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2016年1月 4日 (月)

思想(前)

 

 新年あけましておめでとうございます。

 本年もご愛読よろしくお願いいたします。

 

 例によって無為な正月休みを過ごしてしまいました。そもそも正月なんて無為であることが本来的な姿であるような気もします。

 

 そこで「無為」を調べてみると、紀元前の中国で書かれた『老子道徳経』の中にあった「無為自然」が語源とされています。老子というのは周知のように古代中国の哲学者ですが、何しろ紀元前ですから生誕や死没年からして「不明」の表記が少なくありません。春秋戦国時代に登場した「諸子百家」に含まれるようですけどね。

 

 この「諸子百家」というのは、超有名な孔子や、荘氏、墨子などの「諸子」と、彼らが率いたと考えられる儒家、道家、墨家など「百家」を指します。秦の始皇帝が中国を統一するまでの分裂・混乱期に、あちこちで思想や哲学を説いてきた人たちということです。

 

 この歴史的背景を理解しておかないと、「無為自然」の正体もよく分からなくなります。

 

 「無為」といえば、ボクの正月休みのように何もしないでブラブラしていることだと思われていますが、そうではなくて「意図や作為のないこと」らしいんですよね。

 それだけならブラブラとどこが違うのかとなりますが、孔子を開祖とする儒家のアンチ発想であると考えれば立体的に理解できるようになります。

 

 儒家では個人の絶えざる修養が国家全体の統治のありようにまで及ぶという壮大な考え方なのに対して、老子と荘氏による老荘道家グループはこれを否定して「無為自然」であることが世の中すべてうまく収まるポイントではないかと説いたわけですね。

 

 それまでは武力で屈服させていく「覇道」が主体でしたが、孔子=儒家は支配者の徳によって統治すべきだと唱えました。これを「徳治主義」と呼びますが、要するに闘争や戦術の鍛錬ではなく、哲学や思想などを修養していくことで民衆に尊敬される統治者になれってことでしょうか。

 さすがは儒家で、そのための教科書もきっちりと準備されました。それが現在でも熱烈なファンを持つ四書五経です。

 

 ところが道家では、社会なんてものを無理して特定の方向に動かそうとすること自体が良くない。儒家が統治者や支配者による政策や管理重視とすれば、逆に民衆の自然な動きに任せることが、あるべき社会を作ると考えたのではないでしょうか。これって実は大変に過激な思想なんですけどね。

 

 ちょっと考えれば分かるように、政治家やエスタブリッシュメント、企業家には儒家のほうが魅力的です。今やブラック企業でも表向きは徳みたいなことを言い出していることから分かるように、「統治・被統治の関係」「支配・被支配の関係」を維持・擁護する思想にほかならないからです。

 

 でもねぇ、そうした一方的で非対称な関係性ってどうよ、と根本的なところから見直してみると、老子の「無為自然」がにわかに浮上してくるんですよね。

 

 マルクスとエンゲルスは、高度に発達した資本主義は必然的に社会主義に移行すると主張しました。そりゃそうです、貧弱な生産体制しかないのに共産主義や社会主義が実現するはずがありません。だからこそ農本主義からいきなり共産社会に移行したソビエトと東欧諸国は70年足らずで崩壊。中国ですら資本主義を導入することになりました。

 

 だからといって、これから本来的な社会主義が実現するとも思えませんが、それと同じように「無為自然」はざくっと2000年ほど時期尚早だったのかもしれません。ただね、ヘンな方向に使われてしまったマルクス主義と違って、「無為自然」をコアとする道家の思想は、1960年代後半に登場したヒッピーたちがすでに実践していたのではないでしょうか。

 

 このあたりから話は一気に難しくなるのですが、しばしば言われる「大きな政府・小さな政府」という論争も、ドラスティックに統治・被統治の合理性または必然性から考え直すべきではないかと思うのです。

 ボクは無政府主義を信奉するものではありませんが、近年の国家予算の野放図な増加ぶりを見るにつけても、無理に無理を重ねてきた政策の結果ではないかと感じるわけですね。早い話が今の政治に儒家や道家のような思想的根拠はあるのか、と疑わざるを得ないのです。経済政策にしても、底の浅い短期的なテクニック優先に陥っているのではないでしょうか。

 

 そんな高邁な論議は別にしても、現代日本は思想というものをあまりにも忘却していませんか、ということを明日続けます。

 

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