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福助くん その6

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2020年8月 4日 (火)

世界観(後)


 クルマのようなプロダクトやパッケージデザインを見れば、それぞれの世界観の違いは明瞭に理解できます。ところが、これらはあくまでも表出されたものであって、世界観は人間の内部にしか存在しません。

   というより、そもそも世界はひとつしかないんだから、世界観にそんなにも違いがあってたまるかと考える人のほうが多いんじゃないかな。

 確かに、日の出も夕焼けも星空も、見えているものは同じという前提でボクたちは生活しています。ところが、他人と長く同居してみると、必ずしもそうではないことが分かってきますよね。日の出を太陽と地球の位置関係でとらえる人もいるだろうし、何だか元気になると感性的に捉える人もいます。もしもそうでないとすると、その同居人があなたの世界観に忠実に従っていることを意味します。
 結婚して、お互いの違いが次第に分かるようになり、それが我慢できないほどの不満に膨れあがってしまうと、「世界観が違う」として別れることにもなります。離婚理由で最多といわれる「性格の不一致」は、その言い換えに過ぎないとボクは思っています。

 このように世界観は人によって異なるはずですが、違い過ぎては生きていけないから面倒なんですよね。たいていの人は働いてカネを得ないと生活できません。この働くというのは、モノを生産、あるいはサービスなどを他者に提供してカネと交換することを意味しますが、その認識が違えばメシを食うこともできなくなります。親の遺産で働く必要のない人もいますが、いずれにしても社会生活のほとんどは過去から蓄積されてきた共通の世界観で運営されています。
 とりわけ時間が典型的なのですが、午後12時の解釈はいろいろあっても、オレは昼飯は食べないという人がいても、12時という時間は絶対的な存在です。さもなきゃ社会の秩序が根底から壊れてしまう。「キミとボクは世界観がまるで違う」という人たちも、離婚調停の始まりが12時であれば、時計が故障していない限りは同じ時間に集合することになるわけです。

 ということで、共同体である社会を円滑に営むためには、世界観が標準化されていなければなりません。それを定着させるのが、教育の主要な役割だろうとボクは思います。昨日も書いたように、本来は個性的であるべき美術まで「教えよう」とするから困るんだけどね。しかしながら、この教育も人間=権力者によって作られた世界観の1つに過ぎないことは、学習指導要領を読めばすぐに分かります。ちょっと前までは他者と共存するための協調心を重視していたはずなのに、近頃は主体性・積極性ですもんね。

 このように世界観を語り始めると、社会と個人が錯綜してどんどん厄介なことになっていきます。ただ、生活のために標準化された世界観、すなわち常識と、個人特有の世界観の共存は不可能なことではありません。たとえばクルマは物理の法則から逃れることはできませんが、その範囲内であればスタイルやデザインに制約はないのです。牧歌的な田舎暮らしをイメージしてもいいし、カモシカのように高速道路を疾走するイメージでクルマを作ることもできます。あるいは山肌を駆け上がる猛牛のような力強さとかね。ただし、それが沢山売れるかどうかは別問題ですから、ビジネスであれば消費者の最大公約数的な世界観も認識しておく必要があるわけです。

 でね、ボクはもう、こうした理屈に辟易としている自分を感じるのであります。つまり、約束事だらけの世界観から生まれたプロダクトにはほとんど魅力を感じないのです。世の中は昔に比べて圧倒的に高度化・複雑化しており、人工知能だって発展しているのですから、もっとヘンテコでぶっ飛んだ世界観があっていい。そのほうが人間的で面白いじゃないかと。

 さらに言えば、社会的かつ標準的な世界観に縛られて生きていく必要なんて、もはやないんじゃないかな。自分が世界の中心にいると信じて、そこから世界はこうあるべきだと叫んでもいいじゃないですか。それこそが本来の自由であり、生きている醍醐味のような気がする。そうしたカネ儲けとは無関係な超個人的発想が、これから必要になると思うんだけどな。少なくとも人工知能に勝つためには、そこに人間が至らなきゃアカンだろうと。

 草間彌生が水玉にこだわったのは、世界がそのように見えていたからです。これなら売れると商業目的で発想したのであれば、たちまち行き詰まっていたでしょうね。彼女が若い頃に美術教師から無理矢理に矯正されたとしたら、ものすごく生きづらく感じたに違いありません。やっぱね、芸術は個人の世界観の爆発なわけですよ。

 けれども、実際には大多数の人たちが、標準化された世界観に自分を折衷させながら生きています。もしも仮にそのように感じたことはないというなら、心まで支配された哀れな奴隷としかボクには思えません。それはそれで批判するようなことではありませんけどね。

 それらを踏まえた上で、再び自分なりの世界観を獲得しなきゃいけない。要するに、世界の面白さを自分なりに再解釈するってことかな。そんな時にも、世間や隣の人を横目で見て従うなんて、ボクはゴメンだな。


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