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2018年8月10日 (金)

個の自立

 

 頭の中が夏バテしてしまったせいか、思考がぐるぐると同じところを回り続けています。日本という国はまだまだ近代化されていないんじゃないか。科学技術は近代化どころか現代化、いや世界の最先端を行く分野も少なくないというのに、社会制度や精神性に関しては、個人としての自立がまるで不十分ではないかと思うのです。

 

 ちなみに、この「近代化」という言葉が、ボクの勉強不足で長きにわたって定義できませんでした。というのも、英語の modernという言葉は、歴史的な「近代」という意味だけでなく、「現代」という意味で使われることも少なくないからです。建築界で「ポストモダン」という言葉が使われたのは1980年代ですからね。それ以降も、この言葉は折に触れてトレンディに徘徊してきたので、「モダンというのはいつのことだよ」と疑問を感じてきたのです。

 

 百科事典などを見る限りでは、市民革命による封建制・身分制の廃止や、それを背後から推進した産業革命からとされているようです。歴史的には1819世紀頃ということになります。

 

 とはいっても歴史なんてのは、ここまでは封建時代で、さぁここからが近代ですよぉ、と高校の先生が線引きするほど単純ではありません。紐のように細い糸が捩り合っているだけでなく、世界各地が同じように発達してきたわけではないですから。先の西洋史としての近代にしても、着目するポイントによって解釈が大きく違ってきます。封建主義を打倒した市民革命であれば個の自我の解放を伴う社会制度改革であり、産業革命なら言うまでもなく科学技術の飛躍的な進展ということになるわけです。

 

 日本では、その両方が明治維新から始まったとされるので、近代といえば、それ以降を指すのが常識です。確かに科学技術や社会制度はそういうことであっても、果たしてホントにそうかなぁと。精神的な意味での近代化、すなわち個人の自我は明治維新を境に変わったといえるのでしょうか。「近代的自我の目覚め」なんていう言葉は確かにありますが、大正、昭和、平成を経ても、そんなものはまるで普及していないような気がするんだよな。

 もしも、近代的自我が確立しているのであれば、カルトにはまったり、根拠不明の長期政権や、組織内での自称カリスマや独裁者などがこれほど跳梁跋扈することを許すはずがない。自我が個として自立していないからこそ、封建的な支配構造が易々と成立するわけです。

 

 ということは、やはりね、どうも日本の義務教育は構造的な問題を抱えているとしか思えないわけです。もっとぶっちゃけていえば、自我の目覚めを抑え込んでいく濃厚な圧力が、ボクの小学校・中学校の実体験としてあります。やたらに集団行動や規律を強制されるのが、ボクはホントに苦手だったんですよね。今でも当時の学校を軍隊のように感じており、嫌悪感を払拭できません。

 

 かといって近代的自我がなにものであるのか、自立した自我とは何か、さらには個の自立ってどういうことなのか、ボクにはまだ分かりません。いまの時点で唯一いえるのは、自己批判できる天の邪鬼のことではないかと。すなわち自分の中にも、自分自身に対する異論反論を持つことが、近代あるいは現代的な自我といえるのではないでしょうか。そうした精神性や思考は、それまで社会あるいは体制のほうから押しつけてきました。その「社会性」を個人の中にそれなりに取り込むことが真の近代化であり現代化だったと思うのです。それがまるで未成熟に終わったからこそ、横並びや権威への無批判な服従や、くだらない流行が頻発するわけでね。

 

 これは日本に限ったことではないにしても、もう少し天の邪鬼が増えてくれない限り、日本は近代化されたと世界に公言できないんじゃないかなぁ。

 

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