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2017年3月

2017年3月21日 (火)

『初めての街で』

 

 観てきましたよ、映画『ラ・ラ・ランド』。ゴールデン・グローブやアカデミーで沢山のタイトルを受賞した話題作なので、ミュージカル評論家(自称)としてはレンタルDVDで済ますわけにはいかんなぁと、さっそく六本木のTOHOシネマズまで行きました。その感想ですが、明日から恒例のスイス出張となり、帰国予定の3月28日までは基本的にブログをお休みさせていたただくので、翌29日の水曜日にはまとめようと思っております。

 

 さて、先週にお約束した、目下のマイブーム爆進中の西田佐知子イチオシ曲についてであります。

 何度聴いても実にまったく素晴らしい歌手であり、「不世出」と形容しても決して大げさではないでしょう。特に低音から高音への伸びが群を抜いており、わずかな淀みすらなく、鼻を抜けきっていく歌声が実に色っぽいのです。声量も豊かな人ですが、それを敢えてためこんだ甘く可愛い囁きで始まる、彼女には珍しい歌から紹介しておこうかな。

 1969年に発表された、『くれないホテル』(作詞:橋本淳、作曲:筒美京平)です。

 

あなた知ってる くれないホテル

傷を背負った 女がひとり

そっとブルース 口ずさみ

深紅のベッドに涙をこぼす

ああ くれない くれない

誰が名付けた くれないホテル

 

 長くなるので詳しく解釈しませんが、以前のブログで「寸止め感」として触れた西田佐知子特有の微妙な距離感がこの歌にはありません。何かの事情でちょっと離れていた恋人が、再び隣に戻ってきたような親近感があるのです。「あーなーた、知ってる?」という問いかけから始まるので当然といえば当然の歌い方ですが、まるで彼女が耳もとで語りかけてくるような雰囲気になっています。当時はなぜかヒットしなかったみたいですが、ボクにとってはベスト5に入るほど好きな曲です。

 

 やはり1969年に発売された、同じく橋本淳、筒美京平コンビによる『星のナイトクラブ』も、そこはかとない哀愁の中で人生の「甘苦さ」みたいなものが表現されています。

 

星を飾った クラブのように

話し上手な女がひとり

夜の銀座に 夜の銀座に

いるという

 

 どうですか、このフレーズだけで銀座のクラブに出かけたくなるじゃないですか。ボクはほとんど経験ありませんが、虚実入り混じったホステスとの恋の駆け引きを思わせる内容になっています。中でもサビのリフレインが秀逸で、「あまくて あまくて とてもせつなぁーい」と伸び上がっていくところが西田節全開でありまして、胸が熱くなるほどの情感に満ちています。

 

 ただ、ごく一般的に彼女を代表する曲といえば、これまで紹介してきた、

『アカシアの雨がやむとき』(1960年、作詞:水木かおる、作曲:藤原秀行)

『赤坂の夜は更けて』(1965年、作詞・作曲;鈴木道明)

 それに「泣いた女がバカなのか だました男が悪いのか」というフレーズで知られる、

『東京ブルース』(1964年、作詞:水木かおる、作曲:藤原秀行)

 ということになるでしょう。

 

 このうち『赤坂の夜は更けて』は他の歌手との競作でしたが、ジャズっぽい都会的な曲想がみごとにマッチングして、西田バージョンが最もヒットしたそうです。

 

うつろなる心に

たえずして

なみだぐみ ひそかに

酔う酒よ

 

 と、歌詞は文語調でも、彼女が歌うと、都会の夜の巷で恋人を想う女の切ない心情が心に響いてくるんですよね。銀座の次は赤坂、行こうかなぁ。

 ちなみに、石川さゆりもまったく同じアレンジでカヴァーしており、しっとり感たっぷりの表現力はさすが『天城越え』と感心しますが、オリジナルと聴き比べると、声量が違うことに気づきます。肺活量といえば身も蓋もありませんが、それによる奥ゆきとタメ=余裕がね、やはり西田佐知子のほうがちょいと上手だなぁとボクは判断しました。

 

 ということで、ボクなりに、ああ堂々の西田佐知子ベスト1を選ぶとすれば、やっぱり『涙のかわくまで』(1967年、作詞:塚田茂、作曲:宮川泰)かな。さすがにアレンジは昔風でも、メロディラインとリズムが新しい。かつての演歌をひきずっている気配がまったくないので、この21世紀に聴いても新鮮に感じるのです。冗談抜きで、もう100回以上は聴いたでしょうか。それくらいクセになる魅力があると思います。

 

 しかしながら、ここで番外の特別賞としてイチオシでご紹介したかったのは、CMソングの『初めての街で』(作詞:永六輔、作曲:中村八大)です。この題名は知らなくても、「やぁっぱりぃ、おーれわぁあああ、きくまさぁむぅねぇ」という締めの「菊正宗」フレーズに聞き覚えのある人は多いんじゃないかな。

 

初めての街で

いつもの酒

これで

ひとりぼっちじゃない

 

初めての人と

いつもの酒

ちょっと

口説いてみたりする

 

 1975年からテレビなどで流れていたそうですから、彼女が35~36歳頃の歌です。悔しくてコメントする気にもなりませんが、例の2代目俳優の司会者と結婚したのは71年。確かに円熟したミセスの風情が感じられます。似たような出自の『ウィスキーが、お好きでしょ』(1990年、作詞:田口俊、作曲:杉真理)を石川さゆりが艶っぽく歌っていますが、あれをチーママとするなら、『初めての街で』の西田佐知子は若女将でしょうか。貫禄も色気もやさしさも人情も格別と言えば、石川さゆりファンに叱られるかな。

 

 時代が異なり、個人の趣味嗜好も様々なので比較しても仕方ありませんが、アレンジが上質なので、気品と華やかさがありながらも、心に暖かいものがじんわりと流れてくるのです。その人気から1979年に歌詞を一部変更したシングル盤が発売されています。

 ウィキペディアによれば、90年には別の歌手によるカヴァーバージョンが広告代理店から提案されたようですが、あっさりと見送られたそうです。そりゃそうでしょうよ。いくら引退して知名度が下がったとしても、この歌を彼女以上に歌える人なんているのでしょうか。2007年から菊正宗のラベルなどが一新されたことを契機として、このCMソングも復活。さらに2009年からジェロという歌手がカヴァーしているらしいのですが、個人的にはとても賛同できません。

 

初めての別れに

いつもの酒

またどこかで

逢おうじゃないか

 

 酒にまつわる人情をこんなにも懐深く歌えるのは西田佐知子しかないといって過言ではないと思うので、この楽曲は彼女だけの永久欠番にして欲しいなぁ。なんてことを書いているうちに、酒が無性に飲みたくなってきました。ヨーロッパに向かう機内で、この曲を聴きながら久々に良い酒を飲みたいな。

 

 ということで、1週間ほどブログをご無沙汰させていただきます。

 

 

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2017年3月17日 (金)

青天の霹靂(後)

 

 やっぱり西田佐知子はいいなぁ。『コーヒールンバ』(1961年、作詞:中沢清二)なんていう難しい楽曲もみごとにこなしており、歌唱力とセンスはハンパではありません。

 しかも、淀みなく完璧に抜けきっていく鼻声が、低音から高音に至るまで実にまったく色っぽいのであります。けれども、いつものことながらボクは気づくのが遅すぎですよね。せめて70年代なら何とか間に合ったはずですが(何に?)、その頃はフォークソングが大全盛で、演歌っぽい歌はまるで旧体制の象徴みたいに嫌われていましたから。流行ってヤツは、いいものを残すこともあるけど、本当にいいものを押し流してしまうこともあるのです。

 西田佐知子の歌声の魅力は、そこそこの大人になってみないと実感するのは無理でしょうね。

 

 ということで、ボクの西田佐知子イチオシ必殺最終版は来週火曜日のブログで紹介するので、ご期待ください。

 

 さて、昨日の続きであります。

 税務調査があるというので、まずはネットでいろいろ検索してみましたが、例によって玉石混淆の情報が飛び交っているんですよね。たとえば2月~3月は個人の確定申告が集中して忙しいので税務調査はほとんどないとするウェブサイトもありましたが、ボクのところに来訪した国税調査官に訊いたら「部署が違いますから」とあっさり否定されました。確かにね、個人と法人部門は違って当然ではありませんか。そんなもんですよ、ネット情報なんて。

 

 唯一、役立ったのは、食事やオヤツなどの食べ物を振る舞うのは賄賂のようになるので固辞されるけど、お茶やコーヒーなどの飲み物はOKって話です。まるで病院の検診前の注意事項みたいですが、調査される現場では使える知識じゃないですか。

 

 でね、詳しい結果はパーソナルな情報なのでこんなブログで公開する気はさらさらありませんが、結論から言えば、ヘンな隠し事さえなければ何も心配ないということです。たとえば売上げを誤魔化したり次年度に飛ばしたり、利益をどこかに隠すといったやましいことさえしていなければ、むしろ好意的にアドバイスさえしてくれます。

 その内容も、かつてお願いしていた税理士よりはるかに有益でした。「これはこうしてください」「あれはこうしたほうがいいです」と、長期に渡って持ち越してきた奇妙な数字も的確な処理方法を教えてくれるなど、「はぁ、そういうことですか、ありがとうございます」と何度言ったことか。

 

 それだけに、後ろ暗いことをやっていたら、絶対にバレるでしょう。国税庁の肩を持つ気はさらさらありませんが、調査官は当然のことながら税金のプロフェッショナルであり、実に優秀なんですよね。

 

 そんなわけで、最終的に追徴課税はまったくのゼロ。逆に、次年度からの決算申告に関する変更点や注意点などを「無料」で教えていただいたので、むしろこちらが儲かったくらいです。私的にはバンザイですけど、公的には少しくらい税金を国庫に納めたかったなぁ。というのはあくまで冗談なので念のため。

 

 それに比べて、というのも何ですが、国税庁と同じく国民からカネを徴収する部門にもかかわらず、年金を扱う社会保険庁の杜撰さはひどかったですよね。おかげで日本年金機構と名前だけは変えましたが、情報漏洩事件などの不祥事は続いており、内実がそれほど改革されたとは思えません。ある識者が「いっそ年金も国税庁にまかせたほうがいいんじゃないか」と指摘したことがありますが、今回の税務調査の経験で、ボクもその意見に強く同感します。

 

 とにかく、初めてのことなので「青天の霹靂」であったことは事実ですが、結果的にボクを長く悩ましてきた決算の怪しい数字がクリアになりました。やっぱ世の中、正直が一番なんだよなぁと、再び静寂に戻った空を見て思った次第なのであります。

 

 

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2017年3月16日 (木)

青天の霹靂(前)

 

 手書きでは滅多にこんな字は使わないし、ボクには絶対に書けません。筆に墨汁ならベタベタの真っ黒けになるはずですから、昔の人は本当にこんなややこしい文字を書いていたのでしょうか。

 

 念のために読み下せば「せいてんのへきれき」であります。青天は文字通り雲ひとつない澄み渡った青空のこと。問題は「霹靂」ですが、これは突然の雷鳴を意味します。だったら、そう書けばいいのに。

 

 語源は中国の南宋時代にさかのぼります。陸游(りくゆう、11251210年)という高名な詩人が病床から突然に起き出して、稲妻のように激しい勢いで筆を走らせたことにもとづくそうです。すいません、ボクも同業系最末端の辺境でメシを食わせていただいていますが、そういう経験がまったくないわけではないにしても、能力的に凡人なせいか、後で読み直して恥ずかしく思うことのほうが多いんですけどね。

 

 ちなみに「青天」を「晴天」と書くのは間違いだそうです。また、ネットを検索してみて、青森産の米の新品種や、劇団ひとりの小説や舞台のタイトルにも使われていることを知りました。皆さん、手書きでやっておられるのかなぁ。

 

 さて、問題はボクにおける「青天の霹靂」であります。

 

 ある程度の年齢を経ると、いいことも悪いことも大抵は予想がつくようになり、むしろイヤなことを先回りして考えるようになります。もしかして宝クジが当たるかもなんて嬉しいことをリアルなイメージで想像するのは若い人に限られており、ボクなんかになると、出がけにガス管の埋設かなんかの工事でデコボコになった舗道で足の運びを誤って大コケするとか、湘南新宿ラインや山手線が人身事故の影響で止まるとかね。あ、後者はしょっちゅうあることなので、これを「青天の霹靂」と形容するのは「晴天」と同じくらい間違いです。

 

 とにかく、そういう不幸なアクシデントばかりをいつも想うようになるので、突然に霹靂を聞くようなことは滅多にないのですが、今年は1本の電話からそれが始まりました。

 

「渋谷税務署ですが」

 

 そこに親しい友人や知人は1人もいないので、ななななな何だろうと訝しくは感じても、この段階では昨年の消費税中間納付で誤記でもあったのかなという、軽い感じの遠き雷鳴でした。それが次の衝撃的な一言で、まさしく「青天の霹靂」っすよ。

 

「税務調査で御社にうかがいたいのですが」

 

 ぎょえぇぇぇぇぇ、という言葉にならない叫び声が頭の中でわんわん轟きわたりました。会社を経営している人なら誰だって「うわちゃー」と感じるオファーですよね。ごく一般的には「調査」というより、追徴や修正申告などの名称で税金を「毟り取られる」というイメージのほうが強いからです。

 

 ボクのところはたまたま会社という法人組織にしてはいますが、テンポラリーな依頼ばかりの下請け産業であり、規模的にも超零細の極致といっていい。どのように綿密に意地悪くチェックしたところで、売上げ自体が些細ですから、収奪可能な追徴金(あくまでも取られる側のイメージです)も微々たるものじゃないですか。それに渋谷は、おそらく日本で最も会社数が多い地域のはず。ボクなんかのところより、もっと景気が良くて儲かっている会社はいくらだってありますよ。

 

 税務専門家の労力に対して得られるものがあまりにも乏しいので、「税務調査」のコストパフォーマンスが見合わないはずです。実際に、これまで税務調査なんかされたことがありませんから、すっかり油断していました。だから語義通りに「ま、まさかウチが?」なのであります。

 

 それでも粛々と来社日が決まったので、ボクも決算書を10年分あれこれひっくり返して見直してみましたが、うーむ、確かに怪しいところがないわけではないんですよね。誓って脱税なんぞはしていないし、利益を1円たりとも隠していません。日銭で現金が動く飲食業などと違って、売上げはすべて銀行振り込みなので、そもそも隠しようがないのです。

 ただし、表記的に、決算申告書的に、しばしば言われる「見解の相違」とか「解釈の違い」はあるのかな。経理の記帳というか打ち込みはこれまで派遣の人などに依頼してきた関係で、決算に至る最終的なツメのところでミスがあった可能性も否定できません。とか何とかね、いろいろと心配するじゃないですか。こりゃあ、いくらか持っていかれるかなぁと、誰だって不安を感じますよね。

 

 ということで、それから果たしてどんなことになったのか、明日のブログに乞うご期待!

 

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2017年3月15日 (水)

『アカシアの雨がやむとき』(3月14日ブログ修正版)

 

 すいません、昨日の続きですが、西田佐知子の『アカシアの雨がやむとき』はボクの完全な誤読だったようです。これまでの流れから、てっきり失恋の歌かと思い込んで解釈してしまったのですが、これは間違っていました。ああお恥ずかしい。そんなわけで、昨日のブログは削除させていだきました。

 

 というのも、同名の映画が日活製作で1963年に公開されており、失恋ではなく、悲恋が描かれていたらしいのであります。つまり、すれ違いやら不幸の連続で、人生に絶望しつつ、「あの人」を想うという内容なんですよね。だからこそ当時はデモで女子大生が亡くなった「60年安保闘争」が背景にあると言われていたようです。恋愛がテーマであることは確かでも、「捨てられたら私は死んじゃうわ」なんて内容ではありません。そりゃそうです、そんな歌がヒットしてレコード大賞特別賞が授与されるはずがないですよね。

 

 そんなわけで、気を取り直してもう一度再構成したブログをお届けします。

 

 決して美声ではありませんが、これほど大人の雰囲気を感じさせる歌声はほかにちょっと聴いたことがありません。西田佐知子。今では近所のオバサンみたいな名前に思えますが、1960年代に一世を風靡した歌手です。

 

 当時は国民こぞって視聴していたNHK紅白歌合戦に61年から10回連続で出場したといえば、人気のほどが分かると思います。

 ところが声の質は、しばしば比喩にされるシルクのような滑らかさとは真逆で、貴金属の表面処理でいうならヘアライン仕上げかな。ただし、筋が整った、というと矛盾を感じるかもしれませんが、心地良いかすれ感を伴った個性的な声であり、それが綺麗に鼻を抜けていき、高音部の伸びも素晴らしいのです。

 ごく簡単に表現すれば、色っぽい鼻声なのですが、それに頼った過度な感情移入をしないクールな歌い方も特長。それらが相まって、エロス寸前のエレガントな艶っぽさを感じさせるのです。それに比べて近年は若い女の子が集まった黄色い声のユニゾンばっかり。楽曲も直線的で実につまらんというのは、オッサンの繰り言でしょうか。というわけで、西田佐知子が近頃のボクのマイブームとなっております。

 

 そんな彼女の代表作は、1962年にレコード大賞特別賞を授与された『アカシアの雨がやむとき』。20歳を過ぎたばかりの若い女性が、こんな歌を歌ってヒットしました(作詞:水木かおる、作曲:藤原秀行)。

 

アカシアの雨にうたれて

このまま死んでしまいたい

夜が明ける 日がのぼる

朝の光の その中で

冷たくなった私を見つけて

あの人は 

涙を流してくれるでしょうか

 

 私が死んだら、という状況を想定した悲恋を表現しているらしいので、歌い方次第で重量級の演歌になりかねませんが、彼女はそうなる寸前でサラリと切り上げています。だからこそ歌を聴く限りでは、この詞のハードな内容に気づきにくいんですよね。かといって情感がないわけでは決してないところが、彼女の真骨頂といえそうです。エロス寸前で、濃厚な演歌になる寸前。この良い意味での寸止め感がもたらす情緒が、彼女独特の都会的な雰囲気を醸成しており、ボクが好きになった理由なのかな。

 でもって、アカシアの雨がやんだら、果たしてどうなるか。3番の歌詞はこうなっています。

 

アカシアの雨がやむとき

青空さして鳩が飛ぶ

むらさきの はねのいろ

それはベンチの片隅で

冷たくなった私の脱けがら

あのひとを

探して遙かに 飛び立つ影よ

 

 公園だろうと思われますが、1番の歌詞で予告したように「ベンチの片隅で」亡くなっているわけですから、うーむ、やっぱり悲惨な歌ではありませんか。メロディばかりを覚えていて、実はこんなにものすごい歌詞だとはまるで知りませんでした。もしも西田佐知子でなければ、とてもじゃないけどヒットしなかったんじゃないかな。だからこそ代表作になり得たのでしょう。有名な歌手は必ずそうした奇跡的な出会いがあるんですよね。

 

 こんな内容の歌ばかりでなく、『赤坂の夜は更けて』(1965年、作詞・作曲:鈴木道明)という典型的な別離を描いたラヴソングもあります。それでも彼女が歌うと、やはりどこかふっきれたオシャレな感じに聞こえるんですよね。

 

今ごろ どうして 

いるのかしら

せつない想いに ゆれる灯かげ

むなしい未練と知りながら

恋しい人の名を ささやけば

逢いたい気持ちはつのるばかり

赤坂の夜は 更けゆく

 

 ただし、前回のブログ『涙のかわくまで』でも指摘しましたが、惚れて惚れて惚れ抜いた恋を失ったら、別れをいつまでも引きずるのではなく、さっさと気持ちを整理して毅然として前を向くというのが、彼女の歌のキーモチーフなのかもしれません。ご本人も気に入っていたという『女の意地』(1965年、作詞・作曲:鈴木道明)が、そうした心境をシンボリックに表現しているように思います。

 

こんなに別れが 苦しいものなら

二度と恋など したくはないわ

忘れられない あの人だけど

別れにゃならない

女の意地なの

 

二度と逢うまい 別れた人に

逢えば未練の なみだをさそう

夜風つためく まぶたにしみて

女心ははかなく 哀しい

 

 「別れにゃならない 女の意地なの」だもんね。こういう問題になると、女より男のほうがどう考えてもヘタレで未練がましい。つまり、彼女が活躍した60年代あたりから女性の地位が向上するとともに、男からの独立心も次第に高まってきたといえそうです。

 そんな分かったふうな社会学なんかより、何度YouTubeを視聴しても、細面の美人で実に素敵な歌声だなぁと感心させられます。そんな彼女がね、なななな何と、あの司会者の奥様というのですからコノヤローじゃないですか。おかげで70年代から活動をセーブして、80年代から専業主婦になったとウィキペディアで紹介されております。

 

 幸せだったらいいけどよぉ、と、つい時空を超えた嫉妬に走ってしまうほど魅力的な歌手なので、ぜひYouTubeで聴いてみてください。

 

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2017年3月13日 (月)

権力者の孤独(後)

 

 先週金曜日の宿題はいかがだったでしょうか。では、答え合わせを、ってほどのことではなく、そもそも正解なんかない問題ですが、案の定とはいうものの、韓国大統領の罷免が決定しました。以前に撮られた映像かと思いますが、彼女はひどく元気がなく無表情で、まるで今日あることを予測していたような風情が見られます。ボクってば、元・小説家志望だったせいか、権力の乱用ぶりよりも、そういうところを同情してしまうんですよね。

 

 さて、それに関連した宿題に戻ると、民衆を率いる権力者=大統領や総理大臣は重責を担うことから必然的に孤独感を深めていくので、それを救うにはどうすりゃいいかってことでした。旧知の親友は心おきなく話せる反面で、あの女性大統領のように、虎の威を借る狐を増長させて私腹を肥やすようになる可能性が高い。宗教は確かに心を癒やすにしても、それが政策の意思決定にまで及ぶと不合理な決断を促すことになりかねません。

 

 だったら、どうすりゃ権力者やリーダーは孤独感から救われるでしょうか。答を知りたいですか? どうしても、どおぉぉぉぉぉしても知りたいですか? って、またまたちょっとしつこいですよね。すいません、性格なものでして。

 

 これが正解とは限りませんが、ボクが考えるのは、やっぱり強い信念、あるいは崇高な理想です。それも「国民を幸せにする」「美しい国にする」なんていう曖昧模糊で漠然としたものではなく、たとえば「病気の治療費はすべてゼロにして健康大国を作る」とか「学費ゼロにして世界が参考にする教育大国を作る」といった具体的で分かりやすい目標や方針であります。費用ゼロしか思いつかないのかと叱られそうですが、どちらも目下の社会問題なので仕方ないじゃないですか。

 

 あるいは「幼児と老人、それに障がい者など弱者にやさしい国」でもいいし、「世界一安全な国」もありでしょう。あるいはボクのブログのタイトルから「誰もが生きやすい国」でも可です。これらのパクリはすべて許可します、というより奨励いたします。

 

 こういう信念または理想を持っていたら、それが実現するまで孤独を感じるヒマがなくなります。もちろん一人ぼっちで回りは敵だらけになるかもしれませんが、戦っている限りは空虚な心の隙間が生まれるはずがない。仮に政争に敗れて野に下ろうと(差別的でイヤな表現ですけど)、挫けることもないはずです。

 

 心の支えとなる、そうした信念や理想を失って戦うべきリングから下りた時に、人間はダークサイドに墜ちたり、邪悪な意図に屈したりするわけですね。

 

 だから、このブログで再三にわたって指摘してきたように、リーダーに必要なのは、学識やノウハウやスキルなんかではなく、何よりも信念=理想なんですよね。それさえあれば、負け戦の気配から率先して逃げ出すようなみっともないこともしないし、そもそもできないはずです。元・都知事のように、重大な決定を「わしゃ知らん」と他人のせいにしたり、やたらと忘れてしまうこともあるはずがない。

 

 もう分かっていただけたかと思いますが、この国には確固とした理想を持つリーダーに乏しく、その持ち方をきちんと教える学校もありません。学ぶは確かに真似ぶことが始まりでも、自分なりの信念や理想を持たない人間は羅針盤や海図を持たない船と同じであることを、教員から直接に教えられたことがあるでしょうか。

 

 以前に、会社の目標を「年間売上げ1000億円」として、中期目標を見ると「750億円」といった段階的な数字ばっかりで、その目標をいったいどのように実現するかという、具体的な戦術なり戦略、方法論がほとんど書かれていない長期計画書を見たことがあります。これが強権的に組織全体に伝達されていくと、超大手の某電機メーカーのように決算の数字をいじくるという大罪を犯すことになりかねないわけです。

 

 そんな悪行に手を染めたり、寂しくてつまらない人生を送ることのないように、ボクたち平民は、何が本当に大事な幹で、何が枝葉末節かを、常にチェックすることから始めましょうよ。

 

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2017年3月10日 (金)

権力者の孤独(前)

 

 韓国大統領の弾劾審判が本日午前中には決定するそうです。ボクにはあまり興味のない政治問題なので、どちらに決まっても「はぁそうですか」程度の感想しかありません。それよりも、彼女はきっと孤独だったんだろうなぁと、勝手に憶測してしまいます。

 

 選挙の洗礼も受けず、地縁・血縁などの根拠もまったく持たない一般人が政治に介入し、権力を濫用するという事件は封建時代の昔からありました。それを許してしまう理由は、どう考えても権力者の精神的な弱さです。強すぎれば独裁者になるので困ったものですが、どちらにしても、何千万という人間の頂点に立つなんていう心境は、ボクたちにはとても想像できません。裁判所前に泊まり込んでいるらしい罷免賛成派、反対派ともに、彼女の気持ちを忖度する人なんていないでしょうね。もししていたなら、そんなにも大きな声が出せるはずがないと思うのです。

 

 ボクのところみたいな超零細会社の社長だって負担を感じるのに、一国の大統領ともなれば、そりゃもう両肩がトン単位で重いどころの騒ぎじゃないはずです。しかも朝鮮戦争は今もって「休戦中」に過ぎないので、武力で一気に南北統一に動きかねない政権が虎視眈々と機会をうかがっていますからね。

 

 みんなに推されて韓国史上初の女性大統領になったのは喜ばしいとしても、それから国をどう運営すりゃいいかという段階で、両親ともに暗殺されていることから、困惑や悩みが泥沼的&重層的に深くなっていったのではないかなぁ。国会では野党が何かと反対ばっかりするしね。

 

 そんなこんなで気持ちが弱った時に、古くからの知り合いだか友人がそばにすり寄ってきて、「占いではこんなん出ましたから、右に行きまひょ右に」と自信を持って言われたら、つい頼ってしまうじゃないですか。それをいいことに、どんどん懐に入ってくる連中を止めることができなかった。やがて彼らは増長していき、大統領の権力を利用して国のカネを自分の財布にどんどん横流ししていったのです。

 

 誰だって想像できるストーリーであり、これをもって大統領の責任放棄とか失格とか、罪だの罰だのと指摘するのは当然です。国の税金を私的に流用してきた連中も絶対に許してはいけません。

 

 でもね、だったら、あなたが大統領になったらどうでしょうか。「ええええ、オレなんて(アタシなんて)そんなの無理よぉ」と言うなら、弾劾罷免に至るような事件は容易に繰り返されることになります。だってね、失敗から何も学ぼうとしなければ、同じことが起きるのは当たり前じゃないですか。

 

 ボクたちの限界をはるかに超えたスーパーマンを大統領に選ぼうにも、人間でそんな奴はいないのだから仕方ありません。すぐ隣にいるような奴が地方議会の議員となり、国会議員になって総理大臣になるわけですから、原因を突きつめて、自分なりの解決策を考えておかなきゃいかんでしょう。会社でリーダーになることも、まったく同じだからです。

 

 さて、ものすごい責任を担って孤独感が募り、精神的にもボロボロになってきた人間が救いとして頼るべきなのは何でしょうか。かの大統領は旧知の親友でした。いつライバルに寝返るか分からない政治家や、機械みたいな官僚より安心かもしれないけど、前述したように権力を利用して私腹を肥やす怖れが伴います。

 

 おそらくですけど、次に頼りにするのが宗教だろうとボクは考えます。宗教がいけないとは決して思いませんが、現世利益に走るようになると、やはり悪徳にまみれることが十分にあり得ます。大統領や総理大臣の政策が神様頼みというのも大問題だしね。

 

 ということで、友達もダメ、宗教も避けましょうというなら、権力者やリーダーの孤独を何が救うというのでしょうか。政策決定のプロセスといった法的問題は専門家に任すとして、ボクらのレベルでもこれくらいのことは考えておかないと、情報をただ単に消費したに過ぎなくなってしまいます。

 

 さて、再度問います。あなたは権力者やリーダーの孤独を救うものは何だと思いますか?

 

 絶世の美女? それは孤独を「癒やす」だけですから、やがて城を傾けてしまうことは歴史が証明しております。ここでボクの回答を紹介してもいいのですが、週末の思考訓練の宿題として、月曜日に続けることにします。

 

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2017年3月 9日 (木)

ブサメン諸君!

 

 たいていの困難は、必死で努力すればある程度は何とかなるものですが、どうにもならないのが面相であります。

 

 ボクは子供の頃に雨降りの水たまりに映った自分の顔を見て絶望し、そこに飛び込んで死のうと思ったくらいです。逆に、自分の顔に惚れてしまい、恋する想いを遂げられないことから湖に身を投げて水仙になった奴もいるらしいですけどね。

 

 そんなわけで、子供の頃から避けてきたのが鏡と写真です。歯を磨いて顔を洗う時も、よほどのことがなければ鏡は見ませんでした。写真も同様で、仮に撮られたにしても、じっくり見たことはありません。卒業アルバム? ふふふふふ、そんなものはとっくに処分しましたってば。

 

 それでもね、若い頃はまぁまぁ何とか見られなくもなかったのかな。別の要素が大きいにしても、それなりに女子とおつきあいさせていただきましたもんね。いま思えば、人類の種族保存と多様化のために、フェロモンが過剰に分泌して、女の子たちに錯覚や誤認させていた可能性もあるなぁ。

 

 というのも、年齢を経ると、そうしたマジックが次第に色褪せていき、オノレの醜い顔と客観的&直接的に対峙するようになるからです。幸いに髪はそこそこ残っていますが、いつの間にか白髪が増えている割には、ボクの理想とするオッサン顔になっていない。あちこちがたるんでシワだけは増えたのに。そりゃそうです、骨格などの基本的な土台がそもそもダメなんですから。

 

 ボクのような不細工な顔を略して「ブサメン」というらしいのですが、日本語というのは実に融通無碍ですよね。イケメンも相当な略語ですが、それに対してブサメン。どちらも後天的にどうにかできることではないので、そんなことを喜んだり嘆くことに意味はないにしても、こと女の子に対してブサメンがハンデになるのは事実でしょう。それよりも女の子が不細工なほうが、より社会的&生涯収入的に不利という意見もあるようです。

 

 だったら、長きにわたる人類の歴史で、どうして不細工な顔が淘汰されてこなかったか不思議に思いませんか。もしもそれが生存に不利な特質であるなら、世の中とっくにイケメンと美女ばかりになっていてもおかしくないはずなのに、男女ともそうはなっていません。つまり、ブサメンでもブスでも、ちゃんと子供を作って遺伝子を存続させてきたことになります。

 というわけで、容貌の出来不出来なんていうのは、生物学や進化論的には大した問題ではないらしいというのが、ボクの結論なのです。

 

 だからといって、ブサメンであることのコンプレックスが解消されるわけでもありませんよね。そこで、ボクは悩みに悩んだ挙げ句に(とはいっても小一時間ほど)、ブサメンでなくなるための具体的で即効的な方法を、とうとう発見してしまったのであります。ノーベル賞は無理でも、これを科学的に実証できればイグノーベル賞は可能だと思うぞ。

 それを知りたいですか? 何があっても、どうしてもどーーーーしても、是が非でも知りたいですか? 

 

 って昨日のブログのようになってしまいましたが、ボクが発見した方法は、整形外科に行く必要もなく、特段の努力やカネだって必要ありません。その気になれば、すぐにできることです。

 

 それはね、実にまったく単純なことですが、笑うことなのでありますよ。

 

 男女ともに不細工な顔が不機嫌になったところを想像してみてください。どうしたって悪印象は倍増します。ところが、笑い顔になると、顔の美醜はほとんど関係なくなり、不細工とは気づかれにくいのです。おそらくそれが理由で、思春期の男女は「箸が転んでも笑う」のではないかとボクは睨んでいます。なるべく多様な個体を造るために、笑わせて容貌の格差を分かりにくくする生存戦略の一種じゃないかな。

 

 そんな屁理屈は別にして、笑い顔になってしまえば、ブサメンもイケメンもブスも美女も似たようなものじゃないですかぁ。少なくともブスっとしているよりは愛嬌が感じられますよね。あ、だからブスっていうのかな。だったらブスっとしていなければ、ブスとは呼ばれないはずです。

 

 そんなわけで、ボクのようなデキの悪い顔にウジウジ&クヨクヨと悩む全国のブサメン諸君、ばんばん派手に笑おうではありませんか。おかしくなくても、いつもニコリと微笑むようにする。少しでも面白いことを見つけて、とにかく笑うことを習慣にしようじゃないですか。不機嫌な顔なら100万パーセントの高確率でイケメンに負けるけど、笑い顔なら勝てる可能性だって出てくるぞ。

 

 ウソだと思うなら、本日から心がけてみてください。しばらくすると周りの見る眼が変わってくるはずです。

 

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2017年3月 8日 (水)

そんなに急いでどこへ(後)

 

 話の勢いが余って、何のために生きているか、なんて大層なところに滑ってしまいました。以前にも指摘したように、人間は何らかの使命を果たすために生まれてきたとボクは信じておりまして、その意味では時間的な長短なんかまるで関係ないだろうと思います。

 

 つまり、長生きすりゃいいってものではないというスタンスなのですが、えーと、恥ずかしながら、この年齢になっても、果たすべき使命が見つかったとは言えないんですよね。だから逆に、まだ生かされているとも判断できますが、むしろそうした状態の人のほうが多いかもしれません。

 

 けれども、安心してください。そんな人たちにも「何のために」という疑問に対する答はあるのです。それを知りたいですか? 

 どうしても知りたいですか? それを知って何が起きようとも、是が非でも知りたいですか? どうしてもどーしても知りたいですか?

 

 って、読者を脅してどうすんだよと思いますけど、答はそんなに難しいことではありません。わはははは、その答はなななな何と「愛して、恋する」ことであります。わぁお、こいつも暴走エロ老人の仲間入りかよと見捨てないでね、そういう意味ではありませんから。

 もちろん異性を愛して恋して子供を産み育てることも人間の存続に直結する大切な使命の1つですが、それだけではないですよね。仕事をひたすら愛して恋する人もいれば、音楽や絵画などのアート方面やスポーツ、あるいは様々な趣味に没頭したり、人助けやボランティアに邁進する人もいるはずです。中にはおカネが大好きで、ついには黄金の輝きに惚れ込んだという人も、まぁ許しましょう。

 

 とにかく、そういうもろもろの情念こそが、機械=AIが絶対に持つことのできない人間だけのものだとボクは思うのです。であるなら「何のために生きているか」と問われて、「愛して、恋するため」と答えて何がおかしいでしょうか(いやおかしくない)。「愛して、恋する」ことを忘れてしまった人間は、人間でなくなった悲惨な状態といっても過言ではありません。

 

 このエモーションが異性に対して爆発する時期が思春期だからこそ、「命短し恋せよ乙女」という素晴らしい歌だってあるのです。セックスだけが愛や恋ではありませんから、独り身はもちろん、夫婦で倦怠期を迎えても、高齢者になっても、BBA(意味が分からなければ調べてください)とか頑固爺と呼ばれようが、人間である限りは「愛して、恋する」ことをすべきだとボクは思っています。そのためにこそ生きているんじゃないか、ってね。

 

 さて、あなたは今、何を愛して、恋していますか。

 

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2017年3月 7日 (火)

そんなに急いでどこへ(前)

 

 このところ締め切りに加えて午前中の打ち合わせが続いているので、ブログに十分な時間が取れません。かといって時間があれば上手な文章が書けるかといえばそうでもないので、浅学非才を嘆くほかないんですけどね。

 

 ただ、最近になって強く感じるのは、物事がやたらとスピードアップしてきたということです。ボクが高齢化したのかなぁ。

 たとえばドラマや映像なんかのカメラの切り返しが、ものすごく早くなったと感じます。これはアメリカのミュージカルドラマ『glee/グリー』を見ていて気づいたのですが、特にダンスシーンでは1秒に満たない猛スピードでカメラの視点がどんどん変わっていきます。たまに目眩を起こしそうになるくらいです。

 

 昔のミュージカルの映像は、カメラの台数が少なかったせいか、もっとスローで、踊りをじっくりと見せてくれました。こちらも安心してコーヒーを飲んだり、予定表にチラリと眼を落としたりできたのですが、『glee/グリー』では画面の転換が早いので、まったく眼を離せないのです。ウソだと思うなら、YouTubeでぜひ確認してみてください。もっともドラマ部分はいささか稚拙なので、歌さえ始まらなければ、トイレに行って大だって余裕で取り組むことができます。

 

 映像だけでなく、文章にしてもツイッターやラインが普及したせいか、短文が全盛になってきました。広告コピーに優れた文章が多いように、長ければいいってものでもありませんが、意志を短く伝えようとすると、言葉足らずになって感情的な誤解を呼ぶことがしばしばあります。これが「炎上」の根本的な原因ではないでしょうか。

 

 ただし、長い文章を書こうとすれば、思考体力のようなものが要求されます。文章は一度に概括できるものではなく、シリアルに流れていくので、構成力も重要になってくるからです。

 

 そんなわけで、短い文章に慣れると、長い文章を書けなくなるだけでなく、読むことも耐えられなくなります。ボクのブログなんかも、最後まで読む人は決して多くはないはずです。だから、炎上しそうな危ないことは最後のほうで書くようにしていますけどね。

 

 映像にしても、テンポの早い切り返しに慣れると、ワンカットの長回しで見せるシーンを退屈に感じるようになります。パッパッパッと画面が変わっていかないと、飽きてしまうのです。

 

 でもさぁ、これってすべて2次元世界のバーチャルであって、現実の生活速度は大きく変わってはいません。確かに技術革新はスピードアップしていますけど、ボクたちの肉体の代謝速度も昔に比べて早くなってきたとはいえないでしょう。もしそうだったら老化も加速しているってことになるではありませんか。

 

 では、このブログでいったい何が言いたいのか。

 こういう展開をするためには、前提条件を読者と共有しておかなきゃいけません。だからね、文章も長くならざるを得ないってことです。以下の結論も、最初にそれを書いたら、それだけで終わりですもんね。

 

 皆さん、そんなに急いでどこへ行くの?

 

 年に一度くらいは、このことを自問自答しないと、何のために生きているのかも見失ってしまうような気がするのです。

 えっ? ボクは何のために生きているかって? それについては明日続けることにしましょう。

 

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2017年3月 6日 (月)

『エロティカ・セブン』

 

 威勢のいいことを言う奴ほど小心な卑怯者で、愛国心を声高に語る人ほど裏側で国を利用するのかと疑ってしまう報道が続いています。

 

 中でも元都知事は記者会見に向かう心境を「果たし合いに向かう昔の侍」と語ったにもかかわらず、ひたすら「私は知らない」「議会で決めた」とか何とか他人のせいにしてばっかり。昔の侍はこんなにも往生際が悪かったのかなぁ。幼児に教育勅語を暗唱させといて、自分は国会議員にカネだか商品券を渡して役所への裏工作を依頼した人もいましたからね。

 

 さて、そんな不愉快な気分をさっくりと一新して、今回の音楽ブログのテーマは『エロティカ・セブン』です。

 サザンオールスターズは事務所の管理が厳しいのか、YouTubeではオリジナルはもちろんステージの録画などもアップされていません。このためいろいろなコピーバンドが席巻しており、ちょっと聴いてみましたが、まるで上手とはいえないので、サザンの曲から久しく遠ざかっていました。

 

 ところが、たまたま「宅録」なる注釈付きでアップされた『エロティカ・セブン』を見つけて聴いてみると、かなりイケるんですよね。視聴回数もおよそ40万回なので、ボクと同じように評価している人が少なくないようです。この「宅録」というのは自宅録音の略らしいのですが、どこまで編曲や演奏処理をしているのか分かりません。けれども、あの事務所が差し止め措置を行っていないということは、著作権をちゃんとクリアしているのかな。

 

 いずれにしても、それがきっかけになって、サザンを5曲ほどiTuneで購入しました。昔は好きな曲があってもシングルカットされていなければアルバムを買うほかなかったので、まったく便利な時代になったものです。って、いつの話だよって嘲笑が聞こえてきそうですけど。

 

 そんなわけでサザンオールスターズですが、桑田佳祐はやはり天才だと断言します。歌声や曲ばかりでなく、歌詞も独創的な語彙とセンスが炸裂しているからです。『勝手にシンドバッド』を初めて聴いた時は早口言葉が得意なコミックバンドかと思いましたが、実は音楽性が高く、演奏もブラスが入ってゴージャスに仕上がっているんですよね。

 サザンといえば湘南サウンド、ロマンチックな語り口の『いとしのエリー』が代表作と思われているようですが、1990年代はなぜだかセクシーでエロスもろ出しの曲が目立ちます。その皮切りとなったのが、93年に発表された『エロティカ・セブン』ではないでしょうか。

 

 桑田佳祐の曲は、メロディとリズムが最優先。歌詞はそれに合わせて載せているだけで、深い意味なんてないと思い込んでいたのですが、決してそんなことはないんですよね。

 

夢の中身は風まかせ

魚眼レンズで君を覗いて

熱い乳房を抱き寄せりゃ

自分勝手に空を飛ぶ

 

 このようにぶっ飛んだフレーズはボクにはとても発想できません。ダメな国語の先生は入試問題に対応して詩を個別の言葉に分解して教えようとしますが、詩も歌詞も全体の手触り、肌触りこそが生命であって、個々のフレーズなんて、実はどうにでも理解できるんですよね。宮沢賢治の詩が典型的で、『雨ニモマケズ』は例外として、宇宙などの深淵な美を詠った詩には科学関連の専門用語がちりばめられていますが、その意味を調べていったらキリがありません。

 つまり、壁紙のような絵柄あるいは色彩というべきか、詩を構成する「雰囲気」として難解な理系用語が使用されているわけで、そこに執拗に意味を求めるのは作者の本意ではないと思うのです。

 

 このイントロの歌詞も、「魚眼レンズ」が水中メガネだの何だのと憶測するよりも、夏の海辺で出会って恋に落ちた水着姿の若い男女が、江ノ島あたりの岩礁の陰で抱き合っていることを想像すれば十分。女性の肉感的な身体を抱き寄せて、心臓はバクバク。心もここにあらずという性的に興奮した心境を、桑田佳祐はこのように表現したのです。

 となれば、その後にすることはもはや決まったも同然ではありませんか。

 

濡れた性ほど妖しげに

五臓六腑を駆けていく

 

恋人同士だから飲む

ロマンチックなあのジュース

 

 ほらね、敢えて説明しませんが、ものすごくエロいことになってきました。このあたりを突きつめていった結果、『マンピーのGスポット』(95年発表)が生まれたのかな。とはいえ、みんなが聴く歌ですから、それ以上に大変なことにはなりません。

 

抱きしめて私は私、喉がカラカラ

そんな愛こそすべて

女は女、夜もバラバラ

我はエロティカ・セブン

 

 カラカラとバラバラは淫、じゃなかった韻を踏んでいることは分かっても、子供に「じゃ夜もバラバラってどういう意味ですかぁ」と訊かれた国語の先生は絶句するでしょうね。そりゃもうご自身の体験をベースに、「先生はこう思うぞ」と言えばいい。夜になると女性の何がバラバラになるかは個人の解釈に任されています。それ以前に、こんな艶っぽい歌を子供に教える先生はいないかな。

 

 ちなみに、エロティカ・セブンを「ウルトラマンセブンを意味する」と解釈したウェブサイトがありました。ということは、3分しか保たなかったのね。なんて早合点しそうになりますが、全体を通して見れば、戦い終えてシュワッチと宇宙へ帰る直前に、腰に手をあててすっくと立つ「どやポーズ」のことを言っているのではないでしょうか。

 

もう1度だけ二人して、

殺し文句のフルコース

奥歯も凍るようなキスをしたいだけさ

 

 複数のブラスも従えたフルバンドに近い豪華な編成で、こうしたきわどい歌をアップテンポの快適なリズムで展開するところが、サザンの真骨頂ではないかと思います。

 

魅せられて地獄の果ては

恋路の都

墜ちたアダムとイヴか

刃を剥いた 夏のけだもの(淫獣)

マジと狂気のへヴン

 

 どうです、素晴らしい語彙列ではありませんか。甘美なエロスと、痛みと破滅を伴うような劣情がみごとに描かれております。

 こんな解釈をするより、やっぱメロディ自体のノリがいいですよね。25年近く前の歌とはとてもじゃないけど思えません。サザンでは『TSUNAMI』に次ぐ第2位のヒット曲であり、シングルは累計で約190万枚を記録したそうです。大学の文学部は、今こそ桑田の歌詞に真摯に向き合うべきではないでしょうか。

 

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2017年3月 3日 (金)

『涙のかわくまで』

 

 近頃は恋愛のもつれによる刃傷沙汰がやたら多いような気がします。そんなのは昔からあったといえば否定できませんが、16歳の女子が浮気にむかついて交際相手の腹を刺したり、同年齢の男子がフラれた腹いせで首を絞めるなんてことは滅多になかったように思います。

 

 芸能活動を行っていた女子大生に惚れ込んだ挙げ句に悲惨な刺傷事件を起こしたバカヤローがいる一方で、高齢者同士の恋愛を原因とするトラブルやら痴漢も目立ちますよね。認知症の気配もきっとあるとボクは睨んでいますが、これからは老人ホームなんかで惚れた腫れたにまつわる暴力的な事件も増加するんじゃないかな。

 

 それもこれも、皆さん「愛」と「恋」をきちんと教えられていないからだと、自称・恋愛評論家のワタクシは分析しております。

 では「愛」とはいったい何か。いろいろ言う人は様々にいますが、その本質は「思い込み」にほかならないとボクは断言します。だから「オレはお前を愛している。お前もオレを愛しなさい」なんて強制できる資格は誰にもありません。いわば「自分勝手に」愛したのですから、男女ともにどんなに惚れ込んで尽くしたとしても、その熱い想いに相手が応えてくれることを絶対に期待してはいけないのです。

 

 つまり、「愛」というのは、ひたすらに一方的な感情なのです。

 ただし、ごく稀に、双方が愛し合う幸福な瞬間があります。この状態を「恋」と呼ぶわけですね。けれども、愛は一方的な感情であると同時に「熱狂」という期間限定のビョーキでもあるので、いつかは治癒=醒めたり、他の異性に心が向かうようになります。その変化が同時期にやってこないからこそ、気持ちをうまく整理できないために、殺し殺されという悲惨な事態にも陥るのです。

 

 このように言ってみれば実に簡単なことでも、なかなか割り切ることはできません。ボクの好きな歌謡の世界でも、別れを悲しみ、それに伴う愛憎を表現した歌は膨大にあります。演歌が典型的ですが、歌というのはもともとそれが本筋ですもんね。

 けれども、西田佐知子の『涙のかわくまで』ほど不思議な雰囲気の歌はちょっとないのではないでしょうか。

 

ひきとめはしないけど

何もかも夢なのね

 

 この諦めというか、悟りきったようなイントロダクションが、すべてを象徴しているといって過言ではありません。

 

誰よりも愛してた

あなたは憎い人

 

 そんなわけで、愛はまだまだ燃え残っているので、

 

それが私のせいならば

別れるなんて できないわ

あなたがそばに いなければ

私は歩けない

 

 というフレーズが1番のクライマックスになっています。ところが、2番では、同じメロディなのに心境がすっぱりと一転してしまうのです。

 

それがあなたのためならば

悲しいけれど これっきりね

なぐさめはもう いわないで

私は大丈夫

 

 作詞は塚田茂、作曲が宮川泰。ボクが大好きな『銀色の道』コンビであり、1967年12月にシングルが発表され、翌年のオリコンでは第27位にランクインしました。これを歌った西田佐知子は『アカシアの雨がやむとき』(1960年)や『コーヒールンバ』(1961年)が代表作とされていますが、こっちのほうが彼女の艶っぽい大人の声質に似合っているんじゃないかな。

 

 いささか気だるい雰囲気の中で、恋人を想う切ない愛を盛り込みながらも、別れを引きずることのない都会的な曲想は、彼女が歌ったからこそ感じられるものでしょう。その証拠に、藤圭子もカヴァーしていますが、こちらは迫力ある低音でドのつくような演歌調。歌い方ひとつでイメージがガラリと変わる歌だということが分かります。

 

 いずれにしても、男に依存しない精神的に自立した女性像は、とても半世紀前の歌とは思えません。そのほうが男にとって都合がいいという意見もあるようですが、ボクはむしろ男のほうが圧倒的に未練がましいと思いますよ。

 

 だからといって、ただ強いだけでなく、ものすごくウェットな心情が隠されているんですよね。それを表現したリフレインが、この歌の最大の魅力なのではないでしょうか。

 

もうすこしいて欲しい

あきらめる約束の

涙のかわくまで

かわくまで

 

 

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2017年3月 2日 (木)

ベターしかない

 

 食品のバターでなくて、ベターBetterです。

 このところ、つくづく世の中にベストなんてあり得ないのだということを痛感しておるわけですね。つまり、限りなくベストに近いベターはあっても、ベストは達成不可能な理想ということです。

 

 こんなことを書くと「そんな年齢になって今ごろかい!」と嘲笑されそうですが、事実なんだから仕方ないじゃないか。

 不肖ワタクシは、ベストは可能だという前提で常に努力を続けてまいったつもりであります。けれども、いかに工夫して、事前にどんなに準備しても、必ず欠陥や瑕疵や不満や不平が見つかり、ベストにたどり着くことができません。それはあたかも、夏の強い陽光のもとでアスファルトにゆらゆらと浮かび上がる「逃げ水」と同じで、いくら追いかけても、その分だけ遠ざかっていくのです。

 

 そうなると、個人的なイライラは最高潮となり、関係者を責めたり、憎悪することだってあります。「なにやっとんじゃ!」って感じですよね。ところが深夜に1人になると、ベストに至らなかった原因を探し求めて思考は彷徨を繰り返し、やがて自分自身の能力不足だったことにハッと気づいちゃったりします。おかげで暗くて深い絶望の底に沈んだりすることもしばしばですから、こうした心理的なトラブルがベストを求める際の大きな問題なのです。

 

 そもそも多数の人間がかかわらないと完成しない仕事や、映画のような総合芸術や建築関係なら、そんなことは自明でしょう。でも、ボクのかかわる業界は、ゼロからの制作にしても、編集者、カメラマン、デザイナー、それにライターが揃えば完成するので、うまくいかない時の不全感も直接的なんですよね。

 

 というわけで、そんな仕事を長く続けてきた結果、ようやく見つけた真実は、ベストってのはそもそも実現不可能ということです。それを目指して仕事をするのは当然過ぎて言うまでもありませんが、冒頭に述べたように、どんなモノであれコトであっても、世の中には限りなくベストに近いベターしかないのです。それが分かるだけで精神的には健康になれるかな。

 

 ベストを諦めるというのではなく、逆にどんなことでも改善してベストに向かう余地があると認識できますよね。仮に神様・巨匠と呼ばれるような映画監督が作った最高傑作にしても、そのような認識を持てば「リメイクする余地だってありありじゃねぇーの」ということです。

 過剰な神格化を防ぐという効用もあります。

 

 そこで思い出すのがプラトンの「イデア」って奴です。世界には完全な丸や直線なんか存在しない。あくまでも計算などに役立つ思念上での純粋形であって、そんなものあるわっきゃねぇだろというのが「イデア」ですが、これがボクにとっての「ベスト」だったようです。

 

 繰り返すようですが、「そんなのあったりまえじゃんか」と思う人が多いでしょうね。しかしながら、ボクは「ベストなんかそもそもねぇよ」と言い切ることに、やはり今でも抵抗を感じてしまうのです。なぜなのかな。「仕方ない」という言葉も、最近は頻繁に使いますが好きになれません。そろそろ心臓や脳梗塞なんかの血管病を心配したほうがいいのかな。

 

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2017年3月 1日 (水)

自由からの逃走

 

 教育というのは、国家の命令に素直に従う兵隊さんを量産することなのかなぁ。ボクは逆に、何にでも疑問を持ち、自分自身で自分なりにモノを考えられる知性を育てることだと思ってきたんですけどね。さもなきゃ生きたロボットと同じではありませんか。「上からの指示」「上からの命令」を伝言ゲームで下達するだけの人間が大多数を占める社会は、権力者には都合がいいだろうけど、自分の幸福を自分自身で追求することができなくなりますよね。

 

 エーリッヒ・フロム(1900~1980年)という社会心理学者が1941年に『自由からの逃走』を発表しました。読んだことはありませんが、名著というのはタイトルからして画期的で分かりやすいんですよね。この『自由からの逃走』も、それだけで内容をある程度予想できるはずです。さらに、ナチスによるファシズムが最高潮となって戦争に突進していった時代性を加えれば、「人間はどうしてせっかく勝ち取った自由を捨てるのか」とも言い換えられるでしょう。

 

 近代までの歴史は、奴隷が個人としての自由を獲得するための戦いだったとボクは理解しています。そのクライマックスとなったのが18世紀のフランス革命であり、貴族や王侯が支配する封建社会が崩壊する契機となりました。反動やクーデターや王政復古があったものの、やがて市民が主体となった社会が確立していったわけです。

 

 そのために膨大な血を流した闘争を経て、ようやく獲得したのが自由にほかならないのに、どうして20世紀にもなって「全体主義」=ファシズムに人々が熱狂し、1人の独裁者に無批判に従うのかと、フロムは考えたはずです。

 

 理由は簡単で、フロムの意見と同じかどうかは知りませんが、ボクの私見を表明すれば、自由というのは不安が伴うからです。檻の中で長くエサを与えられて、馴らされてきた動物または囚人を想定すれば分かりやすいですよね。檻が開いて「今日からお前は自由だ」と言われても、どうしていいかと途方に暮れるでしょう。その日からエサの取り方も自分で考えなきゃいけない。もはや看守や管理者の指示や命令はないので、何もかも自分の責任で決断していくことが求められるからです。

 

 それでも温暖で自然豊かな生活環境なら、エサ=食糧を自分で得るのはそれほど困難ではありません。ところが過酷な厳冬を迎えて、エサがどこにもない状態で養うべき家族がいるとします。そうなれば、不安どころか、何もかもを自分で決めなきゃいけない自由を大きな負担と感じる人もいるでしょう。敢えて過激に言うなら、飢えるのも個人の自由となるからです。

 そこに「オレに黙ってついてきたらハッピーになれるぜ。そのかわりに文句や不平は一切なし。とにかく従え」と言われたら、せっかく手に入れた自由を捨てて隷属したくなる気持ちも分かります。

 

 その中には、アドルフ・アイヒマンのように「命令されたから」という理由でユダヤ人を大量虐殺した人物もいます。極めて事務的に効率的にホロコーストを進めたとされていますが、彼にとって個人の良心など業務遂行に不要なものだったようです。人権や慈悲を考えることもできる自由を捨てたからこそ、膨大な数の殺人を繰り返しながらも安寧が得られたのではないでしょうか。

 

 過度な帰依を強制する宗教はそれと似たところがあって、不安や怯懦を感じて自由から逃げ出したい人たちを誘うのです。しかも、縛り=制約が多いほど安心するという、奇妙な心理的メカニズムもあります。

 

 このように自由が必然的にもたらす不安を解消するのが、ボクは教育のひとつの目的であり意義だろうと考えてきました。自由には、何よりも教養と知恵が必要なのです。教養は自分が目指すべき道標を示し、知恵は自立を大いに助けることになります。

 

 にもかかわらず、特定の理念を幼児に押しつける教育を行う人がいるということに、いささか驚かざるを得ません。フロムが生きていたら、何て言うかなぁ。

 

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