紙の本の未来
電子書籍がいよいよ本格化しそうな気配を見せています。何しろボクが書いた本の電子化承諾依頼がやってきたほどですから、これからはキンドルやiPadなどの「板」、じゃなかったタブレット端末で本を読むことが普通になっていくのでしょう。
紙を大量消費する本づくりより自然に優しいのはもちろん、印刷というプロセス自体をカットできることで、制作費も大幅に削減できますから、出版という産業構造自体もこれから大きく変わっていくはずです。それがボクのようなモノカキにどんな影響を与えるのかはまだ予想できないまでも、すでに新聞も含めた紙メディアへの広告量はかなり減少したといわれます。
このことから、広告料依存型の豪華大判デカ厚雑誌はすでに旧世代のビジネスモデルと見做されており、廃刊が続いた時期もありました。
それより以前から、紙の本に対する意識も変わってきたようです。あるアルバイトの女性が、ぶ厚い文庫本をバキリと割った半分を会社に持参して読んでいたのを見て、びっくりしたことがあります。紙の本を神格化してきたボクの世代には考えられないことです。
さらには、その作家もそのような読まれ方を意識しており、文章が次のページにまたがらないようにしていると聞いて、二重に驚ろかされました。
要するに、出版物は端的に言えば大量生産されたコピー商品なのですから、そこに過剰な付加価値を見いだしてきたボクたちのほうがサイコだったのかもしれません。
実はボク自身も、書物を壊さないまでも、二度読むような本は希有です。それを抱え込むのは経済的に不合理ですから、10年ほど前に大量の本や雑誌を思いきってブックオフに売ってしまいました。確か段ボール箱で15個くらいだったかな。
このように説明すると、本や雑誌の電子化はどんどん進んでいくように思えますが、決してそうではないという確固たる実例をボクは知っています。おそらく多くの本は電子書籍として登場するでしょうが、紙の書物も絶対に残るはずです。
というのも、時計業界では1969年に高精度のクォーツが登場して、ゼンマイと歯車で動く機械式時計が絶滅寸前になりました。初期のクォーツは高価でしたが、量産可能なことからすぐに安価となって世界に普及したからです。
テクノロジーは後戻りを許さないため、安価で高精度なクォーツがやがて機械式時計を完全駆逐すると見られていたのですが、現実を見ていただければ分かるように決してそうではないんですね。
世界では1980年代後半から、日本でも1990年代初頭あたりから、機械式時計は劇的に復活しました。アンティーク時計から人気に火がついたなど諸説ありますが、要するに機械式時計は高級品という新たなステイタスを得て市場に返り咲いたのです。
たとえば航空機がジェットからプロペラに戻ることはなく、エアコンが扇風機に再び取って替わることはなくても(補助としてはあり得ても)、人間の生活や生身に密着した機械やモノは必ずしも逆戻りのない一方通行で進化していくわけではありません。
このあたりは有料原稿とバッティングするので省略しますが、紙の本だって機械式時計と同じようにならないとは誰にもいえないわけですね。
ただし、どんな本でも紙で生き残るのかといえば、もちろんそうではありません。情報集約型ガイドブック、ハウツーや実用書、それに一回読めば十分というタイトル頼りの話題本とか底の浅い自己啓発本は、コストと実売の関係から紙で製本したらペイできないはずです。
要するに、電子書籍に比べて高価でも、紙の本として身近に長く置いておきたい魅力を備えた内容でなければ、売れるはずがありません。では、そうした本を、出版業界はこれまでどれだけ作ってきたのかという反省も必要でしょうね。
ここから先は企画・編集だけでなく、流通などの問題も含めて長くなるので省略します。ただ、「すぐに役立つ知識や情報は、すぐに古びてしまう」という言葉が、重要なヒントになるだろうとボクは考えています。
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