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2019年1月23日 (水)

正義の行方

 

 ほらね、昨日に述べた機能主義や合理主義がエスカレートすると、こういうヤカラが必ず出てくるんですよね。路上ライヴをやっていた女の子の帰りがけにわざわざ自主製作のCDを購入。その直後に彼女の面前で踏みつけた男のことです。

 

 彼の場合は不正を糺すことが目的であり、テレビ局のインタビューで「法律」や「ルール」にもとづいた挑発的な行為だと語っています。普通に考えれば分かるように、彼女が無許可で路上ライヴをやっていたとしたら、それを注意・警告すればいいだけのことで、CDを踏みつけるのは法律やルールとまったく別の話ではありませんか。

 

 もしも仮にキース・ヘリングがニューヨークの大きな壁にペイントしていたら、違法なんだから銃で撃ち殺されても仕方ないと言うのかなぁ。だったら、クルマの運転中に信号のない道路を横断している人間を見かけたら、やはり道路交通法違反なんだから、直ちにアクセルを踏み込んで轢き殺してもいいってことになりかねません。実際に、そんなクルマが増えてきたから恵比寿も危なくて仕方ないんだけどね。断っておきますが、どこの国の法廷でも、そんな無茶なことが免罪されるはずがない。

 

 にもかかわらず、こういうアホなことをやる奴が古今東西で絶えないのは、正義そのものが「排他的」な意思を内在しているからです。正義は一神教と同じで、他の神を認めることはありません。前述した機能主義も合理主義も基本的には同じで、主義に合致しないものの排除が前提といっても過言ではないはずです。機能を突きつめようとすればするほど、ほんの僅かな無駄も許せなくなる。合理主義を通そうとするあまりに、非合理や不合理が不愉快極まりなくて腹立たしく感じる。かつてはボクもそんな人間だったから、よーく分かるんだよな。

 

 おそらく自然界や社会の原風景というのは、人間にとってカオス=混沌だったと思うんですよね。そこに機能主義や合理主義や、ましてや正義なんていう落差のあるエントロピーを持ち込もうとするなら、排他的にならざるを得ないじゃないですか。ゴミの山となった部屋の中を整理するためには、不要なモノを捨てることが最も手早い方法なのです。

 

 つまり、いかなる主義も思想も、すべては排他的なんですよね。これが昨日のブログで言いたかった最大のキモなのです。

 

 たとえば正義であるなら、少額の病的な万引も、純愛に近い不倫もビシバシと摘発して等しく罰を科さなきゃいけません。それはそれでDo the right thingとしても、乳飲み子を抱えてホームレスという可哀想なシングルマザーが牛乳を盗んでも投獄される世の中なんて、ボクはゴメンだな。路上の音楽も壁の落書きも、すべて違法として厳密に扱われていたら、キース・ヘリングはもちろん、シリル・コンゴといった世界的なストリートアーティストは出てこなかったでしょう。

 

 そもそも、法律もルールも、そして正義も流動的な存在であって、絶対的ではありません。社会や時代がちょっと変わるだけで、法律やルールは改正され、正義の概念も変わってきます。エスカレータの片側を空けることだって、そろそろやめようという動きが出ています。ということは、そこをドカドカと上り下りする人も、もうすぐ違法として逮捕されるでしょう(そうあって欲しいけどね)

 

 にもかかわらず、ことさらに正義や機能性などを主張して譲らない人は、機能主義や合理主義や正義の人なんかではありません。ここで正しく言い直せば、そんなものは「排他主義」にほかならないことを自覚しているのかなぁ。他者を中傷誹謗したり、攻撃やイジメのための「錦の御旗」にするだけだから、早い話が何だっていいんだよな。そういう姿勢が思想そのものや様々な制度を歪め貶めてしまい、結果的にボクたちをどんどん生きにくくさせるのです。

 

 だったら、そういう主義や思想はもうやめようよ、と。無駄なものも受け入れる機能主義や、やむを得ない不合理や非合理の円満な解決も模索する合理主義、あるいは人間的なゆえに発生する不正義にも寄り添う正義とかね。そうした配慮ができないのであれば、どんなに高邁な思想や考え方であっても、「排他主義」の一種なのですから、もうボクは賛成することはできません。セクトに分派した学生運動の末期に、そうしたことを公言する人がいても良かったのにね。

 

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