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福助くん その6

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    福助くん、9歳の秋です。 ちょっと長めの散歩をして、世田谷公園へ。 紅葉と福助をご覧くださいまし。

福助くん その5

  • 赤いサルビア♪
    2010年秋の福助くん。とある週末に埼玉県所沢市にある航空公園に行ってきました!

福助くん その4

  • 1 毎年恒例の・・・
    今さらですが、今年の花見の福助くん。ご近所の目黒川に行ってきました。

福助くん その3

  • 1 田舎に行ってきました!
    飼い主の田舎に行ってきた福助。うららかな春を迎えた大自然のなかで、いつもと違った表情に。

福助くん その2

  • 定位置
    平日は会社にいる福助。こんな感じの毎日です。

福助くん その1

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    笠木の飼い犬。甘えん坊でちゃっかり屋の8歳。雄。

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2017年6月

2017年6月30日 (金)

バルサミコ酢

 

 秋田県では、いけないイタズラをした子供には酢を飲ませるそうです。

 

 だってね、なまはげ祭りでは、怖いお面を被った人が「悪い子はヴィネガー」と言いながら家庭を回るではありませんか。

 

 これは冗談ですが、男で酢が好きな奴なんてほとんどいないと思います。ということはサラダドレッシングも好きではなく、野菜そのものが嫌いという男も少なくないんじゃないかな。ボクだって健康のための栄養バランスと、脂にまみれた口直しとして仕方なくサラダを食べるくらいで、積極的に旨いと感じたことはありません。

 

 でもね、そんな男が感動したドレッシングがあるんだよな。

 バルサミコ酢。原料はワインらしいのですが、これをオリーブオイルと混ぜるだけで、上質な甘みのあるサラダドレッシングになるのです。特に和名でオランダガラシと呼ばれるクレソンとの相性が抜群。そのまま食べたら苦みと辛みで口の中がひん曲がりそうになるクレソンが、バルサミコ酢のナチュラルな甘味を加えるだけで美味に変貌するから不思議です。

 

 こんなことを書くとステルスマーケティングと思われそうだけど、具体的な品名を紹介しているわけではないので、決してそうではありません。長年にわたって野菜嫌いだった男が、バルサミコ酢で開眼したというか、それくらいの驚きがありました。

 

 ただし、ピュアなバルサミコ酢は高価なんですよね。小さなボトルにもかかわらず2500円くらいします。女性は知っている人が多いかもしれませんが、まだまだ男には未知の領域。だから彼氏にサラダを食べさせる機会があれば、このバルサミコ酢を使うと、「何これ!」という感嘆詞とともに、一気に仲良くなれるかもしれませんぜ。

 

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2017年6月29日 (木)

他人ファースト

 

 いよいよ世間が騒がしくなってまいりました。7月2日投票予定の東京都議会選挙であります。

 

 ボクの事務所のあるマンションは、JR恵比寿駅から徒歩3分程度ということで、街頭に立つ候補者も珍しくありません。関係者も含めて「お願いします」と連呼しながら殊勝に頭を下げるのは結構ですが、与党のみならず野党の候補者にしても、いったん当選してしまえば知らぬ顔の半兵衛で(意味分かりますかね?)、都民のことなんかそっちのけになるのが見え見えなんだよな。

 

 こういうことを何度も何度も何度も何度も何度も、まだ足りないけど、何度も繰り返してきたくせに、「無党派層の帰趨が問題」なんてよく言うよなぁ。よほどナイーブな人以外は、また同じ結果になるとほとんど諦めており、その悲観的な予測は残念なことに外れたことがないのです。

 

 それでも今年は「都民ファーストの会」なんて政策集団が結成されたらしい。ボクは以前から指摘してきましたが、だったらさぁ、それまでは都民ファーストじゃなかったわけでしょ。では、具体的にどこの何がどのように都民ファーストでなかったかをきちんと検証するのがスジだろうと。特に都民ファーストではなかったと暗に指摘されている都議会自民党は、夜を徹した討論でもやって自分たちの行政政策を説明すべきじゃないかなぁ。

 

 にもかかわらず、相変わらずの、なんとなーくのイメージ選挙だもんね。「都民ファーストの会」にしても、何をどのようにファーストにしてくれるのか、寡聞にしてあまり聞いたことがありません。なのに7月2日は目の前です。

 

 要するに、これまでのヘンテコな事件と「ハーゲーっ」と叫んだアホな東大卒の国会議員などの実績を踏まえれば、有権者をナメくさっておるわけです。ボクがこいつらに言いたいのは「都民ファースト」なんぞでなく、「他人ファースト」なんですよね。すべてのビジネスは他人ファーストでないと絶対にうまく回りません。そりゃそうでしょ。「お客様は神様です」というだけでなく、メーカーのいかなる工程でも、その後の仕事の流れに配慮できない自分勝手な奴は、簡単に嫌われて排除されます。

 

 つまりね、人間も仕事も世間では鎖のようにつながっているわけです。ところが、何年かに1度しか直接的に顧客=ステイクホルダーに向き合わないのが政治家という職業なんですよね。

 

 そこんところ、分かっているのかなぁ。ボクの投票の基準も、人を判断するクライテリアも、常に「他人ファースト」です。ああ、もうそろそろ事務所を出ないと間に合いません。どんなことがあろうとアポイントメントを死守するのも、ボクなりの他人ファーストなのです。

 

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2017年6月28日 (水)

心に太陽を持て唇には歌を

 

 とにかくね、やたらと忙しくて神経がギスギスしがちなんだよな。みんなが自分と同じことを同じように意識しているはずはなく、「他人のことを思いやれよ」としつこく言ったところで、能力的にできないことだってあるもんね。

 

 ボクは知性というのは想像力そのもののことだと思っていますが、学校でそんな能力が直接的に試験されることは稀なので、つまりは学歴=学校歴なんて、そもそも家元制度みたいなものじゃないかなぁ。要するに御免状の有無がいつでもどこでも大問題なのであって、それが必ずしも能力を保証したものではないことをどこかに置き忘れているのです。

 

 えーと、意識がいささか混濁してきたみたいで恐縮ですが、やたらと鬱屈しているわけです。ええーい、正直に腹が立っていると言ったほうがいいかな。こういう時には、頭の中が完全な無音状態になるのが普通で、要するにメロディもリズムも失われています。ボクばかりではなく、世の中のたいていの人が、1日に数度はこうしたイライラ&ギスギス状態になっているのではないでしょうか。

 

 そんな時に、確か自分を抑える名言があったよなと、ふと思い出したのが「心の中に太陽を唇には歌を」です。そうそう、太陽も歌もなーんもないからさ、無闇に腹がたって仕方ないわけ。

 

 でも、誰だよそんなことを言ったのは、と例によってネットで調べてみました。いやもうホントに便利ですね。すぐに判明いたしましたでございます。

 

 ツェーザル・フライシュレン。19世紀に生まれたドイツの詩人で、1920年にお亡くなりになっております。そんな名前なんかまるで知らないボクでもこの言葉を知っているのは、1935年に『路傍の石』で知られる山本有三が翻訳して新潮社発行の「国民文庫」第1回配本分に掲載されて有名になったからです。

 

 その初版本では文語体になっており、なかなか格調高く感動的な内容になっているのですが、すいません、本日は時間がなくて転記する余裕がございません。興味があったら勝手に調べてね。ただ、昔の教科書では以下のように紹介されていたようです。

 

勇気を失うな。

くちびるに歌を持て。

心に太陽を持て。

 

 でもさぁー、再びちょいと腹がたつことに、ボクの数少ない愛読書だった新田次郎の次男である藤原正彦が、何と『心に太陽を唇に歌を』という本を2007年に世界文化社から出版しているんですよね。どうもね、ボクは二代目が好きではないのです。

 

 それで口直しにちょっといい話を紹介しておくと、愛知県立犬山高校では昭和35年と43年に生徒会が独自に歌集を発行しました。当時は歌声喫茶なんてあった時代なのでムベなるかなですが、全部で30ページ程度しかない本の貴重な1ページを使って、どんーと以下のように大書されていたそうです(ウェブサイト「犬山高校のあゆみ」)

 

心に太陽をもて

唇にうたをもて

 

 おおおおおお、昔の高校生はこんな言葉を座右の銘にしていたのかと、それだけで感動しちゃうんだよな。

 理想論だ非現実的ぢゃないかと嗤いたければ勝手にどうぞ。しかしね、それに加えて愛までも失ったなら、もはや人間として生きている資格はないとボクは断言しちゃうのであります。

 

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2017年6月27日 (火)

『ローガン』

 

 先週の続きになりますが、エールフランス航空から無理矢理に日本航空に乗り換えさせられ、ヘルシンキまで飛ぶことになりました。「どこだよそれ?」という声が聞こえてきそうですが、そんなもんボクだってよく知りません。傘の開いたキノコみたいなスカンジナビア半島の根っ子あたりにあるフィンランドの空港です。

 

 このルートは実は以前に1回だけ利用したことがあります、日本→ヘルシンキは10時間程度でパリ経由より1時間ほど近いことがメリットですが、そのかわりにジュネーブまでは3時間近い。あまりにも長くてケツが痛くなったので、もうやめようと決めたルートです。かっこ良くいえば「北欧」経由ですけど、空港から外に出られるわけでもなく、ガラス越しに見える景色なんてどこも大差はありません。

 

 何かね、これまでの悪行がどわんと因果となり、仇や報いのカタマリがボクを襲っているような気もします。でも、真冬のヨーロッパでは大雪で飛べなくなって大混雑ということもしばしばあるので、アンラッキーの下を見たらキリがないってことで諦めました。6月だけどさ。

 

 航空機が安定飛行となり、シートベルトのサインが消えたらメシの時間です。ボクはワイン1~2杯で酔っ払うようになったので、すでに食事中から激しい睡魔に襲われるんですよね。前述の仇や報いも含めて、やたらと襲われることが多い昨今なのであります。

 

 4時間ほど寝たと思いますが、目が覚めるとあたりは真っ暗。熟睡タイムになっておりました。こちらは退屈なので映画でも見るかと。で、ヒュー・ジャックマン主演の『ローガン』を選びました。おそらく好きな人は知っているミュータントのシリーズ映画で、彼が演じてきたのはウルヴァリンというスーパーヒーロー。拳から特殊合金製の刃物がシャキーンと突き出てくることで知られており、「Xメン」というチームに所属しております。

 

 ところが、この映画『ローガン』はスーパーヒーローどころではなく、ほとんど「老老介護」みたいな状況が描かれています。お爺さんとなったプロフェッサーXは完全にもうろくしてしまい、薬が切れると恐ろしい超能力が暴発。周囲の人間が死にそうになります。運転手をしながら彼の面倒をみるローガンも、かつてのパワーを失い、よれよれのグダグダのポロ雑巾状態。そこにローラという少女が登場。かつてのローガンを彷彿とさせる超能力を持っていますが、それゆえに敵に追われており、やがてプロフェッサーXは殺されてしまう。かろうじてローガンは彼女を救出。ミュータントたちが集まる「エデン」に向かうというストーリーです。

 

 派手さはまったくなく、老いることの悲惨さばかりを感じさせる救いのない映画ですが、最後にローガンは自らの命を賭けて彼女を守ります。死闘のあげくに敵を殺したものの、自分も致命傷を負って死亡。その死体を埋めた後に立てた十字架を、ローラが去り際に倒して「X」にするエンディングがなかなか含蓄があっていいんですよね。

 

 どう見ても、これはマーベルコミックスのヒーローものではありません。普通の人間たちのドラマであり、人間は何のために生きて、誰のために死ぬのかという普遍の問いかけをボクたちに突きつける映画なんですよね。夜中のせいか、臨終間際のローガンを見て不覚にも涙が出てしまいました。

 おそらくは世代交代のために神は死を用意したのです。そして世代が次々に変わることが種の存続を保証することになります。さもなきゃ種全体が死に向けて老化していくではありませんか。そういうあたりまえな、かつ深遠な真理が読み取れる映画であり、心の中まで満腹になったのであります。

 

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2017年6月26日 (月)

元気信仰

 

 人間はいつも元気バリバリじゃないとダメなんでしょうかねぇ。

 

 ボクなんかは、体力的にちょっと疲れめで気分はやや重めというのが、机に向かった時に最も落ち着く状態ですが、夜中のテレビを見ていると、そういうのはまるで歓迎されないみたいです。

 

 元気一杯があるべき姿で、少しでも元気でなくなるとほとんど病気扱いですもんね。さらには「未病」なんてワケの分からない病名もあるから驚きます。厚生労働省は注意しないのかな。そりゃまぁ薬屋さんやサプリメント屋さんにとって病人や元気でない人が多いほど儲かるに決まっていますが、某首相じゃありませんけど、近頃は「印象操作」「情報操作」が行きすぎじゃないかなぁ。

 

 年を取れば誰だって血圧や血糖値が上がったり、腰や膝が痛くて階段が辛くなったりします。こんなのは加齢に伴う普通の現象ではありませんか。精神的にも、いろいろ苦労した経験があるなら、屈託や不安がまったくないというほうがむしろヘンでしょう。というかバカじゃなかろうかとボクは判断します。それをね、80歳過ぎても矍鑠とエベレストに登ってしまう人と比べるほうが不自然なわけです。

 

 「何歳に見えますか?」というのも根っ子は同じで、見た目が若いほど「ええーっ」とか何とか羨ましそうに驚かれたりしますが、70歳を越えた老人が40代くらいに見られるというのは、美容整形で知られる何とか姉妹じゃあるまいし、こちらも不自然極まりないことじゃないですかねぇ。

 

 こうした風潮は、必ずしも前述したサプリメントなどの健康産業が一方的に仕掛けたわけではなく、市場の側もそれを強く望んでいたことは事実でしょう。だから、卵が先かニワトリが先かという不毛な話になってしまいますが、それにしても近頃の日本はナイーブ過ぎますよね。「健康にはあまり興味がない」とか「オレはちょっとくらい元気がないほうが元気なの」と言う人がいてもおかしくないと思うんだけどね。

 

 とにかく最近の「元気信仰」「若さ信仰」にはさすがに辟易とさせられます。これもボクが年取った証拠なのかなぁ。

 

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2017年6月23日 (金)

2度と乗りたくない航空会社

 

お客様各位

 

この度は、エールフランス航空をご利用いただき誠にありがとうございました。

また、ご利用便において多大なご迷惑をおかけいたしましたことを深くお詫び申し上げます。

弊社発行のクーポン(引換券)の換金方法について、ご案内いたします。

 

 この文章は「BON D’INDEMINISATION(補償金引換券EMDBI)についてのご案内(成田空港、関西空港にて補償金引換券を受けられたお客様)、とタイトルされております。

 

 なななな何が起きたのかと思うでしょ。しかも成田だけでなく関空でも事件があったらしい。

 

 また話を引っ張るクセがでそうなので、簡単に言えば、一時期テレビで大きな話題になったユナイテッド航空のオーバーブッキングと同じです。あの時は拒否する搭乗客を無理矢理引きずり降ろした映像があったので大問題になりましたが、コトの背景に違いはまったくありません。

 

 成田空港のチェックインカウンターで、いきなり「別の航空会社に乗り換えてほしい」と言われたのです。しかも、今回ボクが搭乗したのはエコノミーではなく、クライアント様のご好意でほぼ定価に近いビジネスクラス。まだ早起きでボーッとした感覚のボクに、有無を言わさず「あちらで待っていてください」とかなり強引に誘導されたのです。

 

 その前から「混雑しているらしい」とは聞いていたので、念のために搭乗30時間前にインターネットでチェックインを完了。さらに、いつものように出発時刻の3時間前に成田空港に到着しました。旅行保険や両替などの手続きもあるほか、海外旅行では予想もつかない事態が起きるのが珍しくないので、航空会社の指定より1時間前に到着するようにしています。これは海外でも同様で、朝の9時発なら6時過ぎには空港にいるのが普通です。

 

 たまに早すぎて待たされることもあるのですが、その日はすでにビジネスクラスのチェックインカウンターがオープンしていました。準備万端ということでスーツケースを預けようしたら、いきなり「搭乗便を他社にかえてくださいついてはマイレージの追加がいいですか補償金を選びますかその場合はユーロ建ての日本円で銀行振り込みになって………」と機関銃のようにしゃべった後に、前述した「補償金引換券」という紙っぺらを渡されて、「あそこでお待ちください」とベンチを指さすではありませんか。

 

 彼女が説明した乗り換え便は日本航空のヘルシンキ行き。このフランスの航空会社に以前から悪印象を持っていた理由は後述しますが、日本の航空会社で到着が1時間ほど早くなること自体は確かにメリットではあります。

 ただし、ボクは膝に故障があり、いつも杖をついております。つまり、窓際に座らされたら、隣の人を跨いでトイレに行くことはできません。だからシートも常に通路側を指定。それに空きがなければ航空会社そのものを変更してきました。

 

 そのあたりを確認してOKであるなら変更も考えますと言うと、「はい」と返事だけはいいのに、それきり放ったらかし。さすがに温厚で篤実なボクも15分くらいで切れて、大きな声を出したら別の係員がすっ飛んできました。出発直前でこちらも焦っている状態でしたから、これはマナーや礼儀を欠いた態度ではないと信じます。

 

 感情的な要素は抜きで、ボクが問題にしたのは以下のポイントです。

 

1) 格安の団体旅行も少なくないエコノミーならともかく、ビジネスクラスでオーバーブッキングとはどういうことなのか。

2) しかもボクは遅れて予約した関係で定価に近い金額を支払っている。

3) さらに前夜にインターネット・チェックインも完了している。

4) それらに加えて、出発3時間前にチェックインカウンターで手続きをしようとした。

 

 これらは客観的な事情ですが、それだけでなく、この航空会社はボク個人にとって非常に辛いことを課したのです。というのもエールフランスは第1ターミナルですが、乗り換えを指定された日本航空は第2ターミナル。ボクのような杖をついた人間が、ですよ、大きなスーツケースとノートパソコン入りの手荷物を持って再びターミナルを移動することがどれだけ大変なことか分かりますか。

 

 だからこそ早めに来たにもかかわらず、ボクが杖を持った人間であることは一目で分かるにもかかわらず、出発当日のチェックインカウンターで別のターミナルからの別便に乗り換えろというのです。これではわざわざ1時間も早く来たことが仇=災いになったことになります。ギリギリならこんな変更は無理でしょうからね。

 

 どうですか、この素敵なホスピタリティ精神。「弱者虐待」と表現しても決して過言ではなく、実際にボクはスーツケースを引きずりながら、自分の不幸に泣きそうになりました。

 

 ただし、そんな過酷な航空会社でも、地上職員の中にはまともな女性もいて、第2ターミナル行きのバスに乗るまで付き添ってくれたのが唯一の救いといえば救いでした。何度も何度も「本当にすいません」と頭を下げてくれましたが、もちろん彼女の判断ミスや責任であるはずがない。ボクたちの前に顔を出すことなく陰に隠れている経営幹部の仕業であり、安売りかどうかは知りませんが、客を取り過ぎたことに問題があると誰だって指摘するはずです。

 

 そこで「ボクの経験したことは事実ですから、何も隠さず自分のブログに書いてもいいですよね」と彼女に話して許可を得たので、ここに実名で紹介することにしたのです。

 

 その補償金として冒頭で紹介した紙っぺらに所定の事項を記入してFAXすると、150ユーロ、当日のレートでは1万8500円ほどを振り込んでくれるそうです。はっはっはっ、ボクをからかっているのかな。ちなみにビジネスクラスの定価を調べてみてください。そんなもん、まさに「雀の涙」じゃないですか。すいません、ここまで我慢してきましたが、ちょっとだけ涙とともにブチ切れさせていただきます。

 

 日本人をなめんじゃねー、コノヤロー!!!!!!!

 

 この航空会社は15年ほど前にも客室乗務員の身勝手な指示に抵抗して機内で口喧嘩をしたことがあります。さらにロストバゲージが頻出した時期もあったことから、「2度と乗らない航空会社」に決めていました。しかしながら、昨年にたまたまやむなく利用したら何とかなっていたので安心していたところに、またしてもこれですよ。

 

 というわけで、ボクが生きている限りは、絶対に、何がどうあっても、2度とエールフランス航空には乗らないことをここに誓います。貯まったマイレッジがもったいないけど、不愉快になるよりマシってものです。

 

 帰国便は予定通りで、無神経にもそれに関するサービスのアンケート調査がメールされてきましたが、それ以前にドタキャンというか今回のドタチェンジについての感想を訊ねるのがスジってものではないかな。

 

 いったいどういう神経なのか、ボクには想像もつきません。心躍るはずの往路便、しかもビジネスクラスなのに、怒り満載で不愉快極まりないものになりました。それに対して誠心誠意お詫びする気持ちがまったく感じられないような航空会社に、わざわざカネを払って乗りたいですか?


追伸:補償金なんて欲しくないのですが、慰謝のカケラとして請求してやろうと所定の事項を記入。その紙っぺらに記載されていた「エールフランス航空リファンドデスク」の番号にFAXしました。すると「この番号は現在使われておりません」だってよ。どこまでなめとんのかねぇ。問い合わせしたら混み合っているので待てという自動応答。利用客にとことん無駄な負担をかける会社だと呆れ果てました。FAX番号くらい修正しとけよ!!!!

 

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2017年6月16日 (金)

『サン・ジャンの私の恋人』

 

 誰が歌ったとしても、それを聴くたびに胸がキュンと締まって、ひどく切ない思いに襲われるシャンソンがあります。

 

 『サン・ジャンの私の恋人』。哀愁たっぷりのイントロダクションだけで身体が反応するのですが、以下のフレーズ(訳詞:山本雅臣、以下同)で、ボクの過去のもろもろがですね、条件反射のようにぶわっと噴出。走馬燈のように影絵と化した思い出がくるくると回り出すのです。

 

甘い囁きなら、信じてしまうもの

あの腕に抱かれれば、誰だってそれっきりよ

 

 若かったけど貧乏で焦りや怒りばかりを感じていた頃に、ある女性と一緒に暮らしていました。将来に対する漠然たる不安もあって口喧嘩ばっかり。自分の自信のなさの裏返しということはイヤというほど分かっていても、カネもなければ知識も才能もコネもなければ、それを再び裏返すなんて容易なことではありません。結局は1年足らずで別れることになりました。

 

 さらにもうひとつ。吉祥寺にはかつて「ベル・エポック」というシャンソンのライブハウスがありました。なけなしのカネでたまに彼女と一緒に行ったこともあってね。そんな数少ない幸せな時に聴いて、強く印象に残った歌が『サン・ジャンの私の恋人』なのであります。

 

 1942年にリュシエンヌ・ドリールがレコーディングしたのがオリジナルで、フランソワ・トリュフォー監督も好きだったらしく、映画『終電車』(1980年公開)のオープニングで使っています。サン・ジャンとは聖ヨハネのフランス語読みで、彼を記念して6月の夏至の日には火祭りが行われるそうです。そんな特別な日の舞踏会に行った女性がたちまち恋に落ちるという内容です。

 

アコルデオンの流れに さそわれいつの間にか

サン・ジャンの人波に 私は抱かれていた

 

 これが始まりの歌詞。アコーディオンでなくて「アコルデオン」と読むあたりにフランスのシャンソンらしさが強調されていますが、華やかに装った人たちが集まる祭りの中で、若い娘が次第にその雰囲気に酔っていく様子が想像できます。そんな非日常な場でイケメンに甘い言葉で囁かれたら、たいていはコロリとやられてしまうわけですな。

 

あの腕に抱かれれば 誰だってそれっきりよ

あの眼差しに 見つめられた時から

もう私は あの人のものよ

 

 ボクは、そんな羨ましい「あの人」であったことは人生で一度たりともないので、やりきれない嫉妬を覚えますが、これはもう仕方がないんですよね。美しい女性はたいていイケメンの餌食になっちゃうんだよな。

 

何も考えずに みんなあげてしまった

たとえだまされても 愛してしまった私

甘い囁きなら 信じてしまうもの

あの腕に抱かれれば 誰だってそれっきりよ

 

 そんな恋を得た高揚感を経て、「アコルデオンの調べも みんな誘いの罠だった」と失意に至り、「みんな終わって過ぎた夢なのよ」というのがエンディングとなります。年を取ってみれば恋の始まりと終わりなんて、どれも似たようなものであることが分かるようになりますが、この歌に関する思い出を前述のようにダブルで抱えていると、やっぱり切なくなるんですよね。

 

 そうした切なさの本質が、パトリック・ブリュエルのカヴァーを聴いてやっと分かりました。彼は1959年にアルジェリアで生まれた男優&歌手で、オリジナルの歌詞を「私」から「彼女」に変えています。つまり、好きな女性がほかの誰かに惚れていく様子を、心ならずも見守る男の側から歌っているのです。YouTubeにPVがアップされていますが、これがレトロな映像で実に素晴らしく、彼の歌声も渋めのハリがあってなかなかいいんだよなぁ。そのせいか今の時点で約543万ビューが記録されています。

 

 ちょっと屈折していますが、男も女も一度くらいはそんなじれったいというかやるせない思いをしたことがあるはずですよね。ボクも、この歌にかつての彼女をしっかりと投影していたのです。その当時の気持ちを思い出すからこそ、余計に切なくなるわけですね。けれども、今となってみれば酸っぱくて苦いだけでは決してなく、やはり甘さもちゃんとありました。そんな思い出が、まるでないよりはあって良かったのかなぁなんてね、ちょっとだけ顧みたりするわけです。

 

 なお、来週からスイスに短期出張することになり、木曜日に帰国する予定です。よってブログはお休みさせていただき、23日の金曜日から更新いたします。

 

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2017年6月15日 (木)

悲観と楽観

 

 基本的にはどちらも結果は似たようなことになりますが、悲観と楽観が錯綜しているのが普通の人のアタマの中ではないでしょうか。

 

 若い頃は経験や知識が足りないので、率直にいえば悲観する材料に乏しく、必然的に楽観のほうが大きいはずです。それが年齢を経て、イヤな経験や失敗や期待外れ、失望や絶望なんかを経験すると、悲観論がどんどん幅を効かしていくようになります。ボクなんか今は悲観が9で楽観1くらいの割合だもんなぁ。ごく簡単にいえば、悪い方に悪い方に物事を考えていくってことです。

 

 だったら、そうならないように事前に手を打てるじゃんかと思いますよね。ところが、思考の隙間や落とし穴というのが必ずありまして、そこまで念入りにフォローしようとすると神経が疲れ果ててしまう。よって冒頭で指摘したように、悲観も楽観も、結果的には大した違いがないってことになるわけです。

 

 「だったらさぁ楽観で行こうよ」と、もう1人のボクがいつも語りかけるのですが、「おいおい、それじゃあ何かあったらどうすんのさ」などと悲観論者のボクが答えたりして、「ええい、うるせぇてめーら」と切れそうになることもしばしばなんだよな。精神に甚大な問題を抱えているわけではないので、くれぐれも誤解しないでくださいね。

 

 さて、この問題をアランの有名な著書『幸福論』(1925年)では、以下のように書いているそうです。

 

 悲観主義は気分、楽観主義は意思によるものである。およそなりゆきにまかせる人間は気分が滅入りがちになるものだ。

 

 言ってくれたじゃねーの、という刺激的な意見です。ちなみに、この人の本名はエミール=オーギュスト・シャルティエ。フランス中世の詩人・作家のアラン・シャルティエからペンネームを取ったそうです。ウィキペディアってすごいな。

 

 まるでボクに喧嘩に売るかのような意見ですが、これをひっくり返しても大した違いはありません。「およそなりゆきにまかせる人間は気分が楽観的になりがちだ」としても、違和感なんか全然ないでしょ。さもなきゃ「ケ・セラセラ」という「なるようになるさ」なんて歌はあり得ません。けっ、ザマミロ、アランさんよぉ。

 

 何かね、フーテンの寅さんのような気分になってきましたが、人間は先のことなんて分からないというのが事態の本質ですから、ま、どうだって言えるわけですね。してみると、この人が考える幸福ってのは何なんでしょうか。『幸福論』なんて書名しか知らないし、読む気もないけどね。

 

 そんなわけで、本日も悲観と楽観の狭間で漂う私なのであります。

 

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2017年6月14日 (水)

ショッピングモールの衰退

 

 予想通りと言うべきか、アメリカでは小売店舗が建ち並んだショッピングモールが危機的状況のようです。詳しくは本日の日本経済新聞を読んでいただきたいのですが、クレディ・スイスでは「アメリカでは今後5年で最大4分の1のモールが消える」と予測しているほどです。記者が現地取材したのはアメリカ・ニュージャージー州のモールで、かつて100あった店舗で現在も営業しているのは約1割。ほとんどシャッター商店街ではありませんか。

 

 この原因は明らかで、誰が考えてもネット通販となるでしょう。もともと国土の広いアメリカでは日本よりも通信販売が発達していたので、インターネットでモノを購入することにも抵抗はないはずです。ボクなんかは実物を確認しないで買えるモノなんてお茶とか水とか冷凍食品くらいですけど、今では服だって着てみて合わなければ平気で返品する消費者も育っているので、遅かれ早かれ日本のモールも同じ運命を辿ることになるんじゃないかな。

 

 ちょっと歴史を振り返ってみると、まずは家庭用ビデオの普及によって映画館に足を運ぶ人が激減しました。次にインターネット。音楽配信&ダウンロード購入のおかげで、CDの売れ行きは大幅に減少。それと同時並行で書店もどんどん消滅しています。さらにショッピングモールも集客不振というのですから、これは近い将来に物品の種類を問わず「小売り店」という業態そのものがなくなることを意味しているのかもしれません。

 

 実際に、わざわざ外に買い物に行かなきゃいけないものなんて、あまり考えられないですよね。ボクは生協の宅配も利用しているので、好き嫌いさえ言わなければ、1週間ずっと家の中としても不便はまるでないわけです。

 

 では、そんな生活が楽しいかといえば、どんな豪邸に住んでいても退屈するに決まっています。だから、ネット通販の普及は「外出」の意味を変えていくことになるんじゃないかな。外で買い物はかつて「日常」でしたが、それが必要なくなれば、外出は「非日常」ということになります。

 ボクは常々、日本はあまりにもパーティが少なく、着飾る機会に乏しいと指摘してきましたが、そうした「非日常」を仕掛けることで、家にこもった人たちを引っ張り出すのが新しいビジネスになっていくように思います。

 

 まだ考え始めたばかりでまとまりはありませんが、斜陽と言われる映画館だって、つきあい始めた男女のデートの場という機能まで失ってはいないはずです。お互いをよく知らないのに、いきなり自宅でビデオ鑑賞なんて女性には危険極まりないじゃないですか。ただ、それを意識した環境づくりをしている映画館が少ないから行かないというだけのことです。

 

 ショッピングモールにしても、ただの商業集積だから疲れてしまうんですよね。ディズニーランドは広くて疲れるから行きたくないなんて誰も言わないように(お年寄りは別です)、そうした魅力をショッピングモールに持たせれば、みんなが寄り集まってくるはずです。

 

 要するに、ボクたちの持っているフレームワークやテンプレートがインターネット時代に合わなくなってきただけのことであり、逆にいえばそれに依存し過ぎていたような気もします。ということは、教育もまた旧来のフレームワークやテンプレートを取り替えなきゃいけないってことですけど、それに気づいている人がどれだけいるかなぁ。

 

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2017年6月13日 (火)

カリスマ

 

 あまりチェックしたことがないのでよく分かりませんが、食べログの「カリスマレビュアー」なる人が、飲食店から接待を受けた見返りにベタ褒めの評価を行っていたことが問題になっているようです。

 

 天下の「文春砲」にしては射程距離があまりにも短くて、それよりも政権のゴリ押しを追求して欲しいというのがボクの率直な意見ですが、かのレビュアー氏は、この報道を受けて、それまでの評価をすべて削除してしまったようです。まぁね、皆さんが絶大な信頼を寄せるカリスマですから、接待という裏取引で意見や評価を底上げしていたというのは、確かに問題ではあります。

 けれども、コトは食い物ですからねぇ。

 

 たとえば新聞記者が官邸から日常的に接待を受けており、そのかわりに政権に刃向かう官僚に関する私的な裏情報をリークされて、デカデカと書き散らすなんてことがあったら、こりゃいけません。ましてや報道対象がとっくに退職して公人から一般人に戻っていたなら、そんなもん明らかな情報操作で人権無視の大問題じゃないか、って、最近似たようなことがあったような気がするなぁ。

 

 それに比べてグルメ系は、早い話が自分で食べてみれば、巷間言われている評価が的外れか過剰なのか、なんてことは簡単に確認できますよね。接待があろうがなかろうが、「これがそんなに旨いか!」とか、逆に「こんなに旨いものをどうして不味いって言うのかな?」という感想は案外あるんじゃないかな。食べた本人の好き嫌いだってあるし、その時の体調や店の混み具合なんかも影響するでしょう。かのミシュランだっておかしな品評もありますからね。

 

 ボクは昔からオリコンだのベストテンというものを信頼したことがありません。むしろ眉に唾していたくらいです。ライターという仕事柄でもちろん参考にはしますが、アテにはしないってことです。

 ここで、こうしたランキングの問題点をはっきりさせておきましょう。ある映画や音楽がベストワンになったとします。だからといって、あなたが感動したり好きになる映画や音楽とは限らないということです。特に映画なんかボクは失望ばっかりでしたぜ。

 食べログにしても、誰かが「うまい!」とした料理が、あなたにとっても美味に感じる保証なんかどこにもないのです。もしも仮に、必ずそのように感じるとすれば、ある種の錯覚またはブレインウォッシュということになりませんか。せめて食い物くらいは自分の舌で味わいましょうよ。

 

 だから例のレビュアー氏を免罪しないまでも、そんな人間をカリスマに祭り上げてしまった構造のほうに強い違和感を覚えるのです。似たようなことは世の中にいろいろとあるんですどね。

 

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2017年6月12日 (月)

愚行権(続)

 

 この言葉を初めて知ったのは、元外交官の佐藤優氏のエッセイでした。簡単に言えば、人間はバカなことをやる権利があるということです。しかしながら、仮にも「権」と付いている以上は法律の概念なので、まさかそんなことが規定されているのだろうかと心の隅で疑問に感じてきました。

 

 そんなところに、30歳過ぎのイケメン俳優の淫行事件です。事情はよく分かりませんが、世間に知られた有名人に地雷や時限爆弾が仕掛けられるのはままあることで、今回も金銭的な要求があったみたいですね。「ファンなんですよ」とか何とか言いながら、若くて可愛い娘が膝を重ねるようにすり寄ってきたら、アホバカなこととは心の奥で分かりながらも、ついつい淫らな「愚行」に走るというのは誰も完全には否定できないじゃないですか。だからといって、未成年淫行は違法であることに変わりはないんですけどね。

 

 となると「愚行」は、法律的な「権利」というより、むしろ文学的な「性(サガ)」と呼んだ方が適切だと思うのですが、ウィキペディアにちゃんと紹介されておりました。

 それによれば、ジョン・スチュアート・ミルが1859年に著した『自由論』の中で提示された概念としています。たとえ他人からアホバカな行為だと批判されることでも、個人の領域に関する限りは誰にも邪魔されることのない「自由権」として規定されているようです。

 

 当然のことですが、「個人の領域に関すること」は他者に危害や迷惑が及ばないことが基本的な条件となっており、かつ「愚行権」の行使によって発生した結果のすべては本人の自己責任となります。

 では、個人の「自由権」が最大に発動できるはずの居室内で、マリファナや覚醒剤を使ったらどうなるか。こちらも逮捕された芸能人は枚挙にいとまがありませんけど、要するに見つかったらアウトなんですよね。けれども、合法の酒を飲んで酔って騒いだとしても、逮捕・拘留されることは滅多にありません。

 

 ボクは個人が管理する車内や部屋の中まで公権力は介入すべきでないと思うので、シートベルトすら義務化には反対でしたが、前述した「他者に危害や迷惑が及ばない」というあたりの判断がね、実に曖昧なのです。

 たとえば薬物の所持・使用は、どんな場所であれ、おそらく必然的に「流通」を伴うことから社会に被害を与えると判断されているんじゃないかな。シートベルトにしても、人間がフロントガラスを突き破って飛び出すことで、「もらい事故」を誘発する可能性は否定できないとなっているのでしょう。

 

 でもさ、そんなことを言ったら、「自由権」であるはずの「愚行権」は恣意的に制限されることになっちゃいませんかね。そもそも愚行をする前に、「これは女房にも地域社会にも迷惑や被害を与えない自由権の一種の発動だよな」と考えるような奴がアホバカなことをするはずがない。

 

 えーと、だんだん面倒くさい方向に話が進んでしまいましたが、要は個人と社会=共同体との関係が、近代の法律では消化しきれていないというなんでしょうね。そんなところに「共謀罪」ですよ。総理から「またしてもレッテル貼り!」と非難されないように、正式名称を出しておきますね。「組織的犯罪処罰法改正案」、略称が「テロ等準備罪」となっております。

 

 この法律の問題点は、「実行」ではなく「準備」の段階で法律が適用され、警察などの公権力を発動できるということです。対象を「組織的犯罪集団」に絞っているとはいっても、そんなラベルを頭にくっつけて歩いている人はいません。だから誰だって「準備」とみなされて逮捕される可能性が出てくる。こんなのは戦前の治安維持法と同じではないか、というのが野党などの反対理由ですよね。

 

 かといって個人の権利を最大限に優先すれば、「組織的犯罪集団」が暗躍することを許してしまう。東京オリンピックがえらいことになってしまうぞ、と。

 前述したように、個人と共同体の権利が衝突することなんて封建時代ではあり得ませんから、その軋轢は近代になって発生したものです。歴史的な根拠が乏しいだけに、いつも論議がぐちゃぐちゃになり、結局は国家=政権や行政に都合のいい法律が施行されてきました。21世紀になってしばらく過ぎた今こそ、誰でも納得できる、筋の通った、例外が希少な、しっかりした論拠に基づく規定を作るべきだと思うんだけどなぁ。憲法9条論議もそうだけど、いつまでたっても解釈や分析ばっかりだもんね。これでは前に進めないだろうとボクは思うわけです、はい。

 

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2017年6月 9日 (金)

エイジング

 

 若い頃から、自分の若さ、正確にはバカさなのですが、それにほとほと呆れ果てておりまして、早く年を取る方法はないものかと考えてきました。3日3晩寝続けたら40歳になっていた、とかね。浦島太郎の玉手箱は行きすぎてしまうのでNGです。

 

 高貴な一族や大金持ちの子孫ならいざ知らず、20代あたりまでの男というのは、特別なイケメン以外は何の取り柄もないのが普通です。どこで何をしようが新参者のビギナーであり、経験や実績はもちろんなく、ついでに知識もカネもコネもない。ないない尽くしの未熟者が唯一持っているのが若さという時間ですが、それに大いに起因するバカや無鉄砲や無茶を回避するのも困難。こんなのはもういやだぁぁぁぁぁと早く逃げ出したかったわけです。

 

 ただし、女性は違うんだよなぁ。若ければ若いほど価値があるとされているようです。昔のテレビでは女子大生がもてはやされましたが、今ではJK=女子高校生、ヘタすりゃ中学女子を狙う奴もいるというのですから変態っす。

 大変に失礼ながら、女性は太古の昔から商品化されていたので、クルマと同じように新品の価値が最も高く、次第に減損していくのは否定できないですよね。さらに旬やら賞味期限みたいなものが設定されるのも資本主義では避けられません。その意味では若い女子の団体が乱立して学芸会をやり、選挙と呼称される人気投票にわぁっと男が群がるのも不思議ではないということになります。

 

 けれども、相手はモノでなく、あくまでも人間ですから。ちなみにですけど、欧米と比べれば、日本の年齢重視、すなわち若さの珍重は異常といっても過言ではないと思います。だってね、テレビ界では「女子アナ30 歳定年説」というのがあったくらいですぜ。ボクの知人もそれを意識してか、該当年齢直前にとっとと結婚退職してしまいました。これからようやくアナウンス技術が円熟するという矢先に、お肌の曲がり角を過ぎたのか知りませんが、とにかく年齢でもってお引き取り願うというのは、まるで金利が付く直前に定期預金を解約するようなものではありませんか。って、ちょっと違うかな。

 

 とにかく、もっと大人の国にしようというのがボクの主張であります。そのためには「エイジング」の価値を理解しなきゃいけません。この言葉はヘタすりゃ「老化」「加齢」などと訳されますが、本来的には「円熟」または「味が出る」ってことを意味しています。腕時計でも、ステンレススチールでなくブロンズをケースやベゼルにして、その経年変化を個性として楽しむモデルがあることをご存じでしょうか。

 

 いずれにしても、ボクのようなオッサンにとって、若い女子団体のユニゾンはとてもじゃないけど聴いていられません。そんな彼女たちによって、どんどん場所を奪われているのが、中高年女性の演歌歌手ではないでしょうか。昔ながらのスローな演歌はどうかと思いますが、彼女たちの歌唱力や表現力はずば抜けており、それを巷に埋もれさせておくのは財産の放棄に等しい。若い娘が人生を嘆いてもちゃんちゃらおかしいけど、過去を悔いる中高年女性は迫力が違いますぜ。

 

 そういうバルバラや金子由香利みたいな歌をね、ボクは聞きたいんだけど、マーケット側の意向として、やはり若い女性がチヤホヤされるわけです。新人の育成はどんな業界も必要なので、それがいけないというわけではありません。ただ、もうちょっとエイジングを楽しむことを覚えて欲しいなぁと、オッサンは愚痴りたくなるのであります。

 

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2017年6月 8日 (木)

たまにはね

 

 最近は「たまにはね」ということが続いています。中でもパーティなんかがあると、飲み過ぎてしまうんだよなぁ。それじゃ「たまにはね」ではないじゃないかと思われるでしょうが、ええ、その通りではあります。

 

 とはいっても、昔のように「浴びる」ほど飲むわけではなく、シャンバンを2~3杯、加えてワインも2~3杯程度ですけど、それがね、翌朝まで後をひいたりするんですよね。肝臓の解毒作用が低下しているか、そもそも酒に弱い体質だったのかは知りませんが、身体全体が熱っぽくなり、深く物事が考えられなくなってしまう。でもまぁ、そういうこともあっていい、「たまにはね」と自己肯定しなきゃ仕方ないではありませんか。

 

 何でまた人間は酒なんぞを発明したのかなと思っていたら、本日の日本経済新聞によれば、人類が発生したのは30万年ほど前のアフリカらしいですよね。恐竜が絶滅したのは6600万年ほど前と言われているので、つい最近のことではありませんか。

 

 ボクの自虐的歴史観を紹介すれば、それからバクテリアが急速に広がるように地球を覆っていったことになります。「生きていて良かった」とか「生きていることは素晴らしい」という人間賛歌的な表現もありますが、どうにもね、人間でない側にとっては、実にまったく迷惑千万な生き物という気がするんだよな。だから、視点をずらして考えるってことも「たまにはね」必要なことなのです。

 

 こんなしょうもないテーマでしょうもない論理展開に呻吟しているのも、実はしなきゃいけないことが立て込んでおり、ブログを書く余裕なんてないのです。それでも、これだけは「たまにはね」と逃げたくない。もしも事前の予告なしですっぽかしてしまったら、おそらく死ぬまで後悔を引きずることになるでしょう。

 

 そんなふうに律儀に自分を決めつけず、ダラダラ、グズグズと生きていきたいなぁ。時間を秒単位、分単位で認識しないで、太陽の位置だけで判断するという生活もいいですよね。そうしたら見える世界も少しは変わってくるような気もします。すいません、まともな結論がないときも「たまにはね」あるということで。。。。

 

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2017年6月 7日 (水)

「人にやさしい会社」が生き残る

 

 本日の日本経済新聞朝刊に、興味深い記事が掲載されておりました。「後追いアップル、看板頼み」「秘密主義、技術に遅れ」というタイトルだけで、分かる人にはすべてが分かるでしょう。

 

 記事を要約すれば、人工知能で音声に反応するスピーカー端末でアマゾンやグーグルに遅れを取っていたアップルが新機種を発売したが、かなりの高額なので、果たしてそれで巻き返せるかということです。

 

 問題はそのバックボーンとなる音声認識ですが、ある調査によれば、廉価なアマゾンと比べてもアップルの精度はかなり低いとされています。それだけなら技術革新を急ぐべきとなりますが、このように後塵を拝した理由は、「アップルの秘密主義」にあるというのがキモなんですよね。

 

 アップルでは開発者の論文発表やイベントなどへの参加を原則として認めていなかったようです。そうなると学会などの研究共同体から隔離されることになり、最先端の情報も入手しにくくなります。ところが、グーグルなどは外部を巻き込む戦略で技術を磨いてきたようです。

 

 これはおそらくスティーブ・ジョブズの性格に起因すると思われるアップルの負の遺産ではないでしょうか。つまり、技術と研究者を「囲い込む」ことで最先端の製品開発を進めてきたのですが、そうした環境を窮屈だとか、限界を感じる人もいるわけです。誰もがジョブズのように並外れた識見や才能を持っているわけではなく、むしろ現代の技術はあまりにも高度化しており、1人だけで完結できるものではなくなっています。であるなら、外部と積極的に交流したほうがブレークスルーのきっかけにもなりますよね。

 

 かつてイギリスの時計産業は一子相伝で高度な技術を秘匿しようとしました。逆にスイスでは早期から特許制度を整備。独自の技術を権利として一定期間保護することを条件に、広く情報開示してきました。どちらが正しい、というより、どちらが勝者となったかは明らかですよね。いくら優秀で独自性の高い技術でも、一子相伝では適切な継承者がいなければ簡単に途絶えてしまう。ところがスイスでは「産業」として継承・発展を続けることができたのです。

 

 というわけで「囲い込み」には限度があります。けれども、それでは技術や研究者の流出を招くと危惧する経営者もいるでしょう。まったくその通りです。だったら、優秀な研究者や技術者が別の会社に転職したくなくなるような会社にすればいい。

 

 技術や発明、発見はどうしたって人間と一体のものですから、その人間が好きになる会社、いつまでもやめたくない会社にすればいいだけのことではありませんか。ボクはこれを「人にやさしい会社」と表現しますが、そんな会社にこそ優秀な人材があつまり、外部と活発に交流しても逃げられることはないと思うのです。

 

 誰でもすぐに分かる、まったく簡単な理屈ですが、これを実現する方法は給与や福利厚生以外に多種多様です。いずれにしても、そうした「居心地の良い」社内風土や環境づくりこそが経営者の本来的な仕事なのに、気づいている人は案外少なくないんですよね。

 

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2017年6月 6日 (火)

国が壊れる時

 

 先週もロシア人の女性歌手、エカテリーナさんのライブに行ってきました。残念ながら、ボクの大好きな『モスクワ郊外の夕べ』は聴けなかったのですが、これはまぁある意味で仕方ないんですよね。

 

 というのも、彼女が言うには、ソ連の頃は毎朝6時くらいからこの歌が流れており、早起きが苦手な彼女は大嫌いだったそうです。だから歌うことがあっても、スローな民謡風でなく、アップテンポのジャズにアレンジしていました。日本なら朝っぱらから「夕焼け小焼けで日が暮れて」を流すのと同じではないですか。『モスクワ郊外の夕べ』は1957年の世界青年学生祭典のコンクールで第1位となったので、その内容はともかく、当時のソ連は官僚国家だったので、皆さんが上層部の意向を「忖度」して朝からせっせと聴くことを強制したのかもしれません。とすれば、今の日本と大して違っていないじゃないですか。

 

 それはともかく、ステージの合間にかわした短い会話で、日本に来た大きな理由が分かったのです。

 

 199112 25日午後7時に行われた記者会見で、ミハイル・ゴルバチョフはソ連邦大統領の辞任を表明。翌26日にはソ連最高会議・共和国会議でソ連の消滅が公式に確認されました。ここから先がボクたち日本人にはとても想像できないところでありまして、国は大混乱に陥るとともに、原始社会のような弱肉強食状態に突入したんじゃないかな。確かに当時はロシアンマフィアの暗躍が噂されましたよね。宝飾の世界でも彼らを意識した超高額品が盛んに作られたことがあります。

 

 そんな状態を彼女は日本語で「すごく怖かった」と表現しました。このためアメリカに逃げた友人や知人もいるらしい。あまり根掘り葉掘り訊ねるのも失礼なので途中でやめましたが、「ああそうか、あの国は壊れたんだよな」と再認識できたのです。

 

 壊れたというより崩れたというほうが近いかもしれませんが、実は似たようなことが1917年に起きています。ロシア革命が勃発すると、貴族や要職に就いていた軍人たちはこぞって各国に亡命。かの横綱・大鵬の父も、樺太に亡命したウクライナ人のコサック騎兵隊将校でした。

 

 歴史は繰り返すというか、因果はめぐるというべきか、およそ70年を経過して同じような社会の激変が起きたわけですね。日本も2度にわたって原爆を落とされ、太平洋戦争に敗北しましたが、少なくとも本土にいる限りは国を捨てなきゃいけない状況にはなかったと思います。

 

 どちらにしても遠い昔に遠い国のことですから、ボクが勝手に想像しているだけのことですが、こういう話を身近で聞けるのは刺激になりますよね。

 

 でもさぁ、そういうことをボクなんかより現実的に考えるのが政治家の役割じゃないですか。そのために外遊するというならどんどん行くのを許しますが、東京にいても聞く気さえあればこれくらいの話は聞けるんだけどなぁ。

 とにかく国を壊してはいかんのですよ、絶対に。そのしわ寄せは必ず弱い者から及んでいくことになるからです。

 

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2017年6月 5日 (月)

先生の都合

 

 学校教育の現場にいる人には不快かも知れませんが、「子供のため、生徒のため、学生のため」と言いながらも、教える側の都合で進められてきたことが少なくないように思います。

 

 今回の獣医学部新設問題なんて典型的で、首相の関与があったかどうかなんてことより、「忖度」だか何だか知らないけど、いったん決めたことが容易に覆ること自体がおかしい。それが獣医を志す学生のためでは決してなく、誰かの都合で変わったということが大問題なのです。首相の名前が冠された私立小学校の新設も、学校法人の所有地という設置基準があるはずなのに、国有地を例外的に格安で払い下げしてしまった。

 

 この「国有地の払い下げ」を敗戦直後から掘り下げていくと、大企業と国の癒着ぶりが明らかになるのですが、本題とは違うのでここでは紹介しません。

 

 なのに、何でまた「先生の都合」なんてことを言い出したかといえば、昨今大流行の英語教育なのです。英語を学ぶことは決して悪いことではなく、小学校3年で必修化も結構けだらけでございます。

 でも、ボクたちだって中学校で3年、高校で3年、大学まで含めたら10年くらいは英語を勉強してきました。なのに、ああどうして皆さん英会話が苦手なのか、ということを突き詰めておくのが、改正やら革新の大前提じゃないですかねぇ。さもなきゃ同じ轍を踏むことになりかねません。

 

 民間ではああだこうだといろいろ問題を指摘していますが、文部科学省による公的な反省なんてついぞ聞いたことがありません。会話はダメだけど「読み書き」ならOKかといえば、すいませんが、それを得意とする大人もまた少ないですよね。早い話が、英語は「使う」ことを前提とした教育ではなく、「試験のため」の勉強だったからこそ、こんなに悲しい結果を招来したということまでは識者が共通して指摘しています。

 

 ボクはしつこいタチなので、さらに「何でそうなったのか」と問いかけたい。それでぶちあたったのが、日本の先生たちは、どうやら子供の将来なんか考えてこなかったのではないかという重大な懐疑なのです。

 もちろんそうではない先生も多いはずですが、イジメの隠蔽でそうした体質がいみじくも露呈されています。子供が自殺したにもかかわらず、教育委員会と教育管理職が「わしゃ知らん」と、こぞって自分たちの都合を押し通してきたではありませんか。

 

 さらに子供たちが教室で発言する機会が異様に少ないのです。アメリカンスクールなんて机はバラバラで、朝っぱらから「今日の新聞で興味を持った記事は?」と先生が子供たちに呼びかけていますぜ。現在はいくらか変わったかも知れませんが、少なくともボクの頃は教室がとても静かでした。だから窓からツバメを見ていた、というのは冗談ですけど、それが学級経営の基本で、静かであればあるほどまとまりがよく、ひいては優秀な先生と評価されるとしたら、こんなの全体主義に近いではありませんか。

 

 子供たちがてんでに勝手なことを言い出すよりも、静かに聞いてくれるほうが指導力の足りない先生にとっては都合がいいですね。けれども、そうした沈黙する子供たちが大人になったら、英語以前に隣の出方や発言を待つ消極的な人間になってしまう。そんなメンタリティで英会話が上達するはずがない。

 

 にもかかわらず英語教育を早期化するとしたら、ボクにはとうてい茶番としか思えません。とにかく、小さな子供のうちから、もっと教室で活発に発言させること。それが英会話を上達させる基礎になっていくとボクは思うのです。それができないというなら、それこそ本気で子供たちの将来を考えているのかなぁと疑わざるを得ないのです。

 

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2017年6月 2日 (金)

しなきゃいけないこと

 

 世の中には「しなきゃいけないこと」と「やりたいこと」の2種類があります。厳密には「してもしなくてもいい」、つまりどうでもいいことも少なくないのですが、大きく見れば「しなきゃいけないこと」が圧倒的に多いんじゃないかな。学校の勉強も会社の仕事も、「しなきゃいけないこと」の仲間ですからね。

 

 ボクは初めて正社員として就職する段階で、スーツという窮屈な服装を強いられるのが死ぬほどイヤでした。何しろ親父は旋盤工で、作業服以外の格好を見たことはほとんどありませんからね。かといって自分が親父ほど器用だとは思えず、当時は機械化全盛で職人技がどんどん過去のものになっていたので、そっちの方向が将来性ありとも思えない。

 

 そんな時に「雑誌編集」という仕事があることを教えられ、これならアルバイトも多く、カジュアルな格好でも叱られないかなと見当をつけたのです。とはいえ、就職活動ではやはりスーツが不可欠。でね、仕方なく某月賦百貨店でグレーのスーツを買ったわけですな。

 

 首尾良く会社には潜り込めたものの、それまで下駄を履いていた人間に、スーツと革靴は辛いのです。このため、せっかく買ったのに扱いが粗雑となり、じきにズボンに大きなカギ裂きを作ってしまいました。どうやって補修しても、見た人に絶対にバレますから、即座にゴミ箱へ。その時からボクは今で言うジャケパン、正確にはジャケットとジーンズが常態となったのです。

 

 ただ、時には偉い人も取材するので特別に「スーツ着用」指令が出たりします。この時にね、何とか回避できないものかと煩悶を続けてきました。

 

 さて、あなたは、こうした「しなきゃいけないこと」に、どのように立ち向かっていますか。素直に従うというのがおとなの態度かもしれませんが、ボクはどうにも承服できなかったのです。スーツどころではない過大な重荷を背負っている人もいるはずですが、そのことを従容として受け入れるとしても限度があるんじゃないかな。

 

 だから、最も有効な手段は、その「しなきゃいけないこと」から逃げることです。会社でパワハラに遭遇したら、行かなきゃいい。家族を負担に感じたら、家出する。ほらね、簡単でしょ。

 

 ただ、こうしたドラスティックな方法は原状復帰が不可能です。その「しなきゃいけないこと」から確かに解放されますが、もう一度何らかの社会に新しく帰属しなければ人間は生きていけません。

 

 このように考えると逃走は、必ずしも優れた方法とはいえなくなってきます。もちろん自殺に至るようなイジメやパワハラは論外なので、直ちに逃走することをオススメします。


 でね、おそらく皆さんはとっくに意識しないでやっているはずですが、「しなきゃけいけないこと」を「やりたいこと」に変えるのが最も合理的で有効な方法だろうとボクは思っています。

 

 原稿が辛いのは、「書かなきゃいけない」からであって、「書きたい」と感じるようにすればいい。スーツも同じことで、「着なきゃいけない」から「着てみたい」に変えればいいのです。

 

 もちろん少々のお金は必要になりますが、みんなに見せたい格好いいスーツを入手すれば、翌日から着てみたくなるじゃないですか。

 

 人生を「生き続けなきゃいけないこと」と考えている限り、定期的に死にたくなります。だったら「生きたい」と感じることを率先して見つければいい。そして、そのことは先生などの他人から教えられることではないのです。あくまでも自分自身で見つけていくしかないわけですね。

 そうした習慣を子供の頃から作っていれば、もっとリッチで魅力的な人間になれたのになぁと、大変に残念に思うのです。

 

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2017年6月 1日 (木)

飲み過ぎじゃね?

 

「権力は腐敗する、絶対的に腐敗する」と言ったのは、イギリスの歴史家、思想家、政治家で、アクトン卿と呼ばれたジョン・エメリク・エドワード・ダルバーグ=アクトン。何てことはウィキペディアに出ていますが、19世紀末、つまり100年以上も前に活躍した人なんですよね。そんな大昔の人が喝破した格言を、21世紀にもなってきっちり地で行く連中がいるというのは、ああ人間って何の進歩もしないのね、と嬉しいやら哀しいやら、激しく絶望的な気分になってきます。旦那も女房も、テレビでチラリと見るだけで吐き気を感じるのはボクだけかなぁ。

 

 さて、本題です。本日は締め切りが2本あるので、そそくさと終えますが、ボクたちはちょっと酒を飲み過ぎていないでしようか。「お前に言われたくはない!」という大合唱が聞こえてきそうですけど、アルコール依存症に近いような気がします。だってさ、何かというと「飲み会」でしょ。

 

 若い人はそれで恋人を作って結婚という、極めて生産的なエンディングに至りますが、オッサンたちはそうじゃないですよね。ひたすらグダグダと飲みまくって、フラフラと帰宅してガァガァと寝てしまう。前夜の記憶なんて1㎜程度しか残っていない。仮に残っていたとしても、それで翌日がどうにかなるような建設的なことなんてあり得ないじゃないですか。

 

 そりゃね、たまにボクだって酔い痴れて、記憶を失うほど飲みたいなと思う時がありますよ。振られた時とかね、って冗談ですけど、この年になったら、酔って忘れられるような艱難辛苦はこの世に存在しないことくらい骨身にしみて分かっております。

 

 にもかかわらず、毎晩に等しい宴会騒ぎってさ、いったい何だろうねと思うわけですよ。特に週末なんて恵比寿は阿鼻叫喚だもんなぁ。

 

 ボクはたまたま酒があまり飲めなくなってしまいました。それまではほとんどウワバミでしたから、こうなると退屈で仕方がない。テレビなんかまるで面白くないですから。それで再発見したのが音楽であります。実はその効用はアルコールに近いんですけど、やがて心の中に日常的に音楽が流れている状態となり、豊かで安寧な気分になるんですよね。そのうちに機械的な再生では満足できなくなり、ナマの音楽やステージを求めてライブハウスなんかに行くようになったのです。

 

 このように書くと贅沢だと思われるかも知れませんが、普通のライブハウスは1人5000円程度。ワイン一杯を加えてもせいぜい6~7000円程度です。皆さん、1週間にこれくらいの金額は飲んでいるんじゃないかな。だから決して過大な消費ではなく、むしろ酒浸りに比べて安いくらいだと思うのです。自宅で一升瓶とかボトル1本を抱きかかえている人には勝てませんけど。

 

 だから、ちょっと飲み過ぎじゃね? と。ほかにも時間の有効な使い方はあるはずです。恋をするとかさ。リアルなストーカーになったら危ないけど、映画の中の女優に本気で惚れたって誰にも迷惑はかかりませんぜ。とにかく、もうちょっと愉快に面白く上機嫌で生きていけないかなぁと、ボクなんかはいつも考えていますけどね。

 

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