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福助くん その6

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    福助くん、9歳の秋です。 ちょっと長めの散歩をして、世田谷公園へ。 紅葉と福助をご覧くださいまし。

福助くん その5

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    2010年秋の福助くん。とある週末に埼玉県所沢市にある航空公園に行ってきました!

福助くん その4

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福助くん その3

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福助くん その2

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    平日は会社にいる福助。こんな感じの毎日です。

福助くん その1

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2018年5月

2018年5月31日 (木)

たった1人でも世界を変えられる

 

 捨て身になれば、たった1人でも世界は変えられる。

 

 これが今回のアメフト反則タックル事件でボクが感じたことです。アメリカンフットボールのルールなんて何も知らないので、コトの詳細は評論できませんが、少なくとも20歳の大学3年生が実名と顔出しの記者会見を行ったことで、世論はガラリと変わりました。彼の勇気にはつくづく感服せざるを得ません。そのおかげで責任の所在があぶり出され、クラブや大学の体質なども白日のもとに晒されることになりました。

 

 もしも彼があの記者会見をしなかったらと思うと、背筋がうすら寒くなってきます。個人的なラフプレイとして闇の中に葬られ、スポーツマンシップを捨てた卑怯な行為を強要される選手が何人も続くことになったはずです。それを身体と心を張って立派に食い止めた。ボクも含めて、大人たちは深く恥じ入るべきじゃないかなぁ。

 

 あのクラブの独裁的な支配体質は、おそらく関係者みんなが薄々にしても知っていたはずです。けれども、誰も注意や批判などしないで見過ごしてきた。大学はもちろん、関係団体だけでなく、テレビに出て偉そうなことを言っている評論家やコメンテイターも含めて、すべての大人は彼に対して責任を痛感し、頭を下げるべきだと思うのです。

 

 いずれにしても、戦前から続く精神論的な指導や暴力的な制裁をやめる時期がようやく到来したと感じざるを得ません。そんなもん、戦場で神風が吹くのを期待するほど非論理的で非科学的であり、もっと率直にいえば指導者が無能かつ不勉強極まりないという証拠じゃないですか。

 すでに帝京大学のラグビーや青山学院大学の駅伝では、これまでとは正反対の方法で輝かしい実績を積み重ねています。にもかかわらず、あのアメフト部はパワハラもどきの追い込みで選手の闘争心を鍛えてきたという。それで大学日本一になったというけれども、もともと優秀な選手が全国から集まっていたんですからね。

 

 ボクは旧世代に属するせいか、先輩諸氏からことあるごとに「世界は1人では変わらない」「社会はすぐには変わらない」と言われ続けてきました。生意気で性急だったからかな。それでもライターという仕事を通して、何とか変えたいと小さな努力を続けてきたつもりですが、まさに岩盤のような支配構造はどこにだってあるんですよね。ボクたちの心中にも同じものが存在します。おかげで近年は徒労感がものすごく強くなり、この国はしばらく変わらないと諦めていました。

 

 でもね、若者がたった1人でも社会を変えられるじゃないですか。

 ボクはどうやらジーサンたちによる自己保身のための嘘にコロリと騙されていたようです。これから組織や体制が本当に根本から改善されるかどうかは分かりませんよ。けれども、ボクたちの意識だけは確実に昨日とは違います。我慢できないほどの不合理や理不尽があれば、彼のように前に出て声を上げる人たちが続くんじゃないかな。そのことをオッサンだけでなく、奥の院に隠れて絶対に顔を見せないジーサンたちに知らしめただけでも、大きな功績ではないでしょうか。

 

 重ねて言いますが、1人でも革命は可能です。むしろ1人が勇気を持って始めない限り、誰もついてこないということを彼に教えられたのです。

 

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2018年5月30日 (水)

プロの条件

 

 ライブハウスで様々な演奏や歌を聴き慣れてくると、やはり上手というだけではダメなんだと分かってきます。早弾きなどのテクニックや声量や正しい音程なんていうのはあくまでも必要条件であって、それだけでは十分とはいえません。じゃ何が必要なんだよと問われて、これだと特定するのは大変に困難なのですが、みんなの心の中にある感情のスイッチをカチリと押すような何かといえるかもしれません。

 

 酒を飲んで酩酊した時と同じで、人によって泣き上戸、笑い上戸といったクセがあり、そうした感情をうまく刺激して引き出すってことかな。ボクに限っていえば、恋人への切ない想いで泣きそうになるのも好きだけど、楽しく身体を揺らすのも大好きです。

 

 そうした情動を動かそうとして、テクニックだけが暴走すると、しばしば逆効果になってしまいます。もちろん「オレってアタシってホラこんなに歌が上手でしょ」という自己満足は完全にアウト。プロと呼ばれる人たちは興味深くて、一般的な基準に照らせば決して上手とはいえないにもかかわらず、英語だってカタカナ発音なのに、滋味のような味わいがあって、ふんわりと馴染める歌手がいるんですよね。ジーサンが気まぐれに好きな唄を歌っているとしか思えないのに、だからこそ雰囲気が大変によろしいのです。もちろん全国的にヒットする可能性はほとんどありませんが、こういう歌手もボクは好きなんだよな。

 

 その一方で、卓越した技巧に感心しながら胸が躍るようにワクワクする演奏もあります。そうしたミュージシャンの共通した特長は、少しくらい間違えそうになっても慌てず動じない余裕ではないでしょうか。そのためにもテクニックは磨いておかなきゃいけない。それに加えて、プロフェッショナルとして必須なのは、手を替え品を替えて聴衆を楽しませようとするひたむきな努力かな。自分たちもそれが好きで楽しいってことも必須条件でしょうね。

 

 つまるところ、感動というのは対象との関係性の中にしかないので、当然のことながら独りよがりでは絶対にプロになれないってことなのです。この関係性は同時代に限らず、絵画のように時空を超えてボクたちを感動させる芸術や建築も珍しくありません。

 

 これは音楽に限らず、モノカキの文章もまったく同じです。だからライブハウスに行くたびに、ボクも同じように他人に心が伝わるような文章を書いているんだろうかと、帰宅する途中にオノレを深く顧みたりしちゃったりするんですよね。はぁ、日が暮れても道は果てしなく遠いなぁ。

 

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2018年5月29日 (火)

形あるものいつかは壊れる

 

 ボクの親父は戦前に尋常小学校を中退して鍛冶屋に修業に出されました。机を前にしてやる勉学は最低限しかやっていないはずなのですが、どこで覚えたのかヘンなことを知っていて、たまにボソリと呟くんですよね。

 

 オフクロが台所で洗い物をしている時に、洗剤で手が滑って茶碗を床に落として割ったことがあります。それを見ていた親父は恬淡として、「形あるものいつかは壊れる、ってな」と言いました。ボクは小学生くらいだったかな。そりゃまぁ確かにその通りなので、たまにはいいことを言うじゃないかと感心したことがあります。

 

 それから後年、平家物語の「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」という有名なフレーズを知り、どうやらこれが出典らしいと分かりました。驕れる者も久しからず、猛き者もついには滅びるなら、茶碗だって割れて砕け散って何の不思議があろうかと。

 

 ただねぇ、元気で強気な時ほど、権勢を持つ人ほど、それを忘れてしまうんですよね。ひょっとしたら現下の某首相もそうかもしれませんが、ボクなんかもお気に入りのジャケットを汚した時に「形あるものいつかは壊れる」なんて諦観を簡単には持てません。うわぁどうしようと慌てふためき、もはや取り返しのつかないことだけに、悔しさと自己嫌悪がないまぜになった不愉快な気分に陥ってしまいます。

 

 平家物語の諸行無常という壮大な世界観とはまるきり大違いですけど、そんな時に親父のごとく「形あるものいつかは壊れる」と唱えると、たちまち不快感は消えていく、ような気がするんだよな。

 いずれにしても、時間を戻すことができない限りは、クヨクヨすることに何の意義も意味もありません。親父からの口伝えがオリジンですが、今ではそういうことを思い出させてくれる、ボクのマジックワード=呪文になっています。「痛いの痛いの飛んでいけー」もなかなか素敵な文言ですけどね。

 

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2018年5月28日 (月)

『世界は日の出を待っている』

 

 先週のブログのエンディングで『世界は日の出を待っている』をチラリと紹介しましたが、このタイトルだけでも素晴らしいですよね。全国のアメフト関係者も、謎や疑問がすっかり解明されて、心機を一転して迎えられる日の出を切望しているのではないでしょうか。

 

 大晦日を意味するという人もいるようですが、それなら「夜明け」のほうがふさわしいんじゃないかと原題を調べてみたら、 “The World is Waiting for The Sunrise”。そのまんまの直訳でありました。

 

 ジャズのスタンダードナンバーとして知られており、実に数多くのミュージシャンがカバーしています。ボクが知ったのはベニー・グッドマンによるクラリネットをベースにした演奏ですが、とにかくノリが良くて、快適なテンポでスウィングできるメロディアスな名曲なので、身体が自然に揺れ動いてしまいます。

 

 ちなみに、クラリネットはトランペットのようにはじける強さがないかわりに、心がほっこりなごむ優しさと慈愛、その一方で気怠さも感じさせます。とりわけ夏の宵によく似合う楽器ではないでしょうか。午後からの暑さがまだ居残っている生温かな空気に、少しずつ夜の冷気が混じり始めた頃かな。そんな微妙な空気感をふんわりした音質で伝えてくれるんですよね。だから、ゆっくりと吹くスローバラードでは身体が沈み込むような気怠さを、アップテンポでは身体を優しく揺らしてくれる活力を感じさせるとボクは思います。でね、この後者が「世界は日の出を待っている」なのです。

 

 ウィキペディアで調べてみると、1918年にカナダのポピュラーソングとしてピアニストのアーネスト・セイツが作曲。1919年に発表されたそうです。ということは来年で100周年ということになります。ジャズを通して知った曲なので、インストゥルメンタルだと思い込んでいたのですが、ちゃんと歌詞があって、ジーン・ロックハートというカナダの俳優が手がけたそうです。

 

 とはいっても、古いせいかオリジナルは聴いたことがありません。歌詞付きならどんな楽曲になるんだろうと調べてみたら、何と、あのレス・ポールと奥様のメリー・フォードが1951年にシングル盤を出しており、全米第2位のミリオンセラーに輝いていました。レス・ポールといえば、最近になって経営破綻が報じられたギブソンの伝説的なエレキギターが超有名ですよね。YouTubeに歌と映像がアップされているので、ぜひ視聴をオススメしますが、彼の卓越したギターテクニックもさることながら、抜けのいい明るいサウンドが、第2次世界大戦直後のアメリカの平和を象徴しているように感じます。すでに朝鮮戦争が勃発。後にベトナム戦争の泥沼に突入するので、わずか10年にも満たない短い期間だったんですけどね。

 

 メリー・フォードの歌も、当時は最先端だった多重録音で本人によるハーモニーになっています。その透明感のある歌声が、レス・ポールの素晴らしいエレキギターと相まって、ボクには雲ひとつないハワイの澄み切った青空をイメージさせるのです。彼女が歌っているので、始まりの“Dear one”は「ねぇ、あなた」とでもするべきかも知れませんが、男性版にしたほうが似合う歌詞ではないかと。

 

Dear one, the world is waiting for the sunrise.
Every rose is covered with dew
And while the world is waiting for the sunrise
And my heart is calling you.

 

ねぇキミ、世界は日の出を待っているんだ。

咲き誇るバラはみずみずしい朝露をまぶしている。

世界は日の出を待っており、

ボクの心はキミを呼んでいる。

 

Dear one, the world is waiting for the sunrise.
Every little rose bud is covered with dew
And my heart is calling you
The thrush on high,

his sleepy mate is calling
And my heart is calling you.

 

ねぇキミ、世界は日の出を待っているんだ。

バラのつぼみは朝露にまみれ、

ボクの心はキミを呼ぶ。

空高く舞うツグミに、

眠たげな雌鳥が呼びかけている。

ボクの心もキミを求めているんだ

 

 んーと、意味的にはどう考えても能天気で単純なラヴソングです。にもかかわらずタイトルは「世界は……」ですからね。歌詞抜きのインストゥルメンタルとして生き残ってきたのも納得できます。けれども、レス・ポール夫妻の歌も何度も聴かせる魅力に満ちています。半世紀以上も前とはとても思えません。

 

 日本でも「夜明け前が一番暗い」という名言がありますが、寡聞ながら、その明るいほうにフォーカスした歌は少ないんじゃないかな。そのものズバリの『夜明けのうた』(1964年)もありますが、重くて仰々しいバラードなのでボクは好きではありません。理屈抜きで気分が明るくなり、心を軽快に奮い立たせるというなら、やはり『世界は日の出を待っている』がベストに近いんじゃないかな。

 何よりも、“The World is Waiting for The Sunrise”というタイトルが秀逸じゃないですか。

 

 乗り越えるのが困難な高い壁に直面したり、まるで底が見えないドツボに沈んでいるのなら、この楽曲に合わせて“The World is Waiting for The Sunrise”と心の中でハモってみてください。そして、くどいようですが、Do the right thingと自分に言い聞かせる。それが唯一の解決策になるのではないでしょうか。

 

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2018年5月25日 (金)

スーザフォン

 

 スーザフォンという楽器を知っていますか。

 

 文字で説明するのは大変に難しいのですが、金管を奏者の身体に巻き、その頭上に巨大なアサガオみたいな開口部があるといえば、少しは分かるでしょうか。ボクは映画『ゴーストバスターズ』のシンボルイラストを思い出しました。

 

 ウィキペディアによれば、ブラスバンドの行進や野外演奏を前提として、チューバを担ぎやすく改良した楽器と説明されています。アメリカの作曲家、ジョン・フィリップ・スーザが1893年に考案したことから、スーザフォンとなりました。

 

 実にユーモラスな形の楽器なのですが、ものすごい重低音を発するんですよね。直接に空気をふるわせる管楽器のせいか、圧倒的なド迫力があります。とてもじゃないけど生身の人間が出せるような音質ではないので、演奏者の表情と音階のイメージがどうにも一致しない。え、あの顔でこんな音が出るの? という感じでしょうか。そのズレも大変に面白いんだよな。

 

 前置きが長くなりましたが、昨日も浅草HUBに行ってきました。ディキシーランドジャズを得意とするバンドが出演しており、いつもはウッドベースが配置される奥のほうに、金色に輝く大きな「アサガオ」があったのです。それで興味を持って調べてみたのですが、ソロの演奏もあったので、この楽器の魅力がよく分かりました。腹のところに直接に音が伝わってくるのです。いやぁ、音楽って奥が深いんですね。

 

 こんなことを書くと、毎晩のようにライブハウスに行っていると思われそうですが、できることなら是非そうしたい。だってさ、ミュージックチャージがたった1600円なんですぜ。そのほかはメニュー通りの金額で、消費税以外に追加はありません。宣伝するつもりはありませんが、名物のフィッシュ&チップスにワインを2杯飲んでも4000円以下で済むはずです。ただし、事務所のある恵比寿から浅草はやはり遠い。だから銀座方面で記者発表なんかがある時にだけ、足を延ばすことにしています。

 

 そんな浅草HUBがすごいなぁとつくづく感心させられるのは、出演するバンドに当たり外れがまったくなく、ジャンルはいろいろあっても、必ず一流の演奏が聴けるということです。これまでがっかりしたことが一度もないんですよね。昨晩も、スーザフォンもさることながら、サキソフォンが素晴らしかった。久々に伝説的なスタンダード『世界は日の出を待っている』を聴いて胸が震えました。

 いろいろと屈託があったのですが、気分が洗われたような気がします。

 

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2018年5月24日 (木)

BURN the FLOOR joy of dancing

 

 2年ぶりになりますが、またまた「バーン・ザ・フロア」を東急オーブで観てしまいました。やっぱね、ダンスはいいなぁ。ソロやデュエットもいいけど、何といっても圧巻なのは群舞です。まさにステージの床を燃やすほどの迫力に満ちており、観ているこちらの心まで躍り出すような感動があります。

 

 ダンサーたちがそれぞれに、けれども同じ方向を目指す潮の流れのように一斉に踊り始めると、広いステージがいきなり小さく見えるだけでなく、一瞬一瞬の決めポーズがまるで一枚の絵画のように美しい構図になっているのです。

 

 男のダンサーはスピードと力強さ。女性のダンサーはしなやかさと花のような可憐さ。それがメロディとリズムに合わせてみごとに重なり合い、時にはエロティックに融合していく。いわば音楽における和音のハーモニーが、ダンスという目に見える形でダイナミックに表現されているのです。上手なコーラスが脳内に快感をもたらすように、トレーニングされた完成度の高い群舞も心の中の感動ホルモンみたいなものを分泌させるのだとボクは考えています。

 

 この「バーン・ザ・フロア」の概要は、2016年4月11日のブログBURN the FLOOR NEW HORIZONで詳しく紹介したので、そちらを参考にしてください。今年はカンパニー創設20周年、来日10回目を記念した公演であり、joy of dancingとサブタイトルされていました。

 

 そんな知識がなくても、ひと目見るだけで、彼らのダンスに圧倒されると思いますよ。比較してはいけないと思うけど、それまで見ていたダンスと称するものが、型紙の上をなぞった体操のように感じるかもしれません。

 

 20分の休憩を含めて前半後半で合計2時間5分。それがあっという間に過ぎていき、注意が途切れたり弛緩することはまったくありませんでした。ボクの大好きなレナード・コーエンの『ハレルヤ』が曲目に含まれていたほか、アンコールもこのカンパニーの代表作のひとつで、何度となくYouTubeで観てきたティナ・ターナー版の『プラウド・メアリー』。満足感はもちろんとして、もっともっと見たいなぁという余韻を強く残す希有な舞台なので、機会があればぜひ鑑賞をオススメいたします。

 

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2018年5月23日 (水)

Do the right thing(続)

 

 この国もまだまだ捨てたもんじゃないと感じたのが、昨日の日大アメフト選手による記者会見です。もはや大勢の意見が決しているようなトピックをあまり取り上げたくはないのですが、前回に「Do the right thing」というテーマで書いた以上は、それに対応しておかないとダメですよね。

 

 まだ20歳の大学生が顔を隠すことなく実名で謝罪し、多数のテレビカメラやメディア関係者の前で、それまでの経緯や事実を嘘偽りなく述べたというのは、掛け値なしにものすごく立派な態度です。しかも、明らかに監督やコーチからの卑劣極まりない圧力で追い込まれた結果にもかかわらず、自分以外の誰のせいにもしていません。

 

 あんなに潔い態度は社会人でもなかなかできないはずです。むしろ社会人だからこそ往生際が悪いともいえるんですけどね。それを正々堂々とこなした経験は、彼の将来にとって貴重な糧になるんじゃないかな。

 

 それに比べて、今に至っても逃げ回っている監督やコーチたちの何と情けなくみすぼらしいことか。自分たちに非がないというなら、書面を通してではなく、あの選手と同じように公開の場に出てこいよ。大学側の対応も完全に腰が引けており、選手=学生を守ろうとする気概がまるで感じられない。もはや彼らを擁護する意見なんて、よほどの利害関係者しかあり得ないので、ボクが敢えて後追いする必要はもうないですよね。

 

 ただ、選手がいみじくも語ったように、やはり個人としては「もっと意思を強く持つこと」が大切だと思います。組織と個人の軋轢による葛藤なんてザラにあることですが、自分の内なる声を裏切れば、一生それに苛まれることになるでしょう。であるなら、最初から自分の意思を強く持って理不尽に抵抗したほうがいい。彼の告白によって、様々に勇気付けられた人が相当数いるのではないでしょうか。

 

 人間なら誰だって間違いはするし、ミスも犯します。ヘタすりゃ法に反することに手を染めることだってありますよね。そんな時には、自分の内なる声に素直に従って、起きたことを真正面から受け止め、被害や迷惑をかけた人にできるだけ早く謝罪するほかありません。やっぱね、どんな時にもDo the right thing。これしかないだろうと、ボクは強く再認識したのであります。

 

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2018年5月22日 (火)

Do the right thing

 

 世間で大騒ぎになっていることはなるべくテーマにしないと決めてきたのですが、日本もアメリカナイズされてきたなぁと呆れざるを得ません。アメリカンフットボールで起きた事件ですから当然ともいえるのですが、日大の監督が指示したとされるルール無視のラフプレーなんて、それこそアメリカの映画やドラマで何度となく描かれているんですよね。

 

 ゲームが終わった後にしても、ミスした選手がチームメイトから凄絶ないじめを受け、悪質な感染症で死んでしまうドラマがありました。それを刑事が調べていくうちに、どうやらコーチが指示したと分かるんですよね。勝利至上主義のアメリカでは、おそらく試合中も観客席から「殺せ」ではないにしても「壊せ」くらいの物騒な掛け声が飛ぶことも珍しくないんじゃないかな。

 

 その反面で、仮にタテマエだけとしてもキリスト教がブレーキになっているせいか、良心との葛藤に悩む選手が必ず登場してきます。チームなんだから監督やコーチの指示に従わなければならない。さもなければ総力を効果的に集約できないので、それに抵抗することは即ちチームみんなへの裏切りになってしまう。けれども、その指示にはどうにも納得できないし、そんなことはしたくない……。

 

 セットが終わって無防備になったクォーターバックの背後から強烈なタックルを行った日大の選手も、そうした葛藤があったはずです。しかしながら、日本には個人の倫理や道徳を支えてくれる宗教が普及しているとはいえません。このことからキリスト教圏の欧米を「罪の文化」として、日本は「恥の文化」ともいわれます。つまり、自分の内側に罪があるのでなく、その外側にある他人の眼や会社など組織の判断や評価が強い影響力を持つということです。いかに理不尽な指示だと思っても、組織内で誹りを受けたり孤立しないために、敢えて間違ったことをしなきゃいけない時もあるでしょう。そんな時の便利な言い訳として「上司が」あるいは「組織としての」みたいな言葉が準備されているのですが、自分を捨て切った歯車のような人材が優秀とされてきたのは20世紀までじゃないかなぁ。

 

 現在の大学教育は、アクティブラーニングが象徴的ですが、講義を黙って聴くのでなく、主体的な思考力や行動力を育成しようとしています。もはや追いかけるべき先進国なんて世界のどこにもないので、日本自身が新しい産業や社会モデルを創っていくほかありません。そのためには、指示待ちの歯車ではなく、自分から問題を発見して解決していく人材が必要なのです。言い換えれば、出力は小さいにしても、1人ひとりがエンジンであることが求められているのではないでしょうか。

 

 そうはいっても、ピラミッド的な組織社会ではまだまだ通用しないこともあるはずです。だからこそ、より生き良い未来を創ろうというなら、学内にそんな理不尽や不条理を持ち込んではいけない。スポーツだって、フェアプレイのサンクチュアリ(聖域)であるべきです。プロになれば、いろいろと大人の事情があって、なかなか理想を追求しにくいですからね。

 

 にもかかわらず、あのような事件が起きてしまった。まだ明らかにはなっていませんが、仮に監督が極悪非道な指示をしたとしたら、選手の側の葛藤にもボクは注目してしまうんですよね。そんな命令に従う前に、彼だけでなくみんなが「監督、そんなのおかしいですよ」と抵抗すればいいのに、どうしてできなかったのでしょうか。社会に出たらなかなかできないことでも、大学スポーツだからこそ、そうした反発があって然るべきじゃないかな。封建社会にだって「逆命利君」という言葉がありました。自ら考えて発言することができなければ、それは奴隷に等しいではありませんか。

 

 だから、どうせアメリカナイズするなら、“Do the right thing”という合言葉も真似しようよ。「正しいことを為せ」という呪文をみんなが心の中で呟くことが、このような悲しい事件を再発させない最も有効な対策だとボクは信じるのであります。

 

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2018年5月21日 (月)

孤独のショッピング

 

 テレビドラマとしてもシリーズ化されましたが、『孤独のグルメ』という漫画がありました。原作は久住昌之、作画が谷口ジロー。1994年の『月刊PANJA』が初出らしいのですが、ボクは2008年に『SPA!』で復活した読み切りシリーズのほうを愛読していました。

 

 中年のオッサンが1人でランチや晩飯を食べるという、実にまったく単純なストーリーであり、「グルメ」とタイトルされているものの、美味に極端なこだわりはなく、いわゆる3大珍味なんかも出てこなかったと記憶します。とにかく1人で街を歩き、1人で食べ物屋を探して、1人でメシを食いながら、心の中であーだこーだと「独白」する。仮にまずかったとしても、それをむしろ珍しい経験と解釈して、愛想良く「ごちそうさま」と言って勘定を払って立ち去る。

 

 谷口ジローの細い線描による白っぽい画面と痩身の主人公は、そうした心地良い孤独感と絶妙にフィットしていたんですよね。夏の眩しい陽光で白と黒のハイコントラストになった街の光景と似ていて、様々な階調=グラデーションが消し飛んでいる。この透明感に優れた画質が、オッサンが1人でメシを食うという悲哀や貧乏くささを完全に脱色しており、ヘタすりゃオシャレに見えなくもない雰囲気がボクは好きでした。

 

 であるなら、ですね。ぜひ「孤独のショッピング」という漫画かテレビドラマをやって欲しいなぁ。オリジナルは「独白」のおもしろさが魅力でもあったので、たとえば紳士服のバーゲンなんかに行って、うるさくつきまとうオバサンに要望を言いながら「この人のご亭主はどんな仕事をしているのかな。もしも現場仕事なら作業着だからサイズにこだわるなんてことはないだろう。それに比べて、オレたちはどうしてこんな窮屈な格好をしなきゃいけないのか」とかね。

 

 百貨店や専門店、それにアウトレットまで、販売店だけでなく、ジャンルも広げられるので、いろいろ話は続けられるように思うんですけどね。そこにウンチクをちょっとばかり加味するのはもちろんだけど、中高年の寂しさが込められていることが必要になります。

 

 カナダの精神分析学者が命名したらしいですけど、「ミッドライフ・クライシス」=「中年の危機」。そうした心理的な葛藤への共感こそが、『孤独のグルメ』が人気になった本質的な理由だったのかもしれません。であるならば、ボクにもちょっとは書けそうな気がするんだけどなぁ。

 

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2018年5月18日 (金)

辟易

 

 辟易、へきえきと読みます。中国の漢代の故事から生まれた言葉とされていますが、日本ではかなり違う意味で使われています。

 

 小学館デジタル大辞泉によれば、ひどく迷惑して、うんざりすること、嫌気がさすこと、閉口すること、とあります。

 

 ボクが近頃、いや21世紀に入ってからずっとかなぁ、「辟易」しているのは、無思慮で無反省な自己アピール、過剰なほどの大言壮語、美辞麗句、言葉だけの大伽藍、聞いたことのない英語、中でもこじつけのゴロ合わせがね、1~2行読むだけでヘドが出そうになるのです。それって何だよと思う人のために説明しておくと、たとえば英単語のアルファベットの1つ1つに意味や内容を加えて、コンセプトみたいに仕立てあげた文言のことです。

 

 まだ分からない人もいるはずなので、ボクの経験を挙げておくと、20代の終わりくらいに所属した雑誌の編集長から以下の指示を受けたことがあります。

 

「この雑誌が目指すところや、他の媒体との違いを簡単に説明できるキャッチフレーズが必要だと思うんだ」

「もう代理店が広告なんかでアピールしていますよ」

「いや、あれだけじゃ足りない。もうちょっとだな、クライアントを納得させるようなまとまった文言を作れないかなぁ」

 

 もともとが二番煎じの後追いなんですから、そんな際立った違いなんてないじゃないですか、という喉まで出かけた反論を、もちろんボクは呑み込みました。その夜に数時間かけてボクが無理矢理にヒネり出したのは、「NICE」であります。Nは「ニュース」、Iは「インタレスト(興味)」、Cは「クリア(明快」、Eは、、、、えーと、ヘヘヘへ忘れてしまいました。何しろはるかな大昔の話で、というより、前述したようにそもそも意味なんてないわけですよ、こんなもん。Eがエナジーだろうがエッセンスだろうが、エモーションやエロスにしても、英語の辞書を見ながら、いくらだってこじつけられるじゃないですか。

 

 ところが、こういう現実から乖離した文言の塊が近年はものすごく増殖しており、その解題をちょっと読み始めるだけで、そのあまりな空疎っぷりに「辟易」しちゃうんだよな。ボクたちが知りたいのはあくまでも本質・実質・現実であって、奇妙な屁理屈や流行語じゃないはずです。キャッチフレーズやコンセプトだけでモノが売れたり人気が出るはずがないじゃないですか。

 それでも何かを解説や説明したいのであれば、言いたいことは多くても3つにまとめて、言葉も凝縮することで力を持たせないと市場に届くはずがありません。にもかかわらず、今もってこういうカタチばっかりの古くっさいやり方をしている会社や組織がものすごく眼につくんだよな。

 

 そんな観点から、ボクが最も感心させられたのは、テレビドラマのタイトル『逃げるのは恥だが役に立つ』です。漫画が原作らしく、さらに調べてみるとハンガリーのことわざらしい。ドラマを一度も見ていないので恐縮ですが、日大のアメフト監督なんて、これを地で行っているじゃないですか。相手チームの選手に大怪我を負わせた責任者のくせに、陰に隠れてまったく表に出てこない。「恥ずかしい逃げ方だったとしても生き抜くことが大切」というオリジナルは、弱者である庶民に向けて説いた言葉であるはずです。だから支持されて生き残ってきた。にもかかわらず、権力とカネをふんだんに持ったおエライ皆さんが、そんな身の処し方をしてはいけませんよ。しかも、こういう連中が大好きなのが、もはやスカスカに形骸化したタテマエに基づく通り一遍の言い訳なんですから始末に負えません。はぁ、もう勘弁してほしいなぁ。これを「辟易」と言わずして何といえばいいのでしょうか。

 

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2018年5月17日 (木)

含羞

 

 六本木のフジフィルムスクウェアで、林忠彦の写真展を見てきました。敗戦直後の日本の景色と人間たちを精力的に撮影した超有名なカメラマンですが、ボクにとってはやはり作家、太宰治が強く印象に残っています。銀座のバー「ルパン」のスツールの上で脚を組んだ写真があまりにも格好良くて、本気で小説家になろうと思いましたもんね。厚手のツイードと思われるズボンと登山靴を探しに出かけたことがあるくらいです。はい、ワタクシ、何事もスタイルから入っていくタチなもので。。。。

 

 このあまりにも有名な写真は、フィルムが正方形のブローニーで撮影されたものなんですよね。ところが、ボクだけでなく、世間の大多数の人たちは縦長の紙焼写真で見てきたはずです。つまり、正方形の横方向がカットされた結果ということです。今回の展示会では、そのオリジナルフィルムをまんまの状態でプリントしていたので、それまで明かされていなかった太宰の斜め向かいに座っている話し相手の後ろ姿が映っています。それって誰だよ、と興味が沸くところですが、何てことはない、戦後無頼派と呼ばれる作家仲間のひとり、坂口安吾です。腰から下だけが黒い影のように映っているので、まったく不要で邪魔な部分と断言してもいい。トリミングしたのは当然だよなとボクも思います。そのおかげで、みんなの心に強烈に残る完璧な構図が生まれたのです。消された坂口安吾にしても、書き散らかした紙くずの山の中で、眼光鋭くカメラマンを見つめる、こちらも超有名な写真がありますからね。

 

 ただ、ボクは高校生の頃から知っていた写真だけに、改めて鑑賞し直しても、それほどの感慨を覚えることはできませんでした。むしろ、思わず眼の下が熱くなったのが復員兵たちの写真です。南方か中国か、海外の派兵先から命からがら帰国できた兵隊さんたちが故郷に帰る直前の姿を列車の中で撮影したものです。おそらく夜汽車だろうと思いますが、戦場で死ぬ恐怖から免れることができ、一度は諦めた父や母や兄弟に再会できる喜びから、皆さん歯を見せて明るく笑っています。それでもね、1〜2分見続けると、その笑い顔はボクたちの見知っているものではないことが分かります。元気だけど爆笑ではありません。間違いなく笑顔なんだけど、すぐに感得できる屈託が隠されているのです。

 

 考えてみればあたりまえで、無数の戦友が敵に殺されたり、南方では餓死や病死も普通でした。それまで隣にいた戦友の多くが死ぬことで、彼らは負け戦から奇跡的に生還できたわけです。生きていて良かった、けれどもあいつとこいつは死んでしまったという負い目を感じないはずがない。いわば生き残ったことの含羞みたいなものが次第に伝わってきて、もう少しそこにいたらボクは落涙していたでしょう。

 

 それに比べれば、スポーツで勝った負けたとはしゃぐサポーターの皆さんの笑顔は、何と無邪気なことでしょうか。いや、それを批判する気は毛頭ありません。彼ら復員兵は、自分たちが2度とできなくなった無心な笑顔を守り通すために、戦後を頑張ってきたに違いないと思うからです。

 

 だからこそ、「忖度」を強要する権力を振りかざす政治家や、セクハラやパワハラやり放題の官僚たち、フェアプレーを旨とするスポーツにもかかわらず「クォーターバックを壊せ」と指示するアメフト監督などを強く憎みます。無邪気な笑顔ほど貴重なものはこの世にないのだと、どうして分からないのかな。自分たちが生き残り、生き延びているということは、すなわち誰かを何かを殺す、あるいは誰かや何かが死んだおかげかもしれない。そうした認識に基づく含羞を知らない人とは、あまり親しくなりたくないなぁ。

 

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2018年5月16日 (水)

宇宙人瞰

 

 最近つくづく感心するのは、生物の再生産メカニズムです。特に人間ですけど、あんな簡単なことをするだけで、実に精密なミニチュア=赤ん坊が発生するというのは、ものすごい仕組みというほかありません。生まれた後はお湯をかけるだけで、というのは冗談ですが、水と食糧さえ与えれば体格は成長していきます。人間は社会的動物なので、それに適応するために長期の教育が必要になることが、他の動物とは際立った違いです。

 

 人工知能やロボットがいくら進化したところで、このような人間の機能を持つ存在を再生産しようしたら、途方もない金額が必要となるでしょう。少なくともロボット同士が勝手に合体して子ロボットを作るなんてことは、まったく不可能ではないにしても、遠い遠いはるかな未来の話ですよね。現時点ではコストさえ見当もつきませんが、何十億円を費やしても不可能でしょう。

 

 それがね、男女が一緒になって、あんなことをちょちょいとするだけで、卵子に精子が突入。それで合体できれば細胞分裂が始まります。デートや結婚式などの間接経費をどんなに含めたところで、数千万円にはなりませんよね。直接経費に限ればゼロです。それでいて1年も経たないうちに、人間の原型が完成するんですぜ。これに驚かないで何に仰天しろっていうんですか。

 

 しかも、男女の双方から遺伝子を半分ずつ継承していることにも注目しなきゃいけない。電車の中で親子を観察して、子供の鼻の形は母親に、唇なんかは父親にそっくりなことを見つけて、遺伝子がまぎれもなく人体の設計図であることを実感したことがあります。そして子供は単純に親の複製ではないわけです。それぞれが混じり合うことで、新しい個体が生まれる。それによって、自然環境に変化があっても個体のどれかが適応できる多様性が実現するわけですな。遺伝子の突然変異に基づく進化だって、この再生産メカニズムがなければあり得ないはずです。

 

 俯瞰という言葉があります。これは高いところから下を見おろすことであり、対義語は「仰望」「仰視」とされています。ボクは俯瞰=鳥瞰に対する「虫瞰」という言葉を日常的に使ってきました。虫のように、上からは見えない地べたの細かいところや隙間を余さず見つめるってことです。大所高所からの空論になりがちな俯瞰よりも、取材者には必要な見方だと思ってきました。

 

 ところが最近は、考え方が人間からいささか乖離して、宇宙人のようになってきたかなと思う時があります。前述の子作りにしても、医学的には「生殖」ですけど、ボクには「再生産」のほうが事態を理解しやすい。英語では「生殖」をReproductionとも表記するので、彼らのほうが宇宙人的なのかな。

 

 いずれにしても、そうした視点からは、女子のアイドル団体(というのかな)は、思春期の発情メンタリティを巧妙にビジネスにしているとしか思えません。ごく簡単にいえば「まとめ売り」ですから、誰かが売れればいいわけで、ローリスクかつハイリターン。微妙に変化していく若者たちの多様な好みを吸収でき、グループですから新陳代謝も容易じゃないかと。

 

 あまりに批判的なのもナニなのでもうやめますが、たまにはこうした「宇宙人瞰」を持つと、複雑に見えることの本質が余計な情緒抜きで見えてくると思うんですけどね。

 

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2018年5月15日 (火)

スニーカー

 

 スポーツ庁が官民連携でスニーカー通勤を推奨しているそうです。運動不足でメタボになりがちなので、革靴より軽いスニーカーを履いて一駅くらいは歩いて健康を維持しようよ、ってなことらしい。

 

 特段に反対する理由など見当たらないので、勝手にしたらというレベルの話なのですが、どうやらスーツやジャケパンといったビジネスウェアに運動靴を履かせることを目論んでいるようです。通勤時なんだから当然ではありますが。このため、そんな格好で違和感はないのか、ビジネスマナーとしていかがなものか、ということが論点として浮上しているみたい。

 

 実例はすでに皆さんが学校時代に間近に見ているはずなのに、思い出さないのかなぁ。中学・高校あたりの体育の先生で、煙のような灰色のスーツに白い運動靴を履いたオジサンを見たことありませんか。ファッションは社会的な記号でもあるので、「そんなヘンな格好をしているのは体育の先生だけ」という共通認識があったんだろうと思います。いや、もしかすると学校は閉鎖社会なので、教育管理職以外は運動靴でもオッケーという不文律があったのかもしれません。

 

 本人が履きたいならゲタでもゾーリでも結構ですけど、ボク個人としては、オフィシャルな場でそういうカジュアルな格好は好きではありません。お役所の人たちが職場で履き替えるペタペタサンダルなんか大大大大大っ嫌いです。内勤で未知の他人に会わないというなら、そもそもスーツなんか着なきゃいいのに。スーツ着てネクタイ締めたら、足元もそれなりでないとおかしいじゃないですか。それでこそ気分もオフからオンに切り替えられるというものです。

 

 でもまぁ、歩くことはボクも大好きですけど、革靴でアスファルトを歩けばカカトは磨り減り、カタチもヘタってきます。買ったことはありませんが、青山あたりでは数十万円という驚愕価格の靴も売られているので、そんな革靴で距離を歩くのはコスト的に大きな負担となります。女性のピンヒールだって、どう考えても長く歩くための靴ではないですよね。

 

 つまり、歩くことだけが目的なら、やっぱ軽くて足に密着した運動靴に優るものはないのです。それがビジネスウェアにいかがなものかという論議以前に、だったら身体の上のほうもトレーナーやジャージにすれば、もっと歩きやすくなるんじゃないかな。夏ならランニングウェアでしょうか。そのほうがスーツよりも似合うことは論を待ちません。会社に到着したらさっさとスーツと革靴に着替えればいい。できればシャワーも浴びたいですよね。

 

 そうしたことができない貧弱な職場や業務習慣が、実は大問題なのです。オフィスの施設的な改善はもとより、もっと自由に多彩に使いこなすことを今日的な課題にすべきだと思うんだけどなぁ。少なくとも職場での着替えを常識にしていくべきですよ。そうなってないからこそ、パーティのドレスコードが満足に機能していないのです。バリバリにオシャレして満員の通勤電車は無理があるし、よしんば会社までたどりついても、夜になるまでにはシワまみれのヘロヘロっすよ。だからさ、ちょいと派手目のスーツやシャツを会社に置いておき、仕事を終えたら着替えて颯爽とデートやパーティに行くようにすりゃいいんです。それこそが働き方改革ってことじゃないのかなぁ。どうもね、政府が提案することはいちいちオシャレじゃないんだよな。

 

 でもって今度はスニーカーですか。お役人に自分の履く物までいちいち指図されたくないなぁ。江戸時代じゃないんですから。それとも、役所ってそんなにヒマなのでしょうか。

 

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2018年5月14日 (月)

生まれて初めて

 

 いやぁ、この歳になったら、もはや「生まれて初めて」みたいなことはないだろうと思っていたのですが、そんなことはないんですよね。

 

 すでにご報告したように、金曜日の早朝は風邪のせいか、強烈な寒気が上半身を襲い、尋常ではない状態になりました。体温計では38度5分の微熱にもかかわらず、いざデスクでノートパソコンに向かったら、肩全体がガタガタと大きく震えるんですよね。指先も三連符のダダダとなってキーボードをうまく打てないだけでなく、愛用のマックブック・エアーは超薄型なので、一緒になってゴトゴトと踊り出すのです。

 

 息を整えて、懸命に肩を落ち着かせようとしても、身体は意思に従ってくれません。どうにも定まらない指先がパソコンとハイビートのダンスをしているようでした。

 

 風邪をひいて高熱を出したことはありますが、こんなことはかつて経験したことがありません。とはいっても、平日はブログを最初の日課にしてきたので、それだけは中断したくない。風邪の熱ごときで退散するのも不愉快ですから、騙し騙しで頑張って数行を仕上げましたが、いやはやホントに大変でした。

 

 しかも、その日は1本締め切りをかかえていたので、コートを着てソファでしばらく休んだ後に、再びパソコンにトライアルです。前述した物理的な難行苦行に加えて、アタマもうまく働かない。二重苦で泣きそうになりながら、何とかアップしましたよ。

 

 こういう「生まれて初めて」は果たしてあと何回くらい経験するのでしょうか。雑談やブログのネタにはなるので面白いとはいえるけど、身体関係の波瀾万丈はちょっとパスさせて欲しいなぁ。

 

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2018年5月11日 (金)

風邪かな

 

 月曜あたりから喉の奥が痛くなりました。子供の頃から扁桃腺を腫らしたことなんてないので訝しく思っていたのですが、火曜日、水曜日とどんどん悪化。にもかかわらず、熱はないんですよね。

 

 ネットで調べた範囲では、どうも風邪らしい。熱はないけど、倦怠感が強く、このままでは締め切りも、木曜日夜のパーティもヤバイ。それで仕方なく薬局へ。その頃には喉の痛みよりも鼻水とクシャミが辛くなっていました。

 

 本来は熱が出たほうがウィルスの撃退には有効なようですが、その認識を待っていたかのように、今朝は発熱。ガタガタとふるえながらワープロを叩いております。締め切りを1本抱えているので、ちょっとブサイクながら、このあたりで。

 

 

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2018年5月10日 (木)

儀式

 

 さすがに高齢のせいか、福助のメシの食いつきがめっきりと悪くなりました。おっと、人間のことではなく、飼い犬のミニチュアダックスのことです。

 

 犬の名前はショコラとかレモンとかハッピーなんていうカタカナ系が圧倒的に多く、ボクは民族主義者ではありませんが、そんな風潮がイヤだったので敢えて日本語で命名しました。それから15年ほど経ってみて、なかなか良い名前だったなぁと自己満足しております。同じ日本名にしても、太郎とか次郎、翼や健太、春樹だったりすると、ちょっと問題が発生します。散歩の時に大きな声で犬を呼んだつもりでも、近くの人間が「!?」と振り返ったりしてね。

 

 ところが、この21世紀に福助なんていうヴィンテージな名前を子供につける親はボクと同程度に変わり者と思われるので、誤認される可能性もかなり低いのではないでしょうか。次はビリケンとかドサ健にしようかな。意味はネットで調べてみてください。

 

 トイレの中で突然に「福助」を思いついた時は、ブラックタン、つまり体毛は黒ベースで、顔と脚から腹のあたりに茶褐色が混じった美しい姿でした。ところが、どこで玉手箱を開けてきたのか、タンの部分がすっかり白くなってしまい、今では完全にジジー面になっております。足腰もめっきり弱って、あっちにヨタヨタ、こっちにヨタヨタしながら、水を飲みに行ったりするんですな。

 

 それだけでなく、目下のボクの悩みは、何を考えているのかメシ時にエサ皿の前で必ず吠えるんですよね。一応、こちらを見ながらバウッバウッと何度も繰り返すので「ホントに食っていいのか」とか「もっとうまいものは出せないのか」といった文句なのかなと想像して、「食っていいぞ」とか「贅沢言うな」と声をかけるようにしております。

 

 ところが、たまにね、あらぬ方向を見て吠えることがあるのです。こうなると、幻視が伴うレビー小体型認知症かもしれないと、いきなり心配になってくるんですよね。自分のエサを狙ってワラワラ集まってきた犬たちに向けて、牽制や威嚇でもしているのかなぁ。

 

 2~3分くらい吠えてから、今度はクンクンとエサの匂いを嗅いで、おそるおそる舌を出し、顔を横向きにしてかじるように食べ始めます。歯が弱っている可能性も否定できませんが、決まった時間に似たようなものしか出していないのに、まるで初めて食べるかのような態度なんですよね。人間でいえば80歳近いといっても過言ではない年齢なので、やはり認知症の気配が濃厚ってことなのでしょうか。

 

 ただまぁ、エサを食べる前の「儀式」みたいなものと考えると納得できなくもないのです。人間だって、敬虔なキリスト教徒は食事の直前に祈りを捧げるじゃないですか。そのほかには特に異常な行動は見当たらないので、ちょっとうるさいお祈りですが、許してやろうかなと。

 高齢化すると、人間も犬もいろいろな変化が現れてくるようですね。

 

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2018年5月 9日 (水)

謝ればいいのに

 

 そうですか、わいせつ罪はあるけどセクハラ罪ってないんですか。

 財務大臣の麻生さんが言ったことが本当なら、セクハラを妨げる法的理由はどこにもないわけで、「わーいこれからもやり放題だぜ!」ってことなのかな。親告罪とはいうけど、警察などに告訴というのは被害者に一方的に大きな負担を与えることになるので、とてもじゃないけど誰もができるはずがない。

 

 そんなことよりも、罪がないんだから(元財務官僚の福田氏を誰も責めることができない)と公言する幼稚で貧困極まりない思考力しかない人が、いやしくも国の大臣職にあることに驚愕しませんかねぇ。人間には法に規定されていない正義や良心や倫理というものが山ほどあることを、この人は知らないのでしょうか。法律で定められたことなんて、してはいけないことやしなきゃいけないことの氷山の一角に過ぎないのです。

 

 こんな説明をすると、「じゃあどこまでがセクハラなんだ」と突っ込みをいれる小うるさい奴が出てくるんだよな。「上品な下ネタとセクハラになる下ネタを分ける基準を言ってみろ」とかね。そんなもん、ボクにだって言えるわけがない。もしも仮に基準を明文化したところで、こいつらは狡猾で卑怯なので、すぐにそれをかいくぐるセクハラを考え出すに決まっています。

 

 とにかく、ですね。何度も何度も何度も、このブログで指摘してきたように、権力の強弱や立場の上下という非対称な関係を背景にした人権侵害は、すべてハラスメントなのであります。なので、それを認定するのは強い側ではあり得ず、男女を問わず社会的に弱い側であり、立場が下の者です。そうした人たちが理由のない圧迫や、望みもしない性的アプローチを不快に感じたら、それは直ちにパワハラやセクハラになるってことなんですよね。

 

 うっひゃー大変な時代になったもんだと考えるオッサンもいるでしょうけど、それが果たして罪に値するかどうかで物議を醸し、財務省前に集まった女性の皆さんに抗議されるよりも、まったく簡単な解決策があるのです。

 

 さっさと謝ればいいじゃないですか。「あ、不愉快だった? 申し訳ない。ゴメンなさい」とその場で頭をきっちり下げるだけで、ほとんどのことは片付くんじゃないかな。もちろん同じことを繰り返してはいけません。謝罪の効き目がどんどんなくなりますから。

 

 そもそも被害者がマスコミ沙汰にしたり裁判に訴えるというのは、前述したように膨大な心的エネルギーを必要とします。裁判なら弁護士費用だって自前ですもんね。だから、とにかく誠実に謝りさえすれば、不承不承にしてもたいていはおさまりますよ。ところが、性悪で悪質な奴ほどそれをしない。今でも財務省の元事務次官はジタバタと否定しているじゃないですか。そのふてぶてしい態度が腹に据えかねて他メディアにリークしたんじゃないかとボクは考えています。政敵などによるハニートラップや色仕掛けというケースもないわけではないだろうけど、それにひっかかるほうが明らかにバカなんですから、どうしたって責任は取らなきゃいけませんや。

 

 とにかく、行き過ぎたり、間違えたなら、まずは素直に謝ろうよ。メシをおごられたら「ごちそうさまでした」と感謝することも同じです。なぜだか知りませんが、それすら言わない奴がいるんだよな。感謝と謝罪は、みんなの心をギスギスさせない潤滑油なのです。にもかかわらず、おエラい人ほどそれができない。トラブルがこじれてねじくれた挙げ句に、いったい自分の何が守られるというのかなぁ。国民のリーダーである官僚や政治家は特にそうですが、自己犠牲が伴わない誇りや矜持なんていうのは、ただの自己満足か、金ぴかの御神輿と似たような共同幻想に過ぎないのにね。

 

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2018年5月 8日 (火)

座敷が嫌い

 

 左の膝を痛めてステッキが手放せなくなってから、いよいよ苦手になりましたが、子供の頃から畳の座敷が好きではありませんでした。「しゃがむ」という格好はアジア全域に共通する姿勢といわれますが、ヤンキーの皆さんには申し訳ないけど、それも大っ嫌いなんだよな。

 

 別に西洋文化にかぶれているわけではなく、座敷もしゃがみも、ひどくだらしなく感じてしまうのです。座敷には正座という美しい姿勢があることはボクも認めますが、あれは身体に悪くないのかなぁ。少なくともボクは法事などで15分も正座したら、足が痺れまくってすぐに立ち上がることができませんでした。つまり不自然極まりないってことです。腰に悪影響を与えるという医学的な理由でスポーツ界から追放された「うさぎ跳び」と同じように、いささか無理が伴う美的習慣ではないかとボクは睨んでいますけどね。

 

 靴を脱いで足を締め付けから解放し、座敷で下肢を崩せばリラックスできるじゃん、というカジュアルな意見からして、ボクはもうダメなのであります。そんなに楽になりたいのなら、さっさと自宅に帰ればいいじゃないですか。にもかかわらず、政治家や官僚が行くような高級店から渋谷の格安居酒屋まで、日本には靴を脱がせるところが多いんですよね。

 

 蒸れる梅雨時や猛暑の夏の夕方に靴を脱いだら、たちまち刺激的な匂いが漂う人だっているはずです。それに靴下だけのズボン姿って、どう見てもマヌケだと思いませんか。そもそもズボンの裾は靴を履いた状態で合わせているので、短めの人も長めの人も、どっちにしてもヘンテコな袴のように見えるわけです。でもって用意されたゲタかスリッパを履いてトイレに行かなきゃいけない。そんな不細工な格好で女性を口説くなんて、とてもボクにはできません。

 

 それより何より、女性のスカートやスラックスも含めて、下半身に深いシワを作ることになります。掘りごたつ式なら椅子に座った時と同じ程度でしょうが、あれもボクにはマヌケなスタイルなんですよね。足のあたりがスースーするようで、居心地がすこぶる悪いのです。

 

 そんなわけで、たまに居酒屋に行く時は必ずテーブル席を選んでいます。座敷しかなければ、辞去して別の店を探します。どう考えても、立ち呑みのほうがズボンなどに余計なシワが入らず、深酒だって避けられるじゃないかとボクは思うんですけどね。つまりは洋装したら洋式、和装なら和式が最も合理的なスタイルではないでしょうか。

 

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2018年5月 7日 (月)

そうは見えない

 

 簡易型の天体望遠鏡を親にねだって買ってもらったくらいですから、子供の頃から天文学に興味がありました。けれども、どうにも苦手、というより、まるで納得できなかったのが星座なのであります。

 

 北斗七星、って知っていますよね。夜空の北のほうで「ひしゃく」のような格好で並んだ7つの星のことです。このあたりはまぁ分からなくもないのですが、この7つの星は「おおぐま座」の一部になっており、ここまでくるとボクは「???」となってしまい、中高年になった今でも疑問を感じているのです。

 

 そもそも、ですね。広大な夜空にポツポツと光る星を線で結ぶということからして奇妙だと思いませんか。「ほら、こうやってつなげるとひしゃくのように見えるだろ」と先生は言いました。確かにそうだけど、実際には夜空に線なんてないじゃないか。それを仮想の線でつないだとするなら、ほかの星にも延長して結ぶことができますよね。

 

「いい質問だな。そうやって近いところにある星々をつないだのが、この『おおぐま座』になるわけさ」

 

 と言いながら先生が見せてくれた絵は、尻尾を立てて四つ足でのしのしと歩く大きな熊さんが描かれていました。純朴なボクは「おおぉ、すげえ」と素直に感動。授業が終わって空が暗くなるのが待ち遠しくてたまらなかったのです。

 

 けれども、その夜も、次の夜も、大きな熊さんは天空に表れることはありませんでした。建築家の隈さんは取材したことがありますが、夜空の熊さんがあなたにはホントに見えますか? ボクには小さな星がいくつも光っているとしか思えないのです。

 

「だったら最初からやってみよう。この星々をだな、さっきの北斗七星のように線で結んでみるわけだ。ほらな、何が見える?」

 

「三角の頭を持つキツネが歩いているようには見えますけど」

 

「それそれ、それが古代ギリシャでは大きな熊に見えたわけだ」

 

 ボクは先生の努力を尊重してそれ以上の質問はしませんでしたが、心の中では次のように思っていました。

 

「右側を頭としたらキツネだけど、逆に左側の長いほうを頭としたら首の長い馬のようにも見えるじゃないか」

 

 というか、いかに仮想にせよ、星と星を線で結ぶことにルールや規則があるのでしょうか。先の北斗七星なら「最も近い星と星を1本の直線で結ぶ」という法則性を見出せますが、『おおぐま座』は1つの星から複数の直線が出ていたりするじゃないですか。ひと筆書きにもなっていないし。

 

「そうした理屈は抜きにしてだな、古代ギリシャの人たちは、広大な夜空から様々な神話にまつわるシンボリックな姿を見出していったのさ。素晴らしい想像力じゃないか」

 

 先生はその解説に自己陶酔していたようですが、では『ふたご座』はどうでしょう。あの四角にもなっていない中途半端な線描で双子の男の子が並んで座っている姿が見えるというのは、とてもじゃないけど尋常な精神とは思えません()

 

 念のために注釈しておくと、こうした星座の発祥は古代ギリシャよりも古く、紀元前5000年頃にシュメール人などが考案したというのが定説になっているようです。

 

 ボクは明かりが絶えない都会に住んでいたせいか、夜空に熊や双子はもちろん、山羊や魚も見つけることができませんでした。にもかかわらず、教科書にはそれらしいイラストが克明に描かれているので、自分の理解のほうに問題があるのかと本気で悩みました。おかげさまで、天の川の両側に数多くの星座のイラストが密集している賑やかな悪夢を何度も見たくらいです。

 

 星座というのは畢竟、古代ギリシャ人が知悉している神話に合わせて夜空の星々を恣意的につないだ結果であって、つまりは勝手にこしらえた「ご都合主義」による絵柄に過ぎないんじゃないかな。だからボクにはそのように見えなかった。

 そのかわりに「かぐやひめ座」というのがあって、月に戻る途中の菜々緒のような美女が描かれていたら、直ちに恋い焦がれるように記憶したでしょうね。それがロクに知りもしないギリシャ神話ですから、「そう見えるだろ」と問われて「はい」と一斉に答えた子供たちは、ボクにとって嘘つきとしか思えません。そんなわけで、星座にはまるきり疎く、星占いもまったく共感できないのであります。

 

 そんなボクを変人や天の邪鬼と考える人には、次の質問を捧げます。これからやってくる夏の夜を代表する星座のひとつに「こぎつね座」というのがありますが、あなたにはそのように見えるでしょうか。たった3つの星が並んでいるだけなんですぜ。

 

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2018年5月 2日 (水)

エイジング

 

 10歳の子供も80歳のお爺さんも、誰でも初めて歳を取るんだなぁと実感するようになりました。まだボクはそんな年齢ではありませんが、来たるべき明日はみんなが未経験なんですよね。

 

 そんなことを思ったのは、パソコンに向かっていた時に赤いマーカーが机の上から床に落ちた時でした。椅子に座ったまま、中腰になってマーカーに手を伸ばそうとしたら、グキッというか、ググッというべきか、奇妙な感覚が腰の真ん中あたりに走り、やがて痛みがやってきました。

 

 ああ、これが巷間言われるところの「ギックリ腰」かなとは思ったのですが、別に重い米俵を持ち上げようとしたわけではなく、ただ床のほうに向けて手を伸ばしただけなんですよね。これまでそんな動作は1000回以上してきたはずなのに、どういうわけか今回はグキッでございまして、現在は椅子から立ち上がるにも「エンヤコラ」と自分に掛け声をかけております。

 

 ああ、何と悲しいことでございましょうか。まだまだそんな歳じゃねぇよと信じられない気分ですが、当方はまだ中高年の初心者なので気づけなかったのですが、秘かに、しかし着実に老いは忍び寄ってきていたわけです。

 

 ネットをちょっと調べれば、老化現象なんていくらでも出てきますが、それを知識として分かることと、自分自身で経験することには相当な隔たりがあります。一言でいえば、衝撃であり、打ちのめされるといってもいい。身体のボルトや関節部分が実は赤茶色に錆付いていることを歓迎する人なんていませんからね。

 

 ただ、おかげさまで、自分よりシニアな皆さんの心境というか、哀しみが分かるようになってきました。ああ、だからレナード・コーエンは“Dance me to the end of love”を書いたのかと。人間のことが若い人よりは分かるようになることが、歳を取ることの楽しみだとポジティブに考えられないこともないんですけどね(どっちだ?)。

 

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2018年5月 1日 (火)

バーゲン

 

 今年は暑くなりそうなので、サマージャケットを補充したいなぁと考えてきました。夏物は汗による汚れや劣化が激しいので、着用頻度にもよりますが、高価なブランドものでも2〜3年が精一杯ではないでしょうか。それならデパートのバーゲンで十分だとボクは考えてきたのですが、そのショッピングがね、昨今はいささか負担に感じるようになってきたのです。

 

 というのも、ざっくばらんに正直にいえば、売場で待機しているオバサンたちがどうにも苦手なのであります。先日も他に先駆けてバーゲンをやっていたデパートをチラリとのぞいてきましたが、何かねぇ、似合っても似合わなくても、サイズが大きめであろうがなかろうが、とにかくこの場で買わせようという熱気と勢いと魂胆に閉口してしまうのです。以前に冬物のバーゲンで「ちょっと大きいですよね」と言ったら、「寒いので中に何か着たらちょうどいいですよ」とトンデモなアドバイスをいただいたことがあり、顔を見るのもイヤな気分になりました。

 

 それがトラウマとして残ったらしく、服は見たいけど、さりとてバーゲンに行くのは怖いという症状に昂進したらしい。いい年こいたオッサンがそんな弱気でどうするんだと思う人もいるでしょうが、こう見えてもボクって割と優しいんですよね。結果的にそうはなっていないとしても、なるべく人を傷つけないように生きてきたつもりです。だから、論争はできるだけ避けたいし、文句なんか言いたくもありません。このブログもなるべく過度な批判や悪口を書かないように務めてきました。

 

 ゴールデンウィーク明けにはおそらく夏物バーゲンのラッシュになると思いますが、とにかく人の渦に巻き込まれるのは忌避したい。ちょっと高額になるけど、今年は空いているセレクトショップにでも行こうかな。

 

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