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福助くん その6

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    福助くん、9歳の秋です。 ちょっと長めの散歩をして、世田谷公園へ。 紅葉と福助をご覧くださいまし。

福助くん その5

  • 赤いサルビア♪
    2010年秋の福助くん。とある週末に埼玉県所沢市にある航空公園に行ってきました!

福助くん その4

  • 1 毎年恒例の・・・
    今さらですが、今年の花見の福助くん。ご近所の目黒川に行ってきました。

福助くん その3

  • 1 田舎に行ってきました!
    飼い主の田舎に行ってきた福助。うららかな春を迎えた大自然のなかで、いつもと違った表情に。

福助くん その2

  • 定位置
    平日は会社にいる福助。こんな感じの毎日です。

福助くん その1

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    笠木の飼い犬。甘えん坊でちゃっかり屋の8歳。雄。

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2018年9月

2018年9月28日 (金)

生き良い社会

 

 あのー、皆さん、もうちょっと気楽に、ゆるーく、のんびりと生きてもいいんじゃないかなぁ。

 

 法律やルール、約束事や礼儀というのは、そもそも人間同士のトラブルを回避して、円満に仲良く生活していくことが基本的な目的ですよね。なのに近頃は「原理主義」的な傾向が強くなり、いつどうして決められたか分からないような規則なんかを楯にして、角突き合わせる争いが目立つんですよね。

 

 そんなことを感じさせたのは、失礼ながら「原理主義」の親方とも言えそうな貴乃花の引退騒動です。ボク自身も正義や倫理に並外れたこだわりがあるので、個人的には貴乃花は大好きなタイプです。けれども、そうした鉄壁の姿勢が逆に「引退届けでなくて退職届けじゃねぇか」みたいな反発を招くことはしばしばあるんですよね。こうなると、本来はコミュニティを守るために作られた規則やルールそのものが紛争のネタになっていくわけです。

 

 もちろん、かねてから貴乃花を疎ましく感じていた相撲協会幹部によるイジメや軋轢があったのは十分に想像できます。けれども、それをどんどんエスカレートさせていくのは、とても大人の態度とは思えません。人間が複数いれば、意見が違ったり、感情的ないさかいが生まれるのは当然ですから、それを穏やかにおさめていくのが成熟した大人の知恵であり、上手なつきあい方ってものではないのかなぁ。

 

 酔っ払い運転で信号無視して人をハネたタレントもいますが、酒好きでクルマを持っている人なら、誰でもあり得ることですよね。ボク自身も大昔に夜中まで痛飲して、ひどい二日酔い状態で運転したことがあります。何もなかったのは、特段に運転が上手だとか、意識がしっかりしていた、あるいは機転が利くなんていう属人的なことではなく、ただただ運が良かっただけです。

 

 もちろん罪は罪ですから、法律に背いたら罰を受けて償うのは当然です。けれども、人間というのは誰だって失敗するし、時には人を傷つけるようなことをしてしまう。だからこそ法律があるわけでね。そして、いみじくも「更正」という専門用語があるように、法律は人間の可塑性、つまり変わり得ることを信じて積み上げられてきた規則なんですよね。にもかかわらず、その大切な基本理念をすっかり忘れて、杓子定規に、あるいは錦の御旗として。他者を攻撃する武器にする人が増えてきたような気がします。日本はそこまでアメリカの真似をしなくてもいいよ。

 

 要するに、誰だって失敗するのであります。それだけでなく、誰かを好きになれる人は、必ず誰かを嫌いになります。誰かと親密になれるなら、気にくわない連中もいるに決まっています。人間は全体として群れながらも、個々のカタマリを作っていくのが性分となっている動物なんだよな。近頃の一方的な報道姿勢も責任は大きいと思いますが、もうちょっとフトコロが広くて深い社会にしないと、ますます生きにくくなりますよね。

 世界史を顧みれば分かるように、原則に執着する「原理主義」は国を弱体化させて衰退していくのが常であり、それをテコにして民主主義などが発展してきました。イスラムにしても、教理に従って金利の禁止を徹底していれば、今のような経済成長はあり得なかったはずです。

 

 だからね、許される社会、縛りの緩い社会、そして失敗してもやり直しができる社会が、成長の活力を生み出すのです。もちろんルールが希薄化すれば様々なトラブルも起きるでしょう。それでも法律という凶器を持ち出すことなく、うまく収めていけるのが、何度も言うようですが大人の作法ってものではありませんか。それこそがボクの考える「生き良い社会」なんだけど、実現不可能な理想なんでしょうかねぇ。

 

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2018年9月27日 (木)

満つれば欠ける

 

 あくまでも何となくの印象ですけど、1980年代の終わりほどではないにしても、バブルっぽい雰囲気を感じませんかねぇ。あの頃は銀行が率先して資金をジャブジャブと貸し付けたおかげで、札束が世の中をヒラホレハレと乱舞。とはいっても投資対象は不動産でありまして、今日買った土地が明日は2割増などと際限なく高騰していたことが背景にありました。

 

 知り合いのイラストレーターも、「銀行がカネを借りてくれってうるさいんだよ」と自宅を担保にした融資を受け、使い途がないので株に投資していたようです。別の知人はワンルームマンション投資に血道を上げ、最終的には4~5室くらいに膨らんでいたと思います。けれども、バブル崩壊後は不動産価格がつるべ落としで下がっていったので、その処分にかなり苦労したのではないかな。

 

 こうした極端な、いわば国民的な浮揚感はないにしても、ちょっと前からバブルな気配を感じてきました。もっぱらITを中心とするベンチャー企業と、それによる情報革命をうまく利用したニュービジネスの隆盛、そして近年はビットコインにカネが流れ込んでいるのではないでしょうか。ごく簡単にいえば、景気は完全に二極化しており、上のほうにいる人たちが局部的にバブルを謳歌しているってことかな。宇宙旅行のチケットを早々と予約したおカネ持ちもいるくらいですからね。その一方で、低所得に喘ぐ人も少なくありません。

 

 ただ、経済というのは必ず調整局面があります。さもなければ札束が紙切れになる怖しいインフレがやってくるでしょう。不換紙幣が、と説明すると長くなるのでやめますが、中央銀行が印刷した紙幣が流通する限りは、デフレやインフレ、そしてバブルは避けられないんじゃないかな。

 

 えーと、長らくお待たせいたしました。バブル崩壊とは言わないまでも、それに似た状況がもうすぐやってくるのではないかと、当時を体験した者として懸念しているのであります。前述したように局部的なことなので、大多数は関係ないといえばそうかもしれません。ボクもその1人ですけどね。もとより経済の専門家ではないので、確たる根拠は何ひとつない感覚に過ぎないのですが、文系的な理由はちゃんとあります。すなわち「満つれば欠ける」。古今東西、いたるところに事例があふれている「世の習い」です。

 

 それが2020年の東京オリンピック後というのは誰だって予想しがちなことなので、もしかすると動きはもっと早いかもしれません。いずれにしても、突然の不意打ちは経済的な弱者ほど被害が大きくなるので、今から準備しておいたほうがいいんじゃないかな。でもねぇ、そうした緊縮マインドが逆に崩壊を早めることもあり得ますから、経済は難しいんだよな。

 

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2018年9月26日 (水)

マウスピース

 

 歯科衛生士の指摘で、上アゴの歯に被せるマウスピースを作りました。ボクサーの口の中に見えているアレですけど、そんなもんを嵌めるのは生まれて初めてだもんなぁ。

 

 どうやらボクは歯を食いしばるクセがあるらしく、上の歯のブリッジが動揺しているらしい。このままだと歯並びがズレてしまうと脅かされて、仕方なく歯型を取ったわけです。1週間ほどで完成して、本日、歯科医に行ってきたのですが、いやぁ、実にヘンな感じ。固めのプラスチックで、しかも透明ですから、口だけ眺めると、自分が機械仕掛けのアンドロイドになったような気分になります。

 

 およそ2年以上も通院して仕上げた歯なので、この先いつまで生きられるか知りませんが、最低限のQOLだけは維持したいじゃないですか。命が惜しいわけでは決してないのですが、医療関係者の指示に何でも素直に従ってしまう自分がそこにいるのであります。

 

 はぁ。若い頃は病院なんてほとんど行ったことがありません。歯科医も2~3回で逃げまくっていたくらい。それが今ではあちこちで作った診察券が結構たまっています。ということは、ですね。若い人たちが支払った医療保険が、めぐりめぐってボクの病院代を支えていることになるわけですよ。

 

 ボクはまだその年齢ではありませんが、2016年10月現在で総人口に占める65歳以上の人たちの割合=高齢化率は27.3%に達します。ざっくり言えば、7人の若者が3人のお年寄りの面倒を見ていることになりますよね。いずれは6人で3人、つまり2人で1人のお年寄りを財政的に背負うことになるでしょう。年金は言うまでもなく、医療はそれで大丈夫かよと。

 

 移民を認めて人口を増加するという方法もありますが、そろそろ明治以来の社会構造を徹底的に変革しないと、手遅れになることは間違いありません。さらにおそろしいことに、これは日本だけの特異な状況ではなく、すぐにも世界全体が同じ事態を迎えることになります。というのも、子供が数多く生まれるから人口が爆発するのでなく、高齢化が後押ししているからです。子供が生まれた分だけお年寄りが死ねば、人口が増えることはありません。ところが、なかなか死ななくなってしまった。その結果として、現在の世界人口は73億人に達します。

 

 つまり、ですね。社会制度などをもう1度デザインし直さないと、この危機は乗り切れないでしょう。ボクは、それを解決するカギは女性ではないかと睨んでいます。社会進出という牧歌的な意味ではなく、女性全体の生産性を高めることで、社会保障の基盤を充実させるしか方法はないんじゃないかな。

 

 またまた、いつものようにボクの仮説ではありますが、だからこそ女性の人権をあらゆる面で守らなきゃいけない。「女ってさぁ」とぼやいている場合ではなく、みんなで一緒にコミュニティを支えていく覚悟を持たなきゃいけない。さもなきゃ原始的な弱肉強食に逆戻りですぜ。

 

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2018年9月25日 (火)

待つ時間

 

 年齢的にやっておいたほうがいいということで、久しぶりに内視鏡検査に行ってきました。近年は鎮静剤を注射してくれるので、チューブを飲み込む辛さや苦しさはほとんどありません。だから今回のテーマは内視鏡ではなく、それを待つ時間のほうです。

 

 予め検査時間が指定されているので、それに合わせたギリギリで病院に行ってもいいはずなのに、ボクはそうしたハナレワザが嫌いというか、できないんですよね。仕事のアポでもたいていは30分以上前に到着しているタチなのに、病院で内視鏡ですから、いささかの緊張感とともに1時間以上前から待合室に着席していました。以前に検査した時は早めに呼んでいただいたのですが、今回は入院患者の検査などが追加されたせいか、気がつけば予約時間が終わる寸前ではありませんか。「話が違うじゃないか!」と憤慨できる場所ではないので、穏やかに看護師さんに訊ねると「前の方が終わったのでぇ、もうすぐですよぉ」と心強いお返事。ここまででアバウト2時間ですから、そういえば病院というのは待つところだよなと思い出したのです。

 

 かつて言われた「3時間待ちの3分診療」はもはや完全に昔話ですが、それでも血液検査などを待ち、診察を待ち、料金の精算を待つというように、いろいろ待たなきゃいけないことがあります。では、これまでにボクは病院でどれだけ待ち続けてきたのでしょうか。歯医者でも予約の15分くらい前から待機するのが普通なので、病気がちだった子供の頃から通算すれば、軽く1週間=168時間くらいは歯医者と病院で待っていたんじゃないかな。

 

 待つ、といえば、空港もそれを強いられる場所です。搭乗手続き、保安検査、パスポートにハンコを押してもらう出国審査はもちろん、いざ航空機に乗るまで出発ゲートでかなり待たされるのが普通です。どこかを経由して乗り換える場合は、同じことを繰り返さなきゃいけません。ちなみにボクは乗り換えの最長で8時間ほどフランクフルト空港に滞在したことがあります。日本のエアラインは海外便とのコネクションがあまり良くないらしく、こういうことは結構あるんですよね。今年もデュッセルドルフ空港で6時間のトランジットでした。

 

 おおっと、さらに今年は3月のスイス出張で、ホテルへのチェックインを5時間ほど待つという珍しい経験をしました。物珍しさで中近東経由にしたおかげで、チューリヒ空港に早朝6時頃に到着。ほかに行くところもないのでホテルに直行しましたが、部屋が空かない。それでロビーのソファに座ったりウロウロしたりして何とか時間を潰したのです。

 

 時計取材でスイスに定期的に行くようになったのは1995年からですが、ジュネーブとバーゼルで同時期に開催されてきた2つの国際展示会が2009年から1月と3月に分離。年に1回の渡航が2回に増えたので、待ち時間も2倍になりました。ざっと計算してみると、ボクの場合は早めに行くので成田で3時間、ヨーロッパでのトランジットと入国審査などが平均で3時間かな。それに荷物が出てくるまでのもろもろを30分くらいとして、片道だけで6時間半。復路も同様として、1回のスイス出張で待たされるのは合計13時間となります。これに2008年までの14年分を乗じると182時間。この待ち時間が2009年から2回に増加したので、年間で26時間となり、今年までの9年間で234時間。これを合計すれば416時間に達します。

 

 時計だけでなく、大学取材などで海外に頻繁に行った時期もあるので、控えめに見積もって通算500時間くらいは世界中の空港で待機していたのではないでしょうか。24時間まるっとで22日間くらい。これに病院と歯医者の1週間を足すと、およそ1か月にもなるではありませんか。待つことがボクの人生、というほどではないにしても、普通の人に比べて相当に多いんじゃないかな。

 

 細かいことは忘れましたが、それ以外にも国内の鉄道や空路に銀行など、いろいろと待つことがあったように思います。そんな待ち時間で何をしていたかといえば、雑誌や単行本や文庫本を読み、インターネットをチェックしたりメールを出したり、ヘッドフォンで音楽を聴いていた程度。落ち着かないので生産的なことはまるでしていません。ただただ予定の時間がやってくるまで待ち続けるだけなんですよね。

 

 無為な時間と言えばその通りですが、この待ち時間をそれなりに有意義に過ごすことは不可能ではありません。ゲームも悪くはないでしょうが、ボク個人としてはまさしく時間潰しの浪費ではないかと思っています。仮にゲームを10年やり続けると何か身につくことでもあるのかなぁ。

 

 読書やインターネットもいいけど、しょせんは2次元のせいか、すぐに飽きるんですよね。どうせヒマは山ほどあるんだから、とにかくあちこちを歩きまわって、ショップや施設や食べ物や人間を観察する。それが意外に面白いんだよな。そんな好奇心がなければ8時間も空港にいられないですよ。そして、どんなに長く感じようが、何かが起きようが起きまいが、時間は絶対に停止することなく確実に過ぎていきます。だから何ということもありませんが、こうした経験から、待たされることには慣れたように思うわけです、はい。

 

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2018年9月21日 (金)

美談

 

 あんまり悪口は言いたくないけど、ニッポンのテレビ報道はちょっとおかしいんじゃないかな。死んだ人を批判するのはどうかと思うけど、とにかく御輿に乗せて持ち上げまくり、やたらな美談仕立てにするのも同根だと思いますぜ。深みがなくて底が浅いという以前に、「こうしておけばどこからも文句は来ないじゃんか」という全方位的な安易さが先立つのです。

 

 先頃亡くなられた女優さんにしても、ボクは高く評価してきましたが、独特のアクが演技の面白さにつながっています。テレビ番組打ち上げのパーティ会場で、名プロデューサーと謳われる人の浮気で若い女優が妊娠していることを暴露した事件も、ひとすじ縄ではいかない性格を雄弁に物語っているではありませんか。決して「好々婆」ではなかったのに、とにかく「良い人でした」の大合唱。本人だって天国で苦笑しているんじゃないかな。芸能界で長く生きてきた人ですから、そんなことはとっくに承知でしょうけどね。

 

 こんな風潮になったのは、おそらくスポーツが始まりだったんじゃないかな。勝った負けた何点取ったかが基本のスポーツ報道に、私事をどんどんまぶして、挙げ句の果てには親や子供まで引っ張り出して美談や悲劇を作り上げていく。一応はモノカキでメシを食ってきたボクに言わせれば、泣かせるストーリーは案外作りやすいんですよね。まず谷底を設定して、そこから山へと話を進めればいい。そうすれば頂上の立体感と陰影による奥ゆきが出てきますから。どんな有名選手でも、スランプや故障、トラブルや伸び悩みの時期がなかったなんてことはあり得ません。だから、テクニックやレトリックとしては、極めて初歩的でビギナーのやり口なんだよな。

 

 けれども、そうしたステレオタイプに視聴者が慣れてしまうと、より簡単に理解できる安直な感動を求めるようになる。それが、いろいろ非難されているにもかかわらず24時間テレビが継続されてきた構造というか背景になっているわけです。中には頑張ることや努力なんかしたくないという人もいるはずなのに、そんな気持ちはまったく無視して、後ろから牛馬を追い立てるような番組づくりはもうやめるべきだと思うけどな。

 

 はぁ、つまらん。オッサンの繰り言と分かっていても、ものすごーくつまらない。こんなことをしていると、YouTubeはもとより、新興のネットTVに負けてしまうぞ。いずれにしても、そうして作られた美談や感動話のほとんどは、褒め讃えているように見えて、実のところはバカにした所業であることをきちんと自覚しているのかなぁ。

 

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2018年9月19日 (水)

白シャツは要注意?

 

 ワイシャツはホワイトシャツが語源なのですが、ボク自身は近年まで白いシャツは冠婚葬祭用の1~2枚しか持っていませんでした。フリーランスという、反社会勢力では決してないにしても、不安定な身分と職能を識別してもらうシグナルとして、色つきやストライプなどの柄つきシャツを愛用してきたわけです。ある種の矜持もあったのかな。それに、白はどうしても汚れが目立つので、ライフサイクルも必然的に短くなるじゃないですか。

 

 しかしながら、夏がどんどん暑くなり、開襟のクールビズが浸透するに従って、ホワイトシャツの魅力が次第に分かるようになってきました。何より清潔で、しかも若々しく見えるじゃないですか。着用してみると「おおおっ」と驚くほど白が輝くことに感動いたしました。

 

 年を取れば取るほど人間はあちこちが老化してむさ苦しくなっていきます。不精髭にしても、若いうちは精悍とか無頼に見えることもありますが、オッサンともなれば薄汚れた印象のほうが強くなります。そこで、蒸し暑い夏場に、さっぱり、すっきり感を皆様にアピールするには、やはりホワイトシャツだよなと決定して2~3年たつでしょうか。

 

 もちろんフトコロ具合の関係で数枚程度ですけど、ボクの個人史にとっては革命的な変化なのであります。ただし、ホワイトシャツに馴染んでみると、問題点がないわけではないことに気づくようになりました。

 

 特に下着がね、布地が薄手の場合は目立つのであります。参考までに地下鉄の車内などで観察してみると、U字の首まわりが明瞭に浮かび上がっている人だけでなく、驚くことに絵柄のついたTシャツを平気で下着にしている若者もいるんですよね。それがモロに透けて見える。皆さん、この問題をあまり気にしていないのかなぁ。

 

 日本の家屋では、襖や障子戸1枚を閉めれば別室と認識され、何かが聞こえても聞こえないことにするのが常識であり礼儀だったようです。それと同じで、ホワイトシャツの下に着るアンダーウェアも、仮に透けても見えないことにする不文律でもあるのでしょうか。

 

 そんなはず、ないですよね。本人は意識しないだけで、見えるものは見えます。というわけで、ホワイトシャツを着ようとする時には、下着が気になるようになってきたのです。冬場のネクタイ姿ならそれほど問題はありません。狭い丸首にしておけば、襟のところに縫い目などが隠れてしまいますからね。

 

 やはり問題は夏場の開襟なのであります。最も簡単な解決法は下着をつけないことです。しかし、そうすると汗でシャツがピタリと肌に張り付いて、より悲惨なことになってしまいます。

 

 では、ボクはどうしているか。首まわりに縫い目のないシームレスの半袖で、しかも肌色を愛用しています。シャツに合わせて下着も清潔な白にしたいところですが、透けることを考慮すれば、人間の肌の色に近いほうが目立たないとされています。そりゃそうですよね。

 

 ただね、こんなに気を使ったところで、ボク自身に興味のない人は、カエルのイラスト入りTシャツを着ていても気づかないでしょう。オシャレとは、かくも虚しいものであるよなと、痛感させられる次第であります。

 

 なお、本日夜から北陸方面に出張なので、20日はお休みをいただき、21日にブログを再開いたします。

 

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2018年9月18日 (火)

『明日は月の上で』(後)

 

 サルヴァトール・アダモが“A demain sur la lune”、まさに「明日は月の上で」というタイトルのシングル盤をレコーディングしたのは1969年でした。ただし、ネットをいろいろ検索してみたのですが、発表された月が分かりません。普通に考えれば、アポロ11号の月面到達にインスパイアされたはずですが、ニール・アームストロングが「偉大な一歩」を踏み出したのは7月20日なので、その直後からアダモが作詞作曲したとすると、5か月にも満たない期間でレコード発売までにこぎつけたことになります。こうした早技は音楽業界では常識的なのでしょうか。

 

 わが日本のコーちゃんこと越路吹雪も負けてはいません。翌1970年11月にシングル盤をリリースしています。ところが、この時のA面はトワ・エ・モアとの競作(同日発売)による『誰もいない海』(作曲:内藤法美、作詞:山口洋子)でした。衆知のようにトワ・エ・モアの歌のほうがヒットしたのですが、この歌の作曲者は越路吹雪のご亭主なんですよね。

 

 確かに当時は『誰もいない海』のほうが社会的なメンタリティにシンクロしたのかもしれません。何しろ1969年はいろいろ忙しくて、たとえば年初から東大安田砦が機動隊によって陥落。全共闘運動が崩壊していく始まりとなりました。『イージーライダー』や『真夜中のカーボーイ』などアメリカン・ニュー・シネマも話題になりました。ボクはまだ幼い子供だったので同時代ではありませんけど(ホントかよ)。

 トレンドの変わり目というのか、ドサクサと慌ただしく過ぎた年の翌年は、宴の後にふさわしいバラードのほうが落ち着くような気がします。

 

 『明日は月の上で』はB面になったこともあって、少しばかりタイミングを逸したのかもしれません。ボク自身としては、「今はもう秋、誰もいない海……」なんていうしんみり歌謡はあまり好きではなくて、月の上から2人で地球を眺めるという荒唐無稽なシチュエーションのほうが心踊るんですけどね。

 

 オリジナルは作詞もアダモですが、越路吹雪は海外の楽曲でも日本語でしか歌わないことを約束事にしていたので、それまでのように岩谷時子が訳詞しています。

 

明日 月の上で 神様のそばで

明日 月の上で 大空のすみで

 

2人は馬車に乗り 幼い時

夢に見たものを 探しに行こう

私たちには 風はマジシャン 

星のシンフォニー 奏でるミュージシャン

明日 月の上で

 

 喉にかかった鼻声とでも言うのかな、何ともいえない色気と、人の心をくすぐるような茶目っけを感じさせる声で、この歌詞を伸びやかで美しいメロディにのせています。宝塚出身なので熱心な女性ファンが数多くいたと思いますが、その気持ちは分かるなぁ。要するに性別を超えた恋愛感情を抱かせる人なのです。

 

月の空から クリスマスの 

かざりみたいな 地球を見よう 

赤い屋根も見えて 夢のように 

2人の髪は 風にゆれる

明日 月の上で

 

 月の重力は地球の6分の1ですから、「風」をもたらす大気なんて存在しないと突っ込みを入れることも可能ですが、それは不粋ってものですよね。月面に突き刺した星条旗も揺れていたし。これは旗がピンと張るように針金の芯みたいなものが縫い込まれており、それではためいているように波打ったというのが公式の説明になっています。

 

美しい晩 風のベールに 

つつまれながら 眠るあなたよ

私は歌うよ 子守歌を

目覚めを待って 抱きしめよう

明日 月の上で

 

 風のベール、というのはいかにも涼しそうな表現ですが、月面の歌なのに、なぜだか風にこだわりがあるようです。小さな星の上に立っている『星の王子様』をイメージしたのでしょうか。全体に見直してみると、原詩をうまく訳しているとは思うものの、岩谷時子らしい精彩にいささか欠けるというのが、彼女の大ファンであるボクの偽らざる印象です。それでも、この歌は構成観とメロディが優れているんですよね。

 

 そして「明日、月の上で」というフレーズそのものが魅力的ではありませんか。「今夜はボクと一緒に月の上に行ってみない?」なんて口説き文句を使ったことは一度もありませんが、いつかチャンスがあれば誰かに言ってみたいなぁ。などと思わせる大変にロマンチックな歌なのであります。

 

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2018年9月14日 (金)

『明日は月の上で』(前)

 

 中学の頃にギターを独学で弾くようになり、和音の切れ端をあちこちにアレンジしながら、どうにかまとまったメロディとして他人に聴かせられるようになったのは、『夜霧のしのび逢い』(作曲:.ヴァン・ヴェッター)でした。1964年にフランス人ギタリストのクロード・チアリが演奏して世界的に大ヒット。それを受けて、越路吹雪が例によって岩谷時子訳詞で翌年にシングル盤をリリースしています。

 

雨に濡れながら 夜ごとに

心求め合う 街角

せつなくひと夜の 夢むすぶ

はかない恋よ

 

ふり注ぐ雨 てのひらに

唇をつけて 吸おうよ

静かに微笑み 浮かべては

かわそう愛を

 

 いつものことですが、岩谷時子の並外れた詩才につくづく感心させられます。イントロの数行だけで、小雨が霧のように街を濡らす深夜に、街灯の届かないビルの陰で抱き合う男女のシルエットが見えてくるではありませんか。しかも、おそらくつらい別れが待っているのか、瞬時を惜しむように熱いキスを交わす。こんなにも濃厚な内容を、メロディで限定された語数の中で表現するなんて、誰でもできることじゃありません。ボクが早口言葉みたいな無理目の歌詞を詰め込んだ歌を評価しないのは、彼女のように工夫し尽くした「芸」を感じないからです。

 

 それにしても、中坊にはいささか早いんじゃないかと思う歌詞ですが、ボクはそれまで文科省推薦みたいなクラシックの名曲ばっかりを弾いてきたので、その反動があったのかな。それとも思春期の始まりであったせいか、大人になったらこんな恋ができるんだと憧れたのかもしれません。

 秋の長雨によく似合う、しっとりした素敵な曲ですが、では実際に越路吹雪はどう歌ったのかとYouTubeをチェックしてみました。豊かな声量を持つ人なので、スローなテンポでもタメが活きており、上手というだけでなく、切ない感情がみごとに表現されています。しかしながら、彼女はもっと明るい歌のほうが、色気もあって元気になれるんじゃないかな。『ろくでなし』なんか典型的ですよね。

 

 そこでオススメしたいのが『明日は月の上で』なのであります。

 

 実は前述した『夜霧のしのび逢い』の次にギターでこなせるようになったのが、“Fly Me To The Moon”でした。1954年にバート・ハワーズが作詞作曲。ニューヨークのキャバレーで歌われたのですが、この時のタイトルは“In Other Words”であり、その後もペギー・リーなどがカヴァーしたのですが、人気は低迷。1964年にフランク・シナトラが現在のようなアレンジで歌ってから、爆発的にヒットしました。エロティックな鼻声で語りかけるようなシナトラの歌唱スタイルもさることながら、「言い換えれば」なんていう不粋なタイトルよりも、「私を月につれて行って」のほうがよほどロマンチックですもんね。

 

 この曲をボクはボサノヴァで弾いていたのですが、やがてアポロ11号が本当に人間を月につれて行ってしまいました。1969年7月20日、宇宙飛行士のニール・アームストロングが人類で初めて月面に降り立ったのです。この快挙は世界に同時中継されて地球規模の興奮を巻き起こしたのですが、長らくお待たせいたました、この年に発表された楽曲が『明日は月の上で』なのです。「ゆーきっっっ、がぁ、、、ふーーーーーるーーー」で知られるサルヴァトール・アダモの作詞作曲で、本人が歌っています。島崎俊郎の“アダモちゃん”ではないのでご注意ください。

 

 あまりにもタイミングが良過ぎという印象を免れませんが、明るくて未来を感じさせる曲想と内容の歌です。アダモも決して悪い仕上がりではないのですが、声質的にちょっと重いんですよね。こういう歌はやはり越路吹雪の独壇場ではないでしょうか。あららら、また長くなってしまったので、この続きは休み明けの火曜日に。

 

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2018年9月13日 (木)

またまた断念

 

 どうもね、ドコモのガラケーは電波をケチり始めたのではないかと疑っております。すいません、文系なので、それ以外にうまく説明できないのが悔しいのですが、Iモードの動きが急にダルくなり、特に頻繁に愛用しているリモートメールの接続に時間かかり過ぎなんですよね。長くなり過ぎて「接続できませんでした」という表示もしばしば。以前はそんなことなかったし、スマホ全盛のいま時、ガラケー愛用者が急増して電波利用者が混み合っているなんてこともあり得ないじゃないですか。

 

 あくまでも憶測ですが、Iモードはもはやドコモのお荷物になっているんじゃないかな。ガラケーも補修用部品の生産がとっくに終了しているので、Iモードの電波設備も段階的に整理し始めているような気がします。経営的にも、スマホに一本化したほうがコストダウンできますからね。

 

 というわけで仕方なく、再びスマホを探すことにしたのですが、ボクの望むスペックがまったく見当たらないのです。条件はできるだけ軽く、極力薄いこと。ところが、ゲームをやりたい人には画面はデカいほうがいいらしい。そんなわけで、ボクのような選択をする人は極端なマイノリティらしく、販売店の店員も当惑しておりました。

 

 どうせ彼らの多くはたまたま野菜でなくクルマでもなくスマホを売っているだけですから、ファッションと同じでロクな知識もないだろうと、ネットで調べましたよ。軽量薄型がないわけではなく、重量60グラムなんていう、それでホントにスマホかと疑わせるモデルも発売されているのです。ただし、中国製。うーん、ちょっとね。それで検索要件をドコモに絞ってみたら、やはり100グラムというのがあったのです。

 

 それで再び販売店に行ったら、「うちにはないですねぇ」。「だったら最軽量のモデルはどれ?」と聞くと、シニア向けの「らくらくホン」と言う。それでも重量は130グラム。サイズも小さくない。即座にNGです。やっぱね、頼りにならなねぇなと、事務所に戻って調べ直したら、ななななな何と、ボクが見つけた軽量モデルは2011年の発売で、オマケに今は生産中止だってさ。そんなもん販売店にあるわけがない。

 

 どうやら7~8年前はボクのようなコンパクト志向が少なからずあったらしく、その要望にソニーが応えたようですが、あんまり売れなかったみたい。行きつけのラーメン店もうどん店も潰れるし、「これだ!」とネットで見つけたスマホも廃版かぁ。ボク自身もトレンドオフなのでしょうか。

 

 再度、再度みなさんに問いますが、あんなにもデカいスマホをスーツのポケットに入れて、型崩れしませんかね。明らかにスマホと分かる四角い膨らみが胸のあたりから突き出ていても平気ですか。ズボンのポケットに入れたとしても重ったるく感じませんか。ボクにはとても耐えられないんだよな。カバンの中に入れるという方法もあるでしょうが、ボクはスーツを着用する時は手ぶらを原則としているのです。

 

 というわけで、今の100グラムの小型ガラケーですら、外出時には持てあますくらいなので、やっぱ当分はスマホなんか買わないぞと、改めて決心した次第なのであります。

 

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2018年9月12日 (水)

サミーア・アームストロング

 

 大変に長らくお待たせいたしました。前回のオリヴィア・ウィリアムズから約2年ぶりとなる、美人女優シリーズです。

 

 以前から紹介しようと思っていた女優さんなのですが、なかなか名前を調べるヒマがなく、このほどようやく正体が、って化け物じゃないんですけど、分かったんですよね。名前はサミーア・アームストロング。1980年10月生まれ。スペルはSamaire Armstrongなので、サミーラとかサマイヤと表記されることもあるそうです。父親はスコットランド人の武闘家で、ああ、だからアームストロングなんて強そうな苗字なんだぁ、ってホントかよ。ちなみに母親はイタリア人。しかも彼女は何と東京生まれですって。まんざら、ボクたちと無縁な女優さんではないってことですかね。

 

 さて、ボクが彼女に注目したのは、ハンサム男優のサイモン・ベーカー主演のテレビドラマ『メンタリスト』です。第4シーズンのエピソード7で、情報屋のサマーとして登場しました。韓国系の刑事で、無口な堅物のキンブル・チョウが彼女を担当。事件に絡んでいくことになるのですが、その態度がね、ものすごく魅力的だったのです。

 

「なにさ、あんたのために頑張って情報を持ってきたのに」

「お前のやり方は違法なんだ」

「もしそうだとしても、役に立ったのなら、少しは褒めてくれなきゃ」

「分かったよ。ありがとう」

「ダーメ。心が全然こもってないもん。もう1回ね」

 

 こんな会話があったかどうか忘れてしまいましたが、「何さ」と横を向いて拗ねる表情がものすごく可愛いのであります。左右非対称な笑顔で、正統派の美女とはいえないかもしれませんが、カエル口というかアヒル口と呼ぶべきか、上目づかいで何かをおねだりする顔は、古今東西を見渡しても、ボクにはとても魅力的に感じられます。

 

 不良少年上がりで軍隊経験者の真面目人間、チョウも彼女を無視できず、つかず離れず面倒を見ているうちに、やがてベッドを共にするわけですね。けれども、彼女が隠していたクスリを発見。こうなると、刑事である以上は一緒にいるわけにいかない。その別れの時の泣き笑いの表情がね、いま思い出してもぐっと胸がつまるほど可愛いのであります。若い女性が使うカワイーでなくて、可哀想に近い可愛いなんだよね。可哀想たぁ惚れたってことさ、という有名な言葉がありますが、まさにそういう気持ちを渦のように引き起こす顔つきができる女優さんなのです。

 

 サマーを別れたきりで不幸にしたら、シナリオライターはただじゃおかねぇぞと誰かが投書したのか、しばらく後の回で、彼女は再び登場。シニアのカネ持ちと結婚式をするために戻ってきたという設定でした。ところが、例によって昔の仲間の犯罪に巻き込まれ、チョウは彼女にまんまと騙されたと怒ります。でも、やがて冤罪であったことが証明され、そのカネ持ちも無類のお人好しであることも分かって、ハッピーなエンディングに。真っ白なウェディングドレスを着てリムジンに乗り込むサマーに、チョウは言います。

 

「今度こそ幸せにな」

「うん」

 

 そう頷きながらも、サマーは眼の端の涙を拭うんですよね。チョウへの未練もきっとあったでしょう。そういう複雑な女心がとっても分かりやすい。男にそうした印象を与える女なんてウソつきだ演技じゃねぇかと糾弾する人もいるでしょうが、いいじゃないですか、騙されたって。ケチケチすんなよ。

 

 ということをいくら書いても、分からない人は分からないでしょうから、ネットで画像を調べてみてください。ボクは女優さんならイングリッド・バーグマンがこれまでダントツのトップだったのですが、そんな知的な美女よりも、近頃はサミーアのような豊かな表情ができる女優さんが好きになってきました。悲しい時はひいひい大声で泣き、嬉しい時は顔中を明るくして喜ぶ。笑う時には大口を開けてもらったほうが、こちらも楽しいじゃないですか。

 

 ついでに言えば、怒る時も愛嬌がなきゃいけない。はい、その通りでありまして、今の世の中、男女ともに愛嬌がなさ過ぎ。負けないことや自分を守ることに力を入れ過ぎて、つまりは余裕がないってことかな。

 

 顔かたちなんかより、ハンパな知性より、キャリアや立場なんかより、何はなくても人間は愛嬌こそがかけがえのない財産なのだ、ということを教えてくれた女優さんです。

 

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2018年9月11日 (火)

お手本は何処(後)

 

 かつてのアメリカのように模倣すべき国はもはやないので、これからは日本発のオリジナルを独創していかなきゃいけないと書きました。そのためには、小狡くリスクを回避する「2番手志向」から脱却しなきゃいけない。たとえばマラソンでトップを走れば、風あたりも強いし、路面の変化を知らずに転倒する可能性だってあるでしょう。そうしたリスクを負って無理して1番を行くよりは、2番を維持しながら虎視眈々とチャンスを狙ったほうがいい。これをボクは「2番手志向」と命名しました。

 

 潤沢な開発投資を注ぎ込めない敗戦直後は仕方のない方法論ではありましたが、それが完全に身についてしまうと、次第に自分自身で発想する能力や習慣を失ってしまうんですよね。だからボクの若い頃もアメリカ詣でが常識的に行われており、シカゴのある見本市でカメラを向けたら、記者章を付けていたにもかかわらず、現地の人から泥棒呼ばわりされたこともあるくらいです。だからこそ21世紀になっても、家電大国でありながら集塵袋のない掃除機やスマホを発明することができなかった。

 

 今では世界で戦うスポーツマンや最先端の科学者の多くは、リスクを負わないことが即ちリスクであることを知るようになりました。当たり前のことですが、人真似では絶対にトップになれるはずがない。トップになろうとしなければ、2位や3位にすらなれないのです。

 

 そうはいっても現代でゼロから物事を作り上げていくのは、超天才でも無理でしょう。多かれ少なかれ、ヒントであれインスピレーションであれ、人間は何かを踏み台にして創造性を発揮したほうが合理的で効率的です。でもさ、それを探しに行くところはアメリカだけじゃないですよね。そっくりそのまま真似るのでなく、虚心坦懐に学ぶつもりであるなら、発展途上国や貧困国にもヒントはいろいろあると思うのです。

 

 それともうひとつ、日本の明治・大正期をもう1度見直すべきではないでしょうか。中でも最近になって特に感心したのは、小林一三(1873~1957年)です。何のことはない、ボクは宝塚歌劇のファンなので、その創始者ということで興味を持ったのですが、いやはやちょっと調べるだけで、ケタ外れの力量を備えた実業家であったことが分かります。阪急電鉄でも知られていますが、今では常識的なターミナル駅のデパートを初めて設置したんですよね。鉄道会社が自前で百貨店を経営するなんて、それまで国内はもとより、国外にも例がなかったというから凄いと思いませんか。

 

 しかも、ウィキペディアを見る限りですが、当時のエリートなら常識的だった海外渡航経験がまっく見当たりません。敢えて勘違いさせていただきますが、このように海外なんぞに行かなくても新規事業の創造は十分に可能なのです。また、「素人だからこそ玄人では気づかない商機がわかる」など数々の名言を残しています。彼に限らず、明治・大正期には驚嘆すべき傑物が少なくなかった。アメリカに行く前に、もうちょっと日本のビジネス史を本気で勉強しようよ。現代にも応用できる宝物は多いと思うんだけどな。

 

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2018年9月10日 (月)

お手本は何処(前)

 

「レストランを次のファミリービジネスにすると決めた。(略)ここでペガサスクラブでの勉強が役に立つ。米国の社会状況が10年後の日本に来るという説だ。そこで兄弟で二手に分かれて米国のレストラン事情の視察に向かう。昭和44年の話だ」(日本経済新聞『私の履歴書』連載⑨横川竟/すかいらーく創業者)

 

 日本経済新聞の連載コラム『私の履歴書』を長く愛読してきましたが、学歴エリートの著者ほど自慢話が多くて失敗談がほとんどない。自分の判断で危機的な状況も脱したなんてエピソードが続くと、「ホントかよ」と眉に唾をつけて読むのを中止したこともしばしばあります。特に金融系の著者はバブル崩壊に触れることを避ける傾向が強く、今もって責任者は闇の中。不動産融資の総量規制なんていう急ブレーキをいきなり踏んだら転倒するのは明白なのに、寡聞ながら、あの頃を正直に振り返った回顧談を読んだことがありません。誰だよ「空白の20年」を作ったのは。日本というのは太平洋戦争の頃から司令官や参謀の責任を追求しないことが不文律だったようですけどね。

 

 それに比べて、現場で苦労を重ねてきた人の回顧談は格段に面白い。冒頭で紹介した横川さんの『私の履歴書』も、学歴がないことをハンディキャップとして、身体を壊すほど頑張ってきたことがよく分かります。ただ、そうしてのし上がってきた人と、今の若い人たちのメンタリティはまるきり違う。そのことを強く意識しないと、かつてのワタミのように社会的な指弾や従業員の離反は避けられないでしょうね。

 

 どうも横道ばっかりで恐縮です。本題は「米国の社会状況が10年後の日本に来る」という文言です。このように指摘したペガサスクラブというのは、読売新聞記者の渥美俊一が1962年に設立したチェーンストア経営研究団体。ダイエーやジャスコなどを率いた若手経営者のほとんどが参加しており、かつては「流通革命」をリードする神様のような存在だったようです。

 

 当時の日本は、神国日本を戦争で破ったアメリカをお手本としており、食糧や薬品だけでなく、思想も制度も組織のあり方も経営手法まで、およそすべてを輸入していました。セブンイレブンだって、もともとはアメリカの氷屋さんの副業だったんですから。今をときめくソフトバンクの孫さんによる初期の業績も「タイムマシン・ビジネス」といわれています。10年先の未来=アメリカからモノやソフトを輸入するのですから、よほど間違えない限りは失敗しないでしょう。もちろん永続するためには、和風のテイストを加えて、時流の変化にも対応することが必要だったでしょうけどね。

 

 にもかかわらず「流通革命」なんて、ちょっと凄すぎる表現ですが、横川兄弟がアメリカに向かった「昭和44年」といえば西暦で1969年。“革命”が加速し始めたスーパーマーケット業界に比べて、外食産業にはアメリカナイズのトレンドが及んでいませんでした。ていうか外食産業自体が黎明期。だから、横川兄弟が現地のレストラン事業を視察して、日本にファミレスを導入したのも頷ける展開です。

 考えてみれば、良い時代なわけですよ。海外渡航は1964年に自由化されていたので、誰でも資金さえあれば、太平洋を渡って「10年後の日本」を見つけることができたのです。

 

 ところが、現代では「10年後の日本に来る」社会状況を持つ国は世界のどこにも見当たりません。いつの間にかGDPは中国に抜かれましたが、経済先進国でありながら、類例を見ない超高齢&少子社会ですから、逆に「10年後には日本のようになる」国はいくらだってあるでしょうけどね。とすれば、ボクたち自身が今度は世界のお手本になるようなオリジナルを創造していかなければならない。

 

 けれども、これまでの教育はそれに対応してはいませんでした。アメリカという教科書をきちんと勉強して真似する優等生は育成してきたけど、そこからはみ出すような創造性は評価されなかったからです。そのせいか「大学改革」が以前から合言葉になってきましたが、最先端のIT系なんて今でも輸入ものばっかりですもんね。クラウドだのビッグデータだのAIだのと、追いつかなきゃいけないことばっかり。カタカナをちゃんと日本語に訳すヒマもないくらいです。経営理論だって輸入超過が続いているではありませんか。留学して新しい理論をコピペした者勝ちなんて情けないですよね。

 

 リスクを過度に怖れて「2番手」を志向する体質に根本的な問題があるとボクは思うのですが、長くなったので続きは明日ということで。

 

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2018年9月 7日 (金)

エスタブリッシュメント

 

 昔から外来語のカタカナは好きではありませんでしたが、近頃はIT系の用語のおかげで大っ嫌いに昂進してしまいました。だってさ、取扱説明とか不具合の修正(トラブルシューティングですけどね)なんか、助詞を除いて全部がカタカナってこともありますからね。「日本語で言えよ!」といつもパソコン画面に罵っております。

 

 自慢じゃないですが、そもそも「ドラッグ」の正しい意味が分かったのは今世紀になってからです。どうしてパソコン操作にヤクというか葉っぱというか薬がいるのだろうと思いませんか。あれは「ドラッグ」と呼ぶからボクのように無駄な誤解を生むんですよね。スペルはDragで意味は「引っ張る」「引きずる」ですから、素直に「ドラァグ」または「ドラグ」としておけば辞書くらい見るのに、「ドラッグ」と分かったようなカタカナにするから間違った森の中に入ってしまうわけですよ。

 

 カタカナは外来語をストレートに日本語の中に取り込める、世界でも唯一といっていいくらい便利な補助言語なのですが、それだけに安易なカタカナ化は危険ということを分かっているのかなぁ。マネジメントなんか典型的で、それを管理と訳すから無能な管理職がはびこるわけです。経営管理と訳したところで、そこに創造的な要素は微塵も感じられないじゃないですか。経営にはクリエイティビティが不可欠なのに、管理と呼ぶから無策になってしまうのです。

 

 マーケティングに至っては、正確な日本語訳がないあまりに、ものすごく多義多様な意味を担わされています。つまり、カタカナになった途端に、分かったように思い、分かったふうな使い方をする人たちが激増する傾向があるのです。

 

 あ、体調が無事に復帰したせいか、本題を忘れていました。エスタブリッシュメントがテーマだったのであります。これまた正しい日本語のないカタカナですが、社会の支配層を意味することは分かりますよね。で、ボクは生来の天の邪鬼なもので、トランプ大統領は大嫌いだけど、政権内部でも批判が大きくなってきたと知ると、逆に、彼を選んだ人たちの心境を考えるようになるわけです。

 

 あんなアホで傲慢なカネ持ちでも大統領になれるのかと、アメリカに失望した人も少なくなかったはずですが、ボクは逆に、ヒラリーなんかを代表とする旧来のエスタブリッシュメントに対する絶望がそれだけ深かったと思うんですよね。アイビーリーグの有名大学を卒業して、法科大学院も修了して弁護士になってから政界入りする。アメリカで優秀な大学は私立なので、学費はハンパではありません。つまり、特別に頭がいいか、代々のカネ持ちか成金の子供でなければ、選挙に勝てる立派な学歴を準備することはできないのです。そんな連中の中でも、さらに家柄が良くて、履歴に瑕疵のない人たちが下院、上院、州知事なんかを経て大統領選に立候補する。

 

 その結果として、社会がうまく運営されていれば問題ありませんが、カネ持ちはますますカネ持ちになり、貧困は確実に次世代まで継承されるとなれば、話は違ってくるじゃないですか。そうした不満が爆発寸前まで蓄積されても、大統領選に出るには法外なカネがかかるので、普通の人は出馬そのものが不可能。そんなところに変わり者のカネ持ちが飛び出てきたので、注目と期待を集めたと思うのです。

 

 だからね、トランプを批判するなら、それまでのエスタブリッシュメントの無為無策も徹底的に追求しなければ元の木阿弥になってしまう。政治はもちろん、社会も会社もそうだけど、いたずらに右だ左だと揺さぶっても何も変わりません。それこそアウフヘーベンしていかなければ、無駄な繰り返しに過ぎないわけです。

 

 だったら、具体的にどうすりゃいいのか。

 ボクは、真に優秀で誠実な人がきちんとリーダーになれる仕組みが必要だろうと考えています。そのために1人1票を持つ今の選挙制度は果たして有効と言い切れるのでしょうか。国会議員はもちろん、市議会や区議会レベルでも、よく知らない人をイメージだけで選んでいる人が相当数にのぼると思うのです。もろちん組織票ってのもあるけど、そいつがどんな奴かをちゃんと分かって投票している人なんて決して多くないはずです。さもなきゃ領収書の偽造などチンケな不祥事が頻発するはずがない。

 

 ここまで批判したのだから対案を出しますが、そろそろ直接選挙をやめて、見識のある信頼できる人に票を預けるという制度にしてもいいのではないでしょうか。たとえば100人で1人を選び、その人が候補者に接して政見や知性や人柄までを判断。選挙では100人の代表として1票を投じるわけです。その1人は投票以外に何の権限もありませんが、それだけに買収される可能性もあるので、100人は慎重に選ばなければならない。そのために、候補制ではなく推挙制とします。つまり、「この人に候補を選んでもらいたい」と複数の人が推薦する人たちを選挙で選ぶということです。かなり面倒くさい制度ですが、少なくとも会ったことのない人に投票することはなくなるはずです。そして、それを4年間の任期とでもしておけば、自治体の意思決定など様々に利用できると思うんだけどな。

 

 民主主義というのは、もともと面倒くさい制度です。それを何とか簡略化しようとするから、有権者と候補者が離れてしまった。であれば代表者が候補者に近づいていろいろとチェックすればいいのです。手間はかかるけど、合理的な制度だと思うんだけどなぁ。

 

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2018年9月 6日 (木)

逃げ切り

 

 いやまぁ、スポーツ界というのは、次から次へと問題が吹き出してきますよね。ちょっと前は日大アメフトの危険タックルがあったかと思えば、今度は体操で、しかも北海道で地震ですからね。

 

 おかげで、どうやら日大の理事長は記者会見などにいっさい顔を出すことなく、メデたく御簾の向こうに逃げ切るようです。あれだけ騒いだメディアも、今では塚原ご夫妻のほうにフォーカスしており、日大の理事長なんて、「そんなことあったっけ」レベルの話題に成り下がってしまいました。

 

 こんなことでいいのかなぁ。本日は体調が絶不調なのでこのあたりで店じまいしますが、これでは頑張って告発した日大の教職員が可哀想ですよ。

 

 言わぬが花とか、見て見ぬふりとか、長いものには巻かれろ、なんてね。権力に恭順したほうがトクなのは事実だけど、ボクたちは奴隷じゃないはずです。メシさえ食えればハッピーなんて、いつの時代の話だよ。革命いまだならず、ってことですかね、

 

 それにしても、あんな逃げ切りを許したら、みんなが真似するようになると思うぞ。「わしゃ知らん、謝る必要がどこにある」ってさ。吐き気を感じます。

 そういう態度が最もカッコ悪いというのが、伝統ある相撲道なんじゃないのかなぁ。

 

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2018年9月 5日 (水)

これでも働き方改革?

 

 あくまでもテレビ報道によれば、ですが、夜の繁華街からサラリーマンが激減したそうです。このため飲食店は新しい客づくりに苦労しており、深夜から始まる「飲み放題」「食べ放題」も増えているらしい。

 

 では、どうしてサラリーマンが消えてしまったかというと、どうやら「働き方改革」が原因というのです。残業がなくなったのはもちろん、退社時間もぐっと早まったので、これに対応して、3時くらいから「ハッピーアワー」を設けるファミレスが増加。そんな店にサラリーマンの皆さんが群がっているわけですね。要するに、仕事を終えて居酒屋などで一杯やる時間帯が大幅に繰り上がっただけというのが真相のようです。

 

 それでデキ上がってしまえば、金銭的にも体力的にもハシゴを続けられる人は激減するので、夜の7時から8時あたりのかき入れ時が閑古鳥なんていうことになってしまう。それはそれで仕方のない話ですが、「働き方改革」ってそういうことなんですかねぇ。

 

 それまでは残業後にみんなで連れだって酒を飲み、労働時間が短縮されたらされたで、今度は明るい時間から酒を飲む。飲酒以外にやることはないのかなぁ。飲みニケーションなんていっても、酒場での論議なんて翌朝にはすっかり忘れているのが普通です。むしろ無礼講に甘えて、しなくてもいい喧嘩を上司や仲間とすることもあるじゃないですか。

 

 必要なのは「働き方改革」でなくて、労働者としての「意識改革」なんじゃないのかなぁ。かつては大酒飲みだったボクが言える資格はありませんが、酒をいくら飲んでもストレス発散には絶対になりません。翌日は二日酔いで身体が重くなるしね。何よりも時間とカネがもったいないではありませんか。

 

 これまでは、自宅と会社、それに酒場がトライアングルを構成していました。そろそろ酒場の来店頻度を少なくして、新しい第3の場を作らなきゃ。それによって楽しく面白く退社後の時間を過ごす。それが本当の「働き方改革」ではないかとボクは思うのであります。

 

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2018年9月 4日 (火)

置き勉

 

 文科省が近々に「置き勉」を認める通達を出すとNHKが報道して話題になっています。教室に教科書などを置いて帰宅するという意味ですが、まるで勉強まで学校に置いてくるような印象を与えるので、適切な造語とは思えないですけどね。

 

 国会に提出された「意見書」によれば、学習指導要領の改訂に伴って、小学校3年生の国語・算数・理科・社会の教科書の重さは、40年ほど前に比べて約2倍の2㎏にも達するそうです。それだけでなく、ある研究者の調査では小学校1~3年生のランドセルの重さは平均で7.7㎏。約6㎏とする教科書会社のデータもあるようです。

 

 ボクは昔からランドセルが大嫌いで、登山でもあるまいし、どうしてあんなデカいものを背負って学校に行かなきゃいけないのか納得できませんでした。中学高校の制服が官軍=薩摩の軍服を由来とするように、兵隊さんの背嚢の変形ではないかと睨んでいますけどね。

 

 いずれにしても、そんなに重いものを毎日運搬させるなんて、ほとんど虐待に近いではありませんか。ボクは即座にやめるべきだと思いますが、例によって異論反論もいろいろあるようです。いわく自宅で勉強しなくなるとか、学校の先生の負担が重くなるとか。後者の「先生の負担」は、学校で新しいことをしようとすると必ず出てくる反論ではありますけどね。確かに、いじめっ子が誰かの教科書にいたずら書きすることは考えられなくもありません。だったら、個別に置いておくのでなく、教科別にまとめて箱の中に入れておき、朝それを各自が引っ張り出せばいいじゃないですか。それによって「私の教科書」でなくて「みんなの教科書」になるので、いたずらの可能性もぐっと少なくなると思うんだけど。

 

 自宅での勉強のほうですが、あれこれ無駄な論議を重ねるよりも、いっそのこと同じ教科書を自宅にもう一組揃えれば、完全に解決するじゃないですか。1960年代から義務教育の教科書は無償になっているので、家庭に負担はかかりません。国の関係支出は2倍になるけど、教科書会社も印刷会社も大喜びとなり、それなりの経済効果があるはずです。何よりも、それで子供たちの背中が楽になるんですから、誰も税金を使うことに反対しないと思いますぜ。

 教科書を印刷物からキンドルやiPadなどに電子化してしまうというのも現代的な方法です。これはIT業界が大歓迎するんじゃないかな。

 

 クルマだって「シェア」する時代であり、ITもクラウドなんですから、もはや「所有」というオールドエコノミーの概念から解放されるべきですよね。

 

 それにしても、何十年にもわたって子供にあんな重いモノを背負わせきたこの国って、どう考えてもヘンだと思いませんか。

 

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2018年9月 3日 (月)

面白く遊ぼう

 

 先週は勘定の引き算、じゃなかった感情の引き算の必要性を述べました。しかしながら、ロボットのように無感情になるということではなく、過度な好き嫌いを是正して、心のフトコロを大きくしようということなので誤解しないでください。

 

 好き嫌いにこだわると、どうしても視野が狭くなってしまいますよね。たとえばデジカメの普及期に、光学式カメラを愛するあまりに、フィルムの画素数に追いつくはずがないと断定した人もいるらしい。もちろん、みごとに大ハズレしました。デジタルが嫌いというだけでなく、自分に利害が及びそうなことは無意識に思考にドライブをかけるという心理も強く影響しているでしょうね。

 それだけでなく、好きな人だけを近づけ、嫌いな人を遠ざけるということは、人的な交流もそれだけ狭くなってしまいます。

 

 ボクは今でも一人っ子特有の人見知りで、知人・友人を積極的に作ろうとしないのが最大の欠点だと自覚しております。不思議なことに女性は例外なんだけどなぁ。少なくとも、指導者や権力者がボクのようでは失格ですよね。そうした自覚があるからこそ、そろそろ好き嫌いの感情を引き算していかなきゃ、と自戒したわけです。

 

 そのかわりに、足し算したほうがいい感情もあります。それが、何でも面白く感じる「遊び心」です。「つまらん」と決め込んだら、それ以上には絶対に発展しませんからね。これは好き嫌いとまったく同じで、若い頃は「つまらん」をどんどん除外して、自分なりの「つまる」ことにのめり込むことも必要です。けれども、そうして排除された「つまらん」ことの中にも面白いことを見つけられるのが熟練ということではないかな。

 

 それを真逆にやっている人が案外多いんですよね。歳を経てピラミッドの上位になって権力を手に入れたせいか、これまで我慢してきた好き嫌いを爆発させるようになり、やたらに「つまらん」を連発するジーサンっていませんか。近頃目立つ老人の暴走もそれとまったく同じで、年齢を人生の先輩として解釈し、あたかも権力の一種のように誤認していることが大きな理由だと思います。

 

 かくいうボクだって、もうこの年齢になったら理不尽な我慢なんてゴメンだと感じますが、そう思うなら等量の「面白さ」や「遊び」を見つけることが責務ではないかと。世の中には「つまらん」ことは確かに多いけど、その裏側には必ず面白いことや遊べる要素が貼り付いている。そう考えなければ、死んだ方がマシという結論になってしまいます。

 

 いずれにしても、普通の人を「生きやすく」する秘訣は、何でも面白がって遊ぶということに尽きるのではないでしょうか。分かっていてもできないことがしばしばなんですけどね。それもまた感情のなせる技にほかならないのです。

 

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