笠木恵司の主な著書

  • キャリア・チャレンジ2009-2010
  • 資格試験合格後の本
  • 学費免除・奨学金で行く大学・大学院進学・休学・留学ガイド
  • 価値ある資格厳選200
  • インターネットでMBA・修士号を取る
  • 腕時計雑学ノート
  • 「国際標準」ビジネス資格完全ガイドブック
  • 日本で学べるアメリカ大学遠隔学習プログラム
  • テレビ局完全就職マニュアル
  • 資格の達人
  • MBA入学ガイドブック
  • 学んで! 遊んで! 役に立つ! インターネットキャンパス
  • 日本で学べるアメリカ大学通信教育ガイド

お気に召したら、ポチっと↓

  • 笠木恵司のブログ

福助くん その6

  • D_p1000397_s
    福助くん、9歳の秋です。 ちょっと長めの散歩をして、世田谷公園へ。 紅葉と福助をご覧くださいまし。

福助くん その5

  • 赤いサルビア♪
    2010年秋の福助くん。とある週末に埼玉県所沢市にある航空公園に行ってきました!

福助くん その4

  • 1 毎年恒例の・・・
    今さらですが、今年の花見の福助くん。ご近所の目黒川に行ってきました。

福助くん その3

  • 1 田舎に行ってきました!
    飼い主の田舎に行ってきた福助。うららかな春を迎えた大自然のなかで、いつもと違った表情に。

福助くん その2

  • 定位置
    平日は会社にいる福助。こんな感じの毎日です。

福助くん その1

  • 5djustice3f5d5575e032a1
    笠木の飼い犬。甘えん坊でちゃっかり屋の8歳。雄。

« 予想的中! | トップページ | 優しい? »

2013年11月13日 (水)

エッセイと入試改革

 

 タイトルは忘れましたが、アメリカのテレビドラマで、彼氏がどうやら彼女の日記をのぞき見たという話題で恋人同士の会話を聞いたことがあります。ウロ覚えですから間違ったらごめんなさいということで紹介すると、以下のようになります。

 

「ダイアリーDiaryなんて見てないよ。メモランダムMemorandumは見たけど」

「失礼ね。しかも、あれはDiaryじゃないわ」

「じゃあ何だっていうのさ」

「ジャーナルJournalよ」

 

 英語に疎いボクは何が何だかです。取りあえずMemorandumはメモでいいとしても、DiaryJournalはどちらも辞典では「日記」となっており、この会話のニュアンスがさっぱり分かりません。ちょっと詳しい英和辞典では、Journalのほうが「文学的」と補足されています。すると、エッセイEssayのようなものかなと、またしても苦手な英単語が追加されたわけです。

 

 では、エッセイとは何か。世の中にはエッセイストやコラムニスト(またもやColumnという類語の追加です)という肩書きもあるので、そうした人たちに定義や理念を聞いたほうが早いのですが、ボク自身のことに限っていえば「そんなおこがましい名称は」という遠慮から、「雑文書き」と説明したこともあります。

 

 しかし、そんな専門職があるとすれば、エッセイやコラムは「文学的な日記」よりも高度なのでしょうか。文芸的な技術レベルで評価すると、

Essay=Column>Journal>Diary>Memorandum

 という位置付けになるのでしょうかねぇ。するとですね、ボクのブログはいったいどのあたりになるのか、なんてことを考えちゃったりもするわけです。

 

 こんな混交した文章が可能なのは、何よりも日本語にカタカナが存在するからです。外来語を取りあえず無理して訳さないでも、このようにカタカナにするだけで文章に落とし込んでいけますからね。福沢諭吉の頃はエコノミーを経済などと一生懸命に英語を漢語に訳していましたが、いつの間にかそんな余裕がなくなったらしく、現在ではマネジメントとかマーケティングとか、英語のまんまという言葉が少なくありません。

 おかげさまで「これからはハイタッチなパーソナル・マーケティングが必要。それを可能にするのがネットワーク・マネジメントです」という分かったような分からないような会話もできなくはないのです。「それで結局、ボトルネックはどこよ」なんてね。

 

 それでも「どこの国のご出身ですか?」と訊かれないで済むのは、カタカナの融通無碍な特性であり、そのまま発音しても外国人には絶対に聞き取れない新語が日々増殖し、すぐに「マーケ」「コンサル」などと短縮化され、やがて消えてしまう言葉も少なくないわけですね。

 

 しかしながら、かつて洋画は「ハイ・ヌーン」という原題を『真昼の決闘』、「ザ・ロンゲスト・デイ」を『史上最大の作戦』にするなど、風情のある日本語タイトルが考案されていました。それが近頃は『リバー・ランズ・スルー・イット』ですからね。あまりにもそのまんま過ぎて、意味が分かる人がどれだけいたでしょうか。ボクなら「それでも河は流れる」とか訳すかなぁ。映画を見ていないので分かりませんけど。

 

 おっと、それで何が言いたかったかというと、大学の入試改革なのです。一発試験では本当の実力や人柄や、特に創造性が判断できないので、長期的で複数回やる「達成度テスト」の導入が検討されているようですが、1110日付けの日本経済新聞「大学は変われるか」を読んで、はからずも大笑いしてしまいました。以下は、カリフォルニア大学バークレー校の入試担当の談話です。

 

「我々は共通試験の結果や課外活動の経験、そして大学にどんな貢献ができるかを判断する。エッセイを数分読めばどんな学生かわかる」

 

 ほらね、エッセイつながりじゃないですか。ただ、この場合は小論文と訳したほうが適切かもしれません。共通試験というのはSAT(大学進学適性試験)のことでしょう。内容や手法は違いますが、その目的は共通一次やセンター試験みたいなものです。けれども、この文脈のキモがそんな共通試験にはないことは誰だって分かりますよね。
 SATはあくまでも基礎学力の確認に過ぎません。合否の決定的な要素はエッセイであり、それを読めば欲しい学生かどうかすぐに分かるというところがポイントです。なぜならアメリカの大学は「学習環境や文化、得意な学問分野が異なるからだ」とハーバード大学ビジネススクールの吉野洋太郎名誉教授は指摘しています。

 

 分かりやすいように新聞記事の順序を敢えて逆にして引用しましたが、要するに、手間と時間と費用のかかる入試改革がまたぞろ必要なのかということなのです。ちゃんと入学希望者のエッセイを読める教授や試験官を揃えればいいってことになりませんか。受験者が殺到するとさすがに処理に時間がかかるので、締め切りを地域別に分けて段階的にするとか、わざわざ入試を改革しなくても、制度的な工夫だけで凌げるではありませんか。

 

 そのために必要なのは、エッセイに対する明確な判断基準です。それこそが大学の個性や教育理念を問うものではないでしょうか。たとえば「当大学は研究重視なので深い思考力を持つ若者」とか「優秀な会社員を育成する大学なので何よりも就業基礎力」とかね。

 

 つまり、そのあたりが諸外国の大学に比べると横並びで幕の内弁当になっており、思い切った個性化に踏み切ってこなかった。だからこそ偏差値が重視されてきたわけで、この問題を再び入試のあり方にすり替えるものとしかボクには思えないのですけどね。

 特に私立大学はもっともっと個性化することで、今では評判の良くないAO入試に厳密なクライテリアCriteriaを導入すれば、その選抜機能は十分に復活可能だと思います。もちろん大学にもよりますけどね。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

 

 

 

 

« 予想的中! | トップページ | 優しい? »

映画・テレビ」カテゴリの記事

教育・学校」カテゴリの記事

*禁・無断転載

  • このブログ内に掲載されているすべての文章、画像の無断転載、転用を禁止します。他のウェブサイトなどへの転載を希望する場合は、必ず著者へご一報ください。
2019年6月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            

Amazonウィジェット

無料ブログはココログ