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福助くん その6

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    福助くん、9歳の秋です。 ちょっと長めの散歩をして、世田谷公園へ。 紅葉と福助をご覧くださいまし。

福助くん その5

  • 赤いサルビア♪
    2010年秋の福助くん。とある週末に埼玉県所沢市にある航空公園に行ってきました!

福助くん その4

  • 1 毎年恒例の・・・
    今さらですが、今年の花見の福助くん。ご近所の目黒川に行ってきました。

福助くん その3

  • 1 田舎に行ってきました!
    飼い主の田舎に行ってきた福助。うららかな春を迎えた大自然のなかで、いつもと違った表情に。

福助くん その2

  • 定位置
    平日は会社にいる福助。こんな感じの毎日です。

福助くん その1

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    笠木の飼い犬。甘えん坊でちゃっかり屋の8歳。雄。

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2020年4月

2020年4月30日 (木)

もしも1000万円あったら

 

 鴨の照り焼きインフルエンザ風味、新型コロナの甘辛ソース和え。乙女の癒しを込めたアビガンとレムデシビルを添えて。

 あーあ、さすがに巣ごもりも飽きてきたな。おかげで、こんな不謹慎な冗談を思いついてしまいました。まことに申し訳ありません。心からお詫びいたします。

 そんな耐乏生活の退屈紛れに、もしも自由に使えるお金が1000万円あったらと妄想してみました。焼け石に水みたいな10万円給付の申請用紙がまだ届いていないので、いっそ100倍だったらどうなんだろうと。以前なら鉄板でハワイ行きでしょうね。乗ったことのないファーストクラスを奮発したい。エアラインはやっぱANAかな。この会社の空メシは世界でもトップにランクされたと聞いたことがあります。何かの都合でたまたまビジネスクラスに搭乗したことがありますが、機材は新しくて、CAさんも美形揃い。そりゃもうドンペリ開けてどんちゃん騒ぎさ、なんて大嘘でね、ワイン一杯飲んだら爆睡ですよ。目覚めた後の料理は噂どおりの美味でした。

 けれども、このご時世ですぜ。航空機がろくすっぽ飛んでいません。9割以上が運休だってさ。うまくファーストクラスに乗れても、到着後は14日間の隔離生活だそうです。ピンクフラミンゴと呼ばれるワイキキのホテルに泊まるのも積年の念願だったんですが、外に出られなきゃどこにいても同じだもんな。

 海外は諦めて、国内で楽しめることはないものでしょうか。たとえばポルシェ911とかカイエンやBMWは買えるのかな。ランボルギーニなどのぶっ飛んだスーパーカーは価格的に無理としても、そこそこの高級外車は買えるはずです。それはいいとして、ディーラーは営業しているのでしょうか。ちょっと調べてみたら「新型コロナ感染拡大防止」ということで、3月末から営業時間を短縮しておりました。契約自体は可能にしても、ドイツも新型コロナの被害を受けているので、納車はずいぶん先になるんじゃないかな。中古車を即買いしたとしても、クルマを転がして行く先がありません。どこもかしこも自粛ですから、レストラン探しも大変だろうなぁ。せいぜい夜の首都高をぶっ飛ばして憂さ晴らし、といっても危ないですからやめましょう。大人が命がけでやることではありません。隣に乗せる美女も思いあたらないしね。

 んじゃ、超高価で有名なブリオーニかトムフォードで、上等なスーツを誂えようかな。そう考えるだけで、気分は早々007ダニエル・クレイグです。靴はベルルッティのモンクストラップにしよう。おおっと、外に出る時はマスクを忘れずにって、そんなマヌケな格好じゃ何もかもぶち壊しじゃないかぁああああああ。夜の街は外出自粛で閑散としており、ナンパするにも女性がまるで見当たらない。綺麗なお姉さんが流し目で濃厚接触を誘う銀座のクラブも休業中ばかりだもんな。開いている飲み屋を見つけても、東京都のお達しで夜の7時を過ぎたらアルコールはアウト。行くところがないので地下鉄でそそくさと帰宅というなら、カジュアルなジーンズ姿で十分じゃないですか。

 テレワークにしても、スカイプやズームが映し出すのは上半身だけなので、ジャストフィットの高級スーツも青山も見た目に大した違いはありません。下半身はパジャマに裸足でもバレないしね。

 そんなわけで、せっかくの1000万円なのに、新型コロナのおかげで使い途が思いつかないのです。株や為替に投資することも考えてみましたが、それではあまりにもつまらない。1000万円を預金通帳の数字のままにしておくなら、持っていないのと同じですよね。やはりカネというのは、使ってこそナンボの価値を生み出すのであります。

 かくて新型コロナウィルスは、夢を食うバクのようにボクの乏しい想像力まで奪いやがった。仕事ができなくて困っている人は少なくないので、政府は救済策を果断に実行すべきですが、カネがあっても使うアテがないというのは恐るべき事態というほかありません。この空前絶後の強敵を早く退治してくれよ。

 

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2020年4月28日 (火)

もっと科学を!!

 

 パチンコ店に対する風当たりがやたらに強くなってきました。こんな大変な時期に非生産的なバクチに興じるというのは、ある意味で人間性の極みともいえそうですが、それは別として、あの空間は果たして「3密」なのでしょうか。 

 ボクがパチンコから完全に足を洗ったのは10数年も前になるかな。勝ち負けをきちんと記帳するようになり、想定外の多大な損失に衝撃を受けて我に帰ったのであります。けれども、その頃ですら店内は煙草のケムリがモクモクという感じではありませんでした。当時から女性の来店を強く意識するようになったらしく、手打ちだった大昔と比べて驚くほど清潔になったと思います。 

 換気にしても、ボクの事務所なんかよりはるかに強力なファンを回しており、席も距離1メートルとはいわないまでも、密接しているとはいえないでしょう。それに、パチンコ店で長居できる人なんて数多くいません。分速で千円札がホイホイ吸い込まれていくバクチですから、たいていの人はすぐに資金が尽きてしまいます。万札を何枚も費消して粘る人がいないとは言いませんが、少なくとも隣同士で口からウィルス飛沫を吐きながら話すことは、喧嘩以外にあり得ません。基本的に機械が相手の孤独なバクチなんですよね。みんながマスクさえしていれば、リスクレベルはかなり下がるような気がします。もちろん開店前から密着した列を作るのはアウトですよ。だったら社会的距離で並ぶように交通整理すればいい。

  通勤時間帯の電車や地下鉄と比べて、密閉、密集、密接の「3密」はどうかといえば、もしかするとパチンコ店のほうが程度は低いかもしれません。東京都内で働く人の通勤時間は45分から1時間が最多層というデータもあるので、小さな箱の中で、そんなにも長く吊革につかまっているほうがハイリスクといえなくもないじゃないですか。パチンコ店の味方をするつもりはサラサラありませんが、あの空間が非自粛要請業種に比べて特段にヤバイということはないように思えるのです。そんな理屈よりも、みんなが我慢して巣ごもりしているのに、あいつらだけは気楽にパチンコなんかで遊びやがってという妬みのほうが大きいような気もするんだよな。

 海浜や森林、公園なんかも同じで、適切な距離さえ保つことができれば、「3密」にはならないじゃないですか。迷惑駐車や、海浜に仲間たちが集まって密接になるバーベキューなんかが問題なんですよね。にもかかわらず、どうにも近頃はかつての“赤狩り”のような強烈な空気圧を感じるのです。じゃあどうして理容室・美容室はいいのかと問われて、都知事は満足に答えたことがあるでしょうか。そりゃね、不要不急のお遊びと必需サービスを同列に比べるのは無理があります。だったら、必要性とリスクを天秤にかけて、必要性がより高いほうを選択しましたなどと、それぞれの理由をきちんと開示すべきですよね。

 いずれにしても、そうした疑問や不満を払拭して、みんなが納得して自粛に耐えるためには、何よりも科学的根拠が必要だと思うのです。こういう理由でこんなエビデンスがあるからダメなんだと。パチンコは命がけでやるようなことでは決してなく、集団感染を引き起こして他人に迷惑が及ぶ可能性もこれだけあるとかね。さもなきゃ橋下さんじゃないけど、休業補償の裏打ちが必要でしょう。

 それと感染症は疫学の分野なので、きっちりした統計データも必要かな。もっとも、こういう言葉があるのでご注意を。「世の中には3種類のウソがある。小さなウソと大きなウソ、そして統計だ」(ベンジャミン・ディズレーリ)。

 

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2020年4月27日 (月)

体重・体温・脈拍

 

 朝起きると、そそくさとトイレで放尿。下腹がすっきりしたところでヘルスメーターに乗っかり、体重を測ります。それから電子体温計を脇に挟んで2〜3分。着替えて洗面した後は、脈拍をリアルタイムで教えてくれるデジタルウォッチを装着。

 これが新型コロナ蔓延下におけるボクのルーチンであります。ただ、データを機械的に取るだけでなく、そこにはいろいろなメンタルが込められているんですよね。 

  貴重な個人情報であることを敢えて無視してご披露すると、まず体重は75キロ台が理想。76キロになったらNG。逆に74キロ台に下がると「体調に問題ねぇか?」という警告を意味します。ヘルスメーターを購入したのは6〜7年ほど前になるかなぁ。この頃にかなり細身のスーツをパターンオーダーしており、健康管理の意味がないわけではありませんが、ヘタに太ったら、それがタンスの肥やしになっちまうぜ(古い表現だなぁ)という体形管理が主たる目的でした。

  だから、デジタルの数字が75から76の前後をユラユラしていると、おいおい75のほうだろ、お願いだから75・9で止まってくれないかなと、祈るような気持ちで足の裏を微妙にズラして調整したりするわけですね。その数字はスマホのスプレッドシートに記録しており、76キロ台は赤、75キロ台は黒、74キロ以下は黄色の数字にしております。赤い数字が続くと、直ちにダイエットに突入。昼は確実に抜きだな。逆に黄色い数字ならメシを増量です。人間なんだから2〜3キロくらいの変動はあって当然ですが、ボクの場合は足の裏によるインチキもあるせいか、幸いに黒の数字が続いております。計測を忘れることもしばしばですが、振り返って考えれば、そんな時は食べ過ぎなどで無意識にヘルスメーターから逃げていたのかもしれない。ちゃんと厳密にやっているようで、実はかなり恣意的というところが、体重に関するメンタルの表出なのであります。

 体温計も、そうした精神性と抜きがたく結びついております。新型コロナの感染者数がテレビで報道されると、間髪を入れずに体温チェックですからね。こちらは35度台が標準で、たまに36度になると、熱がなくても心理的な汗が滲んできます。そんなにすぐに変わるわけないと思いつつも、5分おきに何度も測り直したり。こちらは体重計をはるかに上回る祈りや願いが込められています。幸いに37度台は経験していませんが、感染していると秒速で高熱が出たりするらしいので、気が抜けません。味覚異常も重要な症状なので、オレンジジュースを舌で注意深く舐めたり。もし感染が確定したり、濃厚接触者とされれば、2週間以上の完全隔離生活ですから、神経質になるのも不思議ではないですよね。

 そして、腕に巻いたデジタルウォッチは脈拍が分かるので、肺炎を判断できる血中酸素飽和度は無理にしても、心臓の異常な動きを感知できます。階段を上り下りするなどして脈拍が120を突破すると、肺がちゃんと酸素を血液に溶かし込んでいないのかな、と心配することもあります。

 別にね、ワタクシ、こういうことを測るために生きているわけではございません。少しばかり肉がついて、ジャケットのボタンを閉じられなくなっても、芸能人やアスリートじゃないですから大問題とはいえないでしょう。体温にしても、人間はロボットではないので、1日に2度くらいの差はありますってば。ましてや脈拍に至っては、安静にしていれば70くらいで、走れば130になったりもしますよ。 

 それ以前にね、こうした数字は学校の成績と同じで、あくまでも結果に過ぎません。過ぎ去ったことを懐かしむのは思い出だけで充分。仮に身体が重かったら、明日は軽くすりゃいい。そのための指標であって、やたらにクヨクヨしたり、数字を姑息にいじるほうが病気といっていい。

 なのに、どうして日本は新型コロナの感染者数ばかりを派手に告知して、検査数を隠そうとするのかな。ちなみに東京都のデータを調べてみたら、最新は4月23日で630件でした。この日の陽性者は134人なので、単純計算すれば約21.3%となります。PCR検査を受けた人の2割が陽性だったということです。昨日は陽性者が72人で、13日ぶりに二ケタ台に戻ったと報道されていますが、検査数をなぜ同日に公表しないのか不思議でなりません。おっと、検査結果が出るまでに数日はかかるそうです。だったら陽性者数より遅ればせにしても、陽性率を常にセットにして発表すべきじゃないかな。

 やっぱね、PCR検査数が世界各国に比べて余りにも少ないことを知らせたくないというメンタル、いやこちらは政治的意図が働いているとしか思えないんだよな。

 

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2020年4月24日 (金)

世界を失望させた国(後)

 

 ある会社の社長を取材した時に、ボクに心を許したのか「キミねぇ3代目ってのは大変なんだよ」と言われたことがあります。創業者であれ2代目にしても、経営は決して楽な仕事ではないので、不用意に他人にそんな愚痴を漏らすだけでも不適格というほかありませんが、気持ちはよく分かります。

 そういえば日本という国も3代目になったかなと気づいたからです。75年前の敗戦時をゼロリセットの創業期とすれば、その頃に活躍していた人たちが第1世代。その子供たちが2代目となります。彼らは『戦争を知らない子供たち』(1970年、作詞・北山修、作曲・杉田二郎)であり、団塊の世代とも呼ばれました。そんな彼らの子供たちが今では壮年期を迎え、社会の中枢で実権を握る年齢になっています。というわけで、日本を大きく俯瞰すれば孫世代、すなわち3代目とカウントできるじゃないですか。

 ところが、この3代目に対する評価は昔からあまり芳しくなかったらしい。それを痛烈に皮肉ったのが「売り家と唐様に書く三代目」という川柳です。初代が苦労して財産を残しても、3代目になると道楽にふけったあげく、身代をつぶして家を売却しなければならなくなる。その札に、大金を投じて習い覚えた「唐様」の洒落た文字で「売り家」と書かれているということです。江戸時代に唐様=中国風の書体が学者の間で流行していたので、その頃に作られた川柳のようです。

 日本がGNPでアメリカに次ぐ世界第2位に躍り出たのは1968年。80年代には経済力のピークを迎えましたが、90年代初頭のバブル崩壊であっという間に失墜。それ以降は景気のいい話をほとんど聞きません。その一方で、アニメやゲームなどのサブカルチュアは海外で評価が高く、マルチメディアで文化を輸出する時代になっています。まだ身代を潰していないまでも、典型的な3代目症状といえなくもないですよね。

 ボクは音楽が好きであり、アートやアニメやゲームがいけないとは思いません。しかしながら、新型コロナへの対応ぶりを見ていると、やはり3代目特有の甘さというか、迅速な意思決定にたじろぐことが少なくないのです。対処方法に創造性も欠落しています。全世帯に配ろうとしたアベノマスクが薄汚い粗悪品なんて、悪い冗談の二段落ちです。

 ただ、そんなことを言ったら中国や韓国だって3代目世代じゃないかと指摘されそうだな。結局は世代論なんて虚しい解釈に過ぎないのですが、それにしても政界や産業界の対応は無策過ぎます。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」ともてはやされた時代に、アメリカの経営学者たちは懸命に日本を研究しました。その結果として生まれた様々なマネジメント理論を、日本は逆輸入して勉強してきたのですが、満足すべき成果につながっているとは思えません。カタカナの経営用語はほとんどが流行語になるだけで終わっているじゃないですか。だからアメリカは、そして世界も、日本を飛び越して中国を注視しています。今回の新型コロナによって、日本に対する失望がますます深まることは間違いないんじゃないかな。 

 その原因や理由を3代目に矮小化して考えることに問題があると、ここまで書いてきてやっと分かりました。病理はもっと深刻なんですよね。

 

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2020年4月23日 (木)

世界を失望させた国(前)

 

 政治のテイタラクは今に始まったことではありませんが、医療制度や人心がこんなにも低レベルで貧しかったのかと愕然とします。

 韓国のGDPは日本の3分の1程度ですが、世界に先駆けてドライブスルーによる大規模なPCR検査を導入。医療崩壊に至ることなく、新型コロナ封じ込めの「お手本のひとつ」と高く評価される成果を挙げています。それに比べて、我らが日本の「PCR検査数2万件」とはマスク6億枚増産と同じ口先だけのスローガンであり、検査を拒否された挙げ句に自宅で死亡したケースも報道されています。ようやくドライブスルー検査が始まりましたが、遅ればせもいいところで、しかも試験的な真似事の段階。数字だけを抑え込んだにせよ、現在の感染状況は皮肉を込めた意味で奇跡的といっても過言ではありません。 

 こうした日本の無策ぶりに、世界中が失望しているんですよね。世界第3位の経済大国でアニメなどの文化も人気が高いにもかかわらず、この程度のことしかできないのか。社会環境や法制度が違うとはいっても、新しいことは何ひとつできず、ただただ虚しい掛け声をかけるばっかり。強制的なロックダウンなしで一斉に自粛できる国民性は感心されても、それって自主性に欠けた隷属性の裏返しともいえますよね。実際に、商店街や海浜は大混雑なんですから。

 これはボクだけの感想ではありません。本日の日本経済新聞朝刊には「新型コロナが証した『日本株式会社』の幻」と題した、英フィナンシャルタイムズによる厳しい寄稿が掲載されています。「メディアも市場も、危機はいずれ日本の集団的な力を引き出すと想定してきた」けれども、「ソニーやトヨタ自動車、パナソニック、シャープなど一握りの企業から、マスクや防護服の生産について控え目な約束が出たことを除けば、『日本株式会社』を覆う沈黙が目立つ」と指摘。他国の後追いすらまともにできない安倍政権は言うまでもなく、かつては株の持ち合いをベースにした「オールジャパン」としての結束を見せた大企業が、この未曾有の国難に対してまったく消極的であることを批判しています。

 どこが「一丸となって」だよ。協調的で一致団結が得意技だった「日本株式会社」の面影すら感じられないじゃないか、ってことですよね。そもそもの期待が大きかったからこそ失望されているのですが、これを読んでボクは心底から情けなくなりました。政治は三流にしても、国民性と経済界は超一流と信じてきたからです。それをいみじくも英フィナンシャルタイムズは「幻」と喝破。今後についても「大量倒産やリストラが発生し、業界全体の救済が必要になるという現実への対応が求められるが、財政が逼迫した政府にはできないだろう」と不気味な予測で結んでいます。

 この寄稿を読んで、ボクの頭の中にふわりと浮かんだのは「売り家と唐様で書く3代目」です。長くなるので、それについて明日も続けます。

 

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2020年4月22日 (水)

ミニマリズム

 

 新型コロナ後の世界。なんて、まだ早すぎると思いますが、地球環境などを考え合わせると、やはりミニマリズムに至るのではないでしょうか。 

 ミニマムでなくミニマル。要するに「必要最小限」ってことです。1960年代のアメリカで始まった、装飾性を排したアート・トレンドらしいのですが、現代的には「不必要なもの、無駄なものをできるだけ持たない」ということになるでしょう。「断捨離」なんかも、その発展形といえるのかな。 

 ただね、何が必要で何が不必要なのかという判断が問題なのです。これは新型コロナ対策として喧伝されている「不要不急」と似たところがあります。客観的には明らかに不必要に見えても、主観的には外せないということは珍しくありません。「どうしても行かなきゃいけないんだよ」というから聞いてみると、パチンコ屋だったりね。ゴルフの打ちっ放しなんかも、ボクにはつまらない遊びとしか思えませんが、習慣化してしまうと、必要不可欠なことになるのかもしれません。 

 そうした不必要なモノやコトを、新型コロナは大洪水のように洗い流しつつあるわけです。会社には来るな、家の中にいろ。不要不急の外出はやめようという指示に素直に従えば、必然的にライフスタイルはミニマルになっていくじゃないですか。トイレットペーパーや食料品を山のように買い占める人たちがいるので、終息後は自粛の反動から逆に派手で装飾的で無駄なものが爆発的に流行する可能性も否定できません。しかしながら、それに比べてミニマルは圧倒的に楽なんですよね。旅行の荷物と同じで、持つモノが少なければ少ないほど気分が軽くなっていきます。 

 このように例えれば誰だって納得するにもかかわらず、家の中には捨てられない無駄なものがあちこちの隙間に詰め込まれていたりします。いつか使うかもしれない、必要になるかもしれないという倹約的な思い込みが、ポジティブな価値に変換してしまうわけですな。 

 ボク自身はある時に、まるで神の啓示を受けたかのように(大げさですな)、「捨てよう」と決心。あるゆるものの処分を開始しました。すると、無駄なものがどんどん目に付くようになってきたのです。アルバムだって廃棄したくらいですから、ほとんど片付け中毒、というと逆説的ですが、それに似た状態といえます。まぁね、先は決して長くない年齢ですから、自分がいなくなった世界にゴミなんか残したくないという気持ちもあるのかな。

 いずれにしても、人生は旅のようなものとすれば、ミニマルは極めて合理的な態度であり、エコでもあります。新しい時代に向けて、今から身軽になっておこうではありませんか。

 

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2020年4月21日 (火)

テンション&リダクション

 

 高価な商品を購入する時には、緊張感が伴います。失敗したと後悔しないように、いろいろな思案が錯綜するからです。ところが、いったん意思決定して具体的な購買段階に進むと、その緊張が急に緩和されて無防備な状態になります。優秀な販売員はその隙を逃さず、付属品などを勧めてきます。本体に比べれば廉価なので、「このくらいならいいや」とほとんど躊躇なく従ってしまう。iPadを買った後で、店員に促されて入力ペンを追加するようなものかな。実際にはそれほど使わないだろうと思っても、ついでに取りあえず買っとくかと秒速で従ってしまう感じでしょうか。 

 これを心理学用語で「テンション(緊張)&リダクション(緩み)」と呼びます。新型コロナの場合は、この言葉を知ってか知らずか、メディアはリダクションのほうを「自粛疲れ」と呼んでいました。本来は自粛で緊張するはずもないのですが、何しろ敵は圧倒的な感染力を誇る新型コロナですから、安穏とはできません。激しく吹きすさぶ暴風雨を、家の中でひっそりと耐え忍ぶようなものです。けれども、新型コロナは目に見えないので、そうした緊張感をいつまでも持続できません。家の中にいることにも飽きてくるので、「心配し過ぎかな」と緩和=リダクション状態となり、「ここならまぁ大丈夫だろう」と商店街や公園や海浜に出かける。多くの人が同じように考えて同じように行動するため、いきなり「密」状態が発生。そこに新型コロナが忍び込むんですよね。 

 テレビや評論家は、そうした行動を「自粛疲れ」として、「いけない」とか「嘆かわしい」とか上から目線で批判するけど、テンション&リダクションは人間なら避けられない感情の起伏です。そうした感情を、似たような感情論で批判しても通じるはずがない。むしろ「うるせぇな」と反発を招くだけでしょうね。 

 テンションの後でリダクションに至るのは人間として当然とすれば、それによって被害を招かないようにコントロールすることを考えなければいけせん。たとえば方向を変えた軽微なテンションを与えた後でリダクションを感じさせるとかね。小さな緊張と緩和を繰り返すことで、大きな緊張感を維持する。ボクにとっては原稿書きをするのが小さな緊張と緩和であり、新型コロナに対する大きな不安感を紛らわせることになるんだろうなと自己判断しています。人間というのは、何もしていないことが一番辛いんですよね。 

 ボクは心理学者ではありませんから、これ以上の考察は間違える可能性が高いので自粛します。しかしながら、医療や行政の専門家だけでなく、そろそろ心理学者の出番でないかと思うのでありますよ。新型コロナとの戦いが長期化するのであれば、人間の心理も大きな課題になってくるからです。大学には研究者が数多くいるはずなんですけどね。

 

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2020年4月20日 (月)

ラジオの時間

 

 結局は想像力、つまるところ知性の問題なんだろうね。繁華街に集まってはいけないと言われると、今度は吉祥寺などの郊外や海・山が大賑わい。新型コロナの好物である「3密」を別の場所で作り出すというのは悪い冗談としか思えません。それよりも、まるきり減らない品川駅のラッシュアワーのほうが大問題なんだけど、これを平気で放置しているんだから、もうなるようになれって感じだよな。

 それもこれも、やはり初動の方法論に問題があるわけで、その責任者は紛れもなく厚生労働省です。いったい誰がPCR検査を過度に抑制し、感染者に対する偏見や差別を広めるようなクラスター潰しから始めたのか。それよりも医療体制の充実に早期から着手すべきではなかったかなどなど、いずれ厳しく検証され、首相と大臣ともども責任が問われる日が来ると思いますが、取りあえずこの程度にしておきます。

 問題はテレビドラマと映画なんだよな。このまま感染拡大が終息しないと、新しい作品が制作できなくなってしまいます。昨日は久しぶりに『Jin〜仁〜』の再放送を見て改めて感動しましたが、出演者が濃厚接触する場面が少なくないので、こんなドラマを今つくるのは無理でしょう。出演者全員がマスクを着けたままでは、泣けるシーンも、ロマンチックな雰囲気もぶち壊しですよね。

 撮影の時だけ外すにしても、スタジオは防音やセキュリティの関係から基本的に「密閉」状態であり、スタッフも「密集」して行動します。さらに主要なキャストが演技する時は、カメラのフレームの中に入るために「密接」せざるを得ません。禁断の3密がきっちり揃っているわけです。野外のロケであれば換気的には申し分ありませんが、どれもこれもロードムービーもどきになってしまう。そんなわけで、もうすぐテレビドラマは再放送ばかりになるだろうな。ワイドショーみたいに社会的距離をあけたり、スカイプなどのテレワークでしのぐわけにはいきませんからね。

 これも現実と割り切って、マスクを着けたままで時代性をリアルに反映した作品もあり得ますが、顔全体が見えないと表情が分かりにくいので、演出が難しい。仮面舞踏会なら妖しさや華やかさはあっても、眼だけギョロギョロのマスク姿では色気も何もなく、著しく興を殺ぐことは間違いありません。

 だったらね、いっそのこと、ラジオドラマに力を入れようよ、というのがボクの提案なのであります。これなら出演者がマスクを着けていようが遠く離れていても、そもそも映像がないんだから、聴いている人は気になりません。カネのかかるセットは一切不要というのも経済的じゃないですか。三谷幸喜は1997年に初監督の映画『ラヂオの時間』を発表しましたが、あんな感じです。音だけのラジオの世界をコメディとして映像化した、彼らしくストーリーが二転三転していく傑作なので、未見の人には超オススメです。

 こんな時代だからこそラジオドラマを「見直す」、というとヘンな表現ですが、映像がない分だけ想像力を刺激されるので、ボクは昔から大好きでした。新型コロナを逆手に取って、歴史に残るような素晴らしいラジオドラマを作って欲しいな。テレビ画面を真っ暗にして音だけのドラマを放送してもボクはかまいませんが、故障や事故だと思われるかな。

 

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2020年4月17日 (金)

隠者の黄昏(後)

 

  対人接触8割減はちっとも苦痛ではありませんが、街中を不要不急でフラフラと出歩けないのは辛いなぁ。散歩していて「!」とアイデアが閃いたり、とんでもない誤解や誤植に気づくことも少なくないからです。このブログのテーマも、新宿や六本木、日比谷から銀座などを歩いていて思いついたことが案外多いんですよね。それと同じくらい忘れたこともあるような気もするけど。

 昨日のブログを補足させてもらえば、医療関係者に不満を持っているわけではありません。むしろ、その途方もない尽力に心から敬服いたします。ただし、それをいいことに行政は問題をすべて現場に丸投げし、有効な改革や施設・設備などの改善を怠ってきたことに憤りを感じるのです。いずれ日本がニューヨークやイタリアやスペインのようになりかねないのは素人目にも明白だったにもかかわらず、見て見ぬフリでほとんど何もしようとしなかった。医療崩壊寸前になって重い腰を上げても遅いよ。病院のトップにしても、できることはあったはずです。東日本大震災の時に、地域を超えた連携で入院患者を移送した実績があるのに、そうした経験をどうして活用しないんだろうか。つくづく不思議な国だなぁと思わざるを得ません。布製マスクなんかいらないから、そのカネを医療用マスクと防護ガウンに回すべきじゃないかな。

 さて、ユナボマーです。いくら数学の天才でもカスミを食べて生きてはいけないので、自給自足しながらも、たまに親から仕送りを受け、アルバイトにも出かけてカネを稼いでいたらしい。つまり、社会との接点はあったのですが、長く爆弾事件の犯人として浮上しませんでした。手づくりの爆弾は、それ自体が有力な証拠物件であり、いろいろな手がかりを読み取れるはずですが、このあたりは生来の賢さを十全に発揮。巧妙にカムフラージュしていたようです。 

 狙った相手も、大学関係者から航空会社の重役など、あまりにもランダムで目的がさっぱり理解できません。大学教授だけなら、自分のアカデミックキャリアを奪った逆恨みと考えられますが、それならもっと早く容疑者として捜査対象になったはずです。航空会社に果たして何の関係があるのか。その理由が判明したのは、彼が逮捕されるきっかけとなった『産業社会とその未来』と題する3万5000語に及ぶ論文です。

 1995年に、彼はこの論文の掲載をマスコミに要求しました。載せてくれたら爆弾テロはやめるよ、というわけです。ボクが要約を読んだ限りの論点は「テクノロジーに対する革命」に尽きると思います。この理念から、工学部の教授やパソコンショップの経営者、コンピュータ研究者などに爆弾を送りつけたのです。航空機も現代的なテクノロジーの塊ですもんね。映画『ターミネーター2』みたいに、やがて人類を殺戮するスカイネットを構築しようとする関係者を次々に殺しに行く感じでしょうか。

 けれども、こうしたアンチ文明の視点は60年代末に山中で生活を始めたヒッピーたちがとっくに主張していたことであり、それを理屈っぽくアレンジしただけで、新味はほとんどありません。「技術の発展は止められる。野生に帰ろう」と言われても、今さら無理に決まっているじゃないですか。それを最初に感じたのは、実弟のデイヴィッドでした。天才児だった兄を尊敬していたデイヴィッドは、彼の小屋で一時期を過ごすのですが、すぐに逃げ出しています。後年になって、ニューヨークタイムスとワシントンポストに掲載された論文を読み、兄の仕業ではないかと疑い始めました。厳密には奥さんが最初に直感したとされているので、女性の眼光はやはり鋭いですよね。デイヴィッドは探偵を雇って資料を集め、それらをFBIに提出。兄の犯行が次第に裏付けられていくのですが、100万ドルの報奨金がかけられていたので、それが目当てだったことは否定できないでしょう。 

 ユナボマーが逮捕されたのは論文掲載から1年後の1996年4月でした。アメリカ特有の司法取引によって死刑を免れたかわりに、仮釈放なしの終身刑を8回分(!)。驚いたことに、ウィキペディアを見る限りではまだ存命であり、5月には78歳となります。伝説的な犯罪者なので、とっくに死んだと思っていたんですけどね。 

 前述したように、公判なしで刑が確定したので、本当の動機などは明らかにされていません。事実は1つしかなくても、真実はそれぞれにあるというのがボクの信念なので、敢えて想像させてもらえれば、やはり彼は孤独に耐えられなかったんじゃないかな。文明を否定することが彼と社会の逆説的な接点であり、爆弾テロは濃密な対話だったような気がします。ものすごく他人迷惑な独り言に過ぎないのだけど、人間は決して1人だけでは生きていけないんだよな。人間嫌いに見せているボクもそうであって、実は他人に好かれたいのであります。誰にでも好かれる人気者になりたいけど、それが思うように叶わないからこそ、遠ざかっているのだと気づくようになりました。

 かといって今さらライフスタイルを変えることはできません。人間関係の面倒くささもイヤというほど経験しましたからね。では、牢獄で人生の黄昏を迎えているユナボマーは、鉄格子の窓から見える空を見て何を考えているのでしょうか。もしかすると、彼の人生で最も不安がなく、静かに落ち着いて過ごせる日々なのではないかとボクは思うのですが、どうなんだろう。

 

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2020年4月16日 (木)

隠者の黄昏(中)

 

「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とアメリカの社会学者におだてられた1980年代を知る人は、現代日本の目も当てられない凋落ぶりに愕然とするでしょうね。社会インフラが想像以上に老朽化しているくせに、それを保全しようとする財力も気力も欠けています。特に医療は、いくら新型コロナ感染者が急増とはいっても、救急患者を200か所以上の病院が拒否するなど、たらい回しが日常的らしい。過疎地ならともかく、東京都内でこれだもんな。

 昔から救急車は、呼べば驚くほど早く来てくれるのです。ところが問題はそれからで、ボクは90年代に2回ほど知人のために出動してもらいましたが、腹痛だろうが強い頭痛を伴う高血圧にしても、受け入れ先を探すだけで1時間以上ですよ。やっと探してあてて病院に到着する頃には、患者は痛みが治まってケロリなんてヘタなコントみたいなことがありました。

 施設や設備、人材の不足だけでなく、モラール(士気)や規範、倫理なども劣化してきたらしい。新型コロナが蔓延中にもかかわらず濃厚な宴会を朝まで続け、あげくに多数が感染した研修医のグループがいましたからね。おかげで超有名な大病院が機能停止に至りました。成績が良ければ医者にならなきゃ損だぞ、みたいなことを言われて医学部に入学したのでしょうか。およそヒポクラテスの弟子とは思えません。

 そんなわけで、今回の新型コロナは日本のダメなところをどんどん暴露しており、長生きなんかするもんじゃねぇなと慨嘆している高齢者は少なくないはずです。とにかく、何かにつけて、意思決定と行動が遅すぎる。日本中に事なかれの役人根性が浸透してしまったのでしょうか。PCR検査数が極端に少ないのも、東京オリンピックに対する忖度がもたらしたとしか思えないもんな。

 さて、昨日の続きですが、ユナボマーも、それに似た社会に対する憤懣が爆弾を作らせたようです。およそ7年間で彼が作った爆弾は合計で16個。これらを大学関係者や航空会社の重役に送りつけたり、航空機に仕掛けることで、3人を殺害し、23人を負傷させました。このことから、FBIは「ユニバーシティ&エアライン・ボマー」の頭文字を取ったユナボムをコードネームとして犯人を捜索。それを知ったメディアがユナボマーと呼ぶようになったのです。

 後年の連邦政府ビル爆破事件や9.11に比べれば被害は軽微ともいえますが、歴史的には爆弾テロのハシリですから、罪は深いというほかありません。しかしながら、彼はいかなる政治グループにも属さない一匹狼でした。モンタナの人里離れた小屋で、せっせと孤独な爆弾作りに励んでいたのです。電気や水道などの文化生活を拒否して、自給自足する世捨て人として生きていた彼を激怒させたのは、周辺の不動産開発だったと伝えられています。好きな自然がどんどん壊され、ショートケーキのような安っぽい住宅やペナペナの壁のビルが建つことに我慢ならなかったのではないかな。

 16歳でハーバード大学に入学したユナボマーは、今でいえばアスペルガーだったとも考えられます。それが飛び級によって、年上ばかりのクラスで学ぶことになり、疎外感を強めていった。ボクは彼とは比較にならない凡才ですが、小学校の頃から何度も引越しを体験したおかげで、似たような異端感覚が今でも消えません。故郷という意識もひどく薄いんですよね。

 アメリカでは病的に人間関係を意識する側面があり、社交性に乏しいと変人とみなされがちです。友人の数が人間としての成長度合いを示すゲームもあるくらいですからね。いずれにしても、ユナボマーは、仲間はずれにされるくらいなら自分からコミュニティを飛び出してしまおうと考えたのではないでしょうか。それが極端な人嫌いに昂進するまで時間はかからなかった。

 あ、またまた長くなってしまいました。ネットの画面でスイスイ読めるのはこれくらいの分量が限度ですもんね。ということで、明日に続きます。

 

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2020年4月15日 (水)

隠者の黄昏(前)

 

 昨日のブログを読み返してみて、やっぱ自分は変わり者だよなと痛感しました。天の邪鬼とか偏屈とか呼ぶ人もいますけどね。とにかく、みんながやるようなことには参加したくないし、みんなが考えるようなことも同じ方向で考えたくない。徹頭徹尾の逆張り根性というべきか、そんな生き方をしてきたせいか、あははははは、親友と呼べる人が極端に少ないのです。行方不明が1人いますけどね。 

 何でまたこんなプライベートなことを開陳したかというと、今回の外出自粛がまるで苦にならないからです。というより、緊急事態宣言の前後で変わったことなんかほとんどありません。少しばかり非常食が増えた程度かな。そもそも人に会うといえば打ち合わせや取材だけで、せいぜい1〜2時間程度ですから、対人接触を8割減らせといわれても、いま以上はほとんど無理。近頃は取材にZOOMを使って欲しいというオーダーもありますからね。この孤独癖はボクだけでなく、旋盤工だった親父も似たようなものだったので、これは遺伝なのかな。 

 こうした生活を寂しいと憐れむ人もいますが、そんな人たちも今はボクと同じような境遇に甘んじているはずです。考えてみれば、新型コロナは人づきあいの中に侵入してくるんですよね。だから人気者ほど感染危険度が高い。コメディアンや脚本家、アナウンサーなど、人気商売といわれる人がまるで先駆けるように罹患したのも不思議ではありません。人に会う機会が多ければ多いほど、感染する可能性も高くなるからです。だったら、犬を抱いてリラックスしている日本で一番エラいオッサンがならないのはなぜだろう。もしかして、ボクと同じように友人が極端に少なかったりして。あ、だから全世帯に布製マスクを配ろうという、とんでもない発想ができたのかな。 

 かつて、アメリカのFBIが「ユナボマー」と呼ぶテロリストがいました。1978年〜95年に連続的な爆破事件を引き起こしたのでボンバー→ボマー、つまり爆弾魔というコードネームが与えられたのです。彼は神童と称されたこともある数学の天才で、ミシガン大学で博士号を取得。25歳の時にカリフォルニア大学バークレー校で、開学以来最年少の助教授となりました。ところが、どういうわけだか2年後に理由を告げずに退職。それからなんですよね、彼が奇妙な生活を始めたのは。 

 本名はセオドア・ジョン・カジンスキー。ポーランド系移民2世の子供として生まれたユナボマーは、1971年頃からモンタナ州の人里離れた小屋に居を定めました。それから7年後に自作のパイプ爆弾を仕込んだ郵便小包を初めて作成。これを処理しようとした警察官の左手を爆発で負傷させています。

 この事件を皮切りに、恐るべき爆弾魔として全米を震撼させるのですが、彼が山中に隠遁していたことが妙に興味をそそられるんですよね。著書もある数学者だっただけに、爆弾の1つや2つはちょろいものだったかも知れませんが、彼にそんな危険な行為を促したのはいったい何だったのでしょうか。

 サイコパスと呼ぶのは簡単だけど、ボクは人間の孤独がもたらす奥深い狂気を感じるのです。それについて、明日に続けることにします。

  

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2020年4月14日 (火)

感染抑止は本当に可能か

 

 ちょっと前から考えていたことですが、間違いなくバカにされると思って黙ってきました。けれども、こんな状況に至ってしまったので、知識不足や常識外れ、あるいは素人の妄想と誹られるのは承知の上で、敢えて表明することにします。

 新型コロナの感染抑止に全力を尽くすことが、果たして本当に合理的な対処方法なのでしょうか。

 世界中で都市封鎖が相次いでいるにもかかわらず、発生地の武漢を除いて、蔓延が終息する気配がまるで感じられないからです。それどころか、陰性に転じても再び陽性に戻る患者も少なくないといわれます。感染抑止に最も効果的とされている都市封鎖は、国の経済や産業はもちろん、1人ひとりの生活に深刻なダメージを与えます。いわば肉を斬らせて骨を断つといえば、ちょっと違うかも知れませんが、人類にとってはそれに匹敵する捨て身の対策といえるでしょう。

 しかしながら、その効果は期待するほど劇的ではないですよね。早期に封鎖を断行した地域では確かに増加曲線がなだらかに抑えられているように見えますが、いずれ他の地域から流入する感染者を完全に阻止するのは不可能じゃないかな。

 つまり、一部の国や地域が仮に抑止に成功したところで、大きな洪水が地の底まで浸潤していくように、新型コロナは世界を覆い尽くすのではないかとボクは考えているのです。もしもそうなるとしたら、都市封鎖や外出自粛という甚大な犠牲と経済的な副作用が伴う政策は、短期的な対症療法であって、結局のところ無駄になるのではないかと危惧しているのです。

 感染者の8割は無症状または軽症と伝えられています。こうした人たちも感染防止関連法に基づいて隔離するために、医療が崩壊しかかっているのではないでしょうか。感染者を見捨てるわけでは決してなく、軽症といっても「呼吸するたびにガラスを吸い込むように痛い」という患者もいます。肺炎がたちまち悪化して死に至る人も珍しくありません。であるなら、そうした人たちの治療を最優先して、すべての資源を徹底的に集中させるべきです。けれども、円滑な経済活動がなければ、薬品などの医療資源はすぐに尽きてしまいます。マスクや消毒剤や防護服などは今でも欠乏状態ですもんね。ここのところなんですよ、ボクが心配しているのは。地域封鎖や隔離、過度な出社規制や外出自粛によって経済活動を大幅に制約すれば、医療そのものにも悪影響をもたらしかねないのです。

 一般の人はもちろん、芸能界や政治関係から警察に役所、そしてトップアスリートなどなど、次々に陽性者が発生しており、もはや市中感染は手がつけられない状態に突入しています。だったら、とびきり悪質だけど誰でもかかり得る風邪のような感染症とみなして、隔離よりも上手な共生を目指したほうが合理的ではないかと。そのうちに抗体を持つ人たちが増加して感染拡大を防ぐ壁のようになり、やがては特効薬やワクチンだって開発されるでしょう。そのためにも、経済活動を殺してはいけないのです。

 医療の現場で奮闘する医師や看護師をはじめとする関係者の努力には頭が下がりますが、それだけに彼らの負担になることはできるだけ排除したい。そう考えれば、感染抑止=防疫は医療ではなく、行政や政治家の責務というほかありません。なのに、ロクすっぽ有効な手を打てない日本の政治に絶望したことから根本的な疑問を持ち、発想したのですが、やはり無茶な論理ですかねぇ。

 

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2020年4月13日 (月)

理髪店

 

 ボクの髪は太くてクセがあり、しかも密集しているため、伸びたままにしておくと、たちまちお茶の水博士のように膨らんでしまいます。それで月に1度、定期的に理髪店に通っているのですが、新型コロナとなると微妙なんですよね。 

 というのも、理髪店(理容院)は東京都による当初の休業要請業種に含まれていたからです。このため渋谷の格安店には行列ができたらしい。それでボクも慌てて行きつけの店に日曜朝イチの予約を入れたのですが、国と東京都のすったんもんだを経て、結局は美容院と合わせて除外となりました。普通ならああ良かったねと一件落着ですが、新型コロナの場合はそうはいきません。落ち着いて考えれば、シャンプーもヘアカットも、ましてやヒゲソリともなれば相当な濃厚接触といえるではありませんか。 

 以前から理容師さんはマスクを着けて作業をしており、消毒も念入りで、店内の滞在は長くて1時間程度。しかもボクはいつも朝一番でお願いしてきたので、ウィルスの蓄積もないはず。 

 ところが、ですよ。4月10日金曜に福岡県の美容院でクラスターが発生したと報道されたのです。美容院も理容院も大きな違いはヒゲソリの有無くらいですから、同じことが起きる可能性は否定できません。 

 ちなみに、全国の美容院の数は2018年度で約25万店。理容院は、その半分程度の12万店。問題は、合計で37万にも及ぶ店舗内での感染危険度ですよね。

 ある報道によれば、ロックダウンしている国では理容院・美容院ともに営業停止。このため、自分自身でヘアカットして、その失敗ぶりをインスタに載せて笑いのめすという自虐が流行しているそうです。 

 その真偽はどうでもいいとして、理容院、美容院ともに新型コロナは本当に大丈夫なのでしょうか。にもかかわらず、業界団体や自治体、政府などからの公式な見解や情報は、ボクの知る限りではほとんどありません。要するに、日本が得意とする伝統芸「見て見ぬフリ」と「自己責任」ということになるんでしょうな。ヘタなことを言えば、理容美容37万店に迷惑や被害が及ぶという理屈も分からなくはないですけどね。

 どうせ外出自粛でヒマですから、1日ほどしっかり悩んだ挙げ句に、ボク自身は日曜朝のアポをキャンセルしました。様子を見ながら再び意思決定するつもりです。客はマスク着用というわけにはいきませんが、お互いの会話を慎めば、狭い居酒屋やクラブなどに比べてよほど安全だとは思うんだけどね。

  大切なことを数週間後に控えているので、取りあえずボサボサ髪を我慢することにしました。不要不急といえば否定できないけど、必要性はかなり高い。生活というのはそんなことが大半を占めているので、これからも要・不要の綱引きが続くんだろうなぁ。

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2020年4月10日 (金)

進歩と調和

 

 新型コロナが指数関数的に蔓延しているとすれば、人間だって時間軸は違っても爆発的に増加してきました。そうした人間による数々の所業が地球にとって歓迎できないとすれば、ガイア的な調節機能が働いたようにも思えます。14世紀のペストも、スペイン風邪と呼ばれた20世紀初頭のインフルエンザも、人口急増の立ち上がり期だったのではないでしょうか。 

 今回のパンデミックを神学的な啓示として読み解くのは、参考になるどころかヘイト行動にも結びつくので大変に危険なのですが、人類はもうちょっと謙虚になったほうがいい。

 1人ひとりの人間は弱い存在でも、団体や組織になったら巨大な鯨や象を滅亡させ、山を崩すのも造作ないほどの暴虐なパワーを発揮します。このため旧約聖書では、天に到達しようとするバベルの塔を神が倒壊。人間の驕りを罰するだけでなく、強力な結束を阻むために言語を様々に分けたとされています。 

 世界には7000以上の言語があるらしいので、当初は神様の目論見どおりになったといえそうですが、20世紀になってから英語が急速に普及。ビジネスを中心として、事実上の国際語になっております。今や日本国内ですら、どんな外国人も英語さえ分かれば不自由しないんじゃないかな。ボクごときでも、たまにラインで交流するイギリス人の知り合いがいて、物理的な移動も航空機で12時間程度。神の怒りがぶり返してもおかしくないほどの発展ぶりです。 

 歴史は必ずしも繰り返さないので、再び人類が分断されることはないはずですが、利害の衝突はもっと激化しそうだから厄介なんですよね。すでに新型コロナをめぐって責任の押し付け合いが始まっており、日本という狭い地域でも、国と都の感染抑止方針が対立。数日がかりで論議するという時間の無駄をしております。覇権争いをやっている場合ではないのにね。 

 新型コロナがもたらしたものを語り始めるのはまだ早いとは思いますが、前述した神話や歴史を踏まえれば、やはり人類の進歩に伴う、様々な調和がいよいよ必要になってきたのではないでしょうか。そのためには、人間の意識そのものが変わらなきゃいけない。新聞の論説のように曖昧で含みがあり過ぎというなら、地球環境をはじめとして、何にでも誰にでも優しくなろう、ってことかな。もしも新型コロナが少しでもそれに寄与するとしたら、この世界を覆い尽くした悲劇から一筋の光明を見出せると思うんですけどね。

 

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2020年4月 9日 (木)

マイブーム(オマケ)体温計

 

 ボクだけのことでなく、ブームと呼ぶのも顰蹙ものですが、体温を測るのが日課となっています。新型コロナは発熱しないケースも珍しくないようですが、味覚が正常なら体温が目安ですから、寝る前や起き抜け、昼間でも思いついたら計測するようにしています。

 それで分かったのは、睡眠というのは一種の「冬眠」なんですよね。というのも、ボクの平熱は35度台ですけど、目覚めてすぐに測定すると33度~34度台まで下がっているからです。つまり、起きている時は35~36度くらい。夜に身体を横たえて就寝準備に入ると、エネルギー代謝が自動的に抑制され、それに伴って体温が次第に低下していくということです。体温は化学的な合成で維持されていますからね。

 フトンの中にこもってしばらくするとポカポカと暖かくなってきますが、これは身体が発熱しているわけではなく、フトンの中の温度が保たれると同時に、体温が低下していくので、相対的に暖かく感じるという仕組みらしい。

 逆に、風邪などで体温が平時より上昇すると、相対的に寒く感じるわけですね。そうなってしまえば、フトンや毛布は保温効果しかないので、いくら積み上げたところで寒気はなくならないのです。

 そして、この体温についてはもっと怖しいことがあります。昔の水銀体温計は42度までしか目盛りがありませんでした。それでは水が沸騰する100度が測れないじゃないかとボクは不思議に思ったのですが、この理由をご存じでしょうか。

 体温が42度にもなったら死ぬほど苦しいだろうと思いますよね。だからといって、43度や44度がないのもおかしい。それで調べてみたら、人間、いや哺乳類にとって42度以上の目盛りが必要ないことがよーく分かりました。

  タンパク質で作られたボクたちの細胞は、42度以上になると茹で上がってしまうのです。つまり、体温が42度を越えたら、人間は確実に死んでしまう。死ねば体温はそれ以上に上昇するはずがないので、42度までの目盛りさえあれば十分ということになります。水銀の柱では長くなってしまうという理由もあるでしょうが、この冷徹な医学データを根拠としているんですよね。

 そして、体温の上昇は細胞が危機に瀕しているシグナルというだけでなく、肉体が自らの死を賭して細菌やウィルスなどを叩き出そうとする壮絶な闘いも意味しています。ああ、だからこんなにも苦しいのかと。それが分かったところで病状が好転するわけでもないのですが、理由を知るだけでも精神的に楽になります。頑張れオレの身体! という感じかな。41度に達すると死は目前なので、アメリカでは氷風呂につけるという強制的な対症療法も行われるようです。この方法なら平清盛も死を免れたかも知れません。

 知識というのは、実にまったくそういうものであるのだと、ボクは深く得心したんですけどね。

 

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2020年4月 8日 (水)

マイブーム(後)バナナ

 

 そんなトマト、いやバナナ。古くさいギャグでどーもすいません。ボクにとってバナナという言葉を使うのはこれがほぼ唯一であり、長きにわたって大嫌いな果物でした。

 小学校4年の頃に急性腎臓炎となり、医師の指示で夏休みに加えて1か月ほど通学しないで自宅療養したことがあります。塩分が腎臓に負担を与えるというので、食べ物は無塩や減塩の味気ないものばかり。中でも母親が頻繁に買ってきたのがバナナなんですよね。「バナナの叩き売り」という言葉があるように、安くてポピュラーな果物でしたから、家計的に助かったんじゃないかな。病気療養には穏やかで深い甘味のメロンがよく似合うと思うんだけど、価格がとびきりに高くて、とてもじゃないけど庶民の食べ物ではありませんでした。そのかわりに「身体にいいから」と信じた母親のおかげで、ほとんど毎日がバナナの日。2か月の療養期間に一生分を食べ尽くしたんじゃないかな。

 それ以来、バナナは病気の思い出とセットでウマシカ、じゃなくてトラウマとなり、何よりも嫌いな果物となったのです。そもそも果物のくせに爽やかな雰囲気がないですよね。モチモチした食感に加えて、甘味もどんよりと鈍い。それでもトロピカルかよと軽蔑したくなります。すっきりしてオシャレな柑橘系に比べて、言っちゃ悪いけどモタモタでダサダサなんですよね。人間でなく、ジャングルのゴリラに似合うのも不思議ではありません。それに、果物を食べて腹一杯になるなんて、バナナ以外にあり得ますか?

 そんなバナナを見直したのは、つい一昨日のことです。冬をミカン三昧で過ごすボクは、今のシーズンなら苺が好物ですが、決して安くはないですよね。いちいちヘタを剥いて水洗いというのも面倒くさい。そんな苺の味にも飽きてきたかな、という頃に、たまたまスーパーに並んでいたバナナを見つけたのであります。昔とは違って、実にスタイリッシュな雰囲気を纏っているではありませんか。何より透明の袋入りですぜ。

 ボクの知っているバナナは、薄汚い黄色の房に、限りなく黒に近い焦茶色の大きなシミがあちこちにあり、いかにも輸送船の倉庫で長いこと揺られてきましたという風情でした。ところが、そのバナナは薄いシミがあるものの気になるほどではなく、小綺麗な黄色で肌ざわりも滑らか。それまで食べたバナナがランニング姿で鼻水垂らした田舎の悪ガキとすれば(時代感がある比喩ですな)、山の手の豪壮な家で大切に育てられた深窓の令嬢というくらいの違いがあります。

 しかも、価格は苺の半額程度。にもかかわらず、ボリューム感は昔と同じです。んじゃあ超久しぶりにトライしてみるかと、あまり期待しないで購入して食べてみたら、味も段違いなんですよね。もちろんほんのりした控え目な甘味は共通していますが、濁りというか混じりっけがない。雑味がないせいか、果肉の個性がピュアに感じられるのです。かつてのモチモチ感も、どういう栽培方法なのかサクサク感が加わっているため、後味もクールなんですよね。

 おかげで「こりゃうまい」と一気に3本を食べてしまいました。ゴリラかよ。それで翌日は、2束をまとめ買いして冷蔵庫に投入。そこに緊急事態宣言ですから、今後の供給は大丈夫でしょうか。数十年ぶりにバナナと劇的な邂逅を果たしたので、しばらくは濃厚接触を続けていきたいんだけどなぁ。

  

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2020年4月 7日 (火)

マイブーム(前)納豆

 

 喉が渇き、腹が空くなら、心だって飢えますよね。もう2か月近くもライブハウスに行っていないので、気分はイライラというか乾ききっております。

 ボクは自粛していましたが、かなり頑張って続けてきた行きつけの店も、3月末にとうとうギブアップ。4月一杯は閉店になるそうです。そりゃそうだよね。いくら従業員全員がマスクを着用し、消毒液を振りまきながら30分に1回ほど扉を開けて換気するといっても、客足が遠のくのは避けられません。こうなると人件費や電気代などの固定費や、使わない食材などが大きな負担になってくるので、いっそ閉店したほうが被害は少ないというのはよく分かります。

 客としても、いくらライブが好きといっても、命がけで音楽を聴くこたぁないだろと(タモリっぽい感じで)。けれども、ここまで新型コロナが長引くと、というより、これから感染爆発の本番だというのに、精神的にもうヘトヘト。3連休の時に「自粛疲れ」などといわれましたが、ムベなるかな、ですよね。

 そのうえで、いよいよ緊急事態宣言です。「家にいろ」という理屈は十分に分かりますが、どうにも息がつまってきます。

 そんなこともあってか、近頃のボクは、ひきわり納豆とバナナがマイブームになっております。あまりにも唐突で、いきなりの話題転換になってしまい、恐縮至極です。 

 まずは納豆から。名古屋育ちのボクにとって納豆といえば甘納豆が世界のすべてであり、あんな糸をひく納豆はUFOと同じで存在すら疑ったくらいです。初めて食べたのは20代の終わり頃かな。それも油揚げの中につめた料理であり、ピュアな納豆を経験したのは30代半ばを過ぎてからだと思います。糸を引くような食物を口にして大丈夫かと躊躇しましたが、それにはすぐに慣れました。何だか埃っぽい不思議な味だなぁというのが第一印象であり、ちっともおいしいとは感じませんでしたが、何度か食べつけるうちに、それが次第に魅力に変わってきたから不思議です。

 ただし、苦手なのが豆のゴツゴツ感です。糸ひきのネバネバに対して、豆のゴツゴツはものすごく違和感ありませんか。中にはそれがいいという人もいるんだろうけど、ボクには食感のコントラストが強過ぎてダメなんですよね。それで、できるだけ粒の小さいものを選んできたのですが、ある時に「ひきわり納豆」を発見したのであります。茨城県人に「今さらかい!」とつっこまれそうだけど、ホントに知らなかったんですから。これを考案した人は、まさにボクと同じ違和感を抱いていたことは間違いありません。それで試行錯誤の結果、いっそのこと豆を粉砕してみようと発想したはずです。それによって、ゴツゴツ感が一気に解消され、納豆の薄ら苦い甘味をしっかりと堪能できるようになったのでありますよ。

 けれども、なぜだか近所のコンビニでは「ひきわり納豆」を扱っていません。わざわざ遠くのスーパーまで行くのですが、それが自粛時の散歩の楽しみにもなっているわけですね。ちなみに、最初の頃はタレに醤油を増量していましたが、納豆本来の味を損ねることに気づいたので、袋入りのタレ以外は何も使っていません。カラシも不使用です。

 さらに、ご飯の上からかけるといったオカズにするのでなく、純粋に納豆だけをそのまま食しています。そのほうが旨味というのか、納豆の複雑な味わいがダイレクトに感じられるとボクは思います。最近は青ネギを混ぜることを覚えました。ネバネバにネギのシャリシャリと、細かく砕かれた納豆のモチモチ感が素敵なハーモニーを奏でるんですよね。

 ひきわり納豆に続いて、明日はマイブームの続編としてバナナを紹介します。乞うご期待、って誰も期待なんかしていないよな。

 

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2020年4月 6日 (月)

ジャングルとSNS


 日本ではどういう人が政治家になるのでしょうか。2011年の福島原発事故では、菅首相をはじめとする民主党政権の無能さが露呈。直後に政権を奪い返した自民党は、安倍さんを中心として、当時を「暗黒時代」とあげつらってきました。

 ところが、新型コロナの蔓延という国民的な災厄に直面すると「布製マスクを1世帯2枚ずつ」ですぜ。なーんも変わっちゃいません。医療体制の拡充など、最重要な意思決定を忌避していることは共通していますよね。どちらも政治指導者としての当事者能力が感じられない。緊急事態宣言だって、ようやく「準備」だもんね。そんな醜態を見続けてくると、どんな奴がどんな理由で、何のために政治家になるのか不思議でならないのです。政治家ではなく、メシと利権のタネを漁る“政治屋”ばかりなんだろうね。

 そうした無能な政治屋や、官僚として君臨する学校エリートたちが、解決困難な問題にぶち当たった時の態度が「見て見ぬフリ」なんだよな。PCR検査が象徴的ですが、見て見ぬフリを伝統芸にするんじゃねぇよ。これはもう「作戦」という2文字をくっつけるべき姑息なレベルに達しておりまして、福島原発事故の時もほとんど現場任せ。そのくせ、自分たちに責任が及ぶようなことは阻止するわけです。

 歴史は繰り返すという言葉があるように、今回のパンデミックも、すでに難しいことは医療現場に丸投げという気配が濃厚に漂っています。ウィルス自体は、人工的なものでない限り、誰のせいにもできませんが、その対処には戦争と同じく命がけの責任が求められます。それを正しく背負い込む覚悟と能力がある政治家が、果たしてこの国にはいるんだろうか。台風が来ただけで、すぐに自宅に逃げ帰った県知事がいるくらいですからね。

 ああ、またもや新型コロナと政治の話題かよ。自分ながらほとほと呆れてしまいます。けれども、ほかに話題が見つけられない。大手広告代理店やマスコミでも感染者が発生しているので、ボクのような“百円ライター”の仕事も大打撃を受けております。特にスイスで開催される2大国際時計展示会が史上初の中止となりました。おかげで桜を見られるのは結構でも、この関係での大幅減収は避けられません。ニュース報道以外は不要不急といわれれば否定できないのが残念です。キリギリスの楽団が冬を越せない社会は不幸というほかないんですけどね。

 そういえば、大昔にJRが国鉄と呼ばれた時代に、労働組合が1週間以上のストライキをぶちかましたことがあります。ボクは西武新宿線の鷺宮に住んでいたのですが、私鉄は動いても山手線そのほかは完全にアウト。それまで糊口を凌いでいた大学生向けの日払いバイトが激減したおかげで、それこそ餓死寸前まで追いつめられました。二束三文の文庫本を紙袋2つにかきあつめて沼袋の古書店に売却。1000円少々をゲットしたのに、帰りのパチンコ屋で800円ほども負けるというアホなことも。あの期間をどうやって生き延びることができたのか、今でも不思議です。袋入りラーメンばかり食べていたような記憶があります。

 いずれにしても、ボクたちが生きているのは必ずしも文明社会ではありません。税金をかすめ取って行く連中は、緊急事態になると見て見ぬフリの殻に閉じ篭もるので、都市がいきなりジャングルとなり、ルールも変更されることを常に意識しておいたほうがいい。日本は戦後の安保体制のおかげで「平和ボケ」と称されてきましたが、「文明ボケ」という側面も濃厚なんだよな。

 しかしながら、現代はSNSが普及しているので、スマホを活用して新しい動きが出てくる可能性に期待したい。デマを振りまいて自己満足するのでなく、困窮家庭や高齢者のために救援隊を結成するとか、やれることはいろいろあるんじゃないかな。IT系はボクの得意分野ではないので、この程度の提案しかできないのが残念ですが、本当の改革は国会や行政ではなく、スマホから生まれてくるような気がするんですよね。

 少なくとも、既存の政治に絶対に期待してはいけません。そのように言われることすら奴らの思うツボですから、再び怒りが沸きあがるんだけどね。


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2020年4月 3日 (金)

精神論はもういいよ


「こんな些細なことをいちいち話し合っていたらキリがないので、事前に問題点や意見をまとめておくなどして時間を短縮しませんか。皆さんもお忙しいはずですから」
「なーに言ってるのよ。あなたねぇ、管理組合の役員会は2時間や3時間はあたりまえなんです。それを覚悟しておかなきゃ。まったくもう」

 なり手がいないと管理会社のオジサンから請われて、義侠心からマンションの管理組合役員をしたことがあるのですが、同じ役員のバーサンにこんな無茶苦茶を言われたことがあります。今ならナントカペイのCMのように「じゃいいでーす」と秒速で辞任するところですが、同じ住人同士なので「そんなものですかねぇ」とぐっと堪えました。ちなみに、このバーサンはAEDの設置にも反対。意味も機能も分からないくせに、とにかくカネを遣うことには片っ端から文句をつけるケチでした。管理費や修繕積立金は彼女の老後資金じゃないんですけど。

 役員のなり手がいない理由がよく分かったので、翌日にさっそく電子メールを利用してマンション全体を巻き込みつつも効率的に議題を運営する改革案を理事長に提出。ところが理事長も高齢のせいか、読んだのか読んでいないのか、あるいはデジタル・ディバイドなのか、ほとんど黙殺に近い対応で何も変えようとしない。こんな無駄な会合というか、高齢者の寄り合いに貴重な時間を費やせるほどヒマではないので、理由をこしらえるために欠席を2〜3回続けた後に「これでは皆さんに迷惑をかけるので」と辞任しました。引きとめても留任するつもりは金輪際ないよ、という意思表示でもあります。

 ちなみに、この役員会は後にマンション住人を二分するほどの激しく醜い諍いを経て総退陣。その顛末は以前に紹介したことがあります。やがて新しい役員と理事長が選出されたかと思うと、すぐにエントランスにAEDが設置されました。しばらくするとドアが新しくなり、オートロックも導入されてモニターが設置されるなど、共有設備や施設がたちまちグレードアップ。以前に比べて資産価値もかなり上昇したと思います。

 昨日に国会中継を見ていて、この旧役員会でのエピソードを図らずも思い出しました。衆議院の会議場は大きくて重厚でご立派ですけど、国会議員の皆さんは紙に書かれた文字を読んで質問するだけ。予算委員会と同じく事前に内容が通告されているので、その回答をおそらく徹夜で官僚が作成。首相など閣僚もまたそのペーパーを一字一句違わず読み上げていきます。時に大げさな抑揚が付けられていますが、肝腎の内容は彼らが握りしめている紙を見りゃ分かるよ。

 にもかかわらず、どうして「こんな無駄なことはもうやめようよ」と誰も言わないんですかねぇ。平時は憲政の常道あるいはシキタリを踏襲するのも結構ですけど、会議場の外は新型コロナが蔓延しており、緊急事態宣言を出すか出さないかの瀬戸際なんですぜ。そのほかの議題なんか、それこそ電子メールで野党の質問と政府の回答をまとめておいて、ネットや新聞などに発表すればいいじゃないですか。

 それよりも、この国家的災厄にどう具体的に対応するかですよね。ここに至っても首相は緊急事態宣言を出さないというなら、どうやって政府は感染爆発を阻止するつもりなのか。休業状態を余儀なくされている企業や飲食店、そして職を失った人たちをどうバックアップするつもりなのかを真剣に討論しなさいよ。でね、さっさと政策を決めて、即座に間髪を入れず実行する。この期に及んで「検討中」なんて、よく言えるよなぁ。

 とにかくね、世界に比べて日本政府の行動はあまりにも遅すぎる。左右を見て、後ろを見て、さらに地面を見て空を見ても、なお空虚な方針論と精神論を繰り返すばかり。少しは前を見ろよ。緊急事態宣言にしても「必要であれば躊躇なく決断する」と口だけの予告編ですぜ。100人中100人が今こそ必要と言うんじゃないかな。

 布製のアベノマスクなんかいらないですから、やるべきことをさっさと直ちにやれよ。日本の政治に期待したことは今まで1㎜だってありませんでしたが、これほどまでに失望、いや絶望したのは生まれて初めてです。言っちゃ悪いけど、日本はもうダメだな。

 

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2020年4月 2日 (木)

睡眠薬

 

   ああー、くさくさしてきますよね。昨日は久々のプレゼンテーションがあったのですが、寒い上にジトジトぴっちゃんの雨模様。いっそ盛大に降りつのれば、ウィルスの悪霊も退散しそうに思えるのに、通夜のように暗い空からポツリポツリと意気地のないこと夥しい。

  室内ではもちろん全員がマスク姿で、「3密」を避けるためにドアも開放。何だかヘンな雰囲気ではありますが、それまで予定されていたプレゼンの多くがキャンセルとなっていることを考えれば、仕方ない措置であります。 

 そんなわけで、夜の飲食業のほとんどと同じく、ボクの事務所も開店休業状態。取材といっても、お互いが命がけみたいな濃厚接触といえばいえなくもありません。だったら、無理して今やらなくてもね、と不要不急になってしまうんだよな。 

 かといって、外をホイホイと出歩くのも何かと問題がありそうだし、ショップや百貨店なども閑散としているので、ちっとも楽しくない。ロックダウンでもされたら、いよいよ窮屈で制約された暮らしに耐えなきゃいけない。 

 そこで、提案です。洗える布製マスクなんぞではなく、睡眠薬を配布してくれないかなぁ。それも一晩二晩ではなく、1か月くらいずっと眠り続けられる強烈なヤツを望みます。寝ていれば移動するはずないので、これほど完璧なロックダウンはないじゃないですか。でもって、みんなが目覚めたら、風薫る5月です。うーんと大きな伸びをしてから、明るい陽射しが降り注ぐ屋外で長い夢を語り合う、と。いかがでしょうか、いいアイデアと思いませんか。 

 あ、栄養補給はどうすんだよ。起きている時ほどではないにしても、水分や食糧は絶対的に必要。だったらさ、2日おきにちょっとだけ目覚めて、トイレに行ってから水を飲み、メシを食ってからまた睡眠薬というのはどうだろう。 

 そんなことでも考えないと、つまらなくて仕方ないのでありますよ。

 

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2020年4月 1日 (水)

コロナの夜に……

 みんながマスクをして歩いている渋谷駅前で、せっせとナンパに励む若者をテレビが映し出していました。いつもなら珍しくない光景でも、新型コロナが蔓延する中ですからね。無謀というか無知というべきか。まさに若さはバカさと同義であります。

 おそらく、新型コロナ後の世界では、このようなナンパは消滅するでしょう。ハグはもちろん、握手すらしないようになってきたので、他人との付き合い方や距離の取り方もかなり変わってくるんじゃないかな。働き方にしても、いったん導入されたテレワークがなくなるとは思えないので、通勤電車から解放される人も少なくないはずです。

 もしかしたら、文化・文明と人民革命を通して獲得した「個」が「弧」に変容するのかな。それでは人類が存続できなくなるので、恋愛までなくなるとは思えません。そこで「コロナの夜に……」と題したメロドラマを考えてみました。外出禁止となった深夜に、渋谷センター街のビルの隙間にうずくまる少女。そこに同じく行きどころを失った少年が通りかかる。やがて、2人は手をつないで何処ともなく歩きはじめる、とかね。

 でもなぁ、その先がなかなか想像できません。外出自粛でなく、外出禁止を想定しているので、2人とも孤独であることはすぐに分かりますが、それからどう発展させていいのか。クラブも閉店しているはずですから、2人が親しくなっていく背景が見当たりません。舞台であれば、どこかの階段に座って、という一場だけで済むという利点はあるかな。

 若い人ならともかく、大人の場合はもっと困難です。何よりマスク姿ではビジュアルとしてロマンチックになりようがない。しかも1.8メートルのソーシャル・ディスタンス=社会的距離が口説く気分を阻みます。ヤッホー、ていうか、山の中じゃないんですからね。これでは見知らぬ男女が自然に間合いをつめていくことができません。集会やパーティのありようも大きく変わってくるのかな。

 そんなこんなで、新型コロナ後の交流は、ますますSNSが幅を利かせるでしょうね。それがいいことなのか悪いことなのか、ボクにはよく分かりません。分かるのは、新型コロナをきっかけに、人類は新たなフェイズに入るということです。いずれ「コロナ後の人との付き合い方」や「コロナ後のビジネス・マネジメント」なんていう本が出てくるだろうなぁ。

 でもさ、インターネットが登場した時も似たようなことが言われたじゃないですか。農業革命、産業革命に次ぐ第3の革命とかね。変わるところは変わるけど、変わらないものもある。日本人は変わるほうにばかり注目する傾向が強いので、ボクはやはり変わらないものにこだわっていこうかな。

 

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