管理という専門職
ようやく全日本柔道連盟の会長が責任を取って辞職するようです。内閣府から辞任勧告を受けたことが大きな理由になったらしく、「何が悪かったのか立ち止まって考えたい。これを契機にいい方向に向かって欲しい」(本日付け日本経済新聞朝刊)と語ったというのですから、ご本人はあまり反省しているとは思えませんけどね。
こうしたスポーツ団体の不祥事は柔道だけでなく、直近ではプロ野球の飛ぶんだか飛ばないんだかのボール問題とコミッショナーの「知らなかった」発言とか、相撲における体罰死などキリがありません。
つい先日、たまたまスポーツ健康科学系の大学院を取材した時も教授との話題になったのですが、日本のスポーツ組織の運営はアメリカから軽く10年以上は遅れているようです。
健康科学という観点でも、スポーツの練習中に水が飲める、というより、飲まないと熱中症なんかで死ぬかもしれないと周知徹底されるようになったのはつい最近のことですもんね。このブログですでに指摘したように、だからといってコーチや指導者から「今までは間違っていました。ごめんなさい」という謝罪を聞いた人がいますか? つまりは、みんなが「自分もそのように教えられたから」と責任なんて感じていなかったわけで、ウサギ跳びも含めて、そうした経験則の盲信に大きな間違いの温床があることにそろそろ気づくべきではないでしょうか。
コーチもスポーツ団体の幹部も、現役時代に良い成績を残した選手がなるのが普通ですよね。これは企業の幹部や官僚の天下りなんかも同じで、さもなければ指導や運営に対して現役選手などからのリスペクトが得られないという理屈でしょう。けれども、その弊害として「俺はこうしてこうなったんだぞ」という経験則まで継承されていくわけです。まぁ、それもエビデンスといえば確かにエビデンスですけど、なぜ・どうして・どのようにという理由やプロセスが科学的に解明されていなければ、他の人にも普遍的に通用するとはいえません。
当たり前のことですが、要するに練習や指導に関してはスポーツ科学から方法論が開発されなきゃいけないのです。同じように、スポーツの団体や組織も、管理・運営という社会科学に基づいたマネジメントが必要ですよね。
しかしながら、理事長など幹部になった人たちにそうした勉強を体系的にやった経験があるのでしょうか。ごく一部の天才を除けば、スポーツの練習しかやったことがないのに、その経験だけで組織を管理・運営できるはずがありません。
もうそろそろ分かっていただけると思いますが、コーチも監督も組織の幹部も、これまでは名選手の「あがり」の職だったのです。それが選手とはまったく異なる専門職であることがきちんと理解されていない。これはビジネスだって同じで、優秀なセールスマンだからといってチームリーダーにふさわしいといえるはずがないですよね。そのことを「名選手必ずしも名監督ならず」と言うのです。
そうした職能の違いに敏感なのは、やはり悔しいけどアメリカなんですよね。だからこそMBAとかマネジメントやコーチングなどが発達してきたわけで、日本だって引退した人のための名誉職をもう作ってはいけない。その功労には別の形で報いるべきでしょう。
もちろん業界に残っても悪くはないのですが、そのためには新たな勉強が絶対的に必要であることを徹底すべきではないでしょうか。実際に意識的な元アスリートやプロスポーツマンは大学院に入学して、そうした専門的な勉強をしています。にもかかわらず彼らが積極的に起用されているように思えないのは、〝経験則ワールド〟の恐るべき旧弊だろうとボクは見ています。もうやめようよ、こんな非科学的で不勉強な姿勢は。
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