人間性
いわゆる「グローバル人材」を英語が上手な人と考えている人はまさかいませんよね。たとえば日本人を「日本語を話せる人」と定義するようなもので、決して必要十分な条件とはいえないわけです。
かといって、突き詰めていけば、あれもこれもとおよそ不可能な要素が出てきたりして、そんな上等な人材がそんじゃそこらにいるはずがないというオチになってしまいます。
でね、ボクなんかがいろいろな取材を通して見えてきたのは、つまるところ「人間性」なのかなと。これは自分の側から考えると分かりやすいのですが、外国からやってきたビジネスマンがいるとして、彼をどう見るかということです。言っていることや行動から判断すると、どうも自分のことしか考えない個人主義な奴らしい、であるなら適当に協力するだけにしておこうとなりますよね。その反面で、何だか日本人のような浪花節的なところがある奴と分かれば、ちょっと本気で付き合ってやろうかとか。
それと同じようなことを外国人も日本人に対して考えるわけです。そうなると、語学の習熟度なんて実はまったく関係なくて、要するに「こいつはどういう奴なのか」つまり「人間性」が大切な要素になってくるのです。
たとえば先般の大阪市長による慰安婦発言なども、内容の是非以前にそうした「人間性」が見えてきました。以下はアバウトなボクなりのまとめなので正確な引用ではありませんが、自分の発言が予想に反して世論から否定されると「大誤報をやられちゃった」とマスコミの責任にしてしまう。でもって記者から「ならば客観的な根拠のある話をしてください」と要請されると、「そっちには校閲部隊がいるけど、こちらはたった1人だからそんなの無理」ということで「じゃあ、ぶら下がりはもうやめましょうか」と恫喝する。番記者はメシの食い上げとなるじゃないですか。にもかかわらず、翌日には軽くそれを撤回ですからね。
歴史的な事象に関する評価や考え方は人によって違うし、それぞれの意見や思想は尊重されなくてはなりません。しかし、こうした一連の発言からは、どうも彼は良いことは自分のせいで、いけないことはすべて他人のせいにする人だなぁという印象を拭い得ないのです。
ボクたちから遠いところにいるタレントや市長ならまだしも、こういう人と一緒に仕事をしたいと考える人はあんまりいないんじゃないかなぁ。あなたが外国人だとして、この大阪市長が仮に英語が上手だからといってパートナーとして信頼するでしょうか。
そして、この「人間性」は短期間に教育や学習ができるものではなく、ましてやTOEICやTOEFLのような数字で判断できる検定試験もありません。けれども、これからは「なぁなぁ」の日本流が通じない連中がライバルになり、あるいは一緒に仕事をしていかねばならない。その時にこうした「人間性」が丸裸にされるわけで、そういう準備と覚悟は大丈夫ですかと問われているわけですね。
ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓
« 最小限の努力で最大の効果? | トップページ | 法曹養成制度検討会議 »
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- ファクターXという幻想(2021.04.09)
- 東京タワー(2021.04.08)
- ワードとエクセル(2021.04.07)
- マイナンバーカード(2021.04.06)
- ライブ再開(2021.04.05)
「経済・政治・国際」カテゴリの記事
「ビジネス・キャリアアップ」カテゴリの記事
- ノーリスク・ハイリターン(2021.03.22)
- 人相(2021.01.26)
- バランス(2020.10.09)
- 満点主義の減速(2020.09.30)
- もう「パイプ」は不要(2020.07.30)