衒学的
記事を書く関係で、アトレの有隣堂で建築系の資料になる本を探したのですが、いやはやどれもこれも何が言いたいのかワケが分からない難解な文章ばっかりで、常に分かりやすさを要求されてきた職業的なモノカキとして猛然と腹が立ってきました。取りあえず税抜き1800円の本を購入しましたが、これがまたダメ本でございまして、このように打ち込むだけで、うわああああ損しちまったと手が震えるくらいの怒りなのです(ちょっと大げさかな)。
建築系の書物に限らず、ITやパソコン系も分かりにくさは似たようなレベルなのですが、こちらは今さら日本語に訳せない英語や専門用語を使わざるを得ないので、いささか情状酌量の余地はあるわけです。たとえばマウスをネズミなんて訳したってちっとも分かりやすくなりませんよね。クリックだって、カチカチなんていうより、やっぱクリックとして覚えるしかないじゃないですか。そういう専門用語が多い分野であることは認めなきゃいけません。
はい、ボクは何でも日本語にしろというほど頭は固くありませんから。
でもね、建築系であるなら、日本にはこれまで家がなかったというわけではありませんよね。アジア特有の柱構造が鉄筋コンクリート造のビルづくりの基本になっていることくらいはボクだって知っています。それに「住宅は住むための機械」なんてコルビュジエが言ったように、ボクたちが生活する場でもあるのですから、それを分かりやすく説明や解説ができなくてどうするってボクなんかは思うわけです。
にもかかわらず、やたらと専門用語を使って、わざと難解に表現しているのではないかと疑われる文章がゴロゴロあるんですよね。簡単で分かりやすいと、もしかすると学問的価値を毀損するのですかと訊きたくなるくらいです。もしそうなら、その程度の学問的価値しかないわけで、形容や表現方法ではなくて、内容のほうを本として売るのが著者としての良心じゃないかって、本当に腹ワタが煮えくりかえる思いなのです。
もちろん、単純に分かりやすければいいなんてことは言いません。前にも書いたように、言葉にはそれが成立した歴史や哲学や思考経過なども内包しているので、それなりに勉強を積み重ねないとワケが分からない文章があってもいいのです。
だけどね、ボクが読んだ限りでは、そうした理由ではなくて、むしろ「衒学的」な表現が多いんだよなぁ。これは英語でペダンチックと言いますが、国語の辞書では「学問・知識をひけらかすさま」と説明されています。つまり、「どうだぁ俺はこんなに言葉を知っているから頭がすっごく良くて深い見識もあるからね」と言わんばかりの文章が目立つのです。言っときますが、そんなのは少なくともボクにはバレバレですから。
それに、そうした低レベルの衒学的な文章が増えると、真似する連中が増えるだけでなく、本もますます売れなくなります。実際に、ボクにとってはネットのほうが参考になりました。こんなことでいいのかよと強く警告させていただきます。
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