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2014年9月12日 (金)

写真と絵画

 

 世界最古の写真は1825年にフランスの発明家、ニセフォール・ニエプスが撮影した『馬引く男』だそうです。それが今では女子高生たちがケータイやスマホでバシャバシャ自分撮りですから、200年も経たないうちに風俗や習慣を大きく変えたメチャ凄い技術革新ということになります。

 

 写真の発明によって生活が楽しくなった反面で、直接的な被害を受けたのが「職業画家」といわれる人たちでした。貴族やカネ持ちから肖像画などを受注して製作。それを納品して収入を得る専門職ですが、時間やコストを劇的に軽減でき、質的にも圧倒的に優秀な写真に対抗できるはずがありません。おかげで、たちまちのうちに「似せて描く」肖像専門の職業画家という仕事は消滅し、絵画のあり方まで大きく変えることになりました。キュビズムやシュールレアリスムなんていうのもリアルな写真=写実に対抗して考案された絵画の新しいあり方であり、それを受け入れる社会にしても、写真の存在がなければその意味や価値を理解できなかったはずです。

 つまり絵画は写真の登場によって「写真では絶対に写せない光景」が求められるようになったのです。

 

 ボクは1990年代半ばからインターネットによる通信教育を継続的に取材。イギリスやアメリカにも足を伸ばして別掲のように著書も出しましたが、いずれインターネットはこの写真のようなインパクトを教育界に与えると予感しました。第一に、それまでは教室で一括して実施される集合教育が主体でしたが、授業の録画がネットで配信されて、自宅で自由に視聴できるようになれば、わざわざ特定の時間に特定の空間にみんなが集まる必要がなくなるではありませんか。

 

 通信教育自体は1858年から開始したロンドン大学が最古といわれており、日本でも江戸時代には飛脚便を利用した俳句の添削指導が行われていたそうですが、インターネットはこうした通信教育の単純な発展形ではなく、教育や学習を根本的に変えていく可能性を秘めていると感じたのです。

 かつて知識は独占的=排他的なものであり、それゆえに選抜された人たちへの「知識移転」が学校と教員の意味や価値や職能を構成・担保していたわけです。けれども、インターネットはそうした特権的な牙城を崩しつつあると考えるべきではないでしょうか。ボクの属する出版業もそうですけど、かつては知りたいことがあればお金を支払って本を購入する、あるいは誰か専門家に聞くしか方法がありませんでした。ところが現代ではインターネットで調べれば無料でほとんどのことが分かりますからね。

 

 そうなってくると、学校なんて行かなくても十分に独学できるじゃないかとなります。実際に、世界的な有名大学が講義を無料で公開する「MOOC(Massive Open Online Courses)」も普及しつつあるので、金銭的なハードルはもちろん、国境すら越えることが可能になってきたのです。

 

 写真が発明された時には「絵画でしか描けないこと」が問われました。それと同じように、インターネットではできない「学校でしか教えられないこと」を再認識する必要があると思うのです。はからずも代々木ゼミナールの閉鎖・縮小宣言によって、少なくとも学習塾の受験指導は大教室の集合教育でなくても十分に有効であり、むしろそれを望む受験生が多いということが明らかになっています。

 

 であるなら「学校で教員と対面してしか教えられないこと」とはいったい何でしょうか。みんなが集まって教育・学習することにどんな意味や価値があるのでしょうか。それ以前に、かつての職業画家と「職業教員」とはいったいどこがどう違うのかという反省的な自問も必要ですよね。この話を続けると長くなるので省略しますが、そうした根っ子のところから教育を問い直すことが求められているような気がするのです。

 

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