快感原理
昨日のブログについて誤解のないように再度説明すると、ボクはQCやTQCなどに反対しているわけではありません。それによって製品の質や完成度が高まることは消費者にとって利益になるほか、指示されたことだけを機械のようにこなすよりも、自分の仕事に責任を持って様々な工夫や改善を考えたほうが楽しいですよね。
その一方で人間は怠惰が好きな保守的な生き物ですから、アタマを使う意欲を刺激するには、その目的と成果に関する認識と信念を持たなきゃいけません。多数の人がいれば、どんなことでも反対する人は必ず出てくるので、そうした芽を潰しておかないと全体の足並みが揃わない、つまり総合的あるいは相乗的な効果が期待できなくなります。何よりも「みんながやっている」ということが、他律的ではあれ信念になり得ますからね。
となれば、何かを「信じる」または「信じてもらう」ことが第一に必要になるので、それにふさわしい理念や信念を浸透させていかなきゃいけない。そのプロセスでは、どうしても言葉による「洗脳」的なことは欠かせないじゃないですかと説明したのです。
子供たちに勉強させるのも似たようなもので、「こんなことを覚えても社会に出てホントに役に立つのか」と必ず問いかけられるはずです。そこで「勉強して良い学校に入れば給料の良い安定した大企業に入れるからトクして楽に一生を過ごせるぞぉ」などと親は説明してきました。子供が素直にそれを信じれば「洗脳」ともいえそうですよね。ただし、その理屈は現代では通じにくくなってきたので、子供たちに勉強を促す新しい論理が必要になってきました。しかし、全国的な共通認識に至るような内容をボクはまだ聞いたことがありません。
自分のためだけでなく、他の人のために何かするという利他的な奉仕行動も同様に、何かの理念や信念がないとできるわけがありません。マザー・テレサのようになるにはやっぱキリスト教への深い信仰かなってことです。ちなみにですけど、ボクの乏しい経験では、そうした信念や理念を強固に持つ人ほど勉強や行動力にも優れているんですよね。
でね、こうしたことをつらつら考えていくと「快感原理」につきあたるのです。一言でいえば、人間はイヤなことを無理して続けることはできないということです。強制したところで能率や製品の質は必ず低下するでしょう。
しかしながら、セックスの快感は局部ではなく実は大脳で感じると言われるように、快感というのは脳内で得られるものが本質なんですよね。その意味では、たとえば僧侶の過酷な修行は精神的な快感が伴っているのではないかと。女性のお産にしても、あれだけ痛くて苦しいというなら、とっくに人類は滅びているはずなのに、まだ継続しています。ということは、ボクは男なのでよく分かりませんが、代々に渡って隠されてきた女子秘伝の快感があるんじゃないかとも睨んでいるのです。
そんな冗談はさておき、要するに「気持ち良くなる」方法は多彩で多様なのですから、マネジメントだろうがマーケティングにしても、そうした「快感」のツボを押すことがすべてのカギになるといっていい。それがボクの考える「快感原理」なわけです。
とすれば、いわゆるブラック企業はやり方を完全に間違えているわけで、極端にいえば「仕事が楽しいから残業や休日出勤も苦にならない」と思わせるような快感を会社という環境や仕事の中にこしらえればいいのです。それも一過性ではないヤツね。ボクはかつてそんな会社が実在したことを知っているので、それほど難しい課題ではないと思いますよ。
えっ、その会社はどこだって? それをここで教えると、調べて見つけ出す快感を損ねてしまうことになるので、謹んで遠慮いたします。
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