笠木恵司の主な著書

  • キャリア・チャレンジ2009-2010
  • 資格試験合格後の本
  • 学費免除・奨学金で行く大学・大学院進学・休学・留学ガイド
  • 価値ある資格厳選200
  • インターネットでMBA・修士号を取る
  • 腕時計雑学ノート
  • 「国際標準」ビジネス資格完全ガイドブック
  • 日本で学べるアメリカ大学遠隔学習プログラム
  • テレビ局完全就職マニュアル
  • 資格の達人
  • MBA入学ガイドブック
  • 学んで! 遊んで! 役に立つ! インターネットキャンパス
  • 日本で学べるアメリカ大学通信教育ガイド

お気に召したら、ポチっと↓

  • 笠木恵司のブログ

福助くん その6

  • D_p1000397_s
    福助くん、9歳の秋です。 ちょっと長めの散歩をして、世田谷公園へ。 紅葉と福助をご覧くださいまし。

福助くん その5

  • 赤いサルビア♪
    2010年秋の福助くん。とある週末に埼玉県所沢市にある航空公園に行ってきました!

福助くん その4

  • 1 毎年恒例の・・・
    今さらですが、今年の花見の福助くん。ご近所の目黒川に行ってきました。

福助くん その3

  • 1 田舎に行ってきました!
    飼い主の田舎に行ってきた福助。うららかな春を迎えた大自然のなかで、いつもと違った表情に。

福助くん その2

  • 定位置
    平日は会社にいる福助。こんな感じの毎日です。

福助くん その1

  • 5djustice3f5d5575e032a1
    笠木の飼い犬。甘えん坊でちゃっかり屋の8歳。雄。

« 2019年12月 | トップページ | 2020年2月 »

2020年1月

2020年1月31日 (金)

肺炎

 

 新型肺炎の感染者がどんどん広がり、死者も増加しているようです。ところで、あなたは肺炎に罹患した経験がありますか?

 発熱・悪寒や関節痛などを伴う風邪やインフルエンザにかかった人はどこにでもいますが、肺炎にまでこじらせるケースはそれほど多くないんじゃないかな。ボク自身もちょいと前までは、肺炎といわれても、どんな症状になるのかよく分からなかったからです。風邪の諸症状がそのまま悪化した状態なのかな、と推測する程度。けれども、日本人の死因の第5位に入るほど怖い病気なんですよね。厚生労働省による最新統計「平成30年(2018)人口動態統計月報年計(概数)の概況」によれば、2018年の死因の第1位は悪性新生物つまりガンでした。続いて心疾患(高血圧性を除く)、老衰の順。第4位が梗塞や溢血などの脳血管疾患、そして第5位に肺炎がランクインしています。

 このように、データ的には死にも至る病とは分かっても、老人の誤嚥性肺炎がたまに新聞記事になるので、健康な人には縁遠い病気と思うじゃないですか。そんなところに、武漢発の新型肺炎ですよ。それでも死者のほとんどが免疫力の衰えた60歳以上の老人なので、表面的には大騒ぎしていますが、リアルな恐怖を感じている人がどれだけいるのかなぁと疑問を感じてしまいます。

 もちろん誰だって危ないことに近づきたくはないし、幼児を抱えたお母さんは心配でならないはずです。だからこそ、肺炎の具体的な症状を知っておいたほうがいいんじゃないかな。現代のような情報化時代には悪質なデマや流言飛語につながるので、むしろ知らない方がいいとも言えますけどね。

 ちなみに、ということで、ボクがずっと以前に体験した肺炎の症状をお教えしましょう。ごく簡単にいえば、息ができなくなるのです。肺がふいごのような空洞とすると、それが5ミリ程度の幅でしか膨張・収縮できなくなります。健康な状態では10センチ以上の幅で大きくなったり小さくなることで呼吸するとすれば、その空洞がほとんど固まった箱のようになってしまう。

 ポンプを使って酸素を押し込もうにも、そもそも肺が広がらないのですから、中に入っていく量はごくわずか。ボクは医師でも看護師でもないので、そこから先の処置については無知ですけど、患者としての体験では、いやもう苦しくて苦しくて、溺れて息ができなくなったような感覚を覚えています。

 ところが、その苦しさが突然に楽になる瞬間があったのです。いま思えば、どうやらそれが死という状態ではなかったかと。あるところを越えてしまったらしく、それまでの辛さから完全に解放されて、快感とは言わないまでも、ふわふわと空に浮かび上がるほど心地良くなりました。そのままでいれば、ボクはこんな文章を書いていなかったでしょうね。

 戻ってきた現世と死の境界にあるのが三途の川であり、それを渡ったあちら側を彼岸と呼ぶのではないでしょうか。オリジナルの宗教的には、三途の川ではなく、煩悩を越えた向こう岸とされていますが、自称・臨死体験者としては、彼岸は死としか思えません。

 心臓への電気ショックを受けたわけでもないので、病気がもたらす夢うつつの中での錯覚かも知れませんが、この経験のおかげで、ボクは死を決して苦しいものではないと信じるようになりました。それまでの苦痛からの解放と考えた方が、現実的にもよろしいじゃないですか。最後まで痛めつけられて死ぬなんてイヤですよね。だからといって死にたいとは思いません。何もできない状態の死よりも、生きているほうが楽しいことがいろいろあるもんな。

 でね、ああそうか、これが親鸞の弟子である唯円が著した『歎異抄』(たんにしょう)にある問答の本質なのだと納得できたのです。「悪人正機」で有名な書ですが、その中で唯円は「極楽浄土がそれほど素晴らしいところなら、すぐにでも行きたいはずなのに、そんな気にならないのはなぜですか」と親鸞に問います。煩悩への執着を叱責されると唯円は覚悟していたのに、親鸞はあっさりと「私も実はそうなんだよな」と返答したのです。

 この問答の解釈はいろいろあります。ボクは浄土真宗の開祖・親鸞だって極楽浄土を心底から信じてはいなかったと考えていますが、死が生の厳しさや苦痛からの解放にほかならないことは分かっていたはずです。

 そんなわけで、いつかやってくる避けられない運命をいたずらに怖れず、泰然として受け入れること。肺炎のおかげで、そんな覚悟ができたように思うのです。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

 

 

 

 

2020年1月30日 (木)

徘徊老犬

 

 昨日のブログでチラリと触れた犬の福助ですが、大きなコブのようになったメラノーマの切除手術は成功。口のまわりがすっきりしたのは結構でも、行動がおかしいんですよね。

 傷口をひっかいたり、何かに押しつけたりしないように、大きなチューリップみたいなエリザベスカラーを付けた状態なのに、とにかくあちこちに進みたがるのです。テーブルの脚の間も無理して通り抜けようとするので、そのカラーがひっかかるのですが、退くことができないらしく、身動きが取れない状態になります。そのたびにウォンウォンと吠えて助けを呼ぶので、襟もとを掴み上げて方向転換してやる。そこから再び前進が始まるんですよね。でもって何かにひっかかってしばらくすると、我慢できなくなってウォンウォンと吠える。

 夜中の2時頃に、そんなことを繰り返しながら、部屋中を何度もグルグルと歩き回る。その面倒を見ているうちに、ボクは突然に倦怠感に襲われたのです。やがて発熱ですから、風邪の類似症状。まさか福助が大学病院で新型コロナウィルスに感染してきたとは思えません。もしそうなら、ヒトからヒトでなく、ヒトから犬へ、そして犬からヒトへという複雑な感染ルートもあるということになるじゃないですか。

 幸いに体温が38度を超すことはありませんでしたが、ヘトヘトになって寝込んだボクに対して、福助は翌朝も飽くことなく行進を続けました。これが認知症老人特有の「徘徊」なのかなと疑いますよね。それだけでなく、午後になると突然に倒れて四肢を痙攣させたのです。以前にもあったてんかん症状なので、行きつけの動物病院に連れていき、座薬を処方してもらいました。犬にもそんな薬があるなんて初めて知りましたよ。

 ところが、深夜になって再び痙攣。タクシーで急いで搬送して診て貰うと、どうも徘徊はてんかんの前駆症状だったらしい。そんなわけで、再入院となって本日に至るわけであります。こういう気にかかることがあると、ブログもうまく書けないんだよな。それにしても、徘徊老人でなく徘徊老犬かぁ。てんかんの治癒に伴って、もとに戻るといいんだけど。。。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

 

2020年1月29日 (水)

スランプ

 

 正直に告白しますが、このブログのテーマでスランプ状態が続いております。3時間かけた文章でも、ああつまらんと一気にデリートしたことが1回や2回ではありませんからね。

 本日も、大流行中の新型肺炎をテーマにして終盤まで仕上げたものの、あまりにも一般的で通俗的で、わざわざボクのブログに載せるようなことでもなかろうと消してしまいました。次に書いたのがネットにおける個人データの流出です。新型肺炎の感染と同じく、どうやっても避けきれないことを共通項としたのですが、ネットが「もうひとつの世間」であることは誰だって知っていますからね。今さらだよなと我ながら呆れてしまいました。 

 そりゃね、毎日毎日新味のあることは書けません。だからヒネリを加えた技で誤魔化すこともあるのですが、これほど徹底的なスランプは久しぶりです。

 実は、メラノーマの手術を終えた犬の福助が大学病院から退院したのですが、てんかんの発作を2回起こして、都内の動物病院に再入院しました。ボクはボクで、夜中に福助の世話をしたせいか発熱。昨日は倦怠感がひどくて何もできない状態でした。ボクの個人的な判断ですが、福助は認知症の疑いが濃厚なので、気分的にかなり憂鬱なんですよね。だから文章もうまく発想できないらしい。

 ネットという「もうひとつの世間」にあまり私的なことを書き付けたくないのですが、何しろテーマが見つからない。ま、犬のことならいいかなぁと。たまにはこういうこともあるということで、ご寛恕いただければ幸いです。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

 

2020年1月28日 (火)

なるようになれ!

 

 ボクはかなり偏屈な天の邪鬼ですが、運命にはあまり逆らったことがありません。世の中なんて、1人や2人の力を合わせればどうにかなるというものじゃないですからね。 

 ただし、こういう溜息まじりの諦観はオッサン特有のものであって、若い人には絶対にオススメしません。100年先の地球環境のために、カネや権力を持つ大人たちがいま何かをしておかないとダメじゃんという、グレタさんの意見にはもろ手を挙げて大賛成です。そりゃね、彼女の表情や言い方には大人の心中にグサグサ刺さるトゲがあるので、何もやる気のないトランプ大統領は気にくわないだろうな。日本の総理大臣もね。「桜を見る会」なんて、自然環境の激変でやれなくなる可能性だってあるということをちゃんと理解しているとは思えません。 

 グレタさんたちの行進が不快な人は、巧妙に心の奥に隠した負い目を引っかかれるように感じるからなのです。そして、それは半世紀ほど前の全学連を苦々しく横目に見ていた当時のオッサンたちと重なるんだよな。 

 そして、当時の若い活動家たちの多くは、安田砦が落ちると、それまでの主義主張をあっさりゴミ箱に捨てて、長い髪を切り揃えて大企業に就職していきました。あの頃を思い出して「ほた火」は決して消えないなんていうジーサンもいるようですが、そんなセンチメンタルは通用しませんよ。 

 そんなわけで、って、どんなわけかは知りませんが、世の中はなるようになります。なるようにしかならない、と言い換えてもいいかな。

 でもさ、それって何だか悔しいじゃないですか。だからボクは、若者諸君へのエールも込めて「なるようになれ!」と祈っているのであります。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

2020年1月27日 (月)

そろそろ気づけよ

 

 某タレントが若いネーチャンと浮気してボロクソに言われていますが、どうしてみんな気づかないのかなぁ。そこそこハンサムで若くて背が高ければ、浮気のひとつや2つはしますってば。

  奥様が妊娠中とか双子を子育て中であっても、する時はするよ。だから週刊誌の記者やカメラマンはその瞬間を今か今かと待ちかねているわけです。浮気が人間の生来という認識がなければ、そんな無駄なことはしないはずです。「あ、やっぱりね」とどれだけ多くの人が呟いてきたことか。

 そもそも一夫一婦制なんて、子育てのための社会的な束縛に過ぎないんですよね。母親と父親が揃って面倒を見なければ、人間の赤ん坊はたちまち死んでしまう。だから結婚する時に、死ぬまで添い遂げるという約束をするわけです。けれども、世界には現在でも一夫多妻の国があり、日本だってつい最近までは側室や2号、妾という言葉が生きていました。妻と妾を同居させていた政治家もいたくらいですから、財力や権力があれば、浮気でも本気でも可能だったのでありますよ。

 男だけでなく、結婚しているにも関わらず、別の男との子供を産みながら、それを隠して育てていた女優さんもいました。近年はDNA検査があるから判明したのであって、奥さんが白状しない限り、何となく違うなぁとは思っても、そのままで済んでいたはずです。カネや権力を持つ女性がどんどん増えれば、そうした多夫一妻もあり得るんじゃないかな。若くて魅力的な独身女性なら二股三股で男を天秤にかけるのは不思議ではありませんから、浮気心なんて男女は関係ないとボクは思います。

 ちなみに、フィリピンでは浮気男をパロパロ=蝶々と呼ぶそうです。ある花で受粉して子供が生まれたら、別の花にヒラヒラと飛んでいく。ホントかウソか、同国はそんな男ばっかりだと聞いたことがあります。戦前の日本男児もそんな傾向が強かったように思います。

  ただし、人間は動物ではないので、自然界にはない規範や礼儀、ルールというものが存在します。英語で浮気は一般的にCheatingですが、これは騙す、裏切るという意味ですから、つまりは「掟破り」ということです。けれども日本では浮気と呼ぶ。ほらね、罪は英語圏より軽いんですな。だからといって英語ネイティブが浮気しないわけではなく、Guilty Pleasureなんていう言葉もあります。直訳すれば「罪悪感の喜び」。そんな面倒くさい表現より、「背徳」という素敵な日本語があるじゃないですか。この背徳に魅力を感じても実行しない人と、いけないと分かっていても踏み越えてしまう人の間には、深くて暗い川が流れております。

 そして、法律や規範を作る人のほとんどは「踏み越えない人」なんですよね。

 だから何なのといわれても返す言葉がありませんが、誰だってやりかねないことなんだから、そんなに責めるなよと。所詮は夫婦間、家庭内のことなんだから、そんなところまで錦の御旗を振りかざさないで欲しい。ただでさえ少子化なんですから、ある程度の野放図は許す寛容な社会になったほうがいいようにも思うんだけどなぁ。しかしながら、人間は正義を味方にすると目が吊り上がって豹変するのでありますよ。

 炎上もそうだけど、自分を棚に上げて他人を糾弾するのは、Guilty Pleasureの真逆にほかならないんですけどね。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

 

 

2020年1月24日 (金)

持っている

 

 口の脇にできたメラノーマ(悪性黒色腫)がみるみるうちに大きくなってきたので、本日の午後に大学病院で手術することになりました。といってもボクではなく、犬の福助であります。 

 エサを食べるにも不自由になり、痒いのか痛いのか、定位置のクッションに何度も顔を押しつけるので、血が滲んでいることも珍しくなくなってきました。そのくせ食欲だけはあるらしく、顔を横に曲げながら不自由そうにエサ皿に顔を突っ込む。その姿を哀れに感じて見ていられなくなるのですが、行きつけの動物病院では機材などの関係で処置にも限度があります。それより何より、治療費がね、かなりの負担になるのです。

  犬にも健康保険がないわけではないのですが、人間ほど手厚くないので、外科手術や放射線ともなれば、事前の検査を含めて相当な金額になるでしょう。それに、福助はもう18歳。人間なら80歳過ぎですから、申し訳ないけど、それだけのコストを費やしても、得られるパフォーマンスは時間的にそれほど期待できません。敢えて冷淡に言ってしまえば、何をやったところで、せいぜい2〜3年程度の延命に過ぎないじゃないですか。

 そんな理由から、このまま悪化したら尊厳死または安楽死もやむを得ないかなと覚悟していました。ところが、この犬は何かを「持っている」らしいのです。ここでは詳しく紹介しませんが、あっという間に治療費のメドがたったことから、主治医の紹介で郊外にある家畜専門の大学病院に入院しました。当初は放射線による治療が有力だったのですが、幸いに手術しやすい部位にメラノーマがあるらしく、医療費的にも当初の予想を下回りそうな気配。時間のかかる放射線よりも「さっさと切除しましょう」と獣医師に促されて、本日に至ったわけです。 

 八王子のブリーダーから貰った血統書の登録名が「フォーチュン」なんたらと書いてあったので、トイレでしばらく悩んで「福助」としたのですが、その名前を裏切らない運命を持っているようです。

 そもそも子犬の時に、「心臓が肥大して肺を圧迫しています。余命は1年ほど。残りの時間を大切に過ごしてあげてくださいね」と宣告されました。そんなのありかよとセカンドオピニオンを求めて別の病院に行き、各種の検査を行った結果、すこぶる健康であることが判明したのです。最初の獣医師は大ヤブもいいところで、とんでもない誤診というほかありません。小さな病院で、心電図も黄ばんだ古い用紙でしたから、獣医師もやる気がなかったんじゃないかな。ペットでも重病であれば、人間のようにセカンドオピニオンを得ることをオススメします。

 成長してからは大した病気をすることもなく、たまに吐く程度でしたが、中高年になってソファからずり落ち、ヘルニアを発症。胴の長いミニチュアダックスなので、もう歩けないだろうと覚悟したのに、手術を経てヨタヨタにしても四つ足歩行を続けております。てんかんの発作で四肢をひどく痙攣させたことが3度ほどありましたが、こちらも薬のおかげですっかり治まりました。目を見ればすぐに分かる白内障でも、視力はそれほど衰えていないようです。

 そして今回のメラノーマですから、さすがにそろそろだろうと思うじゃないですか。ところが、腫瘍以外の体調にほとんど問題はなく、麻酔や外科手術にも耐える健康状態だそうです。何をやっても幸運がついて回る人がいますが、福助もどうやらそうらしい。腫瘍が転移している可能性は否定できないですけどね。

 考えてみれば、ボクも僥倖がなかったわけではないので、いくばくかのお裾分けを貰ったといえるかもしれません。いずれにしても、無事に病院から戻ってくることを心から祈っております。

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

 

 

 

2020年1月23日 (木)

結ぶ人

 

 たとえば食べ終わったポップコーンの袋を、あなたはどうしますか?

 そのままゴミ箱に放り込む人も多いはずですが、ボクは細長く折り畳んだ後に、それを結んで固めてしまうんですよね。小さな袋も同様で、とにかく空き袋で結べるものなら何でも結んでしまう。そのほうがコンパクトになるからですが、こんなことをするのはてっきりボクだけかと思っていました。

 ところが、ネットのニューサイト「Jタウンネット東京都」の投稿によれば、日本人特有の行為らしい。在米30年目の投稿者が会合の際に食べ終わった菓子の袋を何気なく結ぶと、外国人に「それは日本人が全員やることなの?」と聞かれたそうです。この外国人は以前に日本人をルームメイトにしており、その人も同じことをしていたからです。

 ボクは自分だけの神経質な習慣かと思っていたので、何となく安心しました。それがどうしたという話ですけど、おそらく外国人でも「結ぶ人」はいると思うんですよね。国際的な調査の結果、仮にアメリカ人30%、イギリス人40%、ドイツ人50%となっても、それが国民性の違いを表すものとは思えません。空き袋を結ぶどころか、そのまま放置するだけで、ゴミ箱にも捨てない日本人だっているからです。

 つまり、この行為は個人的なものに過ぎないのに、国民性の違いと判断する人もいるわけですな。ボクは以前から、人間というのは互いの差違を見つけるのが大好きな生き物だと思ってきました。それによって、自分の属性を再認識してひと安心するわけですね。同じ人類というくくりでは、鳥や魚や獣なんかと違うというだけで、あまりにも茫漠としているからでしょう。それほど孤独が嫌いということも人類共通なはずですが、それでも特定の集団に帰属しようとする。その意味ではマイノリティは珍重されるべきなのに、多数派から差別され続けてきました。人間というのはいったいどういう生き物なんだよって思いませんか。

 ついでにいえば、自分と他者を常に区別し、DNAの一部を共有する親族でも違いを見つけようとするから面倒なんだよな。「世界は一家、人類は皆兄弟」というスローガンを掲げた競艇の親分がいましたが、その理念に誰も反対しないくせに、メンタリティは決してそうはならないのです。人間はアイデンティティを求めるくせに、ある程度の規模を超えてしまうと、より少数の集団に戻ろうとする。このような心理の揺らぎを科学的・統計学的に研究すれば、地球の至るところで隣国同士の仲が悪い理由が分かるかもしれません。ヘイトクライムも少しは減るように思うんだけど。

 大学院で本気で取り組んで成果を出せれば、紛争の回避ということでノーベル平和賞だって取れそうな気がします。要するにアイデンティティ=よりどころ、をどこに求めるかという問題ですから、ビッグデータを駆使すれば解明できるような気がするんだけどなぁ。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

 

 

 

 

 

2020年1月22日 (水)

マイ・ルール

 

 社会や他人から押しつけられたことには、いつも反発してきました。強いられたことに無批判に従うのは何とも不愉快だったからです。

 その逆に、自分が決めたことは、ほとんど確実に実行してきました。そのほうが気持ち良いからです。たとえば、いわれのない金品を貰わないこと。これは若い頃に取材を終えてから車代と書かれた封筒が出てきたことがあり、一瞬だけ悩んだ後に押し返して以来のルールです。誰から教えられたわけでもありませんが、心をまるごと売り渡すように感じたからです。

 そんなボクから見れば、カジノリゾート計画(IRなんてふざけた言い方はやめようよ)で中国企業から多額の賄賂やブランド品を受け取った国会議員の神経がまるで理解できません。自分が首輪を付けた犬になったような気がしなかったのかなぁ。不当な謝礼や講演料などを貰っても恬として恥じない高級官僚だっていますけどね。かつてはノーパンしゃぶしゃぶなんていう下品な接待を何度も受けて逮捕された連中も実際にいるじゃないですか。

 つまり、カネ持ちや確固たる地位があっても卑しい心根のケチがいる一方で、貧乏暮らしでも他人からのほどこしは絶対に受けないという高潔な人もいるわけです。

 この違いは親の躾や教育もあるけど、要するにマイ・ルールの有無だろうと思うんですよね。このブログも、休日と出張時以外は毎日書き続けると自分に課してから7〜8年にもなりますが、一度もルールを破っていません。これはボクの数少ない自慢であり誇りにもなっています。

 外圧ではなく、自分の意思で自分なりの方法で物事を行うほど、楽しくて面白いことはないんじゃないかな。だから、ボクは言われたことはやりたくない。そのかわりに、言われないことは率先してやりたくなるのです。

 こうした生き方に関するマイ・ルールの作成を強く推奨いたします。そうすれば、人生の様々な局面であれこれと悩まされることも減ると思うんだよな。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

 

 

 

 

2020年1月21日 (火)

なぜ利き手があるのか

 

 朝食のハムエッグを調理していて、なぜ利き手があるのかという疑問が頭に浮かびました。キッチンのコンロの右側に壁があるため、塩や胡椒を振りかける時は、左手に持ったほうが便利だと気づいたからです。ところがボクは右利きですから、うまくコントロールできない。片方に利き手があるより、両方の手を同じように動かせるほうがどう考えても有利じゃないですか。

 そこでネットでちょいと調べてみると、利き手があるのは人間だけで、チンバンジーやゴリラなど霊長類も両手を同じように使うらしい。ちなみに、人間の1割は左利きで、9割が右利きだそうです。脳の非対称性に起因するという説もあるようですが、納得できる解釈は見つかりませんでした。人間というのは、まだまだ未知な部分が少なくないようです。

 ただ、現実生活で両手を等しく同時に使うということはあまりないですよね。スポーツが典型的で、野球やバスケットボールなどの球技は腕を非対称的に使います。ボールを両手で投げるのはサッカーのスローインやラグビーのラインアウトくらいですもんね。ゴルフのように両手でクラブを握っても、片方の手が主体的にコントロールしています。前述の調理やペンによる書き物ともなれば、片手ですることばかり。利き手は50万年前からあったという説もあるので、スポーツは後付けになるかも知れませんが、二足歩行で直立した生活上の要請から、片方に利き手を持つ人が生き残ってきたといえるかもしれません。

 どちらかが利き手になるなら、バラバラより多数が同じほうが何かと便利なので、道具の発達と並行して右利きが増加してきたということになるのかな。しかしながら、それでは左利きが1割も残存していることを説明できません。うーむ、左利きの人をボクと同じ変わり者で天の邪鬼というと叱られますよね。

  いやあ、実に不思議ではありませんか。大学受験や就職試験は、こうした答が定まっていない問題を出すべきだと思うんだけどな。回答者の知識やバックグラウンド、知性や個性などが一発で分かると思いますよ。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

 

 

2020年1月20日 (月)

あおり爺

 

 正月休みが明けた最初の週だと記憶しますが、地下鉄に降りるエスカレータがちょっとした列を作っていました。追い抜くスペースのない場所だったので、その流れに従って並んでいたのですが、ボクの靴のカカトを後ろから爪先でコツコツと叩く奴がいるんですよね。大混雑する朝の品川駅なら間違って起きることでも、東京メトロ恵比寿駅の午後3時頃ですぜ。

 1回、2回なら過失ですから文句を言うつもりはありませんが、何度もコツコツとやるので、さすがに温厚な紳士のボクもキレました。「何度も靴を蹴るなよ!」と言いながらパッと振り向くと、白髪混じりのジーサンであります。怖そうな反社会勢力でなくてホントに良かった。それはともかく、スーツではなく、普段着に近いカジュアル姿だったので、おそらく定年後でしょう。人生経験豊富なくせに、どうしてこういうつまらないことをやるのかなぁ。イジメとは言わないまでも、「あおり運転」と酷似したメンタリティではないでしょうか。

 こういう時にボクは泣き寝入りする気はありません。正しい言葉使いで注意するようにしていますが、語気がちょっと荒いので、それに圧迫されたのか、あるいは予想もしなかった反撃を受けて怯んだのか、しぶしぶ「すいません」と投げ捨てるように言う。「すいません、じゃないよ。本当に不愉快なことをする人だなぁ」と言うと、こういうジーサンに限って負けずに言い返してくるんですよね。 

「だから謝ったじゃないか」
 えーと、こんな言い訳が通用するなら、交通事故や過失による傷害・殺人も罪に問われなくなってしまいます。ジーサンというより、ほとんど子供です。元官僚などの上級国民かも知れません。

「謝ればいいってものじゃないだろう。何度も人の靴を蹴っておきながら」

 それに対する回答にも仰天しました。

「何度もじゃなくて、1回だけ。そのほかは別の人じゃないの?」

 前述したように、エスカレータ前で一列に並んでいたのですから、物理的にこのジーサンしか考えられません。にもかかわらず、こういう無理な言い訳をする。まだ子供のほうがまともなことを言いますよ。

 ボクはかつてバイクに乗っていた時に、ジーサンが運転するスーパーカブに追突されことがあります。このジーサンも転倒したのに、バイクをさっさと起こすと、スタコラと逃げ去ってしまいました。ボクも慌てて追いかけ、横に並んだ時に大声で「こらぁ逃げるなよ」と問い詰めたのですが、「わしゃ知らん」ですもんね。「だったら、その足元からダラダラ流れている血は何だよ」「わしゃ知らん」の繰り返し。ナンバーを警察署に届けて事故を報告しましたが、問い合わせにも「わしゃ知らん」とシラを切り続けたそうです。警察は事故を「現認」していないことから、それ以上は追求できないという。「それでは逃げ得じゃありませんか」と文句を言うと、こちらが未成年だったせいか「まぁまぁ。オタクはほとんど被害を受けていないじゃないですか」とないことにされてしまいました。この警察官のメンタリティも許せないですけどね。

 

 話が飛びましたが、とびきりの正義漢であるボクは、今でも無駄を承知で言い返すようにしています。
「いい加減にしろよ! アンタしか後ろにいなかったじゃないか」
「ワシは1回だけ。それ以外は知らん」

 こんな「わしゃ知らん」ジーサンに長く付き合うと、ボクの人品骨柄が大幅に低下することになるので、諦めて先を急ぐことにしました。かくのごとく、とまとめると叱られそうですが、自分の欲求不満を他人にぶつける「キレ爺」や「あおり爺」がどんどん増殖しているように感じます。杖を持つボクに席を譲ってくれるのは若い世代ばかりで、ジーサンたちは先を争って席取り合戦ですからね。優先席に若者が座っていようものなら、ものすごい目つきで睨まれるはずです。優先席は法的に定められた権利ではないんだけどなぁ。

 ちなみに、ボクの場合は、健康上の理由と、ズボンなどに余計なシワを付けないために、30〜40分の距離なら立つようにしています。もっと大きな話題やテーマに向き合いたいのですが、ジーサンを再教育する手段なんてないから大問題なんですよね。それをいいことに傍若無人を繰り返していると、いずれ「ジーサン狩り」にやられるよと、警告しておきます。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

 

 

 

 

2020年1月17日 (金)

不誠実な人

 

 うっかりや失念、あるいは誤解や勘違い、または何かの理由でサボるなど、人間はいろいろな欠点を持っています。けれども、それらは注意すれば回避でき、修正や矯正もそれほど難しいことではありません。

 問題なのは、そもそもの発想に悪意や不誠実があり、それをまるで恥とは考えていない場合です。根本的な理念が他人に迷惑を及ぼすにもかかわらず、そのことをいけないとは認識していないらしいので、発覚した時点でトラブルシューティングしても、同じようなことがどこかに隠されています。つまり、次から次に似たようなことが出てくる。「奇怪なエレベータ」でも指摘しましたが、頭の使い方そのものが間違っているので、どう説得したところで直しようがありません。「生き方がまっとうじゃねぇよ」と言いたいところなんですけどね。

 ごくたまに、ですけど、そんな人に遭遇すると、心身ともに疲労困憊します。これを癒す特効薬は、できるだけ原因となる人から遠ざかるしかありません。ところが人生はいろいろな人とのすれ違いの連続ですから、避けきることはできないんだよな。

 すいません。このブログは常に前向きな結論で終わってきたのですが、つい愚痴を書きつけてしまいました。年齢のせいか、精神的体力が衰えてきたと自覚せざるを得ません。はぁーあ。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

 

 

 

2020年1月16日 (木)

我々は……

 

 ボクだけなのかな、こんなことを感じるのは。たまに「我々は」「われわれは」と話を始める人がいますが、その人称がものすごく不快なのです。「私たちは」「僕たちは」はかろうじて許せても、「我々は」で始める人は、どうにも油断ならなくて信用できないんだよな。

 1970年3月に、連合赤軍は日本航空機をハイジャック。なぜだか北朝鮮に向けて飛び立つ前日に「最後に確認しよう。われわれは明日のジョーである」という声明文を出しました。それだけで、この人称がものすごい「圧力」(今は「圧」と略すのかな)を伴うことが分かりますよね。

 つまり、「我々は」で始める人は、意識・無意識を問わず、多勢をバックにしていることを強調したいという意思が隠されています。そうした数を頼みにした他者依存が、あるいは自己責任の回避が、個人主義者のボクには嫌悪すら感じられるのです。「私たち」も本質は似たようなものですが、お互いの共感をベースにしています。ところが、「我々は」は組織的な支配・従属関係があることを匂わせる文語なので、聞いた人に与えるインパクトがかなり違うんだよな。武器を持った軍人が「私たちは」なんて軟弱な言い方をするはずないですもんね。陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地に乱入した三島由紀夫の檄文だって「われわれ楯の會は……」から始まっていました。

 どうやら独裁的な主義や思想の持ち主ほど、「我々は」とやりたがる傾向が強いのではないでしょうか。言葉に敏感なはずの文学者の皆さんが、なぜこのようなセンスを持てないのか、不思議で仕方ありません。「生きざま」なんかより、よほど気持ちの悪い言葉だとボクは思うんだけど。

 いずれにしても、「我々は」で始める人は、いずれ反論を許さない被支配・従属を強制するようになるとボクは睨んでいます。政治家の演説も、そこに注意すると、いろいろなことが分かってくるんじゃないかな。自ら矢面に立つ覚悟を持って「私は」で始める人のほうが、ボクにはよほど信頼できるのです。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

 

2020年1月15日 (水)

奇怪なエレベータ

 

 経緯は省略しますが、先週は1970年代に建築されたマンションを訪問しました。駅近くの大型団地という風情ですが、エレベータが実に奇妙だったのです。

 昔の低層建築はエレベータが義務付けられていなかったらしく、大学の古い研究棟などの取材でたまにハァハァと息を切らせて階段をいくつか昇ったこともあります。このマンションは11階建てなので、ちゃんとエレベータがあり、しかも2基が隣り合わせで設置されていました。

 100戸ほどを擁する大型マンションですから、2基あることは納得できますが、停止階がヘンなのです。どちらも、1階、2階、5階、8階、11階しか表示されていません。その間はドットとして飛ばされています。つまり、その中間のフロアは階段を利用するしかないわけです。エレベータを途中で止めるのは造作もないことなのに、どうしてこんなことをするのだろうと怪訝に感じますよね。最初は飛び飛びだったとしても、設定さえ変えれば全フロアに停止できると思うじゃないですか。

 ところが、中間の階に行ってみて、それが不可能である事情がよく分かりました。外階段を降りて、エレベータが停まらない住戸に行ってみると、2つの玄関口が階段の踊り場を挟んで向かい合わせになっていたのです。文章ではうまく説明できませんが、まるで缶入りのオイルサーディンのようにぎっしりと住戸を詰め込むために、エレベータを各階に停まらないようにしたらしい。エレベータが停止しないフロアは住戸の間を貫通していくだけですから、乗り込むためのホールは不要。その面積を中間階の住戸に振り分けているのです。

 ただし、エレベータの面積を単純にケチるだけでなく、それなりの巧妙な工夫が施されているんですよね。こんな複雑な構造のどこが「巧妙」なのかと言えば、中間階の住人は、階段を降りる面倒はあっても、昇る負担はないからです。例えば9階の住人が通勤で1階に降りる時には、フロアを1つ下って8階のエレベータを利用すればいい。帰宅した時はエレベータで11階まで上がってから2つ下れば9階となります。10階の住人も、行きは2つ下って8階でも、帰りは11階から1つ降りるだけですから、どちらも合計は3階分で不公平はありません。エレベータが停止するフロアは確かに便利ですが、それ以外の中間階の負担はすべて同じになるように設計されているのです。ほらね、ちょっと感心しませんか。

 しかしながら、これは人間の移動に限ったことであって、引っ越しなどでモノを運搬しようとすると大変なことになります。いくら下りとはいっても、分解できない大型ロッカーやタンスを担いで階段を降りるのは体力が必要になるので、おそらく特別料金になるはずです。中古で売却する時にもデメリットになるので、このエレベータ設定はやはり無理があるとしか思えません。

 ちょっとばかりの面積をケチるために関係者があれこれと知恵を絞って苦労するのは、むしろ時間と手間の無駄だとは思わなかったのかなぁ。特殊な構造なので、建設時にもそれなりのコストアップになったはずです。そんなことより、住み心地を少しでも良くするのが設計者の本来的な仕事ではないでしょうか。

 頭の使い方というのかなぁ、発想の方向性そのものがちょっと間違っているんじゃないかという事例として、ご紹介いたしました。それに類したことは案外少なくないようにも思うんですけどね。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

 

 

 

 

2020年1月14日 (火)

饒舌は嫌われる

 

 ゴーン容疑者、というか被告かな、彼の弁明がテレビで報道されましたが、案の定というか、こういう人は日本では嫌われるんだよな。ヨーロッパのエリートならちっとも不思議ではないマルチリンガルに驚いたのは一部の番組だけで、コメンテイターの皆さんはすべて日本からの逃亡を非難。彼を擁護する識者や評論家は、ボクが見た限りでは1人もいませんでした。判決が出ていないのですから、法的には犯罪者ではないのですが、保釈中に海外逃亡ですから、これまで叩くのをモゾモゾとためらってきた理由がすっかりふっきれたらしい。

 中には調子に乗って、有罪率が異様に高い日本の刑事裁判を「精密司法」と声高に自慢する元検事もいましたが、いい加減にして欲しいなぁ。そのかわりに不起訴も多いと彼は指摘しましたが、例のレイプ事件の容疑者となったジャーナリストはどうなんだよ。あれだけの根拠があるにもかかわらず、政権からひと声あったかどうかは知りませんが、検察審査会でも不起訴となったではありませんか。そもそも就活中の若い女性を引っ張り出して、深夜まで2人だけで飲酒するという行為自体がアウトですよね。下心があったとしか考えられないじゃないですか。

 逮捕後の拘留期間にしても、法律では最長20日間とされているにもかかわらず(逮捕後の3日間を加えて合計23日間)、ゴーン容疑者は120日以上も拘束されました。再逮捕など様々な理由がくっつきますが、要するに自白しなければ外に出してくれないのです。警察庁のトップである長官が狙撃されても犯人は今も不明という貧弱極まりない捜査能力に、恫喝を繰り返すだけの子供じみた尋問などなど、これのどこが「精密司法」なんですかねぇ。

 こうした人権無視の司法制度を指摘する人がいなくもなかったのですが、「ともかく逃げたのはいかん」という大声にかき消されてしまいました。

 日本は源義経が大好きな判官贔屓の国のはずなのに、ゴーン容疑者に批判的な理由は簡単です。彼が大金持ちということもありますが、あまりにも饒舌だったからですよね。大金持ちの犯罪容疑者というだけでも不愉快なのに、ベラベラと自分に都合のいい理屈ばかりを延々としゃべりまくる。内容はどうあれ、ほとんどの日本人はそれだけで嫌悪を感じるんだよな。

 国際社会は異文化の人たちが混在しているので、どんなことも思っているだけでは伝わらず、話すことがすべての始まりになります。ビジネスマンが寡黙では商売にならず、多国籍企業の経営幹部ともなればマルチリンガルでなければ務まらない。こうしたグローバル化に対応して、日本の大学でも語学教育の強化だけでなく、プレゼンテーションやディベートを活発にやるようになりましたが、まだまだボクたちのメンタリティは変わっていません。「男は黙って……」とは言わないまでも、話せば話すほど軽く見られるようになります。逆に、何も考えていないくせに、腕組みをして瞼を閉じているだけで西郷隆盛のように思われたりするわけですな。

 かく言うボクも、ゴーン式の多弁は嫌いです。機関銃のように言葉を繰り出してくるなら、それが弾切れになるまで待避して、二言三言の大砲を準備することにしています。たいていの人は話せば話すほど隙が生まれるので、最も他者の共感を得やすい急所を狙えばいいんですよね。

 以前にも書きましたが、人間は話の内容なんかあまり聞いていません。そこに反映された感情を読み取り、自分の中に移しかえるんですよね。ただし、インタビューアーは現場では決して嫌悪を表現せず、むしろ好意的に反応します。だから、ゴーン容疑者も賛意を得たと思い込んでベラベラと続けたわけですな。こういうことにならないよう自戒してきたつもりですが、頷かれるとボクもつい調子に乗ってしまうので、皆さんもご注意ください。

 

 ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

人気ブログランキングへ

 

 

 

 

 

 

 

2020年1月10日 (金)

渋谷駅の不快

 

 やっぱりね、工事中の頃から感じていたましたが、東急というのは客のことをあまり考えない会社らしい。今や世界的な名物となったスクランブル交差点を、こともあろうに高層ビルで取り囲んで日陰に沈めるという信じられない暴挙を以前に指摘しましたが、新生なった地下鉄銀座線のホームも大問題が発生しているようです。こちらは東急の管轄ではないかも知れませんが、大規模な再開発なので無関係ともいえないはずです。

 渋谷の銀座線ホームはもともと幅が極めて狭く、朝のラッシュ時には利用客があふれて改札外の階段にまで長い列ができていました。そりゃそうですよね。渋谷駅には複数の路線が乗り入れており、遠方のベッドタウンから到着した多数の人たちが都心に向けて乗り換えるのですから、混雑しないわけがない。にもかかわらず、民家の廊下と見紛うばかりの狭小ホームでしたからね。

 新しい銀座線は、そこから150メートルほど東に寄せることで、幅広いホームを実現しました。それはそれで歓迎できても、ホームをズラしたおかげで、それまでは複数あった乗車ルートが1つに集中。その階段が黒山の人だかりとなり、本日のテレビでも利用客が口々に不満をぶつけていました。入路はほかにもあるのですが、最短距離を選ぶと、事実上のボトルネックになってしまうらしい。自分が乗り降りする立場になって本気で考えれば、こんな設計はしなかったはずです。上の連中を見るんじゃなくて、現場を見ろよ現場を。

 長きにわたって工事中の不便を我慢させてきたにもかかわらず、仕上がりはこれですもんね。現在の渋谷駅は複雑に入り組んだ立体的な迷路のようになっています。エスカレーターやエレベータも、杖を持つボクにとって不備だらけといっていい。いくら敷地に限界があるといっても、会社側や施工者だけに都合のいい改築を繰り返してきただけで、客のことなんかほとんど配慮していないとボクは断じるようになったのです。彼らはCSRや社会貢献という言葉を知らないのかなぁ。

 そんなわけで、ガラス張りでピカビカの新築ビルが林立するようになっても、渋谷駅にはとことこん共感できません。それどころか強い不快感を覚えるようになったので、そろそろ離れようかと思っております。渋谷の隣駅である恵比寿に住んで30年ほどにもなりますが、ほとほと愛想が尽きました。

 それでも若者たちが陸続として渋谷を目指すとしたら、メディアや群集心理に踊らされる痴呆化が後戻りできないほど進行しているとしか思えないんですけどね。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

 

 

 

2020年1月 9日 (木)

恩知らず

 

 誰が日産からゴーン容疑者を追放したか、その真相はまだ分かりませんが、現場で自動車を設計・製造している人たちはどう感じているのでしょうか。名車スカイラインやフェアレディの元ファンとしては、自分の手を油で汚すことのない幹部連中が政権闘争に明け暮れ、やがてクーデターが勃発という頭上の痴話喧嘩のように見えて仕方ありません。

 彼らの理屈では、ゴーン容疑者が何億という法外な大金を掠め取ったように表現されていますが、そもそも深刻な経営危機に陥った日産で誰も大ナタを振るうことができなかったんですよね。労組支配や下請けのピラミッド構造などにメスを入れることもできず、無能な茶坊主たちが手をこまねいていたといったら叱られるでしょうか。さもなければ、フランスからわざわざ外様の経営者が送り込まれるはずがありません。

 つまり、ゴーン容疑者の辣腕がなければ、債務超過でとっくに倒産、あるいは銀行管理会社になっていたかもしれないのです。彼の手法や利益誘導や私的な横流しなどに問題があったとしても、日産としては多大な恩義があるはずです。にもかかわらず、どのように政府と結託したかは不明ですが、詳細な資料を検察に送り込み、横領だか背任かは知りませんが、犯罪として立件させようと企んだ。

 これはあくまでも彼の側に立った憶測に過ぎませんが、織田信長と明智光秀の故事すら思わせる古典的な裏切り劇のようにも思えます。いずれにしても、彼を追放した経営幹部の皆さんは、そうしたゴーン容疑者の功績についてはほとんど表明していません。会社が立ち直ったから、そろそろ追い出すかと謀ったようにしか見えないのです。

  物事には何だって光と陰の両面があります。そのどちらかしか言わない人は、腹黒い嘘つきに思えるんだよな。とにかくね、恩知らずな連中が跳梁跋扈するイヤな会社だなぁというのが、ボクの偽らざる印象なのであります。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

 

2020年1月 8日 (水)

魔窟

 

 日本の刑事司法というのは、性善説に立脚しているんでしょうかねぇ。いくら保釈中で大金持ちとはいえ、国外逃亡を見逃すなんて、警察&検察庁ならびに裁判所の大失態というほかありません。にもかかわらず、テレビでは大型の箱の中に隠れて出国したとか何とか、トリビアなことばかりに注目。責任論は例によって「桜を見る会」のごとくウヤムヤの暗雲の中に紛れようとしています。誰が保釈してどこの管轄でどんなやり方でチェックしていたのかをはっきりさせなきゃね。それと並行して、直ちにレバノンに刑事を派遣して再逮捕に動くべきですよ。さもなければ、いーい湯だな、はーあビバノンノンという逃げ得を許すことになります。話が思わず長くなりました。レバノンでビバノンノンというダジャレを言いたかっただけなんですけどね

 それにしても世界は狭くなったというのが、第2の感想です。レバノンが地球のどこにあるのか分からなくても、ゴーン容疑者がトルコ経由のプライベートジェットで到着したことはすぐに明らかにされました。超有名人で、レバノンに自宅があるという事情もありますが、もはや海外に脱出すれば逃げおおせられるという時代ではないんですよね。

 かつて香港には、九龍城砦と呼ばれるビル群がありました。不法な増築を繰り返してきたために、小さな通路が複雑に入り組み、それぞれの建物が互いにもたれ合った独特の奇観で知られていました。香港はもともとイギリスが租借していたので、中華人民共和国の樹立直後に大陸から移民が流入。彼らによって、国際的なエアポケットというか、治外法権的な地域特性を利用して、世界でも稀な低層ビル群による巨大なスラム街が形成されたようです。

 このため、ボクが若い頃は「東洋の魔窟」などと呼ばれていました。「あそこに逃げ込んだら警察も手が出せないらしいよ」と、香港・尖沙咀の薄暗いバーで聞かされたのは20代半ば頃かな。だったら見てみたいじゃないですか。それが実現したのは、いま思えば取り壊される直前です。啓徳国際空港の近くにあったため、ジャンボジェットが頻繁に上空を通過。しかも着陸の直前ですから、翼のリベットが視認できるほどの低空を飛んでいきます。その圧迫感と騒音が、まさに魔窟と呼ぶにふさわしい雰囲気を強調していました。内部に入ると、古くてかび臭い迷路みたいな通路がクネクネと続くので、好奇心の強いボクもさすがに奥まで足を踏み入れるのは断念。ただ、やたらに「牙科」という看板がぶら下がっているんですよね。牙ですよ、牙。いかにも不気味ですけど、要するに「歯科」という意味だと後で知りました。

 この九龍城砦は1993年から94年にかけて解体され、現在では公園やスポーツセンターになりました。国際空港が啓徳から移転したので、空路からも外れています。かつてとは比べようもない、明るく開放的な地域に生まれ変わったようですが、何だかね、とても残念です。

  国家や地域行政はもちろん、GAFAなど多国籍企業や大組織が手を出せないような「魔窟」は、情報化社会だからこそ必要だと思うんだけどなぁ。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓
笠木恵司のブログ

 

 

 

 

 

 

2020年1月 7日 (火)

美意識

 

 電車の中での化粧はもはや常識化しており、突然の揺れでマスカラブラシが眼玉を突き刺すんじゃないかとハラハラさせるものの、もはや慣れてしまって不快感が消えてしまいました。 

 けれども、ボクが利用する地下鉄日比谷線では、よほど空腹なのか、バッグや紙袋から食べ物を取り出し、人目もはばからず頬張る人にしばしば遭遇します。山手線ではあまり見かけないので、窓外が暗い地下鉄なら安心するのでしょうか。ただし、口にする食べ物がね、いろいろとあるんだよな。

 サンドイッチなら乾いているのでまぁまぁ許せますけど、オニギリをムシャムシャってどうなんだろう。特にパッケージを引き破ってから海苔を本体に巻くという場合は、バリバリと大きな予告音も伴います。そもそもこういう人は他人を意識することがないので、「地下鉄で何やってんだコイツ」という冷たい視線を一身に浴びていることに気づかないんでしょうね。

 その延長というべきか、マクドナルドのハンバーガーとコーヒーを持って車内に飛び込んできた若い男を見た時は、さすがに衝撃を受けました。「こ、これもテイクアウトなのか」と呆然とするボクを無視して、そいつは薄緑色のパッケージを開けてハンバーガーを取り出したのです。すぐにお馴染みの濃厚な匂いがプワーンと車内に漂います。地下鉄ですから、窓を開けるわけにもいきません。朝の10時前だったかな。ネクタイ姿の会社員もまだ多く、みんなが迷惑そうな顔をして彼を一瞥しましたが、さすがに社会人なので面と向かって文句は言わない。だから調子に乗って行儀の悪いことをする奴が増殖するんだよな。言われなきゃ分からない、教えられなきゃ知らないと恥ずかしげもなく言う人が少なくないので、腕力に自信のある大人は遠慮なく注意すべきですよね。

 さて、いよいよ本題です。銀座から恵比寿に向かう日比谷線の車内で、ファッションモデルかと見紛うほど背が高くスレンダーな女性が扉の脇に立っていました。服装もブラックベースのシックでまとめており、バッグも高級ブランドのロゴがくっついております。そんな格好にはおよそ不似合いな白いビニール袋をぶら下げていたので、ついつい挙動に注意していたのですが、霞ヶ関を過ぎたあたりで、彼女は袋の中をガサゴソとかき回して、あるモノを取り出したのです。

 それを見てボクは驚愕しつつも、鼻から笑いが吹き出しそうになりました。いったい何だったと思いますか? 

 普通の人なら想像を絶するだろうな。なななな何と牛丼だったのです、って、冗談ですよ冗談。これは過度にびっくりさせないための予行演習でありまして、さすがのボクも丼ものや麺類を食べている人は見たことがありません。周囲を圧倒する強烈な匂いが籠もるだけでなく、完食を目指すうちに下車駅を通過しちゃったりしてね。

 では、彼女は何をビニール袋から取り出したのでしょうか。

 それがね、バナナだったのであります。これは長きにわたって地下鉄に乗り続けてきたボクにとって初めての体験です。

 彼女は揺れる車体に身体をあずけながら、ゆっくりと四筋ほど剥いてから、パクリと食いつきました。それを見て「お前はゴリラか」と思ったのはボクだけでしょうか。どうせならリンゴのほうがカッコ良かったのに、というのも冗談ですけど、そういう種類の感覚なのかもしれません。さらに、彼女は食べ終わった黄色い房を袋に戻した後で、今度は飲み物を取り出しました。それがボトル入りの緑茶ですもんね。漫才なら間髪なしで「オバハンか!」と突っ込みが入りますぜ。

 別に緑茶がいけないというわけではありませんよ。繰り返しますが、ブラックのファッションをまとった20代半ばのスレンダーな女性が、地下鉄の車内でバナナを剥いてパクつき、緑茶をゴクゴクする。そんなミスマッチが逆にオシャレという意見もないわけではないでしょうが、ワタクシはちょっとね。見ず知らずの女性であるだけに、もうちょっと美意識に敏感になって欲しいなぁ。そんなに素敵なスタイルなのに、わざわざイメージをぶち壊してしまうのは勿体ないではありませんか。

 美しい精神は、美しい装いと姿勢と態度を通して表現される。そのために少しばかりの空腹は我慢することも必要じゃないかとボクは思うんだけどなぁ。

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

2020年1月 6日 (月)

連帯を求めて孤立を怖れず

 

あけましておめでとうございます。
本年もご愛読をよろしくお願いいたします。

 にもかかわらず、新年から恐縮ですが、業界の大先輩がうつ病に罹患されたようです。とても賢い人ですが、ボクのように神経質で不安症というタイプではないので、ご本人もそんな自覚はまったくなかったらしい。ただ、体調がどうもおかしく、不眠と食欲不振が続くことから思い切って診察を受けたところ、うつ病と判明したそうです。

 ボクよりちょうど一回り年上ですから、失礼ながらいわゆる老人性うつ症ということになるんでしょうね。そこで抗うつ剤を処方されて服用すると、たちまちのうちに改善。しばらくして「寛解」ですから、ご本人も呆気にとられたのではないでしょうか。いずれにしても、お元気なのは何よりです。

 知らなかったわけではありませんが、うつ病というのは必ずしも暗い顔や呼びかけに無反応といった心的症状だけでなく、身体の不具合としても発現することを改めて認識しました。気持ちは元気で溌剌としているつもりでも、言葉にできない不安と憂鬱が無意識のうちに深く浸潤していたなんてことになるのかな。その意味では文学的な病ともいえそうですが、医学的にはセロトニンなど神経伝達物質の減少によって発症することが明らかにされています。だから、その分泌を刺激する薬を投与すれば治癒は可能。なんて解説したら、芥川龍之介や川端康成は気分を害するんじゃないかな。

 ただし、複雑な要因が絡んだケースも少なくないので、抗うつ剤が効かないこともあるようです。また、短期的には改善しても、神経伝達物質を阻害するストレスなどの要因が解決されない限りは、何度も発症するという理屈になります。それが歯痛のように直接的に表われるわけではなく、体調不良という間接的なカタチで出てくることも、うつ病特有の症状といえそうです。

 つまり、うつ病というのは、心=精神と肉体が不可分であることをいみじくも実証する疾患なんですよね。「我思う、ゆえに我あり」というデカルト型の唯心論ではなく、「我あり、ゆえに我思う」ともいうべき(ボクの独自表現です)サルトル的な実存を証明する病なのでありますよ。

 このように小賢しいことを言わなくても、昔の人は「病は気から」と喝破していました。ただね、この「気」という奴が曲者でありまして、試薬のプラセボ効果から手かざしまで、いろいろとあるんだよな。現代はAIの時代であり、だからこそ人間の時代でもあるので、この「気」が昔の軍隊的な精神主義のようにどんどん悪用されていく予感もします。すでに自己啓発やマルチ商法のセミナーはそんな「気配」が濃厚ですもんね。

 こういう怪しげな「気」の洪水から身を守る唯一の方法は、自立した個の維持しかありません。誰にも何にも依存しない自分を守り抜くこと。ボクの好きな言葉「連帯を求めて孤立を怖れず」は全共闘のスローガンでしたが、今こそ再び普及させるべきではないでしょうか。ACジャパンに提案してみようかなぁ。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓


人気ブログランキング

 

 

 

 

 

 

« 2019年12月 | トップページ | 2020年2月 »