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2018年7月18日 (水)

感性の時代(前)

 

 ほとんどの学校では、文章の基本的な書き方として「論理性」が強調されます。そりゃね、「論文」という言葉があるくらいですから、論理が支離滅裂ではそもそも話の内容が理解できません。しかしながら、プロのライターとしての立場から敢えて異論を言わせていただけば、いまの時代に論理的な筋道なんていうのは、実はどうでもいいんじゃないかと。

 

 では何が大切かといえば、「情緒」というか「感性」なんですよね。それを伝えようとする文章があまりにも論理性にこだわってしまうと、肝腎な部分が換骨奪胎されてしまって、逆に何が言いたいのか分からなくなってしまいます。情緒的な文章の特徴は、そこかしこに論理がつながらない飛躍があり、だからこそ心にダイレクトに響くわけです。

 

 たとえば、ある著名なジャーナリストで晩年はテレビキャスターだった某氏は、阪神淡路大震災の翌日に現場を訪れ、そこかしこに立ちのぼる火災の煙を見て「まるで温泉地のようであります」と形容して大顰蹙を浴びました。今なら「被災地に失礼だ」としてネットで大炎上でしょうね。しかしながら、「あちこちで火災の煙がまだ立ちのぼっております」という“論理的”な表現に比べて、感性に対するインパクトは「温泉地」のほうが勝っていませんか。

 

 それと同じで、はっきり言わせていただければ、論理的な文章はちっとも面白くないのです。もっと明確に説明するなら、論理の根本に感性的な根拠が乏しい文章ほど、読むのが苦痛または退屈になってくるのです。これは相当にオブラートに包んだ言い方でありまして、早い話が、とってつけたような内容と思ってもいない常識論ばっかりが並んだ文章のことです。偉い人たちの年頭の挨拶なんか典型的じゃないですか。

 

 逆に、相当に難解な文章でも、その論理の奥底に「喜怒哀楽」を強く感じる文章は、何とか理解しようと努力したくなりますよね。

 

 たとえば息子を失った母親の哀しみを綴った文章があまりにも論理的では、奇妙にすら感じます。「保育園落ちた日本死ね」という言葉が大きな話題になったのも、論理を超えた怒りがそこに表現されているからです。学校で文章指導を受けて成績が優秀だった人には、こんな表現はできません。

 

 ラヴレターなんかも典型的ですよね。ボクの若い頃は、気に入った英語の歌詞を日本語訳して彼女に送るなんてことが流行しましたが、そんなもん相手にモロばれですよ。人柄を見抜くのは女性の得意技ですから、「あいつがこんな気の効いたことを書けるはずないじゃん」と見破られるのがオチで、オリジナルでなければ心には到達しません。

 

 ボクなんかはむしろ、ツイッターやラインの短文のほうが感性的で面白いのではないかと推定しています。今の若い人が長い文章が書けないと見なすのは実は間違いであって、短い文章で本質を表現することを毎日やっているわけです。そうなると、論理性なんかより情緒や感性のほうが説明しやすい、というか大切なわけですよ。あるビール会社のコピーで「神泡」なる広告表現を見て、ついに「神」もここまでインフレしたかと呆れましたが、言いたいことは分かるじゃないですか。

 だったら、論理性なんか完全に無視した論文があってもいい。

 

 ボクは反骨的な親父の影響からか、子供の頃からヒネておりまして、先生の言うことはまず疑うという習慣がありました。文章は起承転結が基本と言われれば、逆に小室哲哉の初期の曲のように、いきなりサビのところから始めるとかね。誰でも展開しそうな論理ではちっとも印象に残らず、凡庸な文章になるに決まっています。それよりも書いていてちっとも面白くない。カタルシスが得られないのです。

 

 だから、もしもボクが文章の先生であるなら、いや就職指導の担当者であっても、作文もエントリーシートにしても、とにかく読んだ人を笑わせるとかびっくりさせるようなインパクトを与えなさいと言うでしょう。そのためにはチマチマした論理性よりも「面白さ」が大切だと。実際には、現実的にはボクのようなライターは「正確さ」が基本中の基本になってくるので、それにひきずられて、読者を刺激する面白さが犠牲になることがしばしばあるのです。

 

 だからさ、大学時代くらい「論理的な文章」から自由であっていいように思うのです。すいませんが、理系は別です。「飛行機は気合いで飛ぶ」などという非論理的&非科学的なエンジニアがいたら、間違いなく飛行機は墜落しますから。少なくとも文系だけは破天荒に、想像力を大空の向こう、せめて白鳥座M378星雲までは広げてほしい。

 

 そして、文章だけでなく、各種の商品も、機能よりデザインが重視される時代になってきたとボクは思います。面白くて、ユニークであれば、もはや機能なんてどうだっていいのです。要するに機能=論理性よりも、デザイン=感性が優先されてしまう。かつてドイツのバウハウスでは「形態は機能に従う」とされました。これが「機能美」の原点なのですが、現代では「形態は感情に従う」という説があります。象印のポットを、なぜ象さんのようにデザインしなかったのか、ボクは不思議です。初期の頃にそうしていたら、もっと心に残る会社になったんじゃないかな。

 

 ちょっと長くなったので、この続きは明日に。

 

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