21世紀人材(12)プロデューサー(1)
テレビでは連日、顔面を大怪我した歌舞伎役者のことを微に入り細に渡って報道しています。
ボクにはよくある若い頃のヤンチャとしか思えませんが、それよりも、歌舞伎なんてほとんど見たことないはずの人たちが、何でそれほど大きな話題にするのか、ということに興味があります。
別に彼をヒイキするわけではありませんが、あれこれと批評するキャスターやコメンテイターに、一度でいいから「では、あなたは歌舞伎を見たことありますか?」と聞いてみたいものです。
きっと「日本の誇る伝統芸能だから」などと答えるでしょう。実はそこに、ボクの言いたいことが集約されているわけです。
というのも、このところ最先端のロボット研究室を取材してきたからですが、ビジネスのタネという視点では、最先端も、それとは正反対に見える伝統も、実は同じ価値を持つと考えるようになったからです。
たとえば、ボクの専門分野の一つである腕時計では、最先端ではクォーツと時報電波によって定期的な修整を行う「電波時計」が普及しつつあります。この時計は、テレビや電話サービスの時報と秒単位でピタリと一致しますから、今のところは究極といっていい精度を実現しています。
それに比べれば、ゼンマイを動力として歯車で動く伝統的な「機械式時計」は、精度の点ではクォーツと比較になりません。しかしながら、今や高級時計として認知されており、さらに、ここがポイントですが、年々進化しているのです。
これは、時計に求めるものが、もはや単に「精度」だけではなくなったということを示しています。
もっと簡単に言えば、電子機器としての時計と、機械工学で動く時計はまったく別ジャンルの製品と考えるべきでしょう。たとえば、陶磁器を食器として考えるなら、安い量産品はいくらでもあります。しかし、手づくりの陶磁器がなくなったわけではありません。
歌舞伎も同じで、テレビドラマや映画、現代劇があまたある中でもきっちり継承されてきました。日本人が見ても現代語訳や解説が必要な伝統芸能にもかかわらず、「梨園の御曹子」の結婚やケンカ沙汰が大きく報道されているわけですね。その意味では、期せずして歌舞伎に再び眼を向けさせる話題になるという側面は否定できないでしょう。
こうした伝統芸能は、外国人にも目新しく、日本の独自の文化と感じられます。つまり伝統も、やはりビジネスになるということなのです。
皇室や王室も同じことで、民主主義社会になっても存続しており、あたかも「親戚」であるかのように親近感を持つ人たちがいます。
そういう視点で日本全国を見渡していくと、それなりの歴史を持つ国ですから、いろいろな伝統や独自の文化があります。これをモノと考えるか、それともコトと考えるかで対応は違ってきますが、世界に売れると思われる伝統は決して少なくありません。
これまでは、こうした伝統や独自文化はもっぱら国内で「消費」してきました。ところが、現在はグローバリゼーション。国境という垣根がどんどん低くなり、移動手段も発達しています。伝統や独自文化にとって、まさに一世一代のビッグ・チャンスではありませんか。
国内の「消費」だけでは先細りや衰退を避けられなかった伝統分野も、グローバリゼーションを利用した「外需」によって再び大きく発展できる可能性を秘めているのです。
ただし、何でもそうですが、ただ売れるのを待っていれば自然に売れるようになるわけではありません。最先端の技術と同じように、ビジネス化、事業化していかないとダメです。それを仕掛ける人たちを「プロデューサー」とするなら、そうした人材が今こそ必要だと考えられませんか。
すでに大学の学部や大学院では、そうした人材を育成し始めているので、次回から、その一例を具体的に紹介しましょう。
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