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福助くん その6

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    福助くん、9歳の秋です。 ちょっと長めの散歩をして、世田谷公園へ。 紅葉と福助をご覧くださいまし。

福助くん その5

  • 赤いサルビア♪
    2010年秋の福助くん。とある週末に埼玉県所沢市にある航空公園に行ってきました!

福助くん その4

  • 1 毎年恒例の・・・
    今さらですが、今年の花見の福助くん。ご近所の目黒川に行ってきました。

福助くん その3

  • 1 田舎に行ってきました!
    飼い主の田舎に行ってきた福助。うららかな春を迎えた大自然のなかで、いつもと違った表情に。

福助くん その2

  • 定位置
    平日は会社にいる福助。こんな感じの毎日です。

福助くん その1

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    笠木の飼い犬。甘えん坊でちゃっかり屋の8歳。雄。

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2020年7月

2020年7月31日 (金)

リュック


 どんな格好をしようが勝手というものですが、通勤時のリュックがすっかり定着したようです。電車の中では邪魔になるので、前側に回すことも常識になっているようですが、すいません、あの格好はうっとうしくて息苦しく感じないですか?

 両手が自由になるのは確かにメリットとしても、スーツやジャケットの肩や背中がこすれるなど、布地に余計な負担をかけると思うんだけどなぁ。あんなモノが流行するのは、もしかして売上げ増を狙う洋服屋さんの陰謀かも知れませんよ。

 そもそも、あのリュックにいったい何を入れているのでしょうか。仕事に必要なモノは会社の机やロッカーの中に置けばいいので、基本的には私物ばかりのはずですよね。それで、あんなにも不格好に膨らむかな。

 ちなみに、ボクは取材時には100円ショップで購入した透明のビニールケースを愛用しております。持参するのはICレコーダーに筆記用具、それにスマホとノートくらい。資料も必要最低限に抑えているので、それで十分なのです。もちろんビジネスバッグも持っていますが、出張以外には滅多に使いません。最軽量が特長のバッグなのに、何も収納していない状態でも重いですから。

 それに、中に入れたモノが分かりにくいので、たまに忘れ物をしてしまう。「あ、あれ持ったかな」といちいちゴソゴソと中をかき回すのは、面倒でカッコ悪いじゃないですか。それに比べて透明のビニールケースはすぐに外から中身が視認できます。このため、現地までの電車の経路や地図をプリントアウトしたものを一番外側に配置するようにしています。これなら、「どこで乗り換えだっけ」と忘れた時も、ビニールケースを裏返すだけで、すぐに確認できるわけですね。

 このシースルーケースは、我ながら素晴らしいアイデアと自負しているのですが、なぜだかリュックのように流行する気配がまったくありません。

 そんなわけで、取材先ではちょっと変わったオッサンだと思われているかもしれない。ライターなんだから、汚くさえなければ普通でなくてもいいんですけどね。でも、ホントに便利なんだけどな。軽いし。。。。

 

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2020年7月30日 (木)

もう「パイプ」は不要


 テレワークやリモートワークがもたらしたものはいろいろあるはずですが、使える人材と使えない人材が、より鮮明になったのではないかと思います。

 厳しい言い方をすれば、それまでは主体的・自主的な仕事を何ひとつしないで、会社の机の列の中に埋没して生き延びてきた連中があぶり出されたのではないでしょうか。テレワークでは、業務を分担したグループワークとなるとしても、個人の能力が常に問われるからです。

 ただでさえ新型コロナで大不況の真っ盛りですから、テレワークでなくても、会議などで沈黙を続ける人たちは重荷だと判断されるでしょうね。いわゆる「ぶら下がり族」ですが、昨今の大学では、そうした人材を生み出さないように、アクティブ・ラーニングなど自主性や創造性を発揮させる授業が浸透してきました。けれども、企業にはまだまだ授業を座して聴いてきただけの「ぶら下がり族」は少なくありません。特に大手の場合、ボクの長い経験に照らして言わせていただければ、「パイプ」のような人が存在します。

 業種別では圧倒的に公務員が目立つのですが、「こう言われたから」「こうなっているから」と自分の判断を完全に放棄して、指示されたことを無批判に他人に押しつけるだけの役割と言い換えられます。まるで「パイプ」のように、上からの指示を伝令するだけ。こちらから異議を唱えても、まったく聞く耳を持ちません。常に一方向に指示が通り過ぎていくだけなのです。

 情報技術が今ほど発達していなかった昔は、こうした伝令役が必要だったかもしれません。しかしながら、この「パイプ」役がいつの間にか権力を握り、幻の院政を敷くことがままあるんですよね。本当の権力者はお飾りとなってしまい、そいつを通さないと何事も進まない。本人は「パイプ」以外にロクな能力もないくせに、やたらに権勢を振るおうとする。10年以上の社会経験がある人なら、「ああ、あいつのことか」と思いあたることが少なくないんじゃないかな。

 ところが、今では電子メールやLINE、そして最近ではZoomといった直接的なコミュニケーションツールが発達。こうした「パイプ」的な役割は不要になってきました。というより、日本の改革の足を引っ張ってきたのは、こいつらじゃないかと。少なくとも「パイプ」が多い会社ほど、情報の目詰まりや誤解・曲解が発生しやすく、結果として仕事が遅延したり、品質の低下を招くことにもつながります。

 爆発的に普及したテレワークによって、個人の能力が明確に表現されるようになったので、こうした「パイプ」人材は排除されていくことになるとボクは見ています。

 効率化がすべて望ましいとは思いませんが、新型コロナで業績不振が続く環境下では、こうした何も生まない「パイプ」役に高額の給与を支払う余裕はないはずです。そして、テレワークやリモートワークが完全になくなることもあり得ません。なぜなら、企業にとっては、そのほうが高効率だからです。都心部の高額な賃貸オフィスを縮小することも常識になっていくんじゃないかな。指示の流れの中間に存在する「パイプ」も、同じような設備負担としてどんどんカットされることになるでしょう。逆に、創意工夫に優れた人は頭角を現すチャンスといえるわけです。

 もうちょっとだけ過激なことをいえば、日本が太平洋戦争に敗北して75年。そろそろガラガラポンですべてを変えたほうがいい。再び蔓延する新型コロナに茫然自失。当事者能力を完全に喪失している政治家や官僚をテレビで見るにつけ、誰がこんな連中をトップに据えたんだよと怒りが沸いてきます。

 そろそろ税金の使途をボクたちの手に取り戻す革命を起こすべき時期じゃないかな。あの舌足らずの首相の手元に予備費として10兆円があるなんて、憲政史上初の異常事態にほかならないとボクは思うんだけどな。あ、かつての大政翼賛会も似たようなものだったかな。


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2020年7月29日 (水)

2週間の蟄居

 

 大切なことが残っていたので、理容店に行くことができず、ついに髪が耳に被ってしまいました。これからが大変なんですよね。というのも、ボクの髪はクセがあるのに太いらしく、放置しておくと、両端が重力に逆らってビョイーンとハネ上がってしまうのです。

 まさか、というなら免許証を見せましょうか? 5年前に撮影された時はまさにその状態でありまして、コントの芸人のような髪型になっておりました。今年になって免許更新した時はそれほどでもなかったので、ひと安心でしたが、それから2週間ほどして、いよいよ危なくなってきたのであります。とはいえ、巷は新型コロナの嵐。濃厚接触が不可避な理容店に足を向ける勇気がありません。しかも、転居したばかりで土地勘もないため、途方にくれているのであります。

 金曜日には重要な仕事のカタがつく予定なので、来週は感染しても仕方がないと覚悟を決めて、髪を切ってもらうつもりです。

 それにしても、新型コロナの第2波はいよいよ勢いを増しております。こんな時にGoToトラベルはないだろうと9割の人が思っているのに、それを無視して敢行してしまうんだから、政界と行政は残り1割の少数派が占めているんだろうな。小池さんは「都外に出かけないでください」とか何とか、このところずっとお願いばっかりじゃないか。もうちょっとまともな政策を打ち出してくれよ。

 批判ばかりではつまらないので、ボクからの提案です。全国民が2週間だけ、完全に閉じこもれば、さすがの新型コロナも沈静化すると思うんですけどね。これはPCR検査による陽性者の隔離期間に匹敵するので、国民全員が他者との接触をほぼ完全にやめるわけです。それでも家庭内での感染は発生しますが、やはり2週間がメドになるじゃないですか。

 前回の自粛要請は、いつまで続くか分からないところに不安と不満があったのですが、今回はきっちり2週間と区切り、自粛でなく強制することがポイントです。そのかわりに、たとえば明日から始めたら8月12日には確実に解放されます。それまではひたすら家の中にいろってことです。

 食料品などの生活インフラを除いて、すべての産業もストップさせます。テレワークができる人はやればいいし、それができない人も会社には行かない。そのために公共交通機関は物資の輸送を除いて完全に停止。もちろん道路などもトラック以外は封鎖となります。

 どこかの教授も他者との接触率を8割減少すれば感染者の増加が急速に低下すると言っていたではありませんか。それなら2週間だけ接触を1割以下に抑え込めばいい。こんなことを言えば、経済はどうすんだという人が出てきますが、今のようにどっちつかずの中途半端であれば、長引くばかりでかえって危険ですよ。そのかわりに、政府が国民の生存に関するすべての面倒をみる。

 おそらく、こんなことは政治も行政も医療関係者も分かり切っていると思うんですよね。ただし、誰も責任を取りたがらないだけのことです。そりゃそうです。1億超の国民に2週間の在宅を強制するなんて、戦争中でもない限り、できませんよね。

 だったら、日本の得意技である横並びの「総意」っことにすればいい。専門家会議だか分科会だか知りませんが、参加者すべてを回ってハンコをついてもらい、全員で責任を分散する。だーれのせいでもありゃしないんだから、誰も咎めませんてば。そのかわりに栄誉もありません。後になって褒められるのは日本人の国民性とすれば、それこそ棒々鶏、じゃなかった万々歳だと思うんだけどな。どこぞの大臣が言った「民度が違う」ことも客観的に証明されるではありませんか。

 

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2020年7月28日 (火)

願えば叶う(後)

 

 昨日の続きを書こうとしたのですが、何だか自慢話のようになりそうなので、具体的なエピソードの紹介はやめることにしました。ともかく、そうした体験から、たいていの願いは叶うとボクは断言いたします。

 逆に言えば、どんなことも自分自身が思わなければ実現するはずがありません。たとえばオリンピックで金メダルが欲しいと強く望まなければ、取れるわけがない。よしんば天賦の体格や優れた運動神経があっても、そんな連中が厳しい練習を重ねた末に戦うのですから、メダルが勝手に転がり込んでくるなんてことはあり得ないですよね。あの娘と仲良くなりたいと願わなければ、声をかけることもないし、ましてやデートなんか不可能。イケメンはモテるのでそうした苦労はないにしても、だからといって好きな女の子が寄ってくるとは限りませんよね。

 要するに、美味しいフルーツが食べたいと思わなければ、口に入れることはできないのです。親が無理矢理に食べさせることもあるだろうけど、それを願望とは呼びませんからね。

 もちろん人生はいろいろあるので、「思いもかけないこと」にも遭遇します。しかしながら、そのうち9割9分は病気や事故といった歓迎できないアクシデントであって、幸運なんてごくごく一部に過ぎません。自分が欲しいものやしたいことは、やはり第一に、欲しいとかしたいと強く思うことが最低限の条件であり、実現の始まりなんですよね。

  そして、レベルの高い願望ほど実現までに時間がかかります。その間に置かれた状況や心境が大きく変化することもあるでしょう。おかげで願望を忘れてしまえば、それっきりで終わりとなります。

 これを正しく言い換えれば、「忘れさえしなければ、願いは必ず叶う」ということになるでしょう。かといって神棚に祈ってばかりではダメなのは言うまでもありません。「幸せになりたい」といった抽象的な願いも、達成した状態が見えにくい。けれども「火星に行くぞ」といま願えば、行けないとは限らないじゃないですか。

 その意味では「千里の道も一歩から」や「ローマは1日にして成らず」も同じカテゴリーに属する箴言といえるかもしれない。ということは、ですよ。新型コロナの特効薬も必ず実現するってことになりませんか。ウイルスは変異を繰り返すだろうけど、どこかの国の誰かが研究室にこもって深夜まで「人類の分子生物学をなめんなよ!」と頑張っているはずです。

 近頃のボクは絶望しがちですけど、人間の意志は途方もないエネルギーを秘めています。それを本気で信じるかどうかのリトマス試験紙みたいなものが(古いなぁ)、この「願えば叶う」なんですよね。

 

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2020年7月27日 (月)

願えば叶う(前)

 

 突然に、誰かが首を絞められて悲鳴を上げたような怪音が室内に響き渡りました。そういえば、洗い上がった下着やトレーナーを乾燥機に入れて動かしていたなぁ。音源はそこしかないと浴室のほうに行ってみると、やはりドラムの回転が止まっていました。前のマンションに入居した直後に購入したので、ほぼ20年。壊れても仕方がないと諦めながらも、試しにスイッチを入れ直してみると、嬉しいことに再び動き出したではありませんか。

 けれども、30分ほどたって乾燥機を触ってみると、ちっとも熱くない。つまり、回転するだけでヒーター機能がアウトだったんですよね。

 もはや限界と判断して、思い切ってドラム式洗濯乾燥機を購入することにしました。ボクにとって、このドラム式は15年来の念願だったのであります。汚れ物を放り込むだけで、洗いから完全に乾くまで、まったく手がかからない。これぞ上等な文化生活の鑑といえるではありませんか。ところが、出始めた頃は20万円以上。おいそれと手を出せる価格ではありませんでした。1人暮らしにそんな大層なものが必要なのか、コインランドリーで十分じゃねぇのという指摘はさておき、どうせ家電なんだから、いつかハイビジョンテレビのように安くなるだろうと見込んでいたのに、どういうわけだかそうはならない。

 それで現在まで至ったのですが、今回はボクを後押しする強力な理由があります。とにかく壊れたんだから仕方がないもんね。ヨドバシでいろいろチェックしてみると、価格が以前とほとんど変わらないので驚きました。それに怯むことなく、最小&最安を条件に探してみると、シャープで15万円強の製品が見つかりました。ボクの理想は10万円前後でしたが、ちょっと無理みたい。それで即座に意思決定。決して安くはないけれど、ずっと欲しいと憧れていたドラム式洗濯乾燥機が、とうとう納品されることになったのです。おおおお、夢のような洗濯ライフ、てな感じですよ。

 そこで、つらつらと過去を振り返ってみると、ボクの願いは必ずといっていいほど叶ってきたように思うのです。 

 最初はアルミサッシの窓でした。アホかと思われるかもしれませんが、すきま風がヒューヒューと吹き込み、いつも湿気を含んでいた木枠のガラス窓は、子供の頃からの貧乏暮らしの思い出ときっちり重なっていました。これを軽量で錆びない金属製に変えることが、ボクにとっての生活向上を意味していたのです。それがようやく実現したのは20代半ばかな。当時は木造の賃貸アパートがコンクリート造のワンルームマンションにどんどん建て替えられていたので、日本全体の住居環境が急速に改善された頃ではあるんですけどね。それでも隅々までカッチリと締まるアルミ製の窓は嬉しかったなぁ。貧乏暮らしを知る人には分かるはずですが、やっと人並みの生活を手に入れたという喜びがあったのです。

 そのほかにも群小もろもろの願いがあったのですが、必ず実現してきたといっても過言ではありません。でも、さすがにこれだけは絶対的に不可能だろうという、インポッシブル・ドリーム=見果てぬ夢を東京・恵比寿で見つけてしまったのです。長くなったので、続きは明日に。

 

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2020年7月22日 (水)

優越的地位の濫用


 公正取引委員会では、独占禁止法に基づく「優越的地位の濫用」を戒めています。正常な商慣習に照らして、取引相手などに不利益を強いたと判断されれば、排除措置命令や課徴金納付命令の対象になると規定されております。

 とはいっても、仕事を発注する側と受ける側とでは意識がそもそも違うんですよね。発注側では「優越的地位の濫用」なんて夢にも思うことなく、平気で無理なことを指示するのは珍しくありません。受注側にしても、取引関係を継続するために、やむなく「仕方がない」と納得することで非対称な地位関係が常態化していくことになります。

 面会のアポを何の説明もなしで2時間待たせても、「それくらい待つのは常識じゃないか」と、見たことないけどTBSドラマ『下町ロケット』や『半沢直樹』も顔負けのセリフを吐く人もいるんですよね。大昔にボクの事務所のスタッフは待ちきれず憤然と帰社したことがありますが、直後に担当の営業マンから「重要な広告クライアントなのに、おかげでヘソを曲げて降りられたから代金の200万円を弁済しろ」と鬼のクビでも取ったかのようにメチャクチャを言われたこともあります。「優越的地位の濫用」が下方に連鎖して、弱い者イジメというより、彼自身が奴隷根性に堕していることに気づかないわけです。ボクも “半沢直樹”ばりに「じゃ出るところに出ましょう」と本気で逆襲。残念ながら1倍も返さない前に、彼の上司から奇妙なもてなしを受けてうやむやに終わりました。

 本来的には仕事を依頼する、それを引き受けるという関係は対等なはずなのに、おカネの流れは一方的ですから、不当な要求も上から下へと流れることが必然的に発生するわけです。それに伴って、お互いの意識そのものがまるで封建時代の王様と家来のようになっていくこと自体が大問題なんですよね。民主主義のはずなのに。

 仮に社長は納得づくでも、不当な無理を強いられれば従業者の士気や意欲は低下。その結果として仕事の品質も低下すれば、発注者・受注者の双方が不利益を被ることになります。このため中小企業庁では、年に1回アンケート調査を行っていますが、正直に申告する会社は僅かでしょうね。

 それはともかくとして、昨日からの続きとすれば、教師は子供や生徒に対して「優越的地位」にはあたらないのでしょうか。ボクは座り方が生意気だという感情的な理由で、机の上に出した両手をこぶのある長い竹定規で思い切り叩かれたことがあります。引っ越したばかりで教科書が間に合わなかったというだけで、黒板の下で1時間も正座させられました。これも大昔は「常識」でありまして、ボクのほうが悪ガキということになり、親ですら「優越的地位の濫用」とは思わなかったのです。

 けれども、不景気になればなるほど下請けに対する「濫用」は増加する傾向があります。それもこれも、イジメも含めて、相手のことを思いやれない想像力の貧困、もっといえば本来的な知性の欠落ですから、やはり学力最優先の教育はどこかおかしいと思わざるを得ません。某市在住で東京は新宿と渋谷くらいしか知らないクセに、ボクが転居した街をけなしまくった元教員もいるんだから、ムベなるかなですけどね。

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2020年7月21日 (火)

合理的にやろうよ(後)

 

 大昔に、たまたま同じ会社の広告部のエライ人と飲む機会があり、彼が「営業は足で稼ぐもんだ」と豪語したので、「企画と成果じゃないんですか?」と混ぜっ返して激怒されたことがあります。冗談半分、どころか9割が本気でした。長居する会社じゃないと割り切っていたので、どう思われても構わないと覚悟していましたが、ボクが退職するまで「くそ生意気な若僧」と目を付けられていたかもしれません。

 それが今では「オンライン営業」ですからね。けれども、そのエライ人が「ゴメン。お前が正しかった」と詫びに来るはずがない。テクノロジーの端境期には、こうした守旧派と改革派(ともボクは思っていませんでしたが)の軋轢はむしろ普通であって、さらにさかのぼった大昔には「電話で原稿依頼なんて失礼だ」と怒り出す作家がいたそうです。つまり、実際に足を運んで訪ねるか、肉筆で手紙を書けということです。

 前述のエライ人にしても、とにかく最初はむやみに体力や労力をかけることが「尊重」「尊敬」を意味していたんですよね。文明の利器は、便利だからこそ礼儀知らずとなるのです。やがて電子メールが全盛になってくると、電話どころかファクスの使用頻度も激減。ボク自身ですら、顔も声も知らない人から電子メールで原稿を依頼され、掲載誌が送られてきたかと思えば、銀行に料金が振り込まれるというケースもありました。

 しかしながら、リアルな対面を重視する精神性は21世紀になってしばらくしても変わることはありませんでした。そうした日本独特のメンタリティが、昨日も述べたように、新型コロナ禍によってガラリと変わってきたのです。接触すれば感染可能性が高くなるのですから、ともかく遠隔のオンラインにするほかない。学校の対面授業にしても、席を間引きしてきちんと社会的距離を取っておかなければ、たちまちクラスター発生です。だからといって教室を広げるのは簡単なことではありません。新型コロナが沈静化しても、以前のような密度に戻すわけにはいかないので、対面とオンラインの交代制というかハイブリッドになるでしょうね。

 それでいいんじゃないかなぁ。守旧派と改革派の対立はイヤというほど実体験してきたので、今さらエピソードを連ねる気はありません。ただひとつ言いたいのは、子供や生徒、学生たちをファーストと考えるなら、通学だ、いやオンラインが、と画一的に考えるのでなく、彼ら自身が授業方法を選べるようにしたほうがいいんじゃないかな。初等教育なら体力や性格や生活環境、そして学習進度などに合わせて、オンラインと集合教育を複合的なメニューとして組み合わせていく。中等から高等になれば、生徒や学生自身がアラカルト的に科目と授業方法を選べるとかね。後者は実際にやっている大学があります。

 いずれにしても、これまでの教育は教員、いや文部科学省かな、あるいは学習指導要領かもしれないけど、そうした上からの都合を優先し過ぎていないかとボクなんかは体験的に思うわけです。教員とは長い時間にわたって学校でお付き合いして貰ったことは事実であり、感謝しておりますが、それが果たして学習成果に結びついたのかなぁ。ボク自身はすごく不自由で息苦しかったという記憶が残っています。

 そのせいか、高校1年の時に勝手に自主休校したことがあります。朝からフラリと長距離電車に乗って、中央線の奥まで行きました。この時の解放感は今でも忘れられません。それで勉学が遅れたかというと、そんなこともないんですよね。現実には1日や2日くらいどおってことはないのです。

 いずれにしても、もっと合理的にやろうよ。そして、もっと自由に生きようよ。無理な頑張りが過度に評価される時代も終わりにしようじゃないですか。さもなきゃ、こんな酷い災厄を経験した意味がない。新しいノーマルは、以前に比べてアブノーマルであるべきです。絶対に後戻りしてはいけないとボクは思います。

 

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2020年7月20日 (月)

合理的にやろうよ(前)


 どうして毎日毎日、学校に行かなきゃいけないんだろうと、小学校の頃から不思議に思っていました。だったら宿題なんか出すなよ。長い夏休みも宿題漬けで乗り切れるというなら、普段の授業だって代替できるはずですよね。

 高校に入学してからは、集合教育という言葉を覚えると同時に、知識や技能だけでなく、社会性の習得も重要な課題なのかなと気づきました。友達付き合いや、先輩たちとの円滑な交流や礼儀やマナーなどを体験しておかないと、学校を出てから死ぬまで続く社会生活に適応できないからです。

 けれども今では、もしかすると学校の先生たちの都合で、わざわざ通学させられていたんじゃないかと疑うようになりました。知識やスキルは必ずしも学校に行かなきゃ身に付かないものではありません。ボクの親父は尋常小学校中退でしたが、優秀な旋盤工だったそうです。学歴がなくても会社を興して成功した人だって珍しくありません。

 しばしば最重要だと考えられがちな社会性にしても、それを無視する乱暴者や無礼者は世の中にうじゃうじゃいるじゃないですか。それどころか、ルール破りは総理大臣をはじめとして、立派な大学を卒業した高級官僚の皆さんが率先してやっています。汚職はもとより、公的資料の改ざんにも手を染めていたではありませんか。おかげで自殺に追いやられた国家公務員もいるくらいです。

 こんな結果になるのなら、子供たちに重いランドセルを背負わせて学校に毎日通学させなくてもいいじゃないですか。特に近年は情報通信技術の発達で、世界の裏側にいてもリアルタイムで顔を見て話すことができるようになったんだからさ。

 ところが、ボクのように考える人は少数派だったらしく、日本の教育におけるデジタル化やネットワーク化は世界に比べて著しく遅れていました。高度な技術力を持っているはずなのに、やっていることは極めて保守的。それを最先端の現代性と伝統の融合と褒めそやす人たちもいないわけではありませんが、いい加減にしろよ。古いものを開発の美名のもとにどんどん壊してきたじゃないか。そんな正体が、今回の新型コロナでモロばれになってしまいました。旧来のやり方や習慣を変えるのが面倒でイヤなだけだったんですよね。

 ボクたちの仕事でも、以前からSkypeという便利なオンラインミーティングのソフトがあったのですが、ほとんど利用されることはありませんでした。海外在住者を取材する時は使用したのに、国内では対面が最優先されてきたのです。確かにオンラインより実際の面談のほうが情報量は豊富です。言葉以外の複雑なニュアンスや雰囲気をキャッチできますからね。ボクもジェスチャーというノンバーバルな表現が多い人間なので、最初はオンラインが苦手でした。

 でもさ、それならもっと論理的に、分かりやすく話をすればいいだけのことです。そんなことよりも、対面取材する現地までの往復時間と手間と負担を省略できるメリットのほうがはるかに大きい。にもかかわらずオンライン取材がちっとも普及しなかったのは、取材相手に対して失礼という配慮があったからではないでしょうか。

 こうした「社会的精神性」が、テクノロジーよりも優先されるのが日本という国の際立った特長だとボクは考えています。とすれば、学校で対面の集合教育が重視されるのは、やはり先生の側の理屈または利便性に過ぎなかったのではないでしょうか。だってさ、親も子供たちも教育方法を選べないんですぜ。自宅学習やフリースクールという方法もあるけど、現実には落ちこぼれと見なされますからね。形式知だけでなく、言外の暗黙知を体感するという意味も見逃せないにしても、だからといって毎日通学する必要があるのかなぁ。親の都合ということもあるんですけどね。

 長くなったので、明日も続けます。


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2020年7月17日 (金)

リスペクト

 

 遅ればせでライブハウスの営業が解禁となりましたが、それに反して都内の新型コロナ感染者はうなぎのぼり、という表現でいいのかな。とにかく、前回のピークを越える事態が進行しております。

 入口で消毒液を両手に塗布した後に、非接触の体温検査。アーティストの前には透明のビニールまたはシールドがあり、客席もひとつ置きとか工夫して、レインボーマークを表示した店もあります。けれども、昨日書いたように、空気感染やエアロゾル感染があり得るなら、あまり効果があるとは思えません。無症状の段階が最も感染力が強いともいわれるので、入口でいくらチェックしても無駄ですよね。

 というわけで、ボクはライブハウスに行く時は、それこそ命がけの覚悟をしております。娯楽は不要不急とはいうけれど、人生の8割は不要不急じゃないかな。死んでないから生きているとも思わないしね。ただし、他人に感染させるのは申し訳ないので、マスク着用を忘れたことはなく、できるだけオンラインミーティングを使って、接触を避けるようにしております。

 なのに、ああ、なのに。昨日のライブハウスでは観客が飛び入りで歌うというじゃないですか。勘弁して欲しいなぁ。ひいきのアーティストが出演するから、こちらも命がけで来店したのに、知らない素人の歌を聴かせられるのは、迷惑というより危険じゃないですか。もしも仮にそいつがプロのハシクレであろうが、ボクはそんなものを聴きに行ったわけではありません。納得や覚悟もなしでリスクを負えるかよ。

 それで、瞬時に席を立ち上がり、秒速で精算を済ませて退店いたしました。えーと、個人的な意見をちょっとだけ。プロのライブに素人やハシクレが参加するのは、出演者への尊敬、いまはリスペクトというのかな、それが足りないんじゃないかな。誰でも伴奏付きで歌が歌えるからもしかして上手かも、という完全に間違った認識を世界に拡散したカラオケは、ボクが世の中で最も憎むプロダクトです。それでもカラオケの店内だけなら勝手ですけど、そうした「誰でも」意識がプロが活躍する場にまで浸潤し始めている。リスペクトがあまりにもなさ過ぎるんじゃないかな。

 これ以上書き連ねると中傷誹謗と受け取られかねないのでやめますが、どんな業界でも、プロフェッショナルというのは天賦の才能と不断の努力、そして運がなければ続けることはできません。もう少し尊敬してあげようよ。少なくともボクは、恥ずかしくてプロの面前で歌うことなんてできないですけどね。

 

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2020年7月16日 (木)

科学的検証

 

 現在進行形の事態を正しく理解するのは大変に困難です。それよりもっと難しいのは、定着した錯誤や誤解の修正じゃないかな。

 新型コロナの感染者が急増しており、3月あたりからの棒グラフを見れば、第2波の襲来としか思えません。ところが自治体や政府は、これをどうしても認めたくないらしい。要警戒だの厳重警戒だのと言葉を弄ぶだけでなく、あろうことかオマケ付きで国内旅行を促進させようとしています。その言い訳みたいに、「新しい日常様式」だの「ニューノーマル」だのと麗々しいキャッチフレーズが飛び交っていますが、ホントに有効なのでしょうか。

 テレビではくどいほどフリップ付きで語られますが、あくまでもウイルスが唾液の飛沫に混じって拡散することが前提となっています。だからソーシャル・ディスタンスであり、アクリル製のシールドが飲食店など客商売の常識になりつつあるのですが、最近の研究結果によれば、空気感染またはエアロゾル感染もあり得るといわれています。もしそうであるなら、ウイルスはシールドやビニールのカーテンなんか簡単に飛び越えて、部屋中の人たちに伝播してしまう。

 つまり、席を2メートル離そうがシールドを間にはさんでも、同じ室内または空間にいる限り、感染を防ぐことはできないわけです。しかも、マスクは衆知のように飛沫を外部に出さないだけで、やってきたウイルスを防御することはできません。こうなると、最も有効な対策は、ウイルスが含まれているかもしれない空気を外に排出する換気しかないということになります。だったら、学校の授業はなるべく野外でやろうとなりませんか。宴会がしたいなら海浜やキャンプ場に行け、とかね。

 だからさ、もっと感染に関する科学的検証が必要ではないかとボクは思うのであります。クラスター潰しも結構ですが、偏見を生むだけでなく、すでに市中感染=感染経路不明者が急増しています。現在の対策がどこまで有効なのかを、数値で明らかにすることが求められているのではないでしょうか。少なくともアクリルのシールドにそれほどの防御効果があるとは思えないんだよな。同じ環境でも感染する人としない人がいる。医学だけでなく、統計学や確率論的なアプローチも不可欠ではないでしょうか。

 もっとも、君子危うきに近寄らず、という便利かつ卑怯な諺もあるんですけどね。

 

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2020年7月15日 (水)

北千住

 

 北千住駅の西口1階に出て、左のほうに歩くと細長い路地があります。ボクのように出張経験の多いオッサンは、スマホのガイドなんてなくても、そこに飲み屋さんが蝟集していることを直ちに嗅ぎつけるはずですが、予想以上に奥ゆきがあるので驚きました。

 新宿歌舞伎町も新橋も街並みは基本的に直線で構成されています。だから見通しもいいのですが、さすがに歴史ある下町はクネクネとしているだけでなく、途中でさらに細い道の枝分かれがあったりします。こちらにも飲食店が軒を連ねているので、奥が深いなぁと感心させられるわけです。様々な種類の焼き肉専門店が両側に続く小道もあったので、ボクはこれを「肉屋通り」と勝手に命名いたしました。

 居酒屋にワインバー、餃子専門から中華バル、前述の焼肉やホルモン屋などが立地しているのはもちろん、ガールズバーやホステスクラブなどの風俗系もその中に混在しているから面白い。食欲と性欲は隣り合わせなんですよね。それだけでなく、クラシック演奏をメインとするライブハウスまであります。それが2階で、階上にはガールズバーがあり、外ではミニスカートの女の子とキャッチが客引きをしている。猥雑な環境ですけど、いやいや、なかなかのバイタリティではありませんか。

 緊急事態宣言の頃に1度覗いたことがありますが、その頃は静まりかえっており、こんなにも賑やかな通りだとは想像できませんでした。「密」はいけないというけれど、スカスカの距離感で換気がヒューヒューでは、人間らしい熱気が生まれるはずがない。新型コロナはホントに罪深いですよね。しかしながら、羮に懲りて膾を吹くような過度な自粛も問題があります。Go To キャンペーンはボクも今は論外と思うけど、飲み屋さんの灯は消さないで欲しいなぁ。

 

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2020年7月14日 (火)

オンライン


 このところ取材が続いております。とはいっても、ZoomまたはTeamsによるオンラインが多く、以前ならあり得ないスケジュールも可能になったから面白いですよね。

 取材先に出向くのであれば、1日に2か所程度が精一杯で、遠方なら1か所でもヘトヘトになりことがあります。ところがオンラインの取材なら移動時間はゼロですから、地域がバラバラで複数が連続したところで不可能ではありません。ボクのようなジェスチャーの多いノンバーバルなオジサンは慣れるのが大変で、今でも広げた腕が目の前のパソコンにぶつかって画面がユラユラなんてアクシデントもあります。けれども、その利便性はあまりにも革命的なので、もはや元に戻ることはないはずです。

 ただし、オンラインのミーティングは新型コロナ禍で突然に発明されたわけではありません。Skypeという先行アプリがあって、先進的な人たちはとっくに使いこなしていました。ボクも横浜国大の教授にインタビューする時に利用したことがあります。それでも重要な案件とか、メディアの取材はやはり対面という意見が支配的だったのです。

 それがガラリと変わったのは、亡くなった方々には申し訳ありませんが、新型コロナウイルスのおかげといえるでしょう。学校も会社もロックアウトされて入れない。自宅などでテレワークとなれば、交流手段はオンラインしか方法がありません。そこで、たちまちZoomが燎原の火のように拡大。おかげさまで、オンラインに対する伝統的な偏見や抵抗感が完全に払拭されたのです。

 さもなければ、取材させていただく側から「オンラインではいかがでしょうか」なんて言い出せませんよ。もちろん先様から「オンラインでお願いします」と依頼されるほうが圧倒的に多いですけどね。こうした人たちは皆さん、変化を前向きに捉えていることが共通しています。それと同時に、対面で語り合う重要性もきちんと認識されているわけです。

 新型コロナは現在進行形の災厄ですけど、物事のありようをガラリと変えました。ニューノーマルとか、新しい日常様式とか言葉はいろいろですが、デジタルシフトを促進したことが功罪の功であることは間違いありません。その利便性を多くの人が体験しつつあるので、どんどん加速されていくのではないでしょうか。過去を懐かしむヒマがあったら、新しいアプリに慣れろよと叱られそうです。

 そうした行動様式の変化が、いずれボクたちの精神性にも大きな影響を及ぼすことになります。それこそが、ボクが長年言い続けてきた個性と自主性なんですよね。

 いずれ詳しく解説しますが、人から言われるままに勉強して良い学校に入って、大会社に入社して、口を開けて何かを待っているだけではダメな時代になります。第一に、そんな受動的な人材はもはや会社が引き受けてくれないでしょう。畢竟、何のために生きるのか、どう生きるのか、どうありたいのかという、これまでは「青臭い」と片付けられてきた疑問が大切になってきたのです。

 その「青臭い」と嘲笑した連中が、実はものすごく受動的で保守的で、自分から何も発想できない人たちであることも、いずれバレるんじゃないかな。そんなわけで、ボクたちは革命的な変化の真っ只中にいる。そのことだけでも面白いと思いますぜ。

 

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2020年7月13日 (月)

覚悟

 モノカキになろうと決めた時から、将来は野垂れ死にか生活保護だろうと思っていました。

 だってさ、文章を書いてお金を貰うなんて、とてもカタギの仕事とはいえませんよ。新聞も雑誌も、読めるけど食べられないじゃないですか。ニュースは必要不可欠というけどホントかな。太平洋戦争を煽ったのは新聞ですぜ。戦後も北朝鮮を地上の楽園だと報道したのは誰だよ。

 世界の事件なんか知らないほうが楽しく生きていけるし、安らかに死ぬことができます。だから文章というのは、結局のところ娯楽に過ぎないとボクは考えております。人の生き死にすら、文章で表現された瞬間から好奇心の餌食になってしまいますからね。

 そんな仕事でメシを食おうというのですから、リッチになれる道理がない。ベストセラーなんて、ほんの一握りの人たちの僥倖であり、アテにするほうが大馬鹿野郎です。宮沢賢治も石川啄木も山頭火も生前は無名でした。天才だって不遇をかこつ分野なのでありますよ。だから結婚しても子供を作る気持ちは最初からなく、長期別居の1人暮らしも自業自得としか言いようがない。

 30代はじめに独立し、たまたまのなりゆきで会社法人として法務省に登録。手不足になったのでスタッフを雇い入れようと面接してみると、若いくせに年金だの失業保険や福利厚生だのと、およそ仕事と関係ないことばかり聞かれるのには参りました。「老後の生活を今から意識しておかないと大変なことになりますから」って言うけど、だったら公務員とかほかの業種をあたってくれよ。こちとら、その大変なことに突入するのを充分に覚悟して仕事をしてるんだからよぉ。

 こういう連中がね、ボクが自著を上梓したりすると嫉妬混じりの難癖を付けるんだよな。「何だよ、資格の本か」。ボクが2冊目に出した本を東京駅のブックセンターで見つけて紹介した時の友人の言いぐさです。小説でも高邁な社会評論でもなくて悪かったな。だったらお前は1冊でも書いたことがあるのかよ。

 仕事はモノカキで、法人とはいえ立場は不安定なフリーランス。いわば二重苦であるだけでなく、好きなことを好きなように書けるはずもない。需要がなければ書くチャンスもないので、強きに流されている部分があることは否定しません。そんなボクにとって日本は、中国よりもちょっとマシという程度に過ぎないんだよね。

 それでもね、小学校の時に作文を褒められて以来、文章を書くことは楽しみであって苦になりません。それ以外のことはできないし、したくもない。その結果としてド貧乏になり、行き倒れになったとしても、自分で選んだことなんだから満足できるんじゃないかな。

 幸いにそんなことにもならないようですが、ただ単に運が良かっただけのことで、自分の努力とはまったく無関係の結果だと自覚しております。

 しかしながら、コミュニティというのは、優秀な組織人も必要だけど、こうした人間も必要なのです。なぜなら、映画『マトリックス』3部作で描かれたように、完璧な調和は進歩を停止し、やがて後戻りするように衰退を始めるからです。それを是正するためには、ネオのようなバグを作ってやらなきゃいけない。それによって正・反のぶつかり合いを経た合へと至るんだよね。

 これを卑近にいいかえれば、ろくでなしや変人が存在しない社会に進歩はないってことです。モノカキがろくでなしとは思いませんが、中にはそのように見なしている人もいることは事実ですよね。そうした無意識の差別が見えないカーストを生み出しているんじゃないかと指摘するのも、ボクのようなろくでなしの責務なんですよね。

 

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2020年7月10日 (金)

ヒゲそり

 

 女性の化粧もそうだろうけど、出かける時のヒゲそりがね、どうしようかって悩むようになりました。

 理由はマスクです。近頃はどんなところでもマスクなしでは入れてくれなくなったので、自宅から外に出たらほとんど着けっぱなしじゃないですか。なのに、律儀にヒゲをそらなきゃいけないのかぁと考え込むようになったわけです。頬やアゴがむさ苦しく汚らしくても、マスクがきっちり隠してくれるじゃないですか。

 それで悩むほど大げさなことではありませんが、ボクはそもそも不精者でありまして、取材などに出ない時はヒゲの手当てはしません。ステイホームの頃なんか伸び放題で、いざ剃ろうと思ったら電動シェーバーの刃がひっかかったくらいです。けれども、仮に見えないとしても、取材時の礼儀として身なりはきちんとしておきたい。オンラインミーティングも同じで、上半身しか見えないから下はパジャマ姿というのでは、緊張感に著しく欠けるじゃないですか。

 だから「無駄なんだよな」と思いながらも結局はヒゲを剃るわけですね。面倒でも、これならマスクを外したシチュエーションも安心です。普通なら飲食以外にそんなケースはあり得ませんが、ボクは元・小説家志望なので、菜々緒みたいな美女とあんなことやこんなことになることも常に想定しております。チクチク刺さるヒゲはお相手の迷惑になるので、剃っておこうじゃないかと。

 新型コロナ以前から、女性もすっぴん隠しにマスクを利用していると聞いたことがあります。花粉症とか鼻風邪とか理由はいろいろつけられますからね。でもさ、ボクに言わせれば想像力がちょと足りない。人生は何が起きるか分かりません。悪いことがあるなら、いいこともある。その「いいこと」のために、準備を怠ってはいけないのであります。

 

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2020年7月 9日 (木)

BGM、やめろよ

 

 本日も出がけなのでそそさくと終わりますが、NHKと民放各社の災害報道って、どこが違うか分かりますか。

 家が濁流に呑まれてユラユラと流れていく衝撃的な動画は、様々な視聴者がスマホで録画したものを提供するので、極端な差はありません。そうした報道内容ではなく、最も際立った違いは、BGMなのです。

 申し訳ないけど、ヘンなサウンドが被ってクソうるさい民放からNHKにチャンネルを変えると、実に静かに感じます。そうした静寂が、災害や悲劇をより深く心に浸透させるとボクは思っております。

 お願いだから、被災者をおちょくるようなBGMや、大げさで感情的な報道はやめてくんないかな。腹が立って仕方ないのは、ボクだけでしょうか。

 

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2020年7月 8日 (水)

誤字・脱字


 昔はテロップ、今はスーパーインポーズ、または略してスーパーと呼んでいるようですが、テレビの画面の下とか横に文字が出ますよね。時には大きな文字にして、うるさいくらいに画面に被る編集も常識的になってきたようですが、この文章に近頃は誤字・脱字が目立つのであります。

 仕事以外で校正なんかしたくないのですが、目につくから仕方ないじゃないですか。明らかな変換ミスにもかかわらず、ほとんどチェックされていないように感じます。印刷メディアでは、ライターはもちろん編集者からデスクまで文章に目を通し、さらに校閲という専門家が誤字・脱字だけでなく、差別的な言葉使いまでチェックします。性的マイノリティ、LGBTなどへの配慮は言うまでもなく、女性のジェンダー的な表記も直されたりするんですよね。大昔にあったCMのコピー「私つくる人、あなた食べる人」なんて、男女の役割として決めつけが過ぎると完全にアウトです。

 テレビ局に直ちに抗議が殺到するせいか、そうした意味的な間違いや錯誤は少ないのですが、前述した単純な変換ミスはスーパーだけでなく、ニュースショーなどで使われるフリップと呼ばれるボードでもしばしば見かけます。印刷メディアの誤植はいったん出版されたら直すことはできないのですが、テレビでは番組中にマジックで訂正したり、番組後に「間違いがありました」などというお詫びがあったりします。

 ボク自身も誤字・脱字の経験がないわけではありませんが、それにしても最近のテレビはやたら目立つんですよね。こういう下働き的な仕事は若くて給料の安いAD(アシスタント・ディレクター)がやると聞いております。ハードな労働であることも広く知られるようになったので、間違いが頻出しても不思議ではないのですが、ディレクターやプロデューサーなど管理職のチェック抜きでスーパーが画面に出てくるとは思えません。つまり、彼らも誤字・脱字に気づくことができなかった。そこに大きな問題が潜んでいるようにボクは思うのであります。

 それでね、ここからがボクの勝手で独断的な仮説です。若い人が本を読まなくなったなんていう手垢まみれの意見ではありません。遠慮会釈なく言わせてもらえれば、優秀な連中はもはやテレビ局を目指さなくなったのではないでしょうか。何しろ小学生の憧れの職業は、編集者でもライターでもアナウンサーでもテレビマンでもなく、ユーチューバーですからね。

 出版業界の構造不況は20年来ですが、テレビ局も広告クライアントをインターネットに奪われており、落ち目が続いています。こんなことは優秀な大学生なら誰でも分かっていることですから、将来性を考えれば他の業界を探しますよね。アナウンサーなどの「出方」はタレントや芸能人と同じで憧れる人は相変わらず多いと思いますが、裏方はもはやかつてのような人気ではなくなり、それに伴って仕事の品質も低下すると言ったら叱られるかな。

 けれども、社会が変化すれば人材の流動も止めることはできません。唯一できることは、面白い番組や興味を惹く番組を作って話題を提供することでしょう。ところが、組織というのは年を経れば経るほど硬直化していきます。そうなると周囲への目配りばかりが優先されがちなんだよな。ネットTVが人気を集めているのも、ニューメディアという理由だけでなく、既存のテレビ局ができないことをやろうとしているからではないでしょうか。

 サミュエル・ウルマンは70代になって「青春とは年齢のことではなく、心のありようを言う」なんていう図々しい詩を書きつけましたが、クリエイターは常に若い心を持っています。持っていなければクリエイターとは言えません。しかしながら、その一方で組織は確実に老化していくんだよな。そこにこそ構造的な問題があると気づいている人が、どれだけいるんだろうか。

 これをブレイクスルーするためには、面白い仕事をやるほかありません。ユニークで楽しい仕事には、優秀な若い人たちが自然に集まってきます。今ならロケットとかね。それさえ分かっていれば、オールドビジネスもニュービジネスに変貌できるはずなんだけど。

 

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2020年7月 7日 (火)

プランB

「天候がさらに悪化した場合は、羽田発の航空機が北九州空港に着陸できないことも考えられます」

 日曜日から北九州市に出張。小倉で一泊した翌月曜日の午後、北九州空港で羽田に帰る便の搭乗を待っていた時のことです。テレビでさんざん報道されているように、熊本や鹿児島など九州南部は観測史上初ともいわれる豪雨。九州北部も例外ではなく、白い靄のなかで雨がざざ降りとなっておりました。

 大丈夫かよと心配しながら仕事を終えて、タクシーで北九州空港にたどり着き、ほっとひと息ついた瞬間に、冒頭のアナウンスがあったのです。航空機というのは待機させておくと損失となるので、常に往復しています。つまり、羽田からの航空機が着陸しなければ、代替機は用意されていないので、欠航となるわけですね。

 海外で何度もこうした遅延や欠航に遭遇しました。乗り継ぎ先のアムステルダム空港が激しい嵐に見舞われたおかげで、ジュネーブ空港で8時間ほど待機していたこともあります。幸いにフランクフルト経由の便があり、ようやく日本までたどり着きましたが、それに比べれば国内便ですからね。とはいえ、早く帰りたい気持ちは海外でも国内でも同じです。こういう場合は、気持ちを落ち着かせるために、代替案としてプランB、プランCを考えることにしています。

 昨日の場合は、次の便をすかさずチェック。新型コロナで搭乗客が少ないためか、欠航が続き、午後7時半発の最終便しか残っていませんでした。少ない旅客を一機にまとめて飛ばそうという魂胆なんでしょうね。それでも、夜遅くとはいえ当日中には帰京することができます。これをプランBとして、予約状況をチェック。どうやら搭乗する余地はありそうです。次に天候の様子をネットで再びチェックすると、雨雲はどんどん北上しており、ヘタすればこの便も着陸できない可能性があります。それを想定したプランCとして、ホテル探しになるわけですな。その前にボクの翌日の予定をチェックすると、宅配便が届く程度なので、もう一泊しても被害は僅かということが分かりました。時節柄か、前夜に泊まったホテルは閑散としていたので、どこも満室でお断りということはなさそうです。

 だからといって早く帰りたい気持ちに変わりはなく、不安はつきまといますが、ノープランよりはマシってものです。特に海外では予定通りに行かないほうが普通でしたから、アクシデントに遭遇しそうになると、間髪を入れずに複数の代替案を考えるのが習慣化したようです。

 でね、新型コロナウイルスです。都内の感染者が5日連続で100人超というのは、緊急事態としか思えません。ここに至って「まだ第2波とは考えられない」「毎日の感染者数に一喜一憂するのはいかがなものか」とする専門家もいるようですが、ホントかよ。再選された都知事に至っては「東京版のCDCを設置する」としていますが、そんなことがプランAなんですかねぇ。遅すぎですよ。「もう誰も緊急事態宣言、休業はやりたくないでしょ」と泣き出しそうに言った大臣もいるくらいですから、ほとほと呆れ果てます。

 つまり、危機に直面しても当事者能力のない連中が行政のトップに君臨している。これでは第2波を食い止められるはずがない。プランB、プランCが今こそ必要なのに、とボクは歯がみを堪えることができないのです。

 

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2020年7月 6日 (月)

週が心を亡くす?


 住宅関係の週刊情報誌を編集している頃に、ある不動産団体の重職者から食事に誘われました。ボクはまだ20代の若僧でしたが、一応はメディア関係者なので気を使われたのかもしれません。某社の取材で上着のポケットに押し込まれた1万円札は断固として押し返しましたが、メシくらいは儀礼上いいかなと。

 業界動向など他愛もない話に終始したのですが、ひとつだけ彼は興味深いことを言ったのです。

「週刊誌というのは微妙だよね。1年間は太陽の動き、月は文字通り月の満ち欠けで始まったものだけど、週は人間がこしらえた人工的なサイクル。だから、たまに曜日のリアリティを喪失するのも不思議ではないですよね」

 まさしくその通りでありまして、今回の新型コロナ渦による巣ごもりで、曜日感覚が乏しくなった人もいるはずです。早々とボケたわけでは決してありません。そもそも1週間というのは、衆知のように旧約聖書から生まれた概念です。神様がせっせと働いて世界を創り、最後の1日は休んだと言われても、それを見た人間はどこにもいません。早い話が神様でなく人間が頭の中で1週間をこしらえたのですから、太陽の角度や月の満ち欠けのようなメジャーが自然界には存在しないのです。

 しかも1年間は7日間で割り切れず、53週の年もあれば52週の時もある。にもかかわらず、おそらくキリスト教圏だと思うのですが、欧米ではウイークカレンダー、すなわち週番号も使用しており、それを表示する時計もあります。今日は正月の第1週から数えて何番目の週か、なんてことが分かっても日本ではほとんど役立ちませんが、貿易契約などで日付の誤認を避けるために使用されることが少なくないそうです。

 こんなトリビアはさておき、1週間は許すとしても、週休2日制の浸透によってどんどん忙しくなってきたような気がします。「まだ水曜だよね」「いーえ木曜日です」と言われて慌てたことってありませんか。月曜と金曜は比較的に認識しやすいのですが、火曜水曜あたりはどうも区別が怪しい。だからね、日々が忙しく過ぎ去っていくように感じるのかな。これでは、死んでもそれに気づかず仕事を続けるかもしれません。ゾンビかよ。

 忙しいとは、心を亡くすと書きます。誰でも知っていることですが、心を亡くすというのはどういう意味だと思いますか。人が死ぬことを亡くなるというのですから、まさに心が死んだということになりますよね。まだまだ続きそうなコロナ禍で、心が死にかけている人があちこちにいます。そうした人たちの蘇生も政治家の役割のひとつなのに、都知事選ではライバル批判と自分のことばっかり。安倍さんの悪口なんて言えないよな。政策論争ではなくて、何よりも癒しが必要なのかもしれないという発想を持てないのかな。みんなが同じ土俵に立ってどうするんだよ。マザー・テレサは果たして何処に。


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2020年7月 3日 (金)

言葉遊び

 

 本日は早朝から取材のための移動があるので、簡単にまとめます。

 連日50人を超えていた都内の感染者が、昨日になってとうとう100人を超えてしまいました。これが第2波なのかどうかという論議もそうですが、国も自治体も対処法がなくなり、言葉を弄ぶだけになってしまったようです。再び緊急事態宣言→休業要請すれば、それを補償する給付金をセットにしないと効力がありませんが、もはや予算がないってことなんでしょうね。でもさ、安倍さんは予備費として10兆円を用意したはずなんだけどな。

 いずれにしても、記者会見で都知事が麗々しく掲げた「感染拡大要警戒」なんて、何か具体的な意味があるのでしょうか。「危ないから気をつけてね」なんて、ボクたちだって言えることです。そんなことより具体的な対策を実施すべきですよね。

 こうなったら、覚悟して「自己責任」で生きるほかないようです。自主的に巣ごもりを復活するのも、混雑した電車で通勤して仕事をするのも、すべて命がけの「自己責任」。こんな放置状態でいいのかと思うけど、都知事選の立候補者も大した人はいないですから、以前に書いた「ジャングルの掟」に従って生きるほかなくなってきたようです。

 今こそ創造的なリーダーが必要なのに、どこにも見当たらないというのは、国家的な悲劇というほかありません。


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2020年7月 2日 (木)

人気者

 

 誤解して欲しくないのですが、敢えて極論を言わせていただけば、新型コロナウイルスは「人気者」に取り憑く感染症かもしれません。

 日本にリアルな恐怖感を最初にもたらしたのは、3月末に亡くなった志村けんさんであり、その後も芸能人やアナウンサーなどテレビでお馴染みの人たちの罹患や死去が相次いで報告されたからです。基本的にはインフルエンザと同じ感染症ですから、人との接触が頻繁かつ濃厚である人がなりやすいことは分かりますが、誰でも知っているこの人もあの人も、なんていう事態はこれまで経験したことがありません。

 それがアラートとなったおかげで、日本全体がステイホーム、巣ごもりを徹底する動機になったのですが、逆にいえば偏屈で人嫌いというボクのようなタイプは、感染しにくいということになります。山奥に一人暮らしというわけではないので、現実には感染する機会は至るところにありますが、連日報道されている歌舞伎町などのホストクラブよりウイルス入りの飛沫を浴びる可能性が低いことは事実です。

 あ、だったら、どうして政治家に感染者がいないのでしょうか。少なくとも、テレビで毎日見るような人たちが罹患したなんて、これまで聞いたことがありません。やはり「民度」が違うのかな。確かに奴らの「民度」はボクたちとは大違いですけど。それとも、多数の票は集められても、実は「人気者」ではないからでしょうか。タレントや芸能人の感染者は多いのに、政治家はほとんどいないということを本気で研究すると、意外な事実を発見できるかもしれません。

 

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2020年7月 1日 (水)

人権という視点


 人間はそもそも区別する生き物だと思うんですよね。でなければ対象をきちんと認識できなくなるからです。Aさんの顔は四角いけど、Bさんは丸いなぁ、とかね。物真似にしても、顔つきや表情、話し方などから普通とは違うところを見つけて、それを誇張することで笑いを取る芸に仕立てています。

 その区別感覚が、ある種の感情を伴って発展したのが「差別」ですから、いくら口を酸っぱくしていけないと指導しても、それだけではなくならないはずです。区別はいいけど差別はダメだよと子供にいっても、ではどう違うのか。そこのところを正しく説明しない限り、子供たちは表向き分かったフリをするだけで、翌日もイジメに走ったりします。どうして区別はいいけど差別はダメなのかを、おそらく学校でも正しく指導していないんじゃないかな。

 区別は差違を見つけることですが、差別はそれにもとづいて人間を貶めることです。では、貶めるとは何か。そこに「人権」という言葉が入ってこなければアカンのですよね。他者の人権を認めないことが、バカにする、イジメるといった行動につながるのです。

 人間は大きく見ればみんな同じでも、細部を見ればそれぞれ違いがあります。肌の色だって、それこそいろいろです。ただし、誰でもが人間として生きる権利を持っています。それを正しく認識して認めることが、すなわち自分自身の人権をも認めさせることになります。だからね、世の中に数多ある差別問題は、自分自身の人権問題として捉えなきゃいけない。あなたが仮に黒人やゲイやレズではないとしても、彼らの人権を尊重しなければ、自分自身の人権が蹂躙されることも認めなきゃいけなくなります。ある人をイジメしていたら、いつの間にか今度は自分がイジメられる側に、というのと同じです。

アメリカやヨーロッパと日本は違う、と言う人がたまにいますが、差別の根っ子に変わりがあるはずがない。感情をうまく押し隠している分だけ悪質といってもいい。成績で人を区別する学校の先生にそうした人が少なからずいるから、いよいよ大問題なんですけどね。


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