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福助くん その6

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    福助くん、9歳の秋です。 ちょっと長めの散歩をして、世田谷公園へ。 紅葉と福助をご覧くださいまし。

福助くん その5

  • 赤いサルビア♪
    2010年秋の福助くん。とある週末に埼玉県所沢市にある航空公園に行ってきました!

福助くん その4

  • 1 毎年恒例の・・・
    今さらですが、今年の花見の福助くん。ご近所の目黒川に行ってきました。

福助くん その3

  • 1 田舎に行ってきました!
    飼い主の田舎に行ってきた福助。うららかな春を迎えた大自然のなかで、いつもと違った表情に。

福助くん その2

  • 定位置
    平日は会社にいる福助。こんな感じの毎日です。

福助くん その1

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    笠木の飼い犬。甘えん坊でちゃっかり屋の8歳。雄。

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2018年10月

2018年10月31日 (水)

なるようになる(後)

 

 無理やワガママを通そうとすると、首相の友達や奥さんの知り合いでもない限り、ロクなことになりません。焦ってやることでうまくいくことはほとんどなく、何事もタイミングが大切であり、早くても遅くてもダメなんですよね。 

 

 そんなわけで、「人事を尽くして天命を待つ」という言葉もあるように、物事は「なるようにしかならない」わけですな。人間なんてちっぽけな生き物ですから、できることにも限度があります。にもかかわらず、やたらに努力万能で叱咤する人もいるんですよね。大きな壁の前でへこたれている人に、「乗り越えろ」「できるはずだ」と、やみくもに背中や尻を押したところで、できないことはできません。

 

 ボクはそれが旧日本軍ならびに、それを引き継いだ戦後の企業と教育とスポーツだったのかなぁと考えるわけです。精神性や意欲はものすごいけど、方法論がまるで伴っていない。もっといえば科学的かつ論理的ではないのです。それが近年になってようやく分かってきたらしい。メンバーや従業者に無理強いすることなく、合理的な努力を重ねて好結果を出しているスポーツチームや組織が増えてきたように思います。

 

 つまるところ、物事は「なるようにしかならない」は諦念だけど、「なるようになる」と考えるのは意志なのかなぁと。

 

 論旨がよく分からんと思う人もいるでしょうが、「物事はなるようにしかならないんだよ」と言われるのと、「物事はなるようになるんだ」では印象が180度違いますよね。その「なるようにする」ことだけが、ボクたちのできることなんだなと、つくづく思うわけであります。

 

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2018年10月30日 (火)

なるようになる(前)

 

 人間の努力を決して否定する意見ではありませんが、人生に対する寄与率は10%もないような気がする時があります。

 

 たとえば学力なんか典型的で、裕福な家庭と貧乏な家庭を比べたら、こりゃもうアプリオリな能力差を完全に無化するほどの甚大な影響力があるんじゃないかな。私立の小学校や学習塾にちゃんと通える子供と、毎日毎晩カネのことで夫婦喧嘩している家庭の子供では、学力が違ってきても不思議ではないでしょう。

 

 ところが、地アタマだの何だのという才能原理主義者または努力次第で何でもできるという人間万能主義者には、こうした環境要因はほとんど通用しないのです。結果的に成績至上主義となって、家庭環境などの社会的要因はきっちり除外されてしまうからおそろしい。それだけならまだしも、成績が良くない=もともとアタマが悪いからね、と短絡する人が案外多いんですよね。

 

 これが大いなる誤解であることは、幼児の取り違え事件がはからずも証明しています。貧乏な家庭の子供が裕福な家庭に引き取られてどうなったか。有名私立大学を卒業して有名企業で定年を迎えました。一方、本来は裕福な家庭で育つはずだった子供は、中学卒業後から働き、夜間高校に進学。低学歴のために仕事にも恵まれませんでした。

 

 ほらみろ、生まれつきのアタマの良い悪いなんて、ほとんど関係ないじゃないか。大体ですね、アタマの良い悪いが天賦の能力だったら、そもそも学校なんて必要ない、とはいわないまでも、その意義は相当に低下すると思うんだけどな。

 もちろん、学習塾に行けるにもかかわらず、ロクに勉強しないカネ持ちの子もいるので(昔はそんなケースが多かったですけど)、家庭環境論にも限度があることは分かっています。けれども、本人の努力で変えられることなんて、冒頭で指摘したように10%程度しかないんじゃないかな。

 

 こんなことをあからさまに言えば、「だったら一生懸命に勉強しても仕方ねぇじゃん」となりかねないので、大人はみんなウソをつくのです。むしろ、頑張ったことが必ずしも報われるはずはなく、その確率もかなり低いことを知るのが大人になる条件といっていい。

 

 ボクがどうしてこんなミもフタもないことを言うかといえば、前述したように、アタマの良い悪いが生まれつきのものとして語られることがひどく多くなったような気がするからです。もっと簡単にいえば、学歴や出身大学ですべてを判断しようとする傾向がどんどん強くなってきました。就活なんか典型的ですよね。口では「優秀な人材」と言うけど、「ではどんな人材ですか」と訊くと掴みどころのない一般論が返ってきます。「要するに入試偏差値上位の有名大学出身者です」と言えばいいのに、世間的な外聞が悪いので、そんなことを言う人はいません。

 

 では、たとえば東大生は本当にアタマがいいのでしょうか。学校の成績が優秀だったことは否定しませんが、だからといってアタマがいいとは限らないですよね。ボクなんかは、まず最初に、きっと裕福に育ってきた子なんだなろうなと判断しますが、テレビではそんな条件はまったく抜きで、ひたすら天才のように扱うクイズ番組が今もってはびこっています。知識を問うならインターネット検索で一発で分かるのにね。

 

 こういう結果論は、実は政治家にとって大変に便利であることにそろそろ気づきましょうよ。極端な所得格差の是正や幅広い社会保障といった面倒な施策を考えなくていいからです。某首相のように口先だけのゴマかしを何年続けても、誰も文句をいわない。

 

 いずれにしても、そんなわけで、物事はなるようにしかならない。この諦念が人生に無用な波風を立てない秘訣なんだと。悔しいけれども、とても辛いけど、そう思わざるを得ないんだよな。それだけではまったく救いがないので、明日も続けます。

 

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2018年10月29日 (月)

またまたトイレが

 

 以前もちょうど今ごろの季節で、締め切りがたまっていた時期だったように思うのですが、アハハハハ、力を入れすぎたせいか、便座がね、パッキリと割れてしまったのであります。

 

 いちおう説明を加えておくと、しゃがんで用を足すときにおろす、U字型または楕円形のアレであります。そんなにも壊れるモノとはとても思えませんが、おそらく10年くらいで2回目じゃないかなぁ。

 

 物理学的には、加速度なしでは体重以上の力をかけられるはずがないので、プラスチックの強度に問題がありそうな気がします。その一方で、片方に体重をかけることが続くと、支えと支えの間の部分に過度な負担がかかるので、プラスチックが疲労して亀裂が入ることも十分に考えられます。実際にそんな状態になったのでガムテープで補強して騙しダマシで使ってきたのです。

 

 いずれにせよ、便座カバーはどこでも揃えており、安く買えるのですが、便座本体となるといささかプロフェッショナルになるせいか、ホームセンターレベルの店でないと取り扱いしていないんですよね。だったらもっと頑丈に作れよと不愉快極まりなく、アタマにきたので、エイヤっとトイレ本体と床と壁紙ごと取り換えることにしました。ものすごく発展的というか、途方もないジャンピングアワー(時計好きは笑うところです)じゃなかった、突飛な発想ですけど、トイレ回りは綺麗なほうが気持ちいいですからね。

 

 でもって業者さんが来訪して採寸()し、見積もりも貰って発注はしたのですが、この人手不足の折なので、すぐにやってくれるはずもありません。そんなこんなのうちに、昨日の日曜日、ついに便座のU字の片方が完全に断裂してしまいました。そこで理解したのは、U字型は構造的に一部に負担がかかるので、丸くつながった楕円形のほうが力を分散でき、強度が高いということです。

 

 てなことをいくら考察したところで、もはや腰かけることは完全に不可能。仕方がないので、渋谷の東急ハンズで購入しました。どうせトイレ本体を取り換えるのですから、最も安いものを選んだのですが、それでも6000円ちょっと。ふざけんなって、再びアタマから湯気が出そうになりましたが、大は近所のコンビニでってわけにもいきませんからね。はーあ、こういう不合理な偶発的出費をボクは誰よりも憎んできたのですが、状況はそれを許してくれないんだよな。これを抗いがたい運命などと大げさに呼ぶと、皆さんに蹴り飛ばされそうなのでやめます。

 

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2018年10月26日 (金)

『セント・ジェームス病院』

 

 音楽ならクラシックから演歌までノンジャンルでたいていの曲は好きですが、苦手な歌もあります。その中でもダントツ、というのもおかしいかな、最も好きではないというか、要するに嫌いな歌が『セント・ジェームス病院 St.James Infirmary Blues』です。

 

 嫌いな歌をわざわざ紹介する必要はないだろうと思うのですが、ジャズまたはブルースのスタンダードとして超有名なせいか、ライブハウスでの遭遇率もかなり高いんですよね。どんな演奏であれ、それを聞くたびに身体がズーンと重くなるので、思わず耳を塞ぎたくなります。インストルメンタルも少なくないので、つまりは曲想がボクに合わないようです。

 

 もともとはアメリカの伝承曲で、作詞・作曲者は不明。ジョー・プリムローズが作詞、作曲の登録を行ったとされています。数多くのアーティストがカバーしていますが、1926年にルイ・アームストロングがレコーディングしたものが有名なようですね。

 

 とにかく体重がいきなり2倍になったのかなと感じるほど暗くて重い歌でありまして、ちょっと調べてみると、「亡くなった子供に会いに行く」という内容になっています。日本で言えば「逆縁」ですから、ヘビーな曲想なのは当然なのですが、ジャズ系のミュージシャンはどうして好んで演奏したがるのかなぁ。原曲をたどっていくと、売春による性病で死んだことを歌った内容もあるくらいなので、どうにもボクにはついていけません。明るいよりも暗いほうがリアルな人生だからこそ、ボクは音楽に希望を感じたいのでありますよ。

 

 ちなみに、浅川マキが訳詞して歌っているので、それを紹介しておきます。

 

今日はあの娘の亡骸に

逢いにきたのさ セント・ジェームス病院

 

ここは貧しい病院の

白く冷たいテーブルの上

 

あの娘の顔は 青黒い

貧弱 静か 美しい

 

いまは あの娘も 世界中

何処へでも 自由に行ける身さ

 

だけど あの娘に聞いてみな

おれのような だめな男には出会わないだろう

 

そうさ あの娘も運がない

こんな 貧しいセント・ジェームス病院

 

 はーぁ。ほらね、救いがまるでありません。だから何なんだといわれても、そういう楽曲もあるんだってことです。おれたちは、こんな悲惨な人生をどうして生きなきゃいけないんだと問われても、誰も答えることはできませんよね。神様だって、ちゃっかりと沈黙を続けている。耐えることに慣れるのが人生の唯一の秘訣としたら、こんなに悲しいことはないじゃないですか。だからね、ボクはこの歌が大嫌いなのです。

 

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2018年10月25日 (木)

コストvsやりがい

 

 先週のブログで「従事者が面白いと興味を感じない仕事は滅びていくはずです」と書きました。従事者が少なくなって、機械化または人工知能化されていくと言うべきでしょうか。

 

 たとえば、複数のレストランを展開する外食チェーンでは、セントラルキッチンを設置して、ある程度まで調理を進めた料理を各店に配送。店では、それを加熱するなどの処理を行って提供しているはずです。極端に簡略化して言ってしまえば、ビニールパックされたハンバーグなどの料理が定期的に納品されるので、現場では注文に応じてこれを冷蔵庫から出し、レンジでチンして皿に並べれば出来上がりという感じかな。

 

 そのほうが大量仕入れによってコストを削減でき、アルバイトでも調理可能なので人件費を縮小できるだけでなく、味も店によって違いがなくなって標準化されるほか、衛生管理も容易になるなど、メリットばかりなんですよね。外食産業は、このセントラルキッチンを中心的なノウハウとして多店舗展開を行ってきたはずです。だからこそ客も安くて美味しいものを食べることができました。

 

 経営者にとっても、客にとってもいいことばかりのように見えますが、従業者はそんな仕事が面白いかといえば必ずしもそうではないでしょう。マニュアル通りにやれば、確かに簡単に美味しそうな料理が出現しますが、自分が意思して工夫して作ったものではないからです。

 

 かといって、各店がそれぞれメニューから原材料の仕入れ、調理までやるとなればチェーン店として成立しません。そんなわけで、ボクは従事者のアルバイト化が進む業種は、これからどんどん人工知能&機械化されていくだろうと考えています。ただでさえ若年人口の減少で人手不足なんですから、面白いと興味が感じられない仕事に従事する人が増えるとはとても思えないからです。

 

 つまり、効率化や合理化によるコストダウンと、人間が感じる仕事のやりがいは明らかに相反するのであります。これを経営的にどのように調和させていくかが、ビジネススクールで研究すべき現代の論点ではないでしょうか。大量の締め切りを抱えており、長く書く余裕はないのでもうやめますが、そろそろ従業者のやりがいを強く意識した経営手法を創造すべき時期ではないかなと、ボクは思っているわけです。

 

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2018年10月24日 (水)

まぁ

 

 言葉づかいや口癖は伝染するのが常ですが、近頃は「まぁ」を文節の間に挟む人が増えてきたように思います。将棋界で最年少記録を軒並み更新してきた藤井聡太七段が典型的で、あくまでもたとえばですが、「まぁ、今回の対局は、まぁ、自分でもうまく攻めることができたかなと、まぁ、思うわけです」という感じかな。

 

 確かに自分に対する「合いの手」として便利ではあるんですよね。感想などを話す時には、考えるために必ず間が空きます。そんなタイミングで、まさしく「まぁ」を付け加えれば、沈黙を避けて、思考の瞬間的な時間稼ぎができるわけです。ただし、それがあまりにも多くなると、聞く人には煩わしくなってきます。

 

 藤井七段はまだ高校生なのですから、誰かが「耳障りがあまり良くないよ」と注意すればいいのに、おそらく遠慮しているのでしょうね。クチャクチャと音を立てて食事する中高年に今さら注意することはなかなかできません。だから、なるべく若いうちに不快な習慣は矯正したほうが本人のためになるんですけどね。

 

 けれども、悪い習慣ほど広がりやすく、本日も、いい年をした評論家がテレビで同じように「まぁ」を連発していました。この場合はカメラの前にいるという過度な緊張感が理由かな。誰でも口癖はあり、ボクも例外ではないので、むやみに批判はできませんが、やたらな繰り返しだけはやめたほうがいい。

 

 実は、ここまでは前段でありまして、ボクが本当に不愉快なのは「ヤバイ」なんですよね。最近は一般の人がスマホで撮影した災害や事件の映像がテレビで流されることが目立ちますが、そんな時に必ずといっていいほど「これヤベェよ、ヤバイヤバイ」「すげぇヤバイよ」などと男女を問わず口走っています。さらに「ヤッベぇ!」という強調はもっとイヤで気持ちが悪く、吐き気すら催すんだよなぁ。大変なことに遭遇したのですから仕方ないとはいうものの、ものすごく下品に感じませんか。

 

 こんなふうに他人に思われないためにも、言葉づかいや口癖は、まぁ、日頃から注意したほうがいいと、まぁ、自分にもたまに、まぁ、言い聞かせてはいるんですけどね。

 

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2018年10月23日 (火)

シアーズ破綻(後)

 

 日本ではとっくに役割を終えたと判断されているせいか、シアーズの破綻はあまり大きく報道されていないように感じます。ボクは80年代にGMS(ジェネラル・マス・マーチャンダイザー)という言葉に随分悩まされたんですけどね。

 

 早い話が、食品スーパーが衣料などを扱うようになり、事業をどんどん多角化していくってことですが、そんなことが実際にできるのかよ、という疑問がボクを悩ませたのです。だってさ、食品スーパーで服を買う人って、かなり少数派ですよね。宝飾ともなれば希有といっていい。ボクなら百貨店あるいはセレクトショップに行きます。

 だから、衆知のように日本ではうまく行きませんでした。ダイエーも派手に失敗しましたからね。かくてGMSは死語となり、おそらく若い人はネットで調べないと意味が分からないんじゃないかな。

 

 そんなわけで、シアーズはアメリカの小売市場に君臨する超大型の恐竜になってしまい、消費者の高級志向やブランド志向、専門的なニーズに対応することができなくなったというのが、90年代の凋落の理由だと思います。

 

 そして、21世紀になると、ご存じネット通販の天下になってきます。シアーズも70~80年代には大きな通販カタログを製作して消費者に配布していたと思いますが、こんなものは電話帳と同じで、重くて邪魔になるばかりですから、いつか消滅することが運命だったといえるでしょう。

 

 結局のところ、シアーズは大きな資本を保有していたにもかかわらず、時代や環境に対応した業態転換ができなかったということに尽きるんじゃないかな。日本でも東芝が会社の存続を揺るがすような粉飾会計で大問題を起こしたほか、詳しくは書きませんが、検査データの改ざんなど大企業の不祥事は頻繁に発生しています。

 

 大きな組織になればなるほど血流が滞り、神経が回らなくなります。しかしながら、人間とカネは紛れもなく事業の資本ですから、大きれば大きいほど安定すると思われています。けれども、本当にそうかなぁ。図体が大きくなればなるほど、ボクは余計な人間が増えて、しなくてもいい派閥抗争や学歴だけを重視した昇進が行われると思うのです。かつての大日本帝国陸軍や海軍とまったく同じです。そうした人事制度の硬直化や現実感覚=リアリティの喪失は、スローガンや理念や社訓や規則やコンセプトで縛ることはできません。

 

 以前に、カルロス・ゴーンが危機的な状況に陥った日産自動車で多数の従業員を解雇した時に、ボクは次のように考えました。日産自動車の従業員と資本と工場を大きく分けて、日産自動車Aと日産自動車Bという2つの会社にする。そして勝ち残ったほうが存続し、負けたほうは潔く解散すると決める。ただし、2つの会社が採算分岐点をかなり上回る実績を挙げたなら、どちらも生き残ることを許す。

 

 フランスから来日したMBAの教授にそのアイデアを話したところ、最初は絶句され、次に「そんなアホな」みたいことを英語で言われ、仕舞いには「銀行はどうすんだよ」と笑われました。だからさ、MBAなんていうのは過去の事例をフレームワークとして覚えるだけであって、絶対といっていいほどオリジナルを生み出せないのです。変化や革新というのは、びっくりするような奇想天外が含まれていなければ、昨日の続きに過ぎないではありませんか。

 

 これからはAI抜きでも、従事者が面白いと興味を感じない仕事は滅びていくはずです。それこそがシアーズから得られる発展的な教訓ではないかと、ボクは思うんですけどね。

 

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2018年10月22日 (月)

今年はホワイト

 

 シアーズ破綻の続編を書く予定だったのですが、いろいろと調べているヒマがありません。締め切りが小さなさざ波から大波になってザッパンザッパンと打ち寄せており、本日も1本を控えているので、根拠なしで気分だけで書ける内容に変更させていただきます。すいません。

 

 さて、ボクの今季ウィンター・ファッションのテーマは「ホワイト」であります。ファッションなどと言えるほど服は持っておらず、むしろ必要最低限のミニマルで通してきたので、呵々大笑したいくらいの過度な表現ですけど、要するにね、冬のファッションというのは何であんなに暗い色ばかりなのかという不満が発端でした。

 

 空が曇りがちで暗くて寒いからダークカラーという、発想そのものがおかしい。寒いからこそ、日が短いからこそ、元気な明るい色にすべきなのであって、真冬の陰鬱な空の下でブラックやグレーを着たら、メンタルまで縮こまってしまいます。

 

 ボクはシーズンを問わず、どんな色にも合わせられるブラックをファッションのベースにしてきたのですが、インナーまでダークでは、まるで影や煙が歩いているようなものじゃないですか。なので、今年はパァッと鮮やかな赤とか黄色をフィーチャーしたいと思っていました。それなら手持ちのブラックのアウターにも似合うはずです。

 しかしながら、ボクの年齢を考慮すると、これでは悪目立ちの印象を免れません。ファッションは目立つことも必要ですが(存在が分かりやすくて何かと便利なんですよね)、ただ派手な格好のオッサンというだけでは知性を疑われてしまいます。

 

 それともうひとつ。年を取れば取るほど、こざっぱりした格好を心がける必要があります。何しろ身体の中身並びに露出した肌が老朽化して薄汚くなっているのですから、そこにマフラーなんかをネジネジしたり、派手なスカーフをアレンジしたところで無駄な抵抗でありまして、いよいようっとうしく見えるだけじゃないかと。かくてオッサンに最も似合うファッションは、第一に清潔で、次にシンプル&ピュア。そしてモノトーンではないかと以前から思っていました。

 

 であるなら、前述の屁理屈から敷衍した冬のイチオシカラーは、「ホワイト」しかないじゃないですか。今のところは、クルーネックとモックネックの長袖Tシャツだけですが(安かったので)、いずれセーターあたりまで展開していく予定です。たとえばブラックのブルゾンを脱いだら、眩しいコントラストで純白のTシャツあるいはセーターが表れるというイメージかな。できればジェームス・ディーンを彷彿とさせる半袖姿が望ましいのですが(映画『理由なき反抗』1955年公開)、他人に堂々と見せられるほど若くて逞しい腕でもなく、さすがに冬は寒いですからね。

 

 ただし、着てみて心底から分かったのですが、ホワイトは想像以上に汚れやすい。特に首のあたりなんか、すぐに黄ばんでしまいます。洗濯機でちゃんと原状回復するのだろうかと心配しております。洗剤に何か特別な添加剤でも加えるんでしょうかねぇ。コスパはあんまり良くなさそうだなぁ。

 

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2018年10月19日 (金)

シアーズ破綻(前)

 

 アメリカの大手小売業、シアーズ・ホールディングスがとうとう破綻しました。10月15日に日本の民事再生法に該当する連邦破産法第11条の適用を申請。負債総額は最大で5~6兆円にのぼると見られています。

 

 本日は締め切りを抱えており、詳しく書く余裕はありませんが、ボクが生まれて初めて海外に行ったのはアメリカ・シカゴでした。自動車関連市場の視察ツアーに同行して取材する仕事でしたが、当時は確か世界最大の小売業といわれており、修理事業などのサービスも展開していたと記憶します。

 

 その業容を象徴していたのが、当時は「シアーズタワー」と呼ばれていた真っ黒な高層ビルです。それだけに今回の顛末は感慨深いものがあります。インターネットの通販事業の伸展であっという間に凋落したと分析されているようですが、本当なのかなぁ。その当時から広大なアメリカでは通販市場の規模は日本とは比較にならないほど大きかったので、それがネットに代わったからといって、シアーズに影響を及ぼすとは思えません。

 

 ボクは、巨大化したことで、毛細血管まで血液が正しく回らなくなり、自滅したのではないかという仮説を立てています。いわば恐竜の最期ですから、早晩、日本も後追いすることになるのではないでしょうか。おっと、もうこんな時間なので、続きは月曜日ということで、本業に戻ります。

 

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2018年10月18日 (木)

遅読

 

 仕事柄で、書籍などの速読は得意なほうだと思います。かつて書評を担当していた頃には、数冊を1日で読破してから批評をまとめなきゃいけないので、自然に速く読めるようになったようです。

 

 人によって違うでしょうが、ボクの場合はページの右上から左下へと視線を素早く移動。そこで目にひっかかった熟語などによって、全体の論旨を把握していきます。最初は遅くても、著者の論理展開や言葉づかいに慣れてくると、カギとなる文字列がふわりと浮かび上がるようになり、それを追うだけなので、相当にスピードアップされます。こんな感じで最後まで目を通すと、その書籍の最重要なパートを特定できるようになるので、もう一度そのあたりを再読すれば完璧ということです。

 

 ただね、こうした速読に意味があるかといえば、ボクは否定的です。速読を推奨するのは「量的」な発想であって、「質的」とはいえないからです。内容を理解するだけなら速読は確かに便利でも、自分なりに噛み砕いて思考の中に取り込むまでには至らないんじゃないかな。つまりね、速読のプロセスがいみじくも示しているように、早い話が内容の「上っ面」に目を通しているだけに過ぎないのです。食物と同じで、消化・吸収して初めて栄養として身につくんですよね。

 

 そんなわけで、近頃は自分がきっちりと腑に落ちるまで何度も読み直すようになりました。「速読」に対して「遅読」ということになります。それでも小説や評論、ノンフィクションのドキュメンタリーといった文系の書物はついつい急いで読み進めてしまいますが、理系はさすがにそうはいきません。いま取り組んでいるのは『放射線について考えよう。』(多田将・著、明幸堂・発行)ですが、「分かりやすい」という書評に惹かれて購入したものの、ボクにとってはまるでハガネのような内容なんですよね。それまでの読書はほとんど羊羹のような柔らかさといっても過言ではありません。

 

 他人にも正しく説明できるまで理解することを自分に課しているせいか、1日に数ページが精一杯。いまのところは、モノを構成する最小単位の原子核が陽子と中性子の組み合わせでできており、その数によって元素の化学的物性が異なるという程度。ちなみに陽子はプラスの電気を持っていますが、中性子は質量だけ。そのほかにも大切な要素があるので、それを思い出すために、もう一度読み返すという「行ったり来たり」を繰り返しております。

 

 こんなことができるのも、ボクにとって未知の分野を相手にしているからでありまして、知ることの喜びを少しでも長く味わいたいという気持ちもあるのかな。かくて高速化・高度化・高密度化する現代に敢えて逆らうような読み方を楽しんでいるのであります。

 

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2018年10月17日 (水)

紅茶?

 

 事務所のあるマンションの近所に、立ち飲みの紅茶専門店、というかティースタンドがあります。それがまた不思議なことに賑わっているんですよね。土日は行列ができるくらい。しかも、女性が圧倒的に多く、制服を着た女子高校生から古参の雰囲気が漂うOLまで年齢層も結構な幅があるのです。

 

 目先の流行はほとんど小馬鹿にして無視するボクですが、この店は物理的空間的な目先に実在しており、当社のメインバンク(振り込み口座というだけですけど)も至近なので、イヤでも気になるではありませんか。

 

 それでちょいと口コミ含めて調べてみると、コーヒー市場がドトールやスタバまで成熟化して過密になったせいか、どうやら紅茶に注目が集まり始めているみたいです。しかも、その店のメニューを見てみると、チーズティーやタピオカミルクティー、バニラアイスティーなど、古手のオジサンや杉下右京刑事にとって「????」という飲み物ばかり。もちろん「ストレートティー」としてオールドスタイルのメニューもありますが、こちらはオススメとはいえないようです。つまり、紅茶の飲み方を現代的にリニューアルしたといえるのかな。

 

 価格は600円前後なので、決して安いとは思えませんが、とにかく人気なことは確かです。ちなみに、ここは以前にネイルショップがありました。数年ほど続けて、移転か廃業かは知りませんが閉店。それからしばらくして、このティースタンドが登場したという経緯です。

 

 まだトレンドのハシリだとは思うのですが、紅茶にそれほどの将来性があるのかなぁ。なんて新しいことを否定的に評価するのはジーサンの得意技なので、敢えて期待してみようかな。考えてみれば、喫茶店でコーヒーに飽きたら、次は紅茶しかないですからね。それをアイスにしてタピオカを入れるなんて、美味しいかどうかは知りませんが、なかなかのアイデアと言えなくもありません。ただ、業態としてはフォロワーがつきやすいので、人気が高まれば高まるほど独占市場でなくなり、資本力を持つ競争相手が増殖してきます。中にはコーヒーのように、システム丸パクリのチェーン店だって出てくるでしょう。

 

 その時のために、何をもって差別化、特色化、個性化していくか。ここからが本当の知恵の絞りどころなんですよね。果たしてどうなっていくのか、もうちょっと見守ってみたいと思います。

 

 本来は試飲すべきだけど、前述したように女性が圧倒的に多く、女性専用車両のような疎外感が邪魔して、なかなか入店して注文できません。これもまた特長といえば特長なので、ありといえばありなんでしょうね。

 

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2018年10月16日 (火)

就活ルール

 

 今さらで恐縮ですが、経団連が就活ルールを廃止しました。1953年以来とはいっても、そもそも罰則が伴わない「紳士協定」に過ぎないだけでなく、経団連非加盟の企業まで縛るものではありませんでした。要するにルール破りは「外聞が悪い」からみんなが守っているフリをしてきただけで、実際にテレビ局などはアナウンススクールなどと称する青田刈りを隠れてやってきましたもんね。

 

 そうしたタテマエが取っ払われて現実が露わになるのは歓迎できても、ホンネ丸出しの原始的な競争原理はちょっと勘弁して欲しいなぁと感じている学生が大半だろうとボクは推定しています。

 

 この推測が当たっていようがいまいが、同時期一括採用にもとづく横並びの「就活」なんて、およそグローバル・スタンダードとはいえません。必ずしもグローバルがエラいとは言えないにしても、学校じゃあるまいし、何万とある企業を一斉に同じように目指すなんて、もうやめていいんじゃないかな。みんなと横並びなら確かに安心ではあるけど、大学のブランド格差はそれだけ際立つことになるので、偏差値や知名度で劣る大学出身者は決して有利とはいえないはずです。それに、社会に出たら横並びなんてもはや定年くらいしかないんじゃないかな。それすら撤廃されつつあることから分かるように、自由な市場競争を基本とする資本主義社会で、こんなにも長期間にわたって横並びが続けられてきたことのほうが、むしろ不思議です。

 

 そんなわけで、ボクは今回の決定に反対はしません。政府主導である程度のルールを設けるとも報道されていますが、基本的には自由競争に移行するのですから、各大学の就職課やキャリアセンターの指導力が以前よりも問われるようになるでしょう。好景気で売り手市場になった途端に、彼らのこれまでの努力がなかったかのように無視される風潮を感じていたので、揺り戻しの契機になるんじゃないかな。

 

 いずれにしても、画一的に大きな会社を目指すことだけが就活ではないことを、学生諸君がより強く意識するようになると思います。そこから始めるためにも、就活ルールなんかないほうがいい。この決定は、ボクにはあまりにも遅すぎたように思えますが、それでも存続させるよりはマシです。なんでもかんでも横並びなんて、ものすごく薄気味の悪い習慣ではありませんか。

 

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2018年10月15日 (月)

スマホ

 

 そろそろスマホに買い換えないとダメかなぁと、久しぶりに恵比寿のドコモショップに行ったのですが、あまりの大きさと重さにへコたれて、分速で出てきました。ボクの100グラムちょっとのガラケーですら持てあましているのに、新しいiPhoneはますます大型化したのが“売り”ですもんね。ネットを調べてみると、かつて軽量小型のスマホがなかったわけではないのです。ところが、人気がなかったせいか4年ほど前に製造停止。以来、毎年のようにデカくなり続けてきました。どうせならiPadに電話機能を付ければいいのに。これならゲームをもっと楽しめるじゃないですか。

 

 何度も何度も何度も指摘してきたのでさすがに飽きましたが、あんなに大きなスマホを皆さんはスーツのポケットに入れて歩いているのでしょうか。カバンの中に入れておくことも考えられますが、ボクにとってはカバンも面倒で邪魔な存在なんですよね。だから近頃は100円ショップで買ったA4サイズの透明なビニール袋にノートや筆記具、ICレコーダーなどを入れて持ち歩いています。それで日常的な仕事は十分なのに、大きなリュックを背負っている人は、中にいったい何を入れているのでしょうか。

 

 また、パーティは基本的に手ぶらで行くべきだと教えられました。そりゃそうですよ、カバンを持ってタキシード(ボクは持っていませんが)なんて、およそ場違いで似合いません。フォーマルなスーツも同様でありまして、バッグがファッションの一部になっているのは女性だけなのです。そうなると、ドレスアップしたスーツのポケットにあのデカいスマホを入れるのでしょうか。ズボンにしろ上着にしても、カマボコの板のような出っ張りがボコンと出てしまう。うひゃあ、それってものすごくカッコ悪くないですか。

 

 それだけでなく、日夜常にスマホを持ち歩いていることに不自由を感じないのかなぁ。デート中にだって誰かから呼び出しがあるんですぜ。即座に切ってもいいけど、相手は必ず「何だよ」と不快もしくは怪訝に感じるので、後々の説明やお付き合いが厄介なことになってきます。だから揺れたり鳴ったりしたら必ず応答しなきゃいけない。そう思うだけでも、ボクはひどく負担に感じるわけです。

 

 オススメはしませんが、とりわけ既婚者が浮気しにくくなる機械ですよね。深夜にホテルのベッドの中で平然と「いま打ち合わせ中だから後でかけ直す」なんてウソをつけますか。もしも完璧に演技できるというなら、ボクは不貞というより人間性のほうを疑います。ま、どんな言い訳をしようとも、奥様は真実を見抜くと思いますけどね。

 

 生まれた時からケータイがあった世代は違うでしょうが、そんなこんなでボクはまるで犬の首輪のように感じるんだよな。リードで飼い主につながっており、確かに安心ではあるけど、窮屈で不自由極まりない。情報から隔絶されると、何が起きているか分からないので不安にはなるけど、そうした孤独感こそが「自由」の本質なのでありますよ。ボクもそろそろガラケーをいつも身に付けるのでなく、土日は机の中に放置しようと考えています。肩から重い荷物をおろしたかのように、ふわふわした軽快な気分になりますぜ。

 

 日本は横並びが基本の国なので、あっという間に忘れ去られたプレミアム・フライデーなんかより、「ノースマホデー」を作ったほうがいいんじゃないかな。たとえば第1と第3日曜日とか。公衆電話が激減したので緊急時はちょっと大変ですが、前述したように、自由というのはそもそも集団に群れない孤独を選び取るということなのです。とにかくネットにつながっていれば安心というのは、新時代の情報奴隷といえば言い過ぎでしょうかねぇ。

 

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2018年10月12日 (金)

将来の夢

 

 もしも自分に小学生の子供がいて、学校で「将来の夢」を訊かれたら、「地球征服」あるいは「宇宙征服」と言わせてみたいと以前のブログで書きました。公務員やサッカー選手、野球選手あたりなら「何だよ小さな夢だなぁ、わっはははは」と型通りに哄笑する先生も、この回答ならしばし沈黙するんじゃないかな。親父と家庭の教育に問題があると認識されそうですけどね。

 

 んでもって、次はワタクシの番となります。今さら「将来の夢」を語れるほど時間的な余裕は残っていませんが、どうせ生き続けるなら目標は必要じゃないですか。それで沈思黙考すること数日間。ついに見つけたのでありますよ、でっかい夢を。

 

 それがね、「聖人君子」なのです。正気かと疑われるか、タチの悪い冗談だと思うでしょうが、ボクは本気で聖人君子になりたい。ということは、これまで真逆の人間だったことを意味します。俗にまみれて、羨望や妬みから分泌される毒を吐き、嫌われながら生きてきたんじゃないかなぁ。『クリスマス・キャロル』のスクルージほどではないにしても、それに似た反省や後悔などを込めて、そろそろ聖人君子になりたいなぁと、切に願うのであります。

 

 ただね、では聖人君子って何だよと。悪党や守銭奴や人間のクズやカスなどは、あちこちにいっぱいいるせいか、大変に分かりやすい。しかしながら、聖人君子ほど分かりにくい存在はありません。おそらく背中のあたりから後光がさしているとは思うけど、具体的にいかなる性格や資質を持ち、どんな行動形態の人間をそのように呼ぶのか、まるきり見当もつきません。

 

 そうか、そこから始めなきゃいけないのかと、やっと気づいたのであります。つまり、聖人君子は定められた存在ではなく、いろいろなタイプがあり得る。とすれば想像よりもゴールは遙かに遠大ですが、決してなれないわけでもなく、だからこそ目指す価値があるじゃないですか。

 

 そんなことから、まずは怒りとの決別からトライしてみようかなと考えているのであります。

 

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パスワード地獄

 

 いやもう大変な世の中ですな。

 セキュリティのことを考えて、メインのパスワードを変更したのですが、それからが面倒くさいことになってしまいました。キーチェーンがどうたらこうたらで、どうもすべてに登録済みだったパスワードまでリセットされたらしく、メールがつながらなくなってしまいました。

 

 それやこれやで、朝の7時頃からいろいろと格闘。まず第一に意味がとんと分からないカタカナが頻出するので、もうちょっとでブチキレるところでした。何とかメールがつながってホッと安心なのですが、新しく登録したパスワードなんてすぐに忘れそうだもんね。

 

 そんなこんなで、とりあえずご報告のみ。まともなブログは後でアップするので、しばしお許しください。

 

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2018年10月11日 (木)

無理が通れば……

 

 ボクにとって、政治と行政に対する憤怒の始まりは成田空港でした。

 

 もう過去のこととして忘れてしまった人も多いようですが、1978年5月の開港に至るまでホントに大きな騒動があったのです。開港後も、過激派対策だか何だか知りませんが、つい最近まですべての入場者にセキュリティチェックを行っていました。電車でも自動車で到着しても、空港入口に警備員が配置されており、「パスポートを拝見します」だったんですよね。面倒くさいので紹介しませんが、用地取得の初期段階から様々な問題を抱えていたのです。

 

 とりあえず三里塚闘争などの激しい反対運動はさておくとしても、都心からおよそ70㎞という途方もない距離は世界でも例がありません。だから見送りに行くだけで半日仕事。海外に飛んでいく人はいいけど、電車の時刻が合わなければ、都心に戻るまで2時間近くという時代があったのです。

 

 ちなみに、ボクの乏しい経験ではシンガポールのチャンギ空港が最も便利で、代表的な繁華街であるオーチャード・ストリートまでタクシーで僅か15分程度だったと記憶します。

 

 にもかかわらず、GNPで世界第2位を誇る経済大国(当時)が、どうしてこんな遠方に国際的な空の玄関を作るのかと誰だって疑問に感じますよね。その背景や理由を説明するだけで単行本ができると思いますが、いずれにしても政治と行政の強引なゴリ押しがなければ、こんな無理な計画は実現できなかったはずです。その証拠に、開港から40年を経た現在でも、全体の建設計画は完了していないそうです。

 

 ごくごく簡単に言ってしまえば、「無理が通れば道理が引っ込む」なんですよね。しかも、それが昔話になっていないからおそろしい。本日ようやくオープンした「豊洲市場」も、その手法がまんま援用されているんじゃないかな。どんなに不平不満があって、多くの人が正論をもって反対しようとも、とにかく作ってしまえば、受け入れざるを得ない既成事実になる。これは加計学園の獣医学部もまるきり同じじゃないですか。森友学園は失敗しましたけどね。「人間なんて忘れっぽい生き物なんだよ」という高笑いが聞こえてきそうなことばかりが続いています。

 

 あまりにも不愉快過ぎるのでもうやめますが、行政組織の上層部がこうしたゴリ押しを続けると、下部にあたる民間企業も猿真似をするようになります。経営幹部がそうなら、中間管理職からヒラ社員まで同じように無理を通すようになる。それなのに「働き方改革」ですか、はぁ。

 ニッポンの民主主義は、間違いなく危機的状況に陥っています。トランプのことを嘲笑している場合ではないと思うんだけど。

 

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2018年10月10日 (水)

ワイシャツの問題(後)

 

 2回に分けてご紹介するようなテーマでもないので、何だか意欲がすっかり萎えてしまいましたが、中途半端ではなお気分が悪くなるので、続けることにします。それにしても、輪島が亡くなったんですよね。1981年に引退してから37年かぁ。長いよね。第2の人生といっても、スポーツ選手はやはり現役時代が華ですから。そのせいか、悲運な雰囲気が常につきまとう人だったようにボクは感じます。合掌。

 

 さて、ワイシャツの問題ですが、いろいろと熟慮した結果、リフォームを利用することにしました。要するに直し、補修です。ジャケットなどで世話になった店があるので、電話で確認したらワイシャツもできるというのです。それでトライアルとして、まず2枚を依頼。胴まわりを両側から2㎝ずつ詰めてもらうことにしました。もちろん脇の付け根から腹部に向けて次第に詰めていき、裾に向けて再び戻していくということです。前回にオーダーシャツの下胴が93㎝+14㎝という極秘であるべき個人情報を恥ずかしげもなくバラしてしまいましたが、合計107㎝から4㎝のマイナスなので、つまり103㎝の腹回りにしようとする目論見です。

 

 ただし、ワイシャツのリフォームは意外に高いのでびっくりしました。両側の縫い目のところが生地を巻き込んだようになっており、これを広げてカットした後に再び同じように縫製するので、特に手間がかかるらしい。いずれにしても、現状では着用する気になれないので、いわゆる「タンスの肥やし」にするよりマシじゃないですか。

 

 そして、どんな感じに仕上がるかなと待つこと1週間。このトライアルがうまく行けば、6~7枚続けて出そうと考えていたので、待ちかねていたといっても過言ではありません。

 

 予定日に引き取りに行き、合わせてみると、1枚はほぼOK。しかしながら、もう1枚はちっとも絞られていないではありませんか。すぐにクレームを入れて担当者と話した結果、確かに約1㎝程度の端切れが4枚くっついていたので、合計で4㎝を詰めたことは間違いないのですが、どうもワイシャツの作り方が違うらしい。トライアルとしてお願いしたのは既製品とオーダーの2枚ですが、このうち既製品はほぼ予測した通りの仕上がり。オーダーシャツのほうが前とあまり変わりがなかったのです。

 

 だったら最初から「仕上がり寸法」を指定するほうが確実ではないかとなり、「どうしますか」と。当初の計算では103㎝になるはずなので、それで問題の1枚をやり直すだけでなく、追加で6枚を依頼することにしました。けれども、ですよ。支払いを終えたギリギリの段階で、何を血迷ったのか「102㎝に変えてください」と口走ってしまったんだよなぁ。

 

 どうやらライアン・ゴズリングのピッタリした白シャツ姿が脳内にフラッシュバックした結果と考えられますが、あのサイズ感で上がってきたら大変なことになります。あまりにもキツくて腹部が割れたり、ボタンがちぎれることもあり得ます。かくて「やっぱり103㎝にしておくべきだったかなぁ」と前回冒頭の述懐に戻るわけです。

 

 たかだか1㎝のことですから、現実には大した違いがあるはずもないのですが、ボクの頭の中では妄想がどんどん膨らみ、今では1㎝が5㎝くらいに感じられるのであります。

 

 では、結果はどうだったのか。大多数の皆様にはとっては、どうでもいいことの極みでしょうね。ちなみに、本日がその引き取り予定日なのです。

 

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2018年10月 9日 (火)

ワイシャツの問題(前)

 

 やっぱり103㎝にしておくべきだったかなぁ。

 

 近年は太陽がまだ顔を出していない明け方に目覚めて、些細なことに悶々とすることがあります。ボクの脳内センサーが記憶の隅々を嗅ぎ回って、余計なことばかり探し出してくるんだよね。それはとっくに解決済みじゃないかと高ぶった神経を宥めようとしても、ああじゃないかこうではなかろうかと、針でつつくように刺激してくるのです。

 

 そんなにも頻繁に起きるわけではなく、たいていは昼間になるとすっかり解消されることばかりなのですが、今回はちょっと長引くことになりました。ああくだらねぇと笑われそうですが、問題はワイシャツの胴まわりなのであります。

 

 始まりは、2017年2月公開の映画『ラ・ラ・ランド』でした。衆知のように、第89回アカデミー賞の6部門を受賞したミュージカルですが、音楽やダンスのほかにボクが気になったのは、ジャズピアニストを演じたライアン・ゴズリングのワイシャツだったのです。清潔な白いシャツ姿が多かったのですが、それが身体にぴたりと貼り付くように仕上がっていました。首まわりはもちろん、肩幅からアームホール、腕の太さ、そして腰回りに至るまで、ギリギリのサイズ感で完璧にフィットしており、こんな着方もあるのかと瞠目させられたのです。

 

 スーツやジャケットはキツめのジャストフィットを心がけてきたのですが、その下に着るワイシャツはまったくの盲点でありまして、安手の既製品で十分だと考えてきました。というのも、ボクの体形はみごとに標準的なので、首回りと裄丈さえ合っていれば、あとは色と柄を選ぶだけだったのです。ところが、ライアン・ゴズリングのシャープなシルエットと比べてみると、特に胴まわりがぶったるんで見えるではありませんか。ベルトあたりで生地が余ってしまって、ブカブカなんですよね。アメリカントラッドの上着はボックス型のスタイルなので、大きめのオーソドックスなボタンダウンシャツが似合うのですが、ヨーロピアンのタイトフィットなスーツにルーズなワイシャツは不格好というほかありません。

 

 そりゃね、人間はモノを食べないと生きていけない動物ですから、下着となるシャツは満腹時にも苦しくならない程度の余裕が必要です。それに、毎日着るものを映画のコスチュームのようにしたら、仕事どころか息もロクにできなくなりそうです。けれども、それやこれやを考慮したとしても、やっぱり余裕あり過ぎではないか。

 

 そんなわけで、今年の春に一念発起して某百貨店で2枚のワイシャツをオーダーしました。これならライアン・ゴズリングのようになれるのではないかと期待したのです。ところが、おっとどっこいだったんですよね。今となっては採寸時に希望を言えば良かったのですが、ベテランらしきシニアのオジサンが測ってくれたので、それに甘えて何もかもお任せにしてしまったのが敗因といえるでしょう。結論からいえば、相も変わらず胴まわりは太かったのです。しかも、各部のサイズがね、アッパレと自分を褒めてやりたいほど既製品と同じ。つまり、そこらの店で買ったシャツと着心地はほとんど変わりがない。もっと失望させられたのは、胴まわりも同じサイズだったのです。こんなことなら高いカネを払ってオーダーした意味がありません。

 

 あまりにも不愉快なので「ワイシャツお仕立て承り伝票」を調べてみと、問題の「下胴」のところには「93+14」とあります。ボクの胴まわり=腹まわりは恥ずかしながら93㎝なので、それに14㎝を足して仕立てるということです。この数字がオーダーワイシャツの慣例になっているようですが、それはあくまで過去の常識であって、タイトフィット全盛の今ではタルミ過ぎなんですよね。採寸したオジサンは昔ながらのやり方に則っただけかもしれませんが、ファッション業界にいるなら、もっと流行に敏感にならなきゃ。少なくとも「細めに仕上げますか、それとも普通に余裕を持たせますか」くらいのことを客に確認する姿勢が不可欠だと思うんだけどなぁ。いま時は既製品だってノーマル、オーソドックスからスリムフィット、スーパースリムまで揃っていますからね。

 

 この失敗のおかげで、ボクがワイシャツをオーダーすることは2度とないと思いますが、ダブダブと感じられる新品の2枚のシャツは、もはや着る気持ちも失せてしまいました。かといって、ほかの手持ちのシャツも似たようなサイズ感ですから、もし自分の希望にこだわるなら、前述のスリムフィットなんかを新しく購入していくほかありません。そして、もしもそれが気に入ったなら、手持ちのシャツを着ることはなくなるので、不良在庫と化すのは間違いないと思います。


 さて、どうしたものかと、例によって明け方に深く悩んでしまったのであります。長くなったので、このテーマは明日も続けます。

 

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2018年10月 5日 (金)

気高く行こうよ

 

「人よりトクして生きていけ」

 

 行きつけのスーパーマーケットに、こんなキャッチフレーズのポスターが貼られていました。それに気づいて、こんな店に2度と来るもんかと心に決めたのですが、残念ながら恵比寿駅界隈に安いスーパーは2店舗しかありません(高級スーパーも2社ありますが)。東急ストアは隣駅の中目黒に、ライフも渋谷と恵比寿の中間なのでバスに乗らなきゃいけない。これで「住みたい街ランキング」の総合2位というから笑わせます。

 

 仕方がないので、ポスターを見て見ぬ振りをして店内に入るようにしていますが、このキャッチフレーズを不快に感じませんかねぇ。ボクには「他人を出し抜いて自分だけトクして生きていけ」としか読み取れないのです。誤解を覚悟でぶっちゃけて言えば、庶民の浅知恵による貧しく卑しい競い合いを奨励しているように思えてなりません。

 

 たとえば、ですけど、今のように病院の受け入れ体制が整備されていない頃は、朝の6時から入口に並ぶ人たちがいました。患者だけではないにしても、病気の人がやってくる施設で、早朝から行列(!)ですからね。しかも、そうやって得られる順番待ちのカードを1人で何枚も取って、「これは鈴木さん、もう1枚は佐藤さん」なんてやっていました。これほど情けなく悲しいことがあるでしょうか。

 

 エスカレーターをドカドカと駆け抜けていく人たちも、心理にそれほど違いはないんじゃないかな。危険だからエスカレーターを歩かないでください、というポスターがあっても無視して、脇に立っている人に時々肩をぶつけながら降りたり上ったりする。ちょっとしたアクシデントでみんなが大怪我する可能性の高いことを、自分だけが急ぐために平気でやっているわけです。

 その多くはリュックを背負っているので、電車の中でも手ぶらで自分だけトクするかわりに、混雑した車内でそれを顔面に押しつけられた人たちが迷惑を被っているのではないでしょうか。

 

 かつて伊丹十三がエッセイの中で喝破した、飛行機の搭乗客も同じです。中でも国際線から降りた人たちは、ほとんど競歩まがいの急ぎ足で入国審査に向かいます。そんなに早く機内預けの荷物が出てくるはずがないのに、前述したエスカレーターと同じく、1人でも追い抜いて前に行こうとする。最初に降機できるビジネスクラスでも、扉から出た瞬間からダッシュですから呆れてしまいます。ちなみにボクはステッキが欠かせない人間なので、どんどん追い抜かれますけどね。

 

 そんなこんなで、「人よりトクして生けていけ」という言葉を見るだけで吐きそうになるわけです。ついでに言えば「もらえるものは貰っておく」というのも、すごくイヤなフレーズです。下品で卑しいという直感的な嫌悪もありますが、庶民同士がそうやって争うのは、権力者や支配者にとって大変に都合のいいことなのです。確かに、モリカケ問題なんかの追及より「先着20名様にスーツ2着3万円」に急いだほうがトクですが、その繰り返しが大きな意味での損失をもたらすのであります。

 

 そうした目先の欲得ずくによるチマチマしたセコい争いが、ボクは死にたくなるほど悲しい。だからね、スーパーにはまるきりそぐわないけど「武士は食わねど高楊枝」のほうをポスターにしてくれないかなぁ。さもなきゃワタクシ、ニッポンに心底から絶望しちゃいますぜ。

 

 とにかくね、気高く行こうよ。そのほうがお互いのトクになるのですから。

 

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2018年10月 4日 (木)

逆張り

 

 どうもボクは根っからの「逆張り」発想が身についているようです。ちなみに、「逆張り」は相場の用語でありまして、市場の動きとは逆に株を売買することを言うようです。たとえば相場が悪い時に買い、上げ相場の時に売る。でも、これはちっとも逆張りじゃなく、当たり前のことじゃないかなぁ。相場が過熱して高くなり始めた時に買って、下がった局面で慌てて売っていたら、損するばかりで儲けようがありません。「人の行く、裏に道あり、花の山」なんていう諺もあるくらいですから。

 

 けれども、朝の通勤時を想定していただければ分かると思いますが、みんなが行く方向に逆らって歩いていくのは大変です。大勢の流れの中にいたほうが安全であり、何よりも楽なのです。ここからがボク独自の解釈になりますが、その流れは常に一定ではありません。何かをきっかけに、真反対になったりすることもあります。敗戦直後からリベラル、あるいは左翼的な考え方が支配的だったのに、ここ10年ほど前から保守的、あるいは右翼的な勢力が強くなってきました。それに乗り遅れた言論人は、どんどん支持を失い、収入にも響くことになるわけです。

 

 だったら真ん中が最も安全かというと、必ずしもそうではありません。どちらからも敵扱いされるか、日和見と批判されるからです。ボクの場合はもっと極端で、いつも大勢とは真反対の方向を見てしまうんだよな。

 

 たとえば、スティーブ・ジョブズが亡くなってもう7年にもなりますが、彼がいつも着ていたタートルネックがビジネススタイルとして再評価されているようです。いわく、日々の服装を選ぶ時間がもったいない。そんなくだらないことに悩むより、もっと大切な意思決定に多くの時間を割くべきだと。まさかジョブズのような大金持ちが1着のタートルネックで済ましていたはずないので、同じ黒のセーターが何枚もあったんでしょうね。それなら服を選択する必要性がそもそもないということになります。

 

 それと似たようなことを日本の高名なコンサルタントも実行しているらしく、要するに時間という資源も「選択と集中」しなきゃいけないということです。であるなら、ジョブズのスタイルは極めて合理的ですよね。実際に、ボク自身もズボンと靴は黒しか持っていませんが、彼のスタイルを見習う必要がホントにあるのかなと、つい生来の「逆張り」を始めてしまうのであります。

 

 まず大前提ですが、服というのは防寒や裸を隠すためだけのものでしょうか。そうした機能だけなら黒のタートルネックでも十分ですが、服、いやファッションはむしろ「見せる」「見られる」要素のほうが強いんじゃないかな。そして、装うという楽しみだってあるじゃないですか。人生を「働くための時間」と規定している人は苦痛かもしれませんが、毎日の服選びだって楽しみのひとつにできるはずです。なのに、ワードローブを開けたら黒いセーターばっかりなんてさ、ああつまらねぇと思いませんか。

 

 ビジネスで大切な意思決定と同じように、服選びにも時間をかける、ということがあってもいい。むしろ、そのほうが人生を豊かに過ごせるかもしれません。世の中がそうした傾向になれば、ボクは逆にジョブズ流の発想になるだろうけど、今のところは決してそうはなっていません。真面目で勤勉が何より大切で、目立つようなお洒落や道楽は悪。そうした学校で教えられる理念によって、いったい誰がトクしているのでしょうか。

 

 だからボクは「軍人勅諭」も「教育勅語」も吐きそうになるほど大っ嫌いなんだよな。仕事は面白く遊ぶべきだし、勉強も楽しいほうが身につきます。私生活も会社と同じくらい、いやもっと大切なのだから、それに費やす時間を惜しんではいけない。こういうことを政府の「働き方改革」は言っていますか? だからさ、あれは改革なんぞではなく、やっぱ誰かがトクするための「変化」に過ぎないと、ボクは見透かしてしまうのでありますよ。

 

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2018年10月 3日 (水)

商品化

 

「過度に女性が商品化されるアイドル産業に、先輩として胸が痛い。このような市場を持つ国がフェミニズムを語れるのか」(『週刊朝日』10月12日号、北原みのり「ニッポンスッポンポン」連載179)

 

 これはK-POP界を牽引してきたとされる「神話」という男性グループの1人の発言として、北原みのりさんが連載コラムで引用したフレーズです。韓国から日本に留学した大学生が「日本人が、自分から女子力ないと言って自虐するのが意味がわからないです」という言葉から始まり、この男性アイドルの発言も事例として、日韓のジェンダーギャップがますます広がるのではないかと危惧した内容になっています。

 

 北原みどりさんは、作家であり、女性のためのセックスグッズショップの代表と紹介されています。このプロフィール以外に年齢くらいしかボクは知りませんが、フェミニズムというより女性差別について鋭敏な感性を持つ人です。かといって声高に一方的に糾弾するのではなく、論理的な文章で男性社会の深層まで指摘するので、いつも感心しながら読んできました。このブログで何度も指摘してきたように、セクハラや女性差別というのは即ち人権侵害にほかなりません。それは女性だけでなく弱者のすべて、つまり男性にも及ぶものであることをよくわかっている人だと思います。

 

 パワハラもセクハラも根っ子は同じなんですよね。それだけでなく、パワハラでイジメられた男性が、その憂さ晴らしとして自分より弱い女性にセクハラや暴行をするという悲しい構図も十分にあり得るわけです。そうした人権侵害の下方連鎖をやめない限り(上方連鎖なんてあり得ませんが)、男女は決して同権にならないというのがボクの意見ですけどね。

 

 今回のコラムでボクが引っかかったのは「商品化」という言葉です。2011年頃に流行した「オワコン」なる言葉が、それを明瞭に象徴しています。これは「終わったコンテンツ」の略で、当初はアニメの作品などを指していたようですが、次第にアイドルや芸能人などにも適用されるようになってきました。資本主義社会ですから、何でも商品化するのは当然といえますが、近年は人間まで商品化され、消費されるようになってきました。アイドルや芸能人だけでなく、一般の人でも「あの部長はオワコンだよな」とかね。某女性議員が言い放った「LGBTに生産性はない」という意見も、「商品化」の延長線上にあるんじゃないかな。

 

 にもかかわらず、自らを商品として捉えてしまう。だからこそ「私は女子力がないから」と卑下することになり、いわれのない女性差別をもっと深いところに追い込んでいくことになるわけです。

 

 人間はスマホやクルマや工作機械でもないのですから、商品と見下すような発想はもうやめようよ。それによって果たして誰がトクをするのでしょうか。大昔の学生運動も、結局はセクトによる内ゲバによって自己崩壊していったじゃないですか。本当の敵はそんなところにいないのにね。

 

 自分がされてイヤなことは他人にはしない。自分を大切に考えるなら、他人も大切にする。たったそれだけのことがどうしてできないのかなぁと、たまに激しく絶望するのであります。

 

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2018年10月 2日 (火)

天井の高い家

 

 体育館に住むのが夢。と、このブログで書いたことがあります。何しろ子供の頃から引っ越しばかりで、ボロくて狭小な住まいしか経験がありません。小学校4年の時に友達の家に行って、廊下があることを初めて知ったくらいですから。それがトラウマというか反動になったのかもしれません。

 

 少子化のおかげで、場所さえ問わなければ、廃校になった体育館の購入は不可能ではなくなりました。でも、そんな田舎に引っ込んだら仕事もなくなってしまいます。老朽化した体育館にオッサンが1人で住んだら、それこそ『学校の怪談』と噂されるんじゃないかな。

 

 どうしてそんなことを思い出したかというと、東京大学駒場キャンパスの裏手には豪壮な一戸建てが並んでいるんですよね。そのうちの一軒が貸しスタジオになっており、撮影に立ち会ってきたのですが、それがまさにボクにとっての体育館に匹敵する広さと高さだったのであります。キッチンだけでもおよそ25畳以上。そこで暮らせるくらいの広さに加えて、見上げられるほどの天井といえば、分かってもらえるかなぁ。ついでにパティオ(中庭)まであって、それに接した竹藪の向こうの細道を抜けていく東京大学関係者(おそらく)の姿がうっすらと見えます。

 

 夏には暑いだろうなぁと思わせるパティオよりも、ボクが最も気に入ったのは前述した体育館のように高い天井なのですが、それだけに2階に上がるには普通の家より体力が必要となります。それを感じさせないように階段の蹴上げを普通より高くしてステップ数を減らしているようですが、いやはや、そんな運動をしなくてもいいのです。エレベーター(!)があるんですから。

 

 このエレベーターも、人間よりも荷物の運搬を意識したのではないかというほど広いのですが、ボタンは1階と2階だけ。ものすごく贅沢ですよね。それに乗って2階に上がると、1階と同じく天井の高い広々とした空間に加えて、あちこちから差し込む陽光に圧倒されます。その中にポツンとキングサイズのベッドが1台。この何もなさ加減が最高にボクの好みなのです。すべてが破格の広さにもかかわらず、浴室はシャワールーム(ここも3人くらい立てる余裕の広さです)だけで、バスタブはありません。おそらく外国人が住んでいたんでしょうね。

 

 こんな家に1人で住みたいなぁ。夢はそれだけでなく、何かのパーティでたまたま仲良くなった女性を招待したい。夜は全体像が見えにくいので、ワインかなんかで乾杯して「すごい家ね」とか何とか会話を楽しみながらも、いろいろあって翌朝になりますよね。ボクは1階で卵焼きとトーストを作り、コーヒーとオレンジジュースと一緒にトレイにのせてエレベーターで2階へ。よく晴れた日に、ベッドで眠る彼女を優しく起こしたら、ここは天国かと一瞬勘違いするんじゃないかな。それほど現実感のない、眩しいほどの明るさに満ちたオフホワイトの上品な空間なのです。

 

 ああ、こんな家には一生住めないだろうなぁ。それが可能な大金持ちとボクの違いはいったい何だろうと、不快ではないまでも、神様に文句を言いたくなったわけですな。

 

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2018年10月 1日 (月)

現場力

 

 何かね、運気が大幅に下がっているというか、このところロクなことがありません。

 

 もともと交通関係のトラブル遭遇率は普通の人よりかなり高いと自覚していますが、先週27日木曜日は副都心線が大混乱。午前10時頃に中目黒駅から乗車したら、代官山を目前にピタリと停止してしまいました。アナウンスによれば、どこかの駅での「荷物挟まり」で軒並みに遅れが出たせいで、複数の電車が渋谷駅に滞留。それらがすべて発車しないと駅に入れないので、しばらく待たなきゃいけないというのです。心がまるきりこもっていない型通りの「お詫び」が車内に流れてきましたが、公共交通機関にもかかわらず、風が吹けばすぐに遅れて、大雨が降ったら即座に運休ですからね。鉄道会社も客も、お互いに慣れっこになったみたいですが、昔はこんなことは決してなく、世界が瞠目するほどの定時運行率だったといっても、はるか昔の伝説になっちゃったんでしょうね。

 

 それだけではありません。翌28日の金曜日は、袖詰めをお願いしていたワイシャツが仕上がる予定なので、念のために店に確認の電話を入れました。

 

「本日の仕上がり予定になっているので、取りに行こうと思っているのですが」

「確認しますのでちょっとお待ちください」

 それからしばらく保留の音楽。

「お待たせしました」

「上がっていますか?」

「えーと、すいません。それが見当たらないんです」

「はいっ?」(テレビドラマ『相棒』の杉下右京な感じで)

「商品がどこにあるのか分からないんです」

「はいっっっ?」(かなり強めの杉下モードで)

「どこにあるのかをこれから追求しますので、しばらくお待ちください」

「追求って、言葉が違うように思いますが、つまり、ボクが購入して袖詰めをお願いしたワイシャツがどこにあるか分からないのですか?」

「はい。申し訳ありません」

 素直というか、一種のバカ、あるいは思考停止状態なのかな。そんなことを客に言ってどうすんだよと思いましたが、以前からファッション系の店員さんは退職率が高く、職業意識も相当に希薄なことをイヤというほど経験してきたので、正直いえばあまり驚きませんでした。

「ボクはあなたの会社の従業員じゃないので、そんなことを言われてもどうしようもないんだけどね。こんなことを話していてもらちが明かないので、とにかく見つかったらすぐに電話ください」

 と言って受話器を置きましたが(会社の固定電話なので比喩ではありません)、何だろうね、この虚し過ぎる会話。もしボクが当事者なら「仕上がっているはずですが、まだ店には到着していないので午後までお待ちくださいね」くらいのウソを言ってから死に物狂いで探しますが、そういう機転も利かないらしい。「どこにあるのか分かりません」なんていうバカ正直で雲を掴むような返事をされたのは生まれて初めてですが、それがどれだけ会社や店の信用を傷つけるのか分かっているのかなぁ。先輩たちが営々と築いてきたものに泥を塗りたくるのと同じなんだぜ。

 

 こちらでできることは何もなく、すでに料金も支払っているので待ちましたよ、仕方ないから。けれども、いっこうに電話が鳴らない。シビレを切らして、こちらから電話すると、「焦ってしまって見つからなかったのですが、ちゃんとありましたので大丈夫です」だって。子供かよ、あんたら。そんなことで焦るほうがおかしいだろ。児戯につきあっているほどヒマではないので、さっそく店に行き、「商品がどこにあるのか分からないなんて返答は生まれて初めてです」と穏やかに言いながら回収してきましたが、全国的なチェーン店のくせに、まともな従業員教育をやっていないのでしょうか。それで社長がファッションのうんちくや理想を声高に語っても、口ばっかりという印象になってしまいますよね。

 

 話はこれで終わりではありません。翌29日の土曜日に、某大手スーパーで「アメリカ産豚肉のプルコギ」という加工食品を購入しました。消費期日が迫っているらしく、2枚ほどラベルが重なっており、一番上に「30%引き」と表示されていたので、おトク感に惹かれたことも理由です。日曜日のオカズにしようと計画していたのですが、ふいに消費期日が気になり、冷蔵庫から出してラベルをよく見ると、ななななな何と「9月28日」になっているではありませんか。この日付は紛れもなく昨日です。翌日どころか、それを買った土曜日の段階でとっくに期限切れではありませんか。店頭で確認しなかったボクに責任がないとは言いませんが、賞味期限でなく消費期限が過ぎた加工肉を堂々と陳列していたのです。電車の頻繁な遅延もそうですけど、こんなことはかつてなかったんじゃないかな。コンビニではもっと厳格に消費期限切れ商品を廃棄処理していますけどね。

 

 どうなっちまったのかなぁ、この国は。何かにつけて「現場力」みたいなものが急激に衰弱し始めているように感じます。日本が敗戦の焼け跡から高度成長を経て発展してきたのは、おエラい官僚や企業の経営幹部の業績なんぞではなく、何よりも「現場力」が貢献したからではないでしょうか。それが弱体化したからこそ、大企業、特に製造業のデータ改ざんや不正処理が目立ってきたんじゃないかな。

 

 どんな職種や産業でも、現場を大切にしない会社が成長・存続できるはずがない。アメリカの真似をして、机の上に並べた数字だけでビジネスをするようになったことに、大きな問題があるのではないでしょうか。

 

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