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福助くん その6

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    福助くん、9歳の秋です。 ちょっと長めの散歩をして、世田谷公園へ。 紅葉と福助をご覧くださいまし。

福助くん その5

  • 赤いサルビア♪
    2010年秋の福助くん。とある週末に埼玉県所沢市にある航空公園に行ってきました!

福助くん その4

  • 1 毎年恒例の・・・
    今さらですが、今年の花見の福助くん。ご近所の目黒川に行ってきました。

福助くん その3

  • 1 田舎に行ってきました!
    飼い主の田舎に行ってきた福助。うららかな春を迎えた大自然のなかで、いつもと違った表情に。

福助くん その2

  • 定位置
    平日は会社にいる福助。こんな感じの毎日です。

福助くん その1

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    笠木の飼い犬。甘えん坊でちゃっかり屋の8歳。雄。

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2019年6月

2019年6月28日 (金)

どのように死を迎えるか

 

 あ、ごめんなさい。ちょっと仰々しいタイトルですよね。ボクではなく、犬の福助のことです。でも、死というのは生きているものすべてがいつかは迎えなければならない終焉ですから、ボクを含めた人間にも共通した課題ではあります。

 で、福助ですが、今年で17歳。人間なら80歳を超えたお爺さんといったところでしょうか。昔の犬は10歳程度が平均的な寿命といわれましたが、衛生環境の飛躍的な向上によって、人間と同じように長寿化しているようです。ただし、容貌の衰えはさすがに顕著で、ブラック&タンだった毛色が変わってしまいました。ちなみに、このタンというのはサンタン、つまり日焼けが語源といわれているように、要するに褐色、もっと分かりやすくいえば茶色を意味します。眉毛の上や、アゴの下あたりから首までがブラックとコントラストする綺麗なタンだったのに、今では玉手箱を開けた桃太郎、じゃなかった浦島太郎のように真っ白。ブラック&ホワイトになってしまいました。それでも全体の毛艶がいいのは救いですけどね。

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 両眼ともに誰が見てもすぐに分かる白内障。獣医によれば、見えにくいけれども、見えないというほどではないそうです。人間なら簡単な手術でレンズに取り換えられますが、犬の場合は個別性が高くなるせいか、まだ一般的ではありません。できないことはないにしても、医療費はかなり高額になるんじゃないかな。

 身体のほうも、かつてソファに乗り損ねてヘルニアになって以来、かなりガタが来ています。それに続いて、てんかんのような発作を起こしてからは、右脚がうまく動かなくなったらしく、立ち上がることはできても、右にフラフラ、左にフラフラ。腰を上げるのも辛いらしく、最近は下肢を床につけたままでエサを食べたりします。エサの食いつきもひどく悪くなったんですけどね。

 内臓も、血液検査で腎臓と膵臓が弱っていると聞きました。そんなこんなで、年齢的にもいつ死んでもおかしくないわけです。福助自身もそれを察しているフシがあり、たまにボクの顔をじっと見つめたりするんだよな。

 死が間近になった象は、誰も知らない場所に行って息絶えるという伝説があります。そんな象の墓場には高価な象牙がゴロゴロ、っておいおい。猫の場合は、ボクも経験がありますが、一戸建てなら縁の下で死にます。風がスースー吹き抜ける正真正銘の狭小ボロ家で猫を飼ったことがありますが、いつの間にかどこかに行ってしまうんですよね。それで次の猫を見つけて代々「たま」と名付けてきました。ある時に、このボロ家が解体されることになり、縁の下を見たら、白骨化した猫の死体がいくつかあったのです。

 だから福助も、もしかしたら、暗くてひっそりした場所で死にたいと考えているのかもしれません。机の下に横たわっていることが多くなったのも、その兆候でしょうか。人間は「孤独死」を否定的にとらえているようですが、みんなに取り囲まれて息を引き取るのがハッピーですかねぇ。ご大層な葬儀にしても、死んだ人のためでは決してなく、生者のためですもんね。

 昨日までの続きで、脳内ホルモンがもたらす高齢者問題に対する妙案をご紹介しようと思っていたのですが、それを無料で皆さんに公開することに虚しさを感じたので、月曜に回すことにしました。ネットを探せばタダで何でも分かるというのは、逆に情報提供者を疎外、かつ阻害しているような気もするんですよね。難しいところだけど。。。。

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2019年6月27日 (木)

8か月(中)

 

 どんなにドラマティックな恋愛でも、8か月もすると醒めてしまうというのが昨日の説明でした。妊娠して出産ともなれば、女性は子育てに集中してもらわないと人類の存続が危うくなるからです。もちろん男も責任持って手助けしなきゃいけませんが、女性と違って育児系の脳内報酬ホルモンは分泌されないんですよね。かくて、家庭を顧みず浮気を繰り返す奴が絶えないわけですな。

 前回は「恋愛ホルモン」とまとめて言ってしまいましたが、それ以前にアルコールや薬物の中毒と似たような「飢餓感」をもたらす脳内ホルモンもあるらしい。酒であれば、しばらくやめていると飲みたくて仕方がなくなる。一杯でも飲めば落ち着くけど、それからは歯止めが効かなくなるといわれています。恋愛を希求する気持ちは、この飢餓感と似ているけど、得てしまえば8か月という短期間で満たされる、というか飽きるというか、再び新しい恋を求めようとするってことなのかな。

 いやはや誰がこしらえたか知りませんが、実に困ったメカニズムですよね。現代社会でそうした飢餓感を野獣のように発揮されたら迷惑このうえありません。風俗に行って発散するという方法もあるのですが、そうした単純な性欲と、恋愛を希求する気持ちはいささか違うんじゃないかな。

 つまり、そうした恋愛衝動をうまく管理するのが現代人の重要な責任になってきたわけです。若くて独身なら別ですが、妻帯者や中高年以上の世代は、社会的な体面にこだわるあまりに、常に欲求不満を抱えることになります。

 恋愛、妊娠、出産、子育てを終えたらすぐに死が待っていた昔とは違って、それから何十年も生き続けなきゃいけない。鮎なら1年で死んで世代交代してしまいますが、ボクたちの平均寿命は80歳を超えており、100歳も特別なことではなくなりつつあります。こうした中高年から老年期に、前述した衝動がうまく枯れてくれれば問題はないのですが、遺伝子のプログラムにブレーキはありません。

 ボクは「老いらくの恋」も素敵じゃないかと思うのですが、こうした老年期の恋愛では結婚という仕組みが足枷になってきます。そんなもん関係ねぇやと垣根を乗り越えるのが本来的な野獣性ですが、訴訟や刃傷沙汰といったリスクも高くなってくるんですよね。介護する、されるという、将来的な共助保障を失うことにもなりかねません。

 そもそも老年ともなれば、よほどの大金持ちか、有名人または権力者といった特典がない限りは、女性を惹きつけるのは無理でしょう。実際に、女性はある年齢までは年上を求めるけれども、それを越えると逆に年下を選ぶ傾向が強くなるというデータもあります。そりゃそうですよ。実際にするかしないかは別として、セックスの相手に若さを求めるのは男も女も変わりありません。

 そうなると、特段のカネも権力もなく、魅力にも乏しいジーサンは、報われることのない恋愛衝動を心の中に抱えて、何十年も生きていかなきゃいけない。このくすぶって消えきらないエネルギーが、あちこちで度外れた暴走老人やゴミ屋敷を生み出しているとボクは考えているのです。身体はきっちり老化しているのに、精神的には若い頃とあまり変わりない。このため、つんのめってしまうジーサンがどんどん増えていくんじゃないかな。

 おっと、またまた解釈だけで長くなってしまいました。明日こそ、この新しい高齢者問題に決着をつけるボクのアイデアをご紹介しましょう。

 

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2019年6月26日 (水)

8か月(前)

 

 週刊文春に連載されている橘玲氏のコラムによれば、脳内で分泌される恋愛ホルモンは8か月ほどで終わるそうです。つまり、出会い、知り合い、手を握り、キスをして、その次に至るワクワクドキドキ感は限定ものでありまして、その興奮ホルモンは8か月を超えると急速に分泌が乏しくなると説明されています。

 これはちょっと考えればすぐに分かる自然の摂理で、前述の段階の最終結果として女性が妊娠すると、状況はガラリと変わります。出産から子育てという大事業に男女間のドキドキなんて邪魔になるばかり。そのかわりに女性は幼児を慈しみ育てていく母性本能を刺激する別のホルモンが活発化すると、こういう仕掛けになっているらしい。

 体験的にすごく納得できるんだけど、これは女性に限った展開でありまして、男にも母性と同様の快感ホルモンが分泌されるとはとても思えません。イクメンなんていうのは義務意識または責任感という社会的要請に応えたものであって、身体的・生理的には別の女性との新しい8か月を希求するのが普通じゃないかなぁ。だからといって浮気や不倫を認めるつもりはまったくないので念のため。こちらもボクの体験的な事実ですが、夫婦が円満でないと子供は安心して成長できません。ましてや喧嘩ばっかりやっている家庭の子供が勉強に専念できるはずがない。両親にしっかりと愛されて育ったという自覚があるからこそ、自分自身も愛して大切にするようになるわけでね。

 人間の赤ん坊は頭が大きすぎるため、未熟児として早産するようになったと聞いたことがあります。結婚というのは、その未熟児が成長するための社会的な容器ともいえなくもないでしょう。だからといって子供がいなければ夫婦生活が無意味とは決して思いませんよ。ベターハーフともいわれるように、人生の伴侶が隣にいるだけでも満たされた気分になるではありませんか。

 ああ、しかし、それでも、ですよ。最初の8か月の甘味で官能的で刺激的な快感と同じものでは絶対にないのであります。そこでムクムクと浮気の虫が騒ぎ始めてしまう。かくて男はいつまでたっても恋愛を欲するセックス中毒患者である、というのが前述・橘氏の結論だとボクは理解しました。似たような欲求を持つ女性も少なくないはずですけどね。

 だけどさぁ、こんなことは脳内ホルモンの説明がなくたって成立する理屈ですよね。学問というのは、分かりきったことをデータなどで実証して理論化することだと言われても、「それがどうした」と思いませんか。こんな話を浮気旦那から滔々と聞かされても、奥さんの不愉快がおさまるはずがない。かといって心の向くままに結婚と離婚を繰り返したところで、「8か月の呪縛」から解放されるわけでもないですよね。

 だったらオレたちはどうすりゃいいんだ、を考えるのが学問や売文業の本来的な役割じゃないかとボクは言いたいのであります。解釈だけで終わってしまうのが、日本の評論業界の根本的な欠陥なんだよな。

 わぁお、つい長くなったので、ボクが考える特効薬=妙案は明日ということで。

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2019年6月25日 (火)

回送ってか!?

 

 早朝から雨降りで、オマケに9時11分に伊豆で震度4の地震。麻雀でいえばリャンハン確定ですから、こりゃもうJRは間違いなくアウトだと判断して、タクシーを探すことにしました。ホントにね、東京の公共交通網は昔に比べてものすごくヘタレになりました。何かあったらすぐに止まる。人身事故なら仕方ないにしても、秋葉原で人が線路を歩いたというだけで半日近くも遅延したことがあります。大切な約束と成田空港に向かう時に電車は要注意なのです。

 というわけで、事務所の下でタクシーを待ったのですが、みんなボクと同じことを考えているらしく、なかなか空車が来ません。というよりタクシーそのものが通らないんですよね。夜の9時頃にはゾロゾロと何台もうるさいくらい空車が列を作って走って行くのに、必要な時には滅多に来ないんだよな。

 仕方ないので、駅に向けて、念のために付け加えておくと、JRよりは信頼できる地下鉄の駅に向かって歩いていくと、空車のサインを点灯したタクシーがやってくるではありませんか。手を挙げて急いで近寄っていくと、このタクシーは空車の赤い表示をクルリと回送に切り替えやがったのであります。以前にホリエモンが「クソタクシー」として写真入りでツイートしたのとまったく同じ状況です。ボクはしがないライターですけど、当日は新作の発表会だったので、ホリエモンより風体はノーマルだったと信じますが、それでもこの非道な仕打ちですぜ。

 というより、道路運送法第13条で乗車拒否は禁じられています。もちろん例外もありますが、それはタクシーが勝手に客を選んでいいということではありません。彼らもそれを知っているから、すぐに回送サインにしたはずです。アタマに来たので東京タクシーセンターに苦情を言うつもりでナンバーを控えた段階で、個人タクシーであることに気づきました。悪名高い居酒屋タクシーも含めて、こういう雲助まがいのことをやるのは会社の管理や制約を受けない個人タクシーなんですよね。ボクは以前に郵政省前で列をなしていた個人タクシーに乗ろうとして、あからさまに乗車拒否されてケンカしかけたことがあるので、彼らの魂胆はよーく分かっています。「東京タクシー近代化センター(現・東京タクシーセンター)に苦情を申し立てる」と言うと、驚いたことに「ああやってみな。ナンバーを控えとかないと受け付けてくれないぞ」と売り言葉に買い言葉ですからね。さらに呆れたのは、このセンターは法人のタクシーには厳しく注意・指導するくせに、なぜだか個人タクシーにはからしき弱腰で、翌日に電話で「見解の相違もありまして」とふざけた事なかれを言う。

 そんなわけで、個人タクシーには絶対に乗らないという誓いを立ててから十数年になりますが、今でも相変わらずなんですよね。そんなわけで、東京タクシーセンターに抗議して失望する徒労を繰り返したくないので、法人のタクシーを待ちましたよ。

 でね、2つのアポをこなした新宿からの帰途です。やはり雨が盛大に降っており、歩き疲れてヘトヘトになっていたので、朝の出来事を忘れて懲りずにタクシーを待ったんですよね。残念ながら、ボクの前には派手なアロハに短パン姿で小さなポーチを抱えたお兄さんが同じく待っていたのですが、彼の前でも空車から回送に切り替える個人タクシーがいたのです。これでもう事情はすっかり明白ですよね。個人タクシーはヤバそうな客と判断したとしか思えません。するってぇと今朝はオイラも同じように見えたのかよと実に不愉快になりましたが、こういうことは決して珍しくはなく、普通に起きているということを運送業界並びに監督官庁はきちんと把握しているのかなぁ。

 来年は東京オリンピックで海外から観客が大量に押し寄せてきます。そんな人たちにもボクらと同じように乗車拒否すれば、日本の評判は地に墜ちますぜ。もちろん善良な個人タクシーも沢山いるに決まっているからこそ、敢えて報告&警告させていただいた次第です。

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2019年6月24日 (月)

逃亡者

 

 実刑が確定していた窃盗犯が逃走して大騒ぎになりましたが、昨日早朝に横須賀で確保されたようです。以前から警察官が「事なかれ」の木っ端役人体質を強めているように感じてきましたが、検察関係者もあまり変わらないみたい。両者ともに、市民生活の安寧秩序を維持・保全する刑事司法の専門家であるはずなんですけどね。有罪で実刑まで告知されている犯罪者を、いくら保釈中とはいえ、むざむざと取り逃がすなんて大失態ではありませんか。

 といっておきながら、矛盾するようですが、日本はホントに狭い国だなぁと感じてしまいます。面積という意味だけでなく、人の眼や口から逃げ切ることはできないんですよね。密告社会ではないにしても、「あそこで見かけた」とか「ここにいたよ」なんてね。子供の虐待なども含めて、警察など公安関係者に連絡するのは市民の義務ですけど、隠微な喜びもきっとあるんじゃないかな。太平洋戦争の前から戦中は「あの家の身内にはアカがいる」「西洋の楽器を毎晩弾いているからスパイじゃないか」とか、「英語を話していたんですよ!」などと特高警察に告発する人も珍しくなかったらしい。当時はそれもまた法律に則った正義でしたからね。

 大昔に『逃亡者』というアメリカのテレビドラマがありました。リチャード・キンブルという主人公の名前は今でも覚えています。妻殺しで死刑判決を受けた元医師が逃亡して濡れ衣を晴らそうとする物語で、ハリソン・フォード主演で劇場用映画にリメイクされたこともあります。

 アメリカは日本の25倍の面積があり、誰も足を踏み入れない荒々しい自然も残されているので、そこでキャンプすれば逃げ切れそうな気もします。けれども、そんな手つかずの大自然で食糧を自給自足するのは困難であり、完全に孤立した状態で人間は生存できません。というわけで、人間社会に潜みながら、真犯人を探し出すというドラマも成立するのですが、毎回必ず、彼を助けようとする人が出てくるんですよね。もちろん当局に通報する人もいるのですが、助けようとする人たちの葛藤が本当のテーマだったんじゃないかな。逃亡者の心情は自分の冤罪を証明するという一直線ですが、彼に好意を感じたり、無実だと信じて助ける人たちは大変に複雑です。犯人隠匿や逃亡幇助は違法ですから、ヘタすりゃ自分が逮捕されることもあり得る。にもかかわらず、いつしか心の天秤が本来的な正義のほうに傾き、リチャード・キンプルは司直の手を逃れて別の町へと去っていく(ちょっと言い方が古いかな)

 ここからはボクの個人的感想なのですが、どうもアメリカ人は法律を信用していないフシがあります。小説やドラマでも、法律を敢然と無視する決断や行動がしばしば描かれているのです。コンプライアンスよりも、自らが信ずる正義や理念のほうを大切にする。つい最近に見たテレビドラマでは、何と現役の検察官が脳死した子供の呼吸器のスイッチを切るなんていう場面がありました。もちろん殺人であり、日本ならどうしたって有罪ですが、このドラマでは無罪。言うまでもなく、アメリカの法廷は12人の陪審員の評決で結審するからです。彼らの全員一致が原則ですが、殺人=有罪とは限りません。近代法では復讐は罪として禁じられており、それを認める国はごく一部ですが、アメリカの法廷で陪審員の同情を得ることができれば、無罪になることも可能なのです。陪審員の有罪評決が期待できない事件はそもそも起訴しないということもあるようですね。

 となれば、法律なんていうのは単なる目安、スタンダードに過ぎないのです。ここのところの理解がね、日本人は著しく欠如していると思うのであります。さすがに奴隷とは言いませんが、法律や体制に盲従するばかりで、自分のアタマで物事を考え、判断し、行動することを放棄しているのではないでしょうか。法律で決められることには限界があり、その網からこぼれる正義や悪はいくらだってあります。さもなければ裁判なんてやる必要はないですよね。法治国家の法律は、倫理や道徳における最高度の金科玉条ではなく、誰かが案を提出して国会の多数決を通過しただけのことじゃないですか。

 本当に大切なことはボクたち自身の心の中にしかない。それをきちんと認識することが、少しでも生きやすい社会を創っていくバックボーンになると思うのですが、いかがでしょうか。

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2019年6月21日 (金)

楽しく生きよう!

 辛抱できなくなって、またまた浅草HUBに行ってしまいました。定期的にライブを聴かないと神経が煮詰まってくるのです。昨日の7600万円のように、気分が滅入るニュースも珍しくないしね。

 それに、近頃はビーフ・シュラスキーニョとポップコーンにもはまっております。HUBはブリティッシュパブなので、フィッシュ&チップスが名物ですが、とっくに食べ飽きてしまったんですよね。そこでサイコロステーキを鉄串に刺したシュラスキーニョ、つまりバーベキューにトライしてみたら、予想をはるかに超えた絶品だったのです。年を取ったせいか、和牛のサシ=脂が苦手になり、赤身を好むようになったこともあるようですが、塩味と肉の旨味がみごとに相まって実においしい。いくら噛んでも噛みきれない硬さが難点といえば決してそうではなく、そのワイルドな食感も魅力なんだよな。このため、いつも「ウェルダンでね」と念押ししています。ますます肉が硬くなるのは承知の上ですが、カリッと焼けた表面にまぶされた塩コショウが冴えるのであります。

 そういえば、日曜日に高級レストランで赤ん坊の頬のように柔らかな牛肉をいただきましたが、どうにもヘタレな感じを受けたのは、この硬いシュラスキーニョに慣れたからだと今わかりました。虫歯と歯周病を徹底的に治しておいてホントに良かった。

 ポップコーンのほうも、作り立てでホカホカと暖かなシロモノでありまして、こちらも酒のツマミらしく塩味が素敵に旨いのです。ついおかわりしてしまいました。

 さて、昨夜の出演バンドはブルームーン・カルテット。コルネットをバンドリーダーとして、エレキ・ウクレレとベース、それにドラムスという4人編成です。このバンドは2回目ですが、初めて見た時はウクレレにエレキなんてあるのかとびっくりしました。4本しか弦がないので、確かにウクレレにもかかわらず、こんなに奥ゆきのあるサウンドもできるんだと感心します。ボクは中学の時にウクレレから弦楽器をスタートしたので、違いがよーく分かるんだよな。あんな早弾きも、ちょっとやそっとの練習では絶対に無理でしょう。

 曲目はアース・ウィンド&ファイアーやスタイリスティックスなどから、なななななななな何と薬師丸ひろ子の『Wの悲劇~Woman』。いつの時代だよ、というくらいのウルトラスーパー懐メロですが、ボクはすごく楽しめました。エレキベースとドラムスがしっかり背中を支えているので、ウクレレとコルネットのメロディパートが自由気ままに飛び跳ねることができるんですよね。

 このバンドは、以前にたまたま同店で隣り合わせたご婦人に勧められたのですが、昨夜もお見かけして「来てくれたんですね、すごく嬉しいわ」なんて挨拶されました。だからといって誓って何事もなかったのはまことにもって残念ですが、そんな邂逅もストレス解消になったような気がします。やっぱね、人生は楽しく生きなきゃ損だよな。

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2019年6月20日 (木)

7600万円足りない!

 夫婦で95歳まで生きるなら、65歳から貰える年金以外に30年間で2000万円が必要という金融庁の発表が大騒ぎになりました。でもさ、これって厚生年金で毎月21万円を貰える人を対象にした計算であって、国民年金しか貰えない人はカネがもっと必要になるってことですよね。

 厚生労働省の報告書によれば、昨年末にまとめた国民年金の平均支給額は5・5万円でしたから、前述した厚生年金世帯に比べて毎年186万円ほど足りません。30年間で5580万円。その上でさらに2000万円が必要というのですから、夫婦2人が95歳まで生き延びるためには。合計で約7600万円の金融資産が必要ってことになります。あまりにもすごい数字なので、アタマがクラクラしてきますが、お役所がちゃんと計算して発表した数字を根拠にしているので、これは否定できない事実なのであります。

 では、7600万円のカネがない国民年金受給夫婦はどうしたらいいのか。宝クジに高額当選するなどの僥倖がなければ、働くか、どこかから借りるしか方法はありません。働くといっても高齢者ですから、収入には限度があるほか、健康に問題があればそもそも無理です。とすればプランBの借金コースとなりますが、担保または返済のメドがない夫婦にカネを貸してくれる金融機関はあり得ないので、こちらも無理といっていい。

 息子・娘からの仕送りという方法が最も現実的な解決策であり、金融庁も投資への誘導だけでなく、親子間の扶養共助を念頭にしていた気配をボクは感じます。けれども、衆知のように少子化ですからね。今さら子供を産んでも手遅れであり、もし仮に子供がいたとしても、みんなが善良で親孝行なカネ持ちになるはずもありません。むしろケチで親不孝でなければカネ持ちになれないという意見もあるくらいです。

 これらの「プランB」(別案の総称として)がすべてアウトになったらどうするか。生活保護を受けるか、飢え死または自死するしか方法はないではありませんか。仮に国民年金世帯の多くが生活保護を受けるとすれば、莫大な金額に膨張するので、国家財政がパンクしてしまう。敢えて極端に言えば、ボクたちが死ぬか、それとも国が死ぬかという恐怖の二者択一を迫られることになるわけです。

 ここまでの理屈で何か飛躍や無理があるのなら、ぜひ教えてもらいたいのですが、どう考えても有効な反論は無理でしょう。この冷徹な事実を、麻生大臣のようにこれまで見て見ぬ振りをしてきたことに問題があるのであって、金融庁の発表に責任や非があるわけではありません。結局は政治家どもが選挙時に公言してきたことのすべてはウソに近いものであって、ボクたちが生きているのは弱肉強食の原始時代とあまり変わりないってことなんですよね。

 さあ皆さん、そろそろ暴動でも起こしますか。元気のある人はベッドから出てください。でもさぁ、日比谷に集まっていくら騒いだところで状況は変わりませんからね。さすがにアイデア豊富なボクも、一点突破全面展開できる妙案はありません。働き改革によって、どんな高齢者も何らかの仕事をして、乏しいにしても収入を得られる社会に変えていくほかないんじゃないかな。とてもじゃないけど、老後の社会保障にぶら下がれる国ではなかったということです。

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2019年6月19日 (水)

トレンド

 どんなものを食べようが、どんな格好をしようが、それは個人の自由にほかなりません。ということを、まずは大前提にしておきますが、個人的には不快感や気持ち良くないと感じる格好もあるんですよね。

 否定するわけではなく、あくまでもボクの個人的な感想を述べさせていただけば、靴下を履かない(ように見える)革靴、並びに半ズボンはどうにも馴染めないのです。政府が主導したせいか、ネクタイを外したクールビズがたちまち普及したように、ファッションのトレンドなんて日々移ろっていきます。個人の好き嫌いなんか関係なく、あたかも大潮が静かに浜辺を浸すように、何もかも変えていくんですよね。

 だから、それ以前の流行、というかトレンドに慣れた人ほど違和感を持つようになります。ズボンの幅なんか典型的で、30年くらい前は袴みたいに太かったのに、今ではどうやって足先を出すんだよ、と悩むくらい細くなってきました。椅子に座った瞬間にケツが破れるんじゃないかと心配するほど細いズボンも見かけますよね。裾丈もどんどん短くなり、今ではくるぶしをくっきりと見せるほどになっています。

 こうなってくると、靴下が重苦しく過剰な存在感を持つようになるので、それを履いていないように見せかけて、風が吹き抜けるような「抜け感」を演出するようになったわけですな。もちろん超短い靴下を履いているので、革靴の内部が超臭くなることもないようですが、ぼくはそんな子供じみた格好が涼しそうとは思えず、ましてやビジネスの場ではNGだろうと考えていたのですが、大波はジャブジャブとオフィスにもやってきたらしく、少なくとも都心では必ずしも珍しいスタイルではなくなってきました。

 それどころか、昨日はスーツで半ズボンというファッションを見かけてショックを受けました。東インド会社のイギリス人が着用していたような、コロニアルスタイルというのでしょうか。実はボク、男の半ズボンが、やはり個人的にはあまり好きではないのです。肌が白かろうが黒かろうが、毛ずねがね、とてもじゃないけど美しくは見えない。そりゃさ、ズボンなんて短い方が涼しいに決まっているので、機能的なことは否定しません。しかしながら、エレガントとハードボイルドは痩せ我慢の別名なんですけどね。

 ちなみに、ボクはいわゆるカタギの会社員経験がなく、ヤクザなフリーランスのモノカキ稼業を続けてきました。だから、グレーまたはネイビーのスーツにホワイトのシャツを着て、ネクタイで個性を表現するという暗黙のルールから自由に生きてきました。けれども、被取材者への礼儀と敬意は絶対的に必要です。そこで、日頃はホームレスまがいの格好でも、取材時には新しいシャツと肩がしっかりしたジャケットを自分に義務づけてきました。たまにネクタイも着用します。夏場は喉元が汗でびしょびしょになり、むしろ汚らしいのでやめましたけどね。

 そうした自分流みたいなものは、トレンドなんか関係ありません。自分が決心した時が変わる時なのです。だから当分は、いやおそらく死ぬまで、裸足のくるぶしを見せるような格好はしないだろうなぁ。でもさ、それが流儀という人もいるでしょう。このように様々な感性と哲学が混淆しているのが多様性ある社会ですから、逆に自分自身の美意識やこだわりが、より大切になってくると思うんですよね。いちいちトレンドに流されていたら服飾費にカネがかかって仕方ないじゃないですか。
 著しく増殖中の短パンやくるぶし見せスタイルを駅のホームなんかで横目で見ながら、そんなことを自分に言い聞かせているわけですな、はぁ。

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2019年6月18日 (火)

指揮官たちの責任

 太平洋戦争に敗北した理由として、日米の物量差が指摘されてきました。すでに戦争中に、それを根拠として「負ける」と予言していた人も少なくないといわれます。でもね、そんなのは戦後に捏造されたウソではないでしょうか。

 日本の連合艦隊はミッドウェイからレイテ沖海戦まで敗退を繰り返し、虎の子の大和を残して壊滅したことは歴史的事実ですよね。では、その開戦前に日米がどれだけの軍事力を持っていたでしょうか。ウィキペディアによれば、日本の艦船は合計で385隻、148万トンに達していました。対するアメリカは、341隻、131万トンと下回っています。軍人の数にしても日本は242万人。アメリカは188万人程度。人口そのものはアメリカの半分程度で、工業生産力が違うとはいっても、少なくとも開戦時の帝国海軍は世界第1位の軍事力を保有していたのです。

 海大や陸大を優秀な成績で卒業した参謀や指揮官が、このことを知らなかったはずがありません。いや、熟知していたからこそ真珠湾攻撃を立案。アメリカにケンカを売ったんじゃないかな。いったんは大打撃を与えたにもかかわらず、翌年からは負け戦が続いたのですから、これはもう物量ではなく、人的な失敗としか説明できないじゃないですか。

 その無能ぶりを図らずも証明するのが、軍事作戦では外道とされる自殺攻撃、神風特別攻撃隊です。構想は以前からあったようですが、1944年のマリアナ沖海戦の敗北を契機として本格的に編成されるようになりました。

 詳しく紹介したらキリがないのでやめますが、太平洋戦争は日本の指揮官たちの不遜ともいえる自信過剰で火蓋が切られ、無能極まりない作戦指導によって多数の将兵と無辜の国民を失った可能性が強いのです。敗戦当時は物量や工業力の差と言われましたが、零戦は米英の戦闘機を圧倒する旋回性能と攻撃能力を持っていました。戦艦大和も史上最大の排水量を誇る巨艦であり、同じく史上最大の46㎝砲を3基9門も搭載していたんですからね。

 それでも負け戦が続いたのですから、軍の上層部や指揮系統に問題があったのではないかと疑うのは当然ではありませんか。そうした責めから逃れるために、物量の差というまことしやかな理由が流布され、近年では開戦そのものがアメリカの陰謀などといわれています。その真偽は別として、だからといって将官や参謀たちが免責されるものではないはずです。

 現代の立場から過去を裁くな、といわれます。しかしながら、敗戦後74年を経て、日本の官僚と政治家は当時とまったく同じ自信過剰による誤りを繰り返そうとしているのではないかと、ボクは深く危惧するのであります。

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2019年6月17日 (月)

バリトンサックス

 

 先週ご紹介したトランペットは華やかな破裂音が特長ですが、女性が「エッチね」と思わず感嘆の声を漏らす楽器がサクソフォンです。1950〜60年代にかけて流行した「ムード歌謡」では、この楽器で夜の雰囲気を表現した曲が少なくありません。大人の成熟した艶っぽい溜息というのかなぁ、上手な人が感情を込めて演奏すると、確かに「エッチな空気」が漂ってくる不思議な楽器です。

 知り合ってからそれほど経っていないけど、一気に距離を縮めたいという野望をお持ちの女性とデートする時は、サクソフォンをBGMにすることをオススメします。石原裕次郎が歌った『銀座の恋の物語』でも「やさしく抱かれて瞼を閉じて、サックスの嘆きを聞こうじゃないか」というフレーズが最後に出てきます。それにしても、昔の歌謡曲は大人向けの「エッチ」な歌詞が少なくないですよね。AKBなんかとは大違いです。

 このサクソフォンは、1840年代にベルギーの管楽器製作者、アドルフ・サックスが考案。46年に特許も取得しています。そんなに古くからある楽器ではないわけです。冶金や溶接といった近代の技術進歩が背景にあるんじゃないかな。

 音程によって実に様々な種類があるのも特徴です。ジャズやポピュラーで最も使われるはテナーサックス、アルトサックスですが、調べてみたら全部で9種類もあるらしい。中にはアルトサックスをそのまま超小型にしたものもあって、初めて見た時はどこかのお土産のミニチュアかと思ったくらいです。

 その逆に、かなり大きなタイプがバリトンサックスです。ジャズでサクソフォンを見慣れたボクでも驚くほどのキングサイズ。丸太のような金属パイプを曲げて折り返したといえば大げさですけど、それくらいの迫力と存在感があるので、これを首から提げるだけでも体力が必要なんじゃないかな。音階を作るバルブの大きさも半端ではなく、アサガオのような開口部近くに、ボクのゲンコツがすっぽりと入りそうな大きな穴と蓋が3箇所つくられています。

 このバリトンサックスを初めて見たのは、例によって浅草HUBでした。日曜日の夜はヒマなので、写真を見てサクソフォンが中心になったバンドらしいというので、あまり期待せずに行ったのですが、これが大正解だったのです。バンド名はブラッディスト・サクソフォンBloodest Saxophone。Blood=血まみれの最上級ならBloodiestになるはずですが、ネットで確認しても「i」がありません。愛が足りないから? というのはボクの冗談で、何か違う意味が込められているのかな。ファンの間ではブラサキと略称されているようです。

 テナーサックスをリーダーとして、その隣にバリトンサックス、背後にベースとドラムス、それにギターの5人編成でしたが、音の重層感が素晴らしいんですよね。テナーサックスとバリトンサックスが作り出すヘビーで奥ゆきのあるハーモニーが腹に響いてきます。ボクはジャズとブルースはまだまだ素人ですが、相当な実力派であることはすぐに分かりました。後でネットをチェックしたら、昨年で結成20周年。音楽業界にも疎いですけど、これだけ長く続けられるのは、テクニックもさることながら、コアなファンがついているんでしょうね。それに演奏が楽しいんだよな。音楽が「音学」になってはいけないというのがボクの持論ですが、演奏を見せる演出にも十分に配慮しており、つい足先が動いてしまいます。オチがどうにも分からないMCもご愛嬌でありまして、所定の演奏時間があっという間に感じるほど入れ込むことができたのです。

 多忙なせいか、浅草HUBは2か月に1回だけの出演なので、即座に7月分を予約。テナーサックスとバリトンサックスに再び出会うことを今から楽しみにしております。

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2019年6月14日 (金)

トランペット

 大学受験に失敗して浪人だった頃じゃなかったかと思うのですが、何かのきっかけでトランペットを預かったことがあります。その経緯はまるで思い出せないのですが、中学の頃からギターを弾いていたので、音階をつくるバルブが3本しかないトランペットなんか簡単だろうと思ったら、管楽器は仕組みがまるで違うんですよね。

 マウスピースを取り付けて口から息を出すだけでは、それこそウンともスーともいわない。ただ空気が通り抜けていくだけです。唇をふるわせて「ププー」という感じで音を出してはじめて、それを増幅してくれる楽器なんですよね。このため最初はマウスピースだけで音を出す練習をするのですが、コツが分かるまでに1週間ほどかかりました。

 ある時に突然、プァアオーという死にかけた象の鳴き声をみたいな音が出るようになり、「ああ、こういうことか」と暗黙知を体感しましたが、それでもメロディは無理。前述のバルブを押せば音がすぐに変わるというものではなく、演奏者自身が音階を吹き分けると、それをアシストしてくれるだけの存在なのです。早い話が、口笛の音をより大きくするのが管楽器の本質ですから、演奏者の音感が相当に影響してきます。ギターのように、誰でもポロンと音が出るというシロモノではないんですよね。

 では、音が出れば一丁上がりかといえば、それからが問題なのです。アパートやマンションなど共同住宅の一室で練習したら、間違いなく苦情がきます。今ならヘタすりゃ凶悪な隣人がナイフ持参でノックするかもしれません。一戸建てにしても、家が隣接していたら音は漏れてしまうでしょう。ボクも当時は「うるさい!」と言われたことがあります。やっと音が出たばかりでメロディもロクに吹けないですから、聞かされるほうは拷問に等しいのは確かです。

 でもさ、それでは天才トランペッターは防音室を完備したカネ持ちの家からしか生まれないことになります。貧乏な暮らしの中で、誰かから譲り受けたトランペットを手にして、次第にミュージシャンとして名を成していく出世物語なんて成立しません。ようやく本題に近くなってまいりましたが、ボクはそのことを言いたいわけです。

 かのルイ・アームストロングはアメリカ・ニューオーリンズの貧民街で生まれました。子供の頃に誤ってピストルを発砲。おかげで少年院に送致され、そこでトランペットの原型であるコルネットと出会い、才能を開花させていったのです。その時に「うるせぇなぁコノヤロー」と言われて断念していたら、後年の名曲の数々は誕生しなかったことになります。

 でもね、ボクの体験を言わせていただければ、日本はこういう管楽器を練習するにはまるでふさわしくないところなのです。川のほとりならいいだろうとクルマで行ったこともありますが、しばらくすると見知らぬオッサンが近づいてきて、「キミね、近隣に大迷惑をかけていることを分かっているのか」と理詰めで叱られました。河川敷の打ちっ放しゴルフのほうがよほど迷惑で危険だろうと思いますが、とにかく練習する場所はどこにもないのです。今ならカラオケに行けばいいんだろうけど、当時はそんな施設なんかなく、もしあったとしても室料は決して安くはありません。

 それでトランペットを泣く泣く持ち主に返却。以来、一度も吹いていません。かくて新世代のルイ・アームストロングは、まことに勿体なくも可哀想なことに、生まれる前にそそくさと抹殺されたのであります。うまくすれば日野皓正やMALTA、北村英治なんかと共演していたかもしれないのに、社会的損失じゃないか。

 もうちょっと皆さん、寛容になれないものでしょうか。未熟な者を優しく見守るという余裕が、どんどんなくなってきたように感じます。みんなは自分の権利ばかり主張するけど、大人は子供を健やかに育てる義務ってものがあるんだぜ。それを忘れた国なんて、人口減少で早く滅びたほうが世界のためじゃないかとすら思うのであります。

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2019年6月13日 (木)

『マダム・セクレタリー』

 

 またパクリかなと思っていたら、シナリオが結構な完成度であり、俳優さんも第一線級が揃っているので、ついついファンになってしまいました。CS放送FOXチャンネルの『マダム・セクレタリー』です。

 3人の子持ちの女性大学教授が、突然に大統領から国務長官に指名されるという設定は、キーファー・サザーランド主演の『サバイバー:宿命の大統領』(スーパー!ドラマTV)にそっくりなんですよね。こちらはテロリストによる爆破事件で閣僚全員が死亡。現役を外れて「指定生存者」に左遷されていた彼が大統領を継承することになります。9.11があったので、そんな役割を作ったのかも知れませんが、キーファー・サザーランドといえば、何といっても世界的に大ヒットした『24-TWENTY FOUR-』です。アクの強い名優、ドナルド・サザーランドの子供という七光りからみごと自立したのは大変に結構ですが、暑苦しくて息が詰まるジャック・バウアーの印象が強すぎるんですよね。この人が本日から大統領どえーすといわれても、いつ拳銃をぶっ放すか分かりません。ホワイトハウスなら核ミサイルもありなので、危なくて仕方ないじゃないですか。

 それに比べて、『マダム・セクレタリー』のほうは、そもそも女性でミセス、しかも日本でいえば外務大臣ですから、ドンパチのアクションシーンはほとんどないかわりに、外交的な裏取引やら権謀術数を背景とする静かな緊張感が漂ってきます。というより、ボクは主演のティア・レオーニが好きなんだよな。1966年生まれですから、もはや相当な熟女ですけど、アメリカ女優にしては小さめの眼が知的で、時にはコケティッシュなのであります。近頃はエマ・ストーンやアン・ハサウェイといった、眼が漫画もどきに大きな女優ばかり目立ったので、逆に安心できるのかな。

 でね、日本では『マダム……』が『サバイバー……』のパクリのように感じられますが、これは放送時期の関係でありまして、アメリカでの公開は前者が2014年で、後者が20016年と逆なのです。つまり、ジャック・バウアー、じゃなくて『サバイバー……』の大統領のほうが後追いで設定をパクった疑いが強い。そのせいでもないでしょうが、2018年に打ち切りになっているのに対して、『マダム……』はシーズン5まで続いています。

 決して派手なドラマではないのですが、脇役にボクも知っている実力派俳優を揃えていることもあって、ついつい見続けてしまうんだよな。役職が国際的なので、毎回のテーマもボクたちにとってリアリティがあります。結局はアメリカのテレビドラマや映画らしく、個人を大切にする民主主義やら平和主義といった、ホントかよと思わせる理想を追求したエンディングになるのが常なのですが、ティア・レオーニの派手さやケレン味のないナチュラルな演技が嘘っぽさを脱色しているように感じます。

 それともう1人。彼女の補佐官役のビービー・ニューワースが素晴らしく魅力的なんだよな。調べてみたら、エミー賞コメディ部門の助演女優賞を2回も受賞。トニー賞ミュージカル部門でも助演女優賞を受賞するなど、ブロードウェイでも活躍している女優さんらしい。年齢的にはティア・レオーニより上ですが、とてもじゃないけどバーサンの雰囲気は皆無。むしろ華やかな色気がそこはかとなく漂ってきます。中年太りの陰もカタチもなく、背中から肩出しのパーティドレスが実に良く似合うんだよな。こういう女性が近所にいたら、声をかけるのが男としての礼儀やマナーというものです。やはりね、人間は若いだけでは魅力も不完全なのであります。円熟することで多彩な光を放つんだよな。そのためにも、主体的に失敗と成功を重ねていかなきゃダメなのです。若さばかりがもてはやされる文化なんて、つまりは未成熟に過ぎないとボクは思います。

 

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2019年6月12日 (水)

拳銃か毒薬

 

 以前に、ある外国人から「日本人は本当におとなしいね。まるで奴隷のように政府や行政に従う」と言われたことがあります。万世一系で元号が令和になれば、天皇制の歴史も背景もろくすっぽ知らないのにバンザイ三唱ですから、ボクだってアホかと思うことがしばしばあります。

 それでもね、2000万円ですぜ。老後30年を夫婦で生き延びるためには、年金以外にこれだけの大金が必要になるというなら、それが用意できない人は死ねといっているに等しいではありませんか。にもかかわらず、メディアの論説は、政府に気を遣っているのか穏やか過ぎますよ。年金制度の不備だの、貯蓄から投資への誘導だとか何とか、本筋を外れまくっています。優秀な官僚たちが何を意図したか知りませんが、前述したように、そのカネがなければ夫婦揃って必ず飢え死にしますぜ、というのが正しい見解というものでしょう。

 では、みなさん、じわじわとカネがなくなり、やがてコンビニでオニギリも買えなくなって「腹一杯メシを食いたかった」と遺書でも残して死ぬのでしょうか。そんなことを言われてもなお、国民はじっと黙っているんだから、いやぁもう実にご立派というほかありません。それとも、いつか宝クジでも当たると思っているんだろうか。ちなみに、ボクは20年ほど前からそう願ってきましたけどね。

 いずれにしても、こんな国になお生き続けたいというなら、こうした災厄の元凶である政府と行政に対して、もっと大規模な抗議行動を起こすべきでしょう。けれども、残念ながら、そんな気配はぜーんぜん、まるきり、ずずずいーっとありません。なぜなら、元気な若い人たちはジーサンたちが年金のカネを搾取していると感じているからです。いくら若者がカネを納付しても、将来に貰える年金額は雀の涙。それもこれもジジーたちが旧制度に守られて、ぬくぬくと年金を懐に入れているからだってね。

 そもそもの年金設計が世代間負担を前提にしていることからしておかしいのですが、そこに古手の温泉旅館のように増築・改築を繰り返してきたことに問題があるのです。けれども、想像力のない人間は、どんなことだって近親や近隣の憎悪から始まり、上まで行かずに終わってしまうんですよね。

 だからボクは、以前から65歳を過ぎた人には、無料の健診票ではなくて、拳銃か毒薬を配るべきだと主張してきました。銃口は政府並びに行政の担当者だけでなく、自分にも向けることができるじゃないですか。配った拳銃がメルカリから流出すれば大変な社会問題になるので、もちろん冗談に決まってますってば。

 だったら毒薬がいいかな。カネがなくなった時、または生きる意欲を失った時には自分で終止符を打つ。長く働いてきた老人に、それくらいの自由と楽しみが残されていても然るべきではありませんか。いずれにしても、そうしたリアリティを死ぬ間際にしか持てないというのは、死をまともに教育されていないからです。

 今ごろ、あの外国人は「日本の支配者は国民を愛すべきマヌケだと思っているはずだ」と仲間たちと噂話しているんじゃないかな。不愉快極まりないけど、否定することもできない、悲しむべき真実ではないかとボクも思ってしまうのです。

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2019年6月11日 (火)

浅はかな機能主義

 

 ボクが検診などで利用してきた大病院が隣地で新築。何もかもピカピカに生まれ変わったのは結構ですが、それを見たボクの印象は「アホやなぁ」なんですよね。

 だってさ、そこらのオフィスビルとほとんど変わりないんですよ。看板なしで遠くから見たら、知らない人は病院と認識できないはずです。

病院というのは、医師や看護師などの関係者を除けば、元気な人が行くところではありません。健康診断にしても、精密検査が指示される可能性もあるので、必ず不安が伴いますよね。そうした人たちが集まる建物を、元気なビジネスマンがバリバリ働くオフィスビルと同じ機能主義で設計・建築している。だからね、アホじゃないかと。

 そりゃね、車椅子がのぼれるスロープやら、ゆっくりしたエスカレータも配備されていました。そんなのは当然過ぎるほどの設備でありまして、ボクが指摘したいのは、遠くから見て「あ、病院だ!」と分かるような個性に乏しいってことなんですよね。人口減少で患者も減ってきたらオフィスビルに転用するつもりなのでしょうか。

 建築としての機能性にこだわり過ぎて、患者が集まる病院としての役割を忘れているとしか思えません。いくら鉄筋コンクリート造といっても、優しさや暖かみを感じさせる外観や内装は工夫次第でいくらでも可能なはずです。東京オリンピックに向けて建設途上の国立競技場だって、冷たいコンクリートでなく木材を中心に設計されています。いっとき爆発的に流行したコンクリート打ちっ放しなんて、ボクに言わせれば、そこらの公衆便所とどこが違うのかと。

 フレームだけは頑丈な鉄筋コンクリートにするとしても、一部を木造にするとか、木肌のパネルを敷き詰めるなど、患者の不安を少しでも解消できるデザインを考えるべきでしょう。にもかかわらず、ビルとして、建物としての汎用的な構造ばかりが追求されている。こういうことを、利用者不在の浅はかな機能主義とボクは断じてしまうんだよな。

 人間の精神を落ち着かせてくれる教会は、偶像崇拝を禁じているユダヤ教を除いて、かなり遠くからでも分かります。高く伸びた十字架だけでなく、教会建築と呼ぶべき確固たるスタイルがあるからです。なのに、身体の病気を担当する病院はオフィスビルと大差がない。病院建築というジャンルがあって然るべきなのに、寡聞にして、そんな建物を見たことがありません。

 病院というのは、心身を癒やすところですが、それは医師や看護師だけの役割ではないでしょう。受付などの事務職もそうであるように、建物だって、傷つき病んだ人たちを穏やかに優しく包み込む環境であるべきです。そうした本来的な目的を忘れた機能主義は、いかに優秀であっても浅薄というほかありません。なのに、そんなものが大手を振ってまかり通っているのが、いまの日本なんだよな、はぁ。

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2019年6月10日 (月)

好悪の感情

 

 人のやることなんて、好悪の感情で評価が180度変わってきます。仕事が遅いというネガティブなことでも、好意的に見れば「慎重で正確」といえなくもありません。逆に仕事がいくら早くても、そいつが嫌いなら「拙速」ということになるわけです。

 ちなみに、この「拙速」も評価が分かれる言葉でありまして、「拙」というのはマズいと読むように出来が悪いという意味。それに対して「速」は早いということ。つまり、出来は悪いけど仕事は早いという相反した評価を含む、実は複雑な言葉です。仕事の巧拙と速度は必ずしも相関しないとボクは思いますけどね。それに、締め切りに間に合わなければ、どんな優秀な仕事も無駄になりかねません。けれども、日本という国は何事も横並びで、集団的な合意が必要とされるせいか、「拙速」が嫌われる傾向が強いようです。

 でもさぁ、アマゾンなんて最初の頃は問題や課題が山積みで、長く赤字が続いてきたと思うんだけどな。今でこそ世界を支配するGAFAですけど、最初からうまく行っていたわけではないはずです。しかしながら、デジタルの世界はアイデアと速度がすべてであって、巧拙なんかより「速」のほうが圧倒的に重要なファクターだったことは誰もが指摘するところです。

 だから日本はデジタル革新に乗り遅れてしまったといえるのですが、その続きを言い出したらキリがないので話を元に戻すと、上司と部下のお互いの評価も、同僚同士の評価にしても、あたかも男女関係のように好悪の感情がすべてということなのです。相手が嫌いなら、どんなことでも悪い方に見えてしまう。好きであれば、少しばかりの失敗や間違いもご愛嬌と片付けることができます。

 ボクがどうして今さらこんなことを言うかといえば、人工知能と機械化の進展によって、人間には定量的な仕事ではなく、定性的な仕事が回ってくるようになったからです。「量」が問われる仕事はどんどん機械が代替するようになったので、人間は企画や管理のような「質」が問われる仕事が多くなったとも言い換えられます。あくまでもたとえば、ですけど、袋詰めなどの仕事は、そいつが好きだろうが嫌いだろうが、1時間に何個という量で能力が判断されます。職場に人間的な感情はあったとしても、そうしたパフォーマンスの評価に関与する余地はなかったわけです。

 ところが、企画やらマネジメントやマーケティングは、最終的な結果は「量」としても、途中のプロセスでは「質」が判断されることになります。この時に数字で換算できる具体的指標が乏しいために、感情が入り込みやすいんですよね。かくて飛び抜けて独創的な企画でも、社内の礼儀を平気で無視する自分勝手な奴という理由だけで握りつぶすことも不可能ではありません。オレの言うことを聞かない、だから嫌い。そんな奴のアイデアに将来性なんかあるか、という感じかな。それだけが原因とは言いませんが、数々の画期的な技術と優秀な技術者を海外に流出してきたことは事実です。

 というわけで、これからは機械に潤滑油が必要なように、人間関係も感情を円滑化する努力がより必要になってくるんじゃないかな。それでも好悪の感情は遺伝子に根ざした深い部分もあるように思います。どんなに懐が深くて優しい人格者でも、1人や2人は好きになれない奴がいるはずです。そうした人間的な感情の克服が、これからの職場の大きな課題になっていくでしょう。

 それを解消する方法は決して難しいことではありません。コミュニケーション、すなわち情報流通を頻繁にやればいいだけのことです。それが欠如しているから、感情にもとづいた誤解や曲解がどんどん増幅していく。嫌いな奴と話なんかしたくないのが人情ですが、私生活なら許されても、利益共同体である職場では仕事の成果や自己評価にかかわってきます。

 だから、怖れず、面倒がらず、逃げることなく、嫌いな奴でも報告・連絡・相談していくほかありません。仲良くなる必要なんてありませんから、5W1Hをクールに伝達する。情報を囲い込むことが最も危険なのです。現代では相手と直接に面談しなくてもメールという便利な方法だってあるじゃないですか。

 それが人間の好き嫌いを仕事に直結させない秘訣であり、「不機嫌な職場」を少しでも「楽しい職場」に近づける極意ではないでしょうか。

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2019年6月 7日 (金)

K君のこと(後)

 

 K君が理系だったなんて全然知りませんでしたが、九州の高校を卒業すると、埼玉県にキャンパスがある某工業大学に入学しました。ボクと同時期に上京したものの、都心立地の大学ではなかったことが大いに不満だったようです。だったらそんな大学を選ばなきゃ良かったのに、おそらく高校の進路指導に従ったんでしょうね。

 たまに会っても安酒場で酔った記憶しかありませんが、「つまらん」と何度も不平を口にしていたような気がします。ボクはボクで、とにかくカネがない。

「K君、いい時計してるじゃないか」
「そんなことないよ、親父が買ってくれた安物だから」
「いや、立派なブランドものだから、結構高いと思うぞ」
「そうかなぁ」
「そうだよ。ボクが保証する。それでも疑うというなら、あそこに行ってみないか?」

 そう言ってボクが人知れずこっそりと指さした先には、質屋の看板がありました。ま、カネがないのはお互い様ということで、しばらく預けることに彼も同意してくれましたが、手にしたのは期待を大きく下回る1500円。「じゃ行くか」と近所の安酒場に行って終わりです。あの時計はおそらく質流れになったんじゃないかな。騙すつもりは決してなかったので、ごめんなさい。というわけで、繰り返すようですが、実に優しい奴なのであります。

 その証拠に、彼は大学中退後、五反田駅近くの立派なマンションに住んでいたことがあります。もろちん自分で家賃を支払っていたわけではありません。遊びに行った時に、どうやって仲良くなったか知りませんが、バーのホステスさんと同棲していると聞きました。亡くなった萩原健一=ショーケンに似ていると噂されたイケメンというだけでなく、夜の仕事をしている女性を惹きつける魅力があったんでしょうね。ボクもキャバレーでバイトしていたので分かるのですが、彼女たち自身が生活力を備えているので、男の選び方が普通の女性とは違うのです。顔でも収入でも仕事でも将来性ですらなく、とにかく性格の良い奴が選ばれる。いくら嘘つきで浮気者でも、素直な可愛さを備えている男が好きと言い換えても、それほど違わないんじゃないかな。

 彼女と別れて結婚するというので、披露宴に出席しましたが、1年もたたないうちに離婚。それから何をしていたのか、よく分かりません。某歌手の中国ツアーに同行して北京に行ったこともあると話していたので、照明の仕事は続けていたようです。

「大きなライトに色つきのセロハンを貼り付けた円盤を回して、ステージの歌手なんかにスポットをあてるんだよな?」
「バカヤロー。いつの時代の話だよ。いま時は浅草だってそんなチープなことはやってないぞ。コンピュータにプログラムして、様々なライトを歌に合わせてコントロールするんだよ」

 照明というから旅回りの劇団みたいなことをイメージしたのですが、要するにライティングのエンジニアなわけです。今でも元気でやっているのでしょうか。たまには連絡をくれよ。

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2019年6月 6日 (木)

K君のこと(中)

 

 昨日のブログで紹介したK君は、ボクにとって数少ない親友に位置付けられるとはいっても、継続的に過ごした時間はあまり多くありません。むしろ普通より少ないといっていいでしょう。ボクは水泳部で彼はサッカーと、互いに部活をやっていたので、放課後はいつもつるむなんていうこともなかったなぁ。だから珍しく彼の家に行った時のことはよく覚えています。

 名古屋の中心部、お城の近くにある低層の公営集合住宅で、室内にはスタンドピアノがありました。彼に教えられてオフホワイトの鍵盤に指を置き、ビートルズ『レット・イット・ビー』のイントロコードを弾いたのがボクのピアノ初体験です。

 彼はボクと同じ一人っ子と思い込んでいたのですが、意外にも可愛い妹がまとわりついてきたので驚きました。性格や態度はまるで長男らしくなかったんですけどね。

 父親の異動に伴って転居し、中学も転校した初めの頃に「遊びに来い」と誘われて訪問したものの、それからは音信不通。ところが、お互いに勉強は怠け者で成績が同レベルだったのか、某県立高校の入学時に同じクラスになりました。奇遇というほかないのに、「あれ、お前も?」と呼びかける程度。引っ越しが多くて地域に執着を持たない根無し草同士ですから、再会にも感動が薄いのであります。

 けれども、2年になる前に再び父親が異動。今度は名古屋からはるかに離れた九州です。高校通学のために彼だけ残る選択もあったようですが、結局は転校して、またまたご無沙汰となりました。小中ならまだしも、高校段階での新しい環境であり、しかも文化風土が相当に違うところですから、さすがに馴染むのに手間取ったようです。2年の夏休みにコンサートで名古屋に来るというので、それが終わった夜に会いましたが、半年も経っていないのに気配というか雰囲気が違う。何かの話のついでに彼の掌を見ると、親指の付け根から手首に欠けて長い傷跡があるではありませんか。

「朝鮮学校の生徒とバス停で口論になり、向こうがナイフを出してきた」
「それでお前はどうしたんだ」
「脅しのつもりだろうと思ったから、こっちからナイフを握ってやった」

 えーと、つまり、こういう奴なんです。相手のほうがびっくりしたんじゃないかな。出したナイフをいきなり彼がつかみ、血がダラダラですもんね。バカなんじゃないかと思うでしょうが、男にはどうしても退けない時があるのです。転校生はそうした試練を乗り越えなければいけない。でなければコミュニティは存在を侮って、過酷なイジメにはしることもあるのです。

 かといって、意地を張って傷つけ合いたくはない。警察の厄介になれば将来にも影響しますから。そんな計算ができる男なら、そもそも他校の連中とケンカなんかしないはずですが、怯んで後ろに下がるのは沽券=プライドにかかわる。そんなこんなの考えと感情が頭の中で嵐のように渦巻くうちに、咄嗟にナイフをつかんでしまったのではないでしょうか。他人を傷つけるよりも自分が、なんていう崇高な精神ではないとしても、実は優しい奴だったのです。

 そんな大変な経験をした彼を励まそうと思っても、高校2年生が夜にやれることは限られています。夜行のブルートレインで九州に帰るという彼に会ったのは名古屋駅。泊まることもできると言うので近辺の宿泊場所を探したのですが、今のようにスマホでサクサクっと検索という時代ではありません。若い男が2人揃ってフラリと「空いている部屋ありますか?」ですから、そっちのほうに見られた可能性も高いんじゃないかな。

 それに気づいて宿泊はすぐに諦めましたが、夜行が出発するまでの時間をどうしたと思いますか。もう何十年も前のことなので告白しますけど、まだ整備されていなかった頃の駅裏にあったスナックに入ったのです。暖色系の明かりを灯した安っぽい店が猥雑に立ち並ぶ一角でした。ボクも彼も一応は進学校に通う真面目な高校生でしたから、よくまぁそんなことができたもんだと今は思いますが、当時は怖い物知らずだったんですよね。それでウィスキーの水割りを一杯だけ。店の人は高校生と分かっていたのでしょうか。

 濃紺のペンキで塗装された夜行列車に乗り込む時に、彼は振り返って「いろいろありがとう。じゃあな」と簡単な一言。こちらも、負けずに頑張れよなと心で声援しながらも「おう」と手を挙げて応じるだけ。テレビドラマや小説じゃあるまいし、現実はそんなものですよね。

 けれどもボクは、ようやく親友と呼べる奴を得たような気がしたのです。

 いうわけで、またまた長くなったので、明日に続きます。

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2019年6月 5日 (水)

K君のこと(前)

 

  本日は朝から取材が入っているので詳しく書けませんが、K君のことが気になるようになりました。記憶が曖昧なのですが、最後に会ってからもう20年以上は経つんじゃないかな。

 K君と初めて出会ったのは中学の頃です。中坊のくせに、当時最新のロックやコンテンポラリーなカントリー&ウェスタン(というのかな)を聴いている奴でした。何しろ、レッドツェッペリン、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング、それにCCRですからね。あの頃の名古屋では相当に早熟だったんじゃないかな。ボクは20歳前後になって、ようやく彼らがどんな音楽をやっていたかを知ったくらいです。エリッククラプトンが高名なギタリストであることを知ったのは20代の終わり頃だもんね。

 親が国家公務員で転勤が多く、そのたびに学校に馴染むのに苦労してきたというところが、いま思えば共通していたような気がします。お互いに根無し草ってことです。「また、どこかに行かなきゃいけないかも」というのが彼の口癖で、実際に中学の頃に本当に引っ越すことになったのです。とはいっても同じ市内だったので、途切れぎみでも交流は続きました。ボクよりずっとハンサムな奴で、しかもサッカー部ですから、女の子たちがよく噂をしていたなぁ。

 けれども本人は、理由はさっぱり分かりませんが、どこか投げやりな性格で、女の子にも興味はなかったようです。こだわるということがまるでなく、始めたことをいつ放り出すか分からないという不安を感じさせる奴でした。この性格は後々まで続いたようなので、「三つ子の魂百まで」というのは科学的な事実かもしれません。

 社会に出てからもしばらくは付き合ってきたのですが、次第に疎遠になって10年くらいした頃に、JR恵比寿駅のホームで彼を見つけたのです。そりゃもうびっくりしました。こんな偶然があるんですよね。運命的な邂逅なら女性のほうが良かったのに、よりによってこいつかよ。

 それでも久しぶりで嬉しくはあったのですが、そもそも駅にいるくらいですから、お互いにヒマではなく、慌ただしい挨拶だけで終わってしまいました。確か白金に住んでいると聞いたような気がしますが、今はどうなんだろう。コンサートなどの照明の仕事をしていると聞いたんだけどな。

 そんな交流の思い出がタイムラインを無視して甦ってきました。彼の結婚式にも出席したので、決して疎遠でもなかったのですが、どうにも親友としての深さはなかったような気がします。これもまた、前述したようにお互いが根無し草、アウトサイダーという意識を持っていたからかもしれません。おっと、もう出かけなきゃいけないので、続きは明日ということで。

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2019年6月 4日 (火)

そろそろかなぁ

 

 犬の福助がめっきりエサを食べなくなりました。何を出しても、鼻で匂いを嗅いでから、そっぽを向いてしまう。しかも、寝ている時間がやたらに長くなりました。目が覚めると水を飲み、ヨタヨタとトイレまで歩いていき、再び寝床に戻って横たわる毎日です。

 以前に2回ほどてんかんのような発作を起こし、足を宙で激しく動かしていたこともあります。動物病院で薬を出してもらったせいか、今は落ち着いていますが、朝から何も食べないというのはちょっと心配です。チーズのような柔らかいものや、小さく砕いたものしか食べなくなったので、おそらく歯が弱ってきたんじゃないかな。

 ボクの行きつけ、じゃなかった、かかりつけというのか、歯医者さんが「動物は歯がダメになる時が死ぬ時」と話していました。あちこちに動物病院はあっても、ペットの歯科医というのは聞いたことがなく、ブリッジなんかで義歯を入れるケースなんてほとんどないに等しいんじゃないかな。ごく一部の大金持ちはやらせているのかも知りませんけど。

Fuku2019spring

 いずれにしても、17歳なので、いつお呼びが来てもおかしくない年齢です。事務所に来た時はやんちゃで元気一杯の子犬だったんだけどなぁ。思い出すことはいろいろあるけど、それは後のこととして、そろそろ覚悟だけはしといたほうがいいと自分に言い聞かせている次第です。

 

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2019年6月 3日 (月)

ここではないどこか

 

 ボクがアウトサイダー感覚を抜きがたく持っていることは、いつか書いたような気がします。どこにも着地することができず、根無し草のようにふわふわとしている。東京・恵比寿に住んで30年近くなりますが、第2の故郷なんてとてもじゃないけど思えません。第1の故郷である名古屋にしても大した思い入れはなく、親族も知り合いもいないに等しいので、そもそも地域への愛着の持ち方自体を知らないのかもしれせん。

 なのに、なぜ恵比寿に住み続けてきたというと、積極的な理由はどこを探しても見当たらないのです。渋谷の隣で、JRも地下鉄も利用できるという利便性だけといってもいい。その向こうの原宿は賑やか過ぎるし、逆方向の目黒は道路が大きくてクルマの往来がうるさい。そんな逆算をしていくと、恵比寿しかなかったんですよね。

 近年は住みたい街ランキングでずっと上位に入っているらしいですけど、いったい何が魅力でそう思われているのか、よく分からないんだよな。中目黒のほうがよほど楽しそうなんですけど。今さら引っ越しするのも面倒なので、ここにいるだけです。中目黒の足は地下鉄だけだしね。

 地域に利便性以外のことを強くは求めない、ってこともあるでしょうね。静かなほうがそりゃいいけど。それもこれも、どうやら子供の頃からのアウトサイダー的な意識が、地域コミュニティに馴染ませないということも大きいかもしれません。これでは田舎暮らしもダメだろうなぁ。

 それでも、いや、だからこそ、なのか、ここではないどこかに行きたい希求もまだ残っています。地球上のどこにもユートピアはなく、どんな国にも悪い奴と良い奴が似たような比率で存在していることをイヤというほど知っているので、虹の向こうに素晴らしい場所なんてあるはずがない。

 あ、そうか。ここまで書いてきてやっと分かりました。いつか必ず、死という乗り物が、ここではないどこかに連れて行ってくれるんですよね。ロマンチックに語られることが多い言葉ですが、もともとの意味は死の暗喩だったのではないかと、ようやく気づいたのであります。

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笠木恵司のブログ

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