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福助くん その6

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    福助くん、9歳の秋です。 ちょっと長めの散歩をして、世田谷公園へ。 紅葉と福助をご覧くださいまし。

福助くん その5

  • 赤いサルビア♪
    2010年秋の福助くん。とある週末に埼玉県所沢市にある航空公園に行ってきました!

福助くん その4

  • 1 毎年恒例の・・・
    今さらですが、今年の花見の福助くん。ご近所の目黒川に行ってきました。

福助くん その3

  • 1 田舎に行ってきました!
    飼い主の田舎に行ってきた福助。うららかな春を迎えた大自然のなかで、いつもと違った表情に。

福助くん その2

  • 定位置
    平日は会社にいる福助。こんな感じの毎日です。

福助くん その1

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    笠木の飼い犬。甘えん坊でちゃっかり屋の8歳。雄。

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2016年7月

2016年7月29日 (金)

裂けるチーズ

 最近妙にハマっているのが、裂けるチーズ、商標では「さけるチーズ」です。

 貧乏家庭で育ったボクにとって、チーズはもともと馴染みのない食べ物で、決して好きではありませんでした。大人になって取材でスイスに行くようになり、チーズフォンデュをきっかけに、なかなか美味しいものであるなぁと分かってきた程度です。

 それでも、フランスの田舎を旅行した時に、まるで食後のデザートのようにチーズセレクションが出てきたのは驚きました。メシの後にチーズかよって思いませんか。

 およそ和食に似合う食べ物ではないので、それから長く固形のチーズには縁遠かったのですが、体質が変わったせいか酒があまり飲めなくなると同時に、好んで食べるようになったのが6Pチーズでした。それもプロセスチーズ限定で、カマンベールのようなテロテロの柔らかなものはアウトです。

 このあたりでお分かりかと思いますが、必ずしもチーズ総体が好きというわけでもないんですよね。

 そんな時にたまたま出会ったのが「さけるチーズ」なのです。これはチーズの本場にもない素晴らしい発明だとボクは思います(あまり調べていないので)。裂けるだけならまだしも、裂けた後の食感もイカの燻製ほどではないにしろ、かなりの弾力があります。

 味もあまりチーズっぽくないので、裂いて口に入れる、また裂いて口にという繰り返しがクセになるんだよなぁ。たまに、細く裂いて縛ったりしてね。犬の福助も好物らしく、裂いた奴を鼻先に出すと飛びついてきます。

 とにかく、この「さけるチーズ」は世界に誇れる独創的な発明ではないでしょうか。でも、酒のつまみ以外に食い方があるのかと思ってウェブサイトを調べたら、「しゃぶしゃぶ」とか予想外なレシピがいろいろ並んでいました。

 中には裂いたチーズを「三つ編み」にした料理もあったので、次はこの「編み方」をコンテストにできるような気がします。日本人というのは、不思議なところでクリエイティビティを発揮する国民のようです。もちろんこれは褒め言葉なので念のため。

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2016年7月28日 (木)

沈黙

 かなり以前に喉を痛めて、まともに声を出せない時期がありました。たまたま取材仕事がなかったので、特に焦ることもなく、淡々と無口な生活を続けていましたが、それがなかなか心地良いんですよね。

 不便といえば確かに不便ではありますが、そんなに困るようなこともなかったなぁ。だってね、日常生活で絶対的に言葉が必要というケースってありますか? スーパーでもコンビニでも、レジ近辺で交わされる会話に意味なんてほとんどありません。その証拠に「ありがとうございます」が「あざーす」に変わっても、誰も「礼儀知らずだ」なんて文句言わないでしょ。

 朝の挨拶にしても「おはよう」が「おは」になっても、意味は通じるはずです。それなら言葉の代わりに、空を指さして満面の笑みをすれば、「今日は良い天気ですね」って誰だって分かるじゃないですか。

 何を今さらと思う人もいるでしょうが、どうも近頃は言葉の衰弱が激しいように思うわけですね。特に唄の歌詞がつまらん。「ああしたい」「こう感じる」というだけで、情景描写がすっぽ抜けています。それではオジサンは感動しないよ。「盗んだバイクで走り出す」くらいのインパクトがなければ、胸に迫ってこないし、歴史に残らないと思うぞ。
 都知事選でもスローガンがひどく陳腐化しており、「●●で良し」「■■で良し」なんて、そんな語呂合わせがホントに政策かよ。

 かと思えば、言葉が過剰にあふれていて、結局は何が言いたいのかよく分からんというケースも結構あります。こういう場合は言葉を現実の帳尻合わせに使っていることが少なくないので、奇妙な理屈がどんどん折り重なっていくように見えます。紙のように薄っぺらな言葉が何枚も何枚も空中にヒラヒラと舞っているような感じの時もありますね。

 そんなわけで、言葉を使っている商売にもかかわらず、たまに話すことや聞くこと、それと読むことにも、ひどく疲れることがあります。そんな時には、むしろ話せないほうが、ずっと楽に生きられるような気がするんですよね。

 言葉を使う動物なんて、地球上では人間だけですから、そもそも不自然なことじゃないですか。だったら、もう少し誠実に言葉を扱うべきではないでしょうか。

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2016年7月27日 (水)

選挙は好き嫌いでいい


 都知事選では、某氏が某氏のことを「病み上がり」と侮蔑したとか言わないとか、外野席から「あの厚化粧」と罵声が飛ぶなど、およそインテリジェンスが感じられない悪口雑言が漏れ聞こえてくるようになりました。ボクごときが知っただけでもこれですから、内輪の演説会でどんなことを言っているのか想像もつきませんよね。

 そういう品性の人に都知事を任せてもいいのかなぁ。

 政治家は政策で勝負しろとは誰でも言うことなので、ボクは逆に選挙なんて好き嫌いだけで投票していいのではないかと考えています。できれば、高潔、気骨がある、または正直この上ないとか、信義の人といった具体的な根拠があるほうが望ましいですけどね。
 メディアが「政策」を比較したがるので、候補者も都政と関係ない国政的なことを口走ったりするようですが、では、そもそもボクたちは政策を本当に判断できるのでしょうか。

 それをするのが民主主義のように教育されてきたので、実はみんな分かったふうな顔をしているだけで、底の浅い理解に留まっているんじゃないかなぁ。

 だってね、ボクが思うに、政治の本質というのは「公の利益」と「個の利益」の調整というか折り合いを付けることですよね。最大多数の最大幸福と言ったところで、みんなが同じように幸福になれるはずがないからです。
 典型的なのは道路計画で、ここに道路を1本通せば年間で5万人くらいが便利になるとします。ところが、その近隣の人たちは安寧が脅かされるとして大反対。こういう場合に、賛成5万人vs反対3000人だから「道路を作ります」というなら、ボクだってできる簡単な計算ですから、行政のプロである政治家なんて必要ないじゃないですか。

 将来は確かに多数の人が便利になるけど、それをもって3000人の意見や要望を無視していいのか、という立ち位置が近代の政治ですよね。
 すいませんが、ボクごときにその可否はまったく分かりません。だからこそ、豊かな見識を持つ政治家に判断をお任せするってことになるわけです。

 にもかかわらず、そうした政治家または行政の長を選ぶ時には政策で判断しなさいって、これほど矛盾した要求はないでしょう。

 こんなこと誰も言わないから敢えてボクは言いますが、上記のような理由から、民主主義における選挙は人気投票になって当たり前なのです。ただし、美人コンテストではないので、顔が綺麗とかスタイルがセクシー、あるいはテレビでお馴染みとか、笑わせてくれそうではダメです。そんなことは自分のトクにならないでしょ。
 そいつが本当に自分の味方になってくれる奴かどうか、困ったらすぐに逃げ出すような奴じゃないよな、まさか私利を貪るようなケチンボじゃないよな、といったことが好き嫌いの軸にならなきゃいけない。

 そうした投票行動が本質であるべき民主主義にヘンテコな理屈を付けて、むしろ衆愚政治の方向にリードしてきたのが日本の戦後だったような気がします。
 選挙なんて好き嫌いで投票していいんですよ。しかしながら、その好き嫌いに自分なりの落とし前をつける覚悟が有権者に必要ってことです。民主主義を衆愚化から救う方法はそれしかないだろうとボクは思います。

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2016年7月26日 (火)

いつまで液晶なの?


 もう飽き飽きしているかもしれませんが、昨日の携帯に関してもうちょっと客観的かつ建設的な意見を追加しておきます。スマホというのは実は技術的には過渡期のスタイルなのですから、もうそろそろ液晶頼りをやめて、違う表示方法に変えませんか、という提案です。そうすることで、ようやく開発の方向性が小型化・薄型化に向かうのではないでしょうか。

 大昔の携帯電話でソニー・エリクソンなるブランドがありました。ここが販売していた携帯電話は、何とスーツの胸ポケットに入るくらいの超小型だったのです。ボクは海外で実際にそれを使っていましたからね。
 今から15年以上も前のことですが、なぜそんなにも小さくできたのでしょうか。理由はまことに簡単で、液晶表示がひどく小さかったのです。数字がやっと一列だけ並ぶくらい。携帯とはいえ「電話」なのですから、それだけで十分ではありませんか。

 その後、なぜだか携帯電話の表示部分はどんどん大きくなり、imodeの導入が決定的な理由となって、ガラケーでも今のような大判になってしまいました。扱う情報量が増えれば、表示面積も大きくなるのは必然的な発展ではあります。

 やがて次世代携帯の真打ちとなるiPhoneが登場。携帯電話はとうとう超小型のパソコンと同じになり、インターネットのウェブサイトも見られるようになってしまいました。こうなったら次の段階は見やすさの追求ですから、スマホはもちろん、ガラケーだって、小さくする理由はどこにもないってことになるわけです。

 こうしたハンディな機械で様々な情報表示を可能にしたのが「液晶」です。漢字では分かりにくいのですが、英語ならリキッド・クリスタル=液体結晶の意味で、ごくごく簡単にいえば、いつもは液体なのに、電気的な刺激を与えると結晶化して光の通り方が変わる物質のことです。

 1964年にアメリカのRCA社が初めて液晶による表示装置を製作しましたが、当時はすぐに反応しなくなるという欠点を持っていました。これにイオン添加剤を加えることで実用化したのは日本人で、1973年にシャープが世界初の液晶電卓を発表しています(『液晶、その不思議な世界へ』小林駿介著、オーム社)

 これが始まりとなって、シャープは怒濤の勢いで液晶パネルを開発。やがて薄型液晶画面のテレビで栄耀栄華と劇的な破滅の両方を経験することになりますが、それはさておき、もしも今の世の中から突然に液晶表示が消えたら、すごいことになりますよね。まるで世界が真っ暗闇になったかのように、情報を得る手段が限られてしまいます。

 つまり、たかだか半世紀足らずで、液晶はボクたちの生活に圧倒的な勢いで浸透してきたのです。それを象徴するが携帯電話でございまして、にもかかわらず「携帯を小さくしてくれ」とブログで叫び続けてはや4年目というのがボクなのです。

 こうした客観的な状況が理解できれば、ボクの要求と社会の趨勢を融合することは不可能ではありません。表示方法を液晶でないものにすりゃいいわけですよ。

 そんなことが果たして可能なのか。できますよ、今なら。プロジェクション・マッピングというピンポイントの映写技術があるじゃないですか。この機構を搭載した名刺サイズの薄型パネルが、新しいスマホであります。このスマホには表示部分が一切ありません。超薄型スピーカーとボタンが1個あるだけ。でね、そのボタンを押すと空中に画面が映し出されるわけです。画面の大きさはユーザーの任意で調整可能。キーボードも下方に映し出されるので、これを叩けば入力もできます。

 どうです、これならスーツの内ポケットに入れても負担を感じないサイズと重さになるではありませんか。ボクが理系だったら、勝手にこういうものを作って持ち運ぶだろうなぁ。
 いずれにしても、もうそろそろ液晶を前世紀の遺物にしませんか。さもなきゃ携帯電話が大きくて重くて仕方ないのであります。

 

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2016年7月25日 (月)

替えました

 

 先週はガラケーが調子悪くて「そろそろ替え時?」というタイトルにしましたが、その後もかかってきた電話が5秒とたたず勝手に切れてしまいます。もともと電話は好きなタチではありませんが、公衆電話が街頭から消えて久しいので、今や携帯なしでは話になりません。

 仕方がないので土曜日の朝一番に買い替えましたよ。もちろん従来の主張通りに、スマホなんぞではなくガラケーでございます。最薄最軽量の機種にしましたが、5グラムほど軽いとはいえ、以前より厚みが増しました。こんなモノをスーツのポケットに入れるわけにはいきません。つまり、より携帯しにくい携帯電話への交換です。この技術革新の時代に、6年前の機種より厚みが増した新製品なんてあり得るのでしょうか。

 担当者は「実はスマホの電波とガラケーのIモードの電波は違います。それをドコモは一本化するつもりらしいので」とか何とか説明していたので、要するにガラケーの新製品開発には不熱心ということです。

 さらに、先週からみんながスマホを持って街中でモンスター探しに徘徊していますからね。ボクもガラケーで探しているふりをして笑いを取ろうかな。
 大昔にも「たまごっち」なる奇怪なゲームが大流行したこともあるので、別にブームや熱狂が悪いとは思いません。トレンドだってあって当然です。けれども、その半面でボクみたいな奴も棲息しているんだけどなぁ。

 みんながスマホを持っているからお前もそれにしなさい、というのは悪しき同調圧力の典型であり、今の政権にも共通したところがあります。少なくともプロダクトを売るメーカーが消費者にそんなことを押しつける権利はないはずです。やっぱCSRなんて嘘っぱちじゃないですか。

 国連でも2011年から2020年を「生物多様性の10年」と位置づけて、国際社会がそれに協力するという決議をしていたはずなんですけどね。人間だけは別というなら、過剰適応した種は環境変化で容易に絶滅するということを忘れてはいませんか、と。

 都知事選でも大量票目当てのせいか、マイノリティを強く意識した公約は見かけません。「伝説のおかま」とされた故・東郷健さんが都知事選も含めて頻繁に選挙に立候補したのは、本気で当選を期待していたわけではなく、そんな風潮への警鐘だったんですよね。

 うーん、近頃はめっきりとジジイ化してきたのでしょうか。
 大昔は谷のほうから小さな清流が何本も筋となっていたのに、いつの間にか大きな河川にまとまって怒濤のように奔流しており、それにみんなが巻き込まれているようにボクは感じます。これもジジイの錯覚というなら何よりですけどね。

 

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2016年7月22日 (金)

そろそろ替え時?

 ガラケーの調子が悪くなって、「再起動」なんてことを機械が勝手にやるようになってしまいました。どうやらカードの接触不良みたいですが、かといってスマホに買い換える気持ちはさらさらないので途方にくれています。

 ちなみに、ボクのガラケーはサイドやら充電部分のフタが完全になくなっており、黒いケースもヴィンテージ感たっぷりの傷だらけ。「すごく年季がはいってますね」と、褒められたのかバカにされたのかよく分からんことを言われたこともあるなぁ。

 それでもスマホはイヤなんだよね。ケチというわけではなくて、あのデカさが携帯には圧倒的に不向きであることがなぜ分からないのでしょうか。かといって修理しようにも、近所のドコモはやたらと時間がかかって、待っている途中で逃げ出したこともしばしばあります。

 ボクは単純に小さくて薄い携帯電話が欲しいだけなのに、こんなにも簡単な望みが叶う気配はまったくありません(泣)。

 それでも21世紀の成熟社会なのでしょうか。多様性もへったくれもないじゃないか!

 

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2016年7月21日 (木)

「お楽しみ」を作る

 怒濤の校了がようやく終わりました。

 まだ別件が継続審議中、じゃなかった締め切りが2本残っているのですが、何とか峠は越したかなと。マジで今回は神経がどうにかなりそうなほど大変でしたが、それでも時は淡々と過ぎていくから面白いですね。

 皆様もそんな事態に直面することがあるはずなので、ご参考までに、ボクのささやかな大混乱大忙し神経錯乱状態脱出法(長い!)を紹介すると、要するに「お楽しみ」を作るってことです。1週間後にせよ、半月後、1か月後、あるいは3か月後に、何か楽しみなことを自分でこしらえてしまう。

 ボクの場合はもっぱら観劇とかライブハウスなど音楽系です。具体的には8月に再び虎姫一座に行く予定でチケットを買っちゃいました。演目がザ・ピーナッツを始めとする本来的な昭和歌謡に戻るので、そのチケットを見ながら「これが終わったら、あれが待ってるぜい」と自分を励ますわけです。その前はそろそろ宝塚大劇場に行こうかなと本気で考えていたくらいです。

 アホみたいなことですが、これが意外に効果的なんですよね。ものは考えようなので、理論的にはどんなことでも「お楽しみ」にできますけど、紙一枚にしてもブツがあるのとないのではリアリティが違ってきます。

 要するに、そういう「お楽しみ」を自分自身で作ることが大切であって、取り立てて何もないなら、敢えてJRの座席予約券を買うために、たとえば金沢に行く予定を立ててもいいじゃないですか。

 でもね、正直を言えば、この先にありそうなイヤなことをわざわざ探し出してきて、「はぁ」と溜息をつくこともしばしばあります。
 先のことなんてあまり考えないほうが健康的ですけど、そのための処方箋をまだ見つけられないことが目下の悩みです。来週はまた歯医者に行って神経の治療だもんなぁ。

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2016年7月20日 (水)

簡単な文章

 

 近頃は根気がすっかりなくなってしまったせいか、面倒くさい文章を読むとブチ切れそうになってきます。みんなもきっと同じだろうと、ボク自身はなるべく分かりやすい簡単な文章を心がけているのですが、それには副作用みたいなことが伴うんですよね。

 つまり、分かりやすい文章は、あまりにも分かりやすいために、ライターがどれだけ苦労したかなんてことはちっとも分からないわけです。つまり、ぶっちゃけ誰も褒めてくれません。簡単なことを簡単に書いただけじゃないか、なんて思われているんだろうなぁ。

 でも、とりわけ生命科学系の場合、中でも分子生物学なんて、相当な文章を読み込まないと、何が何だかという内容ばかり。さらに、最先端の事象なんかを解説している人のほとんどは理系で医学系ですから、そちらの世界の言語が頻繁に使われていて、ボクのような文系には難解極まりないのです。

 そこで別の解説などをネットで探して読み込んでいるうちに、どんどん別の疑問が沸いてきます。それでブーメランのように最初に戻ったり、また別の解説を読んでいるうちに、いつの間にか夜中になったりします。

 翌日の早朝に、分かった範囲のことをボクなりに平易な表現で書くと、結果として「何だ簡単なことじゃん」てなことになるんですな。
 あのね、たとえば世間を騒がしたSTAP細胞のことを分かりやすく他人に説明できる人がどんだけいるでしょうか。DNA検査で行われているPCR=ポリメラーゼ・チェーン・リアクションをうまく説明できる文系が果たしてどれだけいるでしょうか。もっと突きつめると「酵素」っていったい何かを他人に分かりやすく言えますか?

 うーん、何だか愚痴っぽくなっちゃったなぁ。仕事ですから、そんな苦労はどんな業界でもあって当たり前ですよね。でも、たまには簡単な文章って実はすっごく難しいんだぞ、ということに想いを馳せていただくと、とても嬉しいんですけどね。


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2016年7月19日 (火)

アウトサイダー(後)

 

 ボクの持っている「アウトサイダー感覚」を縷々述べてきましたが、結局は他者との間の距離感なんですよね。ボクは一人っ子だったこともあって、この「間合い」みたいなことがひどく苦手なのです。

もちろんこれは物理的な空間距離ではないので、関係の濃密さなどによっても違ってきますよね。
 たとえば1度しか会ったことがないのに「やぁ」と肩を叩かれるのは、ボクにとって失礼極まりないことです。しかし、そうした仕種が好意をもって許される個性の人っているじゃないですか。

 また、たった1度とはいっても、出会いの質も関係しますよね。ワンナイトスタンドとは言わないまでも、酔った勢いでまぁいろいろあったとして、2回目は会釈と「どうも」だけではあまりにも他人行儀で、むしろイヤな奴だと自分の行為を後悔することになるはずです。

 こうした他者との距離の取り方は、算数のような公式にはなりません。たとえば出会いの1回目は2m、2回目は1m50㎝、3回目は70㎝で4回目は20㎝などと決められていたら何と楽でしょうか。

 このため、ボクの若い頃は間合いの取り方が実に不安定で、おそらくひどくなれなれしいと感じた人や、逆に冷淡で扱いにくい奴だと思った人もいるんじゃないかな。まさか「距離感がよく分からないので試行錯誤していました」なんて言えないですからね。

 そんな経験から、普通の人よりも遠めの距離を取るようになって今に至っています。そのことが結果的にボクをアウトサイダーみたいなポジションに置いているのかもしれません。まぁね、そんなにも人は他者に関心を持っていないので、「そうだったの?」みたいな感想でしょうけど。

 そんなボクにもかかわらず、仕事が仕事なので、1度しかお会いしない人を数多く取材してきました。そういう時の距離感をどうするかと普通は悩みますよね。ところが、ボクはそのあたりはまったく大丈夫なのです。
 有名俳優やタレントならさすがに最初は緊張しますが、それでも話を聞かなければ記事が書けるはずがないので、臆しているわけにはいきません。だから笑顔や軽い冗談は必須だと心がけています。それこそ人間のコミュニケーションの8割は言語以外ともいわれているので、腕や手によるジェスチャーや、たまに大きく頷くことも必要不可欠です。

 それで何となく分かってきたのは、要するに立場と目的さえ明解なら、それに応じた距離感をちゃんと持っているじゃないかと。けれども、仕事関係でも仕事以外の立場になることがあります。そんな時にボクは完全に当惑してしまって、延々と仕事の話を続けたりするわけです。

 人間関係というのは、うまくいけばこんなに楽しいことはありません。しかし、うまくいかないと長く心を苦しめてしまうことになる。だったら距離を置いておこうなんてね。

 何のことはない、アウトサイダーというのは「臆病者」の別名であったことに、この年齢になってようやく気づいた次第です。


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2016年7月15日 (金)

アウトサイダー(中)

 

 小学校4年の時に、名古屋の中心部から郊外に初めて引っ越しました。田舎の学校は人口の流動が少ないせいか、子供というより先生のほうが転校生を珍しがるんですよね。それで「前に出て挨拶しなさい」なんて言われたりします。

 仕方がないので「西区から来ました。こちらは自然が多くて……」なんてことを言うと、すぐに生意気扱いされて、バカな子ほど異物排除に熱心に取り組むようになります。幸いにボクは身体が小さなほうではなかったせいか、いじめにあった記憶はありません。まだボーッとしていて、自意識が乏しかったからかな。

 それでも中学の転校時は、やたらにボクに突っかかってくる奴がいて、彼とは殴り合いに近いところまで行きました。そんな時に退いてしまうと、こういう奴はさらにつけあがるので、頑張って踏みとどまることが必要です。抵抗してホネがあるところを見せれば、逆に友達になったりします。

 そうした引っ越し続きの経験で痛感したのは、つくづく日本社会や組織というのは、いや世界中がきっとそうでしょうが、同質性を求めるんですよね。前述したように、新参者は理由もなく圧力を受け、時には排除されそうになります。具体的な理由なんかひとつもありません。とにかく異物であることから、まるで身体の免疫のようにキラー細胞が働くという仕掛けになっています。

 ボクの側も、最初の引っ越しの時から違和感みたいものを持ち続けてきました。エデンの園を追い出されたアダムみたいなもので、喪失感を伴った異物意識というか、カッコ良く言えばエトランジェ=異邦人または根無し草ですな。

 そんな違和感をようやく払拭できたのは高校からです。各地から生徒が集まっているので、最初はみんなが異物ですもんね。地域密着の義務教育に比べて何て自由なんだろうという、圧倒的な解放感がありました。
 けれども、高校2年の時に私立高校から編入してきた生徒がいて、さすがに小学校中学校のレベルではありませんが、やはり異物排除的な感覚が立ち上ったように思います。ボクは別のクラスだったので遠くから見る立場でしたが、たった1年程度で同質社会が形成されてしまうのです。

 そんなわけで、ボクが聞くたびに身の毛がよだつのは「団結」という言葉なんですよね。続いて、大変に申し訳ないのですが「絆」。この気持ち悪さを本当に共感できる人は少ないんじゃないかなぁ。疎外感というほどではありませんが、集団の中にどうしても溶け込めないものが自分自身の中に抜きがたくあると感じてきました。

 これだけではただの体験談になってしまうので、この続きは連休明けに。

 

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2016年7月14日 (木)

アウトサイダー(前)

 

 本日は急ぎの仕事が入ってしまい、ブログの時間が取れません。連休前なので、皆さんもバタバタしているみたいですね。

 

 にもかかわらず、長くずっと感じ続けていたことが、こういう切羽詰まったみたいな時に浮かび上がってくるから困ります。取り急ぎ結論から言えば、「アウトサイダー」感覚です。

 

 子供の頃から喧嘩っ早いオヤジのおかげで名古屋市内を転々と引っ越しました。喧嘩といっても職場での意見の相違であって、殴り合いまで発展したことはないはずです。きっと。戦争中は軍属で、そこそこに優秀と評価された旋盤工のオヤジは、どこで働いてもレベルが低くて我慢ならないと感じたことがしばしばあったようです。

 

 いずれにしても、ボクは小学校4年の頃に都市部から田舎に転校したことを皮切りに、以後は近距離の引っ越しを重ねました。その時から、落ち着いた自分の居場所を失ったというか、どこであろうが「よそ者」という感覚が染みついてしまったようです。

 

 こうしたアウトサイダー感覚は、学校に限らず、勉強にも、友人関係にも影響してきます。つまるところ、どんなに仲良くなっても、何をしたところで、みんなの外側にポツンといる孤独感なのです。あんまり嬉しいとはいえない感覚ですが、子供の頃からなので、悲しいと思ったことは一度もありません。

 

 ただね、両親ともに亡くして、親戚もほとんどいない今では、さすがに一抹の寂しさはあります。子供もいないしね。けれども、誰だって死ぬ時は1人ですから。人類そのものが地球にとってアウトサイダーだと考えることだってできるじゃないですか。アメリカ人だって、ネイティブを除けばみんな移民でアウトサイダーですもんね。

 何が言いたいのか分からないでしょうから、明日もこの話題を続けます。

 

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2016年7月13日 (水)

前歯

 

 今年1月に虫歯を抜いてから、継続的に歯科医院に通っています。

 

 以前は歯科医の予約なんてバックレまくりでした。おかげで「必ず来られる日を指定してください」と不愉快そうに厳命されるくらいでしたが、今回は一度もキャンセルしたことがありません。

 

 けれども、心を入れ替えるのがあまりにも遅すぎたらしく、口の中が血まみれになるほど歯垢をこそぎ取られ、根っ子までやられている歯が遠慮なく抜かれて、とうとう前歯まで痩せ細ってしまいました。「ダメな部分を削っていくと少ししか残りませんでした」と歯医者。今はそこに仮歯を被せていますが、「次は神経を処置しておかないといけません」と恐ろしい予告をされています。

 

 これは仕方ないとしても、それまで前歯にはセラミックの貼り歯をしていたのです。ボクは痛いのが大嫌いなので、最も手数の少ない処置として貼り歯にしたのですが、保険対象の材料のほかにいろいろ選択肢があるんですよね。

 ボクは人間の歯に最も近いといわれるセラミックを選んだのですが、これが1枚何と10万円。2枚必要だったので20万円もしました。

 

 そそそそそ、それが、ですね。今回の治療でさっさとゴミ箱行き。虫歯の治療なんかより、はるかに「痛い」結果になってしまったのです。虫歯は生活習慣が原因であり、セラミックの貼り歯にしたのも自己責任だから誰にも文句を言えないじゃないですか。

 

 考えてみれば、「にぃー」っと前歯を丸出しにするような表情をすることは滅多にないので、わざわざセラミックにする必要はなかったかもしれません。今度は保険対象の材料にしようかな。

 

 そういえば、この歯科医院の上階に整形美容のクリニックがあり、ここがかなり繁盛しているらしいのです。1階のエレベータで5人くらい待っていると、うち3人は女性でクリニック行き、1人は歯科医院で、もう1人は別の階という感覚かな。整形美容にもはや抵抗なんか皆無みたいです。『人は見た目が9割』なんていう本が話題になったこともあるように、キレイで整った顔のほうが圧倒的にトクではあるんですけどね。

 

 そうなると、女性をホメる時には注意が必要になります。

 

 ヘタすりゃ整形したところをホメまくる怖れがあるというのは素人の発想で、内面をホメないとインパクトがないのです。キレイな顔を「キレイだね」と言われても、内心では「あれだけカネをかけたんだからと」と当然のことですもんね。そうした容姿をホメることにはそもそもオリジナリティがないので、メンタルや個性やスキル方面にシフトしたほうがいい。

 あっ、そうなると容貌以外に注意が向くようになるので、それが女性たちの本当の狙いだったのかな、なんてね。

 

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2016年7月12日 (火)

男と女

 

 暑くなるのに比例して服が薄くなるせいか、女性はどんどん美しくなっていきます。特に若い女性は、うなじあたりに浮かんだ汗の滴すら魅力的な輝きを放つんですよね。ボクだけの感想ではなく、アーウィン・ショーの『夏服を着た女たち』でも似たようなことが書かれています。

 

 でも、これは残念ながら年齢が大きく関係しています。人間も動物ですから、「繁殖期」にとりわけ魅力的になるのは当然です。まさにそのことを「番茶も出花」というわけですね。

 

 そんな若い女性にとっては、同年代の男の子も似たように見えるに違いありません。それで種が無事に存続していくという仕掛けなのですが、人間社会は自然界に比べて相当に異常なので、ヘンテコなことが起きてきます。本来なら繁殖真っ盛りの時期に大学受験があるので自分の本能を抑えて勉強しなきゃいけない。なぜだか発情期がなくなって、年がら年中することができるので、痴漢やら変態やらストーカーみたいな歪んだことも起きてしまう。そんな迷惑を社会にまき散らさないように、自分の猛々しい動物性をきちんと律していくことが、あるべき人間の態度ということになるわけです。

 

 遠回りをしましたが、ファッションはそれを如実に反映しています。というのも、女性の服は体形を強調するようにデザインされており、特に上着の丈なんか、お尻が出るくらいの短さになっていますよね。パーティドレスの中には、息を呑むほど胸や肌を露出したデザインもあるくらいです。

 その一方で、男性のスーツの着丈は尻を隠すのが常識です。女性は自分の魅力を振りまくようにファッションをまとうのに対して、男は自分の獣性をコントロールできる理性と知性=優しさを表現しているとも理解できます。その背景には、選ぶ性と選ばれる性という違いがあるのではないでしょうか。

 

 この選ぶと選ばれるという違いは、現代ではフィジカルな差異に基づくものではなく、経済力が理由になっていると思うのです。

 

 その証拠に、最近は男のスーツの着丈がどんどん短くなって、中には尻が見えるくらいのデザインもあるんですよね。これは女性が活発に社会進出して、男なみというか、それをしのぐような経済力を持ち始めてきたことが影響しているように思います。歌舞伎町のホストとどこが違うんだよという何とか事務所のタレントや韓流なんかが象徴的で、女性に選ばれることを望む男性が増えてきたのではないかとボクは解釈しています。

 

 まぁね、こんなことはすべて仮説で根拠なんぞありゃしませんが、夏になるとそんなことを考えたりするわけです。

 

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2016年7月11日 (月)

脱力選挙

 

 バタフライの池江璃花子選手、凄いですね。ボクも小学校4年から水泳部だったので分かりますが、あんなに肩の柔らかい水泳選手はこれまでに見たことがありません。

 

 彼女が出場したレースを見ればすぐに分かりますが、両手が誰よりも高いところから水をキャッチにいきます。初めて彼女の泳ぎを見た時は、この両手の動きがまるで背中に生えた羽根のようだったので、本当にびっくりしました。

 

 バタフライというのは、両手で水をかき、フィニッシュを経て両手を空中に抜き出してから、前方に水をつかまえにいきます。常に両手を一緒に動かすため、理論的にはクロールよりも速いとされていますが、自分でやってみれば分かるように、どうしたって肩胛骨が邪魔するので、背中側での腕の角度はかなり制限されます。

 

 このため、選手のほとんどは両手を低いところから前に出すことしかできません。それでは水をキャッチするポイントを遠くすることができないので、手前で着水することになります。それによってストロークが短くなれば、回数を増やすしか速度を上げる方法はありません。ところが、バタフライは前述したように両腕を一緒に大きく動かすので、ピッチ泳法が困難なのです。

 

 それに対して、池江選手の両手は誰よりも高いところに出せるので、必然的にキャッチポイントも遠くなり、大きなストロークで身体を前に引っ張っていけるのです。さらに肩が柔らかいことから、ノーブレスで頭が水中にあっても両腕を高くして両手を前に出すことができます。現在の泳法には疎いのですが、頭部が推進力の最大の抵抗になるので、その上下動がないほうが速くなるんじゃないかな。

 すでに自由形とバタフライの50mと100mで日本記録を出しているようですが、まだ16歳ですから、もっと速くなることは間違いありません。ちなみに、中学から高校あたりまでが筋力と体重のベストバランスともいわれているので、これからが大変に楽しみな選手です。

 

 それに比べて、と比較するのが無茶なことは承知ですが、参院選、ひどかったですね。特に野党が論点を見失っており、あれでは政権与党に勝てるはずがない。ボクは「脱力選挙」と命名しました。

 党名をコロコロ変えるのもやめたほうがいい。世の中が悪くなるのは必ずしも与党のせいだけでなく、野党にも大きな責任があることをなぜ分からないのかなぁ。

 

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2016年7月 8日 (金)

引き算

 

 テレサ・テンの歌を何度も聴いて気づいたのは、どうやら彼女の歌の魅力は「引き算」にあるということです。

 

 小学校から高校あたりまで、音楽の時間は複式呼吸を指導され、歌声は腹から出して発音も正しくというのが基本だったと思います。カンツォーネやオペラなんかも、マイクなしで大きな声が出せるほどエラいみたいな側面があるじゃないですか。そのせいか、日本のロックやポップスもサビというかクライマックスの時には、マイクを遠ざけながら、ことさら声を大きくして強調する歌手がいます。

 

 この大きな声による強調が「足し算」とすれば、演歌や歌謡曲では、メロディと歌詞の内容がピークを迎えるクライマックスのところで、敢えて声を絞ったりすることが普通にあります。今なら石川さゆりが典型的かな。それが逆に、聞く側の情感をさらにかきたてるということになるわけですよ。

 

 これがボクの考える「引き算」であり、テレサ・テンは透明感のある儚げな声質もあって、格別にそうした歌い方が上手だったと思うのです。おそらくプロの歌手ですから肺活量は人並み以上のはずですが、その力を出し切ったら歌ではなく選挙演説です。大きな声で名前を連呼しても心に届かないですよね。

 むしろ、大きな声を出して伝えたい時ほど、ギリギリまで「引き算」して表現する。その引かれた部分をボクたちは想像で補おうとするから、心に情念が生まれて歌をより深く感じられるのです。

 

 これは文章もまったく同じで、「足し算」的な表現をいくら重ねても、読む方の感動がそれなりに高まるかといえばそうではありません。むしろ、余計な文章を削りまくって、どうしてもカットできない部分だけを書いたほうが効果的なのです。

 

 小説でその手法を多用する作家は多く、中でも松本清張は名手といえるのではないでしょうか。事実だけを短い文章で淡々と重ねていくから、たとえば豪雨の日に土手に埋められた死体の腕が露出した、なんていう情景の不気味さが生きてくるのです。エンディングも同じで、書けば書くほど大切なことが伝わらなくなってきます。ポツンと1行だけの短い文章で、読者に戦慄するほどの恐怖や、一生忘れられない熱い感動を与えるにはどうしたらいいだろうと、ボクなんかはいつも考えていますけどね。

 

 今時のカラオケマシンには採点機能があったりしますが、こういう「引き算」はカウントされるのでしょうか。譜面に忠実な歌なんて、仮に満点を取ろうが、ちっとも面白くないし、まるで感動しません。人生も仕事も、実はそれとよく似ているのかもしれません。

 

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2016年7月 7日 (木)

居場所

 

 わぁおーーーー、まだまだ忙しくて、ブログを書いている余裕がありません。

 

 今でもアセアセな気持ちで、こんなことしていていいのだろうかいう罪の意識があります。なので、さっさと今回は終わらせますね。

 

 えーと、バングラデシュのテロ事件です。現地のために働いていた7人の日本人が犠牲になりました。まったくやりきれない事件ですけど、ボクにとって衝撃だったのは、犯人とされる連中が決して貧困層ではなく、むしろ留学経験のあるカネ持ちのインテリだったということです。

 

 嘘かホントか、失恋して人生に絶望したあげくに、ISの過激な思想に惹かれていったなんて報道されていますが、そんなくだらんことで他人を巻き込むなよ。貧困ならカネで何とかなっても(これも傲慢な発想ですけど)、こういう動機は解決しようがありません。学校で「個人の恨みつらみをアカの他人、しかも弱い人たちにぶつけるのは卑怯というより、自分が死んだほうがいいくらいバカで恥ずかしい所業である」としつこく教え続けるほかないでしょうね。

 

 ここに至って、ボクがかつて書いた「世界人権憲章」みたいなものが浮上してくるわけです。簡単に説明すると、世界には様々な宗教や文化があります。いくらグローバルだからといって、これをひとつに統一することは無理があります。けれども、他人を理由もなく殺していいという宗教や文化はどこにもあり得ません。なぜなら、ゲーム理論を持ち出すまでもなく、そんなことを認めたら自分も殺されるからです。

 

 そうした人類共通の理念や禁忌はひとつだけではありません。だったら、それを10個くらいにまとめて、分かりやすい言葉にする。それを国連経由で世界各国の文部省に通達して徹底しましょう、というアイデアです。現代の「十戒」みたいなものですな。実際に「自由世界憲章」なんてのがあるんですが、寡聞にして国連で討議されたと聞いたことがありません。

 

 そして、居場所がないことが彼らの根本的な動機のような気もします。留学から帰国しても、自分が納得できる会社などの居場所がない。ボクも経験がありますが、そういう時にこそ自暴自棄になってしまう。

 

 どうしたらいいか分かりませんが、日本のお年寄りも、これから同じように居場所のない人が増えていくような予感がします。でもって、いつか暴発、とは言わないまでも、キレやすいジーサンなど危険な兆候はあちこちで出ているんですよね。

 

 どうすりゃいい、といわれても解決策なんてありません。ただ、もしも居場所がないことが原因なら、どこかに作ってあげることが解決策になるはずです。そこから始めていかないと、こういう問題はやっぱダメなんでしょうね。そして、その居場所は何も物理的な空間だけでなく、心の中にもあることを分からせてあげることが、教育の役割ではないかとボクは思います。

 

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2016年7月 6日 (水)

英語の日本語化

 

 ジジーになったせいか、偏屈の度合いがますます加速してきたような気がします。それで真っ先に文句を言いたいのが、英語を使って賢く見せる、あるいはケムに巻くという昔ながらのやり方なんだよな。

 

 日本もグローバル化社会ですから英語がいけないというわけではありません。けれども「IoT」ってなんだよ。こちらも商売ですから「インターネット・オブ・シングス」の略であることは百も承知ですけど、それをそのまま新聞なんかでナマで使うってのは、どういう料簡なのかなぁ。どんなこともインターネットにつなぐと新しい機能や利便性が生まれる、そういう時代になりましたよ、という意味だとボクは解釈していますが、それなら「インターネット化」でいいんじゃないの?

 いささか時代遅れのボクは、わざわざ英語を使うことで、自分には知識はあるんだ、どうだ知性的だろ偉いだろと連呼して自慢しているようにしか思えません。

 

 こういう事例が最近は頻繁にありまして、「マルチレイヤー」って分かりますか。イラストレーターというコンピュータソフトを使っている人は分かるはずですが、要するに「多層」ということでございます。だったらそう書けばいいのに、これまた気取ってカタカナを書いたり言ったりする人が少なくない。インテグレートとかバーチカルなんかも、分かったようで分からん言葉じゃないかい!

 

 すいません、つい興奮してしまいました。

 

 ボクは文明開化期の日本人が素晴らしかったのは、英語で導入された欧米の文物をとにかく日本語化していったことだと思います。

 福澤諭吉だけでなく、専修大学の前身の専修学校(今の専修学校とは違います)でも経済学の専門用語を日本語化して教えることで、その知識や理論を一般大衆に広めていくことに貢献しました。もしもそうした努力がなければ、欧米から輸入された高度な知識は一部のインテリが独占し、やがて強固な権力に変質していったはずです。

 

 欧米の文物の日本語化に腐心した私立学校とは裏腹に、外国人が英語のまんまで教えたのが国立の帝国大学でした。そのためには勉強の事前準備が不可欠ということで、東京大学に予備門が生まれたのです。現在も多額の国家予算を投入して高級官僚を育成するという形で権力と結びついていますが(それだけではないにしても)、少なくとも知識や理論だけは、書物という形なら少額のカネさえあれば誰でも得ることが可能です。今ではそれこそインターネットのおかげで、カネも必要ではなくなりつつあります。

 インターネットは別にして、こうした平等な知識社会のルーツは、やはり明治期の崇高な志を持った私立学校の創立者たちの業績ではないかと思うのです。

 

 さらに言えば、日本はアジアでは珍しく、チャールズだのベティだのといった英語名を名乗る習慣からも解放されています。欧米に支配されていた旧植民地では、本名のほかにそうした英語名を持つことが珍しくありません。そのほうが支配者は聞き取りやすく、発音も楽ですからね。かのブルース・リーだって、本当は李小龍、ウィキペディアによれば出生名は李振藩とされています。香港やシンガポールあたりでは常識的なことでも、日本で「私は佐藤正隆(仮名です)、マッキー佐藤と呼ばれています」と言ったら、帰国子女でもない限り、相当に怪しい奴と思われるのでしょう。そういうばショーン何とかっていう学歴詐称のタレントもいたじゃないですか。

 

 自分の名前を捨てちまうような、こういう恥ずかしいことが習慣化しなかったことも、英語をどんどん日本語化してきた歴史が背景にあるのではないでしょうか。もちろん明治維新以降の政治改革によって植民地化をからくも回避できたことが大きいですけどね。ちなみに、以前に書いたテレサ・テンは芸名ではありますが、本名は鄭麗君、デン・リューチンと読みます。アグネス・チャンだって陳美齢ですもんね。芸能人は世界を市場にしているという理由もあるでしょうけどね。

 

 ボクは断じて国粋主義者でありません。どんなカタカナを使おうが自由であり、もとをたどれば漢字だって中国からの輸入品です。ただ、偉大なる先人たちの努力や歴史に敬意をちょっとでも感じなら、軽々しく知ったかぶりの英語を使わないほうが賢く見えるんじゃないかな、と言いたいのであります。

 

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2016年7月 4日 (月)

走る母娘

 

 時々マンションのエレベータで一緒になる母娘がいます。娘さんは小学校低学年くらいの感じで、お母さんの手を握りながら、ボクの顔をチラリと盗み見たりする可愛い子です。

 

 先日は、エレベータが1階に近づくと、お母さんは腕時計に目をやってから「時間がないから、走るよ、まぁちゃん」と声をかけて、扉が開くのを待ちかねたように飛び出していきました。ボクの事務所のマンションはオートロックなので一旦停止して足踏みした上で、お母さんが脱兎のごとく飛び出し、彼女の手に引っ張られようにまぁちゃんがついていきます。このため、スカートがヒラヒラってはためくわけですな。

 

 そこそこに愛らしい光景とはいえるのですが、一度だけではなく、「この間も同じだったよなぁ」というのが、ボクの感想なのです。申し訳ないけど、お母さんがわずか5分ほどすべての準備を前倒しにするように心がければ、まぁちゃんもスカートをヒラヒラさせなくていいのにね。さもなければ、彼女の将来を考えると暗澹としてきます。

 

 まぁちゃんが大きくなると、この「走るよ」という習慣はそのまま継承され、彼女の子供も娘ならスカートがヒラヒラとなる可能性が極めて高いからです。もしかすると、まぁちゃんの母親も子供の頃に同じことを経験してきたかもしれません。ドメスティック・バイオレンスの連鎖と同じですよね。

 

 そうした習慣はどこかで断ち切らなきゃいけないのに、それができない人が無数にいます。連鎖を遡れば誰の責任か分からなくなりますが、とにかく子供に親と同じことをさせるのは忍びないじゃないですか。他人事とは承知の上ですが、あまりにも進歩がなさ過ぎで、子供が可哀相だとボクは思うんですけどね。

 

 なお、明日は早朝から取材があるので、このブログはお休みとさせていただき、6日の水曜日から再開いたします。

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2016年7月 1日 (金)

ボストン・ダイナミクス

 

 以前に4足歩行の牛型ロボットについて紹介しましたが、今朝のテレビを見て仰天しました。とうとう犬型にまで進化しているではありませんか。バナナの皮で転んでも、すぐに自立。階段もトントントンと駆け上り、うちのおばあちゃんよりずっと達者です(おばあちゃんは嘘です)。

 

 こりゃもう革命的なことなのに、テレビのキャスターは「動きがユーモラスですねぇ」って、のんびりした感想ですからね。そこじゃないだろ、報道のポイントは。

 もうちょっと動きを確認したいと再度の放映を待っていたのですが、その後は旦那が薬物で逮捕された女優の記者会見ばっかり。そんなに女を泣かせたいのかてめぇら、とつい桃太郎侍してしまいました。だってね、涙ぐむのを待ちかねたかのようにフラッシュがピカピカ、シャッターがガシャガシャだもんなぁ。離婚を迫るのも社会的制裁かもしれないけど、せっかく夫婦になったんだからさぁ、いろいろあるにしても、旦那の更生の道を支えてやるってこともありでしょうよ。孤独にしてしまったら、いよいよ再犯しやすくなると思うんですけど。

 

 という、実は民度にもかかわることはさておき、4足歩行ロボットに戻ります。なぜボクがこの技術に注目するかというと、平滑な路面が必要な車輪よりも機動性が高いということだけでなく、鉄腕アトムのようなヒト型ロボットが現実的になってくるからです。ロボットが必ずしもヒト型である必要はありませんが、人間が活動できるところならどこでも同じように動けるほか、既存の施設をわざわざロボット用にリフォームしなくてもいいという経済性や利便性もメリットではないでしょうか。

 

 ですからボクは、以前の牛型ロボットが発表された時に、なぜロボット大国といわれる日本でこれを発明できなかったのかと指摘しました。東日本大震災でメルトダウンに至った福島第1原子力発電所でも、ロボットが大活躍するかと思えば相変わらずキャピタラーや車輪タイプばかりで、瓦礫が障害になって前に進むことができないケースが続出しましたよね。さらに当初は外国製ばかりで、日本製のロボットが投入されたのはしばらく経過してからじゃなかったかなぁ。

 

 そんなわけで、ITで追随を余儀なくされているだけでなく、実はロボットも、クルマの自動運転にしても技術は外国製で、もっぱらアメリカのハイテク産業がリードしているのではないでしょうか。

 

 驚くべき事情はそれだけではありません。まだロクに調べていないので勘違いもあるかもしれませんが、この4足歩行ロボットを開発したボストン・ダイナミクスという会社はグーグルが買収して傘下にしていたらしい。ところが、今年の春頃からアメリカのトヨタ関連会社が買収する動きに出ており、どうやら本決まりになっているらしいのです。ははぁ、ということは先のテレビ報道は売却金額引き上げのためのセールス・プロモーションかなという深読みだってできます。

 

 仮にそうだしても、どうしてグーグルはこんなに有望な会社を手放そうとしているのでしょうか。自動運転技術に資本を集中させるためという説もあるようですが、それならトヨタだって同じはずです。

 ここから先は憶測になるのでやめますが、要するに4足歩行ロボットという新技術の将来性をめぐって、オールドビジネス(カーメーカー)とニュービジネス(IT)の覇者たちの巨大資本がしのぎを削っているとも考えられるでしょう。まだ実態もよく見えない段階から、次世代のハイテクを大金を投じてもぎ取るような戦いが演じられているといっていい。

 

 ソフトバンクの社長が何十億円という年俸を副社長に支払ったことが大きな話題となりましたが、その副社長の人脈と判断によって有望な新技術を持つ会社を傘下に置くことができれば、そんな金額は十分にペイできるという判断があったようです。

 

 つまり、ですね。現代の競争社会は技術開発もさることながら、莫大な資金をどう活用して未来につなげていくかという時代になっているわけです。明日を生き延びるために、今日のカネをどう使うべきか。そういう勉強を日本の大学の経営学やMBAできちんとやっているのでしょうか。

 

 技術はね、今朝の新聞報道でもあったように、無免疫のサルを誕生させるなど、まだまだ世界トップの水準にあると思うのです。けれども、経営者やリーダー、そしてカネの使い方がアメリカのレベルに達していない。このまま貯め込むばっかりでは優秀な人間はどんどん海外に流出していき、ダメな奴しか残っていない国になりかねないと、ボクは大いに危惧しているのです。

 

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