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福助くん その6

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    福助くん、9歳の秋です。 ちょっと長めの散歩をして、世田谷公園へ。 紅葉と福助をご覧くださいまし。

福助くん その5

  • 赤いサルビア♪
    2010年秋の福助くん。とある週末に埼玉県所沢市にある航空公園に行ってきました!

福助くん その4

  • 1 毎年恒例の・・・
    今さらですが、今年の花見の福助くん。ご近所の目黒川に行ってきました。

福助くん その3

  • 1 田舎に行ってきました!
    飼い主の田舎に行ってきた福助。うららかな春を迎えた大自然のなかで、いつもと違った表情に。

福助くん その2

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    平日は会社にいる福助。こんな感じの毎日です。

福助くん その1

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2016年6月

2016年6月30日 (木)

『香港~Hong Kong~』

 

 1953年に台湾で産声を上げた可愛い女の子は、10歳になるとラジオ局が主催した歌謡コンテストで優勝。並外れた歌の才能を持っていることが広く知られるようになり、早々と14歳でプロ歌手としてデビュー。やがてアジアのトップスターにのぼりつめていきます。

 

 1974年からは日本で歌手活動を開始しましたが、最初のシングルレコードは不発。アイドル路線から演歌っぽい歌謡曲路線に変更した2枚目の『空港』で人気に火がつきました。

 

 もうお分かりかと思いますが、彼女はテレサ・テン。可憐で透明感の高い声質に、哀愁を漂わせた楽曲が大人気となって、数々のヒット曲を生み出しました。有田芳生の『私の家は山の向こう−テレサ・テン10年目の真実』など、彼女の歌声に惚れ込んだ人たちによる関連著書が少なくないので、興味があれば読んでみてください。

 

 ボク自身は純粋に彼女の歌声が好きなだけで、特に初期の『愛人』や『つぐない』に魅力を感じます。あれだけ丁寧に唄に感情を表現できる歌手は、欧米にもちょっといないんじゃないかな。

 

 でね、最近ひいきにしている楽曲が1989年に発表された『香港~Hong Kong~』なのです。作詞が荒木とよひさ、三木たかしが作曲というテレサ・テンの唄ではお馴染みの名コンビなのですが、悲恋を歌ってきたシリーズとはちょっと雰囲気が違います。

 

星屑を地上に蒔いた、この街のどこかに、

思い出も悲しみさえも、いまは眠っている

 

 この始まりだけで、胸が締め付けられるほど熱くなってしまうんだよなぁ。

 

 1986年にはテレサ・テンの人気は中国にも及び、改革開放路線が進められていたこともあって彼女の歌が解禁されます。そのせいか、翌87年からテレサ・テンは香港に住居を移転。89年5月には中国民主化支援コンサートに参加したのですが、その直後の6月に天安門事件が起きたのです。

 

 この『香港』という歌は同年3月の発表なので、こうした民主化運動とは直接的には関係ありません。けれども、その失敗を予言でもしたかのような内容になっているのです。

 

あぁ人はまぼろしの夢を追いかけて

生きているだけならば 儚すぎる

なぜに私は生まれてきたの

なぜに心が淋しがるの

 

 天安門広場を埋めつくすように集まった学生を中心とする10万人のデモ隊に、人民解放軍は無差別発砲。装甲車でひき殺された学生もいました。正確な犠牲者数は今なお不明だそうです(ウィキペディア)

 この歌は、その頃のやりきれない雰囲気を感じさせるんだよなぁ。

 

 97年7月1日に香港は中国に返還。彼女はそれを見ることなく、95年5月8日にタイ・チェンマイのホテルで息を引き取りました。気管支喘息だったと伝えられています。同月28日に台北で行われた国葬には全世界から3万人のファンがつめかけたそうです。

 

何処へわたしはたどり着くの

何処へ心を連れていくの

 

 

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2016年6月29日 (水)

品格

 

 毎年のことですが、大学の本を制作する関係で、追い立てられるような日々に突入しております。間の悪いことに、こういう時期に限って新しい仕事をいただくんですよね。

 

 ライターなんて基本的に受注産業ですから、いくら多忙であってもお断りするのはタブーです。高名な小説家であれば、逆に作品の希少価値を煽ることもあるでしょうが、無名なライターの場合は「じゃ別の奴にしよう」となって、二度と依頼が来なくなったりします。

 

 そんなわけで、これまで仕事を断ったことはほとんどありません。そのかわりに、過密で神経を磨り減らすような激務が続いたりするわけです。そうなると、精神的に余裕がなくなり、イライラしたり、他人への配慮にも欠けてくるじゃないですか。

 そんな時にね、人間の地金がはからずも露出するんですよね。普段は余裕をかましてピカピカのソリッドゴールドに見えても、実は指でこすると剥がれるくらいに薄っぺらい金メッキで、中身に至っては鉛に過ぎないなんてことはしばしばあると思います。かく言うボクなんか典型的で、このブログで書いていることの99%は自分を棚に上げた理想論といっても過言ではないでしょう。この年になっても理想論をやめないところが天然記念物だとは思うものの、生まれついての貧乏性と下品から離れることができません。

 

 そんな時につくづく感じるのは、品格を身に付けることの困難さです。どんなに本を読もうがスキルを磨いたところで、そんなものは品格の向上にほとんど寄与しません。見た目の金メッキが数ミクロンだけ厚くなる程度で、追いつめられたりするとやっぱ剥がれ落ちてしまうんだよなぁ。

 

 氏より育ちなんていいますが、何が作用しているのかよく分かりませんけど、どんな時にもジタバタしない高貴な人間というのはちゃんと存在します。そんな彼らを見ていると、こりゃもう生まれ変わらない限り下品は直らないんじゃないかと。

 いくら人間は可塑的だと民主的な大見得を切ったところで、そうではない部分が必ずある。それが品格という人間性とするなら、これを国民的に高めていくことがグローバル社会を勝ち抜く差別化、あるいは競争力になるといえないでしょうか。

 

 海外には良家の子女が通うフィニッシングスクールなるものがあります。社交界にデビューする前に、洗練されたマナーを身に付け、美しい振る舞いを躾けられるのですが、ボクは日本にもそれに似た学校が必要ではないかと考えています。

 

 しかし、それは良家の子女のためではなく、本格的なリーダーを養成する学校なのであります。公金を自分のためには絶対に遣わず、紛争があれば率先して銃前に立ち、部下を徹底的に守り抜きながら、戦場から去る最後の1人になる。男にとっては、そうした覚悟や振る舞いこそが気高い品格につながるのではないでしょうか。けれども、今の社会にそれを教えられる人があちこちにいるとは思えません。だったら学校を作るほかないだろうと、ボクは思うわけですね。

 

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2016年6月28日 (火)

残年齢

 

 ここ数日、EUをめぐるイギリスの国民投票が大きな話題になっていますが、結果はどうあれ羨ましいとは思いませんか。

 

 日本も同じ自由&民主主義のはずなのに、あんな国民投票なんて一度も経験したことがありません。むしろ国政選挙で多数派になったというだけで、政権与党はすべての意志決定を委任されたかのように振る舞ってきました。「戦争法案」とも呼ばれた周辺事態法なんかも、あれだけの大反対があったのですから、論点を整理したうえで国民投票に託すべきではなかったのかなぁ。

 この国の支配層は伝統的にそうしたことを嫌う傾向があり、民主主義をハナからバカにしているように感じられるのはボクだけでしょうか。そうではないというなら、たまには国民投票をやってみろと言いたい。

 

 もっとも、僅差でEU離脱を決定したイギリスにしても、終わった後で「投票したことを後悔している」「もう1回」なんていう声が結構あるようですね。EUに支払っていた金額を過大に誤解していた議員もいるらしく、こうなると正しい情報が国民に提供されていなかったことになります。

 

 EUという制度自体の知識や理解も、域内の自由貿易による経済繁栄という観点から、家から塀や垣根を取っ払っちまったと感じる人まで様々だと思います。ボクはロンドンのシティで金融関係者を取材したこともあるので、EU離脱なんてあり得ないだろうと考えていました。外資の活発な流入がイギリスの経済を支えていたのですから。

 

 テレビ報道を見る限りでは、若者は総じて残留派で、離脱に投票したのは老人世代が圧倒的に多かったようです。おそらくですけど、前述した塀や垣根を取り去った家に、移民がどんどんなだれ込んでくるイメージだったんじゃないかな。一方、若者は子供の頃からEUの環境に慣れており、それによる恩恵もよく分かっていたと解釈できるかもしれません。

 

 このため、「老人たちが若者の未来を奪った」などという過激な意見もあるようです。

 にもかかわらず、投票といえば1人1票が常識。人生が残り少ない老人と、それよりはるかに長い寿命を持つ若者が同じ1票でいいのかと疑問を感じませんか。もちろん若者たちの未来を考えて投票する人もいるはずですが、自分のことしか考えない老人もいるに決まっています。

 

 これはイギリスだけでなく、日本の年金問題も典型的で「自分たちは逃げ切れるから関係ない」とうそぶく声もあるじゃないですか。こういう世代格差というか、不平等に近いものを是正していくためには、票に年齢を導入するべきではないかと思うのです。

 

 たとえば平均年齢を80歳とすれば、20歳なら残り60年を生きていかねばならない。しかし、70歳であるなら、残りは10年となります。この2人が将来の政策などが問われる選挙で同じ1票というのは、むしろ悪平等ではないでしょうか。

 

 そこで、単純に1票×残年齢を票数とするわけです。つまり20歳であるなら60票を持っているとして、70歳なら10票とする。これで年齢差は相当に是正されるんじゃないかな。投票時に免許とか健康保険で年齢は簡単に確認できるので、それほどの手間はかかりません。

 

 おっと、それなら社会や政治に関する知識や意識レベルもチェックしなきゃいけない。イギリスの国民投票が図らずも示したように、知識不足による誤解がありますからね。そこでIQの数値を票に導入して……。なんてことになると、キリがなくなってきます。

 

 というわけで、やはり1人1票が現状では圧倒的に妥当な方法だと再認識せざるを得ません。しかしながら、この仕組みを正しく機能させるためには、教育の充実と報道の自由が不可欠です。つまり1人1票の質を向上させていくこと。今の段階では、それしか社会をより良くする方法はないでしょう。

 そんなのあたり前じゃないかという哄笑が聞こえてきますが、現実はそうはなっていないんだよなぁ。

 

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2016年6月27日 (月)

人望を得る方法(後)

 

 久しぶりに大先輩と会ったせいか話が長くなってしまいました。テーマは「人望」。そんなものがなくても生きていけるし、こんな奴に人望なんてあるのかよという政治家もいますが、ボクは人間としてこれから大切な要素になっていくのではないかと考えているのです。

 

「落ち目や不遇になった人に手を差し伸べ続ければ、やがて人望になることは間違いないと思いますが、それを目的にした下心はすぐにバレるんじゃないでしょうか」

「困っている人には下心の有無なんてまったく関係ないだろう。寄付やボランティアも同じで、何をするのかが大事であって、なぜするのかなんて誰も気にしちゃいない」

「そりゃそうですけど、品性下劣な奴がそうした方法で人望を得ていくなんて許せないなぁ」

「そういう連中は必ず化けの皮が剥がれる。しかし、そうならない方法もあるぞ」

「人望を定着させる方法ってことですか?」

「言い換えればそういうことになるが、キミも功利的な発想をする男だなぁ」

「人間は損得勘定といったのは先輩じゃないですか」

「まぁそうだが、損得勘定といっても2種類ある。個人のためとみんなのためじゃ」

「何度も言うのは気が引けますが、落ち目や不遇の人たちに手を差し伸べるのは個人のためということですよね」

「そうじゃ」

「では『みんなため』というのは?」

「たまには自分で考えてみなさい」

「多数の人に何かするといえば、行政における政策ですかね」

「政策は行き過ぎだな。政策に至る要素じゃ」

「というと方針やコンセプトかな」

「まぁ、そんなようなものだが、つまり『志』である」

「はぁ、志ですか」

「知識やスキルや腕力よりも有用なものともいえる」

「そんなものですかねぇ」

「確固とした志さえあるなら、知識がなければ専門家に助けて貰えばいい。スキルや腕力も同じじゃ。ところが、志のない知識やスキルや腕力は羅針盤のない船と同じで、漂流するだけでなく、時には人を傷つけることもある」

「なるほどね。しかも、みんなのための志であるなら、多数から共感を得られるわけですね」

「かの舛添氏は辞任直前に『都民のために粉骨砕身して働きたい』と言った。けれども、具体的に何をするのかを言えなかった。それはつまり志がなかったからじゃ。志がなければ何でも私物化して恥じることもなくなる」

「でも、志だってウソをつけるでしょ」

「その通り。しかし、ウソをつき続けることができれば、やがて本当になる」

「では、志とセットで利他的な行動を続けることが、人望を高めていく秘訣ってことですね」

「キミはまとめることだけは実に上手だなぁ」

「そういうのが仕事ではあります」

「残る課題は、どんな志を持つかじゃ。これは個人の生き方とかかわってくるので、そこまで教える必要もないよな」

「志がそんなにも大切だなんて分かっている人は、今や少ないでしょうね」

「だからこそ大志を持つことに価値がある。これは理想論ではなくて、社会的な損得勘定としても成立する」
「先輩はそんな志を持っていましたか?」

「とっくにすり減った」

「志というのは摩滅するものなんですね」

「残念ながら。だからエネルギーある若い人ほど志を持たなきゃいかん」

「何でも機械がやる時代だからこそ、そうした人間的な要素を再認識すべきだとボクも思います。でも、そんな余裕がないのが現代なんですよね」

「だからといって、みんなと同じことをやって自分だけトクできるはずがない。そのことを真剣に考えたほうがいいと思うぞ」

「ボクみたいに損することもありますけど」

「損かトクかなんて死ぬまで分かるもんか」

「そんなものですかねぇ」

 

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2016年6月24日 (金)

人望を得る方法(中)

 

「人間というのは、つまるところ損得勘定なのじゃよ」

「だからボクは盛大におごってきたつもりですが、何の役にも立っていないと言ったじゃないですか」

「酒飲みに酒をおごるくらい無駄なカネの使い方はないと思うぞ。そんなことをしているから人望が得られないのだ」

「じゃ、どうすれば良かったんでしょうか」

「自腹でカネを使う時は常にコストパフォーマンスを意識しなければいけない」

「意識しているつもりですけど」

「メンタルはどうかね」

「はぁ?」

「たとえば、おごられる相手になってみよう。先輩や上司に飲みに連れて行かれても、よほどの高級店でないと心から感謝しないよな」

「まぁ、そうですね」

「どうしてだと思う?」

「立場が違うからですか」

「そうじゃ。立場つまり収入が自分より上なんだから、相手が支払うのは当然。そう考えている奴に、ちょっとばかりおごったところで恩を感じるはずがない」

「だったら美人揃いの銀座の高級バーにするとか」

「今度は自腹でなくて接待費と思われるな」

「懐を見透かされているわけですね」

「何だかノウハウ漫画のシナリオみたいになってきたが、コストパフォーマンスというのは『落差』を言うのだよ」

「使った金額と、それで得たモノとの価値の差ってことですか」

「その通り。キミもやっと分かってきたな。たとえば千円を使ってそれ以上の価値を得れば、コストパフォーマンスは高いとなる」

「他人にカネを遣う時は感謝、というより恩義をどれだけ感じさせるか、と」

「その通り!」

「あまりにも功利的な考え方なので、イヤになってきました」

「まぁな。現代ってのはその程度の時代なんじゃよ」

「だったら孤高を守っていたほうがいいかな」

「そうした生き方も否定せんよ。今のワシがそうだから。とはいえ、読者のために話を続けよう。要するに、費やしたカネと、得られる恩義との差が大きければ大きいほど感謝され、すなわちそれが人望となっていく」

「大金を費やしても、その差が少なければ人望にはつながらないわけですね」

「そうじゃ。ところが普通の人の生活や意識は昔に比べて高い。少しばかりのカネではコストパフォーマンスはマイナスになりかねない」

「やっぱ人望なんていらないっす」

「まぁ待て。カネを使ったことで得られる精神的価値の差がコストパフォーマンスであるなら、それを最大化する方法は金額だけではない」

「というと」

「意識のほうが下がっている人間を狙えばいいのだ」

「たとえば?」

「落ち目や不遇で苦境に陥っている人じゃ。たとえば今のマスゾエくんなんかは効果が高いぞ」

「人がどんどん離れていく状態だからこそ、手を差し伸べると効果的ということでしょうか」

「そうだ」

「そりゃ感謝されることは間違いないでしょうが、そんな落ち目の人たちから人望を得ても仕方ないじゃないですか」

「キミはまだまだ馬鹿だな。他人と同じことをして自分だけ高い効果が得られるはずがないだろ」

「でも、落ち目の人間を支援してどれだけの効果がありますか?」

「人間は死なない限り、再起できることを忘れていないか。典型的なのが安倍首相だ。ハライタだっけか、体調不良で総理を降板した時は不遇の極みといっていい。ところが再び首相に復帰して最高権力者に返り咲いた。彼が最悪の状態の頃に温かい声をかけるだけでも相当な恩義となり、ひょっとしたら大臣に任命なんてこともあり得たかもしれない」

「でも、ボクら凡人は寄りつかなくなる」

「だからダメなんじゃ。仮に落ち目からの脱出は無理でも、受けた恩義は口コミで伝わっていく可能性がある。それまでは不遇でなく絶好調だったのだから、知り合いも多いと想定できるじゃないか」

「なるほど。つまり、不遇や落ち目の人に手を差し伸べるだけで、次第に人望が高まっていくと」

「宗教も似たようなことをやってきたよな」

「でも、それで得た人望って、すぐに化けの皮が剥がれそうな気もします」

「だからこそ、いよいよ本題となるのじゃよ」

 

 またまた長くなってしまったので、来週月曜日に続けます。乞うご期待ということで。。。。

 

 

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2016年6月23日 (木)

人望を得る方法(前)

 

 記者を引退して山梨県に隠棲している大先輩から連絡をいただき、所用で新宿に来ているということで、超久しぶりに居酒屋で話し込みました。随分前のブログ「お金持ちになる3つの絶対法則」でご紹介したように、ヘンなことばかり考えている人なので、たまたま悩みを抱えていたボクには「渡りに船」な感じの邂逅ではあったのです。

 

「舛添がとうとう辞めたな」

「はい。都議会の連中だってリオ五輪への大名旅行の予算が問題になっていますけどね」

「税金は山のように目の前にあるが、それを払った奴の顔なんて分からん。だから際限なく遣っちまうのさ」

「けれども舛添氏は糾弾されて都庁を追われました。結局は都知事にふさわしい人望がなかったということに尽きるかもしれません。ボクも実は長年にわたって秘かに悩み続けていたことがそれなんですよ」

「人望なんてくだらんものは無視してよろしい」

「そりゃね、引退して山の中に住んでいるジーサン、あ、失礼しました、ご老人には人望なんて必要ないでしょう。人口がそもそも少ないんですから。でも、ボクのように東京に住んで仕事をしていると、もしかして人望に欠けているのかなと思わされる時もあるわけです」

「それがないと仕事が来ないのか?」

「そんなことはありませんよ」

「特別な意地悪でもされたか」

「もしかするとあったかも知れないけど、自覚できない程度ですね」

「なら、いいじゃないか」

「いやいや、仕事でも生きていく上でも、ないよりあったほうがずっといいのが人望ってものでしょ」

「では問うぞ。人望とは何ぞや」

「他人から慕われるというか、要するに人気があるってことですかね」

「ジャニーズ系やAKBみたいになりたい、とか」

「まさか。芸能人になれるほどの才能はありませんよ」

「なくてもやっている奴は結構いると思うがな」

「いざという時に親身になって助けてくれるということですかね」

「警察官や消防士みたいな?」

「それも極端ですよ。彼らは使命感もあるでしょうが、人助けが基本的な仕事なんですから」

「では再度問うぞ。人望とは何ぞや。選挙での投票数なんかホントにアテにはならんぞ。あの舛添君すら参議院議員選挙でトップ当選だったからな」

「うーん。難しいことを抜きにすれば、みんなから好かれる人ってことですよ」

「確かにキミはみんなに好かれる奴とは思えん」

「えらくはっきり言ってくれますが、だったら電話なんかしないでください」

「すまんすまん。だが、みんなに好かれる奴なんて世の中にそうそういるもんじゃないから安心しろ」

「お前は普通だから心配するなって、何の慰めにもなっていませんが」

「しかし、今さら好かれようとしても遅いのと違うか」

「絶望的な言い方をしますね。だからボクは、若い時から好かれようとして努力してきたのです」

「たとえば?」

「自慢じゃありませんが、働き始めて5年目くらいから後輩と酒を飲むときはほとんどボクの自腹でした」

「昔はそれが普通だったよな」

「30代以降はおごられたりワリカンにしたなんて数えるくらいです」

「それで?」

「何の役にも立たなかったというのが正直な感想です」

「わははははは。今頃になって分かったのか」

「恩知らずな連中ばっかりです」

「ほとんどの酒飲みは忘れっぽいんじゃ。昨晩に誰のカネで飲んだかなんて気にする奴はほとんどいない。覚えていてもちょっとトクしたくらいの感覚だろ。あるいは聞きたくもない飲みニケーションに耐える代償かな。それに酒飲みはたいていケチだ。明日も飲みたいと考えるからじゃ。この2つによって、おごられたことに感謝する奴はほとんどいない」

「そういえば『ごちそうさまでした』とも言わない若い人もいるそうですね」

「ましてや、おごられたくらいで恩義を感じたり、そいつを好きになる奴なんて1万パーセントあり得ない」

「だったら、どうすれば人望が得られるのでしょうか」

「多少の時間はかかるが、ほぼ間違いない方法はあるぞ」

「それをぜひ教えてくださいよ」

 

 思いがけず長くなったので、この続きは明日ご紹介することにします。

 

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2016年6月22日 (水)

喉元過ぎれば

 

 先週は「ギリで心斎橋」と電話で言った面白い予約係のいるホテルに宿泊すると予告しました。けれども、念のために立地を詳しく確認すると駅から徒歩5分。実際はもっと遠いと指摘する口コミもネットにありました。明るいうちなら許容範囲でも、到着が夜遅くなる可能性があったので、できるだけ駅から近いほうがいい。雨天という予報もあったしね。

 そんなわけで急遽ホテルを変更してしまいました。というわけで予告を裏切ることになってしまい、期待された方には心からお詫びいたします。

 

 でも、「これってあくまで変更であって嘘じゃないよね」と強弁や言い訳をしたら、間違いなくボクの人間性が疑われるはずです。しかしながら、それと似たようなことを平気で言う人がいるんだよな。

 

 何かのはずみで浮気がバレとしまった男が、それを厳しく問いつめる妻または恋人に言う常套句があります。

 

「嘘はついてないよ。隠したことは事実だけど」

 

 嘘と隠し事はまったく別物なのか、それとも隠すことだって嘘の一種になるのでしょうか。夫婦喧嘩のレベルならどうだっていいことですが、原発事故となると話はまったく違います。

 

 東京電力ホールディングスの広瀬直己社長は、昨日の記者会見で2011年の福島第1原発事故の際に「炉心溶融=メルトダウン」の公表が遅れたことを「隠蔽と捉えられるのは当然だ」と認めて謝罪しました(6月22日付日本経済新聞朝刊)

 

 5年も経ったのだから「ほとぼりがさめた」とか、「喉元過ぎれば……」とか国民をナメているのでしょうかねぇ。あるいは三菱自動車などの燃費偽装は嘘=虚偽で犯罪だけど、公表しなかった=隠蔽はそうでないとでも言いたいのでしょうか。アメリカなら当時の社長が逮捕されてもおかしくないことなのに、新聞やテレビがあまりにもサラリと報道していたのでボクは驚き、かつ呆れております。

 

 ひと頃大きなテーマになった「CSR=企業の社会的責任」はどこに行ってしまったのでしょうか。それより何より、社長が隠蔽を指示したからといって、役員や部下たちが人間としての倫理をかなぐり捨てていいのでしょうか。そんなのは精神的な奴隷にほかならないことを、なぜ気づかないのかなぁ。

 

 このブログでは今さらの話題なのでもうやめますが、すべては学校で勉強しか教えていないことが問題だと思います。かつては慣習的・宗教的な歯止めもあったけど、ここに至ってはカネと特権の維持がすべてですもんね。隣の大国の政治や無礼を咎められる資格があんのかよと思います。

 

 コミュニティ=共同体を健全に維持していくために最も大切なものは、知識や技術なんかではなく、倫理であることになぜ気づかないのかなぁ。江戸時代を思い浮かべればすぐに分かることではありませんか。

 

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2016年6月17日 (金)

ギリ

 

 来週はまたまた大阪出張となりました。しかも夕方取材で翌朝もアポが入っているので、1泊しなきゃいけません。

 

 事務所にいるより出張のほうが大好きなのですが、問題はホテルなんですよね。以前から外国人観光客が急増しており、予約環境がタイトになってきたのは皆様ご承知かと思います。何かのイベントがあって大阪のホテルがすべて満杯で、仕方なく和歌山まで行ったという知人もいるくらいです。

 

 そんなことにならないように、1泊が決まった時点で即座に大阪のホテルにあたってみました。するとイヤな予感は的中して、大阪駅近辺の行きつけはダメで近隣もアウト。でも、よく考えれば天王寺から電車というのが翌日の予定だったので、いわゆるキタよりもミナミのほうが近い。それで、なんば周辺の全国チェーンのホテルに電話をかけると、キタとは大違いでどこも空いているというではありませんか。しかしながら高い。1泊Ⅰ万円以上というのは、かのマスゾエさん以外はなかなか出しにくい金額ですよね。

 

 かといって安いビジネスホテルとなると当たりハズレが激しくて、ネットの写真や口コミなんかアテにできません。このあたりが出張族には悩みのタネとなるわけです。

 

 以前に「夜遅くに帰って寝るだけだから」と5000円を切る料金のホテルに泊まったことがあります。なんばグランド花月から徒歩2分程度で、タコ焼き屋が並ぶ繁華街のど真ん中。このロケーションで5000円以下ですから、それだけでモトが取れるってものですが、さすがに部屋が小さい。入った経験は一度もありませんが、拘置所というのはこんな感じかなと思わせるほどでした。

 「起きて半畳寝て一畳」といわれるくらいなので、その広さで十分、って意味がまるきり違うじゃないか(ここ笑うところです)

 

 でね、しばらく電話をかけまくった後に、何とか日本橋で希望に近いホテルの予約が取れました。

 ちなみに、どうしてネット予約のサイトを使わないかというと、会員になるのがイヤだからです。その手続きが面倒という理由もあるけど、セキュリティがいまひとつ信用できないのです。旅行業界最大手のJTBですら大量の個人情報漏洩が発覚したではありませんか。

 

 大阪の日本橋に宿が取れたとはいっても、東京在住のボクにとってはどんなところなのか見当もつきません。なんばの隣というくらいのイメージしか持てないのです。取りあえず“滑り止め”は確保したので、やはりなんばの隣駅らしい心斎橋をあたってみると、こちらでもそこそこの料金のビジネスホテルを予約できました。

 

 その予約係の女性がね、前夜に深酒でもしたのか、ものすごいハスキーボイスだったのです。それで妙な親近感を覚えて「すいませんが、そちらの心斎橋と日本橋のどっちが賑やかな繁華街ですかねぇ」と聞いてみました。時間があれば美味しい晩飯を食べようかなと。

 

 彼女はしばらく考えたらしく、数秒の沈黙の後に、以下のように答えたのです。

 

「ギリで心斎橋」

 

 文字にするとそれだけの会話ですが、ボクは笑えたなぁ。「ギリ」なんて、シティホテルのプロフェッショナルな予約係は絶対に使わないワードです。もしかすると彼女は暴走族のレディス出身で、前夜は昔のワル仲間とカラオケでしこたま飲んだのかな、なんて想像もできるではありませんか。

 

 ボクはその答を聞いて日本橋のホテルをキャンセルしました。だって、こっちのほうが面白いじゃないですか。ネット予約ではこうしたヒューマンな感触は絶対に得られないので、ここ当分はアナログオヤジを続けていくつもりです。

 

 そんなわけで、来週月・火曜日はブログはお休みとさせていただき、水曜日から再開します。「ギリ」のお姉さんが予約係をしているホテルが実際にはどうだったかを、その時にご報告するつもりです。

 

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2016年6月16日 (木)

両論併記という偏向

 

 ちょっと大阪方面に出張しているうちに、あれよあれよと事態は急転直下。舛添都知事が辞職願を提出しました。もとより自業自得ではありますが、前回のブログを書いた時とはテレビ報道の雰囲気が大違いではありませんか。

 

 自民党都議団がついに見捨てたというのが妥当な解釈だと思いますが、それまでテレビは都民の判断や怒りを正しく報道していたのかと疑問を呈したくなるのです。というのも、舛添氏が辞職願を提出した速報の後で、厳重な金庫から出してきたかのように、都民の7割が「辞めるべきだ」と考えており、都庁には3万5000件ものクレームがあったと明かしているんだよなぁ。

 

 3日ほど前には、確かに辞職を求める都民の声も紹介していましたが、「そこまではしなくても」みたいな意見の人も登場。評論家諸氏の意見と合わせて、煮え切らない態度があまりにも歯がゆくて前回のブログを書いたのですが、何てことはない、要するに「両論併記」だったらしいのです。

 

 どちらかの意見に偏向した報道をすると、自民党または安倍首相あるいは内閣府から「放送免許を取りあげるぞ」と脅されるかも知れないので、反対意見も同じ分量を出しておくという配慮があったのではないでしょうか。

 そのおかげで、純真無垢で政治的知識の乏しいボクは、「この期に及んでもまだ彼を擁護する意見があるのか」と驚き呆れてしまったのです。

 

 あのね、たとえば「クビにしろ」9割、「どちらでも好きにしたら」1割という時に、きっちりと同じように両論併記、じゃなかったテレビだから両論紹介かな、そんなことをしたら、むしろ偏向になりませんか。

 たとえば戦争が勃発しそうな時に、「あんな国やっつけてしまえ」という開戦主張の過激派が1割、「そんなことしたら大変なことになるぞ」が9割という世論を均等な分量で報道したら、あたかも開戦派の勢いのほうがすごいように見えますよね。

 

 そんな報道は絶対にしませんよ、ってテレビ局はきっと笑いのめすでしょう。けれども、やっていることは実はあんまり変わらないと思います。どこぞの女性大臣が「電波停止もあり得る」みたいなことを公言したおかげで、テレビ局の自己保身から両論併記にこだわっているのかもしれませんが、その結果として逆に偏向しかねないことに気づいているのでしょうか。

 

 うーむ、これってすごく危険なニオイがするんだよなぁ。そのうちに99対1でも両論併記をやらかして、大多数の国民が望まない方向に政治が動いていかなければいいんですけどね。

 心配のし過ぎというなら何よりですけど、先の太平洋戦争は、そんな雰囲気の中で開戦準備が進められてきたような気がするのです。

 

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2016年6月13日 (月)

『たどり着いたらいつも雨降り』

 マスゾエ問題は、ついに日本の本質をあぶり出す段階に至ったようです。

 違法すれすれのケチンボぶりに関する批判・分析・解釈はもう出尽くしているのだから、早い話が都知事を続けさせるか、それとも退陣を迫るかの2種類の対応しかないでしょう。にもかかわらず、それに関する意志決定となると、どうにも曖昧モコモコでぐじゃぐじゃなのです。

 都議会もそうですが、世論にしても続投か退陣かの二元論を選択させると、答えがまったくはっきりしない。マスゾエ氏を肯定または応援する人はゼロにもかかわらず、「あんな奴は都知事として失格。絶対に辞めさせるべきだ」という積極的な意見は意外にもそれほどではなく、明確な意志決定を回避または保留する人が目立つのです。

 テレビなんかに出ている評論家諸氏も同様で、皮肉や解釈はお上手でも、たとえば中東で拉致された日本人ジャーリストをどう救うかといった対策となると、途端に腰砕けになってしまう。具体的で建設的な提案なんてボクは聞いたことがありません。「歯に衣を着せぬ」というカッコ良いキャッチフレーズを持つ人ほどそうなんだよな。

 こういう光景をね、ボクは長きにわたっていろいろと見てきました。新しいアイデアなんて過去に例があったら新しいとは言えないのに、「参考にできる事例がないから」とアゴに手を当てて評価が保留される。そのくせ同業他社が似たようなことをやると秒速で追随。危機的な状況に陥った時だけは例外的にアイデアマン(ボクは大嫌いな言葉ですけど)が駆りだされて、「V字回復する画期的な提案はないか」となるのです。

 何だかね、こうした風潮批判もやり過ぎてしまったせいか、自分でも飽き飽きしています。でね、そんな心境をボクなりに託せる歌があったのです。「疲れ果ててぇ、いーることは、誰にも隠せは、しないだろぅ」で始まり、「あぁ、このけだるさわぁ、な——んだぁ」と嘆く、『たどり着いたらいつも雨降り』です。

 いつかはどこかへ落ち着こうと
心の置き場を探すだけ
たどり着いたらいつも雨降り
そんなことの繰り返し

 もともとは吉田拓郎が作詞作曲した歌ですが、ザ・モップスが1972年にシングル盤でカバーしてヒットしました。アップテンポのロック&ロールで、結語をツバと一緒に吐き捨てるような鈴木ヒロミツの歌い方が若い頃は好きでしたが、本当に疲れ果ててしまうと、むしろ吉田拓郎盤のほうが馴染めるんじゃないかな。

 彼自身は同年発売のアルバム『元気です。』に収録しただけで、なぜだかシングルカットは1993年とかなり遅い。カバーしている歌手があまりにも多いからかな。ちなみに、ザ・モッブスは『たどりついたらいつも雨ふり』ですが、吉田盤は『たどり着いたらいつも雨降り』とタイトルされているとウィキペディアは紹介していました。つまり漢字含有量がやや多いわけです。 
 
 そんな吉田盤の魅力は、バンジョーベースによるのんびりしたフォーク調にあります。こんな内容をエレキギターのロックで歌ったら、ますます疲れて果てるじゃないかと今のボクは思うんですよね。敢えてけだるーい雰囲気に自分を置かなければ、状況に耐え続けることができないのです。
 心のゼンマイのパワーリザーブがそろそろ尽きかけているのかなぁ。

やっとこれで、おいらの旅も
終わったのかと思ったら
いつものことではあるけれど
ああ、ここもやっぱりどしゃ降りさ

 なお、明日・明後日ともに早朝から出張などで立て込んでいるので、このブログはお休みさせていただき、16日から再開する予定です。

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2016年6月10日 (金)

ものごとの見方

 

 あの小保方さんが『婦人公論』誌上で瀬戸内寂聴さんと対談。そこそこの話題になったおかげで、「STAP細胞はありまーす」が復活するんじゃないかという意見も出ているようです。

 

 もちろん科学的な知見としては、そんなものはなかったと決着が付いています。けれども、ないものを証明するのは大変に困難ですから、あくまでもボクの個人的な悪い予感ですけど、みんなが騒動を忘れた頃に、STAP細胞を利用した金融犯罪や詐欺まがいが出てくるような気がします。くれぐれも気を付けてください。

 

 それもこれも、高校2年生で文系理系を分けてしまうことに問題があるんじゃないでしょうか。おかげでSTAP細胞が要するにどういうものかを正確に理解している文系なんて希有じゃないかな。ボクだってその1人で、細胞を踏んだり蹴ったりして圧力をかけると内蔵されたプログラムがリセットされて万能細胞になってしまう、みたいなことしか分かりません。キメラなんか怪獣の名前じゃないかと思っていたくらいです。

 

 こういう科学に無知同然な文系にとっては、STAP細胞があることもないことも分からないので、何度だって「ありまーす」論が復活し得るわけです。しかしながら、今から生命科学を勉強し直すヒマや時間はありません。

 

 そこで、文系らしい手持ちの知識と社会的なノウハウで、とはいっても経験則ですが、何とかSTAP細胞の有無を証明できないかと考えました。すると、有力な根拠があったことをすっかり忘れていたことに気づいたのです。

 

 2014年8月5日午前9時、神戸市中央区の先端医療センターの4階から5階に至る踊り場で、縊死している笹井芳樹氏が発見されました。彼は小保方さんとSTAP細胞研究を指導・管理する立場にあり、テレビにも彼女と一緒に登場しています。

 

 彼が一発逆転ホームランを狙うような不遇な研究者なら別ですが、優れた論文を連発するエリート研究者であり、要職も歴任してきました。誰かが口を封じたみたいな小説的な陰謀論は別にして、おそらく小保方さんよりもSTAP細胞を知っているはずの精鋭研究者が自死してしまったのです。

 

 これを普通に考えれば、「STAP細胞はなかった」と誰よりも早く、そして正確に認識した結果となりますよね。もし仮に存在する可能性が僅かでもあるなら、自死なんてしないで研究の継続を訴えたはずです。ボクなら研究所をクビになったとしても、むしろ意地になって存在を証明しようとするでしょうね。

 

 マスコミ報道などによって相当に追いつめられており、精神的に不安定だったとも想像できますが、だから自死というのは因果関係がサカサマです。もしも論文や検証方法に虚偽やコピペはなく、単なるケアレスミスだったとしたら、そんな被告人的な立場になることもなかったじゃないですか。

 

 というわけで、STAP細胞の最も近くにいた、数々の実績と高い見識を持つ研究者が自死したということは、あの段階では存在していなかったことの有力な証明になるのではないでしょうか。

 

 そのせいか、小保方さんは恩師の自死について語ったことはほとんどありません。STAP細胞をめぐる論議でも、まったく無視されています。どうしてなのかなぁ。

 とても残念な悲劇ではありますが、「ホントに存在するなら、あの人が死ぬはずないじゃないですか」という一語が、誰にも納得できるQ.E.D.ではないかとボクは思うのです。

 

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2016年6月 9日 (木)

美味の表現

 近頃は月に1回のペースで食べ物の原稿を書いております。

 新しい分野やヘンなテーマが大好きで、逆にルーチンになってしまうと自分でも極端な劣化を自覚するほど飽きるので、活字による「食レポ」を面白がって続けています。

  ただね、この分野は深いなぁと慨嘆することしばしばなんですよね。というのも、専門的な分野になればなるほど専門的なワードが用意されており、それらを自家薬籠中のものにすれば、って、この表現分かりますかねぇ、とにかく専門的なワードを自在に駆使できるようになれば、後は順列組み合わせでもそこそこのレベルにはなるわけです。

 専門用語ではなく、あくまでも専門的なワードなので念のため。業界紙・誌でない限りは、専門用語なんて使っても読者には分かりません。形容詞や形容動詞に、実は業界的な特徴があるのです。

  本当はそれからがオリジナリティのある文章表現や構成になっていくので、ボクも日夜呻吟しているのですが、この言葉も分かりますかねぇ。そんなわけで、専門用語は極力使わず、差別的なので使わないほうがいい表現とか、「こんな熟語は今の人に無理」などと編集者に言われながらも独創的表現を探究しているのですが、食事における美味の表現というのは実に難しいのです。

  というのも、前述した専門的なワードが極端に乏しいわけです。食品産業はあってもグルメ業界ってないじゃないですか。料理業界やレストランビジネスは確かにあっても、食べるほうに業界としてのまとまりなんかありません。現実に「おいしい」「うまい」のほかに、どんなワードがあるでしょうか。あったら教えて欲しいなあ。

 頬が落ちる、舌が喜ぶといったアクロバティックな言い方もないわけではありませんが、こうした比喩で何が伝わるかというと何にも分からないですよね。むしろ酸っぱいとか辛いとかのほうがマシじゃないかとボクは思います。

  食材の説明ならいくらだってできますが、たとえば天ぷらがとっても美味しいことを、あなたなら他人にどう説明しますか。「味の宝石箱やぁ」という名言で有名なレポーターもいますが、それを仮にパクったとしても、活字で読むと、それがどうしたでしょ。

 かくのごとく、美味を表現するというのは文章力、じゃなかった知恵が必要なのです。

  逆に、不味さの表現は結構いろいろあるようです。ボクが感心させられたのは、蚕のサナギについてでした。知る人ぞ知る韓国の名物で、東大門の街頭などで焼き栗のように大鍋に盛って売られています。旨そうな雰囲気なので近づいていくと、サナギ臭としかいえない特徴的な匂いがもわんと漂ってきて、ほとんどの日本人はそれだけで敬遠してしまう食べ物です。

  驚くことに現地の女性が大好きなオヤツらしく、ボクも食べたことはありませんが、きっと小エビに似た食感ではないでしょうか。けれども香りがね、口に入れるのも躊躇するくらいエグいのです。

  これを、確か椎名誠氏だと記憶しますが、「押し入れの隅のホコリの匂い」と表現していました。さすがは作家、これほどみごとな形容をボクはほかに知りません。味はともかく、そんな匂いが熱気を伴ってもわんと顔のまわりを覆ったら、すぐに離れたくなるでしょ。そんな感じなんだよなぁ。

 ちょっと味から離れましたが、それくらいクリエイティビティが要求される世界なのだと実感しているところです。

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2016年6月 8日 (水)

『壬生義士伝』

 

 守銭奴、出稼ぎ浪人などと仲間から徹底的に馬鹿にされながらも、恥を忍んで貯めた小銭を故郷の家族に仕送りし続けた武士がいます。貧困のために心ならずも盛岡藩を脱藩。新撰組に加わった吉村貫一郎です。

 

 浅田次郎が週刊文春に連載した小説『壬生義士伝』で描いた主人公であり、2000年に単行本化されて第13回柴田錬三郎賞を受賞。02年に放送されたテレビドラマ『壬生義士伝〜新撰組で一番強かった男〜』も今をときめく渡辺謙が主演して橋田賞などに輝き、03年には中井貴一で映画化されて第27回日本アカデミー賞を獲得しています。

 

 原作者の浅田次郎は絶妙のストーリーテラーで、文章も大変にこなれた作家ですが、この『壬生義士伝』はとりわけ設定が巧みで、男なら涙する場面が沢山あります。何よりも、妻子を養うために江戸に出て新撰組に参加するあたりが、出稼ぎや単身赴任で故郷を離れざるを得なかったお父さんの心境とぴたりと重なり、身につまされるではありませんか。

 

 しかも、再就職した先は滅びゆく幕府を奉る将来性のない新撰組ですからね。そんな中で、ケチと揶揄されても決してめげることなく、武士の体面なんぞは一切気にしないで、酒も飲まずに倹約した小銭を妻子のために送金するなんて、まさに男の鏡というほかありません。だからといって落日の近い新撰組から逃げ出すことなく踏みとどまって官軍と戦い、最後は故郷を守るために殉じるなんて、誰にもできることではありません。他者のために滅私することで自分を貫いた、現代では絶滅寸前の危惧種だからこそ、浅田次郎は小説の主人公として設定。テレビドラマや映画も賞を獲得したんでしょうね。

 

 同じケチ、セコさでも、都知事はどうなんでしょうか。作家出身の元都知事は「彼は離婚を繰り返したからカネが必要なんだよ」と笑っていましたが、公用車を私事で使い回したり、週末は湯河原の別荘通いですよ。シルクの中国服に至っては噴飯物で、そんなアホな買い物に税金を使うくらいなら、別れた妻子にカネを送ってやれよ、と吉村貫一郎は激怒するでしょう。

 

 東大出の元教授という金看板があっても、東北の貧乏侍にも見下されるような吝嗇で狭量としたら、学校ではいったい何を教えられてきたのでしょうか。恩師とされる人たちはもっと恥じ入るべきではないかなぁ。

 

 つまらない話題はこれから始まる1日を不快にするのでもうやめます。ちなみに、吉村貫一郎の役はやはり中井貴一がよく似合っていたと思います。渡辺謙も悪くはないのですが、顔に迫力があり過ぎです。あくまでボク個人の印象ですが、世界的な評価とは裏腹に、表情にいささかバラエティが乏しいような気がします。

 

 それに比べて、中井貴一は地方の役所に勤める実直な助役というイメージが強く、この役には最適です。そんな小役人風な男が、いざ剣を抜けば怖ろしいほど強いところが意表を突いて面白いわけですよ。

 

 浅田次郎の大傑作であるだけでなく、教科書に粗筋だけでも載せるべきじゃないかな。都議会で「セコい、セコ過ぎます」と金切り声で糾弾されるような都知事なんて、もう二度とお目にかかりたくないですからね。

 

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2016年6月 7日 (火)

2人前から?

 

 このところ居酒屋から遠ざかっていたので知りませんでしたが、ひどい価格表示がまかり通るようになったようです。こんな商売の仕方ってありなんですかねぇ。

 

 なぜだかマグロの山かけを食べたいなぁと店を探していた時に、店頭にあった「刺身盛り合わせ750円」というメニューを見かけました。「盛り合わせ」なら妥当な値段かなと念のために見直して、びっくりしました。小さな文字で(1人前)とあって、続いて(注文は2人前から)と注釈されているではありませんか。

 

 つまり、この価格は1人前の値段であって、実際の注文は2人前からしか受け付けませんということです。もっと正確に言い直せば、「刺身盛り合わせ750円」は注文不可能なウソであって、「刺身盛り合わせ」は「1500円以上」しかないわけです。詐欺的とはいわないまでも、実に姑息で卑怯な表示だと思いませんか。

 

 だってね、「お、刺身盛り合わせが750円か。安いからこの店にしよう」と早合点した孤高のグルメ客がいるとします。

 

「ご注文は?」

「外の看板にあった刺身盛り合わせを1つお願いします」

「2人前でよろしいですよね」

「は?」

「2人前からお受けしているので」

「ちょっと待ってよ。外のメニューには750円と書いてありますよね」

「あれは確かに1人前の価格ですが、ご注文は2人前からしか受けていません」

「とすると750円でなくて、本当は1500円ということになりませんか」

「そうですね」

「だったら、どうして最初から『刺身盛り合わせ1500円(2人前)』と書かないかなぁ」

 

 しまいには「お1人様をナメんじゃねぇぞぉぉぉぉ」とぶち切れたくなりますよね。ボクだけなのかなぁ。

 

 これはおそらく鍋物の表示からインスパイアされたのではないかとボクは睨んでいます。ある程度のボリュームが必要な寄せ鍋なら「2人前から」はやむなしとしても、刺身は一枚単位まで切り分けられるはずです。にもかかわらず1人前の値段を大きく見せておいて、店内では2人前からしか注文を受けないというのはやはり納得いきません。

 

 こんなやり方を許したら、「タマネギ30円(購入は2個以上)」「ボールペン30円(10本以上)」「スーツ2万円(3着以上)」「中古自動車30万円(5台以上)」「中古マンション500万円(10戸以上)なんていう表記もOKということになってしまいます。いえね、こうしたバルクセール=まとめ売りがいけないわけではなく、1つあたりの価格を大きく表示して客寄せしておきながら、実際には複数分しか注文または購買できないというやり方にボクは義憤を感じるのです。

 

 とにかく近年は売り方を粉飾することをマーケティングだと勘違いしているビジネスが多すぎるように思うんだよな。客を騙すことをマーケティングとは言いません。大企業も派手な偽装をやっているからでしょうが、もっと誠実に、倫理的に、道徳的に、正しく市場で競争しましょうよ。

 

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2016年6月 6日 (月)

夏は何を着ても暑い

 

 夏のジャケットを探していることは以前のブログで報告したように思いますが、実はすでに購入してしまいました。今ではもしかすると衝動買いだったかなと後悔することもいささかあるので、正直に告白いたします。皆様のショッピングのご参考にしていただければ何よりです。

 

 えーと、自慢ではありませんが、ボクが購入したサマージャケットの生地はロロピアーナでございます。紳士服の世界では超有名なゼニアと肩を並べる、というか勝るとも劣らない名門として、知る人ぞ知るイタリアンブランドであります。とはいっても、そのジャケットがロロピアーナであることは後で知りました。これもブログで報告しましたが、昨年にゼニアの生地でスーツをオーダーして仕立ての関係で苦い想いを味わったので、イソップ童話の「酸っぱいブドウ」と同じくブランドは敢えて意識しないようにしていたのです。

 

 けれども、そのジャケットは遠目にもブルーの艶っぽい輝きが印象的だったんですよね。それに惹かれて近づいていくと、店員がすかさず「ロロピアーナですから」と囁くではありませんか。

 

 このジャケットの生地はウール69%に、シルク18%で麻13%。このうちのシルクが艶の理由だと分かりました。ネットで調べたところによると、ロロピアーナではウールが同量でもシルク16%麻15%の素材を昨年あたりに「リネンツイード」として発表しており、どうやらそのバリエーションのようです。

 

 こうした素材構成と織り方は「サマーツイード」とも呼ばれるように、夏物にしては厚手でかっちりしています。それもボクが気に入った理由であり、アンコン仕立てと呼ばれる肩パッドや裏地などを抜きまくったものや、背中が透けそうな生地はどうにも好きになれなかったのです。

 ただし、いくら半裏にしても、麻が含まれていようが、暑そうなことは否定できません。エアコンの効いた店内でちょうどいいくらいですから、炎天下なら絶対にアウトでしょう。決して安くはない価格と合わせて、そのデメリットも購入を躊躇させました。

 

 グズグズと優柔不断なボクを見かねたのか、店員が放った言葉が決定的な後押しとなったのです。

 

「夏は何を着ても暑いですよ」

 

 うーむ、これは大変な至言ではないでしょうか。どんな薄手のサマースーツでも近年の盛夏なら汗をかかないで済むはずがありません。半袖の開襟シャツや沖縄のかりゆしウェアにしたところで、30度以上の気温と高い湿気が続けばハンカチは手放せないはずです。

 つまり夏は、どんな服を着たところで涼しくなるはずはなく、とにかく暑い時は暑い。かといって裸で歩くことなんてできないので、好きな服を着た方がいいじゃないですか。

 

 理論的にはまったく矛盾がありません。このように合理的な論理構成にボクはすごく弱くて、「そうだよな」と納得。直ちに購入してしまいました。

 

 さて、その着心地はどうか。まだ2回くらいしか腕を通していませんが、予想に違わず「きっと暑い時は暑いだろうな」と感じております。脇の下の汗を気にするなら、炎天下の移動時は脱いで持参するべきでしょう。あれはやっぱり悪魔の言葉だったのかなぁ。もっと薄手の安物にしといたほうが便利に着られたかなぁとも思っています。

 かといって、もはや夏のファッションに予算はまったく残されていません。どうですかねぇ、これって失敗でしょうか。

 

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2016年6月 3日 (金)

管理職の責務

 

 本日は締め切りが立て込んでおり、長い文章が書けません。昨日の日本経済新聞夕刊に興味深い記事があったので、それについてちょっと。

 

 「現場の『無理だ』トップに届かず」というタイトルで、「三菱自・東亜建設……後絶たぬ改ざん」とありました。説明するまでもなく、燃費偽装や滑走路工事などのデータ改ざん、東芝の粉飾会計に関する背景を取材した記事です。あれれれ、三井不動産の下請けによる杭打ち偽装はどうなったのかな。昨年の出来事だからスルーされているのでしょうか。

 

 いずれにしても、「社内の『失敗できないプレッシャー』が背景になり、現場が不正行為に手を染めたとされる」と分析しています。「組織に尽くす日本的経営の負の面が出た」とする専門家の意見も掲載されていますが、そうかなぁ。

 

 ボクの独断を許していただければ、管理職が現場を知らないことが最も大きな原因ではないでしょうか。あるいは管理と現場の目も眩むほどの乖離です。かつて日本企業の社長は故・本田宗一郎氏のように自ら菜っ葉服を着て工場などに入り浸りました。それがいつの間にか会社がでかくなると、高級スーツを着た管理職たちがエアコンの効いた本社の会議室で数字だけを見ながら、ああだこうだと机上の討論を行うようになってしまったんじゃないかな。

 

 それによって、できっこないことを強権で指示されたら、現場は偽装やウソを言うしかありません。日本経済新聞だから仕方ないにしても、部下や社員の感覚や風土を指摘する以前に、経営幹部の責任を問うべきでしょう。こんなのはまるで太平洋戦争末期の日本軍ですよね。能なしの参謀による無茶で無計画な攻撃による特攻や玉砕で、いったいどれだけの兵隊が死んだことか。それを「日本的(軍事)経営の負の面が出た」なんてお気楽に分析しますかねぇ。

 

東日本大震災で明らかになったように、やはりこの国はリーダー教育が決定的に欠けているとしか言えません。

 

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2016年6月 2日 (木)

物真似

 先日は「衝動買い」的に麻布十番にあるCROCKET MIMIC TOKYO(コロッケ・ミミック・トーキョー)に行ってきました。妙な焦りや心配や不安などから昔あったイヤなことばかり思い返すようになったので、たまには気分転換したっていいじゃないかと、当日にエイヤッと予約を入れたのです。

 このCROCKET MIMIC TOKYOは、「ものまねエンターティンメントライブレストラン」とサブタイトルされているように、北島三郎などの物真似で有名なコロッケのプロデュースで今年1月にオープンしました。以前にテレビでコロッケが「物真似の殿堂を作る」みたいなことを言っていたので、たまたまネットで調べたら、麻布十番のランドマークともいえる「ジュールA」の地下にあるじゃないですか。

 このビルは壁が破れたような外観が特徴で、エドワード鈴木氏が設計して1990年に完成した時は大きな話題になりました。バブルのピークだったしね。ボクは何かの関係で取材して記事を書いたことがあるので、いささか縁があるのです。

 ただし、率直にいえば、物真似のブームは峠を越したというか、今ではテレビ番組も退潮気味です。これは物真似芸人さんの歌があまりにも上手になり過ぎたのではないでしょうか。それを持ち上げれば持ち上げるほど視聴者は鼻白んでしまい、飽きられるのも早くなります。いかに素晴らしい歌唱力があるにしても、オリジナルを超えることは絶対にできないからです。亡くなった人の歌声を偲ぶというなら別ですけどね。

 確かタモリだったと記憶していますが、「物真似は批評芸」という秀逸な言葉があります。批評だからこそ、個性的な歌い方や仕種を見つけて思い切り誇張する。それが笑いにつながるんですよね。ここのところを間違えている人が多いような気がします。物真似は批評を伴った芸であって、単に優れた歌真似のことではないのです。

 とんねるず(もはや漫才師と呼べないですよね)は実にそのあたりをよく分かっていて、『細かすぎて伝わらないモノマネ選手権』をヒットさせました。批評芸のあまりにも濃厚な凝縮ぶりにボクは何度大笑いしたことか。

 でね、この『細かすぎて……』の第15回の優勝者であるアナログタロウが当日の司会進行を担当していたのです。「どうでもいい情報を教えてくれる80年代歌番組の曲紹介」でブレイクした人ですけど、そのほかにもタモリの物真似のコージー富田、石原裕次郎のゆうたろうなどテレビでよく見かけた芸人さんが少なくありませんでした。

 ショーチャージがいささか高いように思いますが、これはテレビ出演経験者が多いことから知名度代も含まれているのかな。ステージはポールダンスなどバラエティに富んでおり、退屈するヒマがなかったので、それだけの価値はあるといえるでしょう。

 当日の演目でとりわけボクが大爆笑したのは、小泉今日子の『なんてったってアイドル』です。派手なイントロに合わせて「イェッ、イェッ」と赤いドレスの女性芸人が手を挙げながら舞台を走り回るのですが、本番の歌になると暗転して終わり。それからすぐに同じイントロが流れて彼女が登場したので、誰だよとじっくり見てみたら、格好は華やかでもどう見たってオバサンです。小泉今日子と似ても似つかないオバサンが「イェッ、イェッ」と叫ぶだけでソデに消えて暗転。でもってもう一回という3段オチ。歌も歌わず「イェッ、イェッ」だけですから、物真似にもなっていませんが、これがやたらに笑えるわけです。単に上手な歌真似は決して物真似ではないことをしっかり認識できる立派な芸ではないでしょうか。

 

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2016年6月 1日 (水)

スーツのポケット

 昨日に引き続き、スーツの着こなしに関する話です。

 メンズスーツの内外には様々なスタイルのポケットがあります。以前に女性から「羨ましいわぁ。女の服なんて何も入らないのよ」と言われたことがありますが、だから高価なブランドもののバッグが欠かせないわけです。男から見れば不必要なほどの数でも、バッグは服の一種と考えればムベなるかなと。

 けれども、メンズのスーツには沢山のポケットがあるといっても、残念ながらそうしたポケットは現代ではお飾りであって、なるべくモノを入れてはいけないというのが常識になっています。胸のポケットにチーフ、スラックスも尻のところにハンカチ1枚程度が精一杯だそうです。

 おいおい、だったらケータイやスマホはどうするのかな。日本では名刺入れも必需品ですよね。アメリカのテレビドラマを見る限りでは、スーツの型崩れには相当に無頓着らしく、スラックスやら上着の内ポケットから大判のスマホを取り出すことが少なくありません。バブルの頃に流行したクラッチバッグを刑事が持っていたら、あまり有能には思えませんからね。

 ただ、昨今流行中のジャストフィットのスーツとなると、実際問題としてスマホはかなりの負担となります。布地の薄いサマースーツならなおさらで、上着にしてもズボンに入れてもカタチがくっきりと浮き彫りになっちゃいます。皆さん、この問題をどうしているのかなぁ。

 この問題を以前に扱った時に、手ぶらが原則のパーティなどの際には同行する女性のバッグに入れて貰うのが最も現実的な解決策だと紹介しました。では1人ならどうするか。これは今でも考えが進行中なのですが、いざとなったら手持ちで行こうかなと思っています。でもって名刺交換など両手を使う時にはポケットに緊急避難させる。それなら滞在時間も少ないので、ヘンな跡もつかないんじゃないかな。

 ここまでは常識の範囲内で、スーツのポケットには何も入れないのが基本にしても、唯一の例外を認めていいものがあると思うのです。

 それが婚約指輪じゃないかな。こんなものをバッグから取り出したら、まるで宝石の行商です。やっぱり婚約指輪は上着のポケットから恭しく取り出してプロポーズしなきゃ格好がつかないでしょう。
 女性も「あら、ポケットがやけに膨らんでいるわ、どうしてかしら」ということで、嬉しい期待を煽る予告編になるじゃないですか。

 そんなわけで、スーツのポケットに入れてもいい唯一の例外として、婚約指輪を申請したいと思います(どこに?)

 けれども、いつも思うことですが、男は女性の指のサイズをどうやって調べているのでしょうか。「話は変わるけど、左手薬指のサイズはいくつなの?」なんて事前に訊いたらサプライズにならないですもんね。

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