手に職がある人
日本という国は、マネジャーやウェイターばかり増殖して、肝心の料理を作るコックが足りないんじゃないかと、以前に書いたことがあります。
実際にどうなのかは職業統計を調べないと分かりませんが、杭打ちデータ偽装事件が象徴しているように、産業の足腰にあたるといっていい現場労働の劣化が感じられるんですよね。
その一方で、大学進学率はとっくに50%を超えているので、こうした現場労働を嫌う傾向はますます強くなっていると思います。つまり、ネクタイを着けた手の綺麗な人たちが偉くて、菜っ葉服など作業着で手を汚す人たちが軽視されているんじゃないかなぁ。
自分が軽視されていると思う人は、自分自身ではなく、自分の仕事が軽視されていると考えます。にもかかわらず転職は容易でないとなれば、仕事に責任を持つことは難しくなってきますよね。要求水準を満たしていれば十分だろうとなり、杭のデータが少しばかり足りなくても、見映えさえちゃんとしていればいいということになるわけです。
大昔はそうではなく、現場の労働者は「手に職がある人」として、それなりに尊敬されていました。ボクのオヤジも旋盤工だったので、そんな尊敬なんて給料的には完全にタテマエにしても、仕事に誇りを持って、むしろ過度ともいえる責任感を持って臨んでいたように思うのです。
戦後の日本を短期間にGNP(国民総生産)世界第2位に押し上げたのは、当時の通産省でも政治家でも、ホワイトカラーや経営者でもなくて、現場労働の質の高さが大きな要因だったろうとボクは考えます。現場さえちゃんとしていれば、経営者や管理職なんかいなくても高品質な製品はできますよね。
ところが、90年代から急速に大学進学率が上昇するに従って、相対的に現場労働者が少なくなり、敬意も希薄になっていったのではないでしょうか。さらに就職氷河期には、大卒でも外食産業の厨房に回されるということが頻繁に起きました。今でもそうかもしれませんが、それがいけないということでは決してなく、「自分は大卒なのに」と考えることで、仕事に誇りを持てなくなることに問題があるのです。
そんな雰囲気に追い打ちをかけるように、現場労働はどんどんコンピュータ化されており、今や「手に職がある人」といっても安泰ではなくなっています。
しかしながら、建築が典型的ですが、いくら優秀な人が素晴らしい設計図を描いても、それを実際に建築するのは土木から始まる現場労働にほかなりません。この2つの仕事が互いの敬意に基づく責任を果たさなければ、欠陥建築になるのは当然でしょう。
日本のロケットが失敗しなくなったのは、設計者の努力だけでなく、製造現場からの改善提案も寄与していることをご存じでしょうか。近頃人気のテレビドラマ風にこれを再現すると、以下のようになります。
「ここをこうすりゃ部品点数が減る。部品が減れば、それだけ失敗や事故も減るじゃないか」
「しかし、そんなことが可能なのですか。強度が低下すると教えられましたが」
「学校と現場は違うんだよ。俺たちを信じて任せてくれ」
「ではもう1回、設計をやり直してみます」
1人は中学卒業後すぐに入社した叩き上げの工員で、もう1人は東京大学大学院工学研究科修了ということになるのかな。提案した現場も偉いけど、それを聞き入れた設計者もたいしたものです。ヘンにプライドばかり高い人は、現場の意見を無視しますからね。上記の会話はボクのフィクションでも、内容的には事実に基づいています。
こういう連携こそが日本の得意技であるなら、ボクたちの職業意識と頭でっかちになりかけている教育を早急に建て直す必要があるのではないでしょうか。こんなことは大学では遅いので、やっぱ中学・高校が大切だってことになるんですけどね。
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