも受け入れてくれるのだ、ああ、ありがたや」と亡くなったのではないでしょうか。

 そこから浄土真宗の仏教思想としての体系が構築されていくのですが、浄土に行けるとして、そこはホントにそんなに安らかなところなのか、という疑問が生まれてきます。もしホントにそうなら、生きているより自殺したほうが手早いじゃないかとなりかねません。

 このあたりは『歎異抄』の中に興味深い記述があります。

 弟子が「浄土がそんなにいいところなら、早く行きたいと思うはずですけど、そんな気になれないのはどうしてでしょうか」と問うと、師匠の親鸞は驚くことに「実はオレだってそうさ」と答えているのです。

 その続きもあり、解釈もいろいろあって、ここでは説明し切れませんが、ボクはひょっとしたら親鸞は阿弥陀仏も浄土も本当には信じていなかったのではないかと疑問を持っているのです。何しろ比叡山で修業した、当時では数少ない知識人ですから、アタマからすっかり信じるなんてあまり考えられないわけです。

 けれども、悲惨な状態で今にも死に行く人には、すがるに足る、信ずるに足る「共同幻想」あるいは「虚構」が必要なのではないか。

 前回のブログの最後に書いた「正義」とは、サンデル教授の講義で分かるように、常に公平平等に一律に適用することはできません。たとえば、1人を助けようとしたら1人が必ず死ぬという状況で、正義をどうやって遂行することができるのか。では10人助けられるなら、1人くらいは死んでも仕方がないのか。

 ところが、「信じる」ことは誰だって、いつでも公平平等に可能なのです。まさに「信じる者は救われる」のです。

 正義とはどうやら法律の概念であり、始まりはきっと宗教だったはずです。

 しかし、法律が整備されて個人や国家の権利を守り始めた頃から、正義は矛盾と対立と混乱を生むようになったと考えられませんか?

 うーむ、ちょっと難しいところに入ったので、この続きはまた別の機会に。

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