会議無用論
独立する前に、勉強だと思ってほんの半年だけ、ある編集プロダクションに籍を置いていたことがあります。その会社の社長は「カネを払う側が一番エラいんだ」というミもフタもない現実意識を持った人で、泣かされた人もいると後年になって知りましたが、それだけに大変にドライな考え方を持っていました。
ある時に大型の企画を短期にまとめろと指示されたので、「これはボク1人では無理でしょう。スタッフを集めてミーティングをやった方がいい」と提案しました。どんな会社でも、普通はそうするじゃないですか。
けれども彼は「時間の無駄だよ」として、「今のスタッフでまともなアイデアを出せる奴がいると思うか。キミが1人でやれ」と言うのです。ちなみに、ボクはこの頃32歳前後だったかな。
そういえば前の会社の定例企画会議でもほとんど挙手がなかったからなあと思い出しながら、仕方ないので1人でシコシコと企画書を作りました。おかげで、社長ならもう少し社員を信用すべきだという反面で、ボクの中にあった「会議期待主義」みたいな常識もほぼ破砕されたのです。人をいくら集めても「文殊の知恵」が生まれるとは限りませんから。「合意形成」だけは可能ですけどね。
そんなことをはからずも思い出したのは、先週の日本経済新聞に元東京大学総長でフランス文学者の蓮實重彦氏が「会議無用論」を書いていたからです。日本では何かというと委員会を作ったり会議を行うが、それ自体が責任からの免罪符となって、結局は何の役にも立っていないという意見だったと思います。何で今ごろこんなことを、という裏読みをしたくなりますが、ここでは控えておきます。
だったらこうすべきという対案がほとんど見当たらなかったので、ボクとしては残尿感みたいなものが残る意見でしたが、趣旨はまあまあ理解できました。実際に、原発事故の後で当時の菅首相は沢山の「本部」や「会議」を立ち上げましたが、議論の内容すらロクに記録されていないといわれますからね。
一口に会議といっても、ブレーンストーミングに近いものから報告会やら前述の合意形成まであるので一概には言えないでしょう。また、会議の進行方法によっても結論は違ってくるはずですが、ボクの乏しい体験に限れば、有用だったと思い出せる会議はほとんどありません。
ならば、少人数のプロジェクトチームにして、責任と権限と義務をまとめてドンと委譲したほうが早い。この場合は人選がポイントになってきて、これがまた難しいんですけどね。
いずれにしても、会議が多ければ多いほど、参加者の実務に携わる物理的な時間は必然的に減少していきますから、とにかく会議を減らせという蓮實論には賛同できます。
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