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福助くん その6

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福助くん その5

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福助くん その4

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福助くん その3

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福助くん その2

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福助くん その1

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2017年1月

2017年1月31日 (火)

感性を育てる(後)

 

 イスラム圏の人たちの入国を禁止するアメリカ大統領令に対して、抗議や反対運動が広がっているようです。中でもグーグルなどIT系やスターバックスといった国際企業の対応は素早く、そもそも誰があんな奴を大統領に選んだんだよという前提はさておき、人権ならびに民主主義意識が健在であることに改めて感心させられました。

 

 メキシコとの国境沿いに壁を作るという途方もない大統領令にも、アメリカ国内に限らず、イギリスなどNATO加盟国首脳もこぞって遺憾を表明しています。翻って我が国はどうかといえば、昨日の国会中継での首相答弁は何を言っているのかさっぱり分かりませんでした。協調してどうだとかこうだとかの言い訳ばっかり。敢えて意訳するなら「世界の様子を見ながら、日本の国益に鑑みて徐々に対応していきたい」ってことでしょう。

 

 もしもボクが国会議員なら「安倍さん、あなたはあんな無茶な禁止令に義憤を感じませんか」とか「メキシコとの間に壁を作るなんていう弱い者いじめみたいことに不愉快を感じませんか」と訊くんだけどなぁ。おそらく賢明なる東大卒のスタッフを従えている首相は、間違いなく「そんな個人的な意見を首相として答弁する必要はない」と反駁するでしょう。

 ボクが問題にしてきたのは、まさにそのことなのであります。

 

 国民のための政策というのは、もちろん理論や理屈からも考案されるでしょうが、「こんなことがあっていいのか」という怒りや義憤から生まれてくることのほうが少なくないはずです。さもなきゃ国民から広く得票できませんよ。

 それに、子育てしながら働く女性が保育所探しで苦労していたら、助けようとするのが人情ってものじゃないですか。それを予算という理性の方面から考えたら何にも変わるはずがない。心に痛みを感じて「これは助けなきゃいかん」として、ようやく工夫や努力が始まるわけでね。

 

 そこのところの感性が、日本というのはどうもおかしいのではないかと、ボクは以前からそれこそ強く感じてきました。

 

 たとえば「お前は弱い者いじめが好きか」と全国の子供たちに訊いたら、100%が「ノー」と答えるはずです。もしいたとしても、教師がそんな意見を言わせないでしょう。だったら、いじめがないかといえば、衆知のようにそんなことがあるはずもなく、悲しいことに自殺者が定期的に発生しています。学校だけでなく、昨今問題となっている過労死や過労自殺の裏側にも似たようなことがあるとボクは睨んでいます。

 

 とすれば、「弱い者いじめが大好き」という人たちが必ずいるはずじゃないですか。それに対して教師は「いじめはいけないと教えてきた」と、こちらも100%の確率で答弁するに決まっています。

 これこそが教育や学習の限界であるとボクは思うのです。

 

 知識や情報やノウハウは教えることができて、テストで理解度も把握できます。ところが、倫理や道徳は感性として定着するのが最終的な到達点ですから、テストなんかやっても何の役にも立ちません。「卑怯なことには勇気をもって対抗しようね」と教えて、みんなが一斉に「はい」と答えたところで、実際には強い者におもねり、弱い者いじめを傍観・助長するだけですよね。

 

 そんなことはどうにも許せないと、大きな身体のジャイアンにも果敢に向かっていく感性を育成することが、ボクは教育の本質じゃないかと思うのです。それによってコミュニティの秩序が適正に維持され、みんなが住みやすい社会に近づけるのですから。
 個人の能力を伸ばすことだって、実は社会をより良くするという大目的があるはずなのに、それをみんなきちんと自覚していません。さもなきゃ奨学金だってあり得ないはずなのに、あたかも勉学は自分の将来のためだけにやるものだと思っているんですよね。誰だよ、そんなことを教えたのは。

 

 これは教育だけに責めを負わせるべきではなく、社会や文化や歴史や伝統のせいでもあります。いずれにしても、不正義や弱い者いじめを見て見ぬ姿勢に不快を感じる人が少なくなれば、どんどん社会は生きにくく、住みにくくなっていくのは間違いないじゃないですか。

 

 というわけで、新大統領による「アメリカファースト」の強引な横車を許せば、こちらの国でも「自分ファースト」な連中が増殖していくのでないかとボクは怖れています。

 

 すでに、隣国からの旅人ではありますが、平気で列に横入りする連中が散見できますからね。それを不愉快に感じるか、ものすごく気分悪く感じるか、それとも次は自分が率先して横入りのズルをするかという選択は、理論や理屈というより、前述してきたようにひとえに感性の問題なのです。

 

 だからこそ、知識や情報なんかより、そうした感性のほうがこれからは大切になってくるとボクは考えるわけです。

 

 「自分ファースト」で小狡いことを繰り返す連中は、苦労してまで新しいことを創造しようとはしません。実際に、かの国ではキャラクターをまるパクりした遊園地を平気でこしらえてきました。そのほうが知恵を絞り出す手間とコストがかからないので、著作権や商標権などを無視するなら、経営的には理に叶っているとさえいえます。

 そう思っていたら、日本でもまったく無関係なのにPPAPの商標をいち早く申請する人がいました。いくら法律が「早い者勝ち」にしても、そんな卑怯なやり口を堂々とテレビでうそぶいて恥じないというのは、ボクには信じられない神経です。

 

 それだけでなく、理屈や理論ではおかしくはないにしても、気分が悪い、不愉快、落ち着かない、生理的にも大嫌い、などということは沢山あります。中でもボクが大嫌いなのは、やはりパクリであります。間違えて似ちゃいましたというならまだしも、たとえばスターバックスを真似たそっくりチェーンはいくつかありますよね。そうした意図的かつ合法的な模倣がボクはかなり苦手なので、近くにスターバックスがなければ、敢えてドトールを探して行くようにしています。コンセプトも業態も店舗の作り方も違いますから。

 

 そんなわけで、ボクがもしも仮に家電メーカーのエンジニアで上司から「ルンバ」と同じモノを作れと指示されたら、抵抗して大喧嘩するか、意見を聞いてくれないなら退職するでしょう。しかしながら現実の家電市場には、姿形がよく似た後追い掃除ロボットが少なくないのです。

 

 こんな結果になるのは、「感性」=「好き嫌い」が国民の常識としてきちんと共有されていないからだと思うのです。オレはエンジニアとして排ガスの虚偽報告なんて断じてできない、私は経営幹部としてこんな決算書の改ざんは許せないという感性があれば、三菱自動車も東芝もあんな恥知らずなスキャンダルを引き起こさなかったはずです。

 

 そんな理由から、経営教育は倫理を柱にするべきではないかと提案したら、あるMBAの先生から鼻で笑われてしまいました。けれども、「自分ファースト」がみんなを不幸に陥れるように、「会社ファースト」を推し進めたら犠牲者を増やすだけでしょう。CSRもやはり感性でなく理論ですから、経営環境が悪化したら即座に忘れられる口約束に過ぎません。「自分ファースト」や「会社ファースト」というエゴを社会的に調整するのが倫理とすれば、子供の頃からしつこく、くどいほど教え込んでもおかしくないだろうとボクは思うのです。

 

 やっぱね、不正義や差別や人権侵害を、理屈でなくて、みんなが心から気持ち悪くて不愉快だと感じるようになって初めて教育は完成するんじゃないかな。

 少なくともリーダーだけはそうでなければいけない。だからこそ明治の頃の教育は、そこのところを目指していたようにボクは思うのです。

 

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2017年1月30日 (月)

感性を育てる(前)

 

 現代は「知識社会」といわれます。この言葉はピーター・ドラッカーの著書『ポスト資本主義社会』(1993年)が初出とされており、その3年後には野中郁次郎らが『知識創造企業』を発表。『エコノミスト』など世界的なビジネス誌が大絶賛したそうです。

 

 コンピュータなど情報技術の発展によって、知識が社会や企業活動の基盤になるというのは誰だって分かる話であり、だからこそみんなが高偏差値の大学を目指しているのですが、ならば「知識社会」あるいは「知識創造企業」って要するに何だよと思いませんか。

 

 このあたりから、日本の論壇というのはわざと背景を深く解釈して、一口で言えるようなテーマを細分化・クラスター化するなど、どんどん問題をややこしく複雑化するんだよなぁ。それによってカリスマや家元制度的な序列を作ったりしてね。ランチェスターもそうですけど、こうした言葉の本質はそんなに難しいことやノウハウぽいことではないでしょう。

 

 知識社会を簡単に言ってしまえば、「頭脳=知恵と知識を使う社会」ってことですよね。これまでの仕事は専ら体力を使ってきましたが、現代は頭脳を使う比率が飛躍的に高まっています。太古のピラミッドづくりでいえば、中枢を担ってきた現場の石積みは機械を使えるので、もはや体力は重視されなくなり、むしろ設計や工程管理など頭を使う分野のほうに労働が移行してきたのです。

 

 産業にしても、たとえば清涼飲料水が乏しかった大昔はサイダーという「一般名詞」を作るだけで儲かりました。ところが現代ではコカ・コーラどころか多数の「固有名詞」があふれているので、情報や知恵を駆使して魅力的な「固有名詞」を創り出し、その付加価値をアピールしていかなきゃいけない。労働者にしても、かつては「サイダーの素」(あくまでもたとえばです)を入れた袋をいくつ肩にかつげるかという体力が給与を決定しましたが、今ではパソコンとネットを駆使して、消費者の購買意欲を刺激するマーケティングを創造できる人が高い収入を得られるってことですよね。

 

 この知識社会を大きく分ければ2層になっており、基礎部分が知識・情報の「解釈・分析」、応用部分が「創造」という構造になっているとボクは思います。でね、これまでの学校教育が関与してきたのは「解釈・分析」までであって、「創造」部分はまるで手つかずといっていい。だからこそ文部科学省は今頃になって高大接続や入試改革を通して、「創造」部分を組織的に強化しようとしているのではないでしょうか。

 

 しかしながら、この「創造」をどうやって教育または学習するというのかなぁ。どんなに教えても、他人の物真似しかできない人がいますよね。これまでのやり方や手法に関してはほぼ100点満点なのに、新しいやり方や手法の考案は苦手というか鈍感な人がいるじゃないですか。明治以降の日本という国家そのものがそうだったと批評する識者もいるくらいです。

 

 ボクは、その根本的な理由は「感性」にあると考えています。それもアプリオリな才能では断じてなく、早い話が適切で妥当な、あるべき「好き嫌い」の育成です。知識社会といっても、単純な知識や情報はネットを調べれば分かることばかりですから、むしろそれを処理するOSにかかわる個人的な「好き嫌い」の強化だけが、「創造」力を高める唯一の方法ではないでしょうか。

 それについて改めて明日のブログで続けます。

 

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2017年1月27日 (金)

カラオケ

 

 みんなで行くカラオケって、本当に楽しいですか?

 

 いや、ボクだって昔は頻繁に利用したので、カラオケをアタマから否定するわけではありません。歌を歌うというのは一種の有酸素運動ですから、健康にいいだけでなく、ストレス解消にもなるんじゃないかな。

 

 ただ、これらはあくまでも「歌う側」の理屈であることを忘れてはいけません。つまり「聴かされる側」の感想や意見では決してないのです。率直な意見をぶっちゃけて言えば、他人のヘタクソな歌をそんなに聴きたいですか?

 

 その証拠に、カラオケの室内では、ほかの人が歌っている最中に自分が次に歌う歌を探しまくるというのが普通です。まるで聴いちゃいないけど、終われば取りあえず儀礼的に拍手して「次はオレオレ!」って感じですよね。

 会社や上司の愚痴を話しながら、ひたすら酒を飲み続けるより芸があるにしても、思わず聞き惚れるほど歌がうまい素人なんて、0.1%もいないはずです。

 

 だったら、プロまたはプロの卵が歌っているライブハウスなどに行って聴いたほうがいいんじゃないかなぁ。そうした直接的・間接的な支援が少なくなったおかげで、テレビの歌謡番組が著しく衰退したのではないかとボクは考えています。ごく簡単に言えば、素人のカラオケがプロフェッショナルな音楽マーケットを大きく浸食したのではないでしょうか。

 

 それに「点数」が、歌の聴き方を歪めてしまいました。メロディラインに忠実で、リズムも音程も正しければ、歌は上手ってものではありません。いくら機械の採点が100点に近くても、「味」や「個性」そして「人生」が感じられない歌は、つまらなくて聴いていられないのです。

 

 文章だって実は同じで、近頃は論理性をやかましく言う人が少なくありませんが、感動できる文章というのは、そんな素人の理屈や理論を超越しているのが普通なんですよね。その意味では、ネットのブログもカラオケに似たところがないわけではありません。ここのところ意味深ですが、敢えて解説はしません。

 

 要するに、歌は誰でも上手に歌えるものだと錯覚させたことが、カラオケの尋常ならざる罪ではないでしょうか。歌は誰でも歌えますが、心に届くほど上手に歌える人は本当に希有です。だったら、それをきちんと「才能」としてリスペクトしてあげないと、いずれ良い歌が聴けなくなってしまいます。

 そうした意味で、産業としての歌謡界を大切にしなきゃいけません。具体的には、いい歌を聴くためにみんながオカネを遣い、新しい才能に期待を寄せながらも、厳しく批評すること。そのサイクルが、カラオケのせいとは断定しませんが、どうも機能不全に陥っているような気がするのです。

 

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2017年1月26日 (木)

国民の祝日

 

 ボクの事務所には1か月の予定を半分ずつ上下に分けて書き込める大きなスケジュールボードがあり、日数と仕切りはもともとあるので、半月ごとに消しては曜日だけを改めています。このボードは、ボクが独立する直前に短期間だけ勤めていた編集プロダクションから貰い受けたものなので、空恐ろしいことに四半世紀以上の歴史があるわけですね。

 

 それはともかく、曜日を直すときに、ボクがやる時は旗日=祝日は土曜日曜と同じ赤い文字にするだけですが、スタッフは律儀に「建国記念の日」なんて必ず書き込むのです。ライターもしくは編集者としては実に正しい姿勢であり、それくらい常識として知っておかなきゃ恥ずかしい。

 ところが、ボクは憲法記念日もみどりの日も、海の日も山の日も敬老の日だっていつなのか知りません。かろうじて東京オリンピック開催後に制定された体育の日だけは10月10日と記憶していたのですが、これが10月の第2月曜日にされちまったものですから、もはやいつ忘れてもおかしくない状況です。

 

 というか、そもそも国民の祝日を覚えようとする気がまったくないのです。

 どうしてこんなことになったのか遡って考えてみると、どうやら親父のせいだと気づきました。彼は太平洋戦争敗北後に国の上から下までがコロリと戦勝国に寝返った有様が恥知らずに見えたようで、政治や行政をまったく信じられなくなったらしいのです。1964年には東京大空襲を指揮したカーチス・ルメイに勲章をあげちゃった国ですから、まぁ無理もないですけどね。

 

 そうした国家や自治体への強い不信感はボクにも影響を与えたらしく、国民の祝日なんて国会議員の票集めの変形としか認識できないわけです。海だろうが山だろうが、そんな名目はいくらでもでっち上げられるので、とにかく「休み」ということだけが、ボクに関係する情報なんですよね。だから「明日はなんで休みなの?」「勤労感謝の日ですよ」なんていう会話を毎年のように繰り返しているのです。

 

 国民としては実に不良で、もしかすると不敬かもしれません。けれども、国や自治体の政策や発表情報に何の懐疑も感じないで唯々諾々と報道するモノ書きやジャーナリストというのも失格じゃないですか。その意味では、親父から伝染したアナーキーな体質というか感性は、ボクの仕事に少しは役立ってはいるのかなぁとも思います。

 

 ただし、それが幸せになれる資質かといえば、そうではないでしょう。何にでも疑いを感じる奴が穏やかで暖かな心境になるのは困難です。人間は何かに依拠・依存してしまったほうが楽で安心であり、疑いを持てば持つほど孤独に追い込まれていきます。たとえば妻の不貞を常に心配する亭主がハッピーな結婚生活を送れるはずがない。

 

 うーむ、またもや難しい二律背反=トレードオフな話題になってしまいました。懐疑は増殖するのが属性ですから、たまにスイッチを完全に切るのがコツといえばコツかな。その意味では、アントニオ猪木が喝破した「バカになれ!」は箴言というほかありません。

 

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2017年1月25日 (水)

無理が通れば……

 

 昔の人の知恵は凄いなぁと改めて感心します。

 最近では老子・荘子の「無用の用」でした。ある時計を紹介する時に思い出したのですが、役に立たないと思われている物事も、実はどこかで何かの役に立っているという意味です。老荘思想といえば紀元前ですからね。2000年以上も前に、車も冷蔵庫もパソコンもスマホもない時代に、「無用の用」を唱えたなんて、何という慧眼でしょうか。そういえば、このブログも「無用の用」の類ではありますが。

 

 これほど高邁な思想ではありませんが、直近で頭の中に浮かんだ警句は「無理が通れば道理引っ込む」です。国語辞書では「道理に外れたことが幅を効かすようになると、正しいことが行われなくなる」と説明されていますが、「横車を押す」といった類語もいろいろ探せるような気がします。

 

 言うまでもなく、アメリカの新大統領のことであります。それにしても、何でまた皆さん、ツイッターごときでああも簡単にひれ伏すような媚びを売るのかなぁ。日米貿易不均衡や自動車輸出の問題なんて、1980年代にさんざん聞かされたことです。トヨタの車をハンマーでぶっ壊す映像がテレビで流れたこともよく覚えています。だからこそ日本の自動車メーカーがアメリカで現地生産するようになったわけでね。今さら何を言っているんだろうと。

 

 こんなことはボクよりも詳しい人がいくらだっているはずですから、どうして誰も諫言しないのか不思議で仕方ありません。新大統領がこれまで従事してきた不動産業と、車などの大規模製造業ではビジネスの構造が大違いじゃないですか。土地を輸出したり輸入できるならやってみろと言いたい。

 

 第一に「アメリカ・ファースト」と彼が言うのなら、その反対側でも「中国ファースト」「ロシア・ファースト」「日本ファースト」、「都民ファースト」「アスリート・ファースト」などと実にうるさいことになりますよね。ちょっと毛色が違うのも混じってますけど。

 

 そして「ファースト」というのは並び立つことができない唯一の座ですから、みんながそれを言い出したら、競争、闘争、やがて紛争となり、もっと恐ろしい事態にも発展しかねません。こんなことは、歴史をちょっと振り返れば分かることです。

 

 いくら言ったところで「のれんに腕押し」と達観して腕組みするのでなく、ヘンな方向に過熱していかないように、ボクなんかより高学歴で賢くて発言力も地位もあるインテリゲンチャの皆さんが、率先して反論していかなきゃダメですよね。ヒラリーも選挙で負けたからって沈黙する必要はないと思うのです。

 

 でもねぇ「君子危うきに近寄らず」って言葉もちゃんとあるんだよな。いずれにしても「反知性主義」とか何とかの分析的言辞をぐじぐじ繰り返すだけなら、知識人も政治家も揃って再び敗北することは間違いありません。ここで頑張らなきゃどうすんだよって言ったところで、「ごまめの歯ぎしり」(実力のない者が、いたずらに苛立ったり悔しがったりすることのたとえ/故事ことわざ辞典)なのかな、はーあ。

 

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2017年1月24日 (火)

『ごめんね…』

 

 初めて聴いた時は、何とまぁ身勝手な歌だろうかと呆れました。だってさ、いきなりこれですから。

 

好きだったの

それなのに あなたを傷つけた

ごめんねの言葉 涙で言えないけど

少しここにいて

 

 昨年の紅白歌合戦で高橋真梨子が歌った『ごめんね…』です。とはいっても、地上波の番組を見なくなって久しいので、ボクは知りません。勝手に贔屓にさせていただいている若い女性のシャンソン歌手が好きな歌らしいので、ちょっと調べてみたわけですな。ちなみに、黒木瞳に激似の美人でございまして、当然ながら和服も素晴らしく似合うせいか、中高年男性のファンが沢山いるみたいです。

 

 でもって話を戻すと、「あなたを傷つけた」のは以下の理由によります。

 

悪ふざけで 他の人 身を任せた夜に

一晩中 待ち続けた

あなたの姿 目に浮かぶ

 

 うーむ、もしかしてワンナイトスタンドですかぁ。「悪ふざけ」と自ら呼んでしまう状況がどうも見えないのですが、そこかしこでありがちなことではありますよね。むしろ、そういうことがなければ人生は恐ろしくつまらない。誰が夜の街にわざわざ出かけてカネを遣うでしょうか。

 ただし、その次のフレーズに突っ込みを入れる男は相当数にのぼると思われます。

 

消えない過ちの 言い訳する前に

あなたにもっと尽くせたはずね

連れて行って、別離(わかれ)のない国に

 

 ほかの男に「悪ふざけ」か何か知らんけど身を任せたくせに、別れのない国に連れて行ってと願うなんて、どういう料簡なんだろうと思いますよね。しかも、追い打ちをかけるように次のフレーズが続きます。

 

せめて今夜 眠るまで 私を抱きしめて

いつもわがままを 

許してくれた場所まで戻りたい

 

 いやぁ、実にまったく感動的なくらいに自分勝手な内容ではありませんか。にもかかわらず、カラオケでは40代~50代の女性の定番人気になっているそうです。もしかすると皆さん、身に覚えでもあるのかな。

 もともとは日本テレビ系『火曜サスペンス劇場』の主題歌で、同じく『聖母たちのララバイ』に次ぐヒット曲だったようです。高橋真梨子といえば、ボクはペドロ&カプリシャスで『ジョニィへの伝言』『5番街のマリー』、独立後も『桃色吐息』が精一杯で、こんな歌がロングセラーになっていたなんて知りませんでした。ちなみに昨年の紅白歌合戦に出場した時、彼女は67歳で、紅組の史上最年長を記録したそうです。

 

 しかも、この『ごめんね…』の作詞は高橋真梨子自身なのです。それでちょいとウィキペディアを調べてみたら、前述してきたような印象がガラリとひっくり返ってしまいました。身勝手の許しを請うような薄っぺらい歌ではなく、むしろ深い意味が隠されていたのです。

 

 彼女の父は広島で国鉄に勤務していたのですが、戦後は一転してジャズクラリネット奏者を目指しました。おそらく悲惨な原爆に遭遇したことで人生観が大きく変わったのではないでしょうか。やりたいことをやらないで何のための人生かと。そこでジャズが盛んだった福岡に移り住みますが、うまくいかなかったらしく、5歳の時に両親は別居。父は広島に戻ってクラブのジャズプレイヤーとして働き、彼女は母と一緒に福岡に残りました。10歳の時に正式な離婚が成立しますが、それ以前に母の不倫を知ったらしく、彼女はそれが許せなかったようです。父が被爆の後遺症に苦しみ続け、39歳という若さで亡くなったことへの同情も強かったんじゃないかな。

 

 彼女が歌手になったのも、そんな父の影響ですから、貞節な母親像が不倫によって崩れてしまったことの失望は大きかったに違いありません。ウィキペディアによれば、父が亡くなった時に「母は真梨子に泣きながら抱きついたらしいがそれも振り切った」と紹介されています。

 

 それから幾星霜の時を経て、『ごめんね…』が26枚目のシングルとして発表されたのは1996年6月。彼女が47歳の時です。こうした背景を漠然とでも知ると、歌の理解がかなり変わってきます。この歌は彼女の作詞ではあっても、自分のことでは決してなく、かつての母の心情を歌ったのではないでしょうか。

 

 父を裏切って不倫をした母を許せないまでも、その気持ちや事情が分かるような経験と年齢を重ねてきた。人間というのは、どうしたって過ちを犯してしまう生き物であり、その過ちを消すことができないのであれば、苦い後悔と共に、それを認めるほかないじゃないですか。

 だからこそ、あるはずのない「別離のない国に」連れて行ってと願うのです。

 

消えない過ちを 後悔する前に

あなたをもっと 愛したかった

どこにあるの 悲しまない国

 

 

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2017年1月23日 (月)

H&Mふたたび

 

 先週末にスイス・ジュネーブから帰国いたしました。

 なぜだか今年はいつもより風が強く、幸いに雪こそ降らなかったものの、「こんなにも寒いところだったかなぁ」と襟もとを締めながら嘆息するほどの体感温度でした。

 

 そんな真冬のジュネーブで、クロークに預けたコートが出てこなかった事件を前回のブログでご紹介しましたよね。そんなのありかよ、と思わせるアクシデントですが、海外ではそうしたことほどあり得るのです。その時に、ちょっとの間にしても救いになったのがジュネーブ駅前のH&Mでした。ファッション量販店にもかかわらず、平日でも午前9時開店ということで、取材直前に慌ててバーゲン中の格安コートを購入できたからです。生地&デザインともにあまりにもショボイので、1度しか腕を通していませんけど。

 

 その店に、また行くことになるなんて、夢にも思っていませんでした。H&Mの熱狂的なファンというわけではなく、むしろユニクロのヒートテックなどを愛用しているのですが、いくら入念に準備しても、旅先では予想もつかないことが起きるんですよねぇ。

 

 とはいっても、今回はコート紛失のような重大事件ではありません。往路の飛行機の中で何となく感じてはいたのですが、ホテルに到着して旅装を解き、やれやれと一息ついた時に、それに気づきました。

 ベルトのバックルのところの革がちぎれていたのです。何度も海外取材を経験しているので、たいていのことは事前に察知して準備しておくのですが、まさか革のベルトがちぎれるなんて誰が予想できたでしょうか。布ではなくて、革ですよ、革。しかも、専らスーツ用にスタンバイしてきたベルトなので、使用頻度も著しく低い。今時、ベルトを思い切り締め付けてズボンをはく人がいるはずもなく、近頃になって急に太ったということもありません。

 

 にもかかわらず、腰のあたりがいつもより軽く感じたので、下を見たらバックルがぶらぶらしていたというわけです。

 

 こんなことは予想外でも、充実した裁縫セットは常時携帯しているので、まさか革を縫うなんて素人には無理だろうと思いながらトライしてみたら、驚くことにスカスカと針が入っていくではありませんか。日本の某量販店で購入したベルトですけど、いくら何でも弱すぎるよ。

 数分をかけて我ながらみごとに縫い上げましたが、そもそも革自体が弱いようなので、すぐにダメになるのは見え見えじゃないですか。そこで「あっ、そういえば」とコート紛失事件のことを思い出したわけです。

 

 でもってネットで確認したら、相変わらずの9時開店。もちろん翌朝のオープン直後に入店しました。メンズは2階で、ちゃんとベルトもあったことはあったのですが、残念なことに調整不能なものばかり。ちなみに、ボクのベルトはバックルの付け根が外れるようになっており、革の不要な部分を切って再装着することで微調整できます。ところが、そんなタイプはまったく見当たりません。

 

 念のために自分で縫ったベルトを持参したので、それと合わせて近似のサイズを購入することにしました。旅先ですからワガママは言っていられません。定価は39スイスフラン。約4500円ですけど、日本なら2000円程度が精一杯じゃないかなと感じました。

 

 いずれにしても、今回はベルトレスのツイードスーツを主役にしていた関係で、購入したベルトを使ったのは1日だけ。ないよりはマシですけどね。

 

 それにしても、あの店はなぜ9時開店なのでしょうか。同じH&Mでも他店は10時オープンが普通らしいので、実に不思議です。ジュネーブ駅前だからというなら、では東京駅近辺のファッション店で9時にオープンするショップがあるかといえば、ほとんどないんじゃないかな。

 

 新しい謎も再発見してしまった「H&Mふたたび」なのであります。

 

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2017年1月13日 (金)

行ってきます!

 

 どうしようかなと、ここ数日ずっと悩んでおりました。問題はコートなのであります。

 

 今週末からスイス・ジュネーブで開催される国際時計展示会の取材に出かけるのですが、例年とは寒さが違うみたいなんですよね。天気予報によれば、最高気温がずーーーーーーーっと、マイナスなのです。とはいえ、大きな湖があるせいか、−2度とか−5度くらい。北海道の人に笑われそうですが、ともかく東京よりはずっと寒いのです。

 

 だったら厚手のコートを着ていけばいいじゃんとなりますよね。ところが、ボクの仕事はパレクスポという空港近くの見本市会場の中でブランドの人たちに新作の話を聞くことです。会場内はヒートテックを後悔するくらいの暖かさに感じることもあるので、もちろんコートなんか不要。

 つまり、外に出て氷点下の気温に接するのは、ホテルから会場に向かうバス待ちの時くらいなので、悩んでしまうのです。このため、早くから今回は薄手の軽いコートにしようと決めていたのに、長期予報の気温がどんどん下がっていき、ついにマイナスとなり、ついでに「多少の雪」とか「にわか雪」だってよ。おかげで、ボクの目論見も見直しを余儀なくさせられているわけです。

 

 旅装はできる限り軽いほうがいいというだけでなく、一昨年にはクロークに預けたコートが「見つかりません」なんていうアクシデントも経験したので、持ち歩けないものは避けたいのですが、最高気温が氷点下ではねぇ。

 

 このアクシデントで体感した、コートを着ないでホテルに帰った時の心細さ、ひもじさといったら、そりゃもう情けないくらいでした。だから寒いのはイヤだけど、持ち物は極力軽くしたいというジレンマの中で、ハンガーにかけた2枚のコートを見ながら、どちらにしようかなぁと溜息まじりなわけです。

 

 こんなくだらないことで、よくもまぁこれだけの行数を書いたものだと自分ながら呆れますが、ネタが見つからないから仕方ないじゃないか! 

 

 つい逆ギレ()してしまいましたが、そんなわけで、このブログの再開は基本的に来週24日の火曜日を予定しています。現地で面白いことがあればアップするので、たまにはご訪問ください。

 なんてことを律儀に告知するブログもあまりないんじゃないかな、と思いつつも、では行ってまいりまぁーす。

 

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2017年1月12日 (木)

規範

 

 臨床医療では「標準治療」と呼ばれるスタンダードがあります。それと同じように、どんな業界や仕事や生活にも「基本」あるいは「規範」みたいなものがあります。これをベイシックなルールと言い換える人もいるだろうし、守るべきマナーと捉えている人もいるでしょう。

 

 こうした基本や規範は、現代的な言い方をすれば、経験を集積した「集合知」ともいえるので、それに従ったほうが、みんなの共感や納得を得やすく、事後のリスクも低減できることは事実です。

 ただし、大切なことは、それが法制化されていない限りは、遵守する義務なんてないんですよね。

 

 たとえば、もうすぐ大統領になるトランプは、記者会見で「お前に質問なんかさせないぞ」と罵って民主主義の大切な規範ならびに品位をぶち壊しました。だからといって、それで逮捕や起訴されることはないじゃないですか。やがて国民の人気を失い、次の選挙でしっぺ返しを受けるにしても、彼のように基本や規範を無視することも可能なのです。

 

 つまり、「●●したほうがいい」というだけのことで、「●●しなければならない」と定められているわけではありません。にもかかわらず、これはこういうものなんだから「こうしなければなない」と頑なに他人に強いる人もいます。でね、どうもボクはそういう「ねばならぬ」が生来的に好きではないのです。

 

 もちろん基本や規範は「知っておいたほうがいい」と思いますよ。前述したように経験則を伴った「集合知」なんだから、そのほうが何かとトクじゃないですか。けれども、その反面で早い話が過去の最大公約数ですから、未来永劫に通用する公式ではあり得ません。

 

 それを金科玉条にして厳守を徹底するのは、即ち「思考停止」につながってくるじゃないですか。そんなわけで、どうもボクは、こうした「べき論」が喧しくなってくると、それに背を向けて外に出たくなるのです。こうした「べき論」に反発した人たちが、時代や社会を変えてきたのではないでしょうか。だからといって、ボクはトランプを支持する者ではないので念のため。

 

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2017年1月11日 (水)

おカネとは何か

 

 すいません。ちょっとヒマになると、しょうもないこと、格好つけて言えば、形而上的なことを考えるようになるんですよね。

 

 でね、目下のテーマがおカネです。もちろんないよりあったほうがいい。カネがなくても幸せになれるというのは若い人だけが言えることで、中高年以降のほぼ100%は巧妙な詭弁だと思っています。だからといって、おカネが沢山あれば沢山の幸せがやってくるということでもありません。むしろ、それをめぐって陰惨な殺人事件が起きたりしますからね。

 

 これを簡単にまとめれば、おカネは幸福になるための必要条件ですが、十分条件ではないということになります。

 

 えー、普通ならこれで終わりになる話ですが、カネというのは、もしかすると「壮大な仮想」ではないかとボクは思っているのです。

 

 たとえば日本の借金は1000兆円を越えたそうです。具体的には国債と地方債の合計ですが、ボクのような貧乏人には想像もつかないので、1人の人間が一生に稼ぐ額を、やや多めですけど、分かりやすく3億円としましょう。この金額で1000兆円を割り算すると、およそ333万3334人から生涯年収を借りていることになります。

 

 その生涯年収がすべて生存のために費消されるわけではなく、貯金や投資などの資産として残る分もあるはずですが、細かいことはカットして、仮に生きるために必要な所得としましょう。とすれば、さらにざっくりまとめると約333万人が生活するためのおカネを借りておきながら、返済していないことになります。

 

 国債も地方債も長期の借金なので、それを返済していないということは、すなわち約333万人分の生命を使い込んでいることになるではありませんか。たとえば1日に使えるカネが1000円として、これをすべて奪われたら飲まず食わず、ヘタすりゃ死んでしまいます。けれども、そんな大量虐殺が起きている気配はまったくありません。皆さん、普通に通勤して普通に仕事して、普通に飲んだり食べたりを繰り返しています。

 

 ということは、ボクたちの1000円とは違って、国の1000兆円という借金は「余剰価値」すなわち「オマケ」の集積にほかなりません。だからこそ、かつてのブラジルのように債務返済のリスケジュールから、免除なんてこともあるわけです。個人の破産だって同じことですから、実は借金はチャラになる、あるいは踏み倒すこともできるのです。

 

 そんなこともあり得るおカネってのは、いったい何なのでしょうか。超文系のボクにとっては、要するに使う=流通しない限りは、実質的な価値を生み出さないものとしか認識できません。であるなら借金も貯金も実は等価であって、単なる数字ということになります。

 これを「壮大な仮想」と言わずして、どう表現できるでしょうか。

 

 そして、こんな仮想に、いつまでも人間社会が振り回されていていいのか、というのが今回の本当のテーマなのであります。紛争や衝突や戦争をもたらしてきた資本主義社会を、21世紀の視点でもう1度根こそぎ見直すべき時期ではないかと。新年らしく大言壮語をぶちかましてみましたが、いかがでしょうか。

 

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2017年1月10日 (火)

たまらんなぁ

 

 わかった風なインテリづらというのかなぁ、久々に気色悪い思いをさせていただきました。

 

 他人の悪口は決して言わないように心がけているつもりですが、たまたまTBS系『サンデーモーニング』を見ちゃったのです。某司会者が「さて、いかがですかねぇ?」と困り顔でコメンテイターにテーマを振ると、皆さんが眉をひそめながら憂慮しちゃったりして。それを聞いて「そうですよねぇ」と、今度はしたり顔で同感する司会者。そりゃまあ専門家や賢い人たちが揃っているので、情報や知識はボクなんかよりはるかに豊富です。街頭の意見も巧みに取り入れたりして、世間は実に心配なことになっているかのように仕立てられています。

 

 だったらさぁ、批判や分析や評論ばっかりでなくて、どうしたらいいかという具体的な提案を示せよ。さもなきゃ総理をウダウダ批判しているばっかりの野党とまったく変わりないじゃないですか。そうしたインテリやエスタブリッシュメント出身の政治家が、雇用不安や著しい所得格差に何も手をつけようとしてないからこそ、アメリカはトランプを大統領に選んだのではないでしょうか。

 

 彼は無知で乱暴で過激で、仮に間違っているにしても、国内雇用を増やす具体的な施策をぶち上げています。あくまでも憶測ですが、旧来の政治体制を代表するヒラリーが「メキシコに自動車工場を作るな」なんて、いわゆるプアホワイトが喝采するようなことを言えたとは到底思えません。「トランプが大統領になったら世も末」みたいに言ってきた知識人の皆さんは、すっかり忘れたふりをするのでなく、そのあたりをきっちりと批評するべきではないでしょうか。

 

 ボクは現総理を支持する者では決してありませんが、仮にもアベノミクスをアホノミクスと揶揄するのであれば、それに代わる効果的で現実的な経済・財政に関する政策を提案するのが筋だと思うのです。

 

 そんなテレビの影響を受けたせいか、昨今の巷にはインテリぶったアナリストや評論家ばっかり。都知事も自分が主宰する何とか塾の参加者を募集するときに「評論家はいりません!」と言いましたよね。そりゃそうです、床屋政談や井戸端会議で社会が変わるはずがない。

 

 だったら日本にもトランプが必要じゃないかとすら本気でボクは思います。そうしたアンチヒーロー待望論が生まれかねないからこそ、「たまらんなぁ」と新年早々に呆れ果て、軽く絶望してしまったのです。

 

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2017年1月 6日 (金)

論理より演技

 

 裄丈=袖の長さを1㎝ほど詰めて貰ったシャツを引き取りに行ったのですが、店員さんが昨晩に深酒でもしたのか、あまりにもダルな対応だったので正月ボケの目が覚めました。

 

 しかも、引き取り伝票に「支払い済み」と大きく表記されているにもかかわらず、「これ、支払い済んでますかぁ?」とドヨーンとした投げやりな感じで、ボクを見ないで訊くわけです。こちらもムカムカして、「伝票に書いてあるだろ!」と思わずつっけんどんな言い方で返してしまいました。

 

 こういう場面に対応した「売り言葉に買い言葉」というみごとなことわざがあります。意味は「相手の乱暴な言葉に対して、同じように応酬することのたとえ」(『故事ことわざ辞典』)ですから、ジャブを不意打ちされたらストレートで返すみたいなことかな。不特定多数の客を相手にする小売業の店員としては、そもそも「売り言葉」を放つこと自体がタブーなはずですが、あくまでボクの感覚ですけど、近頃のJRや電話も含めて、不快な印象を与える対応が目立つんですよね。

 

 悪気なんて毛頭ないはずですが、こういう人たちは自分の言い方や表情が他人に与える印象をまるで意識していないと思うのです。ちょっとした抑揚の付け方だけで、同じ言葉でも印象はガラリと変わります。「お支払いは済んでいますか?」と明るく可愛い感じで言うだけで、「ええ。その伝票に書いてありますよ」と穏やかに応答できるじゃないですか。

 

 さらに、お詫びや謝罪ともなれば、言葉で表現される内容なんかより、言い方と表情が最も大切な要素になってきます。文章では表現しにくいのですが、抑揚に乏しいボーッとした「すいません」では火に油を注ぐことになりますが、「(こんなことをしでかしてしまってホントにまったく)すいません!」と申し訳ない感を全開にすれば、相手の印象は真逆です。仮に「自分勝手な無理ばっかり押しつけるからミスっちまったじゃねぇか、このアホバカ、カス野郎が!」と心の中で毒づいていても、言い方ひとつで「どうやら深刻に反省しているみたいだから許してやろうか」と思わせることも可能なのです。

 

 しかしながら、そうした言い方や表現の訓練を、家庭はもちろん、学校でもあんまりやっているとはいえないでしょう。面接を伴う受験準備を除いて、そんなことをいくら練習してもテストの点数をアップできないからです。学習塾も解答テクニックを教えるのが本業なので、喧嘩腰でもない限りは、言い方や表情が問われることなんてないんじゃないかな。

 

 でもね、そのままでは社会に出てから損することが少なくないのです。小売業のような客商売に限らず、現代社会の仕事のほとんどは人間同士のコミュニケーションが基礎になっています。そこで知らないうちに悪印象を与えれば、人材としての評価はどんどん下落します。せっかく実力があっても、言い方や表現で差がつくなんて悔しいじゃないですか。

 

 さらに注意すべきなのは、社会というのは残酷なところで、他人の失点は相対的に自分の得点になるので、学校のように親切に叱ってくれる人はほとんどいないのです。

 

 というわけで、ボクは「表現塾」を立ち上げてもいいのではないかと考えています。学習塾が成立するなら、社会でうまくコミュニケーションするための塾があってもいいんじゃないかな。レポートや小論文や企画書などの文章は「論理性」が最重要です。けれども会話では、論理や内容なんかより、言い方と表情で相手の心象が大きく変わってきます。

 

 ボクたちは社会という舞台に立つ役者みたいなものですから、人間としての中身や私生活や思考なんかではなく、観客=他者に向けて表現された「演技」がすべてといっていい。なのに「演技」を勉強したり、訓練されることはほとんどありません。どこぞの劇団の演出家と組んで、この塾を開校してみようかな。

 

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2017年1月 5日 (木)

ニューヨーク公立大が学費無料に!

 

 本日付けの日本経済新聞朝刊によれば、ニューヨーク州では全米で初めて公立大学の授業料を無料にすると発表したそうです。州議会の承認が得られれば今秋から実施するとしており、初年度の対象は年収10万ドル以下の家庭。18年には11万ドル以下、19年には12万ドルまで拡大していく予定です。

 

 日本でも「ようやく」国による返済不要の給付型奨学金制度が創設されますが、このニューヨーク州に比べて内容や対象があまりにもショボイのです。

 給付されるのは国公立・私立大、自宅・自宅外通学の違いによって月額2~4万円ですから、年額にすれば24~48万円に過ぎません。しかも、対象は「住民税非課税世帯」であり、もちろん成績も評価されます。この「住民税非課税世帯」というのが、いかにも役人がこしらえた小技らしく、分かりにくいんだよな。自民党プロジェクトチームが発表した中間報告の参考資料によれば、あくまでも目安ですが、夫婦子供1人で年収205万円程度となっています。

 

 アメリカの公立大と日本の給付型奨学金を一律に比べるなと言われるかもしれませんが、あちらは本日のレートで年収1170万円以下の家庭が対象ですからね。いくら経済環境が違うとはいっても、あまりにも感覚が違い過ぎます。それに月額2~4万円というのも何だかなぁ。国立や公立大の年間学費にも満たないではありませんか。

 

 ボクは1990年代から奨学金の記事を書いてきた関係で、公的な給付型奨学金の動きもウォッチしてきましたが、いつも選挙前になると「創設!」という記事が派手に登場。ところが、選挙が終わってしまえば「そんな話ありましたっけ?」とでも言うかのように沈静化を繰り返してきました。票目当てという説明は不要ですよね。

 

 今回の給付型奨学金も財源不足とか何とかで、先送りされるに違いないと予想していました。だから「ようやく」と冒頭で表現したのですが、「ないよりはマシ」の一歩前進にしても、内容が貧弱過ぎます。仮にもGDPで世界第3位の国にもかかわらず、これまで公的な給付型奨学金がなかったこと自体がおかしい。口はガンガン挟むけどカネはケチるなんて、長岡藩の小林虎三郎に顔向けできないですよね。

 

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2017年1月 4日 (水)

新年早々……

 

 あけましておめでとうございます。

 

 今年の正月休みは早々に仕事にとりかかるつもりでした。フリーランスにとってまことに幸せなことに、年越しの仕事がいくつかあったからです。

 これも皆様のたゆまぬご指導ご鞭撻と、ご贔屓いただいた賜にほかなりません。心から感謝しつつ、今年もよろしくお願いいたします。

 

 とはいえ、締め切りがまだちょっと先ということに甘えて、ズルズルと怠惰に時を過ごしてしまいました。かの向田邦子女史も遅筆だったみたいですね。もちろんボクごときとは段違いのレベルですけど、ギリギリまで時間的に追いつめられないと本気で取り組めない心境は大変によく分かります。

 

 決してサボっているわけではなく、自分の才能に見切りをつけないと執筆がスタートできないからです。みんなに自慢できるような素晴らしい傑作は書けないかもしれないけど、とにかく依頼された仕事はしなきゃいけない。その諦めにも似た決意に至るまでの逡巡や葛藤と決別し、自らの非才・凡才に果敢に向かい合うための強力な外圧が締め切りなんですよね。

 自分が思っている自分なんて本当の自分では決してなく、これまでに為してきたことのすべてと、これから実行する結果だけが自分にほかならない。客観的な結論は確かにその通りでも、なかなかそれを受け入れられない誇大妄想的な自分がいるわけです。

 

 またもや回り道しましたが、1月中旬に恒例のスイス取材に出張するので、そちらの準備は着々と進めてきました。ややこしいことを考えなくてもやれますからね。それで気づいたのが、イヤホンの破損であります。

 

 以前にも紹介しましたが、近年のイヤホンの進歩は目覚ましいものがあります。特に耳穴に突っ込むカナル型は、それまで苦手だったはずの重低音も、ひと昔前のヘッドホンが真っ青になるほどの迫力があるので、ボクも定評の高い日本ブランドを愛用してきました。音漏れもほとんどありません。

 

 ところが昨年の春頃に、右側の音が聞こえなくなってしまったのです。イヤーピースの付け根を揺さぶってみるとガァガァという雑音がするので、どうやら接触不良のようです。

 修理に出すことも考えましたが、その間は音楽が聴けなくなります。価格も1万円以下だったので、その程度なら買い換えた方が手間もかからず早いだろうと同タイプを新規購入。年末まで使ってきたのが2代目となります。それを「もしかして」と念のためにチェックしてみると、この2代目も付け根あたりのコードのゴム皮膜が破れており、同軸の銅線と思われる金色部分が裸で露出しているではありませんか。

 

 まだ断線には至っていないので絶縁テープで補修しましたが、この部分にはどうしてもコード全体の重量が集中します。騙し騙しで使うにしても、ダメになるのは時間の問題であり、海外出張中に断線したら楽しみがなくなってしまいます。ちなみに、出張先のジュネーブのホテルに設置されているテレビは、チャンネル数は多くても、ボクには理解できないフランス語やドイツ語の局ばかり。英語の放送はイギリスのBBC程度しかありません。

 

 それでやむなく3代目を購入しましたが、前回とまったく同じ理由による2回目の買い換えなので、損したという不愉快感を越えて、日本のメーカーは何をやっているのかと猛烈に腹が立ってきました。

 

 以前も日本製ノートパソコンが開閉部分の接触不良で(後で分かったことですが)、スイスから現地レポートをうまくメール送信できなくてヒドい目にあいました。それでMacBookエアーに換えたのですが、今回のイヤホンも接続部分の不具合ですからね。イヤホン自体がいかに素晴らしい音質を再現できても、コードの付け根が強度不足、あるいは耐久性に乏しければ、すぐに聞こえなくなってしまいます。

 

 昔の日本製品は、基礎的な技術は欧米の物真似にしても、使い勝手に配慮して細部を丁寧に仕上げた頑丈な実用性がウリだったように思うのです。それに比べて近頃の日本製は何だかおかしいぞと、このブログで再三指摘してきましたが、身近なイヤホンでもこの有様です。

 

 正月早々に皆様のご気分を害したくないので自粛しますが、倫理や志といった崇高な精神性がどんどん衰退していき、かわりに拝金主義がまかり通っているような気がしてなりません。それが仮にグローバリゼーションの本質だとしても、デメリットや短所を真似しなくてもいいじゃないですか。

 

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