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2011年7月28日 (木)

旧制高校と教養教育

 

 明治初期の帝国大学は、「お雇い」などと呼ばれる外国人教授が外国語で専門教育を行っていました。前にも書いたように、日本の大学は世界でも珍しい「実学教育」でスタートしており、西洋の技術や法律などの専門家を養成していたのです。哲学や神学といった教養から始まった欧米の大学に対して、短期間に文化・文明をキャッチアップするためには、何の役にも立たないように見える教養よりも、実学が優先されたと考えられます。

 

 となれば、大学生は前述のように語学力が必要になるので、入学者はその学力を備えていなければなりません。そのために誕生したのが、旧制高校です。ところが、面白いことに旧制高校は必ずしも大学の予備教育だけをしていたわけでなく、教養も教育していたのです。「デカンショ節」がデカルト、カント、ショーペンハウエルの略であるという説も、この歌が学生歌として流行したことが背景になっています。

 

 この説の真偽は別にして、そう解釈されてきたことからも、旧制高校では語学だけでなく、哲学など「何の役にも立たない」とされる教養も広く、そして深く勉強していたことを示しています。旧制高校を卒業すれば、ほとんどが大学に入学できるという背景も寄与したと考えられます。では、大学・短大進学率が60%近くになってきた今の高校はどうなのでしょうか。

 

 現代の高校の判断基準は、どんな大学に何人が入学したかが中心となります。週刊誌なども全国の高校別の大学合格者数を発表しているくらいですから。

 そうなると当然のことですが、一般の高校では受験教育が中心になってきます。それに対して、工業高校や商業高校は専門教育が加わります。

 

 であるなら、教養はどこで身につけることになるのでしょうか。

 

 1991年に大学設置基準が大綱化されるまでは、大学の前半が一般教育(教養)、後半が専門教育となっていました。けれども、そうした縛りが大綱化によってなくなったのです。そのせいか、今では「実学重視」をスローガンとする私立大学も珍しくありません。

 

 私立大学はもとより多様性が信条ですから、いろいろな大学があっていいのです。けれども、デカルト、カント、ショーペンハウエルが哲学者であることを、文学部の哲学科以外で、どれだけの学生が知っているのかなあと思うわけですね。

 

 昔の旧制高校卒業者は、帝国大学の医学部や工学部に進む学生もいただろうし、法学部など文系への進学者もいたでしょう。要するに、文系・理系共通の教養あるいは一般知識を高校で勉強したわけです。ところが、現代の高校では、受験対策として文系・理系に分けるのが普通ですから、早期から断絶することになります。

 

 教養は、実学知識のように年を取ることはありません。「ああ、あれはこういうことを言っていたのか」と逆に深まることもあります。むしろ、教養さえあれば時代の変化に対応できるという人もいます。

 一方の専門教育にしても、大学だけで十分だといえるでしょうか。アメリカの伝統大学では、学部は教養教育、大学院で専門教育を行っているといわれます。その教養教育をリベラルアーツと呼ぶわけです。

 

 何度も言うようですが、大学や学部の理念や教育目標はいろいろあっていいのです。けれども、そのおかげで「大学とは何か」という国民的な共通認識が失われつつあるといえるでしょう。「最高学府」とはいっても、進学率が50%以上となると、高校の次に行く学校と言ったほうが早いですからね。

 

 いろいろな大学があるのだから、多様な認識や要求があるのは当然としても、やはり大学には専門学校などにはないものがなくてはいけません。さもなければ、大学とはいえないじゃないですか。

 それが教養であるとしたら、その必要性こそ、大学に対する国民的な共通認識にすべきではないかと、ボクは愚考するわけです。

 

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