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2014年7月15日 (火)

どんな試験もザルである

 

 いわゆるアタマのいい人は子供の頃から筆記試験で高得点を取ってきたせいか、それが誇りの源となって、試験の意味や機能に根本的な疑問を持つことができないように感じます。

 

 たとえば子供の頃の成績は家庭環境に大きく影響されます。安定した収入で穏やかな家庭なら子供も落ち着いて勉強できますが、貧しいために夫婦喧嘩が絶えないという家庭の子供が自宅でしっかりと勉強できるでしょうか。そんな生活が続けば、どんなに才能ある子供でも試験の成績は低下していくのが普通です。

 

 さらに、現代では学力向上に学習塾は必要不可欠ですから、その学費に関わる親の財力が子供の成績を左右することになります。東大生の親の年収が高いことは広く知られるようになりましたが、特に大学受験はそれまでの家庭環境の総括という色彩も強いわけです。

 だからといってボクは入試を否定するわけではありません。ただし、合格者はすべてが自分の実力であるかのように錯覚することが少なくないのです。

 

 こうした背景を考えれば、大学入学選抜におけるAO入試の導入は画期的な改革だったとボクは評価しています。学科の筆記試験ではなく、志望理由書や面接、小論文などによる人物重視の選抜だって「あっていい」方法だと思うからです。

 

 ところが、AO入試の入学者の退学率は15.5%と一般入試入学者に比べて3倍近くの高率であることが読売新聞社の調査で明らかになりました。以前からAO入試による入学者の学力に疑問を呈する意見は少なくなく、これを受けて廃止した国立大学もあるので、この調査をもとにAO入試への逆風はもっと強くなるでしょうね。

 

 学生集めを優先した青田買い的なAO入試も確かにありますが、この退学率については必ずしも学力の問題だけではないと思います。某有名大学卒業者から、誰もそんなことを訊いてもいないのに「ボクはAOなので」と言われたことがあるからです。外部から見ればどうでもいいことですが、もしかすると学内では格差があるのかなと感じたのです。もしも学内でAO合格者が一般入試合格者より下位に見られているとすれば、次第に居心地が悪くなって退学しようかなと考えるのも不思議ではありませんよね。

 

 このことは司法試験も同様で、今では本来的な法科大学院経由の合格より、サブルートであったはずの予備試験合格者のほうが高く評価されるようになりました。つまり同じように司法試験に合格しても「出自」によって格差が生まれつつあるわけです。いずれ名刺交換の時に「ボクは予備試験組で」などと自慢気に話す弁護士も出てくるかもしれません。

 

 このように人間というのは、良かれ悪しかれ区別・差別と格差やランキングなどをつけないではいられない生き物です。そんな性状を持つ生き物にとって試験というのはまことに分かりやすい選抜方法であり、あたかも客観的な指標に見えます。ところが人間はそんなに単純なスペックで判断することはできないのです。たまたま仮に東大入試は無理だったとしても、その入学者より優秀な人は必ずいるはずです。社会の成功者がすべて高学歴とは限らないことは誰だって分かっていることではありませんか。

 

 誤解や曲解を避けるために敢えて言いますが、ボクは学歴不要なんて考えていません。ないよりもあったほうが生きやすくなるに決まっています。ということから学力試験を否定するつもりもまったくありません。

 だからといって、試験が万能の選抜方法とも考えていないのです。つまり、どんなに知恵を絞った試験も基本的にはザルであって、どんなに緻密にしたところで、そこからこぼれる人間は必ずいるということです。逆に、ザルに残った人たちすべてが優秀とも限らないでしょう。これを避けたいのであれば、別の形のザルをいくつか用意するしかありません。そのひとつがAO入試ではないでしょうか。それでも掬い取れない才能はあるはずです。

 

 折しも大学の入試改革が具体的な議論になっていますが、このように様々な才能を取りこぼすことのないように多彩なザルを用意することが目的であり本質であるならボクは大賛成です。でも、何となくですが、段階的な試験を経て特定の学力だけを判断しようとする意図を感じるんだよなぁ。学校の選抜試験ですから当然のことではありますが、それ以前に、果たして人間は人間の能力を本当に正確に判定・評価できるのだろうかと、ボクなんかは疑問に感じたりしますけどね。

 

 もっと極論を言うなら、この少子高齢化&人口減少時代に大学の入口論なんてバカバカしいような気がするのです。いっそみんな入学させて、成績不良や学ぶ意欲を感じない学生はどんどん容赦なく留年・退学させるという学内淘汰のほうが必要ではないでしょうか。であれば、入試というザルの作り方に知恵を絞り、経費をかける必要もなくなりますよね。

 少なくとも、どんな試験も所詮は限定的な選抜機能しか持ち得ないザルに過ぎないという認識が広がれば、それこそ地アタマなんていう先天的なものでなく、後天的な努力や成長がきちんと評価される実力社会になり、適正な競争が促進されると思うのですが、これって理想論ですかねぇ。

 

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