来球必打
そろそろ時計の話題は終わりにして、いつものように教育・資格・ビジネスなどを通した人材開発系にテーマを戻します。3月下旬に開催されるバーゼルワールドの頃には、また現地からのレポートや雑感をお届けするつもりです。
でも、何で教育系なのに、ファッション系であるはずの時計も専門にしているのかという疑問を持つ人もいるでしょう。これはフリーランスなら当然といっていいことで、依頼された仕事を断るなんて滅多にできることではないからです。
中には「フリーなんだから、それこそが自由じゃないか」と言う人もいますが、ちょっと考えれば分かるように、何かの専門家になっても永続的に仕事が来るとは限りません。むしろ、会社員の皆様よりも窮屈な商売というのが現実なのです。
それはともかく、ボクの事務所に時計のムックを作らないか、というオファーを初めて受けたのは1995年の上旬頃でした。どうやら人伝てでボクの会社を知ったらしくて、ある広告会社のエラい人が話を持ってきたのです。この人がいわば企画管理のプロデューサーで広告担当も兼務。それで某出版社から出すことになったわけですね
では、ボク自身は時計のことをいくらかでも知っていたかというと、全然違います。まったくの素人で、時計なんて時間が分かればいいんだから、何で数十万円もするものが必要なんだろうと考えていました。それでもムックは作らねばならないので、それなりに勉強して、昔から時計好きというスタッフを加えて、制作することになったのです。
このプロセスで、バーゼルやらジュネーブの国際時計見本市を比較的に早期から取材するようになりました。はあ、そういう世界もあったんですか、という感じですよ。
しかし、その後、ボクは共著として2000年に『腕時計雑学ノート』をダイヤモンド社から出したりしたので、不思議な縁ではあります。けれどもね、これって教育系とまったく別分野のことではなく、ブランド戦略や産業構造、人材育成などにも大変に参考になることも少なくありません。
逆にいえば、ファッション界とは異質の人間だからこそ、分かることもあるわけです。
実は、教育関係にしても大差はなくて、会社を設立したばかりの頃にやはり大学・短大や専門学校のムックを依頼されたことが始まりです。このシリーズは10年以上続けましたから、専門的にならなきゃおかしいくらいです。
この実績を評価されてか、ダイヤモンド社の自己啓発誌『月刊エグゼクティブ』で資格やらインターネット遠隔学習、社会人の大学・大学院入学などを担当して、いくつか自分の本も出させていただきました。
こうして振り返ってみると、自分で「これだ!」とアタマから決めたことって、実はあまりないことに自分ながら驚かされます。もともと小説家志望ではありましたが、その非現実性は自分でも十分に分かっていましたからね。
だから、プロ野球では「好球必打」なんていわれますが、ボクに関しては、来たタマをひたすら打つだけの「来球必打」といえるでしょう。ヒットもあれば三振もあったでしょうが、残念ながらホームランだけはなかったような気がします。
しかしながら、どんなことでも10年以上続けていれば、普通の人なら必ず専門家になることができます。ですから、その発端が能動的で自主的か、それとも他動的なのかはあまり問題ではなく、要は「続ける」ことであり、「続けられる」ようにしていくことなんたろうと思うわけです。そのためには、いろいろな人の好意や協力も必要ですから、自分頼みでは限度があります。
これはフリーランスに限らず、どんな人でも大きな違いはないでしょう。最初から大きな理想を追求して、「オレはこれしかやらない」なんていう人が仕事を続けていくことは困難です。ごく一部の天才を除けば、来た球を打っていくのが仕事だからです。
ただし、その毎日の中で理想まで失っていくのは残念ですから、軌道修整しながらも、自分のあるべき姿や、やりたいことに近づいていく努力は必要ですよね。諦めたり、忘れてしまったら、それで終わってしまいます。
そのためには「偶然」を自分のものにしていくことが凡人にとってのコツなんだろうなと。これを前にも書いたように英語で「セレンディピティ」と言うなら、日本語で訳せば「来球必打」になるのかなあと思うわけです。
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