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2013年3月15日 (金)

大学教育と「スキル」

 

 こんなブログではとても説明できないくらい深くて難しい問題なのですが、もしかすると日本の学校と先生たちは、ある時期から「スキル」という言葉が大嫌いになったのではないかという疑念を抱くようになりました。

 

 この「スキル」の対義語を考えると、どうやら「教養」になりそうですが、そちらも定義は百家争鳴で何が何だかという印象は拭えません。それに、これは後のネタバレになっちゃいますが、優れた「教養」は「スキル」の要素も含まれてはいないでしょうか。たとえば統計学や確率などはギャンブルからビジネス(ORなど)まで広く応用されています。数学は高度なスキルであって、教養や専門教育ではないというなら別ですけどね。

 

 なぜ、こんな話に至ったかというと、例によって秋田の国際教養大学や金沢工業大学の就職率はなぜ高いのかという疑問からです。まだ学部は実際に取材したことがないので、パンフレットなどからの推測ですけど、前者は英語をつかいこなせる人材を育成しています。文法や語彙だけに習熟しているのでなく、外国人の前でも英語でプレゼンできる「スキル」を身に付けているのです。

 後者にしても、ポートフォリオで学生の能力を厳しく管理しており、PDCAも含めて、エンジニアとしての「スキル」部分に強いこだわりがあるように感じられます。

 

 こうした教育が大学らしいかどうかは別にして(スキル重視の教育を専門学校ではないかと批判する人もいます)、これらの大学がいつも話題になり、圧倒的に目立つのはなぜでしょうか。

 

 このブログで何度も指摘してきたように、せいぜい2年程度の専門教育なんて、企業は信用してこなかった。だから、就活段階では学部不問が常識であり、企業から見れば大学教育に期待するのは教養となったのですが、そうなればなったで、他大学と差別化しにくくなってきます。それを後押しするように1991年に大学設置基準が大綱化されたので、雰囲気は一気に専門教育に傾斜。国立大学のほとんどが教養部を廃止してしまいました。

 

 だからといって、専門教育が「スキル」を指向したわけでもないことが注目すべきポイントです。特に文系の専門教育なんてほんの入口レベルですから、会社に入ってから研修やらOJTによって元学生をちゃんとした会社員に仕立てていかなきゃいけない。

 大学の出口で失敗して非正規雇用になると、そうした会社員としてのスキルを学ぶ機会を喪失してしまうので、正社員採用が絶望的に遠のくという仕組みになっているのです。

 

 このように学生は、卒業時点で他者と差別化できる「スキル」を持ち得ていないとすれば、企業側も出身大学の偏差値やブランド力、それにコミュニケーション能力やキャリア・マインドといった大変に比較しにくいもので選抜しなければならない。だったら、最初から特定の大学をターゲットにしたほうが手早いというのは当然です。

 そして、明確な「スキル」をトレーニングしていると思われる前述の大学の就職率が高くなるのも納得できるではありませんか。

 

 しかしながら、コトここに及んでも「スキル」という言葉を嫌悪している先生たちもいるはずです。確かに「すぐ役に立つ知識や技能は、すぐに古びる」ことは否定できません。それに比べれば、2600年ほど前に生まれた孔子の論語なんて今でも崇拝者がいますからね。

 

 しかしながら、前述したように「スキル」にもなる専門教育や教養もあるはずです。それ以前に、もともと教養は「スキル」の一種ではなかったのかとボクは思うのです。そうなると「スキル」という言葉の凡庸極まりない解釈が、教養教育を神学論的なところに追いやり、それをアカデミズムとする風潮を作ったのではないかとすら思えるのです。

 

 ボクが言いたいのは、それで迷惑を被るのは先生ではなく、学生自身にほかならないということです。「せっかく大学を出ても、こんなことさえできないのか」と呆れられるのは彼らなのです。それを学生の能力や勉強不足のせいだけにしていいのでしょうか。

 もとより国立大学は別として、私立大学は限りなく多様であるべきだとボクは考えています。だから思い切り世間離れした僧院のような大学すらあっていい。それでも、敢えてカギ括弧を付けてきた「スキル」に関する教育は不要ということにはならないと思うのです。

 かのメンデルだって修道院の司祭だったじゃないですか。遺伝の法則は、まさに交配を繰り返す実験という「スキル」を通して発見されました。そしてそれは、文系理系という区分のなかった当時は教養と呼ばれていた思考方法や知識の中にあったはずです。

 

 高校までの教育の「仕上がり」は学力だけで判定されてきました。だから大学もそれと同じ指標でいいと考えるのは、明らかに手抜きではないでしょうか。かといって「学士力」というのも分かったようで分かりません。ならば文系理系ともに「スキル」の意味をきちんと見直すべき段階にきているのではないかと思うのです。

 

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