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2019年1月28日 (月)

鈍感力

 

 今では神経質で偏執的な側面すらあると自己分析していますが、子供の頃は実にまったく鈍感、というか愚鈍とすら思われていたんじゃないかなぁ。一人っ子で育ったせいか、口数が少なく、早い話がボーッとした発達不良といっていい。それによる朦朧としたモノクロの思い出がいきなり鮮やかに着色されたのは、小学校4年の春頃でした。給食の時に突然、ボクの作文が校内放送で読み上げられたからです。当時の先生が何を考えていたのか知りませんが、この作文が今に至るボクの原点であり、物事を分析する視点や表現方法に大きな違いはほとんどないと思います。

 

 その一方で、ボーッとしていることも相変わらずだったせいか、父親の転職で名古屋の田舎に引っ越してからは、とりわけ中央志向の強い無理解で無神経な先生から被害を受けるようになった気がします。とはいっても、あんなこともあった、こんなことも言われたと、恨みがましく思い返すようになったのはつい最近なんですけどね。

 

 たとえば小学校高学年の音楽で、ピアノの前で歌う授業があったのですが、伴奏を終えた先生がボクに向けて嘆息気味に呟いたのは、「音痴ね」という無惨な一言。今なら炎上間違いなしの凄絶で差別的な表現であり、そのまま自宅に引きこもっても不思議ではないですよね。おかげさまで、小・中学校で音楽の成績は2以上を貰ったことがありません。中3の頃からギターを弾き始めてようやく和音などの音楽理論が分かりましたが、それでも成績は3が精一杯。けれども、高校では未熟ながらバンドを組んだりコーラスも編曲したことがあるほか、社会に出てからはカラオケにも人並みに通いました。10年ほど前にプロとアマチュアの間には天性の差があることを痛感したので、とっくにやめましたけどね。そのかわりにジャンルを問わずライブハウスに頻繁に行くようになり、このブログの過去ログを見ていただければ分かるように、音楽についての話題は少なくありません。

 

 小学校の段階で先生から「音痴」と言われたら、普通は音楽が大嫌いになり、再起不能な打撃を受けるはずですが、どういうわけだかボクはそんな風には感じなかったのです。宝塚に行くわけじゃあるまいし、進学に音楽なんて関係ねぇやという開き直りもあったかもしれませんが、基本的にはバカで鈍感だったとしか言いようがありません。

 

 それに気づいたのは、『遠き落日』や『失楽園』で知られる作家、渡辺淳一が2010年に発表した『鈍感力』です。ボクは仕事上で強い要請がない限りは、この種の本を購入したことがないので中身は読んでいません。しかしながら、普通は欠点や短所とされる「鈍感」に「力」を加えてポジティブな意味に逆転するというのは、さすが人気作家らしい独創的なワザというべきでしょう。

 

 つまりボクには音感のかわりに「鈍感力」が備わっていたので、ここまで何とか生き延びられたのかもしれません。以前にもご紹介したように、高校まで何度も引っ越しを経験しており、そのたびにイジメまがいの洗礼を受けていたはずなのですが、その実感がまるでないんですよね。のどかで牧歌的な時代だったのか、それともあまりにも能天気なので、イジメても面白くないと対象から外されたのかもしれません。

 

 体育の先生から「お前は走り方を知らんのか」と呆れられたこともあります。夏場は得意の水泳でみんなの見本にされることもしばしばだったので、さすがに「運痴!」という罵声を浴びることはありませんでしたけどね。秋冬の体育の成績は2で、夏の学期だけは5に急上昇。小学校から水泳一筋で、陸上競技や球技には興味も熱意もなかったので、先生の感想は当然といえば当然ではあります。

 

 振り返ってみれば、様々な場面で他人からの中傷や批判や叱責に耐える「鈍感力」が、ボクの成長を見守ってきたといえるんですよね。どんなことにも優れた才能を発揮する文武両道のスーバースターなんて、滅多にいるはずがない。その意味では、誰もが何らかのカタチで心を傷つけられる可能性があります。ボクはたまたま「音痴」でしたが、算数がダメとか、漢字を覚えられないとか、それこそ「教育力」に乏しい先生たちから無慈悲な暴言を受けることもあるはずです。そうしたネガティブな評価に敏感に反応する子供たちが、やがて引きこもるようになったのではないでしょうか。これも以前に指摘したことですが、イジメや自殺なども含めた子供の問題行動の多くは、同級生ではなく、教員自身が主たる要因になっているはずです。

 

 しかしながら、そうした理不尽は学校だけでなく社会にいくらでもあるので、ある程度の「鈍感力」がなければ生き抜いていくことはできないでしょう。ところが、ボクは経年によってその能力が衰えつつあり、かわって神経質な敏感さが浮上してきたのかもしれません。「鈍感」であるためには、精神的な若さや体力も不可欠なんですよね。

 

 というわけで、このブログのテーマである「生き良くする方法」のひとつは、そうした「鈍感力」にほかならないことを発見いたしました。それが、ああ堂々の栄えある1個目の方法ということになるのであります。

 

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