笠木恵司の主な著書

  • キャリア・チャレンジ2009-2010
  • 資格試験合格後の本
  • 学費免除・奨学金で行く大学・大学院進学・休学・留学ガイド
  • 価値ある資格厳選200
  • インターネットでMBA・修士号を取る
  • 腕時計雑学ノート
  • 「国際標準」ビジネス資格完全ガイドブック
  • 日本で学べるアメリカ大学遠隔学習プログラム
  • テレビ局完全就職マニュアル
  • 資格の達人
  • MBA入学ガイドブック
  • 学んで! 遊んで! 役に立つ! インターネットキャンパス
  • 日本で学べるアメリカ大学通信教育ガイド

お気に召したら、ポチっと↓

  • 笠木恵司のブログ

福助くん その6

  • D_p1000397_s
    福助くん、9歳の秋です。 ちょっと長めの散歩をして、世田谷公園へ。 紅葉と福助をご覧くださいまし。

福助くん その5

  • 赤いサルビア♪
    2010年秋の福助くん。とある週末に埼玉県所沢市にある航空公園に行ってきました!

福助くん その4

  • 1 毎年恒例の・・・
    今さらですが、今年の花見の福助くん。ご近所の目黒川に行ってきました。

福助くん その3

  • 1 田舎に行ってきました!
    飼い主の田舎に行ってきた福助。うららかな春を迎えた大自然のなかで、いつもと違った表情に。

福助くん その2

  • 定位置
    平日は会社にいる福助。こんな感じの毎日です。

福助くん その1

  • 5djustice3f5d5575e032a1
    笠木の飼い犬。甘えん坊でちゃっかり屋の8歳。雄。

« 2020年5月 | トップページ | 2020年7月 »

2020年6月

2020年6月30日 (火)

クラウドファンディング


 今から10年以上も前になるかな。クラウドファンディングという言葉が上陸したばかりの頃です。ボクはインターネットが草の根民主主義の実現につながると信じていたので、クラウドファンディングも投資の民主化を促すのではないかと大いなる期待を持っていました。

 そんな頃に、ある超有名な経済学者にインタビューする機会があったので、その話題を振ってみたのです。当時はアメリカの投資・金融業がイケイケ&ドンドンの大活況であり、日本はそのはるか後ろで塵や埃を拝していました。ま、いつものことではありますけど。

 クラウドはそんな状態を打開する新しい手段として認識されているのではないかと、ボクは希望を込めて思い込んでいました。ところが彼は、ひどくつまらなそうな顔で「フン」と鼻からひとつ息を吐き、「そのカネをどこに投資するんだね」と斜に構えて嘲笑したのです。「カネをいくら集めても有力な投資先がなきゃ仕方ないだろう」と、驚くほど冷淡な態度だったことを今でもありありと思い出します。

 ところが、彼の予想に反してクラウドファンディングはじわじわと普及。今回の新型コロナ禍では、様々なカタチで飲食やサービス業などをサポートしているようです。たとえば倒産寸前のラーメン店がネットでクラウドを募集。目標を上回る資金を得たと報道されました。寄付ではなく、あくまでも投資ですから、リターンがなければいけません。そこで休業要請解除後に使える未来の飲食券を配布するなど、いろいろと工夫しているみたいですね。

 従来の投資と異なるのは、そこに利回りなどを超えた人情や精神性が絡んでいることです。その店のラーメンが大好きだとか、店主の人柄に惚れるとか、要するにカネ勘定だけでの投資ではないんですよね。オリジナルの時計を限定数だけ製作するというクラウドファンディングもありますが、こちらもマニアックな趣味性が大前提となっています。つまり、儲けることだけが目的で投資するわけではないんですよね。

 そうしたブラスアルファの付加価値のやりとりが、実はクラウドファンディングの本質といっていい。アメリカ発祥のクールで強欲な経済学や財政学に染まっていた高名な学者様には、まるで予測できない要素だったのではないでしょうか。しかしながら、自慢じゃありませんが、理想主義者のボクはちゃんと今のような事態を感知しておりました。

 自慢ではないと言いながらきっちり自慢しているのが恥ずかしいのですが、やはり新しい物事は、教室や図書館などの中ではなく、あちこちの現場で起きているのです。街に出て、他者とかかわらなければ、大切なサインをみすみす見逃してしまう。だからボクは今でも現役のライターであり続けたいと思っているのです。


ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年6月29日 (月)

不完全な生き物


 人類は食物連鎖の頂点に位置するとされています。他の動物は捕食し・捕食されるというバランスの中で生存していますが、人間はそのサイクルを超越。天上天下のどこにも捕食者がいないからこそ、地球上に70億もの人間が君臨しているわけです。ライオンに食われた人はいるけど、エサになったわけではありませんからね。

 しかしながら、生き物として見直せば、決して完成されているとはいえないんじゃないかな。新型コロナが典型的ですが、顕微鏡でも見えない微小なウイルスに蹂躙されてしまう。遺伝病も少なくなく、長生きすればしたで細胞の異常増殖=ガンだって覚悟しなきゃいけない。猫や犬よりは元気で長生きかもしれないけど、ゴキブリやアメーバに比べたら、生存能力は著しく劣るのではないでしょうか。体力的にも、人間より強い動物はいくらでもいます。

 ダーウィンの「進化論」に従えば、人類は環境不適応、あるいは弱肉強食でとっくに絶滅していてもおかしくありません。にもかかわらず生き延びることができたのは、他の生物とは異なる生存戦略を持っていたからです。人間を除くすべての生物は、自らの身体を変えることで環境に適応してきました。いわゆる「進化」です。これを文化人類学者の今西錦司は「棲み分け」と表現しましたが、いずれにしても自然環境が絶対的な存在だったのです。

 ところが人類は逆に、この環境を変えることで存続してきたといえるんじゃないかな。2本足歩行によって自由を得た2本の手で武器を作り、それまでの捕食者を自分たちのエサにしてしまった。それだけでなく、道具を作って土地という環境にもアクセス。農業革命によって、狩猟ではとても望めない安定的な食糧確保に成功しています。

 その後の産業革命、情報革命、バージョンなんたらについては省略しますが、文化・文明はどんどん進化。今では地球環境を壊しかねないほどのレベルに達しています。けれども、前述したように身体のほうはほとんど変化していません。そのかわりに医学が進歩しており、いずれ新型コロナもワクチンなどが開発されるはずです。

 このことから、前述した今西錦司は「人類はもはや進化しない」と言い切っています。進化を迫る環境条件そのものを変えられるのだから、わざわざ自分の身体を変える必要なんてないということです、

 さて、ここまでは人類全体の話。いざ個人に立ち戻ってみると、「進化論」的に自分のあり方を環境に適応させようとする人は少なくないんだよな。何のことはない、自然環境は征服したけど、今度は社会という環境への適応を常に求められていることになります。そのストレスが精神に様々な悪影響を及ぼしているのが現代ではないかと。

 でもね、自然環境を変えることができたんだから、社会環境だって変えることができるはずです。少なくとも、自分の生き方を無理して曲げることはないんじゃないかな。人類は両手を使って生物としての不利を克服してきました。今度は知恵を使って、社会的な不利を克服すればいい。具体的には、他律的な状況を少しでも自律的に生きるということです。

 ごく簡単にいえば、楽しく仕事をするためには、自由でなきゃダメってことです。人からいちいち指示されて面白いと思う人はいませんよね。自分が主役となって自律的になればなるほど、環境のほうが変わってくる。そうした主体的な意志を持つべき時代になってきたと思うんだけどね。


ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

2020年6月26日 (金)

Withマスク


 特効薬やワクチンがまだ研究途上にあるだけでなく、ウイルスそのものも変異を繰り返していくため、感染者数がそれなりに落ち着いた今も、アフター・コロナやポスト・コロナと呼ぶことはできないようです。このため、小池都知事は「Withコロナ」と例によって英語のキャッチフレーズを使っていますが、ボクは「Withマスク」だと思うんだよな。

 暑くなってきても、マスクはすっかり常識化。熱中症の心配もあるので、人が周囲にいなければ外しても良いと言われているものの、みんながマスクをしている中で1人だけオープン(?)というわけにもいかないですよね。そして、このマスクって奴は、きちんとしたファッションをぶち壊してしまうのです。

 特にスーツの被害がハンパではありません。オーダーメードの高級スーツも、量販店の吊しも、顔の半分以上を覆うマスクがその差違を分かりにくくしてしまう。かといって、不織布でない黒いウレタン製など色つきにしたところで、何だか顔にパンツを履いているようで、ボクだけなのか、エッチに見えて仕方ないんだよな。

 そんなわけで、これからは「Withマスク」のファッションを創案すべきではないでしょうか。すでにネクタイなしのクールビズが普及していますが、あの格好にマスクでは、ますます仕事が見つからない失業者っぽい雰囲気になってしまいます。では、どんな格好が「Withマスク」にふさわしいのでしょうか。

 起き抜けのトイレの中で数秒考えて閃いたのは、サファリルックです。肩はきっちりあるんだけど腕は半袖で、ポケットが前面に4つほど。あの格好でネクタイをつけようと思う人はいませんよね。基本的には機能重視のカジュアルではあるんだけど、それなりにちゃんと見えなくもない。アフリカあたりの熱帯では正装に近い印象を受けるんじゃないかな。少なくとも、そんなイメージで宣伝していけば、スーツに代わるビジネスウェアになるように思うのです。

 そして、最大のメリットは、マスクにあまり違和感を与えないことです。誰もいないところでは、マスクを外してひょいと胸のポケットへ。クソうるさくて処理に困るマスクを、機動的に着脱できるではありませんか。

 どうです、「Withマスクのファッション」と「サファリルックWithマスク」。この2つのアイデアで自社ビルが建てられるような気がするなぁ。本気でビジネスにする場合は、ボクの許可を必ず得てくださいね。


ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

2020年6月25日 (木)

カラオケ

 

 ボクが都知事なら、ライブハウスは真っ先に解禁しますが、カラオケは最後まで休業要請を続けるでしょうね。新型コロナの感染防止では決してなく、カラオケそのものを禁止したいのであります。

 他人のお楽しみを邪魔する気持ちは毛頭ありません。大きな声で歌を歌うのは、ストレス発散になって気持ちもいいでしょうね。けれども、それを聴かされるほうは拷問に近いことがあります。自宅の居間とか風呂場で1人で歌えばいいのに。

 そもそも、ですよ。歌は誰にだって歌えても、上手に、しかも感動を与えるように歌える人なんて、滅多にいるものではありません。にもかかわらず、それを自覚している人はほとんどいない。さもなきゃ、みんなを引き連れてカラオケなんかに行かないですよね。上手ではないにしても、ヘタではないだろう、いや、もしかすると個性的かな、という寒気がするほど恐ろしい自己満足が、カラオケルームには充満しているのであります。

 その自己満足は、過度な他人迷惑もひっくるめて、みごとにお互いさまですから、誰かの歌が終わればやれやれと安堵し、その解放感から拍手することになります。実際には次の歌をずっと探していて、誰も本気で聴いてないことはみんな分かっているのにね。そんなところで空気を読み合うくらいなら、ライブハウスに行けよ、とボクは思うわけです。

 自慢じゃないですけど、ワタクシは中学の頃からギターを弾き、高校の時はバンドだって組んだことがあります。それだけに、自分の歌がものすごくヘタクソであり、聴くに堪えないと分かっております。それで20年以上も前から、カラオケにはほとんど行っておりません。

 そんな不快な公害ともいえる娯楽がようやく休業となったのですから、そのままでいて欲しいと願う人は案外多いのではないでしょうか。「さぁ行くぞ、歌行こう歌!」なんてことを退社間際に言い出す係長や課長を止めることができず、狭い室内でマスクを外してがなり立てる歌声を我慢するのは、とてもじゃないけど「新しい生活様式」とはいえません。ヘタすりゃパワハラの一種であり、下心ありありのデュエットだってセクハラになりかねないご時世ですぜ。

 それでも行く人は行くから、こんなことを書いても営業妨害にはならないはずですが、カラオケによって音楽の価値が上がったとはとても思えないんですけどね。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

 

 

 

 

 

2020年6月24日 (水)

結果にコミット


 スポーツジムやフィットネスクラブにもはや興味はまったくありませんが、ライザップの「結果にコミット」というキャッチコピーは、この業界では相当に革命的だったんじゃないでしょうか。

 その具体的な証拠として、有名タレントのだらしなく太った裸と、筋肉で引き締まった体躯を、使用前・使用後のように比較して見せるのも衝撃的な効果がありました。ポーズの取り方が極端過ぎるとしても、視聴者に「こんなに変われるんだ!」と思わせることに成功しています。この大宣伝でライザップは急成長しましたが、裏を返せば、それまでのジムは「結果にコミット」なんかしていなかったということになります。

 実際に、ボクも大昔に某フィットネスジムの会員になって数日ほど通ったことがありますが、ほとんど「自己責任」でしたもんね。一生懸命やれば、きっと痩せるだろうけど、言外に「あなたの努力次第」という雰囲気でした。そんなところに「結果にコミット」ですから、業界は震撼したのではないでしょうか。ただし、「コミット」というよく分からない英語がポイントであって、「痩せなきゃ責任を取ります」とか「返金します」とは言っていません。「約束」や「責任」の意味を持つ英語であっても、あくまでも表現は「コミット」ですから、その微妙で曖昧なところが、実は免責的な効果をもたらしているとボクは思うんですけどね。

 いずれにしても、「結果にコミット」というのは、それまで「自己責任」で済ませてきた様々な業界に間接的な影響を与えたように思います。大学も、今や卒業すればOKではなく、「学士力」が問われるようになったじゃないですか。って、その後先は調べていませんけどね。

 考えてみれば、どんな仕事も「結果にコミット」していなければ評価は下がり、ヘタすりゃアウトですから、これまでも皆さん責任を持ってやっていたはずですが、どこかに必ず逃げ場を作っていた。その間隙をライザップは衝いたように思います。それでいて、前述の「コミット」ですもんね。言葉選びがうまいなぁと素直に感心します。

 それに比べて、政治の世界は日本語の「責任」を大安売りしているんじゃないかな。安倍さんなんか国会で「私の責任で」と何度言ったことか。モリカケから選挙違反夫婦まで、ちっとも責任なんか取っていませんよね。

 ボクが新人の頃に、ある先輩から「責任を取る取る、とみんな簡単に言うけど、起きてしまったことの責任なんて誰にも取れないんだぞ」と言われたことがあります。たとえば建築したビルが倒壊して死者が出たら責任の取りようがない。お詫びのカネをいくら積んでも言い訳の一種でしかありません。どんなことでも、元に復すことができない限りは、責任を取ったことにならないのです。

 だから先輩は「責任は負うことしかできないんだよ」と結語しました。おかげさまで、責任という言葉はボクの文庫の底のほうに沈んでおります。


ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

 

 

 

 

 

2020年6月23日 (火)

フローからストック型経済へ

 

 新型コロナの蔓延によって、世界の経済活動が大きなダメージを受けました。経済活動というのは様々な意味での濃厚接触ですから、感染を防ぐためには、それを停止または極力少なくするのが最も有効な対策となるからです。しかしながら、病気で死ぬか、それとも飢えて死ぬかという究極の選択になりかねないことも事実なので、アメリカやブラジルのように、多数の屍を乗り越えても経済活動を優先するという政策も納得できないわけではありません。

 しかしながら、新型コロナ対策は隔離か経済かという二者択一しかないのでしょうか。中間的な方法として、検査をどんどん拡大して感染者を早期に隔離。非感染者だけで経済を回すということも考えられるようです。ただし、この方法はみんなが検査を受けることが大前提であって、中には検査なんか嫌いだという潜在感染者もいるんじゃないかな。それに、たとえば東京都に住む1400万人の全員に検査が可能かという規模の問題もありますよね。加えて、感染者がどんどん増加すれば、その分だけ経済に携わる人材が少なくなり、スローダウンは避けられません。

 でね、こんなことになるのは、経済がフロー型だからではないかとボクは考えるのであります。フロー型というのは、みんながモノやサービスを提供し、それを頻繁に売買することでようやく成立する社会を指します。おカネがグルグル回ることで生活が支えられているからこそ、人間は働かなければならない。働く意義はそれだけではないのですが、今回のコロナ禍のように2~3か月も巣ごもりすれば、生活が立ちゆかなくなる人が続出します。

 それもこれも、要するに貯金が貧弱なことが原因ですよね。様々な社会資産も含めて、こうした貯金すなわちストックが潤沢であれば、巣ごもりはいささか窮屈な長期休暇になるだけじゃないですか。ストックが限られているからこそ、緊急事態宣言に伴う休業要請は弱者をどんどん追いつめることになります。

 だったら、ハムスターの回り車のようなフロー型の経済からとっとと降りて、ストック型に変えようとボクは提案したいのであります。最低でも1年くらい経済活動を停止しても食うに困らないストックを持つこと。完全に停止すれば食べ物も供給されなくなるので、生活の維持に直結する活動は別ですよ。みんながブラブラと絵を描いたり楽器を弾いたりして楽しく過ごしても困らない社会。どうしてそこを目指さないのか、ボクは不思議でなりません。あくせく働くことも決して悪くはないのですが、年を取ればたいていの人が辛くなってきます。だからね、全体としての社会資産をもっと潤沢にしておき、たとえばカゴの中から必要なカネを誰でも取り出して使えるような社会は無理なのでしょうか。

 世界的にはカネがありあまっているんですぜ。そのカネが株式市場や石油あるいは金、プラチナなんかを投資先として循環しているのです。いったい誰のカネだよって思いませんか。そこが資本主義の奇怪なところで、特定のご主人様というのはいないのです。ウォーレン・バフェットだって司祭ではあっても神ではありません。年金などのみんなのおカネが、いつの間にか特定の主人を失い、カネそのものが神のようにボクたちの頭上に君臨しているのです。

 そいつを地上に引きずり降ろして、みんなで費消できるようにすれば、1~2年は楽に食えるんじゃないかな。もちろん蕩尽ばかりではたちまち行き詰まるので、フロー型も欠かせません。でも、今のようにフロー型に大きく依存する社会はもうやめたほうがいい。そうした意味でも資本主義はそろそろ大改革が必要なのであって、その際のキーワードがストック型経済、すなわち貯金でも食える社会ということになるのですが、これまたボクの妄想なのかな。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

 

2020年6月22日 (月)

適応

 

「うーん、制度の内容は分かりましたけど、それっておかしくないですか」
「おかしいと言われても」
「立場をちょっと忘れて、あなた個人として考えてみてください。ヘンだと感じませんか」
「いえ、感じませんが」
「無理しないで下さいよ。ボクは逆らうつもりは毛頭なくて、率直な意見が聞きたいだけなんですから」
「私はヘンだと思いません」
「どうしてかなぁ。100人いれば100人がおかしいと思いますよ」
「いえ、そうは思いません」
「じゃ、もうちょっとボクにも分かるように説明してください」
「制度がそうなっているんです」
「では、制度はすべて正しいんですか」
「とにかく、そうなっているんですから、私はヘンだとは思いません」

 ある税務署の相談係との会話です。ボクは以前に親切な税務調査を受けた経験から、税務署には好意を抱いてきたのですが、この相談係の説明はさっぱり理解できませんでした。分からないから、いろいろ突っ込みを入れると、明らかに回答が怪しくなり、なぜだか次第に意固地になっていくんですよね。やがて最後の言葉が、公務員の絶対的なキーワード「制度がそうなっている」です。どうしてそんな制度になっているのか分からないから、わざわざ電話して訊いたんですけどね。

 以前に住んでいた区の役所では、しつこいと思われたのか「文句があったら区議会に出て議題にしてください」と言われたことがあります。これも「そうなっているんだから仕方ない」ということが圧倒的な根拠でした。本当は行政訴訟や行政不服審査制度も利用できるのですが、そうした自分たちに都合の悪い制度はひた隠すんですよね。

 そんな大げさなことにしないまでも、公務員の1人ひとりが個人としてヘンだと思ったら、それを良い方向に是正すればいいだけじゃないですか。どんなに正しく見える制度だって、時代や社会の変化や技術革新などで本来の趣旨とズレていくことはしばしばあります。そこで現場の担当者が「係長、ここちょっと直したほうが良くないですか」と指摘し、それが上長から上長へと伝達され、区長が「確かにヘンだよな。では議会に諮って変えよう」となれば、ボクごときが文句を言うこともないはずです。

 ところが、実態はまったくの逆さま。「おかしいけど仕方がない」が上から下へと指示され、それに従わないと、机ひとつの個室にいじめもどきで隔離されたりするわけですね。こんなのは、3代目の坊ちゃん嬢ちゃんにいい年をしたオッサンたちがヘイコラする半島の国と大して変わりないじゃないですか。きっと前述の相談係は「あの国とは違う」と言うでしょうが、個人の意見を自由に言えなければ、独裁国家における奴隷的な服従と見なされても、それこそ「仕方がない」ってなりませんか。

 そこで図らずも思い出したのが、ダーウィンの進化論です。「進化」という言葉そのものが実は大間違いであることを知る人は今も多くはないんですよね。優れた生物が生き残ってきたわけでは決してなく、環境に適応して変化を果たした生物だけが生存を続けてきたということに過ぎないのです。ですから、環境がこれからどんどん劣悪になれば、人間のように複雑化した多細胞生物は簡単に絶滅して、ゴキブリやアメーバが地球上の覇者になるかもしれない。強いから勝つのでなく、勝ったから強いという論理と似ていますよね。

 進歩は技術革新と同じく一方向への発展を意味していますが、生物の「進化」はあくまでも生き残りのための環境適応であって、そこに進歩や後退といった特定の方向性なんてないのです。

 行政という巨大なピラミッドの中も同じで、優れているから出世するのでなく、環境に適応したからクビにならず、うまくすれば役職の階段を上がっていける。そのためには「おかしい」と思うのはタブーなのでしょうか。かくて、制度はちっとも進歩せず、時には社会変化に逆行することもある。すべては政治という環境に適応するため、てなことになるのかな。

 もちろんボクたちだって、環境への適応は不可欠です。でもねぇ、1人ひとりが個人に立ち返り、気づいた理不尽の解決に本気で乗り出せば、この社会はあっという間に住みやすい方向に進歩すると、ボクは信じているんですけどね。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

2020年6月19日 (金)

置いてきぼり

 

 新型コロナの蔓延によって、各種のオンラインサービスが劇的に普及しました。一般家庭でもネットショッピングが常識化。遠方に住む祖父母と孫がSkypeやZoomで顔を見ながら話すなんていうことも珍しくありません。

 こうした生活のデジタルシフトは、“新しい生活様式”として様々に発展しそうな気配を見せています。その一方で、本日から休業要請が解除され、県をまたぐ移動も認められたので、以前のスタイルに戻る動きも出てくるでしょうね。
 ただし、人間というのは、いったん手に入れた利便性から離れることはできません。ボタン一発で何でも宅配されるのであれば、わざわざ店まで出かけるのが面倒になりますよね。だからこそ実物を手にして選ぶ楽しみや、リアルな対面に価値が生まれるのですが、それに耐えられないつまらないモノやコトはどんどん排除されていくことになるはずです。

 そうしたデジタルシフトについて行くことができず、置いてきぼりにされる人たちも生み出すのではないかとボクは危惧しております。今から半世紀ほど前の高度成長期にも似たようなことが起きました。歴史の教科書の上では国民すべてが経済的に潤い、欧米並みの豊かな生活をキャッチアップしたように解説されていますが、社会主義でも共産主義でもないんですから、そんなにうまい話なんてあるはずがない。貧乏生活から脱出できず、底辺で喘いでいた人たちも沢山いました。ボクの両親もそうでしたが、テレビや電気洗濯機、冷蔵庫はもちろん、エアコンやマイカーまで持つ人たちを横目に、その日その日を過ごすのに精一杯だったのです。

 そんな生活を経済的に救うことはできないまでも、他者への嫉妬や怨みといった、卑屈でどす黒い感情に安寧をもたらしたのが新興宗教です。戦乱の世の中で信者を急増させていった鎌倉仏教と似ていますよね。浄土真宗だって当時は新興宗教だったんですから。

 では、再び同じことが起きるかといえば、ボクはちょっと違う方向になるのではないかと。アメリカやカナダには現代文明を完全否定し、昔ながらの農業生活を続ける「アーミッシュ」と呼ばれる人たちがいます。それと同じように、オンラインなどのITテクノロジーを排除した生活にこだわる人たちが登場するかもしれない。スマホなんか真っ先にゴミ箱行きですよね。
 宗教に必要不可欠な理念や哲学なんて、後からいかようにもこしらえることができます。そうした人たちにとっては、ITやオンラインなんてないほうが、むしろ便利に感じられるからです。ちなみにボクはパスワード・アレルギーなので、それがない社会が隣にあったら、さっさと移転しますけどね。

 そんなわけで、アンチIT&オンラインを掲げた宗教を創立したら、案外多くの人が集まるかもしれない。彼らの収入の一部を寄金として集めて、ネットのないアナログな生活環境のコミュニティを全国各地に作っていく。いずれAIが支配した「スカイネット」が世界を滅ぼすぞぉと呼びかければ、外国人も集まってきたりしてね。

 ここまでは冗談ですが、いずれにしても、どんなことであっても、置いてきぼりを残してはいけません。いずれ手痛い反逆を受けることになるからです。あ、でも今の日本人にそれほどの根性や度胸はもはやないのかな。大昔は一揆や米騒動に打ち壊しなんて頻繁に発生したんですけどね。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

 

 

 

 

2020年6月18日 (木)

ジャングルの掟(続々)

 

 新しい事務所は9階にあり、ベランダの窓から駅前のロータリーを見おろすことができます。本日のようにブログのテーマが思いつかない時は、バスや人の動きをぼんやりと眺めているわけですね。

 早朝の6時くらいからロータリー付近にポツポツと人が集まり始め、7時頃になると、いくつかあるバス停に人の列ができます。もちろん駅に急ぐ人たちも。皆さん忙しいはずなのに、大きな駐車場の横に設置された喫煙所には人だかりができ、紫色の煙で空気がゆらめく時もあります。ボクも以前は喫煙者だったので、ほっと一息という気持ちはすごく分かるのですが、医学的には何ひとつ長所が見つからない悪習です。今回の新型コロナでも肺炎が重症化するといわれております。ヘタすりゃボヤを出す危険もあるしね。そして、この喫煙所の朝は密集と密接の二密状態。ソーシャルディスタンスもへったくれもありません。知らない人たちが集まるので会話がなく、ウィルス入りの飛沫が拡散する心配はなさそうだけど、いかにも窮屈なので、もうちょっとスペースを広げたほうがいいんじゃないかなぁ。

 そして、ボクがしばらく謎だと感じていた行列が9時半過ぎから始まります。上から見る角度では何のために並んでいるのかよく分からなかったのですが、地上を歩いてみて理由が納得できました。パチンコ店があったんですよね。開店の15分くらい前になると、係員が整理券みたいなものを手渡したりしますが、こちらもソーシャルディスタンスなんか意識されていません。前後の人がしっかりと近接しており、手にしたスマホを眺めていたりします。

 やがて開店。どんどん人が吸い込まれていくのですが、そのうちいったい何人が勝つのでしょうか。ボクだって大昔にやったことがあるので分かるのですが、カジノを含めたすべてのバクチは、確率的に胴元が必ず勝つようになっております。ブラックジャックにしても、親の勝率は子供よりちょっとだけ高い。だから短期的には子供が大きく勝つことがあっても、長くやればやるほど必ず負けます。こりゃもう数学的な絶対的真理なんですから。

 この行列は、端的に言ってしまえば、わざわざパチンコ店にカネを捨てるために並んでいるわけです。そんなことを思っていたら開店前から並ぶわけもないのですが、客観的に俯瞰すれば、そういうことが分かるんですよね。しかも、この行列にお金持ちが並ぶことはほとんどないはずです。パチンコより仕事をしたほうが儲かる高所得者も近づくことはないでしょう。

 つまり、決して豊かでない人たちが、さらにカネを捨てに集まっている。平日ならなおさらですよね。仕事という生産活動ができないのですから。人間には違法でない限りバカなことをやっても許される愚行権があると佐藤優氏は言いましたが、ボクはこれは社会的トラップでないかと考えています。パチンコ店は違法ではありません。しかしながら、貧乏な人たちをさらに貧乏にする悪質な仕掛けではありませんか。

 テレビで宣伝しているボートレースや競輪などの公営ギャンブルだって本質はまったく同じです。世の中には、こうした目には見えない社会的トラップが至るところにあるんですよね。新型コロナによる不況では住宅ローンですら社会的トラップに変わりつつあります。

 ボクたちが暮らしているのはジャングルというだけでなく、恐ろしい罠だって仕掛けられているんだぜと、若い人たちに警告しておきたいのでありますよ。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年6月17日 (水)

ジャングルの掟(続)

 

  ライオンキングの話ではありませんので、それを期待した人はこの先を読まないでください。

 今からちょうど10年前に、老朽化したモルタルアパートの一室で、孤独死というより餓死した人が発見されました。そのかたわらに「おにぎりを腹いっぱい食べたかった」と書きつけた紙があり、それが大きな話題になったのです。10年前といってもレッキとした21世紀であり、世界で3番目のGDPを稼ぐような先進国で、こんなにも悲惨なことがあっていいのでしょうか。

 たまたま某雑誌で対談の司会を仰せつかったので、義憤に駆られて、この話題を不作法にもぶつけたんですよね。普通なら「悲しい話ですよね」と情緒方面で再解釈したり、「政府は何をやっとんじゃ」と野党のように社会批判に走ったりします。どっちにしても他人事ですから、何の役にも立ちません。では、あなたはどう考えますか。

 名前を出せばたいていの人が知っている某氏は、さすがにそんなことは言いませんでした。「こんな死に方をしないためにはどうすればいいのでしょうか」というボクの容赦ない突っ込みに、しばらくして「遵守すべき優先順位を変えることじゃないかな」と答えたのです。たとえば今の日本は文明社会と考えられていますが、ひと皮剥けば弱肉強食のジャングルでもあります。そこに街や都会のルールや礼儀を持ち込んでも通用するはずがない。ジャングルにはジャングルの掟があるので、これに従うことが生き延びる秘訣ではないかと。

 大変に危ない話になりかねないので、これ以上は詳しく説明しません。けれども、インチキな報告書を強要されて自死した財務書職員の妻が再調査を求めても、「ちゃんと調べたので」と大臣が逃げてしまう国ですよ。総理大臣がモリカケなどの知り合いのために大枚の税金を融通する国ですぜ。国家業務の中抜き再委託というスキャンダルも露見しております。法律や規則なんて上っ面だけで、強い奴や権力者の都合で何もかもが簡単にひっくり返ってしまうという現実を、もっと直視したほうがいい。

 より分かりやすく、過激に言いかえるなら、ボクたちは餓死しないまでも、いつ何時殺されるか分からないのです。けれども、そうした事実は巧妙に隠蔽され、法治国家という美しい建て前がそこら中に蔓延している。学校なんか典型的で、イデアがあたかも実在するかのように子供に教えていますよね。完全な直線や円なんか自然界には存在しないのに、あると仮定して幾何学が成立しているというアレです。普段はそんなことを意識しないでも平和に穏やかに生きていけますが、ひとたびレールから外れたり、貧困に陥ると、ジャングルに暮らすのと同じ状態になってしまいます。あくまでも例えばですが、食べ物を買うカネもロクにないのに、きちんと税金を払っていたら、餓死してもおかしくないですよね。アメリカで暴動や略奪がしばしば発生するのも、自分たちがジャングルに生きていることを実感している人たちが多いからじゃないかな。

 実際には様々な救済手段が設定されているので、それを利用するべきですが、少なくとも法律やルールが自分を十全に守ってくれると考えるべきではありません。何でまた10年も経ってから再びこんなことを書くかといえば、新型コロナによる深刻な貧困がいよいよ表面化してきたからです。政治家の皆さんに、日本をジャングルの掟が支配する国にしていいんですかと問いたいわけですな。それでどうにかなるわけがないと、100人中100人が言うでしょう。だったら、自分で自分を守るしかありません。すべての幻想や思い込みを棄てて、生き延びることを最優先させたほうがいいということです。

 良き人は還らず。悲しい真実にボクたちは直面しつつあることを、もっと厳しく認識すべきではないでしょうか。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年6月16日 (火)

グローバリズムは何処へ

 

 新型コロナが収束しない限り、インバウンドに期待することができないため、観光業はこぞって国内需要の開拓に乗り出しているようです。星野リゾートでは、これを「マイクロツーリズム」と呼称。かつていわれていた「安近短」の旅行を刺激するマーケティングを行っているようです。

 昨年までは外国人観光客でどこもかしこも大賑わいでしたから、入国禁止がもたらすダメージは尋常ではないでしょうね。かといって、外国人相手で儲けてきたビジネスがいきなり国内需要を目指せといわれても、簡単にシフトチェンジできるものではありません。例えば、ボクは浅草によく行くのですが、仲見世で売っているようなお土産を購入する日本人がどれだけいるでしょうか。模造の日本刀なんて、もはやツービートの歴史的なギャグですよね。こうした店の品揃えをすべて国内向けに変更といっても、何を並べたらいいのか。地方の人向けの東京土産というなら、スカイツリーの売店のほうがよほど充実しています。

 逆に、海外に出て行くグローバル化のほうも完全に停滞。調べていないのですが、大学生の留学や海外研修はすべて中止になっているはずです。2月頃からのドサクサで、むしろ海外からの帰国者が大変な思いをしたのではないでしょうか。10年以上も前から、どんな業界でもグローバルを合言葉にしてきたので、いきなりの急ブレーキといっていい。かといって、今さら国際化をやめて鎖国的な政策に変更できるはずがない。物資は足りなくなり、物価も上昇。国際的なサプライチェーンに依存してきたメーカーは生産ラインを軒並み停止せざるを得なくなります。

 新型コロナの特効薬やワクチンが普及しない限り、海外との交流は恐る恐るという感じで再開していくことになるでしょうね。感染の第2波、第3波が発生すれば、たちまち国境は閉鎖されるので、以前のように中小企業でもアジアに海外工場を設置なんていう積極的な姿勢は取れません。

 つまるところ、3密を避けた「新しい生活様式」が求められ、ビジネスでもテレワークを始めとする「新しい働き方」が定着しつつあるように、「新しいグローバリズム」を創案すべき時代になったといえそうです。英語力はもちろん、国内に居ながらにしてZOOMなどのオンラインミーティングで完璧に海外と意思疎通できるスキルとかね。ビジネスならリモート・マネジメントということになるのかな、もしかすると、すでにMBAで教えている可能性もありますよね。

 まだボクも具体的なイメージはないのですが、英語を勉強して海外に行けばいいという簡単な時代でなくなったことは事実でしょう。では、どのようにグローバリズムを維持していくのか。

 これは国家的な課題でもあると思うんですけど、コロナ渦の国会質疑で「グローバリズム」なんて聞いたこともありません。給付や補助による経済刺激も必要ですけど、そろそろ新しい国際戦略を策定しておかないと、日本はどんどん貧困化していくんじゃないかな。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

 

 

2020年6月15日 (月)

部長の不倫

 

 このタイトルを見てワァッとかドッキーンとした部長さんがいるかもしれません。安心してください。特定の人を指しているわけではなく、一般企業または組織の一般的な部長の不倫が発覚した時に、芸能人やタレントと同じように派手にバッシングされるんだろうか、ということなのです。

 アカの他人、というかテレビに出ている有名人はボロクソに叩くくせに、社内の不倫は陰口の対象にはなっても、「部長! 奥様が可哀想ですよ」なんて批判する部下がいるとは思えません。セクハラですらもみ消されることが少なくなく、我慢できず外部に訴え出れば社内で立場を失ったりするんじゃないかな。今ではかなり環境や意識が改善されたとしても、部長の不倫を面と向かって糾弾する人はそうそういるものではないでしょう。

 亡くなった樹木希林は、番組の打ち上げパーティで担当プロデューサーと若手女優の不倫をバラして大騒ぎを巻き起こしましたが、こんなのは超の付く例外で、仮に部下全員が知っていたとしても、みんな知らないフリをするんだよな。何か言ったとしても自分のトクになるわけではなく、むしろ部長に悪感情を持たれたりする。所詮は他人のプライバシーじゃんかとスルーするのが普通ではないでしょうか。

 でね、部長が不倫相手に飽きるとか、離婚の催促など面倒を起こされそうになると、別の部署とか支社への異動を囁くようになるわけですな。部長の上司も似たようなことをやってきた経験があるので、ツーカーという感じで「彼女、そろそろ違うところに行ってもらったほうがいいんじゃないかな」みたいな助け船を出したりする。

 すいません。これらはあくまでも卑賤なボクの根拠なき妄想ですが、これまでの男社会では、女性社員を結婚相手、または浮気や不倫の対象と見なす人が案外いたと思うんですよね。結婚は寿でも、浮気は不法行為であり倫理的にも許されていません。だからネット民は正義を振りかざして大批判するわけですが、じゃあなたが働く職場でそういうことはないんですか、と。

 そんなに正義や倫理や道徳やルールが好きなら、身近なところで遠慮なく主張したらいいのに。そのほうがSNSなんかより直接的に通じます。そのかわりに匿名では済まないですよね。いずれ必ず自分の名前と立場をさらすことになります。正義というのは、自らの身体を張ってこそ実現するとボクは思ってきましたけどね。

 そんな大げさなことより、他人の浮気なんてわあわあ騒ぐほどのことかなぁ。温泉地なんかに行くと、そういう気配の2人連れは山のようにいますぜ。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

 

 

 

 

2020年6月12日 (金)

保存しない

 

 どうして「保存しない」なんていうボタンがあるのでしょうか。

 昨日は締め切りでありまして、朝から愛用のAirMacで原稿に取り組んでおりました。昼飯も食べずに集中したおかげで、2時ころにはほぼ完成。何かを口に入れるために、いったん机を離れることにしました。この時なんですよね、間違えたのは。所定の行数を大幅にオーバーしていたので、苦労して短縮した後です。ワードの文章を終了させる場合は、上部のバーメニューから「名前を付けて保存」とか「保存」を選ぶのですが、ボクはこれが面倒で、ドキュメント画面の左上にある赤いボタンを押すことにしてきました。こうすると瞬時に終了画面となり、「保存」「キャンセル」「保存しない」という3つのボタンが出てきます。

 普通はね、「保存」を押すんですよ。作ったばかりの文章をすぐに廃棄するなんてことはしません。ところが、文章を依頼通りの行数に短縮してはいても、元の状態の文章も残しておきたい。そんなわけで、というか、何を考えていたのか、早い話が間違えて「保存しない」を押しちゃったんですな。直後に「しまった!」と気づいても、時すでに遅し。心臓がバックンと鼓動して全身が熱くなる一方で、背中がひんやりです。

 朝からタイトルも付けず保存もしないで取り組んでいたので、今さらファイルのどこを探しても見つかるはずがありません。同じことを10年ほど前にやったことがあるのに、懲りずに再びやっちまいました。仕方がないので、前の文章を思い出しつつ、ゼロから書き直しであります。神々の指示で山頂に大岩を運び、ようやく積み上がると転げ落ちて、また運び上げるというカミュの随筆『シーシュポスの神話』を思い出しました。

 徒労の極致だけど、責任は自分にあるのだから誰にも文句は言えません。でもさ、「保存しない」というボタンがどうして必要なのかな。いらない文章であればゴミ箱に入れればいいじゃないですか。それを後で確認してから廃棄すればいい。なのに、文章をいきなり消去するボタンがあるからこそ間違えてしまうわけですよ。

 ボクのようなバカに配慮した工夫を「フール・プルーフ」と呼びます。「フェイルセーフ」という格好いい言葉もあるのですが、どうもシステムエンジニアはボクたち文系をバカにしてんじゃないかと感じることがあるんですよね。「保存しない」というボタンも、そんな気配を感じるんだよな。

 なくても済むようなボタンをわざわざ取り付けなくたっていいじゃないか。2回も似たような文章を書いたんですから、愚痴のひとつも言わせてくださいよ。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年6月11日 (木)

計る人

 

 人類の学名は「ホモ・サピエンス」。ラテン語で「賢い人」を意味します。ヨハン・ホイジンガは1938年に「遊ぶ人」=ホモ・ルーデンスと定義しました。小林一茶は「われと来て遊べや親のない雀」と詠みましたけどね。1969年になると、建築家の黒川紀章は「ホモ・モーベンス」=動く人という概念を提示しました。人類は太古の昔から移動を繰り返して地球上に広がっただけでなく、当時はモータリーゼ-ションの真っ盛り。動き、浮かび、飛ぶ機械の急速な発達を背景として、定住を前提とした住宅建築に疑義を唱えたということでしょうか。

 さて、ボク自身に立ち戻れば、昨年までは体重を熱心に計測してきました。前にも書いたように、不用意にも76キロ台を続けて、77キロに至ってしまうと、スーツなどのファッションが窮屈になるだけでなく、余計なシワが入ってしまうからです。

 ところが、今年の2月あたりからは、体重計に代わってデジタルの体温計を常用するようになったのです。もちろん新型コロナの懸念からでありまして、ごくたまに37度台になると気分は蒼白で、10分おきに計り直したりしました。平温に戻るとやれ安心となり、体温が上がった下がったで一喜一憂していたわけですね。

 そうなると体重計なんてすっかり忘れてしまい、ボクのスマホの体重記録用スプレッドシートは空白を続けてきました。体温と体重の両方をマメにはかればいいんでしょうが、人間はそれほど几帳面にできているわけではありません。ましてや太ったり痩せたとしても、肺炎のように死に至ることはないですもんね。

 幸いにも新型コロナに罹患することなく今に至ることになり、余裕もできたおかげで「あ、そういえば体重は」と思い出したので、再び朝起き抜けの計測を復活。巣ごもり中は食べてばかりだったので、いささか心配していたのですが、デジタル計はいつもと同じ数字を示してくれました。

 そんなわけで、冒頭で紹介した例にならえば、人類は「計る人」=ホモ・メジャーメントといえるのではないでしょうか。考えてみれば、計測機器は体重、体温だけでなく、やたらに、いたるところに、どこにでもあります。人類の文化・文明はむしろ「計る」ことによって劇的に進歩してきたのではないでしょうか。これだけで1本の長大な論文を書けるくらいの画期的な切り口だと自負しているのですが、「だからどうよ」と一発でひっくり返される気もするなぁ。いずれにしても、人間は死ぬまで、そして、死んでもおそらく「計られる」ことは間違いありません。何もかもを計りつつも計られる。厄介な性分を持つ生き物だよなと呆れつつ感心してしまうのであります。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと

笠木恵司のブログ

 

 

 

 

2020年6月10日 (水)

ワークシェア

 

 アメリカでワークシェアが急増しているそうです。

 日本ほど労働法制が厳しくないため、不況期には平気で社員のクビを切るかわりに、転職や再就職は日本よりはるかに容易だといわれてきました。“生え抜き”が尊重される日本とは違って、複数の転職歴が常識というだけでなく、極端な例ではGMの社長がフォードの社長に、あれ逆だったかな? いずれにしてもライバル企業のトップが入れ替わるなんてこともあったくらいです。企業秘密はどうなんだよと首を捻りたくなりますが、会社は株主の利益を追求する存在であり、それだけに人事も能力主義、実力主義といえるわけですね。

 そんなアメリカが、今回の新型コロナでは珍しくレイオフ(一時解雇)を避け、従業者の労働時間を短縮することで、雇用を維持する企業が増加しているそうです(本日の日本経済新聞朝刊)。当然のことながら、社員1人ひとりの給与も引き下げられることになりますが、その減少分を失業保険から補填されるようです。テレビドラマなどで描かれているように、段ボール箱を持たせて会社から追い出すかわりに、仕事と給料をみんなで分け合うことを選択したといえそうです。

 アメリカの社会はよく知りませんが、前述したように自由な競争を尊重し、社会主義・共産主義的な平等を嫌うのが基本的なメンタリティとすれば、これは劇的な変化とも考えられます。ただし、あくまでも政府が財政的にバックアップしているからであって、長期化すれば国家のフトコロに大きな影響が出てきます。

 であるなら、大金持ちから税金をもっと取ればいいじゃんかとボクは思うのですが、不動産王のトランプ大統領が富裕層への増税を承知するはずがない。もともとアメリカは理想と現実、搾取と慈善、カネ持ちと貧乏人というように、アンビバレンツの塊みたいな国ですから、こうした社会的な政策と個人主義の軋轢がやむことはないでしょうね。

 いずれにしても、このように国家と政権は、徴収した税金の分配が基本的な仕事でありまして、その振り分けによって国のカタチも大きく変わってきます。

 だからこそボクたちは国家の予算や財政を注視すべきなのですが、だったら日本の予備費10兆円というのは何だよ、と。予備費は「具体的な使途を定めずに計上する経費」とされています。つまり、分配する先がまったく分からない。それが史上空前の金額規模というのですから、ますますワケが分かりません。700億円程度(!)の「持続化給付金」ですら中抜きで下請けに再委託を繰り返しているんですから、10兆円ともなれば寄生虫のような“越後屋”が跳梁跋扈することになるはずです。

 ごくごく簡単にいえば、今の政府と安倍さんに対するボクの率直な感想は「火事場泥棒」です。あくまでも個人的な感想なので、念のため。あの人はお坊ちゃん育ちのせいか、けなされると誰かれかまわず怒り出すところがあるからなぁ。

 そろそろ国民も彼らの正体に気づいたせいか、支持率もつるべ落としですけど、遅すぎです。今回のコロナでは世界各国の政権の支持率が軒並み高まっており、逆にダウンしたのはアメリカと日本くらいなものです。そろそろ交替してもらいましょうよ。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

人気ブログランキングへ

 

 

 

2020年6月 9日 (火)

政治家も愛嬌

 

「今日は感染者がゼロよ。ウフフフフ。嬉しくて子供と一緒に踊っちゃいました」

 これ、ニュージーランドの女性首相の会見です。いいなぁ、すっごく。こちらも嬉しくなって、すぐにニュージーランドに移住したくなりました。だってさ、日本は毎日のように安倍さんの仏頂面に小池さんの嘘つき顔ですぜ。

 政治家には政策が必要であって、美貌も愛嬌も不要という人がきっといるだろうけど、果たしてそうなんだろうか。今のような高度情報社会では、彼らはテレビタレントと同じで、国民の感情を顔色ひとつで左右する存在なんじゃないかな。同じ内容でも、言い方次第で印象が180度違ってくるのはボクたちの生活も同じですから、恒常的に何百万人を相手にする政治家が、カッコ悪くて無愛想で、エラソーなだけでは意気も上がりませんよ。

 ところが、唇をめちゃめちゃ歪めて「民度が違う」なんて傲岸不遜なことをのたまう御仁が自民党の重鎮で国家財政を担っていたりする。ボクはこの人が景気や経済の専門家だなんて思ったこともありませんが、それでも財務大臣が務まるんだから、やはり人気商売じゃないですか。それもまるきり別な意味でね。何しろ民度が違うんだから。

 とにかくね、毎日のように新型コロナの感染者数を発表し、夜の街が危ないと警告するなら、もっと感情移入して、イングリッシュ拒否男にも伝わるように話してほしいな。安倍さんも笑顔を徹底的に練習しましょうよ。ボクたち自身も、死んだように感情停止した顔を決して他人にさらしてはいけない。

 どんなにアタマが良くて、ご立派な大学を卒業して、お偉い立場にいようが、ニコリと笑う愛嬌に勝つことはできません。だってさ、人間関係は非言語のコミュニケーションが基本であり、ICTもAIもそれを促進するように進歩しているからです。よって政治家も社長も、男の子も女の子も、何てったって人に好かれてナンボなのです。試験で高得点さえ取ればOKと信じてきた人たちは、そこのところがまるで分かっていません。

  ボクたちはもっと違う勉強をすべきだって、以前から指摘してきたんけどなぁ。世の中は学校と違う理屈で動いているのであります。いつ先生たちはそれに気づくんだろうか。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓


人気ブログランキング

 

 

 

 

 

 

 

2020年6月 8日 (月)

コロナ禍の後に

 

 分かっている人はとっくに分かっているのに、分かりたくないから理解しようとしない人も少なくないのが、新型コロナ禍の後にやってくる世界観ではないでしょうか。

 しばしば言われるテレワークなどオンライン化の加速だけでなく、3密を避けたビジネススタイルが浸透していくのは間違いないんじゃないかな。新型コロナを怖れることなく、繁華街で伝統的な濃厚接触にこだわる人はそれなりにいるとしても、ラッシュアワーの混雑電車に戻ることを嬉しいなんて思う人はいないはずです。このため、緊急事態宣言が解除されて出勤体制が戻っても、電車通勤を避けて自転車に代える人が急増しているそうです。また、オンラインの会議システムなどを利用した在宅ワークを継続。中には週休2日を3日制に延長する会社もあると報道されています。

 これまでは会社に集まって仕事することが当たり前でしたが、これからは逆に、わざわざ集まる理由や目的をきちんと定義しておかないと、社員の賛同を得られないんじゃないかな。「テレビ会議じゃダメなんですか?」と言われて絶句するようでは、もはやマネジャーは務まらないでしょう。

 それと同じ理由で、高コストな都心立地のメリットが問い直されるとボクは見ています。高価な賃料などを支払っても、それ以上のイメージ=利益が得られるからこそ、大企業や伸び盛りのIT企業などがテナントとして入居していたのですが、前述した変化から、早い話が都心にこだわる理由がなくなりつつあります。利に聡い企業が、そうしたコストパフォーマンスの低下を見逃すはずもなく、すべてではないにしても、郊外などへの部分的な移転を検討する会社が増えてきたといわれます。インターネットの立ち上がり時にも似たようなことがいわれましたが、それから20年ほどが経過。今回は圧倒的な通信技術の革新を背景にしているだけに、大きなムーブメントを生み出すような気がします。

 要するに、新型コロナが仮に収束したとしても、以前の社会に戻ることは決してないということです。むしろ、これを好機として積極的に変わっていかなければ、犠牲者の皆さんに申し訳ない。そうした「新しい社会」の青写真を政府に期待しても能力的に無理ですから、ボクたち自身で次世代のソーシャル・スタイルを生み出していくほかありません。すでにそうした動きが出ているのは、大変に歓迎できます。濃密な人間関係が普通だった過去を懐かしむのは、もっとずっと後でいい。これが本稿でボクが言いたい最も重要なポイントなのです。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

 

2020年6月 5日 (金)

矢印

 

 ボクたちが普通に使っている矢印は、大昔からあったわけではないことをご存じでしょうか。例によって諸説ありますが、17〜18世紀頃にヨーロッパで使われるようになり、100年ほど遅れて日本に伝わったとされています。

 どうしてこんなことを知っているかというと、古代に作られた文書にみせかけた「偽書」という世界があるからです。日本だけでなく海外にもあり、フェイクニュースの元祖ということになるのかな。最近は聞きませんが、かつてはいろいろとあったらしい。中でも、戦後最大の偽書といわれたのが「東日流外三都誌」です。地中から掘り出した文献を皮切りに、冊子などが次々に発見され、最終的には段ボール箱20個にもなったそうです。これらを発見した人が亡くなってから、自宅で古紙に偽装する薬剤などが見つかり、現在では偽書であることが確定しています。

 この偽書だったかどうかは忘れてしまったのですが、昔の文献に矢印があるのはおかしいという指摘があったのです。つまり、19世紀以前の日本の古書に矢印があったら、歴史的にあり得ない表記となるわけです。現代の感覚で昔の文章を偽装すれば、奇妙なところはいろいろあるにしても、偽書であると決定的には断定できません。ところが、矢印だけは近代の産物なので、それが使われていれば疑わしいとなるわけです。

 こうした偽書をなぜ、どうして作るのか、まるで想像がつきません。売名行為にしても、昔の古文章を延々と書き付けるだけでも、度外れたエネルギーが必要になりますからね。人間というのは心のどこかに変態的な部分を隠しているのでしょうか。いずれにしても、矢印が新しい表記であることを知っておくと、どこかで役に立つかもしれません。

 それともうひとつ。バンザイも日本古来の習慣ではありません。「万歳」は中国の言葉ですが、それをバンザイと発音したのは、大日本帝国憲法が発布された1889年2月。明治天皇の馬車に向かってバンザイと三唱したのが始まりとされています。そうなると、江戸時代などを舞台にしたドラマでバンザイをするのはおかしいとなるわけですね。

 インターネットの発達で、ともすればトリビアな知識はバカにされがちです。けれども、知らなければ一生知らないで済んでしまう知識を理由もなくインターネットから引き出すのは、なかなか困難なんですよね。いつからバンザイなんてやり始めたんだろうと思わなければ、前記のことは分かりません。つまるところ、常に疑問を持ちなさい、ということになるわけですな。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

 

2020年6月 4日 (木)

業務評価

 

 新型コロナの感染を回避するリモートワークあるいはテレワークの普及で、働く人の意識が急速に変わってきたと思います。

 ごく簡単に言ってしまえば、緊急事態宣言が解除されたからといって、どうして押し合いへし合いの混雑電車に戻らなきゃいけないの、ってことですよね。在宅ワークの普及でガラ空きの電車に慣れてしまうと、3密を強いられるラッシュアワーの通勤が怖くなります。このため自転車の売れゆきが活況だそうです。

 もちろん在宅ワークができない職種や産業もあるので、一概には言えませんが、どうしても会社に行かないと仕事はできないのかな、と考える若い人が急増しているんじゃないかな。新卒のリクルート面接からしてほとんどネットのテレビ会議ですから、それで採用された人たちに「会社に来なさい」と言っても、逆に「どうしてですか」と問われてしまう。つまり、コロナ渦を経た生活や日常が新しい様式になるんだったら、「新しい仕事様式」も求められているということです。

 ただし、その時に大きな課題になるのが「業務評価」なのです。ある人事評論家は釣りにたとえて、うまいことを言っています。「これまでは釣りの糸を垂らしている時間が評価されました。ところが、これからは時間ではなく、何を釣り上げたかが問われるようになる。そこそこの釣果があれば、夕方5時まで待たなくてもさっさと退社すればいい、逆に大物狙いで残業することも社員の自由裁量ということです」

 なるほど、と納得できますよね。ところが、この話をボクが聞いたのは、何と20世紀の末です。1990年代ですぜ。それからおよそ20年以上が経過。何も代わっていないとは言いませんよ。様々な成果主義が導入されているようですが、ボクの体感的にはタイムカード的な世界はきっちり残存しております。

 在宅ワークも大いに結構ですが、コロナ渦が一段落したら、きちんとした「業務評価」を確立しなきゃいけません。さもなければ、かつてのように命がけで通勤することになりまっせ。それがイヤなら、仕事の量と質をどう計測するかを真剣に考えなきゃ。これこそ人事評論家の出番と思うんだけど、時間に代わる決定的な指標はまだ見つかっていないみたい。

 ボク自身は、プロ野球の制度を徹底的に真似すりゃいいんじゃんかと思っているんですけどね。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

 

 

 

 

2020年6月 3日 (水)

儀式

 

 ショップなどに入る際に、額に光を当てて体温を計られることがあります。37・5度以上なら新型コロナに感染している疑いがあるので、入店を遠慮してくださいというわけです。体温というプライバシーをチェックされるのは不愉快ですけど、新型コロナにならない唯一の決定的な秘訣は、感染者に近づかないことですから、この方法は基本的な理屈としては正しいですよね。実際に、中国を始めとして海外でも似たような光景が何度も報道されてきました。

 しかしながら、ですよ。最近の研究資料によれば、微熱などの症状を発する数日前が最も感染力が強いそうです。症状がまったくなくても潜伏していることがあり、その状態のほうがむしろ危険ということになります。これはテレビでも広く報道されました。だからこそ、自覚症状がなくても新型コロナに感染しており、ウィルスを知らないうちにまき散らす可能性があるので、誰でも外出時は常にマスクを着けましょうという理屈になるわけです。

 であるなら、冒頭で紹介した体温測定の意義が乏しくなると思いませんか。まったく無意味というわけではありませんが、未発症の感染者は問題なく素通りできるからです。そもそもこの時節に、微熱があって倦怠感もちょっとあるし、という人が繁華街のショップなどにわざわざ足を運ぶとも思えないじゃないですか。にもかかわらず小さな光線銃みたいな機械で体温をチェックする。新型コロナに注意していることをアピールするパフォーマンスにはなっても、実効性はどれだけあるのかなぁ。感染者が平熱に戻ることもしばしばありますからね。

 だったらマスクは有効かといえば、当初から言われてきたように、ウィルスを含んだ飛沫の拡散は抑制できても、侵入を阻止する役には立ちません。ガーゼ製でスカスカのアベノマスクならなおさらです。医療用のN95マスク以外は、自分のためでは決してなく、あくまでも他人に感染させないための予防なんですよね。でもって最近分かってきたのは、他人と2メートル以上離れれば感染しにくくなるということです。

 であるなら、と敢えて繰り返させていただけば、このクソ暑い時期に、近くに他人がいないにもかかわらず、マスクでわざわざ顔を覆う必要性がどこにあるかとなりませんか。風が吹きまくって換気が抜群の高原や海浜ならなおさらです。

 にもかかわらず、マスクを着けていないと、まるで犯罪者のように白眼視する人がいます。それならまだしも、つかみかかって喧嘩したり、海外ではリンチもどきになることもありました。それ自体が濃厚接触じゃんかと思いますけどね。正義と健康を旗印にした人に対抗する術なんてありませんから、実に厄介なのであります。

 そんなわけで、皆さん、もっと科学的、医学的、合理的になろうではありませんか。体温計だけで感染者を排除できるならPCR検査なんて不要です。マスクが万能なら、生産国の中国で新型コロナがあれほど蔓延するはずがない。新しい情報があれば積極的に朝令暮改すべきですけど、今の段階ではどんな防御方法にも限度があります。君子は危うきに近寄らずといっても、羮に懲りて膾を吹くという態度は知的とはいえません。とにかく、マスクを神のように崇めたて、それさえ着けていれば問題なしというのはもうやめたほうがいいんじゃないかな。どんなことも儀式になった瞬間から、意味や効果が剥げ落ちていくとボクは思うのです

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

 

 

 

2020年6月 2日 (火)

外食

 

 コロナではなく、コロニャンと呼んでいたら、世界で37万人(6月1日時点)を殺した凶悪かつ残忍なイメージを少しは希釈できたかもしれません。

 こんなアホな冗談をいえるのも、国内の感染者が激減したからでありまして、今から1か月ほど前なら顰蹙ものだったでしょうね。いずれにしても、ウィルスの無機的な構造がもたらす冷たい緊張感がぐっと緩んだせいか、先週から外食が続いております。

 ちなみに、木曜日はドイツ、土曜日はイタリア、日曜日はスペイン料理でした。ボクはちょいと特別な事情がありまして、およそ2か月以上にわたって巣ごもりを徹底してきました。おかげさまで、久しぶりの外食は実に新鮮。しかも美味なんですよね。以前なら普通に感じたはずのことでも、「おおっ!」といちいち驚いてしまう。特にイタリア料理では、ピザが意外にも重層的で複雑な味であることを再認識しました。トマトソースの風味が先立ちますが、焼き上げた小麦粉の生地との相性は抜群であり、そこにトッピングが多彩な個性を加えているんですよね。ピザが世界的な人気料理になっている理由がようやく分かりました。スペイン料理では変化球のカレーを食しましたが、甘味が先立つかと思えば、奥の方からじんわりと辛みが舌に届くなど、プロフェッショナルの職人技が堪能できました。

 もちろん、これらの外食は出前でも注文可能であり、コロニャンのおかげで種類も圧倒的に増えているようですが、やはりレストランと同じではないはずです。出来たてが食べられるというだけでなく、雰囲気も違うじゃないですか。店にもよりますが、自宅ではない特別感が精神的なスパイスにもなります。

 こうした外食は紛れもなく文化ですから、「ステイ・ホーム」の一言で危機に瀕するならまだしも、倒産や廃業に追い込んではいけません。にもかかわらず、あのマスク総理の支援策は遅きに失しており、店を続ける意欲を喪失した人たちも少なくないんじゃないかな。今さら細かく指摘しませんが、自分の知り合いや行きつけばかりを優遇する精神性は明らかに偏向していますよ。体調不良で退陣した時の挫折感がヘンな方向にねじ曲がったとしか考えられません。

 緊急事態宣言が解除されたので、外食産業もようやく息を吹き返すことができそうですが、席をひとつずつ空けたり、ビニールで区切るというのはものすごく抵抗があります。「コロナが怖くて外でメシが食えるかぁ」と気張りたいところですが、フグじゃあるまいし、命がけで外食というのもシャレオツではありません。テーブル間の距離を2メートル以上空けるというくらいでいいんじゃないかなぁ。ただし、そうなると売上げも減少するので、空席を見込んだ値上げも必要になってくるでしょうね。

 このままでは、いずれ外食は昔のように非日常的な贅沢に逆戻りしていく可能性もあります。やはりコロニャンは、ボクたちが慣れ親しんだ文化・文明を変えようとしているのでしょうか。早くワクチンまたは特効薬が開発されることを切に願います。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓ 

笠木恵司のブログ

 

 

 

 

 

2020年6月 1日 (月)

沈黙返し

 

 ああいえばこういう人たちがものすごく増えたような気がしてなりません。それが深い知識を根拠にしていたり、納得できる論理であるなら聞いてやろうと思うじゃないですか。けれども、そのほとんどが依って立つのは自尊心という感情なので、まともに論駁する気になれません。こういう人たちは、とりわけ「規則ですから」「そうなっているんです」と無批判に自分を正当化するので、やりきれないんだよな。だったら、お前はロボットかよ。いやロボットに使われる奴隷かよ。

 こちらは、その「規則」が納得できない、あるいは不思議に感じるから尋ねているわけでね。既知のことはウェブサイトにバカ丁寧に書いてありますよ。

 否定なのに、それを客観的な批判と自分勝手に勘違いしているディレッタントも少なくないよな。これは衒学者という意味ですから、知識だけはやたらにあっても、想像力と創造力にまるで欠けている。このため、ロクに現実を知らないくせに、平気でけなしたり、誹謗するわけですな。自分の言動がどれだけ相手を怒らせているか、まったく分かっていないのです。

 そういう人たちに付き合っていく気はもはやさらさらないので、「沈黙返し」で対処することにしています。かのキャンディーズが名曲『微笑み返し』をリリースしたのは1978年。それに倣って「沈黙返し」。どうです、これなら無用な軋轢を生まないですよね。「ガン無視」と呼ぶ人もいますけど。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

 

 

« 2020年5月 | トップページ | 2020年7月 »