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2011年10月20日 (木)

マクロとミクロ

 昨日の続きですが、司法試験予備試験の論文式試験までの最終合格率1.9%が難関なのかという問題です。数字の上ではもちろん圧倒的な超難関であることは言うまでもありません。けれども、個人というミクロな視点で考えれば、ゼロか1かに過ぎないかもしれないとボクは思ってしまうのです。

 仮に合格率20%なら受かりやすいかというと、全体ではそうであっても、個人は別でしょう。ちゃんと勉強しなきゃダメですよね。1.9%もそれと同じで、滅茶苦茶な超難関でも、合格した人が6410人の受験者の中で123人もいたわけで、ゼロではないのです。だったら可能性はあるじゃないかと思う人もいるでしょう。

 つまり、合格率をマクロな視点で考えるのか、個人というミクロな視点で考えるかで、数字の見方なんて全然変わってくると言いたいわけです。このあたりは、全国検定振興機構のボクのブログでもうちょっと詳しく書く予定なので、そちらも参考にしてください。

 さて、ここからはマクロな話になります。

 いきなり結論を言うと、今日の欧米日の経済危機は、単なる景気循環ではなくて、資本主義が迎えた必然的な限界ではないかと、漠然と感じているのです。経済学をまともに勉強したことのない奴による、いかにも文系的な結論だと嘲笑されそうですけど、以下の事例はどうでしょうか。

 映画の情報誌「ぴあ」が廃刊となりました。これは当然過ぎることで、映画が見たいならネットで検索したほうが早いからです。ところが昔は、そんな機械も手段もなかった。それで「ぴあ」は映画好きも含めた若者から圧倒的な支持を受けました。

 この週刊誌を作るためには、様々な経費がかかります。まず、情報を集めてくる人間が必要であり、彼らは交通費を使って移動します。それによって記事を書く人間も必要なら、カメラマンも不可欠。誌面をデザインする専門職もいなければなりません。印刷の原形となる版下を製作する人材も必要。それで印刷会社が印刷して、取次という書物専門の流通会社が輸送を手配して書店に届きます。

 こういう複雑なプロセスにかかわる費用を、書店で「ぴあ」を買う人たちは少しずつ負担していたことになります。この仕事に携わる多数の人たちは、それによって収入を得て、生活費などを支払い、家族を養っていました。

 廃刊というのは、こういうプロセスと金銭の動きがゼロになることを意味しています。

 では、それを奪ったインターネットはどうか。パソコンはいろいろな用途に使用するので、コスト計算は難しいでしょうけど、少なくとも無料で「ぴあ」より多い情報を高速で入手できます。直接的な経費は映画検索の間にかかる電気代くらいでしょう。

 ここで肝心なのは、ネットのほうが明らかに雑誌より安い=経済性が高い=効率的だからこそ「ぴあ」は廃刊に至ったということです。その結果として、会社は従業者を整理解雇して、印刷会社も大きな仕事が1つなくなりました。それまでの従業者はもはや給与を得られないので転職しなければいけない。

 つまりですね、経済学者はどう考えているか分かりませんが、効率が高まれば、経済は縮小するとなりませんか。雇用はIT産業に向けて流動するじゃないかと考えるかもしれませんが、全体として高効率になれば、全体として雇用や金銭流動も小さくなるはずです。さもなければ映画の情報収集が「ぴあ」からネットへと移動するわけがない。

 もっといえば、行政のコンピュータ化が進んで高度に効率化されれば、公務員の大半は不要ということになり、何百万人が失職するでしょう。彼らの受け皿はどこに求めればいいんですかねえ。

 というわけで、テクノロジーの進歩は確かに新しい産業を勃興させますが、だからといって全体のコストを押し上げる方向に働くことはないわけです。それまでの産業が、たとえば1000人の従業者が必要とすれば、700人くらいで済むから効率的と呼ぶのではありませんか。

 もっと具体的にいえば、人間の仕事をどんどん排除していくのが、効率や高度情報化ではないか。ひらたくいえば、世の中が便利になると人間の仕事が減るなんて、皮肉としか言いようがありません。

 それを社会の「高度化」と呼ぶ人もいるようですが、その高度な仕事に就ける人数は限られています。さもなきゃ効率的と呼べません。こぼれていく人のほうが多くなるのは明らかでしょう。

 デフレだって、実は当たり前のことだろうと思います。モノを安く作れるのに、敢えて高く売ることを経済成長とは言わないでしょう。

 となれば、金銭という資本がすべてを決定する資本主義全体が迎えた、これは必然的な事態ではないかと思うのです。それでも何とか維持できたのは、世界に大きな格差があるからで、成長途上の新興国があるからです。

 こんなことはきっとすでに予想されていたことでしょうね。

 効率化によるもう一つの結果として、富が個人なり会社にどんどん偏在していきますが、この富は1人で使い切るなんてことはできないので、金融市場に流れていきます。そこでは利回りがモノを言うので、成熟した先進国ではなく、高い成長率=利率の高い振興市場に流れていく。けれども、結局はそこで同じことが繰り返されるに過ぎません。

 となるとボクたちは、おカネそれ自体がどこかに集中することを手助けしているだけで、社会や個人の豊かさに貢献なんてまるでしていないことになります。そこに回るおカネは単に「おこぼれ」なのではないか。

 経済成長に依存する社会モデルは、資源の有限ということもあって、どう考えたっていつか限界にくるのではないかと思うんですけどね。それよりも、社会の軸をおカネ=資本から何か別のものに変えておく必要があると、重ねてボクは愚考するのです。

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