医療と哲学
有料原稿の取材で、ある病院に行ってきました。ボクはまるきり素人というわけではないのですが、近年の医療、特にメディカル・エレクトロニクスの進歩には驚かざるを得ませんでした。
たとえば脳腫瘍ですけど、ボクらの世代は脳にガンなら開頭手術しか考えられません。そうなると他の神経も傷つける恐れがあるほか、よほど優れた腕の医師しかできないので、もしなったら即アウトと思い込んでいました。
ところが、現在では「ガンマナイフ」が普通に使われているんですね。これは微弱な放射線を頭の周囲の複数の箇所から照射して、ガン細胞を死滅させるという仕組みです。1本あたりの放射線量はまったく人体に影響を及ぼすレベルではないのですが、それが病変部にあちこちからピンポイントで集中照射されると、かなりの線量になります。その結果として、コバルト80によるガンマ線によってガン細胞のDNAが断ち切られ、もはや増殖できなくなるわけです。
10年ほど前は、技師の手で照射角度などを調整したそうですが、コンピュータの発達で自動化が進み、最新型では必要なデータを入力するだけで「ガンマプラン」と呼ぶ照射計画も作ってくれます。後で専門医がそれを微調整するだけなので、実に楽になりました。頭を入れる部分も大きくなったので、脳内だけでなく、下顎のあたりのガンまで治療可能といいます。照射時間も短縮されたので、日帰りだってOKなのです。
原則的には3センチ以内のガンが対象であり、やはり外科手術が必要なケースもあるので万能ではないにしても、それを切除後に大切な神経に及ぶ部分だけ照射するなど、様々に組み合わせることで、難しいガンでも治癒確率は極めて高くなったといわれます。
さらに、MRIなどの検査機器も日進月歩しており、体内の臓器や血管を立体的に再現した三次元映像を作ることができます。それによって、手術などの治療も極めて的確で精密に計画・実行できるようになりました。
どれもかなり高額な機械ですから、どんな病院にもあるわけではありませんが、日本の普及率は諸外国に比べて高いといわれます。このことから、外国人の治療ツアーが実施されたりするわけですね。この場合は観光と呼ぶのは差し支えがあるにしても、新たな国際収入源として、発展させていく可能性は大きいと思います。つまり、日本の医療は外国人を誘致できる魅力的な産業でもあるわけですね。
ただ、長生きに文句をつける気持ちはまったくありませんが、そうやって生き延びて、果たして何をするのか、ということにまるで手がつけられていないことを危惧します。
TBSのドラマ「JIN」でも、せっかく治療した兵士が再び戦いに出て殺される場面がありました。「俺たちは何のために……」と医師は呟きましたが、やがて「助けられるものなら助けるのが医者の使命ではないか」と。
まったくその通りで、医師の使命はまさしく治療にほかなりません。元気になった兵士を再び殺したのは戦争という社会の側の異変です。同じように、せっかくの長生きをどう内的に充実させるかは、ボクたちを取り巻く社会と、ボクたち自身に責任と義務があります。
生きるとは何か。生きて何をするのか、そして死とは何か。そうした哲学をそれぞれが本気で考えない限り、「死ねないから生きている」となりませんか。これほど悲しい諦念はないでしょう。
そうしたことを専門にしているのは、医学や薬学、物理学や工学など理系という実学分野ではなく、やはりに文科系なのです。しばしば「何の役にも立たない」と揶揄される文学や哲学や芸術や宗教学に、様々な考え方やヒントが含まれています。
いずれにしても、医療の高度な発達に対して、生きる哲学や死の哲学は置いてきぼりになってはいないかと感じたのです。
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