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福助くん その6

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    福助くん、9歳の秋です。 ちょっと長めの散歩をして、世田谷公園へ。 紅葉と福助をご覧くださいまし。

福助くん その5

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    2010年秋の福助くん。とある週末に埼玉県所沢市にある航空公園に行ってきました!

福助くん その4

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    今さらですが、今年の花見の福助くん。ご近所の目黒川に行ってきました。

福助くん その3

  • 1 田舎に行ってきました!
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福助くん その2

  • 定位置
    平日は会社にいる福助。こんな感じの毎日です。

福助くん その1

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2020年3月

2020年3月31日 (火)

自己防衛(後)


 感染者がいきなり激増するだけでなく、テレビのワイドショーも急におどろおどろしい雰囲気になってきました。外出自粛を要請されているにもかかわらず、学生たちが駅前で酒飲んで無神経に騒ぎまくっているから仕方ないですけどね。ボクの知っているカウンターバーでも、金曜日の深夜に尻や肩を窮屈そうに隣り合わせて、マスクなしで濃厚接触している人たちがいたので、危機感はほど遠いみたい。廊下みたいな空間で換気も悪そうなので、集団感染も十分にあり得るんだけどなぁ。

 そうかと思えば、テレビでは学校再開に向けて「ちゃんとした基準を示して貰わないと困る」とこぼしている先生がいました。この先生は、文科省と教育委員会の指示になれきってしまい、自分で考える習慣をなくしたのでしょうか。新型コロナが壇蜜、じゃなかった「3密」で感染することは衆知されています。基準が示されないということは逆に、それさえ守れば何をしてもいいってことですよね。だったら、運動場とか近くの公園で授業をやってもいいじゃないですか。防寒対策さえしておけば、広くて換気もこれ以上ないほど抜群です。何も狭苦しい教室の中でしか授業ができないってことはないはずです。むしろ、そうした創意工夫を子供たちに見せることも教育の一貫ではないでしょうか。

 自己防衛もそれと同じで、想像力に基づく創意と工夫が必要というのが、ボクの結論なのです。すでに起きたことや誰かに言われたことに受動的に反応するのでなく、できるだけ先回りして考える主体的な想像力が欠かせません。そのための発想のヒントは過去にあります。今さら新聞記事をひっくり返せというのではなく、大きな傾向だけを掴んでおけばいい。ボクにとっての第一は、日本の政治家でまともな展望と指導力を備えた人は皆無ということ。第2に、太平洋戦争敗北後の日本はアメリカの従順な奴隷、じゃなかった忠実な子分であり、何から何まで追随してきました。近頃なら相次ぐ規制緩和や国際化にインターネットが象徴的じゃないですか。

 この2つを知っておくだけで、いろいろ先行きが想像できます。アメリカで新型コロナが蔓延していたら、日本だけパラダイスでいられるはずがない。そして、このまま感染者が倍々で激増したら、凡庸な政治指導者の手に負えなくなるってことです。

 だからといって、焦って買い占めに奔るのは、ただの神経反射であって、想像力とはいえません。昨日も指摘したように、いくら生鮮食品を買い占めても3日くらいしか保たないからです。そして、1人が過度に買い占めれば、トイレットペーパーと同じく流通システムに大きなダメージを与えます。空いた棚やケースがみんなの買い占め心理に拍車をかけることになり、円滑な供給体制が瞬時に壊れてしまうんですよね。電気がショートしてブレーカーが落ちてしまい、家全体が停電するようなものです。

 そうならないためには、どうするか。首都封鎖にならないまでも、外出自粛が続くと想定すれば、ある程度の買い置きは必要不可欠です。そのほうが安心できますから。ただし、まとめていっぺんにというのがいけないんだよな。他人に迷惑をかけるので恥ずかしいだけでなく、前述したように供給体制、サプライチェーンに異常な負荷をかけることになるので、結果として生鮮食品も入手しにくくなってしまいます。

 それを回避するためには、ちょっとずつ保存食品などを買い置きすればいいのです。これなら、ほかの人に迷惑が及ぶことはないはずです。今さら遅すぎる提案かもしれませんが、日々の買い物のついでに、パスタや缶詰やレトルト食品などを少しずつ買い足していくという感じかな。

 これはあくまでも例であって、正解というわけでは決してありません。むしろサバイバルに正解なんてあるはずがない。自分自身で臨機応変に工夫していくほかないんですよね。これこそが学校で本来教えるべきことであり、ボクたちが久しく忘れていた思考習慣、すなわち知恵ではないかと思うのであります。


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2020年3月30日 (月)

自己防衛(前)

 

 パニック的な買い占めを煽るわけでは決してありませんよ。けれども、この国の政府はホントに信用できません。東京オリンピックの延期が正式決定されたのは3月24日ですが、その直後から新型コロナ検査の陽性者がいきなり激増ですからね。これまで少なかったのは、厚生労働省をはじめとする行政幹部の「忖度」による検査数抑制のおかげだったのかと、誰だって疑うではありませんか。

 国によって検査体制が異なるので、ボクは感染者数でなく死亡者数を新型コロナ蔓延の基本的な指標としてきました。それでもこうなると、死亡原因を肺炎ではなく、既往症など別の理由でカウントしていた可能性も否定できなくなってきました。さすがに何を信用していいのか分からなくなりますよね。

 以前も書きましたが、このやり口は太平洋戦争時の大本営発表からまったく変わっていない「悪弊」なのです。歴史を振り返れば、というより過去の新聞やネットをチェックするだけで、そんな事例は山のように列挙できます。水俣病などの各種公害から薬害エイズ、近年でも原発事故そのほか、見て見ぬフリの不作為と情報隠蔽のオンパレードですぜ。 

 こんな国の公式発表なんか、とてもじゃないけどボクは信じられません。かといって、国民はあまりにも従順過ぎて、政府や行政をひっくり返そうとする覇気すら感じられない。というより、自分と家族を守ることに精一杯で、他人のことまで考える余裕がないんだろうね。スーパーのカートにトイレットペーパーや保存食を山のように積み込むオバサンも、傍目には意地汚く見えるけど、必死で生き残ろうとしているわけです。素直に純真に政府を信用していたら、いつ餓死に追いやられるか分からないもんね。

 この意見はちっとも過激ではなく、普通の社会人なら異論はないはずです。そもそもSNSとネットの時代に隠蔽が通用すると思っているのは、アメリカと中国と北朝鮮と日本くらいなものじゃないかな。結構多いけど。イランなんか、あの惨状では隠しきれないですもんね。その中でも、日本は特別に往生際が悪いとしか言いようがない。

 これ以上の評論や分析は賢い大学の先生や識者にお任せするとして、本気で自己防衛を考えるなら、やはり家の中にいるのが一番ですよね。これだけは都知事と意見が一致します。しかしながら、じっとしていても腹は減るし、心まで病んできます。少なくとも前者に対応するためには、ある程度の食料を買い溜めしておくことが必要です。ところが、生鮮食料品は3日もすれば傷んでくるので、長期の買い溜めはできません。冷凍食品なら消費期限は1年程度らしいのですが、一般的な冷凍庫は小さくて、収容能力は限られていますからね。 

 ここで気づかなきゃいけないのは、もはや現代に「ノアの箱舟」はあり得ないということです。旧約聖書が記した7日7晩という期間は持ちこたえられても、それ以上を耐え忍ぶのは現実的に厳しいですよね。マスク不足が象徴するように、高度に発達した国際分業に依存しているため、国家もボクたち自身にしても、自給自足するには限度があるじゃないですか。つがいで乗せた動物たちは再び繁殖しても、人間の生活水準が簡単に元に戻るはずがない。

 若い頃に核シェルターを庭に埋めた人を取材したことがあります。いざという時にまわりの人たちが殺到する怖れがあるというので、場所も名前も匿名で記事化しましたが、仮に核戦争を生き延びたとして、いったい何ができると思いますか。どれだけ食糧を保存していようが、大多数が死に絶えてなお放射能が残る環境では、死期がちょっとばかり延びるだけのことですよね。電池ひとつ自力では作れないんですから。

 それまでの生活を維持するためには、みんな一緒に生き残っていかなければならない。これをきちんと理解すれば、自分勝手な行動が社会を殺し、それが連鎖して自分自身の生活も殺すことが分かってきますよね。それを踏まえた上で、正しい自己防衛とは何かをもうちょっと考えてみたいと思います。

 

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2020年3月27日 (金)

放置国家

 

 ああ、また買い占めパニックかと苦重い嫌悪感が喉もとまで上がってきたんだよな。一昨日の夜8時過ぎに都知事が今週末の外出自粛を要請。しばらくするとテレビではスーパーに群がる人たちと、ガラガラの棚を放送していました。

 こんな光景を見せるから、ますます必要以上の買い占めに奔るんですよ。どこかの裸祭りと同じで、ヒートアップした動物的本能に向けて「商品は十分ありますから慌てないでください」と冷や水をかけても、たちまち蒸気の逆効果になるだけです。テレビ局は自分たちが扇動していることをちゃんと認識しているのかなぁ。 

 かといってボクも仙人ではないので、カスミは主食ではなく、尻だって紙で拭かなきゃいけない。だから翌朝早くにドラッグストアに向かいました。取りあえず1か月分くらいのロールは残っていますが、フランスのように外出禁止が長期化する可能性も否定できないので、もう1袋くらいは準備しておきたいじゃないですか。これは買い占めの範疇には含まれないと思うんだけどね。

 そのドラッグストアは9時開店。だから30分前なら余裕だろうと思って行ったら、すでに十数人の行列ができているじゃないですか。しかも、ボクの後ろにどんどん人が並んでいく。そのうちに大きな段ボールがいくつも店の横に運び込まれ、店員さんが箱を開けて、その中のトイレットペーパーを脇に積み上げていきました。かなりの量なので、供給不足は解決したように見えるのに、どうして早くから並ぶのかなと不思議に思って知人にラインすると、「家族が多いと不安だよね」というコメント。ボクは1人暮らしで想像できなかったのですが、子供2人の家族4人で12ロール1袋では確かに心配でしょうね。

 そんなふうに納得して待っていると、店員さんが行列に向けて「今日はマスク50枚入りの箱が用意できました。レジで注文してくださいね」と言って回っているではありませんか。何のことはない、並んでいる人たちはトイレットペーパーではなく、マスクがお目当てだったのです。それにしても、ネットではそんな情報のカケラもなかったので、どうやって知ったのでしょうか。スマホのアプリなのかな。

 もちろんボクもマスクはまったく足りないので、50枚入りなんて思わぬ僥倖で大歓迎です。やがて行列が店内に吸収され始めると、ほとんどの人はトイレットペーパーなんか無視。たまにボクのように手に取る人もいましたが、10数人に1人くらい。今ごろトイレットペーパーなんて目端の利かないマヌケと思われていたかもしれません。行列の常連という人もいるんだろうな。

 そんなわけで、トイレットペーパー12ロール1袋、ティッシュ5箱、マスク50枚入り1箱が本日の戦果。ちなみにマスク1箱は税別で698円でした。これでしばらくは安心かな。

 でもねぇ、これが21世紀になって20年も経過した先進国の生活でしょうか。戦後やオイルショックの頃と何も変わっていません。おっと、東日本大震災でもいろいろ欠乏がありました。リーマンショックだけはカネ持ちは別として、庶民に直接的な影響はなかったですよね。新型コロナで「外出の自粛要請」はさすがに仕方ないと思うけど、それによる買い占め行動などをちゃんと想定しているのでしょうか。政治家だから口だけは達者でも、その言葉をもはや誰も信用していませんよ。実際にマスクだって欠乏が問題になってから2か月以上が過ぎています。月産6億枚と豪語したのは、どこのどいつだよ。菅さんか安倍さんのどちらかだったぞ。だから自己責任で自己防衛するしかないわけです。

 この国は法治国家なんぞではなく、漠然とした要請ばかりの“放置”国家に過ぎない。ちゃんとした準備もなしで、上から下へと責任だけが降りていく。そんなことを危機が発生するたびに骨身に浸みるほど教えてくれる政治と指導者の貧困を、もうそろそろ何とかしようよ。

 

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2020年3月26日 (木)

生きている証

 

 まったく面白くないなぁ。すでに1か月以上もライブハウス通いを自粛してきたのに、「今週末は不要不急の外出を控えてください」だってさ。要請、つまりお願いだから従うけど、これが命令だったら敢えて逆らうかもしれません。親父からそんな性分を受け継いでしまったから仕方ないんだよな。 

 それにしても、ああつまらない。死んでないことを生きていると判断するのは、医学的には正しくても、文系的かつ哲学的には大いなる間違いではないでしょうか。実際に「医学的な死と経済的な死はまったく等価である」とテレビで喝破した女性の学者もいます。ここまで新型コロナが蔓延する玄関口の頃でしたから、なかなか優秀な人です。ただし、表現が学者風でいかにもややこしい。家に引きこもり続けたら、いずれ餓死しますと簡単に言えばいいのに。 

 さて、『木枯らし紋次郎』です。上州新田郡三日月村の貧しい農家で生まれた渡世人を主役にした股旅物の小説を原作として、1972年からテレビドラマ化されて一世を風靡。テレビには珍しく、前のめりで歩き続ける紋次郎のシルエットをアクセントにした遠景が実に印象的でした。それまでは、小さなテレビの画面でこんな大胆なヒキの映像を見たことがなかったからです。それもそのはずで、映画監督の市川崑が初めて演出したテレビドラマだったんじゃないかな。あ、この人は1964年に開催された東京オリンビックの公式映画の監督でもあります。奇しくも、ということで今とつながりますけどね。 

 それはそれとして、このテレビドラマでお茶の間にまで大流行したのが「あっしには関わりのねぇことでござんす」というセリフです。ホントに関係ないならドラマも成立しないので、あちこちで軋轢を巻き起こしていくのですが、経済がそこそこ発展して個人主義を通せるようになった社会性にぴたりとフィットした言葉だったんでしょうね。 

 そこらの小学生すら、親から宿題を咎められると「あっしには……」などと言い返していたそうです。けれども、ボクが最もインパクトを感じたセリフはそれではありません。 

 誰かから「てめぇは何のために生きているんだよ」と訊かれた紋次郎は、「死なねぇから生きているんでござんすよ」と答えたのです。これこそが、全共闘運動が壊滅した後の空虚なニヒリズムを象徴しているんでござんすよ。こんな形而上的なことをばくち打ちの渡世人が考えているはずがありません。原作者である笹沢佐保の鋭敏な時代感覚が、そう言わせたんでしょうね。 

 そのセリフをボクは、例によって額面通りに受け取りませんでした。これをひっくり返して「死んでないからといって生きているとは限らない」というオリジナルに仕立てたのであります。新型コロナによる閉塞感でどんどん息苦しくなりつつあるからこそ、この言葉を敢えて紹介することにしました。何の参考にもなりませんけど、こうした形而上的思考も、ボクにとっては「生きている」証なのであります。 

 

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2020年3月25日 (水)

死者数が本当の危機を告げる

 

 話題を変えようとしても、東京五輪がとうとう延期決定となると、やはり新型コロナに引き戻されてしまうんですよね。すいません。 

 東京五輪の延期はボクのブログではとっくに織り込み済みなので、驚くにはあたりません。むしろ、周囲に促されて渋々という感じが気分良くない。そんなことになる前に、自主的に提案したほうが世界から好感を得られるとボクは書いたんだけどなぁ。

 それよりも、テレビのコメンテーターがあまりにも通り一遍のことしか言わないのが、今さらながらの驚きです。提案や新味はまったくなく、政策や発表データをなぞるだけ。それでよくもギャラが貰えるものだと呆れてしまいます。暗い予測ばかりを悲しそうな声でぐじぐじと続けるオバサンもイヤだけど、誰だって思いつく常識論をいかにも法律専門家のドヤ顔で声高に語る教授も何だかなぁ。どうせテレビに出るんだったら、もうちょっと面白いことを言えよ。

 自主的な巣ごもり封鎖でテレビの視聴が増えてしまい、新型コロナが一種のリトマス紙となって、コメンテーターのレベルが手に取るように分かるようになりました。そもそも、どうして医療に素人のタレントや芸能人が論評するんだよ。あまり悪口ばかり言っていると、お前の原稿はどうなんだと突っ込みが入る怖れがあるので、ボクがひとつだけ心底から納得した意見を紹介します。

 日本でのPCR検査数があまりにも少ないのは、東京五輪を意識した官僚的な忖度ではないかと以前に指摘しました。今でもこの意見に変わりはありませんが、日本の検査体制が韓国に比べてはるかに脆弱であることも分かってきました。いずれにしても、これでは実際の感染者数が分かりません。致死率だって、分母が変われば違ってきますからね。

 そう考えていたところに、名前は忘れましたが某医師が「死亡者数だけ意識すれば十分なのです」と喝破したのです。続けて「それだけはウソがつけませんからね」と付け加えました。確かに感染者数は検査数によって大きく変わってきます。偽陰性もあるほか、自然に治癒した人もいるでしょう。けれども、肺炎の悪化で死んだ人の数だけは動かしようがない最終的な事実です。中国は例によって謎が残りますが、それ以外の国では新型肺炎による死亡者数こそが明確な指標というのは十分に納得できるではありませんか。

 医療が第一に、そして最後までやるべきことは重症者の救命にほかなりません。それが力及ばなかった結果として死亡するのですから、この数こそが新型コロナの本当の脅威なのです。医療水準も大きく関係してくるので、ボクたちの生存に直結する最重要な指標ともいえるでしょう。 

 テレビではコメンテーターが多すぎて、ここまでの説明はなく、残念ながらすぐに埋もれてしまいました。けれども、ここ数か月の新型コロナ談義で、これほど得心した意見はありません。検査はやらないよりやったほうがいいに決まっています。ただし、それは重篤化させないためという観点に立てば、ドライブスルーでどんどん実施することに果たしてどれだけの意味があるのかとなりますよね。

 日本の場合は、それを楯にして感染者数を抑え込もうとする政治的意図が見え隠れするので、中国並みに厄介なのですが、それにしたって死亡者数は隠蔽できません。もちろん医療関係者や行政幹部は引き続き感染予防に専念していただきたいのですが、ボクたちにとっては、死亡者数があっという間に増加したら、まさに危機的状況と認識すべきです。それまではクラスターやオーバーシュートという言葉に過度に怯える必要はないんじゃないかな。

 それよりも、高齢者など死亡率の高いハイリスクグループへの感染を防止すべきではないでしょうか。ごく簡単に言い切ってしまえば、みだりに人混みに近づくことでウィルスを拡散しないということです。そうした衛生意識の普及しか、今のところ対抗策はないんじゃないかな。イタリアでは医療関係者が「家にいてください」と呼びかけているようですが、それを続ければ飢え死にだもんね。こんな究極の選択を迫られる前に、他人と距離を開けたほうがいい。でもなぁ、これってインフルエンザなどの流感予防と基本的に変わりはないと思うんだけどね。

  

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2020年3月24日 (火)

鈍感力・続

 

 あなたが賢いのはね、自分だけが幸福になるためではなく、みんなを救う知恵を出すためなのよ。

 ということを学校教育で教えるはずないですよね。むしろ、勉強しないと落ちこぼれになり、悲惨な人生を過ごさなきゃいけないと毎日のように脅しているのではないでしょうか。だから頑張れというならともかく、1人でも蹴落として、少しでも偏差値の高い大学を目指せと叱咤激励する学習塾もあるでしょうね。

 祖父にお偉い元首相をいただく現首相も、「お前が地位と財産に恵まれているのは、できるだけ多くの国民を幸福にするためだよ」などと言われてきたとは、とてもじゃないけど思えません。もしかして「ゴミやクズは踏みつぶせ」というのが家訓なのかな。おかげさまで、1人の役人を自死に追い込んだことを恥じる様子なんて微塵もありません。昔なら切腹ものなんだけどね。

  三島由紀夫が戦後のモラルなき社会を嘆いた挙げ句に、私兵を率いて市ヶ谷に乱入した意味がようやく分かりました。彼にとっては、我利を追求する民主社会なんてクソだったんだろうね。東京大学がその巣窟になってしまったことを、全共闘との討論を通して再認識したんじゃないかな。

  さて、例によって新型コロナですけど、もはや目端の利いた学校秀才では太刀打ちできない状況になってきました。マスクやトイレットペーパーを調達するというのも、動物的な本能と粘り強さであって、後天的な教育がなせるワザとは思えません。さすがに机の上に置かれた消毒剤をカバンに放り込むのと同じとは言いませんが、いよいよ倫理なき小狡さが必要になってきたようです。

  そんなことは絶対にできない優等生(自称)のボクが目下、必死で鍛えているのが「鈍感力」であります。この言葉はエロ文学で知られる元医師の渡辺淳一氏が10年ほど前に提唱。ちょっと流行してさっさと廃りましたが、今のように混迷と不安が渦巻く危機的な状況では、何よりも求められる堅牢かつ強固な精神性ではないでしょうか。そして、鈍感であり続けるためには、賢さと同じように才能が必要なんだよな。冒頭の言葉を読み換えれば、以下のようになるからです。

  お前が誰よりも鈍感なのは、みんなの不安を取り除いて、明日に希望をつなげるためなんだよ。

  実は昨年1月28日に「鈍感力」と題したブログを書いているので、今回は「続」を追加しました。つまらない才能や賢さはもう沢山だよ。いかにも不安そうに、紙に書かれた文字をたまにつっかえながら読み上げる首相も退陣してほしい。人格・識見ともに頼りになるリーダーを待望したいけど、日本の教育体系や組織・環境では限度があるでしょうね。

 そんなところに、オーバーシュートだの首都封鎖だのと空恐ろしい言葉が次々に飛び交う。それにいちいち神経質になっていたら、別の病気になっちゃうよ。もう少し鈍感にならないとダメだよなと、ボクは決心したのであります。

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2020年3月23日 (月)

マスクをゲット!

 

 とうとう、ようやく、念願のマスクを入手いたしました。 

 もちろんバカ高いボッタクリ価格ではありません。ごく普通の店頭価格です。災難につけ込んで法外に儲けようとする、火事場泥棒みたいな我利我利亡者の人でなしをボクは死ぬほど憎んできました。だから、仮にマスクがないことで新型コロナに感染して肺炎で死のうが、そんなものに手を出すつもりは金輪際ありません。かといって長い行列を辛抱する気力もないので、入手できなければ、それもまた運命であり、自らの意思による選択じゃないかと諦めていたのであります。それほど大げさなことでもないですけど。 

 そんなボクに女神がちょいとだけ微笑んだのは、梱包のために頑丈な布テープが必要になり、朝一番でダイソーに向かった時です。とはいっても開店は10時なので、それに合わせてのんびり歩いていくと、トイレットペーパーをぶら下げている人とやたらにすれ違うではありませんか。

 みんながデマに踊らされて買い占めなければ驚くことではなかったのですが、ご存じのように店頭から姿を消して久しいですよね。だから、ようやく供給が回復したのかと安堵しました。ところが、ダイソーのあるスーパーの真向かいのドラッグストアに行列ができています。どうやらトイレットペーパーは別の店が早々と売り出したらしい。 

 いずれにしても並ぶのは勘弁して欲しいと、それを横目に見ながらダイソーに入店。買い物を終了して外に出てみると、行列がどんどん消化されて、4〜5人だけという状態になっていました。であるなら、ちょっと覗いてみようと列の後ろにつくと、やはり段ボール箱にマスクが入っているようです。というのも箱の中が見えない、つまり、残量がごく僅かだったんですよね。でもって、すぐにボクの番が回ってきました。案の定というべきか、箱の底には「超立体」が1袋と「PITTA」が3袋だけありました。

  ボクはマスクにまるで無知なので、とりあえず「1人1点ですよね」と確認した後で、「どう違うんですか」と尋ねました。「こちらは使い捨てで、こっちは洗って再利用できます」と店員さん。後者が「PITTA」で1袋3枚入り。先々を考えれば、洗える方が明らかに有利なので、それを手に取ってレジに。何となくトクしたようでルンルン気分ですから、高邁な信念のくせに、まったくいい加減なものです。 

 マスクが乏しいので外出をできるだけ自粛。出かける場合でも、マスクの着用は人混みや電車内だけにケチってきたので、3枚×3回洗える=実質9枚分の在庫増は大変に安心できます。しかしながら、街を歩いてみると、マスクなしの若い人も案外目立つんですよね。彼らが感染しても軽症ということが分かってきたほか、屋外では風がウィルスを吹き飛ばすので、いつまでもこんなものつけてられるか、という気分なのかな

 それでいいんじゃないかとボクは思うんですよね。もはや新型コロナは特別な病気ではなく、クラスターの一員であろうがなかろうが、老若男女の誰だって感染する可能性があります。だからこそオーバーシュートなんてことが言われるわけですが、多くの人たちの病態はインフルエンザみたいなものと伝えられています。無症状というケースも珍しくないそうです。もちろん患者が拡大しないように、引き続き厳重な注意や警戒は必要ですが、少なくとも、そのように認識しなければ、いつまでも感染者と感染場所が偏見で忌み嫌われるじゃないですか。ボクたちに必要なのは、マスクだけではないのです。

 

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2020年3月20日 (金)

アホバカが危機を救う?

 

 ボクのアタマの中は、悲しいことにトランプ大統領と同じレベルだったと深く落胆しております。 

 というのも、2月27日のブログで早々と「公共交通機関を停止せよ」と提案しているからです。今から3週間ほども前ですから、読んだ人は「こいつはアホか」と嘲笑したでしょうね。けれども、昨日になってトランプ大統領は全国民に海外渡航の中止を勧告。それに先だってヨーロッパ諸国からの入国も禁止しています。日本における公共交通機関の全停止と地域封鎖はちょっと違うように思えるかもしれませんが、折しも大阪と兵庫間の往来を自粛する要請が出ているじゃないですか。 

 あんな大統領と同じかよと落胆しているくせに、自慢じゃありませんが、この経緯を見る限りでは、ボクの提案は相当に的確だったと思うのです。日本国内での移動手段は、クルマと航空機が主体のアメリカと違って、公共交通機関が圧倒的に多いですよね。もちろんクルマもありますが、これは特定の人たちによる閉鎖空間ですからトレースしやすい。新型コロナの伝染要件を踏まえた上で、地域封鎖を行うなら、やはり電車や地下鉄、新幹線や路線バスなどの完全停止が最も有効であることに異論はないはずです。しかしながら、経済と生活の息の根も止めかねないので、誰も言い出さない。

 ボクなんかは、何を言おうが責任を取る能力も権限もないので、実現不可能な提案をしたように思われるかもしれません。けれども、情緒的・感情的な要素を取り除いて、さらに経済のことも緊急時だからという理由でいったん脇においておき、純粋に理屈だけで考えれば、公共交通機関の停止は劇的な特効薬になると思うのです。それによって経済が壊死することがないように期間は1週間程度としました。新型コロナの発現が概ね2週間以内と分かってきたので、今なら2週間、15日程度が適当でしょうね。それだけでなく、生活を維持するために、各地のコンビニをコアとする物資の流通保全も指摘しております。 

 ほらね、やればできそうなことばかりです。グズグズと新型コロナに怯えながら長引かせるより、2週間ほどを自宅待機するなどでしっかりと我慢すれば、ウィルスは行きどころを失って死滅していくはずです。トランプ大統領とボクは、おそらく同程度のアホバカなので、単刀直入に、極めて率直に有効な方法を発想してしまうんじゃないかな。 

 いずれにしても、日本は百家争鳴する割には、いや、だからこそ最大公約数的な結論に陥ってしまう。その結果として、いつまでも危機を脱出することができない。それこそが医療崩壊を防ぐ方法であると関係者は言いますが、ボクたちのようなフリーランスは、ダラダラと自粛や停止が続くうちに飢えて死んでしまうということを忘れてないかな。 

 実は、かなり腹を立てているので、祝日にもかかわらず投稿することにしました。誰に、何に向かって怒りをぶつけていいのかよく分かりませんが、もうそろそろ勘弁して欲しいよね。

 

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2020年3月19日 (木)

ヘタな言い訳


 ずいぶん以前から、パソコンやITのサポートはロクなものじゃないと感じてきました。

 ハードとソフトウェアの2系統の仕事で成り立っているせいか、たとえばビルが倒壊して「設計に問題があった」「いや施工側の手抜きじゃないか」みたいな責任転嫁が珍しくなかったからです。長く使い続けてきたMacで「マイクロソフトに聞いてください」と何度言われたことか。それで問い合わせてみると、今度は「機械またはOSのほうに問題が」と、タライ回しというより、行ったり来たりのピンポン状態になるわけです。さすがに今はそんなことはないだろうと思っていたら、いやいや世間はそれほど甘くはありません。

 ボクはドコモのスマホを使用しているのですが、ある日の夜中あたりに突然、OSをアップデートするという告知。敢えて逆らう理由も知識もないので、素直に従いましたよ。ところが、朝になってセットしたはずのアラームが鳴りません。目覚ましより早く起きるのが日常なので、実害なんぞありませんが、ヘンだなと思ってタイマーをテストしてもやはり鳴らない。あちこち考えられるところをすべて自分なりにチェックしたのですが、ウンともスンとも、じゃなかったリリリともジジジとも言わない。徹頭徹尾、無音なのであります。

 それで仕方なく、遠隔サポートに連絡。すると、やはりOSの入れ替えの際に、何かの設定が変わったらしい。このため、時計のアプリを初期状態に戻すことで鳴るようなったのですが、その後でオペレーターが「実はOSのメーカー側で……」などと、ボクには聞き飽きた言い訳が始まりそうになったのです。「それはユーザーに関係ないことですよね」と制止したつもりですが、なおも続けようとする。それで「ボクはドコモのスマホを買ったのであって、OSの会社がどうのこうのなんて、そちら側の内部問題ではありませんか」と指摘したところ、ようやく引き下がってくれました。もしかしてキレ爺みたいに思われたらイヤだなぁ。

 ことほどさように、複雑な機械は複数の開発会社がかかわってくるので、トラブルの言い訳をしようと思えば簡単なんですよね。しかしながら「アイツのせいだ」「いやオマエが」という不毛な押し付け合いの被害者は、ユーザーにほかなりません。そこのところを皆さん正しく理解されているのでしょうか。

 こうしたつまらない習慣がいつ頃から始まったのか、時代遅れの素人には見当もつきませんが、相田みつをは「うばいあえば足らぬ、わけ合えばあまる」と言っております。責任も義務もちゃんと分け合って問題解決にあたってくれないかなぁ。そうした姿勢がなければ、進歩はいずれ限界にぶち当たると思うんだけどね。

 

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2020年3月18日 (水)

五輪より大切なもの

 

あの娘をペットにしたくって
ニッサンするのはパッカード
骨の髄までシボレーで
あとでひじ鉄クラウンさ
ジャガジャガ飲むのもフォドフォドに
ここらで止めても、いいコロナ

 中高年以上ならほとんどの人が知っている『自動車ショー歌』の1番です。作詞は星野哲朗、作曲が叶弦大。歌ったのは“マイトガイ”小林旭であります。クルマとメーカーの名前で無理矢理&強引なダジャレをズラズラ並べた、ナンセンス極まりない歌謡曲ですが、かなりヒットしたらしい。ボクは「ここらで止めても、いいコロナ」というフレーズを思い出して、ホントにそうだよなと1人で苦笑していました。「いい頃な」というダブルミーニングです、念のため。

 若い人のために紹介しておくと、コロナとは正確にはトヨペット・コロナという名称で11代44年も続いた人気車種のことです。2001年にプレミオが後継して、コロナの名称は終了。もしも続けていたら、トヨタは大変な迷惑を被ったでしょうね。

 ただし、調べてみると当初のフレーズは違っていたそうです。オリジナルは「ここで一発シトロエン」。アッハハハハ、こんな下品な言葉をとてもじゃないけどお茶の間に向けて歌えるはずがありません。放送禁止になったかわりに、トヨタのコロナが起用されたと伝えられています。

 それだけでなく、この歌がヒットしたのは1964年。奇しくも東京オリンピックが開催された年です。何だか因縁を感じませんか。

 クルマでなくウィルスのほうの新型コロナが脅かしている2度目の東京オリンピックですが、テレビ各局のニュースショーは猛烈な解釈合戦を繰り広げています。やれ首相がこう言ったとか、都知事はああ言ったとか。それにもとづいて、井戸端会議も真っ青になるような憶測ばかりがぶっ飛んでいるんだよな。子ガモじゃないんだから、口を開けて情報を待ち、それをモグモグムシャムシャ食べて論評ばっかりするんじゃなくて、自分から何かを提案してみろよ。

 ボクですか? ここまで来たら、延期は然るべきじゃないかな。むしろ、開催都市の東京が率先して提案することで、世界もWHOも日本を見直すと思うぞ。なのに、未練がましく「予定通り」だの「全力を挙げて」なんてさ、見苦しくて仕方ない。それでも武士の国かよ。

 今からでも遅くないから、潔く行こうぜ。どうせなら、オリンピックの予算でマスクや消毒剤などを溢れるほど大量生産して、コロナが蔓延する各国にタダで配ってもいいじゃないですか。もちろんボクも欲しいけど。

 そうした国際的な相互支援体制を構築する好機といえるんじゃないかな。助け合いの精神まで隔離して閉ざしたら、もはや人類に未来はありません。オリンピックなんかよりはるかに大切なものを失うと思うのです。

 

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2020年3月17日 (火)

マスクのエロス

 

 いくらブリオーニやトム・フォードのスーツを着込んでいても、マスクが顔の大半を覆っているようではぶち壊しですよね。特に白いマスクはいかにも病人の雰囲気が漂うので、どんなオシャレも確実に無化してしまいます。あまりにも色気がないんだよな。

  そのせいか、たまに黒いマスクをぴたりと顔に貼り付けている人を見かけますが、スタイリッシュというよりコントラスト強すぎですよね。まるでカラスだもんな。反社会勢力とはいわないまでも、およそカタギ方面の人には見えません。だったら、オレンジとかピンクやベージュ、あるいはタータンチェックやペイズリー柄でもいいじゃんかと思うのですが、そもそもマスク自体が不足しているので、そんなところまでメーカーは気が回っていないようです。ああ、何とつまらない世の中になってしまったのでしょうか。

  嘆くだけではいよいよ面白くないので、マスクの効用について考えてみました。

  男の場合は前述したようにまるきり救いようがないのですが、化粧ができる女性は違うんだよな。額から眼の周りまでをうまくメイクアップすれば、実際よりも綺麗に見せることができるはずです。それに気づいたのは歯科の定期検診でした。マスクで顔の半分以上を隠した歯科衛生士が口内を見るために迫ってきた時に、素顔よりも魅力的に感じることがあったのです。おそらく眼の周りだけを注視してしまうせいじゃないかな。 

  顔全体をもともと知らなければ、ミステリアスな印象はより強くなります。素敵な瞳だなぁ、きっと美人に違いない。仲良くなって、マスクを取り去った顔全体をぜひ見てみたいという欲求をかきたてるではありませんか。

  その結果として、もちろんがっかりされることもあり得ますが、ボクの体感的にはマスク着用のほうが素顔の5割増くらいの誘蛾灯効果があると思います。和服も身体のほとんどを隠しているくせに、肩出しのドレスよりエロスを感じさせるので、何でも見せりゃいいってものではないのでありますよ。

  そのためには、マスカラだとか何とかよく知りませんが、眼が際立つようなメイクをしないとダメでしょうね。新型コロナが流行する以前は、すっぴん隠しにマスクを利用する女性もいたようですが、これはもう論外というほかありません。 

  新型コロナを怖れることなく、命がけで「そのマスクを外してくれないか」と男に懇願させるようなメイクをぜひやって欲しいなぁ。そのほうが、お互いに楽しくなるじゃないですか。

 

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2020年3月16日 (月)

アタマと尻尾はくれてやれ(後)

 

 例によって早朝に目覚めたので、パンでも買おうと近所のセブンイレブンに行ったら、ビニール袋入りの白米が棚の最下段にズラリと並んでおりました。相変わらずマスクもトイレットペーパーもないというのに、いったいどうしたんだろうと怪訝に思いながら帰宅。テレビのニュースショーを見て、ようやく理由が分かりました。パスタなどと合わせて買い溜めする人たちが増えているらしい。客がつめかけてパニックを起こさないための配慮なのか、それとも儲けるチャンスを逃さない逞しき商魂なのでしょうか。昨日まではカゲもカタチもなかったので、強力な物流ネットワークをバックにした圧倒的な早技というほかありませんが、テレビを見て駆け込む人が続くかも知れないと想像するだけで気分が悪くなります。米飯は好きじゃないし、って冗談ですけど。米やパスタなどの保存食までトイレットペーパーと同じことになったら、ボクは生存を継続する意欲を喪失するだろうな。みんな21世紀に生きているはずなんだけどね。

 さて、先週の続きです。念のために確認しておくと、ボクは「物事は上がれば下がる、下がれば上がる」と喝破しましたが、時期も程度にも言及しておりません。ちなみに、バブル崩壊直前の日経平均株価は3万円を超えていました。それから30年を経ても、平均株価は2万円台。あのピーク時に株を購入し、そのまま売らずに塩漬けにしておいても、含み損を抱えていることになります。そうした人にとっては「下がっても上がらない」わけですね。

 確かに長期的なスパンでは、日本経済は当時の水準まで持ち直したとはいえません。GDPも中国に抜かれました。しかしながら、バブル崩壊後に低迷していた株を購入した場合は、しばらくすると平均価格が上昇してきたので、その段階で売ればかなりの投資利益が得られたはずです。ところが、リーマンショックや東日本大震災によって株価は再び下落。「まだ上がるに違いない」と予測して買い増しや持ち続けた人は損を被ったことになります。その後にやがて景気が回復すれば、株価も当然のことながら上昇していきます。

 このように、株価が上がれば下がり、下がれば上がる現象自体は間違いのない事実です。マルクスも資本主義下の景気循環は不可避として社会主義を発案したんですからね。けれども、いつ反転して、どれだけ戻すかという時間的・量的なことは、神ならぬボクたちの誰も予測できません。そこから生まれてきた相場の格言が、「アタマと尻尾はくれてやれ」なのです。

 もっと上がるぞと待ち続ければ、株価が突然に奈落の底へ。逆に、まだまだ底は深いと空売りを仕掛ければ、吹き上がるように反発する。そんな気まぐれとも思える変動から損害を回避し、首尾良く儲けを得るためには、上昇・下降いずれの局面でも、ほどほどのところでキャッシュアウト=手仕舞いすることが大切になってきます。それが分かっていても「もうちょっと、もうちょっと」と欲をかくのが人間という生き物です。それを戒めるために、「アタマ」と「尻尾」のギリギリまで狙うことはやめて、マーケットに「くれてやれ」と誰かが言ったんでしょうね。

 これは株式市場に限らず、ボクたちの人生にも通用します。時機を待ちすぎて大切な物事を逃してしまったり、焦った高値づかみで損することは結構あるからです。たとえば結婚、とは言いませんけど。 
 
 以前に、こうした相場の格言をまとめて紹介したことがありますが、深い意味を感じさせるものが少なくありません。その中でも特に若い人たちに捧げたいのが、「人の行く、裏に道あり、花の山」です。これは説明不要ですよね。にもかかわらず、人の行くところばかりに行きたがる人がものすごく多いんだよな。

 

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2020年3月13日 (金)

アタマと尻尾はくれてやれ(前)

 

 もしも自由になる資金が数千万円あったら、すぐに株とドルを買うんだけどなぁ。 

 新型コロナのおかげで、株式市場も為替も乱高下しております。特に円は一時期、101円をつけていたので、すぐに50万ドルほど買いの指示を出しました。もちろん頭の中だけでね。今は105円くらいに戻しているので、1ドルあたり4円の儲け、つまり200万円ほど利益を出したことになります。おっと、投資利益には20%ちょっとの税金がかかるので、実際には160万円かな。 

 ただし、この儲けを得るためには、当然のことながら5050万円の資金が必要になります。そんな大金はどこをどうひっくり返してもないので、160万円をみすみすドブに捨てたことになるわけですな、ウーン残念! 

 ずいぶん以前に、やはり1ドルが瞬間的に94円くらいに高騰したことがあり、たまたま外資系の銀行に預金口座があったので、この時は早速買いの指示を出しました。とはいっても、1ドル96円に下がったところで20万円ほど投資。切りよく2200ドルだったかな。数週間を経て、予想通り105円に下がったのでキャッシュアウト。1ドルあたり何と9円の儲けですぜ。でもねぇ、何しろ元金があまりにもショボイので、利益は2万円にも届きません。少しばかりの贅沢はできますけどね。もしも1億つぎ込んでいたら1千万円近い儲けだったのになぁ。これを「捕らぬ狸の皮算用」と呼びます。 

 ボクは経済や財務のド素人ですが、どうしてこんなことが予想できるのでしょうか。それは「物事は上がれば下がる、下がれば上がる」という統一場理論を信じているからです。物理学では量子論とニュートン力学をひとつの世界にまとめることに腐心しているようですが、ボクの回りに限れば、諸行無常すなわち上がれば下がる、下がれば上がる。そして、やがてはエントロピーがゼロに収束していくと見切っております。 

 それは冗談としても、日本経済は円安で繁盛する構造なので、過度な円高は国の財政出動によって、つまり日銀がドルをバンバン買うことで市場を冷やすことになっています。従って、ググーンと円が上がれば、いつか必ず下がるのです。ただし、時期は分かりません。ここのところで、後で紹介する格言が生きてくるのであります。 

 為替と同じように、株式市場だって急激に下がれば、必ず上がります。新型コロナの蔓延による不況感から、安全資産として円が上がる反面で、株価は世界的に大きくダウンしています。下がれば買うぞというボクみたいな天の邪鬼もいるので、大きく反発もしますが、それを繰り返しながら、全体的には下降が続く局面ですよね。前述したように、もしもボクのフトコロに1億円あったら、こりゃもう買わないという選択はありません。

 だってね、ダブついた世界中の投資資金の行き先なんて限られているじゃないですか。銀行預金なんてそもそも論外ですから、証券や債券市場でなければ、円か金かレアメタル、あるいは不動産くらいしか考えられません。ヘッジファンドはもうちょっと複雑で高度でも、理屈は同じだとボクは考えております。つまり、株式市場から出ていった資金は必ず戻ってこなきゃどこ行くのよアナタね、という張本さんなのです。というわけで、下がった株価は再び上がります。だったら、下がり場のいま株を買わなきゃいつ買うのよ、と再び張本さんの喝が入るわけですな。  

 ただし、ドルも株も買うのはいいけど、いつ売るかが次の課題になります。その時の極めて有効な格言が「アタマと尻尾はくれてやれ」なのですが、いささか長くなったので、来週月曜日に続けます。

 

 

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2020年3月12日 (木)

自給自足

 

 WHOってのは、バカなのかね。世界110か国で感染者が11万人以上にも達したら、誰だって「パンデミック」だと分かるのに、今さらの宣言だもんね。しかも、だからどうするという具体的な提案は一切なし。どんな政治組織もそうだけど、利権の泥沼に浸かりやすい幹部は無能な奴が選ばれるんだよな。信念や理想に熱意のある人ほど外部からコントロールしにくいので、忌避または敬遠されるからです。

 国連そのものも同じ理由から、とてもじゃないけど信頼できないので、今回のパンデミックを契機として、そろそろ国のあり方やライフスタイルを考え直したほうがいい。さもなきゃウィルスにやられっぱなしで、立つ瀬がないじゃないですか。

 そのひとつが、国際分業に過度に依存しないということです。マスクが典型的ですが、ほとんどを中国から輸入していたおかげで、こんなにも不自由で情けない状況に追い込まれてしまった。紙製品は中国産が多いということから、たんなるデマが現実になったトイレットペーパーも同じことですよね。

 平時には格安で調達できたものが、疫病の蔓延によってたちまち供給がストップする。たかだか数百円程度のトイレットペーパーを買うために、早朝から行列に並ばなきゃいけないなんてアホとしかいいようがない。もはや必需品となったマスクなんか、フリマやメルカリで何万円も支払わなければ入手不可能。それもこれも、国際分業に頼り切っていたことが原因なのです。

 だったら、ある程度は自給自足できる仕組みを整えておくべきですよね。イザという時に決定的に不足するものがないように、産業や工場などを存続させておく。海外で作ったほうが安いものばかりなので、国策として運営資金の補助が不可欠です。ただし、農業も同じですが、こうした産業保護はどこかでカネがダダ漏れしやすいという欠点があるんですよね。そこで医療保険なども含めて、途中で誰が甘い蜜を吸っているのかを徹底的に再チェックする。厳しい監査体制を再構築する好機にもできるじゃないですか。

 普通の家庭の場合は、自給自足なんて基本的に不可能ですから、非常時に必要なものを備蓄しておく習慣を付けておきたい。何でもかんでもコンビニ頼りでは、置いてきぼりになりかねないですからね。

  そして、仕事も含めて、もっと楽しくハッピーに生活しようよ。ウィルスを怖れるだけの巣ごもりでは、何のために生きているか分からなくなります。この際だから楽器を独学するとかね。ボクはクラリネットを吹いてみたいと考えております。本や新聞を徹底的に読み込むのもいいじゃないですか。少なくとも、居酒屋でダラダラ酒を飲んで悪口を言ったり愚痴るより、よほど面白いと思うんだけどな。

 

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2020年3月11日 (水)

非・能力主義

 

 トイレットペーパーひとつも買えなくて、文化国家、主権国家といえるのかなぁ。あ、マスクも消毒液も同じです。前者はデマによるものというけど、実際に店頭の棚にないんだから、誰だって焦りますよね。かくて、買い溜めレースに出遅れてしまったボクは途方に暮れております。 

 マスクや消毒液に至っては慢性的な欠乏状態だもんね。商品をしばらく見たことがありません。こんな緊急事態に首相や政権は何をしているかといえば、官僚作成のペーパーを顔を伏せて読み上げるだけ。2月29日の緊急記者会見で「3月は月6億枚以上の供給を確保」と大見得をきったのは、いったい誰なんだよ。口先だけの「やるやる詐欺」じゃないか。 

 これほどまでに無為無策無能な連中が、どうして国のリーダーであり得るのでしょうか。やっぱりね、この国にはまだまだ年功序列が残っているとしか思えないのです。国会議員なんて当選回数で大臣の椅子が割り振られるため、ロクに答弁もできないジーサンが壇上に立ったりする。これは政界のみならず、大企業も似たようなものじゃないかな。ITセキュリティのイロハも知らないオッサンが親会社から子会社のセブン・ペイの社長になり、結局はサービスを廃止なんてカッコ悪いこともありましたよね。 

 こんなことが起きるのは、実力や能力による正当な選抜、昇格などが行われていないからです。安定した社会では、既得権を守る動きが次第に強くなってきます。自分の子供に地位を譲るとかね。閨閥やらコネも同様であり、試験の得点だけで将来が決まってしまう学歴主義だって同根です。そうした要件さえ整っていれば、いかに能なしでもそれなりの地位を得ることができる。「能」が要求される事態は滅多にないので、それでも社会は回っていくわけです。 

 ところが、面白いことに社会は定期的に激変します。新型コロナが記録を塗り替える可能性はありますが、戦後最大の経済的なショックは1990年代初頭のバブル崩壊でした(東日本大震災は別格として)。この緊急事態に、政官財のリーダーたちは手をこまねくだけで、ロクに対処ができなかった。かくて「失われた10年」「失われた20年」とも呼ばれる超長期に及ぶ不況を招いたのです。それによって、年功序列、終身雇用の日本型経営も崩壊したといわれてきたのに、ちっともそうはなっていない。 

 社員に有利で会社側に不利な終身雇用はダメになっても、年功序列だけは至るところでしぶとく残っているんですよね。ちょっとばかり長くなりましたが、おかげさまでボクたちは無能無為無策(順番が違う?)な政治家を首相や政権に据えてしまい、トイレットペーパーもマスクすら買えない社会にしているのでありますよ。 

 こうした事情は官界も財界もまったく同じだと思います。さもなければ、とっくに政権交代や降格・左遷が頻発してもおかしくない。発展途上国ならクーデターが勃発する段階じゃないかな。けれども、そうはなっていないから、日本というのは実にまったく不思議な国なのです。 

 物事がうまくいかない時にはリーダー論が喧しくなりますが、本当に有能な人たちが権限を握ることは滅多にありません。それもこれもあれもどれも、年功序列を背景として日本にはびこる「非・実力主義」、あるいは無能主義、じゃなかった「非・能力主義」がもたらしているとボクは断言します。 

 こんな理論・理屈よりも、あのオッサンたちの記者会見なんかもう見たくない。早くまともなヤツと交替しろよ、というのがボクの主観的な叫びなのであります。

 

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2020年3月10日 (火)

つまらない

 

 新型コロナのおかげで、このところ買い物以外はほとんど出歩いていません。ようやく再開発のベールを脱ぎ始めた隣駅の渋谷も、すっかりご無沙汰です。マスクの手持ちも乏しいですからね。

  テレビの報道によれば、学校が休校しているために、子供たちはセンター街やら原宿の竹下通りにうようよと集まっているそうです。そりゃそうだよな。親が家の中にいろと言ったところで無理ですよ、そんなもん。ボク自身が飽き飽きしているのですから、彼らはもっと退屈するに決まっています。

 さりとて、罰則を作って警察官が取り締まるというのも民主主義社会とは思えません。このあたりが難しい疫病なんだよな。しかしながら、原因や症状が分かれば分かるほど有効な対策も生まれるわけでね。日曜日のTBS『サンデー・ジャポン』で杉村太蔵が言っていたように、重症化しやすい高齢者や持病を持っている人のほうを外出制限するというのも素晴らしい発想ではないでしょうか。あっ、そんなことをしたら、安倍首相を始めとして60代以上の政治家や大企業の偉い人たち、それに定年を過ぎたはずの検察官も自宅待機しなきゃいけなくなります。有能な若い人たちと交替すればいいだけのことですが、ものすごい抵抗があるだろうなぁ。それだけに有効な政策ってことです。

 もし若い人が罹患したら、軽症者外来というカタチで入院はさせず、人間関係や立ち寄り場所をチェック。濃厚接触者の状態を電話などで問診してから、本人も含めて一定期間を経たら再検査するとかね。もちろん重症者は年齢関係なく入院です。こんなことはもうやっているはずだけど、ハイリスクグループのほうを行動制限することで、学習や経済活動のダメージをよほど小さくできるはずです。

 でもねぇ、ボクなんかは、上からの指示や命令は真っ先に反発するという始末の悪い性格なものですから、何であろうが人権が規制されるのは実に不愉快です。そこに特措法ですか、はぁ。そんなにもスペシャルな権限を、後手後手ばかりの無能無為無策で、いつも説明不足で舌足らずの首相に委ねたくはないなぁ。

  若い頃から既成の権力に逆らってきたボクは、この国が信用に値しないことをイヤというほど知っております。だから、何でも、まさに命がけでした。他者と頻繁に濃厚接触する仕事でも性格でもないので、明日あたりは、感染も覚悟して、渋谷の繁華街に行ってみようかな。熱や咳が出始めたら、このブログで報告します。乞うご期待、じゃなかった、God  Bless Youとでも言ってください。

 

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2020年3月 9日 (月)

一生分

 

 このご時世なので、出歩くことを自粛しております。知人から奇跡的に譲り受けたマスクも残り少なくなったので、事務所に蟄居している感じです。啓蟄は過ぎたのにね。ちなみに「蟄」は虫などが冬に土中に潜って春を待つことを意味する言葉ですから、「蟄居」とはまさに家にとじこもることです。時代劇でも「その方、蟄居を命ず」と殿様から言われると、外出禁止の軟禁状態に留め置かれるわけですね。

 啓蟄はその逆で、暖かくなって虫が土の表面に顔を出したのを愛でる言葉です。お、そろそろ春だな、コートを脱いで街を歩けるようになるぜ、って感じかな。

 それはともかく、新型コロナで巣ごもりしているボクにとっては、食い物がね、ダメなんだよな。特に保存食であるカップ麺がアウトなのです。若い頃と違って、全部を食べきることができなくなりました。一口二口はいいんだけど、次第に化学臭というのかな、人工的な味覚がどうにも絶えられなくなってくるのです。だから、勿体ないとは思いつつも途中で捨てることがほとんど。デカ盛りやスーバーカップなんて、目の前で匂いを嗅ぐだけで吐き気を催すんじゃないかな。買ったことないけど。

 袋麺にもトライしましたが、やはり昔のように旨いと感じることはなく、こちらも半分は捨ててしまう。しかしながら、ホイホイと飲食店に出かける気にもなりません。新型コロナの怖れだけでなく、酒をあまり飲まなくなってから、どういうわけだか外食頻度も激減。外でメシを食うことに喜びをあまり感じないのです。スーパーで買ったほうが安上がりじゃないかという稚拙な料理が珍しくないことも理由です。少子化のおかげで、ロクな修業もしないで一人前の顔をしている料理人が多過ぎるんじゃないかな。ちょっとばかり可愛いだけで芸無しの女性をアイドルとおだて上げ、学芸会レベルのユニゾンを思春期の若僧たちにまとめ売りして儲ける芸能界も似たようなものですけどね。

 こうしたボクの感性をどう表現すべきかとトイレで悩んだのですが、ようやく分かりました。どうやら、いろいろな事物が「一生分」の域を越え始めてきたらしい。つまり、カップ麺も袋麺も、一生分を食べ尽くしたのではないかな。だからこそ不味く感じるのではないでしょうか。とすれば、可愛い娘さんたちとも「一生分」付き合ったのかといえば、ま、まさかね。でも、見飽きたことは事実かもしれない。売り手市場をいいことに、身勝手でワガママな強気が抜けない若い未婚女性より、既婚者や30代以降のほうがよほど好ましいもんな。

 これからもどんどん「一生分」をオーバーすることが出てきたらイヤだなぁ。音楽は一生分聴いたとか、刺身なんか一生分食べたとかね。超高価なキャビアや乾しアワビはまだ一生分食べていませんけど。とすれば、キレやすいジーサンたちは、我慢は一生分をとっくに使い果たしたと考えているのかもしれません。だったら、手近な人たちに不満をぶつけるのでなく、首相官邸に行けよ。新型コロナ対策の後手後手ぶりと、無為無策無能ぶりを糾弾すべきです。と、話題は再びこっちかよ。当分は新型コロナから離れられません。こちらも早いところ「一生分」のレベルを満たせば何よりなんですけどねぇ。

 

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2020年3月 6日 (金)

ここまで来たら……

 

 ボクが敢えて指摘しなくても、大多数の人たちには分かりきったことだろうけど、政府の対応はあまりにも遅すぎるよ。今さら中国や韓国からの渡航を制限しても、もはや効果なんてあるはずがない。マスクにしても、ようやく国の買い上げや備蓄の配給、転売禁止の法的措置ですからね。口先ではあれをやるこれもやると言っておきながら、トイレットペーパーの買い溜めすら止められない。これでは「やるやる詐欺」じゃないか。

 それでも首相が弾劾されないのは、モリカケ問題と同じで、美味しい利権を自分の周囲だけにばらまいてきたからでしょう。これって背任に近い特権的地位の私物化じゃねぇかと思うけど、いずれ歴史が彼の所業を断罪するはずなので、この話題は取りあえずやめにします。

 だからといって、新型コロナウィルスはまだまだ収束する気配を見せていないので、そろそろボクたち自身の意識を大転換すべきではないでしょうか。

 猛威をふるうとか世界的に蔓延とか、メディアは毎日おどろおどろしく報道していますが、アンゴルモアの恐怖の大王じゃあるまいし(古いか)、そんなにも震撼すべき病気なのかなぁ。高齢の死亡者が少なくないので、政府は引き続き全力をあげて対策に取り組んで欲しいのですが、ボクたちの意識まで新型コロナに感染させてはいかんと思うんだよね。

 はっきりいえば、ちょっとばかり伝染性は強いけど、こんなもんただの風邪じゃねぇかと思ったほうがいい。インフルエンザだって毎年多くの人が肺炎で亡くなっていますからね。ウィルスの生存戦略を考えても、宿主を殺したら自分たちも死ぬことになるので、エボラのように悪質化することは稀有じゃないかな。かといって、奴らはRNAしかないので突然変異しやすく、完全に撲滅することは不可能。だとすれば、いずれインフルエンザと同じ季節性の風邪として定着していくことになるでしょう。

 こんなことは流行の当初から有識者が指摘していたことですが、例によって恐怖感をたっぷりとまぶした大量報道によってもみ消されてしまいました。だから、みんな焦りまくってマスクやトイレットペーパーを奪い合う。ただの風邪だったら、こんなパニック的な行動はしないですよね。

 感染ルートを追求することにも限度があり、早い話が、どこで誰が発熱して空咳をしても不思議なことではありません。よってたかって犯人探しをしても、しょせんは後付けですから、予防効果がどこまであるんだろうか。韓国の宗教団体指導者にいくら土下座させても、感染者が減るわけでもないでしょう。このブログを読んでいるあなただって、いつ罹患してもおかしくない段階に突入したことをみんなが自覚すべきです。

 それをきちんと理解した上で、ここまできたら、過度に怖れるのはもうやめようと言いたいのであります。少なくとも心を縮こまらせるのはやめようよ。そのために、新型コロナや新型肺炎と呼ぶとクルーズ船の暗鬱な記憶につながるので、「武漢風邪」と呼ぶのはどうかな。それでは中国との国交に悪影響を及ぼすというなら、いっそ「大陸風邪」と呼びましょうぜ。さもなきゃ「新世紀風邪」とかね。

 決してウィルスを侮るわけではありませんよ。正しい知識を持ち、感染防止を厳しく心がけることを大前提として、「たかが風邪じゃねぇか」と気持ちを強くすることが、生活防衛につながるとボクは信じるのであります。精神的にも健康になると思うぞ。

 

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2020年3月 5日 (木)

君子は豹変する

 

 この未曾有の国難を、何とか前向きに再解釈できないものかと腐心してきました。とはいっても、政治的な重職に就いているわけではないので、トーストを食べながら5分程度ですけどね。

 それで分かったのは、世の中のほとんどは「不要不急」で成立しているってことです。前のブログで「不要不急の外出なんてあるかい」みたいことを書いてしまいましたが、はい、君子は豹変するのであります。

  テレワークやリモートワークに変更した大手企業が目立つにもかかわらず、世の中がそれなりに回っているということは、会社にみんなが集まることが実のところ「不要不急」だったことを逆に証明しているじゃないですか。息もできないくらい大混雑する朝のラッシュアワーも、感染予防から時差通勤が励行されるようなり、かなり緩和されたそうです。これまでこだわってきた9時とか10時の定時出社は、何のことはない「不要不急」だったということになりますよね。

 おいおい、それでは経済活動が停滞するじゃないかと言う人もいるはずです。しかしながら、定時に社員が会社に集合すれば景気が良くなるってものでもないですよね。そもそも景気拡大や経済成長が、人間の生活にとって「不要不急」のものかもしれません。

 かつてオイルショックで石油不足になった時に、テレビの深夜番組が一斉に放映中止になったことがあります。それで誰が困ったかといえば、おそらくテレビ局と広告代理店だけで、むしろ静かに安眠できるようになったんじゃないかな。それに懲りることなく、経験として役立てることも決してなく、現在ではファッションや宝石、健康食品を売りつける通販番組が朝まで席巻しています。これらの番組が「不要不急」でないのは、ホステスさんなど店が閉まった夜に仕事を終える人たちと、何らかの事情で外出できない人だけじゃないかな。利便性を言い出したらキリがないので、ここでは省略します。

 つまり、今回の新コロナ騒ぎは、そうした「不要不急」をいみじくもあぶり出す効果があるわけです。だったら、それが沈静化した後も、テレワークや時差通勤などをそのまま続けましょうよ。小・中学校までは社会性を養う場所でもあるので限度がありますが、高校あたりは毎日行く必要があるのかな。ましてや大学ともなれば「自ら学ぶ場」なのですから、教室に集まるのは必要最低限でいい。かくのごとく、あれやこれやの「不要不急」が、いかにも必要そうな顔をして世の中にのさばってきたことに気づくはずです。

 かといって「不要不急」がいけないなんて言うつもりはありません。人間の幸福は、逆に「不要不急」を楽しむことから始まると思うのです。そのためにこそ、ボクたちは自由でなければならない。つまり、社会的な「不要不急」がボクたちを束縛して、人生を幸福に楽しむための「不要不急」のほうを阻害してきたのではないかと。

 もっと卑近に言い直せば、「不要不急」の音楽を奏でるキリギリスの楽団が冬を越せない社会が幸福でしょうか。アリさんたちだって、キリギリスのライブハウスに行くために、せっせと仕事をしているかもしれない。だったら、もっとハッピーに働こうぜ、と。そんなことを改めて問いかけるいい機会にすべきじゃないかな。

 東京オリンビックだって、選手と関係者や関係企業を除けば「不要不急」といえなくもないのですから、無理を押して予定通りに実行する必要性がどこまであるのかと、ボクなんかは思うのでありますよ。

 

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2020年3月 4日 (水)

あさましい

 

 マスクもそうだけど、トイレットペーパーやティッシュペーパーも買い溜めだってさ。日本人のあさましさが全開ですよね。デマに動かされるバカさ加減はもちろんですけど、争って必要以上のモノを買い込むことに恥ずかしさを感じないのかな。

 その結果として棚が空っぽになれば、本当に必要な誰かが困るということをまるきり考えていない。まったく迷惑なんだよな。トイレットペーパーをいくら買い込んだところで、自分や家族の尻の数は決まっていますから、そんなに拭いきれないと思うぞ。それとも下痢なのかな。

 マスクはもっと悲惨な事態を招きます。実際にそうなっているらしいけど、医師や看護師や介護士など病院で働く人たちを感染の危機に陥れてしまう。新型コロナを患者からうつされて亡くなった医師もいるんですからね。にもかかわらず、自分だけマスクで鼻口を覆って助かろうとするあさましい根性が、ボクは死ぬほど大大大大大大っっっっっ嫌いなんだよな。

 こういう人たちのほとんどは、エスカレータをドカドカと昇降する人たちと重なるでしょうね。横に立つ人にぶつかったら下まで真っ逆さまに落ちて大ケガをしかねないのに、わずか数秒を惜しんで危険なことをやる。ケガしたいなら自己責任でやればいいのに、他人まで巻き込むのですから、我が身大切な利己主義をはるかに上回る犯罪的な社会悪だとボクは断じます。

 空港でセカセカと早足で前の人を追い抜こうとする人たちも大してかわりありません。飛行機の扉が開いたら、競馬のゲートと同じで猛烈なダッシュが始まる。1人でも早く、1人でも追い抜こうとする。それによって何が得られるというのでしょうか。少しばかり列の前のほうに行くだけじゃないか。

 こういう人たちが目指しているのが同じ方向というのも、ボクには極めて不愉快です。同じ方向だから1人でも出し抜くことが可能なわけでね。違う方向を選択する意欲も自主性も創造性も、そして何より勇気がないかわりに、あさましくセコいことばかりに邁進する。ボクには惨めな奴隷同士が残飯を奪い合っているように見えてならないのです。

 たとえば日本では東京大学を頂点とする受験競争が幼少時から始まるわけですが、そんなもん国内だけの話で、海外では「どこの大学?」なんていう扱いに近い。それが分かっていたり、疑問を感じる人は、高校卒業後にさっさとハーバードやコロンビアやMITやUCLAやロンドン大学に留学してきたわけです。みんなが列をなして東京大学の門前に並んでいるところを、ひょいと外れて海外に行ってしまう。こういう人がどんどん増えれば、横入りや出し抜くことのつまらない小狡さが分かると思うんだけどなぁ。

 けれども、大多数の人はまるで蟻や魚の習性のように列に並ぼうとする。料理屋でも列ができていれば、美味しいに違いないと判断される。

 長い列に並んでいれば、みんなと一緒という安心感はあるけどね。でも、それが断崖絶壁に向かう列だったらどうするのかなぁ。痛い目にあうだけならまだしも、他人の後ろをついていったらレミングの集団自殺だったなんて、死んでも死にきれないと思うんだけど。

 

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2020年3月 3日 (火)

アンケート

  今回の新型コロナのおかげで、スイスで開催されてきた2つの国際時計展示会が相次いで中止になりました。2003年のSARSの時にも、日本の大手企業が渡航禁止令を出すなど大騒ぎになりましたが、中止という措置は両展示会ともに始まって以来のことです。 

 ボク自身もこの25年間にわたって毎年欠かさずスイスに渡航してきましたが、今年はせっかく予約した航空券をキャンセル。海外に行かないだけでなく、感染者と濃厚接触する怖れのあるライブハウスも自粛して、事務所に逼塞する生活に突入しております。

 それはそうと、近頃はアンケートがやたらに多くないですか? Wi-Fiルーターを購入して契約したらアンケートなどなど、とにかく何かをしたら接客などの満足度を問う質問票がメールでやってきます。「時間はかかりません」というけれども、たとえば言葉使いを1から10のランクでチェックするだけでも時間がかかるよ。担当者の顔を思い浮かべると、悪い評価を選ぶわけにはいかない。かといって、ダメなものはダメだよなと逡巡を繰り返すので、そんなに簡単に回答できるはずないですよね。 

 SNSが盛んな昨今ですから、ユーザー評価を気にするのは分かるけど、それをアンケートに頼るのも思考停止に近いと思うぞ。ましてや、その結果を広告に利用するなんて、あざといというほかありません。「ユーザー満足度第1位!」なんてさ、いかにもウソっぽくて信用する方がアホです。実際に、最初は丁寧でもすぐに化けの顔が剥がれる応対は珍しくありません。電話でなどプロフェッショナルに出会うことはほとんどなく、何度も続く「ちょっとお待ちください」の繰り返しが、アンケートによって改善されるとは思えないのです。

  にもかかわらず、他社がやるからウチもやるという、新型コロナ並みの奇妙なパンデミックだとボクは判断しております。とにかくね、周囲のマネをするのでなく、自分自身でモノを考える習慣をつけろよ。他社がアンケートという広域で量的・指数的な統計手法を使うなら、特定個人の評価とその理由を徹底的に掘り下げてみるとかね。ライバルが定量的なら、逆に定性的あるいは主観的な方向から攻めてみようよ。

  そもそも企業が大切にすべきなのは、「満足度」なんぞではなく「不満」「不便」「不備」「不快」のほうじゃないか。それを改善することで、業務の質が向上し、ユーザーの信頼感も高まっていく。日本の顧客は村社会的な遠慮が先立つせいか、不満を正直にぶつけることはほとんどありません。ボクは例外だけど、そんな顧客にいくらアンケートしようが、問題点がストレートに浮かび上がってくるはずがないんだよな。

  というわけで、型通りで上っ面ばかりのアンケートを多発してユーザーに負担を押しつけるのはやめてくれないかなと、心からお願いしたいのであります。

 

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2020年3月 2日 (月)

指導者の人格

 

 こんな人がホントに首相でいいんですかねぇ。この危機的な状況に、あれほど国民の心に届かない空虚な演説ができるというのは、呆れるというより、一種の才能かもしれません。記者からの質問も柳に風だもんね。むしろトランプ大統領のほうが「肉声」を感じます。 

 モリカケや「桜を見る会」などの問題がきちんと解決できていないことも大きな理由であり、そもそも信用できないんですよね。こんな国難の時期に、いくら間違えてはいけないからといっても、プロンプターの読み上げというのもいかがなものでしょうか。紙に書いた「であります」調の言葉をいくら力強く語っても、距離感は否めません。指導者であるなら、自分の言葉を自分の抑揚で、国民の1人ひとりに丁寧に話しかけなきゃダメですよ。お金持ちのお坊ちゃんには無理なのかな。

 内容的にも政策の具体性が極めて乏しい。上から目線で、やたらに理解してくれ、協力してほしいと言われても、休業中の金銭的な補助や支援をどこに頼ったらいいのか分からないじゃないですか。臨時予算もたったの2700億円ぽっきり。全国の働くお母さんたちが得られるはずの収入を補填するに足る額でしょうか。病院では看護師不足のところに患者がつめかけてパニック的な事態も起きる可能性だってあります。「責任を取ります」と威勢だけはいいけど、では、これまでの不祥事にちゃんと責任を取ったのでしょうか。

 そうした大切な課題や問題は役人や自治体などの下部組織に押しつけて逃げを打つのが、この政権の際立った特徴です。直接的な指示はしないまでも、独裁的な雰囲気のもとで忖度を陰に陽に求めるだけでなく、とうとう国民にも要請ばかりを繰り返す。かのケネディ大統領は「国があなたに何をできるかではなく、あなたが国に何ができるかと自問してほしい」と演説しましたが、これをそのまま安倍政権に突き返したいと思います。

 かくのごとく、指導者には何はなくても人間性、いや人間力、すなわち人格が必要なのです。口を開けば誰もが耳をそばだて、その内容を深く心に刻みつける。そんな演説をするためには、むしろ知識なんぞ不要であり、生きる辛さや悲しみに何度も直面しながら、挫けることなく立ち上がってきた経験と感性が不可欠です。さもなければ、どんなに立派なことを言っても、口先だけに過ぎない。安倍首相も一度は挫折を経験したはずなのに、国会で率先してヤジを飛ばすなど、どういうわけだか人間性がねじ曲がってしまったように思います。

 平時のリーダーなんて、誰だっていいんですよ。凡庸であればあるほどよろしい。ヘタに何かやられたら、せっかくの平和や繁栄がガラガラと崩れかねない。けれども、今回のような危機的な状況には、全国民を納得させる人間性を備えた指導者が登場しなければいけない。にもかかわらず、今もってあの人が首相ですか。選んだ責任は国民にあるといっても、 ボクは総裁選に投票したことなんかないですけどね。

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