靴磨き喫茶
2004年に亡くなった中島らも氏の著作に一時期ハマったことがあり、その内容を時々ふいに思い出して、鼻から息を小刻みに出す含み笑いをすることがあります。こうした本のほとんどはブック・オフに売り払ったのでまったく残っていませんけどね。
この処分を行った時の判断基準は「資料性」でした。後で参照や引用する可能性に乏しい本を後生大事に保管するなんてスペースが勿体ないじゃないですか。事務所の維持経費すべてをひっくるめて面積で割り算すると、書棚に立てた単行本一冊あたりで月に250円となり、年間換算では何と3000円にもなります。そんな経費をかけてまで蔵書する価値があるかどうかってことです。
おおっと、この数字は真に受けないでくださいね。あくまで例えばってことで、テキトーに作ってみただけですから。マジで計算してもきっと興味深いので、ヒマな人はやってみてください。
では、そのような厳正な判断基準をクリアして残った本を再読することがあったかというと、せいぜい10%程度でした。どうやら資料性ということをボクはデータ=数字とか理論あるいはノンフィクションとして、およそ文学的な読み物なんぞに存在しないと思い込んでいたのです。分かる人は分かると思いますが、それって明らかに違うんですけどね。この話を続けると長くなるので取りあえず強制終了します。
話を戻すと、中島らも氏の本でボクがすぐに思い出すのは「アホの素」です。文学的に素晴らしい作品は数多くあるのですが、これが何とも笑えたので仕方ありません。以下はボクの中に残っていたアバウトな記憶です。
関西人はアホといわれるが、なぜこんなにアホなのかと有志が集まって真剣に討論した結果、「どうやら水ではないか」となりました。その当時はミネラルウォーターが今ほど普及していなかったので、みんなが共通に口にするものといえば水道の水しかなかったのです。それで、関西地域の水源である淀川をたどって行くと、あるダムに到着しました。そこで誰かがダムに湛えられた水に何かを入れているところに遭遇するわけです。「その場面がこれです」と紹介された写真には、大きなポリタンクを傾けている男が驚いて振り向いたところが映っていました。そして、そのポリタンクには「アホの素」と書かれていたのです。
こいつが「アホの素」を水源に混入していたから関西人はみんなアホになったなんて、こんなバカな、いやアホなことをわざわざ写真まで撮って文章にするというメンタリティに感心しました。東京の人なら絶対にしないでしょうね。
もう一つ、「靴磨き喫茶」というのがあります。何も含みはなく、コーヒーを飲んでいる間に靴も磨いてくれるという喫茶店です。まぁ確かに便利ではあっても、実に奇妙な組み合わせではありませんか。その店主が土砂降りの雨の中を外出した時に、急にコーヒーが飲みたくなって喫茶店に入り、「ついでに靴も磨いてくれるといいな」と思ったことがきっかけだというのです。
この喫茶店は大阪でも繁華街にあったので、店主の奥さんが「こんなことしなきゃもっとお客さんが入るのに」と嘆くセリフで終わっていたと思います。
こういうアホバカ極まりないナンセンスも、実は資料性がなくもないのだということを言いたかったわけです。目的事大主義、最新情報や価値事大主義っていうんですかねぇ、そういう社会って本当はつまらんのですよ。
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