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福助くん その6

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    福助くん、9歳の秋です。 ちょっと長めの散歩をして、世田谷公園へ。 紅葉と福助をご覧くださいまし。

福助くん その5

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福助くん その4

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福助くん その3

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福助くん その2

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    平日は会社にいる福助。こんな感じの毎日です。

福助くん その1

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2018年3月

2018年3月30日 (金)

アブダビの夜は更けて

 

 今回のスイス出張は、初めての中東経由でした。日本からスイス=チューリヒへの直行便もあるのですが、便利なので満席になることが多く、金額的な理由からも乗り継ぎ便ばかりを利用してきました。最初の頃はパリ、ロンドン、ミラノ、フランクフルト、ウィーンなど西ヨーロッパの国際空港が中心でしたが、さすがに何度も行くと飽きるじゃないですか。最近はストックホルムやヘルシンキなど北欧経由にしてきましたが、それにも慣れてつまらなく感じていたところに、新しいルートを教えられたのです。

 

 それが、アブダビ空港です。ウィキペディアによれば、「アラビア半島のアラビア湾岸に位置する、アラブ首長国連合を構成する首長国」の都市であり、連邦首都も兼ねているアブダビ市にある国際空港と紹介されています。あははははは、この説明で「なるほど」なんて頷く人は大嘘つきです。分かるはずがありません。

 

 ボクは当初「首長国連邦」なんていうからには、アラビア半島の半分くらいを領土にしている大国かと思いましたが、全然違うんですよね。半島の東側=ペルシャ湾に突き出た靴のつま先のような部分がありますが、そのヒモを結ぶ甲にあたるところが同国なわけです。湾岸沿いが国土なので、ちっとも大きくありません。確認のために地図を見ていたら、ドーハなんていう都市もあるので、昔からのサッカーファンなら知っている人もいるのかな。

 

 空港から外に出なかったのであくまで想像ですが、砂漠ばかりのアラビア半島では海沿いにしか都市や国が発展しなかったのではないでしょうか。

 

 これがアブダビ空港をめぐる概況。ボクはその空港を経由してチューリヒに行ったわけです。往路と復路では所要時間が違うのですが、ざっくりとまとめてしまえば、日本からアブダビが約12時間、アブダビからチューリヒが6時間くらい。北欧経由なら往路はほぼ同じにしても、EU圏内の移動は1時間半から長くて3時間程度。つまりアブダビからヨーロッパまでがかなり遠いわけです。

 

 けれども、イスラムの異国情緒が味わえればそれもまた楽しいかも、という期待を込めて、トランジットも含めて20時間以上という長旅を選んでみました。ただね、成田発が夕刻でアブダビ到着が夜中の3時近く。これは日本時間でなく、まぎれもなく現地時間なのですが、空港がものすごい混雑ぶりなので驚きました。とてもじゃないけど明け方のほうに近い真夜中とは思えません。睡眠不足と人いきれで疲れてしまい、空港内をウロウロするのは早々に諦めて、出発ゲートの椅子でウトウトとしていました。

 

 それから5日間ほどの取材を経て、いよいよ帰路です。今度は空港をきちんとチェックしてやろうと意気揚々で到着したのですが、何だかねぇ、率直な感想を言わせていただけば「ショボイ」んですな。ボクは第一ターミナルしか見ていないので、あくまでもそれに関する見聞に基づきますが、イスラムの異文化がほとんど感じられない。中央の大きなモザイクタイル張りの柱は確かにユニークにしても、ショップがあまりにもありきたり過ぎて、アラビアに来たとは思えなかったのです。だってね、最も混雑していたのがマクドナルドですぜ。

 

 デューティーフリーを始めとするショップの扱い品目についても、最大公約数的なものばっかり。チョコレートではアラビアメイドを見つけましたが、この分野でゴディバやリンツと対抗するのは無理があるってものです。何もそんな競合(=強豪)ブランドがひしめくレッドオーシャンで勝負しなくても、ドライフルーツ、中でも美容に良いと人気のデーツなんかは完全なブルーオーシャン状態なのに、どうしてそこに行かないのか不思議でなりません。もしも他のターミナルで扱っているのなら、なぜ第一ではやらないのかってなりますよね。

 

 キリスト教圏ならびにアジアの宗教圏から見たら、イスラムというのは相当に異文化ですから、それをもっとアピールすればいいのに、なぜだかそうした地域性や独自性が希薄なのです。

 

 国際空港だからといって、デューティーフリーショップが代表するグローバルスタンダードに従うだけでは面白くないと思うんだけどなぁ。国際化すればするほど地域の民族性や独自性が際立つということは、このブログでさんざん指摘してきましたが、まだそれに気づけない人たちもいるようです。

 

 あくまでもボクの個人的見解ですが、日本の開国期にも権勢をふるったであろう西洋かぶれの官僚のせいじゃないかな。どうせ西洋にかぶれるなら、女性の頭部を覆うブルカのデザインや柄をエルメスやブルガリなどに依頼してもいいじゃないですか。そしたら世界的に「かぶれる」ようになって大ヒットするかもしれません。昭和の日本だって「真知子巻き」っていうのがあったじゃないですか。

 

 国際空港に何を求めるかは旅行者によって違うはずですが、少なくともボクのような乗り継ぎ客にとって、アブダビ空港第一ターミナルはあまりにも個性や特徴に欠けているように感じました。

 

 というわけで、あちこち歩き回ったものの何も買うものが見当たらず、お土産ゼロで帰国してしまいました。これは海外に行き始めて2度目です。もっとも1度目は、文庫本一冊だけを手荷物にして税関に行ったらどんな顔をされるかという実験でしたけどね。

 

 ともかく久しぶりに、クレジットカードを一切使わなくて済んだ空港だったのであります。

 

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2018年3月29日 (木)

スロベニア

 

 20数年にわたって、桜の花が咲く時期にはスイスで国際時計展示会の取材をしてきました。おかげで花見の最盛期を逃すのが普通でしたが、スイスも日本と同様に過ごしやすい気候でありまして、ボクは3月から夏前までが西ヨーロッパのベストシーズンだと思っていました。

 

 ところが今年は尋常ではない寒波が居座っていたらしく、夕方には斜めに激しく雪が舞ったくらいです。こんなことはかつて一度も経験したことがありません。ちょうど取材を終えてホテルに到着した頃だったので、仲良くなったホテルのレセプションに思わず「メリー・クリスマス!」と言ってしまいました。

 

 さて、人間は美醜で判断してはいけないとはいうものの、ヨーロッパでは肌が透けるほど白い美人をしばしば見かけます。うなじのほつれ毛が何ともいえない色気を感じさせるブロンドヘアに、彫りの深い骨格とつんと尖った細い鼻、大きな青または翠色の瞳を見れば、男なら誰だって綺麗だなぁと思うではありませんか。

 

 いつものように前置きが長くなりましたが、土曜の夕方にバーゼルから滞在先のホテルが所在するチューリヒに向かう列車のホームで見かけたのは、その真反対ともいえる女性でした。特に鼻がね、ジブリの映画『千と千尋の神隠し』(2001年公開)で夏木マリが声を演じた「湯婆婆」(ゆばーば)そっくりなのです。これで分からなければ、「宅配便」ではないほうの本物、中世あたりに描かれた「魔女」を想像してください。とにかく鼻が大きくて長いので、列車に乗り込む前から気づいていました。日本だって美人は少なからずいるでしょうが、こういうタイプの顔はほとんど見ることがありませんからね。質素な服装でキャリーの付いた大きな旅行カバンとボストンバッグを重そうに抱えながら、両方の手に杖を持った中高年風の男性と一緒にゆっくりと歩いてきたのです。

 

 チューリヒまでノンストップの急行だったので、ボクは出入り口に近いボックス席に。彼女も目的地が同じだったらしく、反対側のボックス席に荷物を置くと、すぐに窓際にへばりつくように寄りかかりました。外のホームには前述した2本の杖を持つ、おそらくは父親が立っています。2人とも何も言わず身じろぎもしないで、じっと見つめあったまま。しばらくすると列車は動き出しました。

 

 見るともなく彼女を見ていると、身体の向きを真っ直ぐに戻した後で、驚くことに手の甲で両眼の端を拭うではありませんか。

 ボクは浅はかにも顔の美醜にとらわれて観察しており、涙するほど悲しい別れを彼女が経験しているなんて、まるで想像もしていませんでした。くすんだ灰色の髪なので年齢もよく分からなかったのですが、よくよく見れば湯婆婆や魔女どころか、まだうら若い女性なんですよね。長い鼻に目が眩んだというか、ボクも間違いなく偏見の虜囚であったことを自覚せざるを得ませんでした。

 

 列車がチューリヒに近づくと、乗降口にみんなが集まってきます。ボクも彼女も荷物と一緒に早めに待機していたのですが、たまたま列車が大きく揺れて彼女に寄りかかった若いブロンド女性が照れ隠しのためか、「私はチューリヒ空港まで行くけど、あなたも?」と英語で問いかけました。

 

 背が高く見るからに幸せそうで華やかなお姉ちゃんだったせいか、小柄な彼女はちょっと怯んだように見えましたが、すぐに「スロベニア」と呟くように答えたのです。

 どこにあるんだよ、それって、と思いますよね。知らないなりにも裕福な国とは思えませんでしたが、チケットをまとめた束を持っていたので、どうやら彼女は鉄路でそこに向かうらしい。

 

 恥ずかしながら、その時のことを思い出しながらネットで「スロベニア」を調べてみたのですが、地域的にはスイスからそれほど遠くないとはいうものの、ものすごくややこしい歴史を持つ国なんですよね。ちょっと前まではユーゴスラビアに属していたといえば分かる人もいるかな。

 

 そりゃもう見かけだけならブロンドヘアのほうが圧倒的な大ファンですけど、あの涙を見た後に「スロベニア」ともなれば、やはり“魔女”のほうを応援したくなります。無事に目的地に着いたかなぁ。

 

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2018年3月19日 (月)

正義

 

 ははははは、正義って、何だよ今さらって思われるかもしれません。たいていの大人は、その言葉を聞いただけで爆笑するか苦い顔をするでしょうね。小説や劇画じゃあるまいし、そんなもの世の中にあるはずないじゃないかと、分かったふうなことを言う人も少なくないはずです。

 

 でもさ、社会がグローバル化すればするほど、正義というのは大切な判断基準になってくるとボクは信じているのです。

 

 たとえば、ですね、昨年の流行語大賞にもなった「忖度」です。それが今では大発展して財務省の最低最悪恥知らずなスキャンダルを生み出したのですが、別に「忖度」自体は悪いことではありません。相手の気持ちを考慮するとか想像できないような人間が、まともな仕事ができるはずありません。学校の試験だって、その問題が意図するものが分からなければ、正解にたどり着けるわけがない。そうした学校の試験で好成績をとり続けてきた人が東大法学部を卒業して官僚になるのですから、「忖度」の達人とすら言っていいんじゃないかな。

 

 ただ、問題なのは、何のための「忖度」なのか、何のための仕事なのか、何のための人生なのかってことです。官僚であるなら、国民のために「忖度」しなきゃいけないのに、一部の権力者や仲良しの皆さんから圧力があったのか知りませんが、とにかく「忖度」してルールを曲げてしまった。国民のための仕事であるはずなのに、どこぞのオバサンに「忖度」して大幅に値引きして国庫に損害を与えてしまった。せっかくの人生を、権力者に「忖度」して横車にそそくさと応じたばかりに、日陰に甘んじなきゃいけなくなった。

 

 これらすべては、「忖度」が自らの信念や理念を欠いたテクニックやスキルになったことから発生したといえるんじゃないかな。腕力もそうだけど、優れた能力は良くも悪くも使えるわけでね。それを機能させる判断基準を、自分の外にある権力関係や知り合い関係といった環境や雰囲気に委ねてきたのが、ボクたちのムラ社会なわけですよ。

 

 ところが、今や様々な異文化を持つ外国人が日本に来るようになりました。仕事だって圧倒的に国際化しています。そんな社会で、周りの様子を見ながら「忖度」していたらキリがないだけでなく、キリスト教とイスラム教の大喧嘩に火をつけることになりかねません。世界各国から労働者が集まって建設するダムの工事監督が、「あれもそだねぇ、これもそだねぇー」と右往左往していたら、むしろ逆効果ですよね。

 

 というわけで、グローバル社会になければなるほど、自分自身の確固たる規範が必要になります。だからこそ、正義じゃないか、と何年も前から、このブログでもたびたび指摘してきました。でもさ、アタマがいいと自覚している人ほど、これを笑うんだよな。

 

 新渡戸稲造は1900年に、後に世界的なベストセラーとなる『武士道』を上梓しました。開国期の日本の役人に汚職が少ないのはなぜか、という外国人からの質問に応えようとしたのが執筆動機だと伝えられています。海外の先進国ではキリスト教が倫理を支えている。日本にはそれらしき強い縛りを持つ宗教が見当たらない、なのにどうして清廉潔白なのか、ってことでしょうね。ボクは明治の役人が汚職や収賄が少なかったなんてとてもじゃないけど思いませんが、精神的な規範として武士道的なものがあったと仮定してもいいんじゃないかな。

 

 もはやボクたちは長い刃物を腰にぶら下げていないので、そんな武士道にかわるものとして、ボクたちの心の中に正義を確立し、それを大切にしていかない限り、社会は簡単に逆戻りしていきます。つまり、幸せからどんどん遠ざかることになるんですよ。それをなぜ学校でしつこいほどに教えないのか、ホント不思議でならないのです。

 

 なお、明日からスイス出張なのでブログは休止させていただき、3月29日から再開する予定です。ただ、今回は特別なルートで向かうので、面白いことがあれば旅先でアップするので、たまにはチェックしてみてください。

 

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2018年3月16日 (金)

ここではないどこか

 

 昨日の続きになりますが、例年の海外出張で楽しみなのは、行きと帰りの機内です。むしろ、それだけといっても過言ではありません。ボクにとっては。

 

 日本からスイスに行くには、直行便もありますが、あまり利用したことはありません。せいぜい2〜3回かな。ヨーロッパ各地での乗り換えがほとんどですが、どんなルートにしても、日本から1112時間ほどかかるので、その間はずっと機内で過ごすということになるわけですね。

 

 経由地に到着したら、乗り換えでアタフタ、目的地の空港ではタクシー探しでドサクサ。やっとホテルに着いたらパスポートを出してソソクサと宿泊カードに住所なんかを書き込み、室内に入れたら荷ほどきをガソゴソとやって、明日の取材の準備。この段階になると完全にオンビジネスなので、眠っていてもそれなりの緊張感があります。翌日からの仕事となればなおさらじゃないですか。

 

 というわけで、海外出張で完全にリラックスできるのは往路と帰路の飛行機の中だけなんですよね。ケータイも切らなきゃいけないし、ネットもダメですから、完全に情報隔離状態。それを12時間ほども続けられるなんて、いまどき飛行機の中しかあり得ないじゃないですか。もちろん電話できる飛行機があり、そろそろ国際便でもネット接続が可能になりそうな気配ですけど、ボクにとっては余計なお世話なんだよなぁ。そんなにも多忙なVIPではありませんが、いちいちメールをチェックするとか、いつケータイがブルブルするかも知れないと思い続けること自体に負担を感じませんか。

 

 そりゃね、最初の頃は不安でした。何かがどこかで起きているかも知れないのに連絡を受けられない。映画や音楽などのエンタティンメントがあるといっても、テレビの画面は小さく、音楽も好きなプログラムを期待するほうが無理ってものです。そのあたりの何もなさ具合がね、近頃は好きになってきたのです。かつては文庫本を何冊も持ち込んで片端から読破したこともありますが、今ではイヤフォンを耳の穴に突っ込んでボーッと聴いているだけ。それでも過去のいろいろな出来事がアタマの中で再現されたりするので、退屈することもありません。眠りたければ寝りゃいいだけで、それを妨げるものは何もないという状態がいいんですよね。

 

 こういうことが楽しみになってきたというのは、やはり老化なのか、それともある種の成熟なのでしょうか。ただ、毎日のように報道される政界並びに行政のスキャンダルから、薄汚い腐臭がものすごく鼻につくようになってきたのです。権力を利用した強烈な我欲に触れると、ボクは怒りの次に心がへこたれてしまうんだよな。高貴な精神の者だけが最高権力の座にいて欲しいのに、世の中は真逆といっていい。だったら「ここではないどこか」に行ってしまいたい。そのひとつが長距離便の機内ということなのでしょうか。

 

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2018年3月15日 (木)

カバンと荷物の意外な関係

 

 来週は恒例のスイス出張なので、そろそろ準備を始めています。忘れ物というのは後になってから気づくので、前にもご紹介したように「あ、あれもいる、これも必要だよな」という感じでホイホイと1週間くらい前からスーツケースに放り込んでいくのがボクの習慣です。まとめて短時間に荷造りするよりも、ケアレスで忘れ物が発生する比率をかなり低く抑えられると思います。

 

 ただね、それによって、ものすごい法則を発見してしまったのです。

 

 その前の予備知識として、ボクはリモワのジュラルミンケースを愛用してきました。21世紀になったばかりの頃に購入したので、相当に年季が入っており、ヘコんだ箇所を叩いて修復してもらったことも3回ほどあります。ただ、このカバンは決して大きくなく、1週間レベルの出張ともなると相当に小さい。にもかかわらず、このサイズを購入したのは確固たる理由に基づいていますが、本題とは関係ないので端折ります。とにかく、その大きさではスーツやジャケットの収納にも限度があるので、別にガーメントバッグを持参するようになりました。

 

 けれども、小さいくせに重いリモワとガーメントバッグ、それに手持ちのカバンを携行するのは結構ハードなんですよね。そこで、2年ほど前に思い切って大型のスーツケースを購入しました。これなら荷物を機内預けに1本化でき、あとは手持ちカバンにキャリーを付ければ特段の負荷なしで空港内を楽に移動できるじゃないですか。

 

 そのスーツケースに初めて荷物を入れようとした時は、ホントに感動しました。おおおおおおお、これだけ入れてもガラ空きじゃないかと。それに比べたらリモワの何と小さいことか。よくまぁあんなカバンで2週間近い海外出張をこなしたこともあるもんだと、自分で自分を褒めてやりたくなったくらいです。

 

 ところが、ですね、このスーツケースを2~3回ほど使っているうちに、再び小さく感じるようになってきたのです。出張期間は昔よりぐっと短縮され、今回も1週間プラスアルファ程度ですから、荷物がそんなに増える理由はないはずです。にもかかわらず、小さく感じてしまうのはなぜでしょうか。

 

 しばらく考えてみて、原因がハタと分かりました。つまりですね、入れることができるから、入れる荷物も無意識に増えてきたのです。たとえば「バックアップとしてワイシャツをもう1枚入れておくと安心かな」とかね。ギリギリカツカツで荷造りしていた頃は考えもしなかった荷物が増大してきたらしい。そりゃまぁね、ないよりはあったほうがいいんじゃないの、という荷物がスーツケースの内部をどんどん占めるようになり、相対的に小さく感じるようになったわけですな。

 

 これってパーキンソンの法則に似ていますよね。役人の数は仕事の量に関係なく一方的に増加するというアレです。そこでボクが発見した法則をまとめれば、下記のようになります。

 

 出張時の荷物の量は、旅程や業務にはまったく関係なく、カバンの大きさに比例してひたすら増加する。

 

 このスーツケースを買う時に、もうワンサイズ大きなものにしようかと死ぬほど悩んだのですが、もしそれを選んだところで、余計な荷物がそれだけ増えただけのことでしょうね。

 

 うーん、いろいろと深く考え込んでしまう、貴重な法則ではありませんか。

 

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2018年3月14日 (水)

体育会系ブラスバンド

 

 またまた浅草HUBに行ってきました。知る人ぞ知る、というより知らない人の方が圧倒的な大多数ではないかと思われるVideobrotherが出演していたからです。

 

 ボクは軽快で都会的なスウィングジャズが大好きなのですが、とりわけブラスが揃ったサウンドになぜか心ひかれるんですよね。このバンドはサキソフォンが3本にトランペットとトロンボーンでブラスが合計5本。加えてエレキギターにエレキベース、それにドラムスという盛り沢山の編成です。それだけで何だか賑やかそうな感じがするので、つい試しにということで行ってみたわけです。

 でね、まさにその通りで、ものすごく元気が良い演奏だったのであります。すぐにボクは東京スカパラダイスオーケストラを思い出しました。

 

 5本の管楽器がぶわんと一斉にハモる時のド迫力って、分かりますかねぇ。3本のサキソフォンがメロディを重奏。トロンボーンが低い音でアレンジを加える一方で、トランペットの高音が軽々と空中を飛んでいく。エレキギターもベースもいい雰囲気でサウンドを支えており、ドラムも結構イケていました。ボクはジャズを聞き始めたばかりの素人ですけど、とにかくノリがメチャクチャにいいんだよな。「体育会系ブラスバンド」といえば雰囲気が伝わるでしょうか。

 

 惜しむらくは、ただ1点だけ。どの曲もよく似ているのです。「あれ? さっきやらなかったっけ」と思うことがしばしば。しかもスローなテンポはただ1曲だけだったので、メリハリにはかなり乏しい。このあたりを工夫すれば、もっとファンが増えるんじゃないかな。

 

 それでもアンコールの声が嵐のようで(ちょっと盛りすぎかな)、オマケで2曲も演奏してくれました。今後の活躍を心から祈念したいバンドです。参考までにミュージックチャージは入れ替えなしで1000円ぽっきり。これだから銀座がちょっと縁遠くなったのでありますよ。

 

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2018年3月13日 (火)

精神的独裁

 

 2007年9月12日午後2時に安倍晋三首相は記者会見を行い、「内閣総理大臣及び自由民主党総裁を辞する」と発表しました。その翌日には慶應義塾大学病院に緊急入院。当時は胃腸機能障害とされましたが、のちに17歳の時に抱えた持病の潰瘍性大腸炎であったことを週刊誌のインタビューで自ら明かしています。

 

 ここからはボクの想像に過ぎないので念のため。

 政界の事情なんて知ったことではありませんが、一度はのぼりつめた最高権力の座から心ならずも滑り落ちた彼は、もはや政治家として終わったも同然と見なされたのではないでしょうか。それまでチヤホヤしていた連中は蜘蛛の子を散らすように(見たことありませんけど)いなくなったんじゃないかな。佐藤栄作元首相をはじめとして、そうそうたる政界の実力者を親族に持ち、父親も病死さえしなければ総理になったはずの安倍晋太郎。そんな彼にとっては、おそらく初めての衝撃的な挫折ではなかったでしょうか。

 

 こういう時には、逃げる人も沢山いますが、近寄って来る人もいます。あくまでも憶測ですが、いわゆる「お友達内閣」的な雰囲気はこの頃から醸されたんじゃないかなぁ。

 魑魅魍魎が跋扈する(ワープロがあって良かったぁ)政界にあっても、お坊ちゃん育ちの彼はそれなりに人間を信頼していたと思うのです。ところが辞任後は、人間なんて権力と利益に群がるだけで、理想なんてものには鼻も引っかけないことがよーく分かった。そして、この世の中には自分が信じられる人間と信頼に値しない人間の2種類しかいないと痛感したのではないでしょうか。

 

 しかしながら、権力を失ってどん底に墜ちた人間に近寄るのは、友情や信頼や共感や同情があるからだけじゃないんですよね。もしかして復活すればという、イヤらしい欲得を腹に隠して仲良くなる人もいるわけです。このブログで以前書いたように、これはコストパフォーマンスが極めて高い投資方法なのです。すでに権力を持った奴に後から寄ってたかるのは、株式の銘柄が高騰した後に買うようなもので、それからさらに上がったとしても少しばかりの差額しか利益になりません。それよりも、何かのスキャンダルでたまたま暴落した有名銘柄を底値のうちに買ったほうが莫大な利益が得られるじゃないですか。

 誰だって分かる簡単なことでも、そうした品格に欠けた下心を隠して人に近寄ることはなかなかできないものです。ところが、そうした良心をまるきり持っていない人もいるわけでね。そんな連中ばかりではないにしても、そうした人間がいることは間違いのない事実だと思います。

 

 そして2012年12月26日。彼は再び内閣総理大臣に選出され、劇的な復活を果たしました。そうなったら、世の中にいる2種類の人間のうちで信じられるほうだけを重職に起用するのは当然でしょう。政治家も官僚にしても、信じられる奴と信じられない奴に分けて、一方だけを重用していく。巷間伝えられる「お友達内閣」がこのようにして成立すれば、いつしか周囲の人間も彼の意向を深読みして先回りすることになります。誰だって疎んぜられたり左遷されるのはイヤですからね。首相の座にありながら、国会であれほど聞きづらい不規則発言を繰り返す人ですから、その内部にいれば誰だって「忖度」するようになりますってば。

 

 そんな経緯から、前代未聞ともいえる公文書の改ざんが行われたのではないかとボクは考えています。ちょうど折しも隣の大国では憲法を改訂。国家主席の任期が撤廃され、独裁も可能になったようです。その意味では、日本的ともいえそうな精神的な独裁が今回のスキャンダルをもたらしたのではないかと。もちろん義憤は禁じ得ませんが、そうなった背景や心情は何となく分かるような気もするんですよね。

 

 だからこそ、リーダーの孤独を救うのは人間関係では決してなく、確固たる理想にほかならないとボクは何度も書いてきました。それが「美しい国」であっても何ら悪いことではありませんが、民主主義に基づく社会正義の枠組みを崩すことは単なる逆戻りに過ぎないので、それを理想とは呼ばないんじゃないかな。

 

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2018年3月12日 (月)

『プカプカ』

 

オレのあん娘はたばこが好きで

いつもプカプカプカ

身体に悪いからやめなって言っても

いつもプカプカプカ

 

 ボクにとっても先史時代というか、しかも一般的な歌謡曲でなくてアンダーグラウンド方面の歌なので、この『プカプカ』という歌を「ああ、あれか」とすぐに思い出せる人は少なくなったでしょうね。俳優の桃井かおりや原田芳雄が若い頃に好んで歌っていたといえば、何となく時代感覚が想像できるのではないでしょうか。

 

 でね、次のサビがものすごく良くできているのです。

 

遠い空から降ってくるっていう

幸せってやつが あたいにわかるまで

あたいたばこをやめないわ

プカプカプカプカプカ

 

 これを書き写しているだけで、ちょっと胸がね、熱くなったような気がします。歌詞というのは、こうでなきゃいけません。「あたい」の男運は最低最悪で、いかに幸福から縁遠い寂しい生活を過ごしてきたかってことが、誰だって一発で分かるではありませんか。

 ブルースっぽくダルい雰囲気で歌えるメロディも歌詞にぴたりと合っていたせいか、後に様々な人たちが愛唱してきましたが、初めてシングルレコードになったのは1971年7月。うっひゃー、半世紀近くも前になります。60年代末に結成されたフォークグループの「ザ・ディラン」から西岡恭蔵(シンガーソングライター、1948~99年)が抜けて2人組となった「ザ・ディランⅡ」の大塚まさじ(1950年~)が歌いました。作詞作曲は象狂象となっていますが、これは西岡恭蔵のペンネームで、やはり同年に発表された彼のファーストアルバムに『プカプカ』を収録しています。

 

 ここまではお約束のディスコグラフィですが、この歌にはモデルがあります。ボクの世代はまるきり知りませんが、安田南という伝説的なジャズ・シンガーに捧げた歌らしいんですよね。「TAP the POP」というウェブサイトに彼女の写真が載っています。決して美人とはいえませんが、それだけにものすごい存在感がある女性のようです。

 このウェブサイトによれば、彼女はエッセイで「円熟した、などとは死んでも言われたくない」と書きました。そして、78年にパーソナリティを務めていたラジオ番組を無断でドタキャン。それから二度と表舞台に姿を見せることがなかったそうです。

 

オレのあん娘はスウィングが好きで、

いつもドゥビドゥビドゥー

ヘタクソな歌はやめなっていっても

いつもドゥビドゥビドゥー

 

 余計なコメントかも知れませんが、この次のサビのフレーズがやっぱり泣かせるんだよなぁ。

 

あんたがあたいのどうでもいい歌を

涙ながしてわかってくれるまで

あたい歌はやめないわ

ドゥドゥビドゥビドゥビドゥー

 

 ボクが若い頃にとりわけ深く感動したのは3番のサビであります。

 

あんたがあたいの寝た男たちと

夜が明けるまでお酒のめるまで

あたい男をやめないわ

HuHuHu HuHuHuHuHu

 

 ま、つまり、そういう女性を歌っているわけで、「チンケな嫉妬でグジグジ悩んでんじゃねぇよ!」と叱られたような気がしたのであります。

 

 最後の4番の歌詞はトランプを「スタスタ」となります。

 

あんたとあたいの死ねる時わかるまで

あたい占いやめないわ

トランプ スタスタスタ

 

 ほらね、実に完成度の高い歌詞であり、別れそうになったり、再び強く抱き合ったりという短いドラマになっているではありませんか。「あたい」が「あんた」に寄せている優しい気持ちもホントによく分かります。こういう女性を実はボクは求めていたのでしょうか。

 

 久しぶりに新宿三丁目の「どん底」に行ってみたいけど、あの頃のように飲んだくれるほど酒を飲めないのが悲しいなぁ。

 

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2018年3月 9日 (金)

レガヤシニテッカ

 

 ポリネシア諸島のドーナテンダ族に古くから伝わる「レガヤシニテッカ」という言葉があります。まだ神々が人間と直接的に交流していた大昔に、あまりにも自分勝手な振る舞いに呆れ果て、大海原に響き渡る大音声で一喝して天界に帰った時の言葉だそうです。何てね、昨日のブログを読んだ人にはバレバレですけど、カッテニシヤガレ=勝手にしやがれ、の逆読みでございます。

 

 貧すれば鈍するというのか、「勝手にしやがれ」と嘆きたくなる不愉快なことが最近は目立つんですよね。森友問題で釈明するどころか、アメリカの大統領を真似て某新聞社の報道を「フェイク」もどきに批判する首相は、恥ということを知らないのかなぁ。国会であんなに不規則発言を繰り返す首相も珍しいと思いますよ。ものすごーくご立派なご親族を持っているにもかかわらず、どうして人品骨柄があれほど洗練されていないのか不思議でなりません。見るからに高級そうなオーダースーツを着用されているんですけどね。

 

 卑近なところでは、このブログで何度も何度も何度も書いたことですが、相変わらずエスカレータを駆け上り&駆け下りる奴が多いんですよね。それを注意するポスターも掲示されているように、舗道を傍若無人に走り抜ける自転車と同じくらい危険なことにそろそろ気付けよ。ヒジが軽く当たっただけで、周囲の人たちもろとも下まで転がり落ちて大怪我しかねないことを想像できないのかなぁ。そうした悲惨極まりない大事故が起きるまでやめないというのは、アホとしか言いようがありません。The answer is blowin' in the wind.

 

 何にせよ焦ったり急いだりというのはエレガントな所作ではあり得ないので、その行動主体が美しく格好良く見えるなんてことは絶対的にあり得ないわけですよ。

 

 今朝のスポーツニュースでたまたまイチローが言っていたのでちょっと彼を見直しましたが、「泰然」という余裕こそがエレガントの本質じゃないかな。

 

 そんなわけで週末にもかかわらずムカムカムカムカと胸がムカついており、「レガヤシニテッカ!」。神様が人間を見捨てて地球からいなくなった理由もよく分かります。宇宙のどこかにいるのかな。キリスト教やイスラム圏ではそのへんをどのように解釈しているのでしょうか。信じろっていうなら、堂々と出てこいや。

 

 えーと本日は心ならずも八つ当たりみたいになり、最後は畏れ多くも神様に至ってしまいました。人間ってのは何だろね、いったい。。。。。

 

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2018年3月 8日 (木)

ダイセンジガケダラナヨサ

 

 「ダイセンジガケダラナヨサ」っていうオマジナイを知っていますか? 何かの拍子に怪我をして痛くて痛くてしょうがない時に「あっちいけー」という、なんて嘘ですぴょん。これは逆さまに読むのが正解でありまして、つまり「サヨナラダケガジンセイダ」であり、「さよならだけが人生だ」ということです。

 

 まだ20代始めだった頃のボクのマジックワードでありまして、最愛の女性と心ならずも別れた時から、いつも心の中で呟いていました。「ダイセンジガケダラナヨサ」と何度唱えても彼女が戻ってきたり、新しい人生が拓けるわけではありません。ただ、夕陽を見ながら安酒を飲んだくれて、ひとり孤独にひたる時には実に良く似合うオマジナイなんですよね。

 

 この言葉を発明したのは、歌人、劇作家であり、1960〜70年代に演劇分野を中心に幅広く活躍した寺山修司(1935〜83年)です。『書を捨てよ、町に出よう』(1967年)なんか有名ですよね。彼が劇団「天井桟敷」で見出したエキゾチックな雰囲気を持つ少女、カルメン・マキが歌手としてデビューした時に「だいせんじがけだらなよさ」という歌詞を贈ったといわれています。これに伊藤康英が作曲して、1968年に発表されたファーストアルバム『カルメン・マキ真夜中詩集 ろうそくが消えるまで』に収録されました。このアルバムでは『さよならだけが人生だ』という歌もセットになっているので、さすがに「だいせんじ……」だけでは意味が分からん、となったかもしれません。

 

 話はそれで終わりではなく、この「さよならだけが人生だ」には原典があって、唐代の詩人である于武陵(うぶりょう)の五言絶句「勧酒」がオリジナルとされています。その風情ある詩を井伏鱒二が「花に嵐のたとえもあるぞ、さよならだけが人生だ」と意訳。それを寺山修司が逆さまにしてしまったという経緯になります。

 

 何もわざわざひっくり返さなくてもいいだろうと思うのですが、それこそが寺山修司の遊び心なんでしょうね。ストレートに言ってしまうのは何だか気恥ずかしいじゃないかという知的な含羞も感じさせます。

 

 そんな映画『スター・ウォーズ』並みのロングロングアゴーな話を最近になって思い出したのは(ルー大柴かよ)、実は似たようなことがあったからでありまして、というのは70%ほど冗談ですが(意味不明)、とにかく「だいせんじーがけだらなよさ」というフレーズがね、メロディとともに記憶の底からポッコリと浮かんできたのです。

 

 確かにね、1人で生まれて1人で死んでいかなければならない人間は、いかに永遠の愛を誓った伴侶にしても、いつかは「さよならだけが人生だ」となる時がやってきます。人間だけでなくペットも同じでね。人は時間という檻の虜囚という解釈もありますが、ボクはそれぞれの終わりに向けて一方的に流れる時間を歩む旅人だと考えております。つまり人間の出会いなんて、所詮はすれ違うだけのことであって、やがて必ず別れなければならない。

 

 そんなことは誰だって分かっているけど、どうしたってそれに抗うことなんてできません。でも、せめて言葉を逆さまにすることくらいはできるから、「ダイセンジガケダラナヨサ」。こういう心情が理解できない人とはあまり付き合いたくないなぁ。

 

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2018年3月 7日 (水)

宝塚『ポーの一族』

 

 女性専用車に間違って乗り込んだ男みたいなものですが、またまた宝塚に行ってきました。しかも演目は人気沸騰の『ポーの一族』。日本経済新聞の夕刊にも大変に好意的な劇評が掲載されていたので驚きました。

 

 ボクは女性漫画の細い描線と過度に誇張された眼、それにややこしい髪型があまり好きではないので、申し訳ないのですが萩尾望都の原作は読んでいません。男の作家の漫画は、人物や背景のエッジを太く描くほか、スクリーントーンも多用するので黒っぽくなるのですが、それに比べてどうも白っぽくてメリハリが乏しい気がするのです。それが流儀といえば、きっとそうなんでしょうけどね。

 

 それでも事前にチラリとオリジナルの漫画を見せてもらいましたが、あたかもそこから皆さんが抜け出てきたような舞台でした。中でも明日海りおが演ずる主役のエドガーは、ブルーのカラーコンタクトも効果を発揮して、思わず息を呑むほどの美少年なんですよね。ボクはそちらのほうの趣味はありませんが(どっちだよ?)、女性の皆さんが熱狂する気持ちは分かるような気がします。宝塚はまだ2回目のビギナーですが、クセになるのも不思議ではないと実感いたしました。

 

 ネットでもいろいろ紹介されているので、ストーリーは省略します。よく練られた展開になっており、原作を知らないボクでも十分に理解できました。夢のような華やかさだけでなく、永遠に生き続けなければならないバンパネラ(吸血鬼)の孤独と哀しみが確かに伝わってきて、奥ゆきのある舞台になっていたと思います。バンパネラであろうが人は人を求めずにはいられない。ボーイズラブの妖しい雰囲気も漂わせながら、エドガーはアランと出会い、やがて2人で時を旅していくことになる。ギムナジウムで2人が客席を振り返るエンディングは象徴的で、続編すら予感させるものでした。

 

 今回はレビューなんか不要だと思わせるほど感動的な仕上がりでしたが、それでもあれはお約束なんでしょうね。目も眩むようなコスチュームで埋め尽くされた舞台は、やはり圧巻の一語というほかありません。

 

 それからコリドー街の蕎麦&居酒屋で食事をしましたが、大変に充実した午後を過ごさせていただきました。女性にとっては、それこそ女性専用車のように男なんて入場禁止にしたいかもしれませんが、また行きたいなぁと思っております。

 

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2018年3月 6日 (火)

悲しい時

 

 ちょっと前のブログで、連休はインフルエンザもどきで微熱を出して寝込んでいたとご報告しました。悪寒に苦しみながらも、どういうわけだか腹はしっかりと減るんですよね。そんな時に、あれを食べたいなぁと思い出したのが、マクドナルドのフィレオフィシュです。

 

 ボクはハンバーガーよりこっちのほうが「こんな旨いものをかつて食べたことがない」という原初的な感動がありました。ただ、一般的なハンバーガーに比べて、すっごく高いんですよね。値段は時々変わるようですが、ボクの記憶では370円。松屋に行けば400円で味噌汁付きの充実した朝定食をいただけます。このため、フィレオフィッシュを買いに行くつもりで外出して、つい松屋のほうに入ってしまった、なんてことは結構あります。

 

 それでも猛烈に食べたい時があって、その朝も微熱ながら、あの薄い茶色でふわふわのバンズと、カリカリに揚げられた白身の魚肉をイメージしてしまったのです。ベッドの中からエンヤコラと起き出して、着替えながらも「アラスカ産のスケソウダラだもんな、高いのは仕方ないよね」と自分に言い聞かせていました。我ながら実にセコいですな。

 

 やっとマンションの外に出たら、ものすごい厳寒じゃないですか。その中を駅近くのマクドナルドに向かったのであります。ここは人手不足のせいか、気が付いたら店員は外国人ばかりで日本人は見当たりません。ボクは移民排斥のトランプじゃないので、そのこと自体に何の不満もないんですけどね。「フィレオフィッシュひとつ。単品でテイクアウト」と淡々と注文。自宅にコーヒーメーカーがあるので、ほかに注文する必要がないのです。

 

 しばらくすると薄いブルーの四角いパッケージが出てきて、店員がそれを茶色の袋に入れると一丁上がり。帰宅してさっそく、まだまだホカホカのバンズを口に入れてガブリと噛むと、いつもの食感がなく、スカスカなんですよね。

 

 あれ? ということでバンズを開けたてみたら、なななななななななななな何と中身がないではありませんか。つまり、そこに挟まっているべきフィレオフィッシュが見当たらないのです。あるのは白いマヨネーズのグジュグジュばっかり。どう探しても、というよりひと目見りゃ分かりますってば。

 いつもなら文句を言いに行くところですが、すでに説明したように微熱でそんな体力も気力もありません。それに店頭ならともかく、テイクアウトでひと噛みした後ですから、最初からフィレオフィッシュが入っていなかったという証明も困難じゃないですか。この時は、わざわざ店まで行って状況を説明してもう1回という労力よりも、寝ていたほうがボクにとってはコストパフォーマンスが高いと判断しました。

 

 そんなわけで、「あの店には2度と行くもんか」という決意を固めながらも、「なんでオレだけこんな酷い目にあうのかなぁ」と深い溜息を吐いたのであります。そういえば「悲しいときぃ~」でギャグを始める漫才コンビがいました。「フィレオフィッシュを買ったら中身がなくてバンズだけだった時」というエピソードを足しといて欲しいなぁ。腹が立つというより、本当に寂しく孤独に感じて、涙が出そうになったんですから。

 

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2018年3月 5日 (月)

2次試験

 

 京都大学といえば、東京大学と並ぶ日本を代表する国立大学なのに、2次の入学試験で昨年に続いて今年も派手な出題ミスがあったようです。受験生は怒り心頭でしょうが、ボクはまったく違う視点からアホちゃうかと。

 いえね、入試の出題ミスなんてことは、発覚しないまでもあちこちで起きていると思うんですよ。答が1つだけでなく、実は2つあったなんてことはボクが若い頃もありましたから。

 どうかしているんじゃないかと感じるのは、2次試験そのもののあり方なのです。センター試験で基礎学力を判定し、その得点に基づいて2段階選抜(いわゆる足切り)もやっているはずなのに、なんでまたもう1回、学力試験を課すのでしょうか。ご丁寧にも受験生は2回もペーパーテストによる学力試験を受けなきゃいけないんですよ。こんなアホなことを毎年やっていれば、そりゃミスも出ますわな。

 センター試験は例年50万人以上が受験しますから、問題作成などでそこそこの人数の専門家がかかわり、出題精度も厳しくチェックされているはずです。一方、京都大学は2段階選抜を経た全受験者は8000人程度ですが、それでも1大学で入試を担当できる人員なんてタカが知れているじゃないですか。人数だけでなく質=能力的にも限られている条件のもとで、レベルは異なるといっても、センター試験と同じ学力試験をどうして繰り返さなきゃいけないのでしょうか。

 これを解決する方法は実に簡単で、2次試験を小論文や面接など人物重視のAOにするとか、ペーパーによる学力試験とは異なる選抜方法にすればいいのです。たとえば「ニールス・ボーアの革新性を現代社会の視点から述べよ」とか「これから大学で勉強したいことは何かを具体的な計画付きで説明してください」とでもすりゃいい。受験者が多すぎて判定・評価に時間がかかるというなら、センター試験直後に新聞などで課題を発表しておく。こんなものにカンニングなんて不可能ですから、2月アタマを締め切りにすれば、1か月ほどをかけて審査できるではありませんか。でもって面接で、その小論文が本当にその受験者が書いたものかどうかをチェックすればいいのです。そいつが本当に書いたかどうかなんて、ちょっとした質問だけで分かりますってば。

 あるいはボール投げや水泳など「現代5種競技」(ボクの造語です)を設定して、距離やタイムなどで選抜する。頭脳も筋肉と同じ身体の一部ですから、体育大学のように、その強さだって入学判定基準にしておかしいことはないはずです。

 再度指摘しますが、学力評価はもうセンター試験でやっているんだから、2次試験は別のことをやれよ、ってことなのです。アメリカにもSATまたはACTという大学入学のための学力試験はありますが、ハーバードやコロンビアといった上位大学でも個別審査は日本でいうところのAOですもんね。もう1回大学で個別の学力試験を一斉にやるなんて聞いたことがありません。

 日本はアメリカが大好きで、何でも言われるままに追従してきたのに、高速道路を無料化するとか地方分権(州制度)にしちゃうといった、ボクたちにとって便利なことはまるで真似しないんだよな。国立大学の2次試験も同じで、学力試験をもう1回やるなら、出題ミスを完全に避けるのは構造的に不可能です。

 にもかかわらず、前述したユニークな個別審査ができない理由は明らかです。国立大学は国が作った大学なので、固有の建学理念はありませんから、それに基づく人物選抜の基準を設定しにくいからなんですよね。たとえば、前述した「現代5種競技」による2次試験は、「健全な肉体に健全な頭脳は宿れかし(宿ったらいいなぁ)」という理念がなければ単なる思いつきです。もっといえば「水泳で金メダルが獲れるような医者を育成する」という分かりやすい目標があって初めて、それに賛同する受験生が集まるということです。これこそ2次試験らしいじゃないですか。

 では、京都大学は何をもってどんな2次試験をやればいいのか。そんなもん、ボクに言わせれば超簡単なことで、要するに「ノーベル賞が獲れる人材を選抜する」ということです。だったら「あなたはどんなことでノーベル賞を目指しますか」を小論文にして、有望なアイデアを出した受験生を入学させればいい。もちろん全員が取れるはずはないにしても、それなりに創造性がある学生に絞ることは可能です。

 こういうことを入学試験でやらなければ、いつまでたっても革新的な創造性を育成することはできないでしょう。日本が「アメリカに追いつけ追い越せ」の時代なら、学力試験で判定可能な「想像性」だけで十分でした。でも今は日本の前を行く国は見当たりません。だったらさ、道なきところに道を拓く創造力が何よりも重要なことじゃないかな。

 学力試験で判定できる知識や公式なんて、もはやスマホでいくらだって調べられるじゃないですか。どうやってもカンニングはできない入学試験をクリエイトするのが、こんにちの大学に求められている創造性だとボクは思うのです。

 

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2018年3月 2日 (金)

オジサンたち(後)

 

 さて、ニッポンのオジサンたちをカッコ悪くしているのではないか、という第2の理由であります。あくまでもボクだけの仮説に過ぎないので、あまり目を吊り上げないようにしていただきたいのですが、昨日に予告したように、原因はどうも奥様=ご夫人にあるような気がするんだなぁ。

 

 というのも、某百貨店の中に一時期行きつけだった服のリフォーム屋さんがあります。そこでボクの前に店員さんと打ち合わせしていた中高年のご夫人がいました。旦那様のジャケットを補修する相談らしいのですが、あれだといくら、こうするといくらなんて、実に細かいんですよね。何万円でなくて何千円でもなく、おそらく千数百円程度の違いにもかかわらず、ああこうだと随分長くこだわっているのです。おカネは大切だとボクも思いますが、その千鳥格子のジャケットをチラリと見てみると、相当に着古している感じなんですよね。何か深い事情や特別な執着があるのかも知れませんが、ボクは「どうして新しく買ってあげないんだろう」と訝しく感じたのです。

 

 そのリフォーム屋がある近辺は高級住宅街でございまして、件のご夫人もちゃんとした服を着られています。ボクなんかより絶対的にカネ持ちであるはずなのに、旦那の服はそれかいっ! という怒りに似たものを感じたくらいです。

 

 それでね、つくづく考えてみたのですが、結婚した男は半分くらい冗談で、ということは半分くらい本気で「釣った魚にエサはやらない」なんてことを言います。とすれば、ご夫人のほうも、実は同じようなことを考えているのではないでしょうか。

 

 少なくとも、浮気につながりかねないようなオシャレな服装を亭主にさせるはずがないと気づいたのであります。「亭主元気で留守がいい」だけでなく「服なんて汚れてなければいい」とは言わないまでも、絶対に浮気を誘発するものであってはならないと決めているような気もします。

 

 そうでも考えないと、オジサンたちのあまりにもテキトーな服装が理解できないんですよね。利害関係的にも、旦那が格好良くなって女の子たちにモテると不愉快になるのは奥様ですもんね。それに女性はおしなべて優しいわけではないというのが、ボクの信念でもあります。特定の狭い範囲に対して献身的なほどの優しさをみせるのに、それ以外にはかなり冷淡な振る舞いを平気でする。だから、あくまでたとえばですけど、子供に集中するようになると、ご亭主の関心が急速に薄れるということもあるのです。

 

 そんなわけで、ボクは宗教改革のカルヴァンのように、全国の亭主の皆様に、奥様の呪縛からの解放を訴えたいわけであります。たとえば突然にスーツにポケットチーフを挿すようになると、「そんなにいいカッコしてどうすんのよ」と詰問されるに違いありません。そんな時には「これは女の子にモテるためじゃないんだ。自分のためにするオシャレってことは女性にもあるよね」と言い訳していただきたい。

 

 けれども、こうするともしかしてモテるかもしれないなぁ、あるいはちょっとでもモテたいなぁと努力すると、本当にカッコ良くなるものです。でね、晴れてそうなった時には、会社の若い女の子ではなく、奥様と一緒に素敵なレストランやコンサートなんかに出かけましょうよ。だから「お前にもっとモテたいからオシャレするんだよ」なんてキザなことを言ってもいい。そんな関係を作れるようになって初めて、ニッポンのオジサンたちは心からカッコ良くなるとボクは思うのですが、いかがでしょうか。

 

 全国の奥様には、ボクの勝手な推測並びに憶測を心からお詫びいたします。

 

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2018年3月 1日 (木)

オジサンたち(前)

 

 こんなことを言えばきっと嫌われるだろうけど、ニッポンのオジサンたちをカッコ悪くしているのは、大きく2つの理由があると思います。最近はカッコいいオジサンも少なくないようですが、ここではカッコ悪い方にフォーカスした意見だとご理解ください。

 

 まずもって第一に、すでにこのブログで何度も指摘しましたが、服屋の店員さんがあまりにも不勉強ということです。典型的なのは、やたらにオーバーサイズをススメるだけでなく、袖や裾をギリギリまで詰めるのを嫌がる。

 おかげで、どこかのレンタル屋で慌てて借りてきた服のようにダボダボですもんね。実際にボクは、これまでに5着のジャケットの袖と、2本のズボンの裾を詰め直しました。ジャケットが長すぎて、袖からシャツがまるで出ないんだから仕方ないじゃないですか。ズボンの裾だって袴じゃないんですからね。

 

 それもこれも、服を売るほうが常識を知らなかったとしか考えられないのです。新卒学生の就活で世界的には非常識なブラックスーツが普及してしまったのも、それが理由だと指摘する人がいます。加えてボク自身も、ファッションにこだわるなんて男らしくないと思っていましたからね。そうなると店員さんに言われるがままですから、「こんなもんかな」「こんなもんですよ」と、お互いに言い合っていたわけです。

 

 ところが服屋の店員さんは、ボクの体験に従えば、ファッションに関する専門的で体系的な勉強をしていないんだよな。定着率も低いみたい。ボクもそれなりに関係知識を調べてみてようやく分かったのですが、ファッションの本質は感性=センスなんかではなくて、あくまでも理屈・理論なのであります。

 そりゃね、ハイファッションのデザイナーやファッションリーダーと目される人は独特の感覚でぶっ飛んだ格好をしたりします。しかし、ボクたちのような平民並びに庶民は、そんなことはそもそもできないじゃないですか。むしろ悪目立ちはできるだけ避けたい。

 

 であるなら、理屈・理論に基づいた常識に従うべきですよね。ここでは詳しく説明しませんが、たとえばネクタイの幅はラペル(襟)に合わせるというのは、バランス的に最も妥当な理論というほかありません。だってさ、細いラペルに幅広のネクタイなんて、今は亡き大橋巨泉じゃあるまいし、見た目にも落ち着きません。広いラペルに細いネクタイもアンバランスです。いずれそんな組み合わせが流行する時が来るかもしれませんが、ボクたちはその先頭を切るほどのセンスも勇気もないじゃないですか。だったら、やはり理論やルールを知っておくべきです。たとえば学校で勉強した反対色や同系色なんてことも、本当はすごく役に立つわけですよ。

 

 にもかかわらず、服屋の店員さんはどうにも不勉強だと痛感させられることがしばしばあります。某有名店でもサスペンダー(ブレイシーズ)にサイズがあることを知らない人がいたくらいですから。なのに「あなたは着用したことがありますか」と念を押すと「もちろん!」と強弁したので、二度とその店には行っていません。

 

 つまり、何の根拠もないのに、ファッションの店員であるというだけの理由で、自分のセンスと感覚が消費者より優位だと妄信しているわけです。なので「どうしてこれが?」「カッコいいじゃないですか」という論理不在の不毛な感覚的会話になったら、すぐに眉にツバをしてください。

 アウトレットやディスカウントや量販店やGMSだけでなく、ブランドショップやセレクトショップにしても、そんなことは珍しくないんですよね。

 

 けれども、前述したように、ファッションなんてものにこだわるのは男らしくないという伝統的な意見や気持ちがあるわけです。着ている服はカッコいいけど、中身はどうかねぇなんて誹られることはままあって、実際にそうだったりするので困ってしまいますが、ボクはある時期から、どんなことでもカッコ悪いよりカッコいいほうがいいに決まっていると思うようになりました。「ボロは着てても心は錦」(水前寺清子『いっぽんどっこの唄』)がカッコいいという人もいるでしょうけど、精神性が「どんな花より綺麗だぜ」なんて威張れる人はそうそういるものではありません。

 

 だったら、できればボロは避けて、心が錦になれるような格好をしたほうが良くはないですか。というわけで、ちゃんと納得できる理屈や理論を言えるスタッフがいる服屋さんを行きつけにしてくださいね、というのが今回の結論となります。

 

 オッサンたちをカッコ悪くしているもう1つの重大な理由は、あなたの奥さんなのですが、いよいよ嫌われそうなので明日にしましょう。

 

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