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福助くん その6

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    福助くん、9歳の秋です。 ちょっと長めの散歩をして、世田谷公園へ。 紅葉と福助をご覧くださいまし。

福助くん その5

  • 赤いサルビア♪
    2010年秋の福助くん。とある週末に埼玉県所沢市にある航空公園に行ってきました!

福助くん その4

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    今さらですが、今年の花見の福助くん。ご近所の目黒川に行ってきました。

福助くん その3

  • 1 田舎に行ってきました!
    飼い主の田舎に行ってきた福助。うららかな春を迎えた大自然のなかで、いつもと違った表情に。

福助くん その2

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    平日は会社にいる福助。こんな感じの毎日です。

福助くん その1

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2016年9月

2016年9月30日 (金)

『ウィスキーの小瓶』

 

 ヘコたれた気分の時って、どんな楽曲を聴きますか?

 

 ボク的に大きく分ければ、「元気になる系」と「感傷に浸り系」となります。

 前者の典型は何といっても「ロッキーのテーマ」で知られるGonna Fly Nowですよね。映画『ロッキー』が公開されたのは1976年。ストーリーはまったく単純ですが、最後のリングでの殴り合いが凄絶で、それまでのボクシング映画が絵空事に見えるほどのド迫力がありました。頭は良くないけど純粋で朴訥で、ボクサーしか生きる術を持たない不器用な男が、全力を振り絞って強者=チャンピオンに挑む。試合後は勝敗の判定を待つことなく、恋人の姿を探し求めて「エイドリアン! アイ・ラヴ・ユー」と叫ぶのですが、このシーンで眼に涙を浮かべた男はかなりいるんじゃないかな。

 

 そんな映画のテーマソングですから、勇壮なトランペットが鳴り響くイントロを聴くだけで、スウェットを着たロッキーがダッシュしてフィラデルフィアの公会堂(?)みたいな建物の階段を駆け上っていく姿を思い出します。

 

 クライマックスに向けての盛り上がりが実に巧みに構成された協奏曲ですけど、人生のどん底に達するくらいヘコたれた時には、こういうアッパー系は逆効果だったりします。元気が良すぎてイヤになってくるわけです。ちなみに、個人的な経験ですが、アメリカ文化の影響を受けた外国人の多くは、暗い顔をしていると「次はベストを尽くせ」とか何とかやたらに前向きで、背中を押したついでに尻も叩くような応援をするように思います。

 

 ところが、東洋的な文化は、演歌が象徴的ですが、悲しく暗い気分に浸ることを許してくれるんですよね。いわばダウナー系です。これがね、人によっては甘い感傷に逃げ込むように見えるらしい。そりゃね、いくらかでも元気が残っていればロッキーで再起できても、ほぼ完全に叩きのめされて出口が見えない時には、人生を投げ出したくなります。そういう時には、そっと心を抱きしめてくれるような歌が必要なのです。それが演歌なんでしょうね。

 

 ただし、こういう楽曲は居心地があまりにも良すぎて、クスリが効きすぎると本当に再起できなくなってしまいます。その意味でボクが長く避けてきたのが『ウィスキーの小瓶』です。みなみらんぼうの作詞作曲・歌で1973年に発表されました。

 

ウィスキーの小瓶を

口に運びながら、

涙と思い出を肴にして

 

 ほらね、これだけで大甘の歌ではありませんか。こんな歌が好きだと言ったら間違いなくみんなにバカにされると若い頃に封印しましたが、それだけ惹かれたことは事実です。らんぼうという名前は、フランスの詩人、アルチュール・ランボーから取ったというだけでも志向が分かりますよね。

 

列車の窓に僕の顔が映る

なんてみじめな姿なんだろう

戯れだと思っていた恋に

うちのめされてしまうなんて

 

 過剰な自意識というかナルシシズムがあふれかえっていて、ボクが女性だったら、こんな甘ちゃんは絶対に相手にしないでしょうね。けれども曲自体はアレンジが優れているせいか、洒脱なリードギターが誘うリズムやメロディが快適で、センチメンタルが気持ち良く感じられるのです。

 リフレインの歌詞がまた大笑いするくらいの類型的なイメージになっており、大昔は気恥ずかしくて仕方ありませんでした。でも、この年齢になってみると、それも許していいのではないかと。

 

こうして誰もが大人になってゆく

そんな話をどこかで聞いたっけ

人間同士の辛い別れという劇を

いま僕が演じている

 

 ちゃんちゃらおかしくて、若さの極みともいえますが、だからといってボクが大人になったとは限りません。ああ、日暮れて道遠し。たまにはそんな気分になってもいいのかな。

 

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2016年9月29日 (木)

よく噛む

 

 普通の人に比べて海外旅行の経験は多いほうだと思いますが、地域的にはすごく限られており、南半球はオーストラリアしか行ったことがありません。チャンスがなかったというのも大きな理由ですが、たとえばアフリカに行く時は予防注射を何度も打たなきゃいけない(地域にもよりますが)。注射自体が大嫌いなだけでなく、それだけ恐ろしい感染症が蔓延していることに怯んでしまうのです。

 

 それと、得体の知れない寄生虫。アマゾン川で捕れた魚を刺身にして食べたら、翌日から皮膚の下を寄生虫が這い回ったなんて話を読んだことがあって、腕と背中に鳥肌が立ちました。

 

 けれども、そうした未開の地に好んで行く冒険者もいます。ある意味で無神経なんじゃないかとすら思いますが、作家の北方謙三氏もその一人らしく、危険なアドベンチャーをいろいろと経験されてきたようです。

 

 そんな彼のエッセイの中で、案の定というべきか「寄生虫」のエピソードも出てきました。それ以前に細菌やウィルスに腹をやられて七転八倒なんて話もあるのですが、彼によれば「熱にも強い寄生虫がいる」というのです。刺身なんかもってのほかと煮たり焼いたりしても、こいつらはサバイバルするそうです。

 

 ほらね、やっぱり怖くなってきたでしょう。何メートルもあるようなサナダムシを腹の中に飼うなんてゴメンですからね。それでも見たことのない荒々しい自然が息づく土地に行ってみたい。それこそが作家らしい好奇心ってものじゃないですか。

 

 そこで、北方謙三氏はエッセイで、とっておきの寄生虫対策を披露してくれました。

 

 よく噛む。何度でもしっかりとよく噛んで食べる。

 

 これが秘訣だそうです。そうすれば、いかに屈強な寄生虫であっても、歯の噛み合わせの中で2つほどにぶち切れて死に至るというのです。眼に見えないような極小の寄生虫を果たして歯で噛み切れるのでしょうか。成虫ならまだしも、卵はちょっと無理だろうとボクは大笑いしてしまって、すぐに次が読めませんでした。そんなアホな。

 

 けれども彼は、この方法を実践するようになって難を逃れてきたと自信を持って語るのです。よく出来た冗談だと思っていたのですが、後になって別の人のエッセイでも似たようなことを読み、どうやら一面の真実はあるらしいと分かりました。

 

 念のために個人的な事情を付け加えると、当時のボクは虫歯だらけでも歯科医院には行かず、口内の特定部位だけを使って咀嚼していました。それが今では差し歯などで相当に補強され、奥歯もきっちり噛みしめることができます。するとですね、不思議なことに、もしかして寄生虫もすりつぶせるかもしれないと考えるようになったのです。

 

 うーむ、体調によって文章の読み方や感じ方もかなり左右されるのでしょうか。しかしながら、寄生虫については半信半疑以上のものにはなっていません。

 よく噛んで食べると健康になるといわれますが、ま、まさかそういう意味じゃないですよね。

 

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2016年9月28日 (水)

業界用語

 

 うーん、それって業界用語なんだから、一般的に使うのはどうなんだろうと疑問に感じる言葉がやたらに増えてきたような気がします。いえね、それでみんなが分かるっていうなら問題はないんですけど。こちらとしてもいちいち言い換えるのは面倒ですから……。

 

 特に医療系ではカタカナがやたら多くて、お年寄りは正しく理解しているのでしょうか。たとえば「ホスピス」って分かりますか? 水商売のホステスではありませんよ。調べてみたら「ターミナルケアを行う施設のこと」だってさ。では「ターミナルケア」とは何かといえば「終末医療」のことで、JRや私鉄の駅のことではありません。おーい「週末」じゃなくて「終末」だってば。

 要は「臨死施設=死を迎えるための医療施設」って理解でいいのでしょうか。

 

 漢字なら分かるかといえば、そうでもありません。たとえば「低侵襲」っていったい何のことやら。内視鏡下での外科手術やカテーテル(これも説明しにくいけど固有名詞だから)による治療によって、「これまでの手術のように身体に負担や傷を与えない」ってことです。

 

 かと思えばQOLやICUやERとかの略字も少なくありません。こんなのいよいよ意味不明じゃないか。

 医療の業界側に立ってホンネをぶっちゃけると「自分の病気や治療にかかわることなんだから少しは勉強しけとけよ」となります。一方、患者サイドとしては「もうちょっと分かりやすく説明してくんねぇかな」と。

 

 現段階では、それこそ生命にかかわることなので患者のほうが歩み寄って業界用語を勉強することが多いですよね。そうした非対称な関係(対等ではないってことです)を是正する意味もあってか、以前から患者を「さん」付けでなく「様」付けにして、ホスピタリティ(ああこれも何だかなぁ)に配慮した病院が増えてきました。ところが、この「様」付けがモンスター・ペイシェント(はぁ……)を生み出すきっかけになっているので、もとの「さん」付けに戻す病院も出てきたそうです。

 

 えーと、この現象を簡単に言うと、「様」なんだからとつけ上がって「お客意識でワガママ放題→横暴化する患者」が増加してきたってことです。医者のほうだって患者に向かい合わず、パソコンのディスプレイしか見ないという人もいるので、どちらも他者を思いやる想像力が完全に欠落していることは共通していますけどね。

 

 こうした医療系の業界用語=専門用語は、自分が病気にならない限り知る必要のない分野ですが、実は教育の世界もいろいろとあるんだよなぁ。FD=ファカルティ・デベロップメントなんて、昔なら「こんな英語を読者が分かるかぁ!」とデスクから怒鳴られたレベルです。学修ポートフォリオとかね。


 カタカナだけでなく、漢字ではおそらく近年の極めつけが「高大接続改革」でしょう。文脈を読めば高大は高校と大学と理解できても、接続って何でしょうか。大学は高校卒業者が入学する高等教育機関なんだから、もともと接続していましたよね。しかも昨今は大学進学率50%以上となり、「全入」とか「ユニバーサル化(うひゃ!)」と言われています。それを今さら「接続改革」とは何のこっちゃと思う人も多いんじゃないかな。

 

 もちろんボクはライターなので説明はできますが、どうせ造語を作るなら、もっと平易で適切な表現があるんじゃないかな。つまりですね、どんな業界にしても、内側の理解だけでなく、外部に向けて広く知らせていこうとする努力がちょと足りないのでないかと思うわけですよ。

 

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2016年9月27日 (火)

生きにくい世の中

 

 まだ詳しい状況が判明していないので軽々に論評するのは危険ですが、知る限りの事実だけでも驚愕を禁じ得ません。80歳をとうに過ぎた寝たきり老人をいったい誰が何の理由で殺しますかねぇ。

 

 加害者がこの殺人によって直接的な利益を得るとは到底考えられません。となれば病院や関係者に恨みを持つ人の仕業と想定されますが、だからといって無抵抗の病人を殺害する理由になるでしょうか。ボクにはとても想像できない暗い怨念というほかありません。

 

 それで思い出さざるを得ないのは、つい2か月ほど前に発生した知的障がい者施設における大量殺人です。入居者19人が死亡、26人が重軽傷という凄惨極まりない事件ですが、犯人が措置入院歴を持ち、精神疾患の疑いがあるせいか、たちまち報道は沈静化してしまいました。けれども、さかのぼれば2014年には川崎の有料老人ホームで入居者3人が相次いで転落死。元職員の男が突き落としたとして逮捕されています。

 

 そのメンタリティはともあれ、健康な人間が、障がい者や平均寿命を過ぎた老人や病人、すなわち弱者を殺す背景には、どうやら「社会に不要な存在だから死ぬべきだ」という間違った理念があるらしいのです。これは前述した19人を殺害した犯人が動機として述べていたのですが、ナチスの優生思想もそうでしたよね。ユダヤ人の大量殺戮はあまりにも有名ですが、1939年から41年までの3年間に約7万人の障がい者が「生きるに値しない生命」として抹殺されたといわれます。

 

 では、当時の優生思想に従って「劣悪」な個体を排除すれば「優秀」な子孫ばかりになるかといえば、ちょっと考えれば分かるように、そんなはずはありません。人間が有性生殖を続ける限りは、多様な個体が生まれるからです。もしも人間が完全に均質なら、ちょっとした環境変化やインフルエンザなどの感染症や疾患で容易に絶滅に至るほか、様々な分野で突出した才能を持つ人材を輩出することも無理でしょう。

 さらには受精後の細胞分裂で遺伝子の複写ミスといったことも必然的に起き得ますから、「劣悪」とされる個体をいくら排除しても「優秀」な子孫ばかりになるはずがないわけです。

 

 これはあくまでも象徴的で単純な比喩なのですが、成績が「1」の子供がいなければ、「5」の子供も存在できないのです。それ以前に、何をもって「劣悪」と「優秀」と判断するのか。学校の成績が良いだけで他者への思いやりという想像力をカケラも持たない人間をボクは「劣悪」だと判断しますが、逆に霞ヶ関方面では「優秀」と評価されているかもしれません。

 

 それにしても、やはり不気味な世相を感じます。このブログのサブタイトル「生きにくい世の中を、何とか生き良くする方法」は、「生存学」という学問をヒントにしたものですが、そろそろ本気でそんなことを考えたほうがいいのではないでしょうか。大きなストレスや圧力は、いつも弱いほうに向かって伝達&しわ寄せされていきますが、その先にいるのは絶対に自分ではないと断言できる人はそんなにいませんからね。

 

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2016年9月26日 (月)

銀座コリドー街(続)

 

 あの卓球の愛ちゃんも妻になるのかと感心しながら、そういえば「妻」という字と「毒」が似ていることに気づきました。確かにソクラテスの奥さんは悪妻として有名だもんね。でも「毒」は「苺」のほうが似ています。すると「苺」は昔「毒」だったのでしょうか。となると、その下の「母」というのはいったいどういう意味なんだろうと疑問はどんどんふくらんでいきます。

 さて、連休の谷間の金曜日に、宝塚出身の歌手によるソロステージを拝聴しました。来場者は中高年の女性が圧倒的で、男なんてほんのヒトケタ程度。客席を見渡すと、女女女女女男女女女女女女女女男女女女女女……っていう感じかな。いやはや宝塚おそるべしでございます。エンディングも「愛、それは……」と続く、ベルばらでお馴染みの『愛あればこそ』。好きな人には堪能できたステージではないでしょうか。

 目下上演中の『エリザベート』に出ている2人の後輩もカウンターに座っていると紹介されましたが、彼女たちがまた美形なんですよね。劇中の男役と女役を彷彿とさせるファッションならびに髪型もよく似合っておりました。
 宝塚歌劇にも興味があるのですが、チケットがなかなか取れません。それで終演後に「チケット何とかなりませんか」とお願いしようかとも妄想したのですが、あまりにも失礼なので断念しました。

 会場となったのは例によって銀座コリドー街のシャンソニエです。7時頃まで傘を手放せない雨模様で、前日は祝日で翌日は土曜のせいか、夕方の人出はそれほどではありませんでした。ところが、9時頃に店を出たら、界隈はお祭りのような賑やかさではありませんか。ボクがこの街を初めてブログで紹介したのは2年前に遡りますが、当時をはるかに上回るものすごい混雑ぶりです。

 行きつけのマルギンも道に列ができているほどで、「当分無理」と店員さん。英国パブのHubなんかほとんど満員電車ですもんね。ネットでの「ナンパの聖地」報道も背景になっているのかなぁ。ナンパ自体は人間として不思議でも不健康でもないと思いますが、この混雑ぶりはちょっとね。

 そう思って歩きながら前を見たら、宝塚現役の2人連れがいるではありませんか。前述の論理とは大いに矛盾するようですが、彼女たちがチャラ男の極悪非道な毒牙にかかったら大変だと注視していると、安心してください(もう古いかな)、すぐに歩道から車道に出てタクシーの中に吸い込まれていきました。ああ、やれやれ、ってお前はマネジャーかよ!

 メインストリートの喧噪から1本外れると、空いている店は案外あります。そんなスペインバルを見つけてサングリアをいただきましたが、これが意外にも秀逸で感動しました。数多くのリンゴ片が浮いた「早い話が赤ワイン」ですが、本場のサングリアはもっと甘かったように記憶しているので、訊いてみたら「辛口に仕上げた自家製」だそうです。酒好きでも美味に感じられると思います。料理名は忘れましたが「要するにロールキャベツ」もコンソメが効いて旨かったので、ついボクとしては飲み過ぎてしまいました。おかげで翌日はほとんど寝たきり。でもって日曜日、つまり本日からみれば昨日は締め切り仕事で呻吟したというわけです(ああややこしい)。

 特にテーマが見当たらないので、珍しく日記風にまとめてみました。

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2016年9月23日 (金)

わしゃ知らん

 

 若い頃にバイクに乗っていて追突されたことがあります。相手はスーパーカブに乗ったジーサンで、よくあることですが左折のウィンカーをつけっぱなし。その前からボクはバックミラーで目視していたのですが、「ああ左折か」と思ったのが大間違い。こちらは右折しようと停車していた時に、ゴッツンです。

 たたらを踏むような感じでよろめいて転倒したのですが、それでもヘルメットごと頭をアスファルトにぶつけてしまい、その日は振り向けない状態になりました。停止していたせいか、バイクに損傷はほとんどありません。
 軽微とはいえ立派な(?)交通事故ですから、警察に報告して調書くらい取ってもらおうと立ち上がったのですが、あたりにジーサンもカブも見当たらないのです。田舎の道路で平日の昼間だったせいか、野次馬も皆無。たまにボクを避けてクルマが通り過ぎて行くばかり。

 慌てて前方を見ると、相変わらずウィンカーを点灯しながらトロトロ走っているジーサンが遠くにいるではありませんか。ボクは猛然と怒りが沸き立ち、バイクを起こして追いかけることにしました。こちらのほうが排気量は圧倒的に大きいので、たちまち追いつき、すぐ横を伴走しながら「おい停まれよ。これじゃひき逃げだろ」と大きな声で呼びかけました。

 この当時は原付(50cc以下の原動機付き自転車)にヘルメットの着用義務はなく、ジーサンも頭に薄い髪以外何もつけていなかったのですが、聞こえないふりをして前を見ています。ボクは走りながら何度も声をかけたのですが、ひたすら無視を続けるわけです。
 さすがに温厚で篤実で真面目で倫理感の強い正義漢のボクも堪忍袋が爆発。バイクをジーサンのカブに幅寄せしました。簡単にいえば、倒れない程度に軽くぶつけたのです。このあたりの緊張感は、尖閣列島で警備している海上保安庁の巡視船や、示威行動が大好きなシー何たらという反捕鯨団体に追いかけ回されてきた調査捕鯨船の皆さんにはお分かりかと思います。

 それによって、さすがにジーサンも無視を続けられないと覚悟したらしいのですが、やがて彼が放った一言に、ボクは驚愕しました。

「わしゃ知らん」

 それからのやりとりは面倒なので省略しますが、このジジィから「わしゃ知らん」以外の言葉はひとつだって聞けませんでした。

「知らないわけないだろ。だったらアンタの足首から流れている血は何だよ」

 ジーサンは目だけで足元をチラリと見たような気がしましたが、再び大切なお念仏のように「わしゃ知らん」を繰り返すだけ。さすがに長く生きてきたお年寄りだけあって、いい根性しています。

 この事件を思い出したのは、豊洲市場の「盛り土」問題でまったく同じセリフをテレビで聴いたからです。登場人物がやたらに多くなるだけで、「わしゃ知らん」という論理に違いがあるでしょうか(いやない)。盛り土、いずみにぃ、かぁこーまれて、っとくらぁ(ここ中高年には笑っていただきたいところです)

 さて、いくらボクがヒマだったとしても、この「わしゃ知らん」ジジィにいつまでも付き合っているわけにはいきません。ナンバープレートを見て番号を覚えてから、すぐに電話ボックスから警察に通報しました。この頃はケータイがなかったのです。

 その後、警察から連絡がありましたが、相変わらずジジィは「わしゃ知らん」で話にならず、かといって警官が駆けつけたわけでも病院に搬送されてもいないので、事故の確認が取れないからどうしようもないという。
 まぁね、昔から警察というのはそういう役所ですけど、結局は「わしゃ知らん」ジジィの逃げ得ということになってしまいました。豊洲市場の盛り土問題もそうならないように、新都知事の粘りに期待したいものです。

 いずれにしても「わしゃ知らん」は、この年齢になっても最低最悪かつ最強の言葉であります。よほど厚顔無恥無知でないと言えませんけどね。

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2016年9月21日 (水)

おカネの使い方

 

 このブログを継続的にお読みいただいている中には、もしかするとボクが銀座あたりを毎晩のように遊び回っていたり、コンサートなんかに頻繁に来場しているように誤解している人がいるかもしれません。

 

 いえいえ、そのようにご理解いただいたほうがリッチでセレブに見えて、むしろモテそうで嬉しいくらいですから、弁解なんか一言だってしたくありません。

 けれども、ベストセラーのないライター風情がそんなにカネを持っているわけないじゃないですか。

 要するに、おカネの量ではなくて、使い方なんですよね。

 

 たとえば先日にご紹介した浅草の「虎姫一座」ですが、くどいようですけどワンドリンク付きで5400円ですぜ。ちょっとした店で本気で酒を飲んで旨い料理を食べたら、それくらいの金額になるじゃないですか。ましてやキャバクラなんかに比べたら圧倒的に安いと思いますよ。だからこそ常連らしき中高年も少なくないわけです。

 ショーを見ながら飲んだくれるというのは矛盾の極みであって、どちらももったいないの極致というほかありません。もっと酒を飲みたいなら、近場のオープンエアの煮込み屋に行けばいいだけのことです。

 

 ちなみに、銀座のシャンソニエや白崎映美&白ばらボーイズも似たような料金なので、すごく高いとはいえないと思います。世の中に娯楽がなければ死んだ方がマシですから、酒を飲みたいなら安く飲めるところに行って騒ぎ、歌が聴きたいならそういうところに行って静かにちょっとだけ飲めばいいのです。

 

 そうは言いながらも、若い頃は歯止めが利かず、いわゆるカフェバーで水割りを何杯もおかわりしてあまりの高額に目の玉が飛び出そうになったことがあります。キャバクラ通いも大昔に経験したことがありますが、あれもカネの有効な使い方とはいいにくいですよね。

 タバコをやめて酒も嗜む程度となったおかげで、遊興費は激減。そのかわりに好きな音楽をライブハウスなんかで聴くようになったわけです。もちろんシアターオーブあたりの外タレミュージカルともなればS席1万3000円くらいにハネ上がりますが、わははははは、安心してください。多くて年に2~3回くらい行くだけですから。

 

 そんなわけで、世の中にはパチンコなども含めて、まったく無駄としか思えない遊興費が結構あるんですよね。人間は法律に触れない限りバカなことをやってもいいという愚行権があるらしいので、ボクは取り立てて何も言うつもりはありません。

 でもね、ある年齢になったら、ちょっとだけそんな生活を見直して、心が潤うような方向を目指してもいいんじゃないかな。若い頃のボクに、そのように忠告してくれる先輩がいたら、もうちょっと貯金があったような気がするぞ。

 実際問題として、酒を飲みまくった経験なんて、冗談みたいなエピソードを量産して翌日には後悔に悩まされるだけだもんね。それもライター修業だと当時は思っていましたが、うーん、やっぱ何の役にも立っていません。

 

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2016年9月20日 (火)

ナンパの聖地?

 

 そんな雰囲気を以前から薄々とは感じていたのですが、どうやら銀座のコリドー街はナンパの聖地になっているようです。考えてみれば、確かに条件は整っていますからね。

 第一に、有楽町から土橋のあたりまで首都高速の高架に沿った一本道の街なので、女性の行き先があちこちに拡散することがなく、キャッチ(?)しやすい立地になっています。車道も舗道も狭いので、混雑する休日前や金曜日の夜あたりは肩が触れあうようなすれ違いが多くなり、「おっと失礼」という感じで自然に声をかけられる環境なのです。ボクはしたことがありませんけどね。

 次に、立ち呑みの居酒屋が多い。それも和風からワインベースの洋風、スペインバルやら英国風までバラエティに富んでいます。ボクの行きつけは「立ちのみマルギン」という焼き鳥ベースの典型的な居酒屋ですが、銀座なのに格安なせいか、平日でも7時前後に行くと待たされる()こともありますからね。
 この店の壁にはいくつかテレビが掛けられているのですが、流されているのは1960年代から80年代あたりまでの歌謡番組。若い頃の松田聖子のぶりっ子なファッションや中森明菜のハスキーボイスを聴いて、行き始めの頃は「おおおっ、な、懐かしい!」と驚いておりました。

 それで分かるように、入口も内部もレトロムードたっぷりのオジサン・テイストな居酒屋ですけど、近頃は女性客もどんどん増えてきて、「こっちきて一緒に飲まない?」的なアプローチも目立つようです。実際に、髪がフサフサな頃の松山千春の「長い夜」を前述したテレビで見ているうちに、2人組の女性がいつの間にか別のテーブルに合流しているのを目撃したことがあります。

 さらにオープンエアの開放的な店も少なくないので、ネットでは銀座コリドー街に行ってナンパされないのは「女として終わっている」とも評されているようです。ボクの場合は7時過ぎにはシャンソンの店に入ってしまうので実態はよく分かりませんが、男女ともに気軽にアプローチできる雰囲気は確かにあると思います。

 そんなわけで、少子化真っ盛りということもあって、若い人は言うまでもなく、オッサン、オバサンたちも負けずに着飾って頑張って欲しいなぁ。東京宝塚劇場も近いしね。デジタルの出会い系なんかより、リアルのほうがよほど素敵で胸躍るではありませんか。

 

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2016年9月16日 (金)

虎姫一座(続続)

 

 あんまり人気になりすぎるとチケットが取りにくくなるので、そろそろ紹介するのをやめようかなと思っているのですが、またまた浅草の虎姫一座に行ってきました。

 

 昨日にご報告した福助は、獣医によれば右肩(?)にひどい痛みがあるようです。けれどもレントゲンでは特に異常は見当たらず、靱帯などに腫れもないようなので、静養させるということになりました。

 もしかすると、机の下に潜っていた時に、急に立ち上がろうとして右前脚の上部をぶつけたんじゃないかなぁ。ボク自身も、資料を置くために開けたままにしていた引き出しに左膝を強打したことがあります。引き出しの角が膝の皿に突き刺さったような感じで、あまりにも痛くて涙が出たほどですが、当日は騙し騙しでも歩行できました。ところが翌日は見るも無惨な奇妙な色で腫れ上がり、2日くらいは立ち上がれなかったですからね。いま思えばヒビくらいは入ったんじゃないかと。その頃は若くて外科的な故障なら自力で治癒できると思い込んでおり、実際に1週間ほどで元の状態に復帰しました。いつか古傷として甦る時限爆弾みたいになっていたら、ちょっと怖いですけどね。

 

 さて、虎姫一座です。8月初めに行った時は「~復活!シャボン玉だよ!牛乳石鹸!!」というタイトルで、ザ・ピーナッツを中心に1960年代のヒット曲を歌と躍りで披露してくれました。9月からは、これを土曜・日曜に継承しながら、平日公演に新演目が加わったので、早速予約しておいたわけです。福助のケガが深刻なものではなかったので、ホッとひと安心して浅草に行くことができました

 

 この新演目は「VIVA!昭和歌謡カーニバル!!」。相変わらずびっくりマークですけど、戦前から戦後、そして高度成長期に入る段階までの歌謡曲で構成されたステージになっています。

 知らない人のために虎姫一座を再度紹介しておくと、「歌はもちろんのことパントマイム・踊り・アクロバットなどを交えたショーを魅せるスーパーユニット」として2010年12月に結成されました。それ以来、浅草六区で昭和歌謡の「レビュー」をロングラン公演。2014年から現在のアミューズカフェシアターを本拠地にしています。ちなみに「レビュー」にはいろいろな意味がありますが、前述したように歌や踊りやコントなどで構成されたバラエティ豊かなエンタティメント・ショーのことです。

 

 かつて虎姫一座を「中高年のAKB」とタイトルした週刊誌もありましたが、これは明らかに間違っています。確かに客層はそうかも知れませんが、ショーとして大変に充実した高度な内容になっているので、そうした比喩は筋違いだと思います。さもなきゃ、ボクのようなライブ・ホリック(アディクトかな?)がひいきにするわけがありません。

 

 中でも今回のハイライトは、前半最後の『買い物ヴギ』で披露される下駄タップです。虎姫結成初期の伝説的な演目であり、ボクはYouTubeでしか見たことがなかったのですが、それを眼前で堪能することができました。下駄タップといえば2003年に公開された北野武監督の映画『座頭市』を想起する人もいるはずですが、まさにその通り。この映画でタップを振り付け・出演した火口秀幸さん(HIDEBOH)が監修した初演オリジナルを忠実に再現しており、さすがに『座頭市』ほどのレベルではないにしても、脚使いと息がピタリと揃った完成度の高い群舞になっています。

 

 歌にしてもハーモニーのあるコーラスで、踊りにも表情があるため、とにかく見ていて楽しいんですよね。厳しい練習を積み重ねた「芸」になっているからだと思います。これで1ドリンク付き税込み5400円というのは、ボクの経験では激安というほか形容できません。だからあんまり紹介したくないんだよなぁ。

 

 ちなみに前半はエノケンと笠置シズ子のヒット曲。後半は敗戦直後から60年代までなので懐メロかなと感じられるかも知れませんが、半世紀以上も前の楽曲なので、むしろ新鮮に感じられます。もし浅草に行く予定があるなら、来場しないのは損だと思いますよ。

 

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2016年9月15日 (木)

卑しい

 

 もう書かないと決めていたのですが、ホント卑しい事件ばっかり起きますよね。たとえば富山市議会の議員ってのはどんな連中なのでしょうか。領収書を改ざんした不正請求が発覚して辞任する議員が続いていますが、そんな姑息なことをしなきゃいけないくらい奴らは貧乏なのかなぁ。生活保護を受けるのを恥に思って飢えて死んだ人だっているというのに、恥ずかしくないのでしょうか。

 

 例の豊洲市場だって、税金をギリギリまで多く取ってやろうとゼネコンが寄ってたかった結果じゃないかなぁ。報道によれば、当初の予算設定では入札者ゼロで、一気に増額したら平均落札率は99.9%だなんて、談合の悪臭がぷんぶんしてくるではありませんか。

 

 こういう卑しい話を聞くと、生きているのがイヤになってきます。中国に抜かれたとはいえ、まだGDPは世界第3位ですぜ。ネパールあたりに比べたら途方もないカネ持ちの国のはずなのに、税金をかすめ取ろうとする寂しい精神の小狡い輩が昔より増えたような気がします。それをうまくやった奴が勝ち組で、清貧に甘んじているのはバカだとか無能力の証と見下すような社会の行く末は見えていますよね。はぁ、何だかなぁ。こんな状態でオリンピックを迎えるわけですか?

 

 昨日の約束にもかかわらず残念な話はこれで連続3日目に加えて、犬の福助がね、急に足腰がヨタヨタとなり、ロクに移動できなくなりました。以前にやったヘルニアが悪化したのかもしれません。どこかに行きたいという感じで立ち上がるのですが、腰に力が入らないようで、ユラユラと倒れそうに脚を進める。それが苦しいせいか、やがてへたばってヒイヒイと泣き声をあげるんですよね。

 

 どうやらボクのそばに来たいらしいので、「もういいよ」と言うのですが、じっと悲しそうな瞳で見上げるのです。もう14歳と高齢なので、死を覚悟しなきゃいけないのは分かるけど、老いや病気を身近に見るのはやっぱ辛いなぁ。近々に病院に連れて行くつもりです。

 

 こんな状況でも早朝から取材が入っているので、落ち着いた文章が書けません。お許しください。

 

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2016年9月14日 (水)

だまされた?!

 

 このブログは、書いていて気分が悪くなることや、読んで不快を感じることはできるだけ避けてきました。特に個人的な恨み言や愚痴や泣き言は自主的に禁じており、おかげさまでボツにしたテキストが相当数あります。

 

 でもね、今回の豊洲市場「盛り土」問題はちょっと例外です。昨日に引き続きなので、もうこれで終わりにしますが、新聞やテレビ報道によれば、どうやら専門家会議の提言を受け入れず、都の幹部職員が地下空間を作ってしまったらしい。で、それを説明するのを怠ったというのです。21世紀の民主主義&先進国で、果たして公務員がそんな勝手なことをできるのでしょうか。

 

 もちろんできるはずはなく、本日のテレビ報道では技術会議の提案に基づくとされていますが、調べてみるとメンバーの誰も「知らない」という。いよいよ真相は藪の中に入りそうですが、いずれにしても、当時の関係職員並びにそれを公開しなかった=秘匿してきた職員を厳罰に処さなければおかしいですよね。都知事の指示も都議会の決定も無視するような都行政はまさに伏魔殿の暴走であって、こんなことを許したら、地方自治の信頼性が根底から崩壊してしまいます。

 しつこいようですが、民主主義的な法律とルールと関係会議の判断に則って「盛り土」で埋めることを決めたのにもかかわらず、空洞にしてしまったのは甚だしい越権行為であり、犯罪に等しいではありませんか。

 

 さらに驚くのは、それを知って当時の都知事であった石原氏は「だまされた」と語ったらしいのです。オレオレ詐欺じゃあるまいし、そんな発言ってありなのかな。いやしくも地方自治体の最高責任者だったんですぜ。「知らなかった」ならまだしも、「だまされた」って、あまりにも他人事な発言ではありませんか。

 

 社長の発案で「尻尾までアンコがつまったタイ焼き」という指示を従業員に出し、大きな看板もかかげていた有名店で、ある客が試しにタイ焼きを割いてみたら、胴体のところしかアンコが入っていなかったようなものです。って、かなり違うかなぁ(ここ笑うところです)。

 

 それで客から「オッサン嘘つくな。尻尾もアタマだってアンコなんか入ってねぇぞ」と文句を言われた社長が、「だ、だまされた!」って、アンタねぇ。監督責任を担うトップマネジメントがそんなことを言ったら、「間違えるな。だまされたのはオレらのほうだ!」と怒りに火をつけることになるでしょう。

 

 実は太平洋戦争敗北後もこういうメンタリティがありました。ボクのオヤジは戦時中に軍属だったらしいのですが、しばしば「東條英機にだまされた」とぼやいておりました。それってホントかなぁとボクは子供の頃から疑っていたのです。開戦時はともかく、爆弾をドカドカ落とされる段階で大国アメリカに勝てると思っていたのは狂信的な少数派だけでしょう。ただ、当時の軍政や憲兵に逆らうと逮捕拘留されて虐殺されることもあり得たので、だまされた「フリ」をしていたというのが本当ではないでしょうか。当時の新聞も同じで、いかに軍に強制されたにしても、鬼畜米英、進め一億火の玉だ、といったイケイケドンドン報道で発行部数を飛躍的に伸ばしたといわれます。

 

 ところが形勢が不利に転じるや、途端にみんなが競って弱者や被害者や犠牲者になりたがるわけです。挙げ句の果てにはマッカーサー万歳で、多数の民間人が死傷した東京大空襲を指揮したカーチス・ルメイに勲章を授与する国だもんなぁ。

 そりゃ誰だって加害者なんかになりたくないだろうけど、ならばいったい誰が物事の責任を取るのでしょうか。

 

 昨日のブログで書いた「権力」を行使しようというなら、結果責任も負わなければバランスが取れない。それを敢然と受け入れる潔さが、言い換えれば何があっても踏みとどまって逃げない人格こそが、ボクはリーダー=指導者に最も必要なものであると常々書いてきました。その意味では学歴も教養も管理スキルも語学力もほとんど関係ありません。なのに、そういう関係ないところばっかりに力を入れてリーダー教育と称するのは、いかにも不備ではなかろうかと思うのです。

 

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2016年9月13日 (火)

権力は腐敗する

 

 権力は腐敗する。絶対的権力は徹底的に腐敗する。

 

 こう喝破したのは、イギリスの歴史家・政治家のジョン・アクトン(1834~1902年)だそうです。大変に有名な言葉ですが、不勉強なもので、この人が言ったとは知りませんでした。

 

 権力が特定の人たちや役職に集中し、その状態が長く継続すれば、やがて腐敗していくのは、どんな政治体制にも共通する現象でしょう。ただね、現代は民主主義という、いかにも公平・平等そうに見える皮をかぶっているから始末に悪いのです。

 

 このブログでは時事的なネタはできるだけ扱わないようにしてきましたが、築地市場の豊洲移転を延期するのは大賛成です。最終的な総事業費は6000億円近くに及ぶといわれますが、敢えて今の段階で白紙撤回することも考えたほうがいい。

 だからといってボクは新都知事の支持者ではありませんが、都民に広報していた「盛り土」が正しく実行されていなかったことだけでも、都政・都議会の裏切り・背信行為だからです。間接民主主義による地方自治の信頼性を脅かす大問題なのですから、後戻りしても決して損はないだろうと思います。

 

 誰が「盛り土」を止めたかはいずれ明らかになるはずですが、少なくとも都の職員が勝手にできることではありません。いかなる上級職員であっても、立場は憲法や地方自治法などに制約される「公僕」ですから、都民選出の議員で構成される都議会での意志決定なしでやれることには限度があるはずです。

 であるなら、どう考えても今回の責任はこれまでの都知事ならびに都議会にあるじゃないですか。

 

 もともと豊洲移転が構想された頃から問題があったんだよなぁ。基本計画が策定されたのは2004年7月ですが、それ以前から移転先は東京ガスの工場跡地ということで深刻な土壌汚染が指摘されていたのです。その後もたびたび取り沙汰されたにもかかわらず、例の「盛り土」で清浄化できると説明されてきました。新しい土で埋め立てるだけで数百億円もかかるなら、今の築地を改築したほうがよっぽど安上がりじゃないかと思いますけどね。

 

 けれども、ほとんど強引とも感じられる勢いで移転先の整備計画が推進されてきたのです。そういえば旧国立競技場も電光石火の超高速で撤去されましたよね。それはともかく、いったい誰が豊洲移転を許可したのでしょうか。

 

 都議会で決定された当時の都知事は石原慎太郎氏でした。それどころか彼は1999年4月から2012年10月まで、4期12年の長期にわたって務めています。つまり、今回の「盛り土」問題には直接的に関与していないにしても、豊洲に関する構想から実行段階までのすべてに関係していたのですから、新都知事が指摘する諸般の問題について、都議会も含めて責任が問われるべきではないでしょうか。

 

 どういうわけか彼の最後の任期は「辞任」ということで唐突に中断していることもお伝えしておきます。そんな話はまだメディアには出ていないようですが、冒頭の言葉が該当するような疑いを感じませんか。

 

 権力の腐敗を一般の人たちが看破するのは困難なので、代わってそれを告発するのがマスコミの重要な使命ですが、近頃はインターネットに押されてか往時の勢いがありません。芸能人のスキャンダルなんかより、こっちのほうがよっぽど大切だと思うんだけどなぁ。

 

 ボク個人は清濁併せ呑むような器の大きな人間が好きですけど、それも「みんなのため」という公平無私の旗が絶対的な条件であって、私利私欲が透けて見える傲慢さには吐き気しか感じません。こんな時代には『西郷どん』みたいな人物が育たないのでしょうかねぇ。

 

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2016年9月12日 (月)

口の中

 

「これを挟んで奥歯をかみしめてください」

 

 そう言いながら、歯科衛生士さんは頬を内側から左右に押し開く大型の洗濯バサミみたいなプラスチック製の器具を口の中に入れました。

 

 この器具を奥歯でかみしめるわけ? 

 

 それならもっと口を上下に開けないと無理だよね、と素直にやろうとして、危うくアゴを外しそうになりました。

 そうじゃなくて、器具は歯茎と頬の間に置いておき、そのまま奥歯をかむってことなんですよね。それが理解できるまで、涙が出そうなくらい大口を開けてしまったのです。ちゃんと正しいロジックで説明して欲しいなぁ。

 

 この状態で歯茎と歯と噛み合わせをカメラで撮影して、歯周病などの治療の参考にするからですけど、えーと、歯科衛生士さんはまだ30歳前くらいでしょうか。とにかく妙齢の女性であります。そんな彼女に向けて、汚い口内をあますところなくさらけ出すというのは、ボクとしては死にたくなるほど恥ずかしい。ランニングシャツ一枚だけ着た裸より格好が悪いじゃないですか。

 

 ボクのようなオッサンでもそんな羞恥を感じるのですから、若い男ならなおさらじゃないかなぁ。そんな気分を隠すために右手でピースサインをしましたが、あんまりウケなかったようです。同じことをやった奴が少なからずいるのかもしれません。

 そこで仕方なく、その器具をつけたままで、

「ほのはっほぉうは(この格好は)、へっほう(結構)、はひゅかひいへすね(恥ずかしいですね)」と言うと、やっと笑ってもらえました。

 

 すいません。まるでテーマが見つからないスランプの時もありまして、こんな無駄話になってしまいました。ご寛恕いただければ幸いです。

 

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2016年9月 9日 (金)

『リヨン駅』

 

 あるシャンソニエで初めて聴いて、たちまち耳から離れなくなったのが『リヨン駅』という歌です。メロディ自体に明るさと哀愁が複雑に入り組んでおり、歌詞もドラマチックな含みを感じさせるので、余計に内容や意味を憶測するようになってしまいました。

 

今日もまた パリは雨ね

この雨には 泣かされるわ

 

今日限りで パリの街も

暫くはお別れよ

降り注ぐ 太陽に

身を焦がしに 出かけるの

 

 パリには東京駅のような中央駅はなく、方向別に7つのターミナル駅が設置されています。そのうちセーヌ川北部に立地するリヨン駅は、プロヴァンスやマルセイユ、イタリアなどを行き先とする列車が発着するので、陽光あふれる南部を目指す人たちが集まる駅といえるでしょう。

 そんなリヨン駅で彼氏と待ち合わせして列車に乗り、イタリアのカプリ島などで過ごす楽しい日々を想う女性を描いた歌です。

 

 若い頃はシャンソンに凝ったはずなのですが、恥ずかしながらバルバラ(1930~1997年)の作詞・作曲によるバリバリのスタンダードとは知りませんでした。日本でもいろいろな人が歌っており、YouTubeにアップされていますが、オリジナルと比べてみると、微妙に違うんですよね。日本語訳をけなすわけではなく、むしろ本家より上手に構成していると感心させられました。

 

タクシー

リヨン駅まで行って

お願い急いでほしいの

 

 このフレーズは、バルバラの歌では終り頃に登場するのですが、日本では最もポビュラーと思われる矢田部道一さんの訳詞では、逆に最初のほうのサビとして配置されています。このため、手を挙げて「タクシー!」と呼ぶ仕種が歌を際立たせるアクセントとなり、恋人が待っているらしいリヨン駅に向かう女性の甘く胸躍る期待感を強調できるわけですね。

 

 ただし、この「タクシー!」がね、実は解釈の難しいところなのです。というのも、この歌は「タクシー 急いで リヨン駅まで」で終わっており、彼氏に会えたとも、列車に乗ったとも言っていないからです。

 オリジナルでもこれはまったく同じですから、もしかしたら彼女のはかない願望を描いた歌なのかもしれません。本当にそんなにハッピーな待ち合わせがあるのなら、こんなに哀愁に満ちたメロディになるわけがないとボクは思うのです。そうであるなら、元気一杯に「タクシー!」と呼ぶのはおかしいですよね。そこはかとない孤独感が漂う余韻がないと意味が通らなくなります。むしろ虚勢を張って、という解釈もあり得るかな。

 

 そこで、フランス語の直訳を丹念に調べてみたのですが、「怪しい」内容が見当たらないわけでもないんですよね。

 エンディングの「タクシー!」の前に、「私は愛してるわ、と言うつもりよ、愛するものに。それはイタリアのこと。歌に歌われているように」というフレーズがあるのですが、これから恋人と一緒にイタリアに向かう女性がそんなことを言うかな。どうやら、そんな待ち合わせが実際にあるわけでもなさそうだと予感させるところで、この曲は突然に終わってしまいます。

 おかげで聴く人によって、いや聴く人のシチュエーションによって解釈が違ってくるんでしょうね。

 

 ネットでは「シャンソンにしては明るい内容」と評価する人もいるように、ハッピーな生活を送る人にはハッピーに聞こえて、ボクのように何でもかんでも疑うアンハッピーでブサイクな中高年には「そんなはずない」と逆説的な含みを感じさせるのかもしれません。

 

 ちなみに、バルバラはロシア系のユダヤ人で、子供の頃はナチス占領下のフランスを転々としました。父親との関係も普通ではなかったことから、15歳から学校に通うのをやめて、歌手として生きていくことを選ぶのですが、成功するまで放浪と苦難の連続だったようですね。このあたりは亡くなった1年後に出版された伝記の日本語訳『1台の黒いピアノ…』(小沢君江・訳、緑風出版)で詳しく紹介されています。

 

 それによれば、1960年代の初期にサルトルやボーヴォワールなどのインテリに囲まれて歌っていたのはグレコであり、バルバラは「真夜中の歌手」として夜11時からピアノで弾き語りするのがデビューだったようです。

 ボクにとってのシャンソンブームは、どうやらグレコを始めとするインテリ好みの正統派が中心だったので、バルバラを聞きそびれたのかもしれません。

 

 いずれにしても、大変に悲惨な生い立ちで、波乱に満ちた人生を送り、死ぬまで独身を貫いた女性が、果たして恋人と待ち合わせてイタリアに行くような単純でお気楽な歌を作るでしょうか。

 

 でもまぁ、歌というのは歌う人や聴く人によって内容だけでなく曲想の感じ方も変わってきます。そうした多彩な解釈を許すのが名曲であり、スタンダードになる所以なのでしょうね。あの甘ったるいカボチャだって嫌いな人もいれば好きな人もいるもんなぁ。

 

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2016年9月 8日 (木)

無駄な時間

 

 時間を無駄にするのは大嫌いです。けれども、無駄な時間は大好きなんですよね。この「無駄な時間」をボクなりに定義すれば、「自分の自由になる時間」ということになるかな。

 

 そのために仕事は一生懸命に取り組み、誰よりも早くアップするように心がけています。この原稿なら4~5時間くらいと見当を付けてやり始め、気がつけば7時間以上も経過していると、「なんでこんな仕事にこんなにも時間がかかるんだぁ!」と自分に対して怒りすら感じます。まだまだ未熟なバカモンで、ボキャブラリーも乏しくて文章構成にもヒネリがない。やっぱ仕事を間違えたかなぁという絶望感に囚われることもしばしばです。

 

 ただ、そんな仕事をアップしてしまえば、取りあえずにしても両肩に背負った大きな荷物を降ろした解放感があって、しばらくは「無駄な時間」で遊べるという雰囲気になるわけです。

 

 この「無駄な時間」は、あくまでも「無駄な時間」であって、他の仕事の準備だとか、将来的なこととか、建設的なことはもちろん、勉強なんかに費やしてはいけません。そんなことをしたら「無駄な時間」ではなくなるからです。

 かといって「無駄な時間」の使い方も結構難しいんですよね。ソファに寝転がってテレビを見るというのもすぐに飽きます。ネットサーフィンにも限度があるし、読書だっていつまでも続けられない。ほんじゃ渋谷の街歩きでもするかぁというあたりの軽さがね、ボクは大好きなのです。友達がいるなら、久しぶりに声をかけて会ってみようかなと。

 

 こうした「無駄な時間」を大切にする意識を持てば、逆に時間を無駄にすることもなくなるのではないでしょうか。

 

 ボクは取材などのアポがあると、その30分以上前には現地に到着するようにしています。ギリギリのほうが無駄がないと考える人もいるでしょうが、それではむしろ時間に縛られることになりませんか。早めに行けば、慌てることもないし、余った「無駄な時間」を使ってぶらぶらと近所を歩くこともできます。つまり、約束した時間はある意味で束縛ですが、それを理由にして自分だけの時間が作れるということです。

 

 今は「働き方改革」とか何とかで、ワーク・ライフ・バランスが問われるようになってきました。どんな働き方もボクはあり得ると思うので、どんどん多様化していくべきでしょう。

 ただ、ボク個人としては、これまで述べてきたような「無駄な時間」の獲得を目標にして欲しいなぁ。そんなタラタラした時間こそが、もしかしたら人間として生きているってことかも知れませんよ。

 

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2016年9月 7日 (水)

『海街diary』(続)

 

 WOWOWで再放送があり、映画『海街diary』をすべて見ることができました。先週8月31日のブログで説明したように、たまたま所用があって途中で視聴を断念したので、「今度こそ」という感じで向き合ったのですが、ボクが気に入った映画やドラマほど見続けるのが苦しくなってくるんですよね。

 

 感情移入が過ぎるせいか、あまりにもハラハラドキドキするので、どうにも見ていられなくなるのです。俳優が演じる架空のドラマという距離感が圧倒的に短縮されて、まるで自分の家族や親戚、知人友人とか恋人の話、いやボク自身のことのように身近に感じてしまう。

 

 この『海街diary』でも、綾瀬はるかを長女とする4姉妹が現実にはあり得ないほど美人揃いで、しかも皆さん心優しい性格に描かれています。ボクは一人っ子で育ったので、こういう姉妹がいたらなぁと羨ましく思った途端に他人事ではなくなってしまい、なるべく大変な事件や不幸が襲わないようにと願うようになりました。

 

 それではドラマなんて成立しませんから、穏やかな生活をかき回すようなイヤな事件やアクシデントが必ず用意されています。そっちのほうがむしろ現実的ともいえますよね。そんなことは元小説家志望のボクには分かりきった展開なので、いよいよ「このあたりで何か起きるぞ」なんて身構えることもしばしばです。だから、気に入った配役や設定のドラマで危機的な状況が近づくと、逃げるように他のチャンネルにザッピングしたり、敢えてトイレに行ったりするわけですな。

 自分ながらアホかと思うけど、これは理屈じゃないから仕方ありません。つまらんドラマや低レベルの映画ではこんなことは絶対に起きないですけどね。

 

 幸いにも、この『海街diary』では大きなアクシデントは去来しませんでした。感情の行き違いによる兄妹喧嘩や親子喧嘩すら簡単に終熄してしまう。憎むべき悪人もまったく出てきません。「やさしいけどダメな奴」とけなされていた亡き父親すら、最後は可愛い異母妹を残したことで赦免されます。

 だからボクは逃げることなく見続けることができました。「ドラマになっていない」と批判する人もいるようですが、この映画はそもそもそういう映画なんですよね。Diary=日記というタイトル通りに、4人姉妹の日常や小さな葛藤と、鎌倉という街の風景、そして海が醸し出す空気感を楽しむ映画ではないでしょうか。

 

 そんな映画の中でも、とりわけ感心したのが長女役の綾瀬はるかです。こんなにも上質な演技ができる女優さんとは知りませんでした。セリフのない所作や眼の動きだけでも、年下の妹たちを気遣っていることが分かるんですよね。

 しかも、正座姿が抜群に美しいのです。この映画は座卓による食事のシーンがやたらに多いのも特徴ですが、長身にもかかわらず、きちんと脚を折りたたみ、背中がすっきりと直立しています。医者というよりチンピラにしか見えない恋人役の堤真一のマンションでも、きちんと正座して食事するんですよね。それに比べて、彼の背中は丸く崩れて格好悪いことおびただしい。

 

 おそらく演出的には、彼女の毅然とした性格を正座の姿勢で表現しているのだと思います。それにしても、現代の生活では正座なんて足が痺れる難行苦行であり、背中を真っ直ぐに保持するのも楽なことではありません。でも、だからこそエレガントに見えるのです。

 

 美しいというのは、心のありようがもたらす結果であり、その精神性をエレガントと呼ぶのではないでしょうか。

 

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2016年9月 6日 (火)

門前の小僧

 

 ライターという稼業は、ぶっちゃけて言えば門前の小僧です。どれほど専門知識を勉強したところで、門の中に入ったことにはなりません。プロフェッショナルとしての実行責任を担った経験がないからです。

 

 医療を丹念に取材して、民間病院の医師も驚くほど先端情報に精通しても、臨床の現場経験や研究実績がないとすれば、やはり門前の小僧というほかありません。聴いて調べて書くことと、現場での実務の間には、絶対的に埋められない深い溝があるのです。

 

 それが残念というわけでは決してなく、敢えて門の中に入らない方がいいということもあります。別の門前のことも分かって比較できるほか、門の中にいては気づきにくいことに気づけるからです。

 

 もちろん素人発想と言われればそれまでですが、そうした門前に長くいる者の感想として、たとえばリーダーシップには知識やスキルより人格が必要ではないかと考えるようになりました。経営についても、やはり専門知識やスキル以前に倫理と社会的な目的意識が不可欠ではないかと思うのです。

 

 門の中の人たちからは「人格を今さらどうやって教えるのだ」とか、「倫理的な経営で世界的な競争を勝ち抜けるか」と嗤われることもあります。でもね、東芝の粉飾会計や、三菱自動車の排ガスデータ偽装、それに東洋ゴム工業の免震ゴム偽装など、近頃の大企業は反社会的な事件が頻発していませんか。

 

 CSRを「企業の社会的責任」という注釈抜きで使えるようになったのはつい最近ですが、表面的・対外的にしか意識されていないのが現実ですよね。ちなみに、このCSRはドイツで生まれた言葉ですけど、皮肉にも同地の国際企業であるフォルクスワーゲンが排ガス偽装や不正のハシリとなりました。

 

 資本主義における経営もリーダーシップにしても、何の制約もない原始的な生存競争のもとでは利益だけを追い求めるようになるのは当然でしょう。それこそが発展途上の日本を苦しめた公害や悪質な環境汚染を引き起こした原因ですから、チッソによる水俣病みたいなことが中国で発生しないなんて誰も言えませんよね。

 

 それを未然に防ぐような法律の整備もさることながら、いかに民間企業であっても、これからは社会と共存共栄していくのが理想ではないでしょうか。そのためには個別企業の営利活動と、社会や地域コミュニティを無理なく結びつけるキーワードが不可欠。それがボクにとっては「倫理」なわけです。リーダーシップも同様で、部下の指導・管理技法や心理的なスキル以前に、リーダーの人格が優れていなければ、そのチームは凶器にもなりかねないことがどうして分からないのでしょうか。

 

 もっと簡単に言うなら、経営に倫理がなければ、リーダーシップに人格が欠けていれば「ナントカに刃物」になってしまう。ところが、これを適切に教える方法はまだ開発されていないようです。孫子とか道教とか知識や理論はいろいろあっても、それが営利追求や社会性とぶつかる局面は少なくないでしょう。その時にどうやって判断して応用していくかは、それこそ経営者やリーダーの人間性に委ねられることになるからです。

 

 難しい問題ではありますが、企業活動は世界的な規模に拡大しており、倫理を失った経営によって多数の人が殺される可能性だってあるじゃないですか。人格的な豊かさに欠けたリーダーシップ=指導体系も現実に過労死の原因になっています。

 

 そんなわけで、門前の小僧の指摘にもたまには素直に耳を傾けて欲しいなぁと切に思うわけですね。

 

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2016年9月 5日 (月)

Do the right thing

 

 アメリカの映画やテレビドラマを見ていると、しばしば登場するお馴染みのフレーズがあります。

 

 Do the right thing.

 

 このまんまのタイトルでスパイク・リーが監督・製作・脚本・主演した映画も1989年に公開されています。意味的に難しい含みがあるわけではなく「正しいこと、当然のことをしろ」ということです。

 どんな場面で登場するかというと、主人公、またはその関係者が何らかの意志決定に際して、どっちを選んでもどちらかに反してしまうという二律背反で悩んでいるときに、強く、あるいはそっと囁くように使われます。

 

 たとえば、友人たちが悪いことをしていて、それを警察に告発するべきかどうか。友情を前提にすれば明白な裏切りになるけど、法的にも、彼らの将来を考えても、敢えて告発すべきではないかという葛藤の中で、この言葉が機能するわけですね。

 

 こうした単純なケースならRightの方向は分かりやすいのですが、全体が腐敗している中で、同僚や上司を告発するというのは実際問題として困難です。正義にもとづく理由でも、内部告発は決して歓迎されていません。大きな権力にもみ消される可能性だってあります。

 子供社会にしても、イジメに反対するのは勇気が必要であり、先生に報告するのも「チクり」として裏切りに類した行為と見なされるので、表面化しにくい。かくて、みんなが直接的・間接的にイジメに加担するようになっていくわけです。

 

 このブログでは似たようなことを何度も指摘してきたので、今さら村社会とか同調圧力とは言いませんが、ボクがオフクロからよく言われたのも「他人様に迷惑をかけないこと」でした。それが近くの他人か、それとも遠くの他人のことなのかを聞き漏らしたのが大変に残念ですが、少なくとも波風の立たない生き方ではあります。「お天道様が見てますからね」という言葉が似ていなくもないのですが、「正しいことをしろ」という能動的な意味ではないですよね。

 

 そうした日本の社会性からDo the right thingを見直せば、誰が何と言おうが、どんなに批判されようが、それによって世界を敵に回すことになったとしても、「自分の信念に従え」という意味合いが際立っているように思います。

 つまり、これは他人から言われることではなく、自分自身に向かって問いかけるべき言葉なのです。ボクは遙かな大昔に一度だけ、その言葉に従ったことがありますけど、あなたはそんな言葉を持っていますか。

 

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2016年9月 2日 (金)

イジメって悪だろ?

 

 中2女子が自殺したことで、本日朝のテレビ報道では「イジメ」が取りあげられていました。死んだら絶対にダメだよ、学校から逃げ出してもいいんだからね、というのが基本的な論旨です。

 

 ボクは、このブログで2010年11月4日に「学校なんて行かなくていい」と書いたので、そうした論旨や方法論には大賛成です。無理して学校や友人たちのコミュニティに留まったとしても、いずれエスカレートして自殺や殺人ということに発展しかねないことは誰だって分かります。これまでの新聞報道を調べてみれば、そんな事例は山のように出てくるじゃないですか。

 

 ただねぇ、思いっ切り当たり前過ぎるせいか、コロリと忘れられていることがあります。いつも論議されるのは「イジメられる側」の被害や対策ですけど、そんなことになったのはイジメる奴らがいたからで、どう考えたって責任は「イジメる側」にあるはずではありませんか。

 たとえば泥棒に入られたら、あんたんとこの戸締まりが悪いってなりますか。万引が横行したら、スーパーなんかの警備体制に問題があるってなるのでしょうか。そうした視点も必要なことは確かですが、何よりも第一義的な原因を作った犯罪者に責任があるに決まっているじゃないですか。だからこそ警察が逮捕して、裁判を経て法に則って罰が下されるわけです。

 

 ところが学校の「イジメ」はそうではありません。一時期はイジメられるほうにも原因があるかのように言う人もいたくらいですから呆れ果てます。そんなふうに考え始めたら、誰だってこの世とオサラバしたくなるではありませんか。

 

 ごく簡単に言いましょう。「イジメは悪にほかならない」「イジメは弱者に対する虐待なんだから卑怯で卑劣このうえない」「人間としてこれほど恥ずかしい所業はない」といった報道をもっと盛大にやれよってことです。学校の先生だって、毎日の教室で「イジメはすごく悪いことでヘタすりゃ罪に問われるぞ」とくどいほど連呼しようよ。

 もちろん法律に規定された罪に該当するケースは乏しいので、悪や犯罪とは認定できないにしても、そこはそれ学校内の倫理や道徳ってものがあるじゃないですか。先生はクラスのコミュニティに積極的に関与して、どしどし「イジメ」を取り締まらなきゃいけないのに、なぜかそれをやらない。で、結論として「逃げ出してもいいんだよ」なんて、あまりも無責任ではありませんか。

 

 こういう発想や指摘がテレビであまりなされないのは、学校では「イジメる側」に属していた、いわゆる「勝ち組」が番組などを企画・編成しているからではないでしょうか。公立学校の教員だって、子供の頃はイジメの先頭に立っていた人が案外少なくないかもしれない。

 今もそうですが、これからは大人の社会的なイジメ=ハラスメントも加速していくとするなら、「逃げる場」がいよいよなくなってしまう。そういうことをどうして考えないのか、ボクは首を捻ってしまうのです。

 

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2016年9月 1日 (木)

アンドレア・モティス

 

 この娘はいったい誰なんだ、というのが最初の感想でした。ハイティーンくらいの少女にしか見えないのに、オーケストラの前で堂々とボーカルを務め、ソロでトランペットまで吹くのだからびっくりしました。

 

 そういえばルイ・アームストロングもWhat a Wonderful Worldを歌って世界的なヒットにしたので、管楽器奏者は肺活量的に歌も得意なのかもしれません。特にトランペットは、ボタンを押せば誰でも予定した音が出せるような楽器ではなく、きちんとした音程で口笛のようにコントロールしないとダメですから、その意味でも歌がうまいのでしょうね。

 

 いずれにしても、ボクが彼女と出会ったのは、YouTubeにアップされていたLover, Come Back to Meでした。この楽曲についてはいずれ詳しく紹介するつもりですが、もともとは1928年に発表された古い歌です。オリジナルは聴いたことがありませんが、ジャズのスタンダードになってからは大変にノリのいいボク好みの洒落た楽曲になっています。

 

 ザ・ピーナッツが『エド・サリバン・ショー』で歌った時のオリジナルを探していた時に、彼女のバンドと出会って「こりゃ相当にイケているのではないか」と直感しました。そして次に聴いたのが、ギター1本だけを伴奏とした、ほとんどアカペラに近いHallelujahです。ハレルーヤー、ハレールーヤーとリフレインする有名な歌ですが、イントロから盛り上がりまで、実にドラマティックに歌い上げていくんですよね。心の調子が悪い時なんかは、最後のリフレインで瞼が熱くなってしまいます。

 これでもハイティーンかよと驚きつつも感動させられた天才少女なのです。

 彼女の名前は、アンドレア・モティス。昨年に初めて日本公演を行ったので、ようやく彼女に関する記事をネットで見つけられるようになりました。それによれば、スペインのバルセロナで1995年に生まれたらしいので、現在は20歳を越えたばかりということになります。

 父親もトランペッターだったことから影響を受けて、7歳から吹いていたそうです。10歳になると早々とバンドに参加。元サックス奏者でビッグバンドを主宰していたジョアン・チャモロが彼女を見出して、14歳の時に歌手としてデビューしました。

 

 バルセロナを中心に活躍してきたらしいので、まだまだ世界的にブレークしたとは言えません。それでも昨年に初来日ですから、日本の音楽レベルはかなり高いんじゃないかと再認識しました。それとも初物食いなのかなぁ。

 

 でね、彼女の歌とかトランペットがなぜ好きかというと、ボクの好きな楽曲を数多くレパートリーにしているからです。以前にも書いたように、ボクの基本は『シング・シング・シング』を始めとするスイングジャズであって、プログレッシヴではありません。和音がドッカンドッカンと出てくる現代のジャズはどうも好きになれない。それよりも昔のほうがメロディアスで感動的で、ノレるんですよね。前述したLover, Come Back to Meは、そんなスイングジャズより古いのですが、どうやら彼女たちのバンドはオールディーズなジャズの名曲を得意としているらしい。昨年の日本公演でもCheek to CheekLullaby of Birdlandを演奏したようです。

 

 ボクの音楽の好みは1960年代あたりで停止しているみたいですが、アンドレア・モティスの音程の取り方や歌い方はまさにその頃のイメージであり、できればそのままで、なるべく妙な方向に成長して欲しくないなぁ。そんなことになる前に、もう一度来日する機会があれば、ぜひチケットを購入するつもりです。

 

 

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