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福助くん その6

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    福助くん、9歳の秋です。 ちょっと長めの散歩をして、世田谷公園へ。 紅葉と福助をご覧くださいまし。

福助くん その5

  • 赤いサルビア♪
    2010年秋の福助くん。とある週末に埼玉県所沢市にある航空公園に行ってきました!

福助くん その4

  • 1 毎年恒例の・・・
    今さらですが、今年の花見の福助くん。ご近所の目黒川に行ってきました。

福助くん その3

  • 1 田舎に行ってきました!
    飼い主の田舎に行ってきた福助。うららかな春を迎えた大自然のなかで、いつもと違った表情に。

福助くん その2

  • 定位置
    平日は会社にいる福助。こんな感じの毎日です。

福助くん その1

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    笠木の飼い犬。甘えん坊でちゃっかり屋の8歳。雄。

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2018年6月

2018年6月29日 (金)

男はゲーム、女はLINE

 

 電車で移動する際には、乗客を観察するようにしています。服装や態度などを通して、いろいろと発見があるんですよね。

 

 それなりのブランドバッグからオニギリを取り出して頬張りながら、缶コーヒーをゴクゴクと音をたてて飲む若い女性を見た時は仰天しました。新宿から箱根に行く電車ではなくて、都心を走る地下鉄ですよ。車内で化粧はもはや普通としても、オニギリをムシャムシャはないだろうとボクは思いますが、そうした常識がない世代も確実に存在していることが分かるわけです。ルールや法律でなくマナーの問題ですから、家庭や個人によって温度差があっても仕方がありません。たとえば原宿で歩きながらクレープという感覚と同じかもしれない。そんなことを考えるのが、退屈しのぎになるわけです。

 

 近年の傾向は何といってもスマホです。時間帯にもよるでしょうが、立っていようが座っているにしても、乗客の6~7割はスマホの画面をくいいるように見ています。ボクは今でもガラケーにこだわる時代遅れなので、いったい何をしているんだろうと、失礼ながら横や背後から、覗くともなく見ることを続けているうちに、ある傾向が分かってきました。

 

 男の場合は年齢を問わずたいていがゲーム、女性はLINEが目立つのです。どちらも指を動かしていますが、やっていることは全然違う。パソコンのゲームはボクも一時期ハマりましたが、その時は熱中できても何も残らないことを実感できました。よほど通勤が苦痛なのか、そんなゲームに没頭している男に対して、女性はいつも誰かと短文で会話を続けている。面白いですよね。

 

 以前に「女性はネットワーク型」と指摘しました。これは筋力などフィジカルな面が一般的に男より劣るので、「情報」で自分を守るように発達してきた結果ではないかとボクは考えています。太古の社会環境では獲物を狩ることが最重要でしたから、「女はオシャベリだよな」で済ませることができたのですが、現代はそうはいかない。身体能力が問われる仕事なんてほとんどないかわりに、テクノロジーの飛躍的な発達によって、社会が高度に情報化してきたからです。

 

 にもかかわらず、男は1人で狩猟に出かけるような気分でゲームばっかりやっている。その隣の女性は「部長、ヅ●だってよ」「え! ていうか、やっぱ?」「昨日は風強かったから」「あー、それでね」みたいな会話をネット経由でやっているんじゃないかなぁ。くだらないように思えても、これもまた立派な情報交流ではあります。そうした情報で日々“武装”する女性に対して、男は今でもゲームかよ、と。おそらく日本でもアメリカのように“me too”的な告発が続くんじゃないかな。

 

 予言しておきますが、このような理由から、いわゆる男性優位社会は早晩崩壊することは間違いないと思います。その時に備えて男は何をしたらいいか。少なくともゲームではないだろうと思いますけどね。

 

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2018年6月28日 (木)

エサ化する食

 

 2011年6月8日に「『エサ化』した食」というブログをアップしました。この時はもっぱら家庭内の食事がテーマで、大安売りのハンバーガーを大量購入して冷凍。毎朝レンジでひとつずつチンして子供に食べさせるケースかあることを紹介しています。これは沖縄の事例でありまして、そのせいかどうか健康寿命ランキングの日本一から脱落。長野県に王座を明け渡すだけでなく、男性は全国25位、女性は10位となっています(2016年)。

 

 下にはまだ下があり、食物がどのように健康長寿に関係するかは様々な意見があるとしても、少なくとも冷凍庫から出したモノをチンするだけの食生活が楽しいとはいえないでしょう。それを続けていくと、食事は単なるエネルギー源の摂取ということになってしまう。

 

 そこで『エサ化』とボクは命名したのですが、例によってあまり話題にならず、それどころか週刊誌業界では今になって「食べてはいけない国産食品」ですからね。こんなテーマは、90年代末に『週刊金曜日』が「買ってはいけない」として大キャンペーンを張っており、ホントに性懲りもねぇなぁと呆れてしましまいます。ちなみにあの頃は『本当に「買ってはいけないか」』、『「買ってはいけない」は買ってはいけない』など批判本や類似本が山のように書店に並んだんですから。「買ってはいけない」が18年ほど経って「食べてはいけない」になっただけで、食品添加物の危険性をあげつらうことはまったく同じです。ひょっとして当時の本をネタ元にしているのかな。

 

 いよいよ本題です。「エサ化した食」は、家庭内だけでなく、外食にも及んでいるということを言いたいのであります。昨日は取材の前に久々にファミレスで食事をしたのですが、これがまぁみごとに、決してまずくはなく、かといって絶対にうまくもない。全国民を対象にした調査に基づく最大公約数の味を、セントラルキッチンでレトルトビニール詰めにして、各店にちゃっちゃっと配送したような感じなのです。「取りあえず1000カロリー体内に摂取できます」という印象。メニューだって固いビニールパウチで、味気ないこと夥しいのでありますよ。

 

 大衆的なファミレスで過度に期待するなという叱責が聞こえてきそうですが、ランチ一皿にドリンクバーで税込み862円は決して安くないと思うぞ。そりゃね、人手不足ということもよーく分かります。でもさぁ、「食べる喜びや楽しさ」がカケラも感じられない。またもやセルフサービスにそんなものを期待するなと言われそうですが、世界的な歓楽地のラスベガスでは「ビュッフェ(現地ではバッフェと発音します)」と呼ばれるセルフのカフェテリアが普及。それでも選ぶ楽しさや食べる喜びがちゃんと演出されています。さもなきゃ隣のホテルに客が逃げてしまいますから。

 

 極論させていただけば、経営者並びにマネージャーは貸借対照表と損益計算書しか見ていないんじゃないかな。小売業は売上げや利益率がすべてでないでしょう。もっとさ、人間らしい情緒的な部分を見ていかないと、アンタらの仕事はすぐにでも人工知能が代替するようになるぜ。

 

 大赤字をくらっている家具屋の娘さんもそうだけど、経営が数字ばっかりでクリエイティビティがまるで感じられません。経営学や経済学やMBAがそんなつまらないことばかり教えているなら、むしろ文学部に行って北大路魯山人の著作なんかを研究したほうがいい。

 

 とにかく、今の日本には何よりも「創造力」が必要なのに、組織の圧力があるのかないのか知らんけど、ダイソンの掃除機ひとつ発明できなったことを深く恥じ入るべきだと思うのです。

 

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2018年6月27日 (水)

大人の半ズボン

 

 すとっぷ、ざ・しぃずん、いん・ざ・さぁあーん、心うるおしてくれぇ……。

 

 ついに、とうとう、いよいよ、挙げ句のはてに、怖れていたシーズンがやってまいりました。

 

 いえね、天空を爽やかな薄青色に染める初夏のことではありません。じりじりと照りつける午後の陽光でもなく、生温かな空気と冷気が混じり合った汽水域のような夕方でもないんだよな。

 

 要するに、男の半ズボン姿がですね、ボクはものすごく苦手なのです。愛好家の皆さんにはまことに申し訳ありませんが、毛ずねだろうが、無駄毛をキレイに剃り上げた脚だろうが、とにかくボクは大人の男の半ズボンが理屈抜きで生理的に馴染めないのであります。

 

 普通のズボンに比べれば風通しが圧倒的にいいので、きっとおそらく涼しいことは間違いありません。90年代にシンガポールに行った時には、ボクも慌てて半ズボンを現地で購入したくらいですから。雨季に入った7月だったので蒸しまくりの完璧なサウナ状態。あの国はビジネスを制限する法律がほとんどないので、起業しやすいと聞いたことがありますが、とにかく暑くて湿度も異様に高い。普通のズボンで1時間も歩いたら、汗でタイツのように脚にへばり付くので、半ズボンでなきゃいられない地域といっていい。そのかわりにホテルの中はギンギンの冷凍状態。オレはビールじゃないぞぉぉぉといいたくなるほど寒くなるんですな。

 

 そんなわけで、このシンガポール並びにタイなどの東南アジアは例外として、日本では半ズボンはちょっと敬遠したいのに、近頃の養殖ブリ、じゃなくて、増殖ぶりは半端ないんですよね、って実にイヤな言葉だなぁ。

 

 どんな格好をしようが個人の勝手ということは十分に承知しているので、ワタクシのほうが固定観念の虜なのでしょうかねぇ。そういえば、植木等もかつては白いステテコに腹巻きで団扇という格好でコントをやっていました。

 

 夏だTUBEだ半ズボンだぁ、みたいな三題噺的横並びのような増え方が好きではないのかなぁ。TUBEも今ではトレンドオフみたいな雰囲気なんですけどね。

 

 昨日まで本気で世間と政治に憤慨してきたので、本日はちょいと文体を気楽にしてみました。オートマティスムもやってみたかったけど、これは次の機会にしようかな。自動筆記って分かる人には分かりますよね。ブルトンなんて読んだこともありませんけど。

 

 暑い時には涼しい格好でいるのが一番いいことは分かっているんだけど、やはりボクにはどうしてもはけないのが半ズボンなんです。ゴメンなさい。

 

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2018年6月26日 (火)

法人格

 

 海外逃亡していたとみられる「はれのひ」の社長が帰国直後に詐欺容疑で逮捕されました。成人式の晴れ着の販売またはレンタルを主業務として、経営破綻が判明した後も営業を行い、式の直前に店舗を突然に閉鎖したことで多数の若者に被害を与えた事件です。

 

 ビジネスモデルそのものにいささか問題があることはさておき、決算を粉飾して横浜銀行から融資を受けていたことが直接の逮捕理由ですが、本日の新聞報道によれば、債務超過にもかかわらず年間4500万円もの報酬を自社から受け取っていたそうです。こんな奴がまだ世の中にはびこっていたと知って、またまた呆れてしまいました。

 

 というのも、ボクは自分の会社を作ったばかりの頃に、ある経営コンサルタントの仕事をほんのちょっとだけ請負い、その時にこんな自慢気な説教を聞かされたからです。

 

「会社なんていつも借金だらけの赤字にしておけばいいんだよ。そのほうが税金もかからないから」

 

 そのかわりに自分は会社から高額報酬を得てたっぷりと蓄財しておく。いざとなったら倒産させればいいじゃないか、とはさすがに言いませんでしたが、これはちょっと犯罪的な発想ですよね。こんなことをみんながやったら、会社に法人格を与えた社会的な意義がなくなってしまいます。人間は誰しもいくつかの権利が認められているかわりに、憲法で三大義務が定められています。うち1つが「納税」ですから、それをすり抜けること自体も大問題ですが、会社という法人格を信用した人たちに多大な迷惑を及ぼすことになります。

 

 現実には、中小や零細企業に無担保で大金を融資する金融機関はほとんどなく、少額にしても経営者の個人保証が求められます。倒産によって法人の借金は免責されても、社長個人が保証人になっているので、そちらのほうで取りっぱぐれを防ぐという仕組みです。

 

 けれども、それにしたって自己破産という必殺技があるほか、昔は取り込み詐欺による計画倒産が結構あったんですよね。最初の頃は代金と引き換えに商品を購入。それを何度も続けて信用を得たら、ある時にドカンと大量に購入して後払いにしてもらう。それを売り払ったカネを懐に隠してから、おもむろに「ごめんなさい」と倒産させるわけです。よほどの違法性がない限り経営者は免責され、隠したカネを元手に奥さんなどの親族が責任者となって再び会社を設立。またしても経営破綻させて資産を増やしていくことを「焼け太り」と呼んでおりました。3回も倒産すれば、相当な資産を貯め込むことができたので、恥知らず恩知らず人でなしになることさえできれば、誰でもカネ持ちになれると思ったことがあります。

 

 まだ「はれのひ」の実態は明らかになっておらず、悪意や詐欺の立証には時間がかかると思いますが、会社の財政が明らかに火の車になっていることを知りながら4500万円の報酬はそもそもあり得ないでしょう。順調な時でも年間売上げはせいぜい3〜4億円。貸衣装を購入する資金負担が伴うだけでなく、店舗も複数を借りていたらしいですから、真面目な経営者ならこんな報酬を設定するはずがない。

 

 ボクなんか、いやまぁ、恥ずかしいほどにみみっちい収入しかもらっておりませんが、それは会社が永続性を旨とするものだと理解しているからです。自分が豊かになるよりも、会社を存続させることが第一義であり、人間と同じように法人格も長生きを通して社会に貢献できると考えてきたのです。

 

 だからね、破綻直後に海外逃亡というあたりで悪質な犯意を感じざるを得ない。無記名の米国債を購入してどこかに隠しておく、なんてことも十分にある話でしょう。そんなヤカラが今でもいて、ビジネスという名の悪業を行っていたかと思うと本当に憤慨を禁じ得ません。

 

 こういうことをいくら法律で取り締まろうとしても、次から次に網の目を抜けていく奴が出てきます。このブログで何度も何度も何度も何度も、イヤになるほど指摘してきましたが、だからこそ正義や倫理を子供の頃からしっかりと教えなきゃいけない。なのに、どういうわけか嘲笑する人が少なくないんだよな。日の丸や君が代なんかよりよっぽど大切なことだと思うんですけどね。

 

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2018年6月25日 (月)

ことなかれ主義

 

 かなりの大昔になりますが、まだ駆け出しの記者だった頃に大きな地震があり、ブロック塀が倒壊して死傷者が出ました。自治体はすぐに対応して、危険なブロック塀を植栽などに変更すれば補助金を出すと決定。この通称「生け垣条例」を取材して記事にしたことがあります。

 

 それからン十年も経過した21世紀に、学校でまったく同じ事故が発生。悲しいことに、可愛い盛りの小学校4年の女子児童が亡くなりました。原因だって同じ地震ですから、マジでバカヤローと憤慨せざるを得ません。ボク自身も子供の頃に重い鉄扉の下敷きになって死にかけたことがあるので、その辛さや苦しさはよく分かるんだよな。

 

 さらに、このブロック塀を持つ小学校は、3年前に外部の専門家から危険性を指摘され、教育委員会に安全点検を依頼。そこからチェックに来た2人の担当者は、建築士でも何でもなく、ロクな知識もないのに問題ないと判断したというのですから、こんなもん明らかに人災ではありませんか。

 

 もともと教育委員会なんて何をしているのかよく分からない組織ですが、取りあえずは学校を特定の政治支配から守ることが基本であり、その崇高な理念も含めて、まぁまぁ日本の諸制度はそれなりに整備されてきたとボクは思います。

 

 ところが、近頃起きている問題の多くは、制度というより、それを運営する人間の側にあるんじゃないかな。先のブロック塀のチェックにしても、どうして無資格の担当者が派遣されて「安全」というお墨付きを与えたのでしょうか。当該のブロック塀が建築基準法違反の高さであることすら認識していなかったというのですから、申し訳ありませんが、ホントにいい加減なチェックだったしか思えません。いじめだって平気で見過ごしたり、自殺の原因を握りつぶして知らん顔を決め込むところですから、こんなことは十分にあり得ますけどね。

 

 しかしながら、問題の学校の校長は、いかにいい加減なチェックだったとしても、それによって免罪符を得たことになります。教育委員会から派遣された連中も、それなりに点検はしたということで責任を追求されることはないでしょう。こうした法に触れない「ことなかれ主義」の連鎖が、せっかくの制度を形骸化しているんじゃないかな。

 

 誰しも面倒なことから遠ざかりたいと思う反面で、正義や道徳や倫理感も持ち合わせているのが人間という生き物です。しかしながら、そうした良心を怒濤のように押し流していくのがピラミッド型の組織なんですよね。ジャンケンポンのような対立関係を持たないだけに、上方の権力者に逆らうことができない。むしろ積極的に「忖度」することで、出世の階段をどんどん上がっていける。前述した点検にしても、「部長、これはやはり危険ですよ」と報告すれば、議会に諮って予算を新たに組んで対応しなきゃいけない。このため上司が「問題なんかないよな、なななな、そうだよな」と事前に言外に示唆していたとすれば、組織人としては抵抗しにくいですよね。日大アメフト部の元選手のように自らの罪を告白する勇気を持つ大人なんて、ものすごく希少、いや皆無といったほうが正確かもしれません。

 

 これらはあくまでも仮定の話であることを念押ししておきますが、そんな構造と無言の圧力によってブロック塀の危険がみすみす見逃されたとしたら、MK問題もほとんど同じ根っ子が原因ですから、安倍首相の罪は極めて重大だと思います。テレビでも人間性の劣化なんて微妙なテーマは取り上げないもんね。先週の続きみたいで恐縮ですが、この国はもう終わりなのかなと、たまに本気で思うのであります。

 

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2018年6月22日 (金)

コックがいない!

 

 5年くらい前に、日本はマネジャーとウェイターばかりが溢れているレストランのようだと書きました。つまり、厨房で肝腎の料理を作るコックあるいはシェフがまるで足りないんじゃないかと言いたかったのですが、少子化による人口減によって、ますますその傾向が強まってきたような気がします。

 

 大学進学率がやたらに高まってきたおかげで、手を汚さないホワイトカラーが増えて、現場で働く人が減れば、担当者の労働過重になるか、それとも製品やサービスの質が低下するか、どちらかしかあり得ません。実際にコンビニの店頭では外国人が顕著に増えており、だからといってサービスに問題があるわけではないにしても、異文化や考え方などの違いで、うまくシフトを回せないということもあるんじゃないかな。そうなると棚の商品が適切に補充できず、地域のスーパーバイザーが面倒をみるようになれば、今度は彼らに負担がかかってきます。

 

 前述したように、日本をレストランとするなら、ベテランのシェフも必要だし、中堅のコックや、洗い場を担当する見習いがいなければ将来性に問題が出てきます。蝶ネクタイをした黒服が山のように溜まっているのに、厨房で働くのはほんの数人なんていう店には誰もいかなくなるでしょう。

 ボクの勝手な危惧や憶測というならそれでもいいんだけど、あと数年後にそんな事態が続出するように思えてなりません。教育機関も、そろそろ言葉を弄ぶのはいい加減にやめて、現場で活躍する人材を本気で育成するだけでなく、彼らに社会が敬意を払う習慣をつけていかないと、この国は本当にやばくなりますぜ。

 

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2018年6月21日 (木)

ドレスデン(後)

 

 月曜日の午後に帰国したばかりにもかかわらず、火曜日夕方、水曜日朝と取材が続いており、本日の木曜も午後一番のアポで町田まで足を伸ばさないといけません。その間に2本の原稿もアップしました。フリーランスでありますから、基本的に忙しさは大歓迎なのですが、休みなしの立て続けというのはさすがにちょっとへコたれます。

 

 ちなみに、フリーランスは「傭兵」がルーツであり、ランスとは彼らが携えていた「槍」のことです。それに「フリー」が冠されているのは、その槍をどこにでも向けられることを意味していると聞いたことがあります。とはいっても、昔も今も雇用主に逆らうことはできませんが、カッコ良くいえば孤高の精神を表現しているとボクは理解しています。現実には「飢えるのも自由業」と言うほうが妥当なんですけどね。

 

 さて、ドレスデン報告の最後です。今回の海外出張でボクが最も見たかったのは、ゼンパー歌劇場の「5分時計」でした。A.ランゲ&ゾーネの「ランゲ1」という傑作モデルが備えている大型の分割式日付表示「アウトサイズデイト」は、この「5分時計」にインスパイアされて誕生したからです。このブランドはドイツの名門老舗ですが、第2次世界大戦後に東ドイツの国営企業が接収。栄誉ある名称が一度は消えてしまいました。それが1990年のドイツ統合を契機として劇的に復活。94年にファーストモデルとして発表されたのが「ランゲ1」であり、このモデルの際立った特徴のひとつが「アウトサイズデイト」だったのです。

 

 ほかにも数々の独創的な機構を備えていますが、話が長くなるので省略します。とにかく、それまでの時計は小さな1つの窓で日付を表示していたのに対して、「ランゲ1」は大きな窓が2つあり、二ケタに分割された大きな数字があったのです。初めて見た時は本当に驚きました。衝撃を受けたといったほうが適切かな。今では大型の日付表示は珍しくありませんが、「ランゲ1」が腕時計の常識を変えたといっても過言ではないと思います。そして発表当初から、この機構はドレスデンにあるゼンパー歌劇場の「5分時計」をモデルにしたと紹介されていたので、それなら実物をぜひ見たいなぁと。

 

 それから20年以上を経て、ようやく念願が叶ったわけですね。ボクは劇場内の横の壁に設置されていると思い込んでいたのですが、ステージの高い天井の真上に設置されていました。2つの窓があるのは「ランゲ1」と同じでも、実物のほうは左側がローマ数字で時間を、右側はアラビア数字で5分おきの分を表示します。しばらく凝視していると、たとえば5分から10分へとガチャリ、という音はまさか聞こえませんが、大きなアクションで上から下に表示が動きます。何しろボクは20年越しの悲願成就でありますから、それを見て「おおおおおお、これかぁ!」と心の中で声を挙げてしまいました。ほかにも感嘆する理由はいろいろあるのですが、やはり長くなるのでここでは省略します。

 

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 ガイドさんの解説によれば、昔はオペラを女性だけで見ることは許されなかったそうです。このため旦那もしくは彼氏と同伴せざるを得なかったのですが、紳士の皆さんはオペラの恋物語より競馬なんかに行きたい。そこで懐中時計を何度も取り出しては「まだ終わらないのか」と落胆してフタをカチリ。そんなことをする紳士が1人や2人ではないので、王様は不快に感じて劇場内に時計を設置することにしたそうです。

 

 それだけに観劇の邪魔になってはいけないので、視野に入りにくい最上部に配置するだけでなく、紳士諸君が頻繁に見上げることのないよう5分おきにしか変わらない時計にしたと伝えられています。そもそも時間を忘れて歌なりドラマに没頭する場所なので、ボクが知る限りでは、壁面に時計のある劇場はここしかありませんが、かなり注意深く配慮されているわけです。

 

 さらに、この時計を製作したのが、ブランドを創業したアドルフ・ランゲの師匠にあたる宮廷時計職人、フリードリッヒ・ガトカスだったのです。

 

 かつてのドレスデンの栄耀栄華がA.ランゲ&ゾーネという時計ブランドを生み出しました。アウトサイズデイトは、その豊穣な歴史を凝縮した独創的なアイコンといえるのではないでしょうか。

 

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2018年6月20日 (水)

ドレスデン(中)

 

 一昨日に帰国したばかりなのに、取材が続いております。特に本日は朝一番なので、ブログをゆっくり書いている余裕がありません。なので(中)として、簡単にまとめます。

 

 ドレスデンは、隣のチェコ国境まで約30㎞というドイツの東部に位置する都市です。このロケーションで分かるように、第2次世界大戦後は東ドイツ、正確にはドイツ民主共和国となりました。大戦中は連合軍による徹底した猛爆撃を受け、中心部はほとんど灰燼に帰したそうです。これは日本の大都市も同様ですが、新しい都市計画に基づく近代的な街並みに変貌したのに対して、ドイツでは時間をかけて名所・旧跡を丹念に修復してきたことが違うといえそうです。

 

 この再建の動きは、東西ドイツが統合された1990年から活発になりました。たとえば聖母教会は完全に破壊されたのですが、その瓦礫を漏れなく拾い集めて、できる限り元の位置に組み込むという「ヨーロッパ最大のジグゾーパズル」と評される難事業に挑戦。2005年10月にみごと完成しています。オリジナルの部材は黒ずんでおり、新しいものは白っぽいので、壁がモザイクのようになっているのですが、おかげで新名所になっているそうです。そのために世界中から182億円の寄付が集まったということにも感動しますが、爆弾を落とした側であるイギリスの爆撃手が塔頂部のシンボルを寄贈したというのも、なかなかいい話ではありませんか。

 

 ドレスデンは18世紀の初頭、フリードリヒ・アウグスト1世の頃に最も発展したとされており、歌劇場など歴史的な建築物や、当時の栄耀栄華を想わせる様々な芸術品を収蔵した博物館もあります。旧市街のどこにいっても、ガイドさんがスクラップブックをめくって「昔はこうだったんですよ」と崩れた瓦礫の写真を見せてくれます。それをみごとに復興してきたことが、市民の新しい誇りになっているようです。

 

 エルベ川を挟んで、北側が新市街、南側が旧市街となっていますが、どちらも起伏がほとんどありません。山の上から市街をみたのですが、どこまでも平坦であり、これも日本ではあまり見られない光景ではないでしょうか。

 

 いずれにしても、落ち着いた雰囲気の上品な古都でありまして、ほどの良い規模も含めて、ボクはとても居心地良く感じました。

 歴史や伝統というのは、新しく買ったり売ったりすることは絶対にできません。にもかかわらず、どうもボクたちは進歩や革新ばかりを気にして、過去のことをあまり大切にしないように感じます。ある大学教授はいつも学生に「キミたちの目の前にあるものは突然に出現したものではないよ」と話しているそうです。そんなことを思い出させてくれる古都なのであります。

 

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2018年6月19日 (火)

ドレスデン(前)

 

 昨日午後2時過ぎにドイツから帰国。到着直後に大阪で死者が出る大きな地震があったと聞きました。搭乗した航空機はインターネットに接続できるのですが、有料なので利用しなかったんですよね。機内でネットを使う必要性は特段になく、ニュースを早く知ったところで、飛行機の中でやれることなんてないという旧世代的なメンタリティもあるのかな。ケチと思う人もいるでしょうが、いま時ネット接続でカネを取ろうという心根のほうがセコいと思いませんか。舗道を歩くときに、誰も通行料なんて支払いません。インターネットもそれと同じではないのかなぁ。インフラは税金で賄うとして、カネがもっと欲しいなら独自の付加サービスを発明しろよ、って思うわけです。

 

 さて、ドレスデンですが、これは明日の話題にするとして、念願の映画『シェイプ・オブ・ウォーター』を観ることができました。以前に海外出張した時にチラリとチェックして、独特の映像世界に興味を持ったのですが、何せ中東の航空会社だったので日本語字幕がなかったんですよね。この映画はセリフを理解しないとダメだろうと勝手に決めて、活劇(古いなぁ)の『ワンダーウーマン』を選びました。これなら英語のセリフも前後関係で理解できますから。

 

 で、『シェイプ・オブ・ウォーター』の感想なのですが、ストーリー自体はそれほどの新味はありません。異質な生物との遭遇譚は宇宙人をはじめとしていろいろあります。ところが、この映画は主人公の女性が決して美人でも若くもないことに特徴があります。むしろ不細工といったほうが適切でしょう。しかも子供の頃のトラウマか何かで、耳は聞こえるのだけど会話はできません。

 

 そんな彼女は、冷戦下のソ連と対抗するための極秘研究所に清掃員として勤務しています。住んでいるのは映画館の上階。ベッドがないのかアイマスクを着けてソファで就寝。毎朝、手を伸ばして目覚ましを止めて起床。卵を3つ茹でてからバスに乗って通勤するという生活です。つまり、掃除のオバサンの男っ気のない退屈な日常が淡々と描かれるのですが、セピアっぽい雰囲気がなかなか良くて、すぐに惹き込まれてしまいます。そんな彼女が、ある時に、研究所に運び込まれた半魚人というのか何というか、エラ呼吸だけでなく肺呼吸もできる異生物と出会い、手話を使いながら交流していきます。しかもプラトニックではない具体的な恋におちてしまうというあたりが、21世紀らしいファンタジーといえるのかな。

 

 けれども、研究所はこの異生物を扱いかねて、生体解剖するらしい。その計画を知って、彼女は海に逃がしてやることを決意します。掃除のオバサンが、何とアメリカ政府を敵に回すわけです。このあたりから映画は大きく動き始めるのですが、異生物への同情が恋心に変わる前後あたりから、このオバサンが魅力的に見えてくるから実に不思議なのです。大きな鼻で不細工であることに変わりはなくても、見え方が違ってくるのかなぁ。昔から「美人は3日で飽きるが、ブスは3日で慣れる」とも言われますが、恋をした女性は誰でも綺麗になれるのだと実感させる映画です。

 

 その脱出計画に協力する隣人の絵描きのオッサンが同性愛者ということもあって、「生物多様性」を読み取ることも可能でしょうが、それは副産物じゃないかな。今でも感想をうまくまとめられないで困っていますが、映画としての完成度はかなり高いと思います。最後にオバサンと異生物が「結ばれる」あたりは蛇足だと思いますが、あれがないと隠された関係性が分からないので、必然性がないわけではありません。

 

 とにかく最初から最後まで不思議な魅力に満ちているのです。アカデミー賞で作品賞、監督賞、作曲賞、美術賞の4冠に輝き、けれども女優賞には縁がなかったのも納得できます。ことさらにヒューマニズムを強調していないことも好感を持てました。日本語にすれば「水の形」となるのかな。そんな雰囲気を楽しむ映画といえるかもしれません。

 

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2018年6月13日 (水)

非核化

 

 ちょっと違うといえば従いますが、人差し指1本で人間が死んでしまう拳銃と同じで、核爆弾もないほうがいい。「てめぇこの野郎!」と勢いでボタンを押したら、1つの都市が壊滅して何十万人が死に至るだけでなく、報復攻撃でもあれば地球上が大変なことになってしまいます。拳銃も核爆弾も実行に手間がかからない分だけ途中で歯止めが利かず、「しまった!」と思っても後戻りできない甚大な被害が発生するわけですね。

 

 第2次世界大戦直後に、そんな危ない大量破壊兵器をアメリカだけが独占するのはもっと危ないと考えた人たちがいます。有名なのはローゼンバーグ夫妻で、原爆製造などの機密情報をソ連に提供したスパイ容疑で死刑に処せられました。日本に2発落とされた原爆製造=マンハッタン計画に携わった理論物理学者のセオドア・アルヴィン・ホールも、プルトニウムの製造方法などをソ連に流していたとされます。

 

 トランプ大統領が北朝鮮の非核化で巨体を揺らして高笑いしているのを見て、そんなことを思い出しました。ボクだって北朝鮮が核爆弾を持つことは大反対です。であるなら、アメリカだってロシアだって、フランスやイスラエルもダメじゃないですか。

 

 セオドア・アルヴィン・ホールはFBIに目を付けられていたのですが、長く発覚することはありませんでした。1995年にスパイの嫌疑がかけられていたことが判明。1997年に彼はそれを認める声明文を発表しました。その動機について「核兵器に関するアメリカの独占は危険であり避けるべきだった」としています。

 

 歴史にifはないと言われますが、もしもアメリカだけが核爆弾を保有していたとしたら、どうなったでしょうか。朝鮮戦争やベトナム戦争などで使用されなかったとは誰も言えませんよね。すでに2発を日本に投下した「実績」がありますから、否定なんかできるはずがない。

 

 ソ連も核爆弾を大量に保有しており、報復によって「全面核戦争」に発展する怖れがあるからボタンを押さなかったとしたら、ローゼンバーグ夫妻やセオドア・ホールは人類救済に貢献したことになるじゃないですか。

 

 アメリカの国益を損ない、貴重な情報を漏洩することで核爆弾が世界に広がったという見方もあります。けれども、より高い視野から見れば、核には核をもって対処するという「核抑止論」の始まりは、ソ連のスパイとされた彼らであるともいえます。だったらノーベル平和賞にも値するのではないかと。

 

 非核化を単純に称賛するのでなく、そうした歴史をきちんと評価すべき時期ではないかと思うんですけどね。

 

 さて、明日からドイツに出張なのでブログも休止させていただきます。帰国後の6月19日から再開する予定です。

 

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2018年6月12日 (火)

ここに居ていいのか

 

「ここではないどこかへ」

 原典はゴーギャンだったような気もするのですが、あまりにもロマンチックなフレーズなので、グレイの歌にもなったりしているようです。どこかにあるはずの新天地を求める心境はよく分かるのですが、ボクはまったく逆なんですよね。

 

「ここに居ていいのか」

 小学校の頃から何度も引っ越しをしたトラウマかもしれませんが、住んでいる地域にアイデンティティが持てない時がしばしばあります。恵比寿に住み始めて四半世紀を超えるほどであり、それまでのいかなる地域よりも長いのですが、それでも違和感を覚える時があります。ここでいのか、本当にここに居ていいのか。許可を出せる人なんてどこにもいないはずでも、やはり居心地の悪さをどこかで感じる時があるのです。

 

 本日は締め切りなので、このあたりでご勘弁いただきますが、もしかすると「ここではないどこか」を求める心境は決して前向きなものではなく、案外そうした疎外感や贖罪的な意識からの反動かもしれません。

 

 だからってどうってことはありませんが、もうすぐドイツに出発します。そこはボクにとって「ここではないどこか」になるのかな。

 

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2018年6月11日 (月)

ありがとう

 

 普段は履き古したジーパンとシャツ姿で、尻の右側のポケットにカギとハンカチを入れております。冬から春はそれで何の問題もないのですが、初夏から盛夏にかけては危険が伴うんですよね。

 

 モノカキをナリワイにしているものですから、つい大げさな前フリをかましてしまいましたが、大切なカギを落とすことがあるのです。事務所のあるマンションは数年前からオートロックになっており、カギがなければエントランスからアウトです。事務所のカギも二重になっているので、なくしたら実に面倒なことになってしまう。

 

 でね、暑い時は尻のポケットからハンカチを出して額の汗なんかを拭くじゃないですか。この時にカギもハンカチに引きずられて、ポケットから抜け出て落ちることがままあるわけです。田園のあぜ道ではないので、カチャンと音がして気づくのですが、ボクはイヤホンを両耳に突っ込んで音楽を聴いていることがしばしばなので、その警告音が聞こえないわけですな。

 

 そんな危機的状況が、昨年の地下鉄構内であったのです。ボク自身はお気楽にアンドレア・モティスなんかを楽しんでいたのですが、誰かが背中をつつくんですよね。失礼な奴だなぁと、イヤホンを耳から抜き取りながら振り返ると、素晴らしく可愛い外国人の女の子がいるではありませんか。広尾にインターナショナルスクールがあるので不思議なことではないのですが、やはりボクの魅力は外国人にしか分からないのだと勘違いしかけた瞬間に、差し出された手の上にカギがあったのです。ありゃりゃりゃ、もうちょっとで大変なことになるところでした。もちろん Thank you very much! ですけど、ハイティーンの娘さんらしく友達と一緒に談笑しながら、到着した電車に乗り込んでいきました。

 

 これに懲りて、カギはジーパンの前ポケットに入れるようにしたのですが、どうにも気持ちが悪い。カギが足の付け根あたりに当たって、何だか落ち着かないのです。それで意識しないうちに、もとの尻ポケットに戻るようになってしまいました、

 

 バカだね、ホント。経験に学べない奴だと誹られるのを覚悟で告白すると、ケンタッキーに行く途中で、いやアメリカでなくてチキンのほうですけど、夏日だったので汗を軽く拭き終えたハンカチを尻のポケットに入れながら、念のために内側をまさぐると、ないんですよ、大切なカギが。こっちかなと反対側の尻ポケットを探ってもない、前側の両方のポケットにもない、シャツのポケットにももちろんない、ないないない、と焦りまくりです。

 

 えー、そんな時に、やはりボクの肩をちょいちょいとつつく人がいたんですね。妙齢の美しいご婦人でありまして、悪戯っぽい微笑みを浮かべながら、つまんだカギをブラブラさせていたのです。頭を下げながら慌てて差し出したボクの手の上に、そのカギをヒョイと落としてくれました。そりゃもう、感謝感激、「ありがとうございます」でございますよ。

 

 けれども、本当にしまったと心底から後悔したのは、横断歩道を渡った彼女の後ろ姿が小さくなってからです。「御礼にアイスコーヒーなんかいかがですか」とでも誘えば良かった。暑かったので「そこのHUBで冷たいビールを奢らせてください」のほうがいいかな。お前は和歌山のドンファンかって感じですが、今となってはカギよりもそっちのほうが惜しい。今度は金のカギを落とそうかなって、あくまでも冗談です。いろいろ大変な事件は起きますが、大多数の皆さんは親切なんですよね。ありがとうございました。

 

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2018年6月 8日 (金)

心のリミッター

 

 クルマに乗らなくなって20年以上経つのでよくは知りませんが、日本国内を走るクルマにはスピードリミッターがついているはずです。スピードメーターには時速200㎞以上の表記があっても、確か180㎞までしか出せないようになっているんじゃないかな。だったら、大排気量のスポーツカーなんて無駄もいいところですが、加速力が違うとか、まぁいろいろあるんでしょう。

 

 ボクはいつの頃からか、どんなクルマに乗るか、ということより、クルマでどこに行くかのほうに強い興味を持つようになったので、時速180㎞だろうが300㎞にしても、速度に関心はまるでありません。行政によってそうした制限が加えられることには賛成できませんけどね。

 

 さて、本題です。人間の身体にもある種のリミッターがあり、たとえば筋力も自動的にブレーキがかかるようになっているらしい。100%の力を出し切ると細胞組織が破壊されてしまうからです。ただし、緊急時にはリミッターが外れることもあって、それが「火事場のバカ力」なんてことになるわけですね。

 

 であれば、身体だけでなく、心にもリミッターがあるはずです。「そこまではさすがにできない」とか「まさかそんなことできるはずないだろう」という感覚ですよね。親や学校による躾や教育、道徳や倫理や宗教的な理念もあるでしょうが、人間を怪物にしないための自制装置といえるんじゃないかな。

 

 逆に、この自制装置を外すことが、途方もないカネ持ちになったり、並外れた成功を手にする秘訣になるということです。だから「恥知らずになれば必ず成功できる」とか「恥知らずだけが大金持ちになれる」みたいな本を出したら、結構売れそうな気がするなぁ。興味を持った出版社は連絡ください。ボクにはそうしたエグさ満載の文章は書けませんが、企画と編集くらいはやりまっせ。

 

 えーと、何が言いたいんだっけか。あ、そうそう、孫ほどに年齢の離れた女性と結婚した直後に亡くなった「紀州のドンファン」です。死の原因はさておき、彼もリミッターが外れていたような気がします。そうした人が持っている世界観がどんなものかを知りたいんですよね。

 

 ボクはどうしたってリミッターを外せない普通人にほかなりませんが、いささか変人ではあるので、外してしまった人の孤独は分かるような気がします。これから本格的に心の時代に突入するとボクは予想しているので、そうした精神的な越境者、あるいは怪物たちの列伝みたいなものを書けないかなと。それを通して心のリミッターのメカニズムが少しでも分かれば、スポーツなどの指導法も大きく変わってくるはずです。ただし、前述したように怪物を量産してしまう可能性もあります。医学研究における生命倫理と同じく、大きな枠組みを作っておく必要はありますが、文系では希有な実用性の高い研究であり、うまくいけばノーベル賞だって狙えると思うんだけど、いかがでしょうか。

 

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2018年6月 7日 (木)

その角を曲がると……

 

 人生というのは、ある程度の予定調和と、それに相反するアクシデントの連続だと思います。予定調和のほうは、いいことも悪いことも、心の準備をそれなりにできるのですが、アクシデントとなるとそうはいきません。

 

 たとえば、その角を曲がったら、拳銃を持った凶悪な武装強盗がカネ持ちを襲っているところに出っくわして、彼らは目撃者となったあなたをヤバイと言ってズドンと一発。日本ではあまりないことでも、アメリカの一部地域では十分にありそうなことです。意に反して突然に人生の終わりに直面した時に、あなたは何を思うでしょうか。

 

 たとえば、その角を曲がったら、20年前に泣く泣く別れた恋人と偶然に出会うかもしれせん。少し髪が白くなり、細い皺が増えても、あの頃の美しい面影はしっかりと残しています。息を呑んで見つめるあなたに、やさしく「久しぶりね」と呟く彼女。そういうことだって、まるであり得ないとはいえないですよね。

 

 その角を曲がったら、老婆がしゃがんで苦しんでいたので介抱して病院まで送ると、実は大金持ちの未亡人で、って、これはどこかで読んだよな。あ、『サラリーマン金太郎』でした。

 

 その角を曲がったら、あなたを残して家を出て長く行方不明だった母親が立ち尽くしているかもしれません。温和しく亭主の後をついていくだけで、男と駆け落ちするような人とはとても思えなかったのに、あなたを捨てて出奔してしまった。憎しみもあるけど、愛着も捨てきることはできない。最初の一言を何から始めるべきか。

 

 そんなこんなのパターンをいくらだって考えることができます。つまり畢竟、人生というのは、そうした角を曲がることの連続でございまして、幸運も不幸も、喜びも悲しみも、そこにしかないわけです。ただし、この角は目には見えません。だから、角を曲がったと感じない人もいます。ボクなんかもその1人で、振り返ればいくつの角を曲がってここに来たことやら。

 

 そう考えれば、人生は興味深いという意味での面白さに満ちています。そう考えることしか、アクシデントへの有効な対処法はないといっても過言ではないと思うのです。

 

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2018年6月 6日 (水)

Gentle Forest 5 & Gentle Forest Sisters

 

 締め切りの団体様を、品質はさておき、ようやくやり過ごしたお祝いとして、たまたまたま、じゃなかった、またまたまた浅草HUBに行ってきました。出演は「Gentle Forest 5 & Gentle Forest Sisters」。初めて聴くバンドですが、これがもう圧倒的な大正解でありまして、ようやくボクが大好きな都会的でモダンなノリのいいスウィングジャズに出会うことができたのです。

 

 アップテンポの曲では、夜の首都高速をスポーツカーで疾走していくような心地良いスピード感。スローなバラードは、昼間の暑さが消え始めた過ごしやすい夏の宵という雰囲気で、とにかくサウンドがメチャメチャに格好いいのです。トロンボーンとサキソフォンもとびきり上手というだけでなく、素晴らしく息が合っており、そのハーモニーは聴覚の快感といっていいんじゃないかな。ウッドベースもアコースティックギターも、そしてドラムも快適にスウィングしており、いっぺんにファンになってしまいました。ステージもあっという間で、気を抜くヒマがありません。

 

 しかも、Gentle Forest Sistersとネーミングされた3人の女性コーラスが、これまた抜群にボク好みなんだよな。1930年代から60年代にかけて活躍した3人姉妹のアンドリューシスターズを彷彿とさせます。以前にも書きましたが、初期の『バーン・ザ・フロアBurn the Floor』で歌われた『ブギウギ・ビューグル・ボーイBoogie Woogie Bugle Boy』で、この3人姉妹を知ったのですが、コーラスとしてのハモリの雰囲気はほとんどそっくり。メンバーの1人とちょっとだけ話をさせていただいたのですが、すぐにアンドリューシスターズの名前が出てきたので、随分勉強していると感じました。

 

 そして、Gentle Forest 5というのは、総勢21人のビッグバンドGentle Forest Jazz Bandからのピックアップユニットなんですよね。すでに4枚のアルバムをリリースしており、バイオグラフィでは「現在日本で最も多忙なビッグバンド」と紹介されています。そうなると、いよいよ聴きたいじゃないですか。8月に公演があるらしいので、これは是非モノとして Save the Dateしておこうと思います。

 

 その前の7月に浅草HUBに出演するので、そっちが先かな。いずれにしても、彼らのファンになるぞぉ、と決心した次第であります。

 

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2018年6月 5日 (火)

幸運になるには……

 

 四つ葉のクローバーをモチーフとしたアクセサリーといえば、男はともかく、女性ならすぐに思いあたる人が少なくないはずです。三つ葉が普通で四つ葉は希少なので、昔から幸運の象徴とされてきました。だからアクセサリーやジュエリーにアレンジされても当然なのですが、ボクは随分以前から「どうしてだろう」と不思議に思ってきました。

 

 自然界と違って、人間がこしらえたものには必ず理由や由来があります。仮に美しさに感動したにせよ、それを宝飾などに造形するということは、何か特別な意味を持たせているはずなんですよね。

 

 そんなことを漠然と気にかけながら何年も過ごしてきたのですが、その理由がたまたま昨日に判明したのです。アクセサリーなんて関係ねぇやと、このブログから立ち去ろうとしているなら、ちょっと待ってくださいね。

 

「幸運になるには、幸運を信じなければなりません」

 

 ジャック・アーペルという人の言葉から、1968年に初めて四つ葉のクローバーを模したネックレスが作られたそうです。それからコレクションは時計などにも広がってきたのですが、それを知ってボクはなるほどなぁと感心しました。

 

 このブログでも大昔に同じことを書いたのですが、幸運なんてまさに「塞翁が馬」でありまして、当事者の感じ方によって大きく変わってきます。だから幸運なんてものはあり得ないと思っていたら、どんなことだって不幸または不幸の兆しにも解釈できます。逆に幸運を信じていれば、誰もが不幸に思うことに直面しても、いつかはいいことがやってくるんだと耐えられるじゃないですか。

 

 そのどっちが精神的に健やかになれるかといえば、後者に決まっていますよね。自分自身の力ですべてを変えられると思うのは、若さの特権ともいえるのですが、実のところ傲慢極まりないのです。

 

 このあたりを解説し始めると長くなるので省略しますが、少なくとも幸運を信じて損することはほとんどないでしょう。そんな生きていくうえで大切な指針が、四つ葉のクローバーに込められているんですよね。なるほどなぁって、感心しませんか。

 

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2018年6月 4日 (月)

誰に向かって話すのか

 

 ひとつの話題を長く引っ張りたくはないのですが、先週来の日本大学による相次ぐ記者会見が典型的なダメ見本なので、批判だけでなく、こうあるべきじゃないかという提案を最後に付け加えたいと思います。

 

 すでに何が原因で誰に責任があるかは明白になってきましたから、そのあたりは言及しません。何かにつけて後追いとなり、真実味が感じられない自己保身に終始したことも、広報戦術としては最低です。このあたりは組織の風土や体質も大いに影響しているんじゃないかな。何にしても、現下のようなSNS時代には、大切なアナウンスは1分1秒を争います。つまり、情報開示は早ければ早いほど好感につながる。いけないことを隠し通すなんてことは、もはや不可能なのです。安倍さん、読んでいるかな。

 

 こうしたテクニック的な要素もさることながら、世論の大きな流れを決定的に悪い方に変えたのは、内田監督と井上コーチによる記者会見です。「当該選手」の勇気ある記者会見に対応しておかないとヤバイということで、おそらくイヤイヤ登場したと思われますが、ボクは最初の数語から話す相手を間違えていることが分かりました。だから、当該選手の真摯な告白に比べて、何かにつけて嘘っぽい言い訳に感じられてしまう。やたらに「正直」を連呼することも、まるでイタズラをした子供みたいで、とてもじゃないけど大人の指導者とは思えません。

 

 おそらく、あの2人が見ていたのは、会見場に集まった多数の記者や、その背後にズラリと並んだテレビカメラなんでしょうね。そして、その向こうには世論と呼ばれる一般大衆がいる。そうした視聴者に謝罪し、言葉の上だけでも責任を引き受ければ、納得してもらえると甘く見込んだんじゃないかな。

 

 不祥事を引き起こした人たちは、たいてい同じ発想で似たような言い訳を繰り返してきました。セクハラや不倫発覚にしても「世間をお騒がせして申し訳ありません」というのが常套句ですけど、そもそも誰に謝罪すべきか、ということをコロリと忘れていますよね。

 

 今回の悪質タックル事件では、前述したように当該選手が顔出しの実名でいち早く記者会見したことで、世論が180度変わってしまいました。加害者が実は被害者でもあったことが強く印象付けられたのです。ここでは「正直が最大の説得力を持つ」ということを学ぶべきでしょう。

 

 それによって世間が当該選手に同情的となった段階で、監督とコーチがテレビの前に出てくれば、たいていの人は「こいつらがやらせたのか」と敵意を持ちますよね。そうした情緒的な逆風が吹きまくっているのですから、何を言おうと懐疑的な視線を避けることはできません。

 

 さて、こうした厳しい状況に立たされたとしたら、あなたはどんなことを話すでしょうか。自分が「当該」の監督やコーチだったらと、しばらく考えてみてください。

 

 ボクは「正直言って」数分後には答を出していました。それがね、相手を間違えているということなのです。

 

 彼らが第一に謝罪すべきだったのは、視聴者や世論という顔のない人たちではありません。「悪質タックル」をした当該選手ではないでしょうか。たとえば監督が「宮川くん、理由はどうあれ、とにかく意にそまないことをさせてしまったことを心からお詫びします」とか、コーチが「宮川、ゴメンな。お前の悔しい気持ちは誰よりもオレがいちばん分かっていたはずなのに……」なんていう直接的な語りかけで始めれば、世間の印象は随分変わってきたはずです。さらに彼らしか知らないエピソードを差し挟めば、リアリティもますます高まったんじゃないかな。

 

 ところが、最初から逃げ腰だったせいか、彼らには公開の場で呼びかける度胸はさらさらなく、一般的な三人称にすることで共同謀議の主犯である疑いを強めることになったのです。

 

 当たり前のことですが、コミュニケーションには送り手と受け手が必ず存在します。では、いったい誰に向かって語りかけるべきか。テレビ中継される記者会見はちょっと特殊で、「誰に向かって話しかけているように見せるか」という、いささか複雑な構造になりますけどね。それよりも単純ですが、文章=テキストだってまったく同様です。その成否はさておくとして、ボクがモノを書く時は必ず読者を想定します。近所のオジサン・オバサンなのか、センター街を歩く若者たちなのか、会社員なのか学生なのか。逆に書き方によって、特定の階層を惹きつけたりすることもあるはずです。

 

 いずれにしても、同大学の危機管理学部はこのうえない「反面教材」を得たことになるので、広報的な対応などを詳細に分析・研究し、ボクのような提案も含めて早急に発表すべきじゃないかなぁ。それこそがブランドイメージを回復する最高の特効薬になると思うのです。他の学部も他人事と傍観するのでなく、それなりの見解を発表すべきではないでしょうか。なにしろ大学のナンバー2と目される人が辞任するような大事件だったんですからね。

 

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2018年6月 1日 (金)

嫌疑不十分???

 

 大昔から、この国の住人はあまりにも温和し過ぎるんじゃないかと思ってきました。申し遅れましたがワタクシ、宇宙人のジョーンズです、なんてね。昨日にコメントした日大アメフト問題も、目下の首相とご夫人や取り巻きもそうですが、いったん権力を握ったらやりたい放題。これでも民主主義国家なのかなぁ。

 

 とりわけ本日の報道にはムカツキました。森友学園への国有地売却に関する決裁文書の隠蔽ならびに改ざんで告発されていた佐川氏を、大阪地検特捜部は嫌疑不十分で不起訴にしちゃったんですよね。それに関係した財務省職員36名も同様に不起訴というのですから、ほとほと呆れ果てませんか。売買契約の内容までは変更されていないから「虚偽の文書を作成したとまでは言えない」だってさ。アンタねぇ、だったら公文書を隠そうが書き換えようが、決定的な変更さえなければオッケーってことになってしまう。後々になって、大阪地検が国をぶっ壊すことに加担したと誹られても知りませんぜ。

 

 こんな腰砕けを平気でやって、身も心も魂さえも権力者に売り渡しているんですから、ボクが何度も書いてきたDo the right thingなんて寝言に等しい。何だかなぁ。またしても深い徒労感が全身に回っています。これが現実だよって自慢気に嗤う人だっているもんな。正義と公正を望んでどこが悪いっていうんだよぉ。

 

 こんなことならオレが日本一の悪党になってやる、って若い頃なら思ったかもしれませんが、もう遅いですよね、そんな能力もきっとないだろうし。また浅草HUBに行ってディキシーランドジャズでも聴こうかな。

 結論のない文章になってしまってすいません。本日は朝から出かけなきゃいけないので時間がないこともありますが、毎日書いているんだから、たまにはこんなスタイルも許してもらっていいんじゃないかと。こういう愚痴めいた内容は、ボク自身も実に不愉快なんですけどね、はぁ。

 

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