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2014年9月19日 (金)

仮説の流儀

 

 たいていの大人は矛盾や不合理をそれなりに理解して適応しているはずですが、たまに子供にかえったつもりで見直してみると、言っている事とやっている事がかなり違うことに気づきます。

 たとえば学校や社会では「自分の言葉で話せ」と言われたりしますが、本気で「自分の言葉」を考えて使おうとすれば、こりゃもう宇宙人との会話と同じで他人に通じるはずがありません。言葉というのはそもそも概念の共有ですから、それを「自分の言葉」にしてしまうということは、他者との交流を否定することになるわけです。

 

 ここに至って初めて、「自分の言葉」というのは表現のミスであって、要するに「自分の考え」という意味かなと気づくわけですが、それならそうやって正しく言えよ、間違えてしまうじゃないかと、なるべく原理に忠実でありたいボクなんかは思ってしまうわけですね。

 しかしながら、「自分の考え」というのは本当に存在するのでしょうか。たとえば世界というのは、みんなが首から上の頭だけを海の上に浮かべてユラユラしているのが真実であって、ボクたちが現実と思っていることは幻想に過ぎないということを「自分の考え方」として信じ込んでいる人と交流や意見交換ができるでしょうか。ちなみに、これはボクが幼児だった頃の妄想であり、「そんなはずねぇよ」と簡単に片付けることはできても、アインシュタインの相対性理論を「間違っている」と思い込んで力説したトンデモ本は結構あります。歴史を遡れば、途方もないことを自分の頭で考え、信念として大量虐殺を行った政治的指導者もいるわけです。そして、その考えを「自分の考え」として支持した人も多数いなければ、そんな非道なことを実行に移すことはできなかったでしょう。

 

 つまり、「自分の言葉」だろうが「自分の考え」だろうが、相当程度は「他人の言葉」で「他人の考え」でなければ、他者には通じないのです。その意味では、ボクたちの個性やオリジナリティなんてそもそも不完全なのですから、コピペがなんでいけないのということになってしまいます。

 そんなご大層なこと以前に、個性を求める割には協調や融和を指導するのが学校教育の基本ですから、子供の頃から表向きのタテマエと、その裏にへばりついている現実を調和させていくことが「学習」の本質といえるかもしれません。だったら最初からそう教えてよ。ボクなんかミカン5個とリンゴ3個を足していくつ? という質問に「ミカンとリンゴは同じものではないから足せない」と考えて無回答にしたので、もう少しで養護学級に入れられるところでした。

 

 えーと、あまりにも長い前置きで何が言いたいのか忘れそうになりましたが、ボクがライター稼業になったばかりの頃は「予断を持つな」というのが代表的なタテマエだったように記憶します。ヘンな予断を持たないで取材して事実に向き合うこと。いやまぁ大変に美しい文言ですけど、いざやってみたらアナタ、そんなことはおよそ不可能ではありませんか。

 「いや、予断を持ったからこそ朝日は吉田調書を読み違えたではないか」と指摘する人もいるでしょう。では、予断なしで被取材者に対する質問を考えてみてください。評論家やタレントなどは訊かれなくても自分の意見をベラベラ話すのが仕事ですが、普通の人は質問が最初にありきで、その受け答えがインタビューや取材の実態なのです。準備が必要として、事前に質問内容を提出するのも常識的ですが、この時に「予断なし」で質問内容を考えられるという人がいたら、ボクはぜひお目にかかりたい。予断があるからこそ「訊きたいこと」や「知りたいこと」が発生するわけで、予断を持てない人がインタビューなんてできないのです。

 

 ボクは、この「予断」をヘンに誤解や曲解されるといけないので、敢えて「仮説」と呼んでおります。でね、取材や調査というのは、この「仮説」の検証または再構築という作業の一環にほかならないのです。この検証の時にこそ、事実に対して謙虚でなければなりません。「予断」や「仮説」に固執すれば、それこそ吉田調書の最初の報道のように事実や真実をねじ曲げることになってしまうからです。

 

 かくて、これを正しく言い直すとすれば、「仮説」を持たなければ真実に出会うことはできないが、その検証に際しては、自分の考えが正しいという「予断」や「確信」を一切持つなということになるでしょうか。むしろ「間違っているかもしれない」という意識を大前提として持つべきですよね。

 

 早い話が、取材というのは自分なりの「仮説」を作っては壊していくことだとボクは思ってきました。これは取材に限らず、どんな仕事でも同じことではないでしょうか。こうした「仮説」をあれこれと作って試行錯誤してみなければ世界はわからない。物事を創造するクリエイターも科学の研究者も、おそらくは「仮説」を持つことからスタートしているはずです。そこに至って初めて「反常識」「非常識」の正当性が証明されるわけですね。

 何だか取りとめのない論理になってしまい申し訳ありません、読者への配慮を無視した文章を無性に書きたくなることがあるものですから……。

 

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