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福助くん その6

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    福助くん、9歳の秋です。 ちょっと長めの散歩をして、世田谷公園へ。 紅葉と福助をご覧くださいまし。

福助くん その5

  • 赤いサルビア♪
    2010年秋の福助くん。とある週末に埼玉県所沢市にある航空公園に行ってきました!

福助くん その4

  • 1 毎年恒例の・・・
    今さらですが、今年の花見の福助くん。ご近所の目黒川に行ってきました。

福助くん その3

  • 1 田舎に行ってきました!
    飼い主の田舎に行ってきた福助。うららかな春を迎えた大自然のなかで、いつもと違った表情に。

福助くん その2

  • 定位置
    平日は会社にいる福助。こんな感じの毎日です。

福助くん その1

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    笠木の飼い犬。甘えん坊でちゃっかり屋の8歳。雄。

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2018年2月

2018年2月28日 (水)

距離の2乗

 

 機械式時計とアナログ表示のクォーツ時計は、磁気が大敵です。電気で動くクォーツなら関係ないだろうと思われがちですが、アナログ表示の場合は針を動かすモーターが磁気の影響を受けてしまうのです。

 

 とはいっても、そんなに神経質になる必要はありません。磁気は距離の2乗に反比例して弱くなるからです。分かりにくい表現ですが、要するに磁気の発生源からちょっと遠ざけるだけで影響力は相当に低減します。しかしながら、現代はスマホやノートパソコンなど超小型の高性能磁石をスピーカーなどに使用している精密機械が少なくないので、ついうっかり磁気抜きが必要なほど帯磁させてしまうことも珍しくないといわれます。

 

 さて、本題は時計ではなくて、「磁気は距離の2乗に反比例して弱くなる」というところです。これって恋心に似ていませんかね。逆に言い直せば「愛の強さは距離の2乗に正比例」するってことです。若い男女が毎日のように同じオフィスで顔を会わせていれば、既婚といった社会的支障や性格などに問題がない限り、次第に恋心が芽生えてもちっともおかしくないわけです。けれども、どちらかが地方に転勤となり、遠距離になると、やがて交流も途絶えがちになってしまう。ということは、近場にいればいるほど有利になるわけで、職場恋愛→結婚が多いのも当然ですよね。

 

 それだけでなく、愛の真反対に位置する憎悪や嫌悪も同じ法則があてはまるらしい。遠くにいる奴とは喧嘩する気にもならないけど、近場にいるとどうにもムカムカして仕方がないってことですな。

 これはね、いろいろとあるんですよ。先週にちょっと触れた、女性専用車に敢えて男性が乗り込むというのも、その一種でしょう。安倍総理の無理矢理な「裁量労働制」のほうがどう考えても会社員の皆様の利害に直結するはずなのに、憲法違反だの何だのと女性専用車両にインネンをつけるのは、自分の近くにいる女性が優遇されていると感じるからです。駅員や車掌を舐めているってこともあるでしょうね。同僚や上司も同じで、近くにいなければイジメやパワハラなどもやりようがありません。

 

 近くにいるというのはいいこともあるけど、危険でもあるというわけですな。ただし、そうなってしまうのは原因があります。人間は犬や猫と違って想像力があるはずなのに、どうもそれを発動しないらしい。想像力さえあれば、遠くのことをあたかも近くにあるように感じることができ、それと同じように、隣にいる人間のことを我がことのように感じることも可能なはずです。

 

 この想像力は磁気とは違って距離の影響を受けることがありません。むしろ、遠ざかれば遠ざかるほど、様々な想いや妄想だって生まれるはずです。時には暴走しがちな、この想像力をうまくコントロールするのが、本当の知性なんですよね。そんなわけで、“近隣憎悪”(ボクの造語です)に囚われてしまうのは、欲求不満などに基づく知性の衰えとしかいいようがないのです。

 

 だってさ、ボクたちは人間であって磁石じゃないんだもんね。物理の法則なんかに従ってたまるもんか、という覇気こそが、知性の正しいありようではないかと思うわけでございます。

 

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2018年2月23日 (金)

つまらん!

 

 何かね、どうだっていいことに妙にこだわったり、派手に文句をつける人が増えてきたように思います。しかも匿名だからさ。言い方は悪くて恐縮ですが、ネットを舞台にした小姑根性というのかなぁ。そこじゃないだろう問題や論点は、と感じることが多々あります。

 

 最近では女性専用車に乗り込む男性です。「逆差別」だの「女性優遇」だのとインネンをつけるのは難しくありませんが、普通に考えてみてください。もしも自分が若い女性で、朝の混雑した通勤電車の中で尻をいやらしくさわられた経験があるとするなら、女性専用車に見知らぬオッサンが乗っている恐怖は十分に想像できるんじゃないかな。

 

 もちろん中には、権利を過剰に主張して男を追い出すような不快なオバサンもいるでしょうが、だったら最初から女性専用車に乗らなきゃいいわけでね。

 

 つまり、基本的にどうでもいいようなことを、ワァワァとお互いの権利にからめて主張したところで、それが発展的な結論を促すとは思えないのです。ボクだって間違えて女性専用車に乗り込んだことがありますが、周りを見てすぐに気づき、慌てて次の駅で降りました。それでいいじゃないですか。

 女性専用車を「逆差別」と見なす人は、飛行機のファーストクラスに乗ったにもかかわらず、誕生日を祝ってもらえなかったのはおかしいと愚図るメンタリティに似ているような気がするんですよね。

 

 それよりさ、佐川国税庁長官の国会における虚偽答弁や、昨日の国会でも問題にされた厚生労働省によるインチキな調査データに、もっと腹を立てるべきではないでしょうか。ボクたちの税金が使われているわけですから。

 

 そして、こういう問題に対して、知識人や言論人は筋道の通った意見をどんどん発信すべきでしょう。黙ってなりゆきを見守っていて、大勢が決まったころにおもむろに意見を表明するほど卑怯な態度はないだろうと、ボクは思うのです。

 

 なお、来週月曜日と火曜日は、九州方面に出張するのでお休みとさせていただき、28日水曜日から再開する予定です。

 

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2018年2月22日 (木)

時間より成果

 

 冬の冷たい空気を肌身に感じるようになると、「ブリ丼」が食べたくなります。生まれて初めて社員になった会社は東京・新橋にあり、この街は美味しいものを食べさせてくれるんですよね。

 

 隣駅の虎ノ門に比べると、会社の規模は零細で無名なところばかりだったように思いますが、それだけに飲食のコストパフォーマンスに厳しい人たちが多く、ハンパな店はすぐに潰れるという新陳代謝が街を育ててきたように思います。

 

 ただし、新入社員のボクが最も苦手だったのは、みんなで連れだって昼食に行くということです。昼時に3人~4人が一緒にメシを食おうとしたら、12時前に行かなければ簡単に難民化してしまいます。個人主義が浸透している今は知りませんが、ゾロゾロと列を作って「魚がいいかな」「いや今日は豚にしよう」なんて言いながら店を覗きながら練り歩くというのが、ボクは死ぬほど嫌いだったのです。

 

 けれども、新人の頃からしきたりに逆らうわけにはいきません。何とかボクを認めてくれるようになったかなという1年後から、昼飯は1人で出かけるようにしました。その時に、ある寿司屋が「ブリ丼」をランチで出しており、「こんなに旨いものを今まで食べたことがない」というほど感動したわけです。テーブルもありますが、基本は寿司屋なので、1人なら昼時でもカウンターのどこかに座れるというのも魅力でした。そこで黙々とブリ丼を味わう孤独感がね、ボクは大変に好きだったのです。

 

 そんな会社員生活でもうひとつ気づいたのが、なかなか帰らない人がいるということでした。仕事が本当に忙しいかどうか分からないのですが、とにかく帰らない。今になって思えば残業代を稼いでいた可能性もあるんじゃないかな。おかげで、デートの約束をしているボクのような若い人が退社しにくい雰囲気になってしまうわけです。

 

 さて、働き方改革です。首相の意図や狙いがどこにあるのか知りませんが、もしも働き方を変える、ぶっちゃけて言えば給与体系を変えようというなら、仕事のパフォーマンスを判断する方法を新しく作ることが大前提にならなきゃおかしい。これまでは「時間」に対して給与が支払われてきました。これは「会社での滞在時間」と言い換えてもいいでしょう。そうではなくて、何をどれだけやったのかという「成果」に基づいた給与体系にしない限りは、掛け声倒れになるに決まっているじゃないですか。

 

 では、そうした「労働成果」をどのように判断するのか。仕事や職能が一律ではないのですから、そりゃもう多様なスケールが必要でしょう。そうした指標を作ること自体が、ボクは働き方改革を促すと思うぞ。

 

 このように指摘すると「じゃどうすりゃいいんだ」と問いかけてくる人が必ずいます。そんなもん自分で考えろよ。ただ、ヒントはあるんですぜ。それがプロスポーツです。たとえばサッカー選手が得点数だけで報酬判断されたら、ディフェンダーをやる人はいなくなってしまいます。そこで、アシストだの防御点みたいな指標が必ずあると思うんですよね。

 

 だったら、仕事についてもそれぞれそれなりの評価基準を作って、半年ごとに査定すりゃいい。そういう仕組みを作って初めて、働き方が改革されるんじゃないかな。さもなきゃ賃金の抑制と受けとられても仕方ないじゃないですか。そうした視点を持つボクとしては、不適切なデータに基づく、結論ありきの論議なんてアホバカとしか思えないのであります。

 

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2018年2月21日 (水)

荷風

 

 作家の永井荷風(1879年~1959年)は、60歳を過ぎてから浅草のストリップ小屋や娼館などに入り浸っていたそうです。

 

 父親はエリート官僚で、本人も当時は珍しい長期の海外渡航を経験。帰国後は作家として名前をなしただけでなく、慶應義塾大学文学部の主任教授にもなっています。

 

 その一方で女好きだったらしく、伝記には「芸妓との交情を続けた」なんていう記載もあります。そうした性癖が次第に発露して、47歳の頃には当時流行していた銀座のカフェーに出没。やがて興味は浅草の軽演劇やストリップに移り、踊り子たちと仲良くなっていったようです。羨ましいのは、そうした悪所通いが『墨東綺譚』などの作品に結びついていることで、やはりタダ者ではないわけですな。カネさえあればボクだっていくらでも遊べますが、それを文学に結実させるなんて並大抵の才能ではありません。

 

 そんな荷風がカバンひとつ身ひとつで浅草を放浪するようになったのは、敗戦後です。これは何となく分かるような気がするんだよな。いくら家屋を所有していようが、空襲で簡単に丸焼けになってしまう。盤石と思えた身分や地位だって、敗戦ですべての秩序がガラガラと崩れてしまい、礼儀やしきたりが無惨に崩れ去った街に残されたのは、このうえなく醜い裸の欲望ばっかり。画家のロートレックもムーランルージュなどに住み着いていたみたいですが、踊り子たちの脂粉に囲まれていると、現世の憂鬱からひとときでも解放されることは事実でしょうね。ああ羨ましい。

 

 1959年3月1日、荷風は食事中に体調の異変に気づき、それからはゴミ屋敷と揶揄される家に引きこもり、医師を呼ぶことなく病気に耐えたようです。4月30日の朝に、こときれた荷風を見つけたのは通いのお手伝いさんでした。死因は胃潰瘍に伴う吐血による心臓麻痺。彼の脇にあったカバンの中には、土地の権利証、預金通帳、現金が31万円ほど、それに文化勲章もあったそうです。預金通帳の数字に興味があれば、ネットで調べてみてください。

 

 現代的にいえば「孤独死」ですが、それを聞いたら荷風は激怒するに違いありません。ボクはカバンの中に押し込まれた財産にはいささか違和感がありますが、浅草のレビューなんかで若い娘たちが高々と挙げる脚を眺めながら、甘い香りの中でうつらうつらとしながら死んでいけたらいいよなぁと思うのであります。

 

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2018年2月20日 (火)

『Major Crimes~重大犯罪課』

 

 出てくるのはベテランというより、ジーサンたちといったほうが早い老練の刑事ばかり。サイドストーリーも養子縁組やらゲイ同士の恋愛や別れ話に加えて、離婚がうまくいったから再婚などなど実に面倒くさいことばっかり。

 にもかかわらず、前述したジーサンたちが実にいい味をナチュラルに醸し出しており、一度でも視聴したらやめられなくなる、不思議な魅力を放つアメリカのテレビドラマがあります。

 

 CS放送のFOXでは、『Major Crimes〜重大犯罪課』とタイトルされています。調べてみるとエミー賞も授与された人気番組『クローザー』からのスピンオフドラマとありますが、そこまで熱心にテレビは見ないので、よく知りません。ほかでは見たことがない俳優さんばかりの中で、唯一、面識があるのは、キャプテン=警部であるシャロン・レイダー役のメアリー・マクドネルだけです。1996年公開の映画『インデペンス・デイ』で重傷を負った大統領夫人の役だったと記憶します。1952年生まれなので、彼女もすでに年齢的にはシニアなのですが、曲者揃いのオッサン刑事たちをまとめる女性リーダーをみごとに演じているんですよね。

 

 決して美人とはいえないのですが、時にはチームを叱咤激励して現場に戻したり、捜査の基本を知らない上司との軋轢の中で悩んだり。いわゆる群像劇なので、彼女を主役にした番組ではありませんが、俗世の横車や凶悪な犯罪にへこたれそうになりながらも、くじけずに正義を貫こうとするオッサン並びにオバサンたちの純情が溢れており、こちらまで漏れてくる番組なのであります。

 

 シーズン5では、部下からプロポーズされて、それを素直に喜ぶ彼女が描かれていました。どうひいき目に見ても50代後半以降、どちらも白髪混じりの刑事と警部ですぜ。そんな年配にもかかわらず、「職場では親しくしない」という約束事を決めているらしいのですが、フィアンセの刑事が悪党のクルマから振り落とされて怪我をした時には、さすがに心配と不安を隠さず、いくつになっても変わらない可愛い女心を垣間見せるなど、リアリティがね、ハンパではないのです。

 

 CM中に日本の刑事ドラマをザッピングしたのですが、カメラが固定されていることもあって、ものすごく作り物くさく見えてしまいました。セリフも舞台みたいな大仰な節回しで、カメラに向けて飛ばした目線がね、わざとらしくて仕方ないのです。Kさん、あんたのことだよ。

 

 それに比べて、平均年齢がかなり高いので雰囲気はそれなりに重厚なんだけど、巧まざるユーモアがあり、愛すべきシニアの皆さんが重大事件の解決に奔走する。こういうテレビドラマは、まだ日本では見たことがありません。いいところはどんどん真似すりゃいいのにね。

 

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2018年2月19日 (月)

『気分を変えて』

 

 年を取ったらもう少し穏やかな気分になれるんじゃないかと期待していたのですが、決してそうではないんですよね。もしかすると、男の更年期障害の一種なのかもしれませんが、自分の未熟さに対する怒りや、焦燥感がひどく強くて、早い話がイライラして落ち着くことができません。

 

 原因や理由はちゃんとあるのですが、焦りや苛立ちはそれを振り切ったレベルに達してしまうことがあります。これが昨今の大きな問題となっている「暴走老人」を生み出すメカニズムなのかなぁ。

 

 などと鬱々としていたら、この不愉快な気分に寸分の狂いもなくピタリと合致する楽曲がWOWOWから流れてきました。Huluとの共同製作ドラマ『コートダジュールN10』のエンディングテーマ『気分を変えて』です。小林聡美と大島優子の出演で昨年から放映されているらしいのですが、ドラマなんかより、この歌が一瞬で心に突き刺さってしまったのです。

 

ゆううつな毎日をどうしよう

歌を聴いても酒を飲んでも直らない

いつもの彼のぬくみも欲しくない

ざーざー雨降る舗道に1人で泣きたいよ

 

 このフレーズの最後、「ざーざー雨降る舗道に1人で泣きたいよ」がね、まさにボクの心境なのであります。靴や下着の中まで冷たい雨でびしょ濡れになりながら、這いつくばって熱い涙を流す感覚、って分かりますかねぇ。まだ前向きにはとてもなれないから、この救いのない惨めさにしばらく浸らせておいてくれ、ということです。

 

 傷ついて露出した粘膜は、空気が揺らぐだけでも、ヒリヒリした焼け付くような痛みを与えます。そんな苦しくて切ない気分を、そのまま放りだしたような歌詞であり、メロディなんだよな。

 

やさしい言葉が欲しいわけじゃない

どうせ言葉だけに決まってるもの

今日は1人になりたいの

みんなどっかに行っとくれ バイバイ

 

 作詞・作曲はシンガーソングライターの山崎ハコ。1975年にリリースされたデビュー・アルバム『飛・び・ま・す』に収録されています。彼女が17歳の時の作品だと思いますが、今頃になって激しく共感して動揺するボクって、いったい何だろうね。人生というグラウンドを一周回って、再びもとの思春期に戻ってきたのでしょうか。だったら年齢や経験なんて何の意味もないじゃないかと、さらに焦燥は募るわけであります。

 

ゆううつな毎日をどうしよう

わかってるけどグズグズしていて直らない

このままとじこまっているわけにゃいかないが

いくら言葉でいってもダメなこともあるのさ

 

 うーん。よく分かるなぁ。70年代って、そんな雰囲気だったような気もします。でもさ、どうすれば『気分を変えて』となれるのか。初めて聴いた時は内容とタイトルにすごく違和感があったのですが、最後の最後にドラマチックな解決策が提示されているのです。

 

なぐさめてもらいたいよな気もするの

グチをこぼしたら笑われるし

そんな弱い私なら

そんな弱い私なら バイバイ

 

 まず「みんな」にバイバイして1人になり、「気分をうまく晴らせないあんた」にもバイバイ。そして、「そんな弱い私なら」自分にもバイバイしてしまう。それが何を意味するのか、様々な含蓄に富んでいますが、すごい歌詞でしょ。自分自身も含めたすべてをバイバイと突き放した先に、いったい何があるのか。

 

 ボクなんかはついつい実存主義の萌芽を読み取ってしまうのですが、そんなアホみたいな屁理屈でなくて、「俺ってさ、いまはこんな気分なので」として、皆様にご紹介しておこうかな、と。

 

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2018年2月16日 (金)

自分につく嘘

 

 人間は基本的に嘘をつく生き物です。中でも最も罪深く、そして悲しいのが、自分に対する嘘じゃないかな。

 

 たとえば、と、具体的に紹介しようとして消しては直すことを繰り返しているうちに2時間以上が経ってしまいました。大変にデリケートな問題なので、具体例を出せば必ずあちこちに支障が生まれるからです。

 

 ごく簡単に、ぶっちゃけて結論から先に言えば、人間は「自己肯定」という嘘を自分につくわけですね。その中でも死の間際が最高潮でありまして、「あーつまらなかった」と否定的な言葉を残して亡くなった人なんか、ボクは寡聞にして知りません。「まったく不愉快極まりない」とか「こんなに生きて損した」とか「もっと早くに死んでおきゃ良かった」なんてね。まったくないということはないにしても、滅多にないじゃないですか。

 だから、ボクなんかはその時がきたら「劣悪な罰ゲームだったよ」と言うつもりですが、こんなのは天の邪鬼もいいところでね。たいていの人は「それなりにいい人生だった」と前向きな、って、死んだ先に何かがあるわっきゃないのに、どういうわけだか肯定的な評価をしてコト切れるのであります。

 

 でもさ、本当にそうかなぁ。自分が死ぬ前にどうしても殺しておきたかった奴とかは、いないのかな。高級な住宅や別荘やスーツやスーパーカーやクルーザーや金髪美女の愛人を持てない人生なんて明らかにクソじゃんかよと、元気なうちは思っても、天国まであと数キロあたりのところにくると、「まぁまぁそこそこいい人生だったかな」と意見がコロリと変わってしまう。

 

 あくまで仮にですが、カスでクソでゲスなボクをいろいろと親身になってケアしてくれた優しい女性がいたとして、ですよ。そんなご婦人がいまわの際に寄り添ってくれていたら、彼女の手を握りながら「ありがとう。楽しい人生でした」とか何とか言ってしまうでしょうね。それは彼女に気遣いしたからであって、暗い闇の中を落ちていく途中で「もっと綺麗で妖艶な女だったら良かったのになぁ」と不満を漏らすかもしれない。

 

 スポーツも同じで、「金以外はメダルじゃねぇ」と思っている人でも、銅メダルとか8位入賞とか、さらには「五輪に出られて良かった」とか。それがいけないと言っているわけではありませんよ。自己肯定は絶対的に必要なことであって、それを「嘘」呼ばわりするボクのほうが圧倒的に根性がねじ曲がっているのであります。

 

 ただ、そんなことはそれこそ最期の最期にやるべき仕方のない「心象操作」でありまして、生きているうちは自己否定を繰り返しながら、体制に反逆し、怒り、哀しみ、少しでも世の中を変えようすることが大切ではないかと。奴隷のような生活を「食べられるんだからまだ幸せ」なんて思ってはいけないのです。

 

 さて、あなたは、自分に嘘をついていませんか?

 

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2018年2月15日 (木)

新型インフルエンザ?

 

 連休中に寝込んでいた時はただの風邪だろうと自己判断していましたが、どうやら新型インフルエンザの疑いが濃厚になってまいりました。新しいものは決して嫌いではありませんが、感染症だけは勘弁してほしいなぁ。

 

 ネットをかるく調べてみると、インフルエンザの特徴的な症状は38度以上の高熱とあります。ボクの場合は最高でも37度8分でしたから、これには該当しません。ひどい時には体中がガタガタ震えるほどでしたが、それでも体温計では微熱程度ですから、ヘンだなぁとは思っていたんですけどね。

 

 ただ、全身性の関節痛はないものの、腰痛と肋骨痛みたいなものがあったので、いつもの風邪ではないとは分かっていました。念のために、さらにいろいろ調べていくと、最近は高熱が出ない新型インフルエンザも流行しているらしいんですな。

 

 さて、ここで問題です。もしも新型インフルエンザだったとしたら、あなたはどうしますか。悪寒がするくらいになってしまったのですから、自分から医者に行く体力も気力も残っていません。やたらに出歩いて菌をばらまくのも他人迷惑じゃないですか。

 

 次に、悪質な風邪だった場合。こちらも症状は同じなので、ベッドから起き上がって着替えて医者に行くなんてことは無理です。立てるようになるまでひたすら我慢するしかありません。

 

 つまり、ですね。新型インフルであろうがなかろうが、患者としてやれることはまったく同じで、ひたすら寝るだけなんですな。特効薬があるなら別ですが、ワクチンでの予防はともかく、罹患していったん症状が出てしまったら、効き目はあまりないと言われます。気休め程度だと承知している大衆薬と比較しても、それほど極端な違いはないんじゃないかな。

 それより何より、医者が往診してくれるなら別ですが、わざわざ起き上がって、クソ寒い風がビュービュー吹きすさぶ中を歩いて、またはパスやタクシーに乗って病院を目指す価値がどれほどあるのでしょうか。

 

 インフルエンザと風邪の際立った違いなんて、その名称のように強力な感染力しかありませんから、菌をばらまかないのが防疫上最も必要な措置となるので、やっぱ寝ているのが一番となるわけです。

 

 そうこうしているうちに3日で平熱に戻り、翌日には関節痛なども解消しました。今でも鼻水と咳は残っていますが。

 医者もねぇ、とにかく(這ってでも)病院に来い、というのでなく、市販薬ならこういうのが効果的ですよ、とか、食欲はないでしょうが、微熱で舌が鈍感になっているので思い切ってカレーにチャレンジ(あくまで冗談です)とか、もっと患者の側に立ったプラクティカルなアドバイスをして欲しいなぁ。健康保険の点数にはならないまでも、来院者数はぐっと増えると思うぞ。

 

 とにかくネットの記事はコピペだらけで、間違いはないにしても実際にはあまり役には立ちません。このブログで言いたいボクの結論的なアドバイスは、「こりゃあかん」と身体からの最終危険信号が出るまでは、ひたすら寝ているほうがむしろ体力を温存できるってことです。とてもじゃないけど注射1本で快癒するような病気とは思えませんからね。ということは、敢えて病院に行くリスクと引き換えに、どんな効果が得られるかってことです。そのあたりをきちんと自分のアタマで判断して決断できるのが、頼りになる大人ってものではないでしょうか。

 

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2018年2月14日 (水)

スタイル(下)

 

 ハイウェイの開通などで一時は盛り上がったものの、それからは寂れるばかりという山間の温泉地がありました。家業の旅館の先行きを深く危惧した24歳の若者は、金槌とノミだけで裏山に洞窟を掘り始め、3年半もの歳月をかけて全長30メートルに及ぶ「洞窟風呂」を完成。たちまち大評判となったそうです。さらに彼は、周囲から雑木などを集めて、野趣に富んだ露天風呂をこしらえました。こちらも、ありきたりの温泉旅館に飽き飽きしていた女性たちの人気を集め、来訪客はどんどん増加。こうなると、それまで彼を奇人変人扱いしていた他の旅館経営者たちも無視できなくなり、態度を一変して師匠として仰ぐようになったそうです。

 

 このように、独創性や創造力というのは、常に異端視・白眼視されるわけで、おそらくですけど、奇人変人扱いどころか、イジメや村八分的な差別だってあったでしょう。それでも昔は情報がいまほど早く流通していなかったので、個人的な信念や頑固を通すことができたように思いますが、現代ではトレンドや大勢から外れたことをやり通すのはますます困難になってきたんじゃないかな。

 

 ボクは、もはやそのあたりの日本的体質に完全に絶望しておりまして、これから期待される「創造力」とは、思考や生き方なども含めた多様な「スタイル」にほかならないと説明しようとしていたのですが、もうやめます。風邪のおかげで思考体力が弱っていることもありますが、何しろ霞ヶ関が一声かけるだけで右向け右に一斉に雪崩をうつような社会ですからね。

 

 こうした体質はボクが生きている間に絶対に変わることはないと思います。ということは、世界で一番になるなんて、とてもじゃないけど無理ですよ。安全地帯でリスクを冒さない2番手主義で1番になれるものならなってみろと言いたい。

 それだけならまだしも、冒頭の例では、自分では何ひとつ考えることなく「師匠」にただぶら下がって教えを請うだけの旅館経営者もいたんじゃないかな。もしもボクなら「それでも経営者かよ」と一蹴したでしょうが、彼はそうではありませんでした。温泉地としての全体的な発展がそれぞれの旅館の繁盛につながることから、その後も様々なアイデアを提供したのです。

 

 阿蘇山麓の黒川温泉を全国的に有名にした彼、後藤哲也さんが、今年1月22日に亡くなられました。2003年には国土交通省の「観光カリスマ100選」に選ばれたそうですが、何だろうね、それって。思考力が欠如したぶら下がり族を増やすだけじゃないかなぁ。そんなことより、新しいチャレンジの足を引っ張ることのないような教育をすべきだろうとボクは思いますが。ともかく合掌させていただきます。

 

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2018年2月13日 (火)

スタイル(中)

 

 3連休は、もしかしてインフルエンザかなぁという症状に悩まされました。ボクは滅多に熱を出したことはないのですが、37度台が続いて、なかなか下回りません。いつもは35~36度なので、これはボクにとって微熱とは言いがたいのです。だるくて熱っぽいというだけでなく、咳もひどくなり、やがて喉に痛みも。そのうちに、寝返りをうつと肋骨のあたりに痛みが走るようになりました。

 

 仮にインフルエンザではないにしても、重篤な風邪症状に変わりないので、ずっと寝たきりです。そもそも悪寒があって、ベッドを抜け出す気にもなりませんでしたから。昨日深夜あたりからようやく36度台に回復。何とか復帰できそうですが、その後遺症というべきか、アタマがうまく回らないので、複雑なことが書けません。

 

 そこで前回のブログを読み返してみると、どうやら「創造力」の重要性は理解され始めているにもかかわらず、実際の社会生活では、それが必然的に生み出す「多様性」を許容する段階には至っていない、ということを言いたかったらしい。

 

 実際に、見るともなく見ていたテレビでは、どの局も冬季オリンピックばっかりで、そのほかに報道に値するニュースはありませんといわんばかりの洪水状態ですもんね。「メダルラッシュ」といわれた昨日夜あたりからさらにエスカレート。スピードスケートやジャンプの同じ映像を何度見せられたことか。仕方がないので、いつものように衛星放送に戻りましたが、この圧倒的で、風邪で弱っているボクには暴力的とすら感じられる画一的な報道姿勢は何とかならないものでしょうか。しかも「列島感動!」とかなんとか押しつけがましい過剰な称賛がくっついてくるので、ますます辟易とさせられるわけです。

 

 おそらく視聴率が理由でしょうけど、だったらもうちょっと違う姿勢や視点から報道すべきじゃないかな。ここらにボクたちの「横並び体質」が炸裂しているとしか思えないんですよね。こんなことを言うと「オリンピックを応援して何が悪い」と叱られそうですが、それがいけないというのではなく、どの局も同じような報道を繰り返して飽きないということが、どうもね。そんな社会環境の中で、果たして「創造力」は育つのでしょうか。

 

 民主主義に言論の自由が不可欠なように、創造力は多様性と不可分のセットになっていると思います。普通の人が考えもしないことを発想する人は、しばしば「変わり者」あるいは「異端者」扱いされますからね。そうした同調圧力の強い環境のもとで、創造力が発達するはずがない。だから、もしも文科省が子供たちの教育に本気で「創造力」を導入しようとするなら、むしろ親の側、すなわち会社や社会がもっと多様性を認めるように変えるべきでしょう。しかしながら、こんなことは政府や行政がいくら音頭を取っても簡単に変わるはずがありません。

 

 ということを、どうやら前回は言いたかったらしい。ならば、「スタイル」というタイトルはどんな意味なのでしょうか。どうやら、これを「多様性」と同義で考えていたフシがあるので、思考力が回復すると思われる明日に続けたいと思います。

 

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2018年2月 9日 (金)

スタイル(前)

 

 以前もご紹介したと思いますが、ボクは何をやっても最初のデキが一番良くて、それからどんどんパフォーマンスが落ちていきます。たとえば、スーパーマリオなんかのゲームが典型的で、1回目は相当な難関もヒョイヒョイとクリアできたのに、2回目、3回目は簡単なところで失敗するなんてことが結構あるんですよね。

 

 逆に、何度も繰り返すことで技能や成績が次第にアップしていく人もいるでしょう。むしろ、ボクのような「初速全開」タイプよりも、後者のほうが圧倒的に多いんじゃないかな。「練習」とか「熟練」という言葉があることから分かるように、そうでなきゃいかんとボクも思います。早い話がウサギとカメですな。

 

 自分がウサギとは思いませんが、その理由というか原因は明らかで、要するに性格的に飽きっぽいのです。特段の才能がないにもかかわらず、すぐに飽きてしまう。メンタルと身体行動は抜きがたく結びついているので、モチベーションが下がればパフォーマンスがアップするはずがありません。でも、そのかわりにね、新しいことやアクシデントへの対応能力は自分ながらあるんじゃないかと。実例を挙げると自慢話になるので紹介は控えますが、「いつもと違うこと」に興奮しやすいんですよね。

 

 そんなわけで、文章についても、何かをテーマに何かを書けと指示されると、たいていの人は前例を探します。ボクもまったく同じですが、問題はそれからなのです。「あ、こういうふうに書けばいいのね」と納得して従う人と、「こういうふうに書けばいいのか。でも、同じことをしても目立たないよな」と感じる人の2種類に分かれていくのです。

 

 飽きっぽいボクはもちろん後者に属しますが、その試みが新しければ新しいほどハイリスクとなり、場合によっては結果が100点か0点ということになりかねません。ところが「こういうふうに書くのね」と納得するタイプは、平均レベルを極端に下回ることはないでしょう。というより、優等生の皆さんは間違いなく80点以上を取るんじゃないかな。だってさ、もともとアタマのいい人たちなので、評価される勘所をすぐに見破ることができるからです。

 

 しかしながら、これは明治以降の「欧米の文明国に追いつけ追い越せ」の時代は大変に効果的であっても、追いついてしまった後は「こういうふうに」というモデルが目の前から消滅してしまいます。となれば、何でもかんでも前例のないところから作り上げていかなきゃいけない。

 

 ボクは、目下のところ文部科学省などが一生懸命進めている教育改革の本質は、そこにあるはずだと推定しています。簡単に言ってしまえば、「想像」重視から「創造」への大転換ではないかと。ペーパーテストで問われるのは、出題者の思惑を見抜く能力です。学習塾でも「この問題はこれに関する学力が問われているんだよ」と解説しますよね。つまり、出題者の意図や仕掛けを推し量る「想像力」が、求められる学力の本質だったのではないでしょうか。その究極ともいえるのが「忖度」ですから、学校優等生出身の「官僚」がそれに長けているのは当然です。

 

 ところが、学校から社会に出てしまえば、そうしたテストを出題してくれる人はいません。けれども、戦前並びに戦後の日本社会は、常に欧米から問題用紙が配られていたといっていい。問題用紙が目の前にあるなら、それに的確に解答すればいいのですが、問題用紙が配布されなくなったら、今度は自分たちで問題を見つけていくほかないじゃないですか。

 

 この時に必要なのは「想像力」でなく、「創造力」ではないかと。実際に、高大接続改革などのややこしい資料を読み込んでいくと、そんな雰囲気を強く感じるのです。ということは、これって文明開化した明治の頃からの教育の大転換といっても過言ではないですよね。ただし、その崇高な改革理念に社会環境が追いついているとは言いがたいのです。

 何だか話が急カーブするだけでなく大きく膨張してきたので、何が言いたいかは来週の休み明けに続けます。

 

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2018年2月 8日 (木)

麻酔

 

 2年がかりで通っていた歯科治療も、いよいよ大詰めという段階なのですが、ちょっと油断したせいで、火傷してしまいました。

 

 今週は上顎左側の仮歯をブリッジで本番の歯に取り替えるとともに、右側の仮歯を外して型取りを行ったのですが、この時に麻酔を何本も注射したんですよね。何しろ痛がりなものですから。そうなると、完全に醒めるまでに3~4時間ほどかかります。

 

 いつものことなので、それはアタマで理解していたのですが、たまたま昼飯抜きだったので、夕方に猛烈な空腹を感じました。そこで取り置きしてあったオデンを鍋に入れて暖めることに。グツグツと高温でゆであがった竹輪などをハシで小さくして、唇に触れないようにホイッと口の中に投げ入れるように食べ始めました。麻酔のおかげで神経が相当に鈍感になっているので、それなりに注意はしていたのですが、ダイコンがね、ダメだったんだよな。

 

 熱々の、汁がたっぷりとしみこんだと察せられるダイコンですぜ。ちゃんと面取もされております。相当な熱量も維持していますが(文系にしては科学的でしょ)、それだけに実にうまそうじゃないですか。これをね、どうもパクリといってしまったらしい。「らしい」というのは、食後しばらくしてから痛みを感じるようになったからです。洗面所に行って、唇をひっくり返すと案の定で、口内炎のように白くなっているところがあるじゃないですか。麻酔で熱さを感じなかったために、みごとに火傷してしまったのです。

 

 今ではかなり軽減されてきましたが、まだ強い痛みを感じます。虫歯のように継続的な鈍痛ではないのが救いですが、いい年こいてなーにやってんだろうね、と自分ながら呆れております。

 

 このことを皆様の参考になるような話に結び付けるのも、ライターという職業柄で決して不可能ではありませんが、そんな取って付けたような屁理屈ほどつまらんものはないですよね。迂闊で粗忽なライターだなぁと嗤っていただければ何よりであります。それにしても、ああ痛い。

 

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2018年2月 7日 (水)

自分を律するのは……

 

「こういうことは申し上げたくありませんが、御党の幹部の方も現在、同様に説明をされていると承知をいたしております」

 

 昨日の衆議院予算委員会で、線香問題を取り上げた野党議員に対する経済再生大臣の応答です。こういう反論・反駁は、首相もしばしばやっているのではないでしょうか。下品な表現をお許しいただけるなら、ヘドが出そうと言いたい。「一度食べて胃に入ったものを口から吐きもどすこと。また、その吐いたもの」(デジタル大辞典)という意味です。大臣の言い方はインキン、じゃなかった慇懃かつ巧妙ですが、国権の最高機関である国会で「アンタのところでもやってるじゃないか」なんて稚拙な応酬をしないで欲しいなぁ。

 

 立ち入りが禁止されている波止場の柵を平気で乗り越えて釣りをしたり、河川敷で迷惑かつ危険極まりない打ちっ放しをやっている連中の常套的な言い訳も「みんなやっているから」じゃないですか。慰安婦問題にしても、どんな軍隊も同じようなことをしてきたという人がいます。事実関係を問う以前に、この言い方は何の意味もありません。みんながやっていることだから悪いことをしても許されるというなら、刑務所に見学に行ったほうがいい。それこそ、「みんな」が牢獄につながれているではありませんか。ならアンタも入れよ、ってね。

 

 身内に瑕疵を抱えながら、同じ問題を追及する野党も野党ですから、何だかね、もはや倫理は末期的状態。世の中、勝ち負けと利益しかないみたいです。どんなに糾弾されようが、横車を通し切った者が凱歌を挙げる社会に、再びヘドが出そうになります。

 

 というわけで、人間を本当に律するのは社会規範や道徳や倫理なんかではないんですよね。命や利権が危うくなったら、そんなもの簡単に踏みつけられてしまいます。法律は罰則が伴うといっても、それは発覚した時の話なので、バレるまで具体的に機能するとはいえません。もしバレたらヤバいことになるぞ、というイマジネーションが行動を縛っているだけのことです。

 

 つまり、自分を律するのは畢竟、自分自身しかないわけですよ。にもかかわらず「忖度」が昨年の流行語大賞になったことがいみじくも表しているように、周囲や立場意識、もっと端的に言えば「権力の高低」が社会を支配しているといっていい。そんなもん、どこが平等な民主社会だよって思いませんか。

 

 それに対抗するには、ボクたち1人ひとりが高潔であり続けるしかない。それがいったん崩れてしまえば、原始社会に一気に逆戻り。もういっぺんフランス革命からやり直しですぜ。自分を律する者は自分自身しかない。だからこそ、イザという時に、世界を敵に回してでも大切なものを守れるのではないかと思うんですけどね。

 

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2018年2月 6日 (火)

行きつけ(後)

 

 みなさま、大変に長らくお待たせいたしました。ジュワァーーーーンワンワンワーン(銅鑼の音です)、いよいよ具体的な「行きつけ」を発表するお時間がやってまいりました。

 

 なんてね、溜めている場合ではありません。本日は朝から取材が入っており、ほとんど余裕がないので取り急ぎ。ここまで2回に分けて「行きつけ」についてボクの考え方を述べてきましたが、このブログを継続的に読んでいる人にはもはや自明のことではないでしょうか。

 

 前提条件となっている、話をあまりしなくても初対面の女性と楽しく時が過ごせる場所として、ボクはライブハウス以外に適切な場所を知りません。昔はディスコが流行していましたが、今では「クラブ」となってしまい、とてもじゃないけどオッサンが女性連れで行けるところとは思えませんからね。

 

 経済規模の関係で地方都市では限られているので大変に申し訳ないのですが、東京には大小取りまぜて数多くのライブハウスがあります。ジャンルもスタイルもいろいろで、渋谷あたりでは椅子がそもそもなく、ガランとした打ちっ放しのコンクリートの空間で、ロックバンドの巨大な音響に最初から立てノリなんていう店に行った時は仰天しました。今でもあるのかな。

 

 誰かのファンでもない限り、そんな店にエスコートするわけにはいかないので、取りあえず音楽的なジャンルを決めて「行きつけ」を見つけると、退社後の夜が楽しくなってきます。本格的なコンサートや人気バンドの場合は前売り券の確保が問題になりますが、そうした必要のない、あるいは当日に電話を入れて簡単に予約できるような店がポイントです。それが分かるまでに、ある程度は「行きつけ」になっておかなきゃいけないってことなんですよね。

 

 ボクの場合は銀座のカントリー&ウェスタン「ナッシュビル」が始まりでした。食事もアメリカ西部開拓時代のユニークなメニューだったのですが、残念ながら数年前に閉店。ただし、今でも銀座には同じジャンルのライブハウスが2店ほどあります。それからオールディーズ。こちらも銀座に2~3店あるかな。

 

 その後、若い頃に凝ったシャンソンが聴きたくなり、やはり銀座で3店ほど、新橋や赤坂にも足を伸ばしました(というほどの距離ではありませんが)。青山や自由が丘にもありますけどね。ピアフやアズナブールで知られるシャンソンはオワコンと思われがちですが、おっとどっこいで、若い女性歌手も少なくありません。落ち着いた雰囲気の中で、ピアノとしっとりした楽曲で心を潤すことができます。

 

 それからジャズに傾倒するようになり、目下のところスウィングジャズとデキシーランドジャズが聞ける格安の店がある浅草に行く頻度を高めつつあります。浅草には昭和の歌謡曲をレビューにしてきた「虎姫一座」のホームグラウンドもあるので、同地域自体が行きつけになりつつある状況です。ちなみに「虎姫」では、80年代に一世を風靡したキャンディーズが現在の演目になっております。「春一番」「微笑みがえし」なんか名曲ですよね。

 

 問題は価格だと思うのですが、ここまで紹介してきたライブハウスのほとんどはミュージックチャージが5000円前後。浅草のジャズなんか1600円くらいですぜ。5000円コースではドリンク一杯付きが常識なので、要するに飲み過ぎさえしなければ、それほど高価ではないってことなのです。

 

 奥様を乳がんで亡くされた歌舞伎俳優は、かつては酒豪で知られていましたが、今ではほとんど飲まないそうです。その理由をインタビュアーに問われて、「酒を飲まなくても楽しくなれることが分かったから」と答えています。人それぞれに楽しみ方はあるにしても、これは至言・名言ではないでしょうか。したたかに酩酊酔眼&朦朧の夜も夢幻のごとくステキではありますが、飲み屋以外の「行きつけ」を作ることをオススメする所以なのであります。

 

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2018年2月 5日 (月)

行きつけ(中)

 

 先週は「乞うご期待!」なんて威勢のいいことを言ってしまいましたが、「行きつけ」というのは、つまるところライフスタイル、あるいは趣味の如実な反映なんですよね。

 

 ちなみに、ボクは記者またはモノカキ、あるいは文筆業に入る段階で、こんな仕事はどう考えてもカタギとはいえないので、いずれ野垂れ死にしても仕方がないと覚悟していました。雑誌などに文章を書いてメシが食えるなんて、せいぜい戦後のことであって、絶対的な必要性に乏しく、確立された職業ともいえないじゃないですか。

 

 だから、人並みに結婚はしても、とてもじゃないけど子供をまともに育て上げる自信はなかったので、最初から作る気はありませんでした。睡眠時間と飲酒以外はすべて仕事のためと考えてきたので、むしろ趣味や個人的なライフワークを持つ人を心の隅で軽蔑していたくらいです。そのかわりに、生活の安定や悠々自適の老後なんてハナから捨てておりました。いささか大げさですが、才能は別にして、一球入魂ならぬ一文入魂の心意気だけはあったのです。

 

 でもね、今になって思えば、個人的な趣味やライフワークも、間違いなく仕事の肥やしなんですな。何でもかんでも目先の仕事に関することばっかりでは、若い頃ならまだしも、その仕事だって奥ゆきや滋味がなくなり、ペラペラの平面的でつまらないものになっていくじゃないですか。どんな業種も職種も、特定の狭い専門分野だけでなく、広く社会や人生に様々にかかわっているはずなんですよね。

 

 すでに仕事以外の別分野も充実している人は、それに関係する「行きつけ」があるはずなので、今さらこんなテーマの文章を読む必要はありません。ちょっと飛躍するようですが、たとえばボクシングが趣味なら、どこかのジムに行ってスパーリングでも見せてあげればいい。最近はボクササイズなんてのも流行しているらしいのですが、普通の女性なら1人では行きにくいところなので、面白くは感じないまでも、珍しい体験になるはずです。

 

 問題なのは、ボクのような仕事人間なんですよね。

 

 どうしてこんなことをクドクドと念を押すかというと、人と人が出会って交流する時に最重要なのは、会話のほかにないからです、他人を楽しくする会話ができる人なら、雰囲気が良くて料理も美味しいレストランで必要十分ではありませんか。食後にカウンターバーに場所を移して、コニャックで熱くした舌の上でチョコレートを溶かしながら、面白く会話を続けることができるでしょう。それだけで念願の「素敵なおじさま」になれるかもしれない。

 

 ところが仕事人間は、特定分野と会社の話題は山のようにあっても、若い女性の興味を惹くような内容には乏しく、そもそも上手な話し方だってできません。かといって付け焼き刃でトレンディな話題を仕込んでおいても、いよいよ悲惨なことになるのがオチです。

 

 ボクは初対面の人にインタビューして話を聞いて記事にまとめるという仕事を30年以上にわたって続けてきました。だから聞き出すことはそれなりにやれるという自信はあっても、自分からまとまったことを話すのはまるきりダメだと自覚しております。柄にもなくテレビに出たり、講演をしたこともありますが、自分ながら失敗もいいところだったので、それからは依頼があってもすべてお断りしてきました。

 

 仮にいくらオシャベリが上手だとしても、相手が興味を持たないテーマや内容ではヘタクソと同じですよね。特に最近は、世代がちょっと離れたら、もはや外国人か異星人と思ったほうがいい。それくらい言語やカルチュアが違うのです。

 

 そうなると、先週にご紹介した「離婚したばかりの30代女性」を50歳前後のオッサンが連れ歩くと仮定すれば、無理に会話を続ける必要がない場所がベターということになってきます。そんな「行きつけ」があれば、話がヘンなところに発展したり、ハズした話題を続けるリスクも軽減できます。深い話は仲良くなってからやればいいのであって、最初の段階は嫌われないことに最大限の配慮をすべきですよね。では、具体的にどんなところに行けばいいのか。

 

 先に触れたスパーリングはなかなか面白い「行きつけ」だとは思いますが、一般的とはいえません。座って飲食も不可能ですからね。ボク的なデート場所のベストは映画館でございまして、上映中は完全に沈黙することができます。映画館を出たら出たで、その映画を共通の話題にすることもできるじゃないですか。とはいえ、前述のシチュエーションでいきなり映画館は場違いもいいところで、「デート気分かよっ!」と思いっきり引かれてしまいますよね。

 

 うわぁ、またまた長くなってしまいました。大変に恐縮ですが、この続きはさらに明日ということで。

 

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2018年2月 2日 (金)

行きつけ(前)

 

 ボクも昔はほとんどアルコール依存の仕事人間だったので、こんなことを言えた義理ではありませんが、中高年を過ぎたら、それなりの「行きつけ」を持っていないとカッコ悪いよなと思うようになりました。

 

 とはいっても病院や歯科医院や薬局ではありません(ここ笑うところです)。さりとて居酒屋などの飲み屋やカネのかかるキャバクラなんかでもありません。でも、銀座あたりの渋い本格的なバーなら許そうかな。

 

 とにかく、たとえば、ですね。年齢はひとまず措くとして、それなりに美しい女性と知り合いになって、まったく下心なんかないにしても、「今夜はどこかに連れって欲しいな」みたいな雰囲気になったとしたら、あなたはどこに行くかってことなのです。まさかラブホにいきなり連れ込むなんて不粋極まりないですからね。ヘタすりゃセクハラで訴えられる可能性も濃厚です。

 

 こんな嬉しいシチュエーションは、現実感が乏しいというより、むしろ妄想に近いのですが、絶対にあり得ないともいえないじゃないですか。奥様や子供もいて、そこそこの幸せをぶち壊すような深みにはまる気は皆無にしても、女性からそんな要望があれば、うまくエスコートしてあげたいと思いませんか。

 前述のような過激な状況でなくても、あなたが50代前後くらいとして、知人の遠い親戚で乃木坂・白石麻衣さん似の清楚なお嬢さんが神戸あたりから上京したとしましょう。いや、これはちょっと妄想し過ぎだな。一度は結婚したけどうまく行かず、離婚したばかりの30歳過ぎの女性としましょう。たまたま何かの都合で、一晩だけ彼女を連れ歩いてメシでも食わせなきゃいけないという状況です。

 

 すいません。元小説家志望なせいか、こんなことをスルスルと想像してしまうのです。これだけ年齢が離れていれば、けしからんことになる可能性は極めて微小というほかありませんが、それだけに「こんな女性を連れてどこに行きゃいいんだぁぁぁぁ」と悩みますよね。

 

 メシだけなら、高級な中華料理や寿司屋、あるいはホテルのレストランなど、お得意様の接待で使ったところに行けばいいかな。でもさ、それだけでお別れは残念ですよね。かといって、会社ご用達のホステスクラブに流れることもできません。もちろん居酒屋なんかでは日頃の生活態度や文化程度がモロバレってものです。仮にオシャレなカウンターバーに行ったとしても、そもそも年齢が相当に違うので、面白く会話を続けられるオッサンなんてそうそういるものではありません。

 

 初対面でしたたかに酔うような女性は滅多にいないですから、よほど好意を持たれていない限りは、話題が次第に行き詰まっていき、心の中で「つまんねぇオヤジだなぁ」と呆れられること必定です。

 

 すべての願望や理想を捨てて、「つまんねぇオヤジ」を敢えて甘受するつもりなら、それでもいいじゃんかとは言えます。けれども、やはり「素敵なおじさま」なんていう高評価をいただきたいのであれば、行き先によほど注意しなきゃいけない。

 

 もちろん相手の趣味嗜好によってふさわしい場所は違うので、入念にネットで検索しておくということも必要でしょうが、それで初めて行った店が事前の想像とあまりにも違うことはままあります。そんなところにリハーサルなしで挑めば、ぎこちなく緊張しまくりになるのが普通ですよね。

 

 だからこそ「行きつけ」が必要なんだよな、と。ボクなんか、自慢じゃありませんが、仕事抜きのオフタイムは「常在戦場」の精神で立ち向かっております。頭の中では常に女性との戦場=デートやエスコートをシミュレーションしており、喜ばしい夢想と共にフォースは我にありで、妙齢の美女と一緒ならこのあたりかな、ここは若い娘さんでも面白く感じるんじゃないかなと、いつも考えておるわけです。

 

 そんなことは抜きにしても、会社→居酒屋→飲んだくれて帰宅→休日はパジャマまたはトレーナーで過ごすという繰り返しでは、奥様だって面白くはないでしょう。だからこそ、飲み屋以外の行きつけが必要なのではないでしょうか。

 

 さらには長い会話が必要ではなく、沈黙が自然に許されるようなところがベターですよね。親しければ親しいほどに、年齢差があればもちろんですが、会話の隙間ができやすくなるので、これを無理なく埋められるような仕掛けが必要になってきます。

 あー面倒くせぇ、それで嫌われても仕方ねぇだろと居直るのも結構ですが、工夫したり配慮するのも人生の面白さといえなくもありません。だったらどこに行きゃいいんだよ、ということで、来週に乞うご期待!

 

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2018年2月 1日 (木)

されど組織

 

「上司ばかり見る廊下トンビのような社員が出世するのを間近で見ていた。『この会社はおかしい』」

 

 日本経済新聞の連載「私の履歴書」で本日から始まった松井忠三氏による第1回からの抜粋です。「この会社」とは堤氏が率いていた頃のセゾングループ。前段には「堤氏の強い感性と先見性で引っ張ってきたから組織運営は弱く」とあります。

 

 ボクはこれを読んで「ああ、やっぱりそうだったんだ」と俄に昔に引き戻されました。もう20年ほど前になりますが、ボクは堤帝国の最末期ともいえる時期に西武百貨店の小さな仕事を請け負ったことがあり、松井氏とまったく同じように「この会社はおかしい」と感じたことがあります。もう時効を迎えているはずなので、率直にいえば、上司への臆面もないヨイショをボクのような外部の下請け業者に平然と言うので驚きました。しかも、聞いていて歯ぐきが痒くなって浮きそうになるようなことを話すわけです。

 

 個人の名誉を傷つけることが本意ではないので、内容は敢えて紹介しませんが、組織というのは一事が万事みたいな傾向が強いので、おそらくこの人だけのことではないだろうと推測しました。そうでもしないと本社に残れないとか、地方に左遷されかねないために、自分をそうした企業風土に過剰適応させてきた結果なのかなと、むしろ気の毒に感じたくらいです。

 

 先の「私の履歴書」に戻ると、ボクのような感想を抱いた松井氏は「使いにくい奴」と思われたらしく、「親会社の課長から子会社の課長へと、強烈な左遷」を強いられたそうです。それが無印良品であり、2001年には社長に就任ということになります。その続きは明日からということですが、ちょっと歴史を戻してみると、セゾングループへのヨイショは前述した社員だけではありません。7080年代のイケイケドンドンの頃は、メディアも含めて大絶賛でしたからね。

 

 過去を現代の視点から裁いてはいけないとはいうものの、こうした「トレンドに乗り遅れるな」という傾向は今でも何ひとつ変わっていません。政治にしても「一強多弱」が懲りることなく延々と続いているのは、それがボクたちの文化程度や民度にほかならないからでしょう。ナダレを打つように流行や強者に群がっていき、それがオワコンになったら、次の寄生先を見つけて我がちに飛びつく。決して変わることのないのは行政の権力ですから、霞ヶ関詣だけは連綿と続いているわけです。

 

 とはいえ、フリーランスの立場から見れば、やはり組織は強いんですよね。たとえば100人に1人は優秀な人がいるとすれば、従業員が1000人の会社なら10人程度は次世代を担える人材がいるはずです。ところが、ボクの会社のような超零細法人は、その確率を適用したらゼロ、誰もいないことになります。

 

 ただし、いかなる大企業にしても、そうした100人に1人の優秀な人材を活かすか殺すかは、ひとえに組織としての文化風土、要するに上司のあり方にかかってきます。その結果として無能な経営幹部が会社を牛耳るようになると、東芝のような危機的不祥事が勃発するわけですな。

 

 そもそも「石の上にも3年」なんていう時代ではないので、いかなる大組織であろうが、ヘタすりゃ有能な人材はどんどん流出していくでしょう。だーからね、組織論もさることながら、「人間が分かる奴」を要所に配置しておかなきゃいけない。これは体感的なセンスが必要になるので、MBAのマネジメント論や人事戦略を学べばできるってことではないと思います。

 

 たかが組織、されど組織。それが本当にじっくりと骨の髄まで理解できるまで、結構な時間がかかるのです。その時までに、悪質で治癒不能な感染症に罹患していなければいいんですけどね。

 

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