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福助くん その6

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    福助くん、9歳の秋です。 ちょっと長めの散歩をして、世田谷公園へ。 紅葉と福助をご覧くださいまし。

福助くん その5

  • 赤いサルビア♪
    2010年秋の福助くん。とある週末に埼玉県所沢市にある航空公園に行ってきました!

福助くん その4

  • 1 毎年恒例の・・・
    今さらですが、今年の花見の福助くん。ご近所の目黒川に行ってきました。

福助くん その3

  • 1 田舎に行ってきました!
    飼い主の田舎に行ってきた福助。うららかな春を迎えた大自然のなかで、いつもと違った表情に。

福助くん その2

  • 定位置
    平日は会社にいる福助。こんな感じの毎日です。

福助くん その1

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    笠木の飼い犬。甘えん坊でちゃっかり屋の8歳。雄。

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2019年8月

2019年8月30日 (金)

人柄を磨く

 

 どうせこれからは人工知能=AIがどんどん幅を効かせてくるのですから、人間のほうは学歴や能力なんかより、人柄が重視されるようになるんじゃないかな。

 では、どんな人柄かといえば、若い頃は何といっても「誰からも好かれる」ってことです。飲み会しようぜ、と一言かければ、秒速で1ダースくらいの男女が賛同するとかね。仕事で少しくらい失敗しても、上司から「それも経験!」と肩を軽く叩かれてすぐに許される。そいつの動静が常に注目される、愛すべきムードメーカーという感じかな。

 ある程度の年齢になり、役職者になったら、今度は部下から「慕われる」あるいは「尊敬される」ことが条件になってきます。怖がられて距離を置かれる「畏敬」ではなく、OLの皆さんがデスクの周りにワラワラと寄ってくる誘蛾灯のような存在かな。バレンタインデーにはチョコが山積みで、そのうち4分の1は義理でなく本気だったりして。

 いずれもボク自身とは遠くかけ離れた存在ですから、羨ましさと妬みもあって実態をうまく想像できません。要するに「人気のある人」でしょうね。ここは強調しておきたいのですが、学力や能力とはもちろん何の関係もありません。だから、一生懸命に東大を目指して勉強したことなんかまるで役に立たず、むしろ嫌われる要素にすらなってきます。明らかな高学歴や役職者は、給湯室では評価が逆転して「イヤな奴」扱いされやすいのです。「学歴をひけらかすバカ係長」とか「パワハラ大好きなクソ課長」くらいのことは言われていると覚悟したほうがいい。
 けれども、前述した「人気のある人」が話題にされる時は、ピンク色のハートマークがふわふわと浮かんでいるわけです。

 そうした人柄がどのように形成されるかなんて、嫌われ者のボクなんかに分かるはずないじゃないですか。しかしながら、会社は仲良しクラブじゃないといったところで、人の好き嫌いはどことでも必ずつきまとい、それが仕事のパフォーマンスにも影響してくるのは事実でしょう。だからといって、MBAを取得できる経営大学院に通っても、人に好かれる方法なんて教えてくれません。関係するのは、せいぜいHRM=人的資源管理の科目くらいですよね。

 にもかかわらず、原因不明だけどやたらに人に好かれる人は確かに存在します。何が面白いのかよく分からない芸人がやたらに女子の人気を集めているのと似ているんだよな。じゃ「笑える奴」がいいのかというと、1つの要素に過ぎません。ジャニーズ系のイケメンにしても、あくまで1つの要素であって、過度に距離を詰めすぎると、たちまち嫌われるので注意が必要です。好かれる理由は、嫌われる理由よりもはるかに複合的で流動的なんですよね。

 だぁからさぁ、AI時代の勉強は昔とは違った方向を目指すべきなのであります。とにかく人に好かれる・愛される、世代を超えた多数の人気を集める。これこそが、学ぶべき目標なのです。知識や情報なんてネットやSNSですぐに分かるじゃないですか。これからは学校歴なんかより、好かれる人柄が就活でも問われるようになると思うぞ。不愉快極まりないけど。

 そうした人柄磨きスクールがいずれ必ず流行すると、ここに予言しておきます。ボクも『これからは能力よりも人柄だ!』『人気さえあれば出世する!』または『人に好かれる10の習慣』なんて本を書いたらベストセラーになりそうだなぁ。興味のある出版社の方は連絡ください。嫌われ者のほうが、人気者を客観的に分析できるんじゃないかな。

 

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2019年8月29日 (木)

頑固

 

 頑固、って英語で何と言うか分かりますか。
  不勉強ながら、普通の学校の英語教育で習う単語ではないんじゃないかな。

 昔むかしの大昔にノアって名前の男がいて、突然に大きな箱船を作り始めたというのが、ボクの記憶にある最初の英語のテキストですが、彼が頑固だったという描写はなかったように思います。みんなにバカにされながらも、せっせと巨大な木造船をこしらえたのですから、他人の言うことなんか素直に聞かない人だったと思いますけどね。神様の言うことだけに従ったので、信心深い頑固者ってことでしょうか。

 こういう人を、信心抜きの英語でStubbornと言います。大学の視察で行ったイギリスのウェールズで教えられた英単語ということだけは覚えていますが、どういう理由で誰に聞いたかはとっくに霧の彼方であります。でも、発音が「スタブン」と英語っぽくないので、一度聞いたら忘れられません。現地で試しに使ってみたことがありますが、誰もヘンな顔をしなかったので、特別な表現ではないようです。

 そういえば、イギリス人も何となくルールや礼儀にこだわる頑固一徹な雰囲気のジーサンが多いような気がしますよね。

 頑固といえば、態度や考え方を絶対に改めないという悪い意味で使われるのが普通ですが、ひっくり返せば強い信念を持った人ということでもあります。先のイギリス人にしても、ジェームズ・ワットは何と20年もの歳月をかけて蒸気機関を完成しました。おかげで産業革命が大発展し、ボクたちは内燃機関を利用して高速移動できるようになったのです。学究的には粘り強く研究を貫く人と言えるでしょうが、他人や家族から見たらものすごい頑固者だったかもしれません。他人の言うことをホイホイ聞くような人であれば、20年も蒸気にこだわることはなかったはずです。

 このようにスタブンという英単語ひとつでも、なかなかの深みがあると思わざるを得ません。取り急いで英単語を3つ4つ覚えるより、1つの言葉を多角的に理解したほうが記憶に残るんじゃないかなぁ。

 大学入試における英語は、センター試験で2006年からリスニングを採用。2021年1月から実施予定の大学入学共通テストでは、外部の英語検定を利用した4技能試験が加わることになっています。明治維新以来の「英文を読んで理解する」ことを中心とした英語教育が、ここにきて大きく変わってきたのですが、それをまた画一的な横並びにすることに疑問を感じます。英語4技能試験の導入を強硬に反対する人たちもいますが、ボクはちょっと理由が違うんだよな。

 同じ英語でも、機械的にどんどん学習できる生徒もいれば、英単語をしっかり理解できないと前に進めないという生徒だっているはずです。にもかかわらず「今度からは聞く・話す・書くも、きっちり試験で判定されますからね」とみんなを急かすような横並びの教育にしてしまったら、いよいよ英語嫌いを増やすことになるんじゃないかな。

 子供の成長速度がそれぞれ違うように、学習だって子供の個性や科目によって進捗が異なっても当然ではありませんか。それをペーパーテストで同時期に一斉評価すること自体がおかしいと言いたいんだよな。

 大学の出口である就活も含めて、何かにつけて「同時期一斉一括横並び」を通すことが、日本における最も頑固な側面であると断じたいのであります。こんな制度があるからこそ「落ちこぼれ」という概念が生まれるわけでね。そうした「落ちこぼれ」がこれから世界を変えていくかも知れないと考えれば、ボクは大学入試自体をやめてもいいんじゃないかとすら思っています。どうせ少子化なのですから、入学したい子供はみんな入れてあげればいい。でもって不勉強ならどんどん落第させる。18歳時点での学力が一生永続することを実証した研究がどこにあるんだろうか。

 そんなわけでね、多様性重視と言っている割に制度はちっとも多様化していません。こういう頑固さをスタブンと言うのであるよなと、ボクは憎むのであります。

 

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2019年8月28日 (水)

気楽になれない

 

 人間の形質がDNAによって遺伝することは医学的な事実ですが、気質も含まれているのでしょうか。

 というのも、シニアと呼ばれる年齢になったら「のんびり」とか「気楽」に物事を捉えようとしていたのですが、なかなかそうはなりません。むしろ「あくせく」とか「神経質」のほうが若い頃より先立つようになり、ちっとも安楽な気分になれないんですよね。心の中では「リラックス、リラックス」と掛け声をかけるのですが、むしろ心配のタネを探し回るほど尖った感覚なんですよね。

 オフクロもボクと良く似た神経質な人ではあったけど(順序が逆ですな)、すっぽ抜けている部分も結構あったと思います。ボクの子育てもそうだったのかな。溢れてこぼれるほどの愛情は感じましたけどね。

 そういえば、日本のお母さんはどうしてあんなに、のべつ子供を叱り付けているのでしょうか。それで子供が静かになるかといえば真逆で、ますます泣き叫ぶことになります。それを聞いてお母さんも癇癪を起こすという悪循環ですもんね。挙げ句の果ては「あんたなんかもう知らない!」と逆ギレするのが常套句。傍から見ているだけで恐縮ですが、どこかで間違えているとしか思えません。年齢にもよりますが、やみくもに怒るより、さとすことが大事じゃないかな。そのためには余裕が必要になるので、やはりパパがママをしっかりと支えてあげないとダメなんでしょうね。

 話が思い切り脱線しましたが、気質は環境も要因となって形成されるはずです。たとえば責任ある立場になってもお気楽を続けられる人は稀有です。それこそ遺伝としか思えません。たいていの人は手形などの決済時期が気になるようになり、預金通帳や試算表の数字が夢の中を駆け巡ったりするようになります。人の上に立つ、なんて差別的な表現がありますが、人の下にいるほうが絶対的に心労は少ないはずです。それでも誰かがやらなきゃいけないからやるだけでね。

 若い頃からそんな立場になったら、両親がのほほんでも、子供はきっとボクのように神経質になるだろうなぁ。その理由をつらつら考えていくと、すべてを我が身で受け止めようとするからに違いないと、最近になってようやく気づきました。

 要するに、自分ですべての責任をかぶろうとするから精神がどんどん疲労していくわけでね。だったら、その責任を誰かに押しつければいいのです。エリート街道を邁進してきた官僚の皆さんはさすがにアタマが良くて、こんなことはとっくに分かっていたらしい。だから合議制にこだわり、部署の異動も激しいのです。捺されたハンコの数だけ責任は分散され、ヤバそうな立場や役職は長く続けない。グルグルと部署を回ることで、責任を水平分散(こんな言葉あったかな?)する。これを俗に「たらい回し」と称します。ボクは「流しソーメン」のほうが適切じゃないかと思いますけどね。

 うーむ、実にみごとなシステムだと感心せざるを得ません。血液製剤によるHIV感染で問題になった行政の不作為も、福島の原発事故も、そのシステムの中にきっちり埋没させることができます。ボクも真似したいけど、何しろ組織の規模がまるきり違いますからね。結局は何もかも自分で引き受けなきゃいけない。これで気楽になれるはずがないじゃないですか。

 何が言いたいのか分からなくなってきましたが、「男はつらいよ」は決してフーテンの寅さんのことではなく、隣の印刷所を経営しているタコ社長ですよ。なのに寅さんは彼をいつも笑いものにする。だからボクはあの映画が嫌いなんだよな。

 たまにはグダグダと愚痴を書いてみたいと思ったので、やってみましたが、やっぱダメだな。文章は明快で前向きな結論がないとカタルシスが得られません。そもそもボクの中身なんて、気取りと怒りがなければ、こんな程度のものですからね。

 

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2019年8月27日 (火)

人権侵害

 

 いささか固いテーマで恐縮ですが、日本では「人権」をどう教えているのでしょうか。

 少なくともボクの学校体験では、人権に関して体系的な学習をした記憶がありません。それよりもコミュニティや社会に迷惑をかけないとか、みんなと一緒にまとまるとか団結するとか、むしろ人権に反するような軍隊的規律ばかり押しつけられてきたんじゃないかな。個性や多様性をどんどん排除して、行政が支配しやすい均質でおとなしく反抗心のない国民性を養成していたとしか思えないんですけどね。

 だから集団就職で故郷を捨てることが奨励されると、先生たちは疑うことなく教え子を工業地帯や大都市を中心とする労働に狩り出しました。大戦中は旗を振って戦地に送り出していたのですから、殺されないだけマシとしても、やっていることに大きな違いがあるとは思えません。やがてそれが地方の衰退や過疎化を生み出したなんていう反省や後悔もきっとないだろうなぁ。もちろん政策の責任もあるけど、誰も戦中戦後の教員の責任を問わないのはなぜでしょうか。

 心ならずも政治体制に唯々諾々と従ってきたというなら、自ら人権を捨てたのと同じであり、そんな教員が人権を教えられるはずがないですよね。現在はさすがに減少したようですが、卒業式に「仰げば尊とし我が師の恩」を強制的に歌わせるなんて、自画自賛もいいところだと思いませんか。我が身を恥じる感覚がないところに倫理や道徳が根付くはずもなく、まさに人権はその中に存在します。学校でイジメがちっとも撲滅されないのは、そうした構造的な理由があるからでしょう。だからさ、このブログで何度も指摘してきたように、イジメも子供の自殺も教員自身が原因であることに少しは気づけよ。どちらも人権侵害の極みなんだからさ。

 社会人にしても、人権意識が乏しいと、こんな事件も起きるわけですな。
就職情報サイト「リクナビ」が内定辞退率予測を学生の同意を得ないで勝手に販売していたとして、政府の個人情報保護委員会は8月26日にリクルートキャリアに是正を求める勧告を出しました。「内定辞退率予測」とは、学生による会社サイトの閲覧履歴を人工知能が分析した結果であり、内定に対する辞退率を5段階で予測したものといわれます。採用選考の段階で「こいつは内定辞退率が高いなぁ。だったら仕方ないので次の奴に内定を回そう」なんてことは絶対にあり得るじゃないですか。リクルートキャリアの小林大三社長は「合否の判定には使わない契約だった」(日本経済新聞2019年8月27日朝刊)と釈明していますが、だったら企業がそんなデータを購入するかな。

 前述した個人情報保護委員会の松本秀一参事官は「就職活動に関わる情報は学生の人生を左右し得るため取り扱う企業の責任は重い。同社は権利保護の認識が甘かった」と語っています(前出・日本経済新聞)。「権利保護」の対象とは、すなわち学生の人権ということですよね。つまり、リクルートキャリアは学生の人権をカネと交換に踏みにじっていたことになりませんか。

 どうやら同社は企業における「採用生産性」を向上させたかったようですが、この言葉も学生の人権に配慮しない冷淡さが感じられます。だから今後も、こうした人権侵害事件は情報業界で頻発するとしか思えません。前述したように、そもそも人権に関するきちんとした教育を受けていたら、誰かが諫めたり反対すべきことを、「生産性」の掛け声のもとで堂々と押し通してきたからです。フェイスブックの情報漏洩も根っ子はまったく同じですよね。
 法律遵守以前の意識として、「個人情報は人権のカタマリなのです」ってことを教える上司や先輩が果たしてどれだけいるやら。このように解説しているだけで頭痛がするのでもうやめますが、高大接続改革も結構だけど、もっと根本的な教育改革をする気はないのかな、この国は。

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2019年8月26日 (月)

歌って踊ろう!

 昨日は日比谷で『ダンスウィズミー』を観てきました。

 大感動の傑作映画『スウィングガールズ』(2004年公開)の矢口史靖監督によるミュージカルコメディなので、行きたいなぁと思いつつも、後でDVDを借りても十分かなと、ためらっていたんですよね。というのも、日本で本格的なミュージカル映画を作るのは相当に困難だからです。昔とはかなり変わってきたとはいえ、国内の舞踊人口は欧米に比べて極端に少なく、しかも体形的な問題が伴います。腕と足が長いだけでなく、スネのあたりがまっすぐな人が少ないので、欧米型のダンスをやらせると見映えが良くないんですよね。しかも歌が上手な人ともなれば、キャスティングの段階で企画がボツになりかねないほど合格者が少ないはずです。ブロードウェイやウェストエンドでは5歳の頃からバレエを踊っていたなんて人が珍しくないですけどね。

 かといって、米倉涼子のように知名度の高い人を今さら起用しても面白くないですよね。そもそもボクは彼女にあまり魅力を感じません。セルロイド製の人形みたいに、情緒をまるで感じさせないのはどうしてでしょうか。
 とにかく、新しい映画なら新しくキラキラ輝くスターが出てこなければ新鮮味がありません。そんなわけで、あまりにも期待し過ぎて失望するのがイヤだったんですよね。

 ただ、こうしたミュージカル映画(と戦争映画)は、劇場の大画面で大きな音響で観なければ迫力が感じられない。自称ミュージカル評論家としては、やはり映画館に足を運ぶべきだろうと、ようやく昨日になって決心したのです。

 その感想ですが、冒頭の2つのシーンは絶品で、日本の映画でもここまでやれるんだと感動しました。主演の三吉彩花という女優さんをボクは知りませんでしたが、身長もそこそこ高く、手も足も長くて、スネも真っ直ぐと、前述した条件に合致します。まだ歌は上手とはいえず、ダンスもキレに欠ける部分はありますが、そんなことよりアーモンド型の大きな眼に不思議な力がある女優さんなんですよね。

 そんな彼女がオフィスと高級レストランで歌って踊って「暴れ回る」シーンが実によくできているのです。群舞も大きな動きでみごとにアンサンブルしており、ボクが期待するミュージカルに仕上がっておりました。あれだけの人数が彼女のダンスに合わせて踊るのは大変だと思いますよ。リハーサルだけで何日もかかったのではないでしょうか。

 しかしながら、この2つのシーンで疲れ果ててしまったのか、それからの展開がいささかダレ気味。ロードムービー的な展開は結構ですが、無駄な描写が多く、笑わせる場面もタイミングがズレているように感じました。これを切り詰めてもう2〜3曲、群舞を含めて背後の抜け感が高いダンスシーンがあってもいいと思うけどな。それに画面がチープなことも否めません。映画はリアルではなく夢の世界ですから、大都会と対比する地方の場面とはいっても、もうちょっとリッチに作り込んで欲しい。いくら何でも現実そのまんまの借景では、安っぽく感じられるだけでなく、綺麗ではありません。せっかく往年のミュージカルスターである宝田明を起用したんだから、いくら落ちぶれた役とはいえ、もっと彩度が明快なシーンにできたんじゃないかな。

 とか何とか文句はいろいろ言えるけど、ボクはミュージカルコメディの大ファンなので、それを支援する加点を込めて、まぁまぁ良く出来た映画としてオススメいたします。何だか奥歯にモノがはさまったようですけど、前述した日本の舞踊環境を考えると、頑張ったほうだと思います。

 この映画を観て、オレもワタシも歌って踊りたいという人が沢山出てくるといいのになぁ。踊りや構成にしても、何も『ラ・ラ・ランド』(2016年公開)みたいな欧米型のミュージカルを追いかけなくてもいいじゃないですか。次回は「オペレッタ喜劇」といわれる『狸御殿』を真似た和製スタイルにチャレンジしてみたらどうだろう。そんな映画にも三吉彩花は似合うと思うけどなぁ。いずれ大女優に成長していく可能性を感じさせる新人です。

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2019年8月23日 (金)

ドラム型洗濯乾燥機

 

 洗濯が趣味というわけではありませんが、ドラム型洗濯乾燥機が欲しいなぁと思い始めて7年ほどになるでしょうか。

 現在は縦型洗濯機の上部に乾燥機を取り付けており、洗い終わったら上の機械に放り込むだけのことですが、そのてっぺんがボクの身長よりも高くて、圧迫感があるんですよね。ドラム型洗濯乾燥機に替えれば、いちいち洗い物を入れ直す必要がなくなり、全体の高さもボクの腰あたりに下がるので、上空に開放感も生まれます。

 ところが、なかなかドラム型洗濯乾燥機が安くならないのです。10万円を切ったら購入しようと待ち構えていたにもかかわらず、ちっともそこまで下がってきません。むしろ機能や性能がアップして、値上がりすらしているから悔しいではありませんか。縦型でグルグルと回転するタイプなら安いのがあるんですよ。けれども、これでは乾燥しにくい。ドラム型であれば、衣服などが上から落下する格好になり、その隙間から熱風が入り込むため、早く均質に乾くのであります。

 1人暮らしなので、せいぜい1週間に一度くらいしか洗濯機を利用しないという事情もためらわせる理由です。仮に15万円で購入して週1回平均で動かすとすれば、1年間52週で1回あたり2884円。5年経ってようやく577円程度になります。コンランドリーの相場は500円なので、6年程度使い続けてようやくトントン日野の2トン。それ以上使うならトクってことになるでしょうが、電気代もかかりますからね。そんなこと以前に、1回の洗濯量が圧倒的に少ない。今は「時短」を覚えたので汗汚れだけでもさっさと洗濯に回していますが、キロあたりの量で計算すれば10年使い続けてもコスパは合わないんじゃないかなぁ。

 そんなことを考えつめていくと、そもそも世帯あたり1台の洗濯機が果たして必要なのかという疑問が沸いてきます。コインランドリーを利用すればいいのでしょうが、残念ながらボクの住まいの近隣にそんなものはありません。確か銭湯につきものの設備だったと記憶しますが、もはや銭湯なんて遺物に近いですからね。

 ところが、ニューヨーク・マンハッタンの歴史的なマンション=共同住宅では、地下にランドリールームがあって、ドラム型洗濯乾燥機がズラリと揃っているのであります。少なくともテレビドラマではそのように描かれていました。黒服を着た管理人が常駐している高級マンションですぜ。さすがはアメリカ、合理的なのであります。大都会の華やかな夜景が窓外に見られる高級マンションにドラム型洗濯乾燥機なんて、邪魔で不粋で、雰囲気ぶち壊しではありませんか。シャンパンに似合わないですよね。

 日本もこれを真似ればいいのに、なかなかそうはなりません。もちろん下着泥棒の怖れもあるだろうけど、住人共用のカギを取り付け、監視カメラを取り付けるだけで済むじゃないですか。などとあれこれと考えるたびに、ドラム型洗濯乾燥機はどんどん遠のいていくのであります。

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2019年8月22日 (木)

イライラする理由

 

 昔はクルマやバイクに乗っていたので、ボクもイライラさせられることが結構ありました。高速道路の追い越し車線を軽自動車が我が物顔でノロノロ走っていたり、ロクに後方確認しないで前を塞ぐように発車されると、誰だって「コノヤロー!」と思いますよね。

 だからといって、あの容疑者のようにあおり運転なんかやったことがありません。自分も危ないですから。ましてや1000万円もするポルシェ・カイエンに乗っていたら、そりゃもう「カネ持ちケンカせず」を決め込むだろうなぁ。フェラーリであおり運転する人っているんでしょうか。もし事故が起きれば、自車の被害のほうが圧倒的に大きい。いくら保険が利用できるとはいっても、美しい流線型のボディが無惨に傷つくのを見たいとは思わないはずです。普通の人はね。

 にもかかわらず、あの容疑者は各地で無差別にあおるだけでなく、うどん屋でもイチャモンを付けていました。マンションをまるごと保有する資産家なのに、こうした反社会的な行動をするのはなかなか理解しにくいですよね。

 ひとつの仮説としては、「自己同一性障害」に似た心理があるのかもしれません。英語で「ミッドライフ・クライシス」という言葉があるように、特に中高年で自分を見失うケースが少なくないようです。ボクは精神科医ではないので鵜呑みにされたら困りますが、イライラやトゲトゲする気分は分からなくもありません。ごく簡単にいえば、自分が「こうあるべき」と思っていることに裏切られることが原因ではないかなぁ。このように運転すべきなのに、あのクルマはそうしない。それでイラッとなるわけです。

 真面目な人ほど「こうあるべき」の数は多くて、当然ながらそうではないことがどんどん増えていきます。若い頃はカネも権力も経験もないので、不満の発露を遠慮していますが、社会の第一線で働く中高年ともなると、案外ワガママを言えたりする。このため、イライラが突如として爆発するようになるわけです。

 しかしながら、いくら文句を言おうがケンカしようが、現実は変わりません。それが分かると、逆に自分がおかしいのかと省察するようになります。その結果として、自己同一障害あるいはミッドライフ・クライシスという状態になっていく。身体の重量感がなくなり、ふわふわと尻が浮いているような不安定な感覚といえば分かるでしょうか。

 この不安感の中で自分をどこかに定着させるためには、現実と折り合いをつけるしかない。そのために、あの容疑者はあおり運転やクレームなどを続けたんじゃないかなぁ。つまり、摩擦や紛争を起こすことで現実と自分の境界を再認識しようとしたとも考えられます。だったら深夜の歌舞伎町で反社会勢力にケンカを売るのが一番早道なんだけどね。

 こんな面倒くさいことを考えてあおり運転をしたはずもないでしょうが、中高年になって自己実現の可能性が乏しくなっていくのに比例して、イライラやトゲトゲは日常的になってきます。それを避けるための理屈をいくら捏ねても無駄ですから、ボクがオススメしたいのは身体を疲労させるってことです。

 走るのも結構ですが、年を取ると関節などに負担を与えることもあります。それに比べて歩くことは最も自然な運動ですから、とにかく歩いて歩いて、どこまでも歩き続ける。そのうちにアタマの中がほどよく白くなり、文句なく自己同一化できます。エアコンの効いたオートマの高級外車を何千キロ乗り回したところで、そんな心境にはなれないでしょうね。

 だから、イライラが続くなど精神や心理に問題がありそうだと自覚したら、ひたすら散歩することを心がけましょう。精神は身体から乖離したものではなく、不可分につながった実存なのです。さもなければ、風車を怪物として剣を向けたドン・キホーテになっちまうぜ、と。

 

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2019年8月21日 (水)

SVU

 

「イヤよイヤよもイイのうち」なんていう艶っぽさを感じさせる文言がありますが、こんなものは日本の男社会だけの大きな勘違いで、アメリカでは牢獄にぶち込まれかねない危険な認識であることを教えてくれるテレビドラマがあります。

 ディック・ウルフ製作の“Law Order”からスピンオフした“SVU, Special Victims Unit”。日本では『性犯罪特別捜査班』と訳されています。強姦などの性犯罪から幼児虐待、人身売買などを担当する市警専門チームの活躍を息苦しくなるほどのリアリティで描いたドラマです。卑劣で凄惨な事件が多いにもにもかかわらず、1999年から始まってシーズン21を数える長寿番組になっているのは、これらの犯罪がアメリカでは決して他人事と感じられないからでしょう。

 刑事が犯人を追い詰めていくだけでなく、“Law Order”つまり「法と秩序」というタイトルらしく陪審員が評決を下す法廷場面まで継続。そこで暴力的で悪質な連続強姦なら懲役20年以上、ヘタすれば刑務所から一生出られないほどの厳罰が科されることが示唆されます。幼児性交なら一生にわたって記録が消えないほか、地域にも常に所在が告知されることに。強姦は魂の殺人といわれますが、有罪が確定すれば犯人の人生も一瞬で崩壊することになるわけですね。

 それに比べて、日本では輪姦でも執行猶予がつくほど刑罰は軽く、明らかな証拠があるのに政府高官への忖度から不起訴というケースすらあります。どうして彼我でこれほど違うのだろうと考えますよね。それでようやく、恥ずかしくも遅ればせながらボクが気づいたのは、同意を得ない性行為は人権侵害にほかならないということです。つまり、いかなる性犯罪もすべては人権を毀損する犯罪であり、だからこそ厳罰に処される。このあたりの認識や感覚がアメリカと日本ではまるで違うんですよね。

 そのせいか殺人と同じく時効がないらしく、20年も前のレイプが蒸し返されたりする。この「蒸し返す」というのも、やった方の感覚であって、された方は心に一生忘れられない深い傷を負います。そんなこともしっかりと分からせてくれる、大変に教育効果の高い番組なので、若い人並びに教育関係者に視聴をオススメする次第です。

 

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2019年8月20日 (火)

正直の頭に……

 

 正直の頭に神宿る、という言葉があります。「頭」はアタマでなく、コウベと読みます。

 正直な人には神様のご加護がありますよ、という意味なんですが、ボクの個人的な体験では絶対にそんなことはあり得ません。むしろ、正直の頭に悪魔や不幸がドカドカと降ってくるといったほうが現実に近いんじゃないかな。

 ここでビジネスの実例を出すと差し障りあり過ぎなのでやめますが、たとえば以前から好きだった女性にエイやっと恋心を打ち明けて、「ほかに好きな人がいるので」とあえなく粉砕された男がいるとします。親が資産家ではなく、特にハンサムでも立派な学歴があるわけでもなく、収入も人並みということで、客観的な取り柄が見当たらないからといって、「もうちょっとレベルを下げろよ」とはなかなか言えないですよね。その相手が10万人に1人いるかいないかの美女なら笑い話で済みますが、失礼ながら並以下のケースでは殴られかねません。

 もちろん容貌だけでなく性格や能力まで含めて総合的に評価しなきゃいけないとはいうものの、女性を顔だけで判断する人はまだまだ少なくありません。さもなきゃ整形美容やエステがこれだけ隆盛するはずがない。ちなみに美女とブサイクでは、生涯収入で3倍もの差があるそうです。すいません、そんなデータはどこにもないのでボクのウソですけど、現実的にはそれ以上の格差があっても不思議ではないですよね。高給取りの野球選手の奥さんを見てくださいよ。

 ここまでは冗談半分としても、ビジネスの現場では正直なことがもっと言いにくい。蛮勇をふるって真実を指摘したところで状況が変わるわけでもなく、逆に上司などの覚えが悪くなり、ヘタすれば左遷や降格だってあり得ます。福島の原発事故は、そうした遠慮というか忖度が積み重なって重要なことを置いてきぼりにしてきた結果ではないかとボクは考えています。

 大地震の歴史的なデータがあり、原発は湾岸に立地しているんだから、大津波を受けることは十分にあり得る。だったら冷却用の電源を髙台に隔離しておくなどの措置をするのが管理者の予防義務です。にもかかわらず、大津波を「想定外」として、東電の経営陣は裁判で無罪を主張。9月半ばに判決が出るようですが、重罪は期待できないでしょう。だってさ、彼らが有罪となったら、その下の茶坊主の皆さんの責任も問われなきゃおかしくなり、いずれは組織犯罪ということになるからです。

 かくて「想定外だったから仕方ないよね」というのが、相応の落としどころになるはずです。こんな理不尽な社会で正直を貫こうとすると、大変な抵抗を受けることになります。ボクも経験したことがありますが、ほぼロクなことにはなりません。英語でもDo The Right Thingという言葉があるくらいですから、古今東西を問わず正直でないほうが圧倒的な多数派のようです。

 ボクたちは、その狭間で心ならずもウソをつき、時にはヨイショを語る。会社の中だけなら「宮仕えは辛いよね」で済むけど、先の原発事故のように大きな被害を近隣住民や環境に与えることもあり得ます。だから、きちんと裁判で正義を決着させるべきなんだけど、判決というのは常に被害者でなく権力者のほうを向いて書かれるんだよな。

 近頃は暗い話題ばかりになりがちで恐縮ですが、明るい材料がまったくないわけではありません。それが人工知能です。上司に「あんたバカじゃないの」と隠された真実を暴かないまでも、機械はまだ忖度できるレベルではないので「早急に処置しないとエライことになりまっせ」程度の警告はするでしょう。猫の首に鈴をつけ、王様は裸だと叫ぶことくらいはできるんじゃないかな。

 だからね、ボクが言いたいのは「正直な人工知能に神が宿れかし」ってことなのです。それなら、人間が正直や正義の犠牲にならないで済む。ボクたち平民の積年の悲願が叶う時は、もうすぐかもしれません。

 

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2019年8月19日 (月)

耳の中も汗が?

 

 いやもう実にまったくクソ暑いですな。エアコンが動いていれば涼しく快適に過ごせるかというと、オッサンになるとそう簡単にはいきません。体表がひんやりと冷たくなる半面で、熱が体の中にこもったようになり、内外の温度差によって次第に具合が悪くなってくるんですよね。

 このため自主的な早朝ビズで仕事を進めておりますが、午後の2時〜3時頃になると早起きの反動から眠くて仕方がなくなります。要するに昨今の自然環境は、人間が普通に生活できる状態ではないのです。

 その証拠かどうか分かりませんが、イヤホンがすぐに耳穴から抜けるんだよな。ボクは今年になってからソニーのワイヤレスを使っていますが、これまではちゃんと耳の中に収まっていました。ところが、近頃は頻繁に挿れ直してもすぐに緩んでしまうのです。ワイヤレスイヤホンはバッテリーを内蔵しているので、きちんと耳穴にはさまっていないと、自重で垂れ下がろうとします。音楽が聴きにくいだけでなく、この中途半端な感覚がね、すごく気持ち悪いんだよな。

 サイズの問題かなとも思ったのですが、これまではピタリと収まっていたので、そんなことは絶対にないはずです。急に耳穴が大きくなるはずがない。そこで以前と今との違いをつらつらと考えれば、大きな変化は気温しか見当たらないじゃないですか。それでハッと気づいたのですが、身体の表皮が汗をかくなら、もしかすると耳の入口(というのかな。出口というのもおかしいよね)周辺だって汗をかくのではないかと。気づかないほど微量にしても、この汗がオイルのようになって、先端部分=イヤーピースを滑らせる可能性は否定できないはずです。

 まだ仮説段階で実証はしていませんが、というより、そんなことを研究して証明したところでどうしようもないので、付属していたオリジナルのイヤーピースは諦めて、別のものに換えてみようと渋谷のビックカメラに行きました。そこで店員さんに「イヤホンがすぐに抜けるようになったのですが」と相談すると、驚愕するほどの秒速で「じゃあコンプライかな」と即答。悩んでいたのはボクだけではないようです。

 この「コンプライ」は伸縮性の高いウレタンをベースに作られており、指で押せば簡単につぶれるかわりに、すぐ元の大きさに戻ります。耳穴にぐぐっとねじ込んで入れると、元のカタチに戻ろうとする力が働くために、内部でビシッと安定するんですよね。オリジナルのイヤーピースはそうした融通が利かないので、すぐに汗に負けてしまうと考えられます。

 誓ってステマではなく、この「コンプライ」はいささか乱暴に歩いてもズレることがまったくありません。価格も1000円程度なので、ボクと同じ悩みがあるなら、ダメモトで気軽にトライすることをオススメします。

 おかげさまで実に快適に音楽を聞けるようになり、散歩が再び楽しくなってきました。ただし、クソ暑いことには何の変わりもありません。外を長く歩けば熱中症になりかねないので、そうした間接的な副作用にはくれぐれもご注意ください。

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2019年8月 9日 (金)

刺さらない文章

 

 個人的にはクリステルよりホランだけどな。
 って、冗談はさておき、文章は難しいですよね。ボクは一応モノカキの端くれですけど、自分の文章がどれだけの深さや広さで読者の心に刺さっているのかと自問することがしばしばあります。

 もちろん間違ったことは書かないのは原則としても、1+1は2で、2×3は1+1を3回計算するので6です、みたいな当たり前な文章ではプロとはいえません。仮にテーマがそうしたテッパンの公式を扱う算数であっても、表現方法はいろいろあるので、読み手のレベルや感性に合わせて「心に刺さる」工夫をするわけです。
 こういう場合に、ついやりたくなるのが過去の偉人や賢人たちによる名言の引用です。

 アリストテレスはこう言ったとか、小林一三の口癖は、とかね。昔は書物の中にしかなかったのですが、今ではネットで検索すれば一発です。しかも、ボクのような凡人の論説なんかよりはるかに迫力と説得力があります。ただし、そんなにもいいことを言っているなら、ボクなんかよりそいつの著作や評論を読んだほうが早い。うまく憑依すればするほど話者は主体でなくなるので、スピーチであれ文章であっても、リアリティがどんどん失われていきます。早い話が、つまんねぇなぁとアクビをされかねません。

 学校長の年頭所感や卒業式の訓辞なんていうのが典型的でありまして、荘子や孟子などから引用してきた内容自体は素晴らしくて文句のつけようもないけど、「こいつはホントのところどう思っているんだろう」と煮え切らない気持ちが残ります。少なくともボクは、おエライ人の挨拶が心に刺さった思い出なんてほとんどありません。

 それもこれも、話者や書き手が他人の談話を伝える機械、即ちコピーやテープレコーダーになってしまうからです。生身の個人による対話は、本来的には読書なんかより大きなインパクトがあります。それぞれの実体験という強力な裏付けがありますからね。そのせいか、ソクラテスは書き留められた言葉を「死んだ会話」として著作を残さなかったといわれています。
 にもかかわらず、おエライ人ほど威厳を保とうとして古人の言葉を借りてくるからダメなんだよな。「お前の話を聞きにわざわざここに来てるんだよ」という聴衆に、他人から借りた話をいくら語っても、心に刺さるはずないのは明白でしょ。

 文章もスピーチもいろいろな目的やシチュエーションがあるんだけど、少なくとも個人として対峙する場合には、自らの体験に基づいたオリジナルを披露しないと共感を得ることは難しいでしょう。そこを「つかみ」または「キーワード」として持論を展開していく。しかしながら、日本の基礎教育は横並びが基本なので、独自の発想や意見を掘り下げていく習慣が身につきにくいんですよね。ペーパーテストで正解を出せないような発想や思考は、どんどん切り捨てられてしまうのです。

 では、ここで前述した算数に戻りましょう。「1+1=2」なんて当たり前のことを、どうやって心に刺さる話にできると思いますか。当然ながら相手は子供です。

 たとえばミカン1個とリンゴ1個ではいくつかな。はい2個ですね。ミカン1個とイチゴ1個ではいくつですか。やっぱ2個ですよね。ではミカン1個と葡萄はどうかな。ちょっと葡萄を振ったら実がバラバラとこぼれてくるよね。それでも2個でしょうか。ミカン1個と青虫一匹を足しても2個になりますか。ミカン1個とエジプトの巨大なピラミッド1つではどうかな。逆にミカン1個に炭素分子1つはどうでしょう。針1本と高層ビル1つを足すといくつになりますか。
 そんな組み合わせで足し算なんかしないというのなら、どんなものが足し算に値するのでしょうか。

 そこまで考えて初めて、1+1=2というのは完璧に概念化されたイデア=理論であって、ボクたちの日常では「1個2個」「1枚2枚」といった助数詞をつけることで、ようやく標準化された計算が成立しているということが分かるわけです。

 ボクは小学校の時にそうしたルールを理解していなかったので、ミカン5個とキューリ2本を足すことがどうしてもできず、回答欄を空白にしたおかげで、あやうく特別クラスに送られるところでした。「この子はちょっと問題が」なんて親と先生が秘かに話し合ったんじゃないかな。

 でもね、これからは大人にこそ、そうしたこだわりが必要になってくると思うのです。なぜなら、ボクたちの相手は数学がそれこそケタ外れに得意な人工知能ですぜ。まともに競ったら数理分野で勝てるはずがない。人間が勝負できるとすれば、体験的な感覚、つまり感性と創造力しかないでしょう。それに味覚や触覚なども加えるべきかな。たとえば寿司が美味しいとは言うけど、人間だってどのように美味しいかをちゃんと説明できないので、機械が追いつくにはもっと時間がかかるはずです。

 刺さる文章や演説を考えるのは、まだまだ特定の職業や状況に限られますが、それができないと人工知能にバカにされる時代は近いんじゃないかな。人工知能の発達によって、人間はようやく種や属性という縛りから解放されるかもしれない。そのかわりに問われるのが、あなたという個人と機械との違いなのです。

 来週は3連休なので、ついでに夏休みを取ることにしました。よって、このブログも8月13日から16日まで更新しません。翌月曜日の19日から再開しますが、例によって何か面白いことがあればアップするので、ヒマがあれば覗いてみてください。

 

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2019年8月 8日 (木)

男は人前で泣くな!

 

 泣けるようなことは世間に一杯あるけど、男が人前で泣いたらアカンよ。漫才師たちの闇営業と反社問題なんて笑えるくらい典型的で、ウソをついた当事者が記者会見で目を真っ赤にしたかと思えば、それを理由に契約を解除した社長もなぜだか負けじとハンカチに目を押しつけるなんて、実にみっともない応酬としか言いようがありません。

 そもそも人前で泣くというのは、他者から同情を引こうとする態度だとボクは思っています。だからこそ太古の昔から、涙は体力的なハンデを持つ婦女子にとって最強の武器だったのでありますよ。大粒の涙がホロリと頬を伝ってきたら、何をもってしても勝つことはできません。ハイハイご希望は何でも叶えさせていただきますよ、ということになるじゃないですか。それが号泣ともなれば、現場から秒速で遠ざかりたくなりますけどね。

 そんな涙まみれのみっともない姿を、中高年ともいえる大の男が2人してテレビにさらすなんて、これほど恥ずかしいことはありません。面白がって繰り返される再放送を見るたびに、ボクなら恥ずかしさのあまりに頭を突っ込む穴を探しますけどね。

 そんな情けない男たちとは逆に、女性は滅多に泣かなくなったように思います。全英女子オープンに優勝した渋野プロなんか、感極まって涙するどころか、キャハハハハと実に明るく大笑いですもんね。

 クソ暑くて、しかも長く書くに値するテーマではないのでもうやめますが、男の感情が実に安っちくなってきました。喜怒哀楽どれもトン単位の重量感があって然るべきなのに、いやはや軽い軽い。すぐ笑いすぐ喜ぶのはまぁ許すとしても、すぐに怒る、すぐ泣くでは権威も説得力もないですよね。見習うべきは、やっぱ健さんだよな。表に出したい感情をぐっとこらえて胸に呑み込む。そうした慎み深い態度を心得た男がめっきりと減ってきたのは、いかなる時代背景があるのでしょうか。言った者勝ち泣いた者勝ちとでも思っているとしたら、その実効は真逆だと知るべきです。

 

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2019年8月 7日 (水)

暑さからの集団疎開

 

 暑いですよね。そろそろ熱いと書いたほうが適切になるかもしれません。

 何でこんなにクソ暑い時期に、コンクリートの輻射熱がバンバン、いやヒリヒリかな、何と表現していいのか分かりませんが、太陽の照り返しが強烈な都会で働かなきゃダメなんでしょうか。地理的な制限はインターネットが相当に緩和しているので、戦時中のように集団疎開を考えてもいいんじゃないかと思うのです。

 子供は元気なので、へこたれてきた中高年以上を対象として、北海道の外れあたりに村を建設。夏だけ集団で移住してビジネスするというのはいかがでしょうか。数が少なければ隔離という印象ですが、各産業から希望者を募って大人数にする。それによる意外な出会いが、新しいビジネスを生む可能性もあると思うんだけどな。

 日本というのは、良かれ悪しかれ横並びの集団主義ですから、この疎開村の規模が大きくなればなるほど、副次的な効果が増幅されていくはずです。昔は子供たちを戦火から守った集団疎開を、中高年以降を対象として実施する。過疎地が復活する契機にもなると思うんだけどな。日本列島のどこも暑そうに見えるけど、島とか山など、探せば適地はあると思います。何でもそうだけど、要はやる気なんだよね。

 

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2019年8月 6日 (火)

千利休

 

 何かねぇ、世間の雰囲気が殺伐としてきました。ちなみに殺伐とは、「穏やかさやあたたかみの感じられないさま。とげとげしいさま」(三省堂大辞林)という意味です。

 はるかなホルムズ海峡では緊張が高まっており、アメリカは対イランを念頭にした有志連合を結成しつつあります。そのアメリカ国内では人種差別を動機とする銃の乱射事件が頻発。香港では中国政府に対するデモの嵐で、韓国も反日の動きが猛烈な勢いで活発化しております。向こうが自分を嫌いというなら、こっちだってお前なんか大嫌いだ、というほど単純ではないにしても、日本国民の韓国に対する感情も急速に悪化していくでしょうね。

 湿気でベタベタのクソ暑さが、そんな殺伐とした気分を昂進させて、ヘンな事件が勃発しなきゃいいのですが。そんなことを考えていて、ふと千利休を思い出しました。

 日本人なら誰でも名前を知っている茶人ですが、彼が生きたのは戦国時代です。武士が群雄割拠して、刀や槍を振りかざし、血みどろになって覇権を奪いあっていました。まさに殺伐とした世相の中で、彼は茶の湯=茶道の形式を確立したのです。人間ひとりが精一杯の小さな潜り戸から二畳程度の狭い茶室(妙喜庵待庵)に入り、大の男が膝をくっつけるほどの近さで正座。ライトグリーンのあぶくが浮いた抹茶をすすって「結構なお手前で」なんてことをやっていたわけです。日本全国のどこで派手な殺し合いをやっていてもおかしくない時代に、よくもまぁこんなにも不可思議で非合理な様式を考えついたもんだと心底から感心します。

 だってさ、お湯を沸かして、椀に入れた抹茶の粉を混ぜて飲むだけのことですよ。誰でもすぐにできる簡単なことに、面倒くさい礼儀と専用の道具を持ち込んで茶道という形式に仕立てあげるというのは、およそ常人の発想ではありません。

 いろいろな逸話が伝えられていますが、不勉強なボクの印象としては、やたら屁理屈の多い偏屈ジーサンであります。ただし、千利休はそう思われることを意識してやっていたのではないかな。それによって秀吉などの戦国大名をたぶらかした、といえば言い過ぎですけど、バカバカしさを自覚しながらも、茶道の様式美を自分の武器として権力者たちに対峙したのではないでしょうか。

 それによって、わずかな時間といえども、彼らの腰から刀という凶器を排除したのです。そのためには、ただお茶を飲むだけではダメなんだよな。もっともらしい理屈、じゃなかった哲学がなきゃいけません。千利休は、自分を只者ではないというブランディングを行うと同時に、その錯覚、じゃなかったイメージを支えるための礼儀や形式を作り上げていったとボクは理解しています。

 だったらと、ここから飛躍していくのがボク流の発想でありまして、21世紀の千利休をこしらえて、たとえば韓国の文大統領と安倍さんを待庵に招いて茶の湯でもてなしたらどうかと。トランプ大統領とイランの最高指導者でもいいんじゃないかな。「茶の湯を飲みに来ない?」と誘ったら、皆さん驚くと同時に魂胆を疑うでしょうね。「そんな懐疑に満ちた危ない時代だからこそ心の平穏が必要。とにかく抹茶を一杯すするだけのことなんだからさ。そんなことにビクビクしていたら指導者の名前が泣きますぜ」とか何とか、それらしいメッセージを送ればいい。茶の湯は日本では精神的な果たし合いの場を意味するので、その挑戦を受けて逃げれば卑怯者または臆病者の烙印を捺される、という屁理屈もつけられるじゃないですか。

 こうした解釈が自在なことも、千利休が作り上げた様式のひとつだと思うんですよね。現在も表千家とか裏千家という流派があるのですから、その代表者が国際社会に名乗りを上げてもいいんじゃないかな。そこで信長や秀吉などとの問答を再び繰り返したら面白いのにね。

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2019年8月 5日 (月)

街を色分けする

 

 以前に「病院建築」がなぜないのかと指摘しました。都心の大病院なんか、まるでオフィスビルですもんね。心を癒す教会は遠くからでも分かるのに、なぜ身体を癒す病院がありきたりのビルのようになっているのか、ボクにはまるで理解できないんですよね。

 そうなった理由は予算不足であり、つきつめていけばパンドラの箱のように様々な問題が飛び出してきます。このクソ暑い夏に、そんな面倒なことを書き連ねたくないので、ボクの提案だけをお伝えしますね。建築が無理なら、せめて「色」だけでも統一しませんか。たとえば病院は、公営も大学病院も民間クリニックも含めて、すべてホワイトでデザインすることを法制化する。そうすれば、かなり遠くからでも医療機関の存在が分かるではありませんか。

 赤十字があるくらいですから、赤にしようかと思ったのですが、「レッドクロス」は別格として、鮮血をイメージさせるので、精神的にあまり良くない。かといってブルーでは緊急感や切迫感に乏しいですよね。それで、医師の白衣をイメージさせるホワイトにしてみました。いま時はスマホで簡単に検索でき、地図上にも表示されるとはいっても、そうしたバーチャルと、リアルに肉眼で認識することでは感覚的に相当な隔たりがあります。たとえば転倒して足首をひどく痛めてタクシーなどで病院を目指す時に、フロントウィンドからホワイトの建物が見えたら、それだけで安心するじゃないですか。

 見知らぬところを散策していても、ホワイトの建物が目立てば「ここは病院が多いんだなぁ」なんてことがすぐに分かります。住宅選びの参考にもなると思うんだけどなぁ。

 病院がホワイトなら、公的機関はブルーにしましょう。無駄に大きな区役所や市役所はともかく、支所や出張所なんかは言われないと分かりませんからね。そうした行政機関から、公営のプールや競技場、コンサートホールに至るまで、とにかく税金を使って建設したものはすべてブルーにする。税金の使途が明確になって便利じゃないですか。

 そうなると、飲食関係の店舗はどこかにオレンジ色をアレンジするとか、物品の小売業は濃紺=ネイビーにするとかね。そうすれば街の様子がぐっと分かりやすくなります。渋谷なんかオレンジとネイビーだらけになりそうですけど。

 街づくりはかつて王様の仕事でした。それによって美しい景観が生まれたわけです。そうした歴史があるせいか、ヨーロッパでは風致地区があちこちにあって、新築や改築などに関する厳しい規制があるそうです。ところが日本はほとんど放任状態といっていい。協定や条例を持つ自治体もあるようですが、都市の中心部や繁華街ともなれば見ての通りの無法地帯。目立てばOKの猥雑極まりない混沌が支配しております。それはそれでエネルギッシュで面白いとは思うけど、だからこそ少なくとも病院や役所などの公的・準公的機関は分かりやすいカラーリングで統一したほうがいいんじゃないかな。

 そういうことを王様に代わって考えるのが行政の本来的な仕事なのに、こちらの方面はまるでセンスがゼロなんだよな。一般企業もそうですが、あまりにも美学的な意識や知識に乏しい。もっと美大・芸大出身者を活用すべきではないでしょうか。

 

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2019年8月 2日 (金)

歴史は繰り返す

 

 天下無双のコンビニチェーン、セブンイレブンを築き上げた鈴木敏文氏が役職を退任し、経営から手を引いたのは2016年。それから3年もしないうちに、24時間経営をめぐって加盟店が反乱。それを鎮圧することができず、逆にフランチャイズシステムの見直しを迫られることになりました。今年になっても、モバイル決裁サービスの発足直後からハッキング事件が勃発。それだけならまだしも、2段階認証も知らない人間が専門子会社の社長だったことが記者会見で発覚して批判を浴びました。昨日になって、このモバイル決裁サービス自体を9月末で終了すると発表しています。

 新しいシステムがうまくいかなくて撤退することは珍しくも恥ずかしいことでもありませんが、モバイル決裁という新型のデジタルサービスを専門で運用する会社の社長が、ごく一般的なセキュリティにも疎かったというのは、悪い意味で象徴的というほかありません。社内でどんな力学が働いていたかは想像するほかないので、ここからはあくまでも根拠のない推測ですが、さすがのカリスマ鈴木氏も、おそらくは無意識に能力なんかより自分の意に沿う社員ばかりを幹部に登用してきたんでしょうね。母体であるスーパーの創業家と折り合いが悪いと伝えられてきたので、足もとをすくわれない防衛策として仕方がないともいえます。ところが、そんな連中がこともあろうに創業家と結託してクーデターを計画。結果的にカリスマは部下に裏切られることになったんじゃないかな。

 しかしながら、その謀反グループの中にITセキュリティに詳しい人材はいなかった。けれども、誰かを社長にしなきゃいけない。では温和しいアイツにしとこうかと選ばれたのが、力不足もいいところの置物に過ぎなかったわけです。明治維新もカスな奴ばかりが生き残ったと酷評する歴史家がいますからね。

 かのスティーブ・ジョブズも、自分自身が雇い入れたジョン・スカリーにアッブルから追放されたことは有名です。日産自動車のカルロス・ゴーンにしても、従順きわまりないと思い込んでいた現経営陣が秘かに証拠を揃えて告発したことが始まりになったはずです。さもなきゃ、あんな詳細な内部資料は出てきませんよ。

 こんなことは、3000年前の春秋戦国時代から連綿と続いてきたことで、手を変え品が変わるだけで、似たような事例を出したらキリがありません。組織の立ち上がり期にはみんなが同じ気持ちで一生懸命に働いたのに、儲けが安定してヒマができると、茶坊主連中が権力闘争を企てるようになり、やがてはカリスマ創業者を倒してしまう。

 小説の作法としてはあまりにも通俗的で、ストーリーだけで編集者から即座にNGをくらいかねないのに、現実社会では21世紀になっても同じことをやっています。人間というのはまったく進歩していないんですよね。

 若い人たちが先輩を煙たく感じたり、老人を嫌うのも同じです。だから彼らはことさらに「時代が違う」とか「アップデートしなきゃ」と強調しますが、そんなことはボクだって若い頃に言ってきたことです。世代交代で禅譲なんてそもそも稀有なことであって、多かれ少なかれ闘争が伴うのであります。

 さて、結論をどうしようかと読み直してみれば、イントロが違うだけで内容は昨日の「諸行無常」とほとんど変わりないことに気づきました。これって、ある種の認知症なのかなぁ。だとすれば、大から小に至るまで権力闘争を繰り返し、懲りることなく自然を汚して環境を破壊し、人間同士で非道な殺戮を続けてきた人類そのものが、もっと重度の病に罹患していることになるじゃないですか。

 

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2019年8月 1日 (木)

諸行無常

 

 ボクのデスクは南向きの窓を背にしています。椅子を回して振り返ると、道路を挟んだ向かいのマンション1階に立ち並んだ飲食店が見えます。ここで仕事をするようになって20年ほどにもなるので、そうした店の栄枯盛衰がよく分かるですよね。10年ほど前はトンカツ屋さんが列をなしていたのに、今は隣の隣にある高級ハンバーガー店に若者たちが集まっています。

 その一方で、沖縄料理の食堂とチキンの専門店が撤退しました。この2店は4〜5年ほど営業していたはずなのに、ボクは一度も行ったことがありません。してみると、ボクが行かない店はつぶれる可能性が高いってことになるのかな。週末には長い行列ができるタピオカ紅茶店も行ったことがないので、あまり当たらないといえばそうだけど、この流行もいつまで続くやら。

 そうした動きを定点でずっと観測していると、驕れる者は久しからずという諸行無常を感じざるを得ません。ビルの中にある会社だって、飲食店のように視認できないだけで、撤退や倒産や廃業などが頻繁にあだけどね。

 こういう現象も、ボクが敬愛する福岡伸一先生の言う「動的平衡」なんでしょうね。個々が細胞のように短期間に生まれ変わるからこそ、全体が生き残っていける。そもそも生存、いや存在自体が奇跡的な現象であり、エントロピーという恐怖の大王が駆使する暴虐な無に向かうエネルギーに耐えためには、常に変化を続けていくしかない。さもなきゃすべてが運動エネルギーを失い、本来的な静的状態に戻されてしまうでしょういつかは必ずそうなるだけどね。

 こんな大げさなことを言わなくても、ボクたちは生き残ることに汲々としています。それによって人類全体が存続を許されるってことになるわけだけど、たまにはへこたれますよね。そのへこたれた精神を癒やすのが芸能ということになりますが、あんな楽屋オチばっかりの吉本状態ではちっとも笑えません。

 こういう時は、やっぱ音楽だな。どうもメンタルが変調だよなと思ったら、1週間以上もライブに行っていませんでした。ちなみにオクターブとは、ラテン語のオクト=8が語源であり、ドレミファソラシドが8音階あることからそう呼ばれるようになったそうです。

   来週は予約を入れてあるので、魚が水を得ることができそうです。小学校の時は、もう少し世の中は明るく、太陽が美しく輝いて見えていたような気がするんですけどね。

 

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