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福助くん その6

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    福助くん、9歳の秋です。 ちょっと長めの散歩をして、世田谷公園へ。 紅葉と福助をご覧くださいまし。

福助くん その5

  • 赤いサルビア♪
    2010年秋の福助くん。とある週末に埼玉県所沢市にある航空公園に行ってきました!

福助くん その4

  • 1 毎年恒例の・・・
    今さらですが、今年の花見の福助くん。ご近所の目黒川に行ってきました。

福助くん その3

  • 1 田舎に行ってきました!
    飼い主の田舎に行ってきた福助。うららかな春を迎えた大自然のなかで、いつもと違った表情に。

福助くん その2

  • 定位置
    平日は会社にいる福助。こんな感じの毎日です。

福助くん その1

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    笠木の飼い犬。甘えん坊でちゃっかり屋の8歳。雄。

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2020年9月

2020年9月30日 (水)

満点主義の減速

 

 およそ試験と名が付くもののほとんどは、点数によって評価されます。小論文でも「よくできました」なんていう曖昧な評価はなく、細分化された各項目で点数が与えられますよね。 

 試験だけでなく、時には身体の痛みすら「10を満点とするといくつくらい?」などと医師から訊かれることもあります。痛みに点数なんか付けられないと素人は思うのですが、それによって診断が変わってくることもあるらしい。 

 いずれにしても、こうした点数評価に慣れてくると、優秀な人ほど最上位の満点を目指すようになります。ボクみたいな凡人は死んでも無理ですが、彼らは子供の頃から好成績が当たり前で、勉強には途方もない自信を持っていますから、どんなことでも満点を取ろうと、より一層の努力をするわけです。 

 学校を卒業して社会に出てからも、この満点を目指す人は案外いるんですよね。仮に満点を100点とすると、95点ではどうにも満足できないわけです。獲得した点数よりも、取り損なった5点のほうが不愉快で仕方がない。70〜80点なら「よくできました」というハナマル感覚で納得できても、90点台ともなれば100点は目前ですから、余計に欲求不満に陥ってしまう。

 このため、部下や関係者を叱咤激励するのですが、やはり満点は取れません。
 こうした満点主義者はおしなべて高学歴であり、学校の試験でも満点ばかりだったはずなので、周囲の人たちに責任があると考えがちです。それでマネジメントの手法やら、仕事の手順などを必死でチェックする。もちろん自分自身も徹夜を辞さず一生懸命に努力しますよね。ところが、残念ながら満点は取ることができません。 

 その理由はまったく簡単でありまして、社会には学校の試験のように点数で厳密に評価できる仕事なんてほとんどないのです。もしあったとしても便宜上の数字であって、学校での点数とは意味がかなり違います。仮に「おめでとう満点です」と言われたにしても、それで満足したら終わりですよね。常に次の課題や改善点を見つけることがプロフェッショナルの本質とすれば、満点はやはり陽炎のごとく先へ先へと遠ざかっていくものなのです。

 さらに、現代の仕事は自分1人で完結することはできません。運動会のリレーのように、あるいは組み体操のように、他者と密接にかかわっています。当然のことながら、自分が追い求める満点と、他者の持つ世界観とは必ずしも一致しません。そんなこんなで焦燥が募り、神経を病むことだってあり得るでしょうね。

 実はボクもそんな1人でした。けれども、どんなに頑張っても誤植やミスを完全に一掃することができなかったんですよね。文章構成や表現だって、もっと良くすることができるじゃないかと後悔ばかりが残りました。そんな徒労を繰り返すうちに、果たして仕事に満点なんてあるのかと強い疑問を持つようになったのです。やがて、そもそも満点は仮想の存在であって、追いかけるべきものではあっても、たどり着くことが許される終着点ではないと気づいたのです。ごく簡単にいえば、永遠の目標ってことですよね。

 そのように認識することで、他者にイライラしたり、怒りを感じることが激減しました。人間は完璧ではなく間違いを常に繰り返す。それに基づく改善こそが満点に至るための唯一のプロセスですから、100点満点で90点なら良しとしよう。いや80点なら上等じゃないか、と。 

 もちろん今でも満点主義がぶり返すことがあるので、こんな文章を書き付けているのですが、世の中は自分1人だけで回っているわけではありません。諦めることなく、粘り強く挑戦する目標として、満点を追究し続けるつもりです。でも、満点でなきゃダメという絶対主義は大幅に減速しました。決して失速ではないので、誤解のないように。

 

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2020年9月29日 (火)

善と悪の二元論?

 

 大人気らしいテレビドラマ『半沢直樹』の最終回で、主人公の堺雅人は「多くの人たちは必死で一生懸命に真面目に生きているのだ」というようなセリフを言ったらしい。すいませんが、この番組は見る前から好きではなかったので、よく知りません。だってさ、大仰なセリフ回しと誇張された表情は、ほとんどマンガじゃないですか。そんな変顔をしなくたって、悔しさや怒りくらい分かるよ、バカじゃないんだからさ。おかげでドラマとしての奥ゆきや横幅をまるで感じないので、最初から敬遠させていただきました。 

 けれども、TBSのニュースショーや番組宣伝でたびたび端切れの映像が紹介されるので、大まかなストーリーや超有名な「倍返し」というセリフを覚えてしまうわけですね。それはそれでまぁいいとしても、冒頭で紹介したように、民衆=庶民は真面目で善人、悪党は姑息で卑怯という単純な二元論的な描き方に大いなる疑問を持ってしまうのです。 

 テレビドラマに目くじら立てるのは大人げないのですが、世の中はそんなに簡単なものじゃないですよね。だからこそ、善悪をくっきりと明確に分けたドラマのほうが一般受けしやすいというのも事実でしょうが、庶民というのはそんなに生やさしい人たちかなぁ。 

 戦いに敗れて逃走した武士を殺して金品や刀などを奪う「落武者狩り」をやったのは、庶民で弱者と見なされがちな農民なんですぜ。そのほかにもいろいろ具体的に指摘できますが、強烈な反発を受けかねないのでここでは自粛します。いずれにしても、一般民衆は決して「無辜の民」ではなく、もっと狡猾ですよ。さもなきゃ生き延びることができない。それを描くのも文学やドラマの役割であるはずなのに、そこから逃げて、分かりやすい二元論にしてしまうのは、ある種の衰弱といえそうな気もします。簡単にいえばつまらないんですよね。せめて、かつての『JIN-仁-』レベルのドラマを作ってくれないかなぁ。 

 

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2020年9月28日 (月)

イヤな予感

 

 昔から、良い予感はまったく当たらないのに、悪い予感だけはかなりの高確率で的中してきました。今回も、自殺者が増えるというイヤな予感が実現しつつあります。

 8月24日のブログで、以下にように書きました。

 そして最も憂慮すべきなのは、景気の悪化が非正規労働者を直撃するってことです。大きな会社の社員は通勤負担から解放され、「新しい働き方」を享受できるようになっても、その陰でヘタすりゃホームレスという人たちが急増しているかもしれない。テレビでもそろそろ報道されるようになってきましたが、またぞろ年間自殺者3万人時代に戻って欲しくはないなぁ。しかしながら、政治も社会も、そうした弱者には冷淡なんだよな、この国は。そういえば昨日は人身事故で中央線が運転見合わせとなりました。飛び込みではないことを祈りますが、ものすごくイヤな予感を消すことができないのであります。大嫌いなので、ここ10年まともに視聴したことはありませんが、夏の終わり恒例の「24時間テレビ」は、これらの問題をどう扱うつもりなんだろうか。

 まだまだ暑い盛りでしたが、重苦しい雲が空を覆っているかのように憂鬱な気分を感じたことを今も覚えています。実際に今年は、木村花さん(5月23日)、三浦春馬さん(7月18日)、9月に入っても14日に女優の芦名星さん、20日に藤木孝さんが自死。そして、昨日の日曜朝にはテレビの緊急速報などで竹内結子さんの訃報が流れました。これだけの芸能人が相次いで死を選ぶなんて今までにあったでしょうか。

 それぞれにそれなりの理由があったとしても、自死という行為に影響される人も出てくるんじゃないかな。衰弱した心を支えようとする「いのちの電話」などの努力には頭が下がりますが、崖っぷちまで追いつめられた人を救うことは困難ですよね。

 精神的な問題は別にしても、新型コロナがもたらした不況による解雇や雇い止めなど経済的な問題はどんどん深刻化しているともいわれます。GoToナントカや4連休で観光地が賑わいを取り戻したように報道されていますが、そのカゲで困窮に追い込まれている人たちが急増しているんじゃないかな。

 死というのは、時として甘味な終焉に見えることがあります。すべての不幸や不安や悲しみに決着を付けてくれるからです。最終的な解決策と言い換えてもいい。軽井沢のホテルで縊死した加藤和彦は「死にたいというより、むしろ生きていたくない」と書き残しましたけどね。その気分が大変によく分かるボクは、残念ながら自死に向かう人たちを引き留める言葉を持っていません。ただね、何だか悔しいんだよな。

 自ら死を選ぶのであれば、いくらかでも救いはあるかもしれない。けれども、誰かに何かに「選ばされた」のであれば、これほどの悲劇はないはずです。たとえばイジメとかセクハラ、パワハラに過重労働などです。それだけは避けて欲しいとは思うのですが、現実にはほとんどが「選ばされた」自死ではないでしょうか。

 だからね、やっぱり悔しい。限りなく悔しいんだよな。どんな理屈や解釈を聞かされようがボクは悔しく悔しくてたまらない。憐憫や悲しさなんかより先に、はちきれんばかりの悔しさでムカムカと腹が立って仕方がないのです。

 

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2020年9月24日 (木)

母性本能?

 

 こんなことを書くと叱られそうだけど、ボクはかねてから母性本能なるものは本当に実在するのかと訝しんできました。というのも、お母さんが子供をひどくぞんざいに扱うところを結構見かけるんですよね。 

 ついさっきも、エレベータの中で女児が「漏れちゃうよ」と身体を捻っていると、「もうすぐだから我慢しなさい!」と厳しく一喝。扉が開いた途端に、泣き出しそうにぐずる子供の腕を引きずるように連れ去っていきました。いえね、それがいけないなんて批判するつもりは全然ありません。子育てがある種の戦いに近いことは、ボクだって分かりますよ。未発達な子供をどのよう指導し、時にワガママを言いたがる子供をどう制御したらいいのか。誰もいない孤島で生活しているわけではないので、周囲に迷惑をかけてもいけない。そんな葛藤が毎日続くと思えば、目眩がしそうになるのは当然です。やがて自分を責めるあまりにウツに陥ったり、逆に虐待に発展することもあるでしょう。ボクなんかは生意気盛りで口が達者なガキには、どんなに可愛くても憎悪を感じます。 

 動物だって自分の子を殺したり、食べてしまうこともあるそうです。だから子育て=母性本能と決めつけていいのかなぁと疑問に思うわけですね。天賦の本能というより、ジェンダーと同じように社会が規定した性差、つまり役割の一種のような気がします。ひょっとしたら、社会がこしらえた都合の良いファンタジー、あるいは押しつけと表現すべきなのかもしれない。 

 「正直言うとさ、アタシ子供なんて大嫌い。子育てなんて絶対にしたくない」という女性がいても、ボクは少しも不思議に感じません。その一方で、マザー・テレサやナイチンゲールみたいな無私の愛情を備えた女性がいるのも確かですよね。でも、それは本能というより知性に基づく感性ではないでしょうか。 

 ボクは女性がおしなべて優しいなんて思ったことは一度もなく、身内=恋人や親戚など近しい人にだけ深い思いやりを発揮すると信じてきました。それ以外の人たちには冷淡といっても過言ではないでしょう。

 しばしば言われるように、やはり人間は本能が壊れた生き物と認識するべきじゃないかな。それでも、いやだからこそ、他者を愛し慈しむ。とりわけ赤ん坊は、人類がまだ生存を続けていいよという神託とも言われます。いずれにしても、たいていの人は赤ん坊を可愛いと感じますよね。その感情を子育てしながら持続していくためには、社会的な支援が不可欠ということになります。幼児保育から初等・中等・高等へと教育が体系的に整備されているのも、母性本能をアテにできないという歴史的な経験から生まれたんじゃないかな。

 実際に、ボクの親父は母親とかなりの年齢差があったせいか、ほぼシングルマザー状態というより、いわゆるカギっ子として一人で過ごす時間が少なくありませんでした。それでもちゃんと成長できたのは、母親の愛情はもちろん、保育園や学校のおかげといっていい。つまり、子育ては社会の責務でもあるということです。だったら潤沢な国家予算をそちらに振り向けて当然なのに、日本の政治はそうしなかった。だからこそ少子化に行き着いたというのは、あまりにも論理が飛躍していますかねぇ。 

 明日は早朝から関西方面に出張なので、例によってブログはお休みとなります。新型コロナ最盛期はオンライン取材ばかりでしたが、近頃は遠方出張も目立つようになってきました。経済活動が本格的に立ち上がりつつあるってことですね。ブログは来週月曜から再開予定です。

  

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2020年9月23日 (水)

『名探偵ポワロ』


 この4連休は繁華街や観光地が混雑するに決まっているので、在宅でやり過ごしましたが、どうして皆さん同じ時期に似たようなところに集まりたがるのかなぁ。

 ちょいとした買い物で上野のアメ横あたりまで行ってみましたが、いやまぁ人人人人の人だらけ。路上にまではみ出した飲食店のテーブルも「3密」の極みであり、しかもマスクなんか誰もつけていません。1人でも感染者がいたら、間違いなく周囲に広がるでしょう。経済活動の邪魔をする気は毛頭ありませんが、あまりにも警戒心なさ過ぎじゃないかな。

 そんなわけで、することといえばテレビを見るくらい。ケーブルテレビと契約しているので、ザッピングを続けた挙げ句に目に止まったのが、AXNミステリーで放送していた『名探偵ポワロ』でした。ご存じアガサ・クリスティー原作による推理ドラマですが、ボクは彼女の小説は一冊も読んだことがありません。先祖代々の特権階級としか思えないイギリスの上流社会が舞台であり、頭の中でこしらえた荒唐無稽なトリックばかりだろうと思い込んでいたからです。無茶な仕掛けに関しては横溝正史のほうがすごいですけどね。

 主人公は、独特のヒゲが印象的な探偵のエルキュール・ポワロ。たまに「私の灰色の脳細胞が」とか言い出すのですが、そんなもんオレンジやブルーや極彩色であるはずがない。こんな陳腐なセリフが有名なのですから、中身も大したものではなかろうと嘗めていました。ところが、ですね。原作は知りませんが、このテレビドラマはほとんど映画に等しい充実したセットを背景にしており、それだけでも感心させられたのです。1930年代の街並みはもちろん、行き交うクルマも当時とそのまま同じ。もちろん俳優やエキストラのコスチュームも戦前のスタイルで、ポケットチーフや靴など細部まで目が行き届いています。日本のテレビドラマのセットではNHKが飛び抜けて金をかけていますが、その10倍以上にも達するんじゃないかな。何しろ『ナイルに死す』では実際に大型船を作って川に浮かべておりました。超有名な『オリエント急行殺人事件』にしても、蒸気機関車が牽引する豪華な個室寝台車が舞台ですからね。そうした緻密な道具立てに目が惹きつけられるだけでなく、今をときめくエミリー・ブラントやケイト・ブランシェットも出演しているではありませんか。

 AXNミステリーでは、アガサ・クリスティー「生誕130年記念」ということで、3日間にわたって全34話を一挙放送。1本が90分くらいの長編ですけど、昨日は朝から深夜まで見続けてしまいました。名優デビッド・スーシュ演じるポワロも、当初こそ臭みたっぷりでしたが、正義と法に則した厳しさの反面で、次第に人情味のある男だと分かってくるんですよね。それに殺人事件の動機も、カネと愛憎がほとんど。ボクたち庶民と何も変わりはないので、十分に共感することができました。トリックにしても特段に無理や奇抜な設定はなく、誰にでもできそうなことばかり。世界的なベストセラーになった理由がよく分かりました。

 というわけで、どうやらボクは思い込みが先立ってアガサ・クリスティーとポワロを避けてきたようです。仮説は優れた理解や解釈のジャンピングボードになりますが、しばしば偏見に変質して世界を狭くしてしまう。今さらそんなことに気づいても遅いんだけど、ちょっとばかり反省いたしました。それくらい完成度の高いテレビドラマなので、レンタルDVDなどでの視聴をオススメいたします。


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2020年9月18日 (金)

危機意識の温度差

 

 昨日は久々に某所で飲酒したのですが、若い人たちがマスクなしで熱弁を振るっていたのを見て、驚愕しました。若いといっても30代前後と思しき男の2人連れでしたが、そこらの恋人たちよりはるかに濃密度の高い接触ぶりです。

 ボクはもしも彼らがそうした関係でも意に介しませんが、他人の唾が顔にベチャベチャと張りつくのが気持ち悪くないのでしょうか。その中に、新型コロナのウイルスが混入しているかもしれないのにね。

 収まったかのように見えても、東京都では100人以上の新規感染者が連日続いています。重症者は20人台とはいえ、感染者の数自体は4月頃の第一波よりはるかに多いんですよね。ボクはハイリスクグループに近い年齢なので、マスクはもちろん、常にソーシャル・ディスタンスなどに注意を払いますが、どうやら若い人たちにそうした危機意識は乏しいらしいのです。

 マスクをアゴのところまでズリ下げて、肩を組んで話しながら歩く姿をしばしば見かけますからね。ヒジが触れ合うような近距離で3〜4人が連れ立って話をしながら歩くことも珍しくありません。これでは20代に感染者が多いのも無理はないですよね。

 その一方で、ボクたちシニアは過度がつくほど敏感というだけでなく、感染者の少ない地方ほど偏見も激しい。東京ナンバーのクルマに「帰れ!」という紙が張りつけられることもあるんじゃないかな。それに比べれば、ある若者が言ったように「かかったら仕方ないじゃん」という能天気のほうがはるかに好感を持てますが、だからといって危険度に変わりはありません。第1波の時にはみんなが等しくウイルスを怖れたのに、第2波では敵の正体がある程度分かったせいか、慣れと侮りが生まれているんじゃないかな。とにかく、危機意識に温度差があり過ぎですよ。若い人は無症状が多いといっても、飛び交うウイルスの量に変わりはないはずなので、こんなことをしていたら感染拡大がおさまるはずがありません。やはり正しく怖れるという啓蒙の拡大が今こそ必要じゃないかな。

 

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2020年9月17日 (木)

一生分のポップコーン

 

 銀座・並木通りにある大型店、MUJI無印良品の壁には、ジャイアントコーンなどをぎっしり詰めた透明な筒状ケースが何本も並んでいます。意図は分かりませんが、なかなか壮観なんですよね。それで、ハッと閃いたのが「一生分パッケージ」です。

 つまりですね、たとえば死ぬまでに食べると想定されるポップコーンをまとめてしまうわけです。日本で初めてバター醤油味を開発したとされる「Mikeポップコーン」は最も小さな一袋が16グラム。好きな味ですけど、ボクはこれを1日に2袋も食べようとは思いません。そこで1日1袋を消費するとすれば、1年365日で5840グラム。多めに概算すれば約6キロかな。問題は一生分の量ですが、産まれた時からポップコーンを食べているわけではないので、成人する20歳から始めて、男性の平均寿命の81歳までとすれば、61年分が必要となります。すなわち、合計366キロが一生分になるわけですね。

 ポップコーンは重さよりもボリュームが問題になるので、再度ネットで調べてみると、20グラム入りの筒タイプのパッケージで口径89×高さ139㎜というデータがありました。計算は略しますが、体積はおよそ0.9リットルとなります(ネットに自動計算の表がありました。実に便利ですな)。20グラムのポップコーンの体積が0.9リットルということは、前述した一生分の366キロを収納するためには、1万6470リットルの容器が必要となります。

 大きな容器といえば、何といってもドラム缶ですよね。これは平均的なサイズで200リットルだそうです。この数字で先の一生分の量を割り算すると82.35。あっと驚くことに、ドラム缶82個くらいになってしまいます。そんなに食えるかよ。

 これではボリュームあり過ぎで商品化できないので、1年分で計算してみましょう。ドラム缶82個で61年分ですから、1年で1缶とちょっと。端数はキリ良く捨てて、ドラム缶1つを「1年分」として売り出すのはいかがでしょうか。
 ちなみに金額では1袋100円とすると、1年間で3万6500円、一生分なら約223万円となります。

 ガソリンスタンドでアルバイトした経験では、ドラム缶は鉄製なので、それだけでも結構な重さがあります。なので、アクリル製の透明な円筒をこしらえて、その中に収納する。これで商品化計画の完成です。防湿&防腐剤なんかも必要ですが、いざという時の保存食になるだけでなく、インテリアとしてもオシャレじゃないですか(なわけないか)。

 同じように、1年分のポテトチップもあり得るかな。けれども、冒頭で提案した一生分に比べると、矮小化した感は否めません。そこで、食べ物の中では最も質量のありそうなミックスナッツならどうだろうか。もはや計算意欲を喪失したので省略しますが、これならドラム缶2〜3個でいけるんじゃないかな。

 いくらポップコーンやポテトチップが好きでも、1年分をドーンと出されて食欲が刺激されるかといえば、逆でしょうね。ましてやミックスナッツ一生分なら、死ぬまで食べる意欲をなくすかも知れない。ま。そうしたことも含めて、一種の思考訓練をやってみたってことです。

 でもさ、「一生分パッケージ」って、モノによっては売れそうな気がするんだけどな。

 

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2020年9月16日 (水)

無事之名馬

 

 どうもボクは好感を持てないのですが、菅さんが首相になった夜に知人のイギリス人がラインを送ってくれました。

    Congratulations for your new prime minister, Is this good/bad news in your opinion?

 新首相の誕生おめでとう。あなたの意見ではこのニュースは良いこと/悪いこと? というような意味ですが、そんなことを簡単に英語で表現できるわけがない。そろそろ眠ろうと思っていたので、取り急ぎ「何にも変わらないよ」と返信。

 すると「それはいいこと悪いこと?」と繰り返されて、軽く驚きました。相手にではなく、ボク自身に、です。てっきり悪いニュアンスが伝わると思い込んでいたのに、この知人は外国人のせいかニュートラルなスタンスで「どっちだよ」と重ねて聞いてきたわけですね。それで、ボクがいつの間にか変革・革新=善、保守=悪という前提でモノを考えていたことに気づかされたのです。

 よくよく考えてみれば、変わらないということは決して悪いことではありません。とりわけ昨今の新型コロナ禍では、感染しないで普通に日々を過ごせるのは、むしろ慶賀とすらいえますよね。

 かの文豪・菊池寛も「無事之名馬(ぶじこれめいば)」という言葉を残しています。馬主でもあった彼は、能力が少しばかり衰えても、ケガすることなく元気に走り続ける競走馬を「名馬」と評したのです。とすれば、世の中のほうも取り立てて大きな変化がなく、いつものように平穏に平安に過ごすことができれば、一番のハッピーではないか。

 だからといって、いまの政治で十分なんて死んでも思いませんが、変わらないことを願う人は少なくないどころか、圧倒的な多数派であることを失念していました。野党の皆さんも、おそらくボクのように考えてきたんじゃないかな。それこそが低迷が続く原因であり、いつまでも政権交代できない最大の理由なんだよな。変革や革新は、むしろ勝者・強者の論理なのかも知れない。遅すぎると笑われそうですけど、寝入りばなにそんなことが頭の奥で閃いたのであります。

 

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2020年9月15日 (火)

ルールを疑え!

 

 どんな法律があるのか知りませんが、国のリーダーである首相を国民が選べないというのは、ちょっとおかしくありませんか。議員内閣制とやらも結構ですが、コップの中の政争だけで首相を決めてしまっていいのかなぁ。今回は候補がたった3人だけで、しかも派閥の多くが1人に集中的に相乗りする大政翼賛会状態。こんなもん、コップどころか猪口の中の嵐、いや小さな渦みたいなものじゃないか。

 にもかかわらず、テレビは全局が投票風景を中継しておりました。しかも、それまでの報道内容は各候補の人柄と人間関係論ばっかり。政策の違いなんか、どの局もしっかりと深掘りしていません。おかげさまで彼らと仲の良いジャーナリストがテレビに出ずっぱり。これではみんなが勝ち馬に乗ろうとするのも無理はないよな。

 念のためにおさらいしておくと、太平洋戦争の前年である1940年10月12日に大政翼賛会が結成されました。すべての政党が自主的に解散して合流。やがて近衛内閣が総辞職すると、陸軍大将で陸軍大臣を兼任する東条英機が首相に就任。太平洋戦争への火蓋が切られることになります。その大政翼賛会結成時の合言葉が「バスに乗り遅れるな」そして「勝ち馬に乗り遅れるな」だったんですよね。その結果として、およそ230万人の兵士が死亡。民間人も海外在住者を含めて80万人が殺されました。

 こういう歴史を知っていると、自民党1強支配が何年も続いて官僚人事も牛耳ることが可能になり、複数の派閥がまとまって1人の候補を支持するなんていう状況が気持ち悪くて仕方ないのです。にもかかわらず、テレビで「こんな首相選挙はおかしい。国民のためのものじゃないよ」と率直な異論をぶつける人にお目にかかったことがありません。どいつもこいつも優等生面して、「それが法律」「それがルール」みたいな正論をほざきやがる。おっとどっこいで、国民の代表を国民1人ひとりの投票で決める方がよっぽど正論だとボクは思うぞ。

 要するに、教科書も試験問題も、教員の教育すら決して疑うことなく、素直に愚直に従ってきた羊の群れが今の日本国民なんだろうね。将棋をやっていて、どうして二歩がいけないのかという疑問すら持てないほど過剰適応してしまった。その重い重いツケをこれから支払っていかなきゃいけないということに、果たしてどれだけの人が気づいているのだろうか。

 

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2020年9月14日 (月)

言葉を弄ぶな!

 

 いつの間に言葉がこんなにも軽くなってしまったのかと、愕然とします。ボクは石破さんの敵でも味方でもありませんが、「グレートリセット」なんて総裁選でよく言えたもんですよね。直訳すれば「大刷新」ということになるでしょうが、では要するに日本をどうするつもりなんだよ。明確なプランがあるなら、凡庸なコピーライターが明け方に思いついたような形骸だけのキャッチフレーズではなく、何をどうリセットするのかを日本語でズバリと言えよ。これでは田舎のジーサンやバーサンが理解できるはずがない。それでも地方の支持者が多いというなら、自民党は相当なインテリ集団なのかな。

 そもそも安倍さんの支持率がここに来て異様に高まっているということは、彼の政策も支持されているってことですよね。それを「グレートリセット」するというんだから、相当な覚悟と具体的な方針がなきゃいけない。なのに、言葉ばっかりどんどん上滑りしていく。野球選手のイチローと石破さんの話し方は、面倒くさくて分かりにくく、言葉の曲芸みたいなところが共通しています。「ていうか」みたいな枕詞で相手の意見を取りあえず否定してから、似たようなことをややこしい言い回しで説明しているだけじゃないか。

 何かね、私はボクはみんなよりこんなに賢いぞ、ということをアピールするだけの話法としか思えないのです。頭の良い悪いは、あくまでも話の内容で判断されることであって、奇妙なロジックやインチキなレトリックじゃないんだけどな。

 ほかにも言い出せばキリがないのでやめますが、このように言葉が軽くなった始まりは、日本人が「愛している」と言い出してからじゃないかな。それまでは「好きだ」「惚れた」程度だったのに、戦後のある時期から男も女も歯が浮いたように「愛している」と言うようになった。それに伴って生まれたトレンドが「言葉にしなければ伝わらない」です。それまでは「言われなきゃ分からないのか」と叱られたのに、愛という言葉の普及と並行して、どんなことも言わなければ分かるはずがないという逆ギレしたコミュニケーションに変わってしまった。

 あのですねぇ。どんな仕事も、言われてようやく理解できるようでは成長や発展なんか望めないんですぜ。自ら学び、自ら工夫して、正解のない問題を自ら解決していくのがプロフェッショナルじゃないか。

 それと同じで、女々しく「愛している」なんて連呼しなきゃ気持ちが相手に伝わらないようでは、先が見えてますよ。ついでに言えば、男なら簡単に泣くな。そんな情けない姿を見ていると、こっちが泣けてきます。我慢に我慢を重ねたうえで頬を伝う一粒の涙にこそ珠玉の価値があると、こんなことも言葉にしなければ分からないのかなぁ。ともかく、何もかもがペラペラのチャラチャラとしか思えないのです。

 

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2020年9月11日 (金)

雲の表情

 

 今の事務所に転居して最も変わったのは、雲を見るようになったことです。流行のタワマンではありませんが、11階建ての上層であり、高い建物が周囲にないため、空の見晴らしが大変に良いのです。

 それまでは恵比寿で5階でしたから、下を見ることはあっても、上の方はチラ見くらい。駅近でビルがズラズラと軒を並べる地域だったので、空が狭いというか、小さいんですよね。ところが、ここでは視野の上半分が空といっても過言ではありません。それで見るともなく見るようになり、雲が実に様々な表情になることに気づきました。特に夏場は圧巻で、息を呑むほど美しい夕焼けがしばしば空を覆うのです。赤やピンクの混濁から薄いブルーそして紺色に至る複雑なグラデーションは、自然が見せてくれる一瞬の絵画といっていいんじゃないかな。

 絵画といえば、レンブラントが描いた雲も特徴的ですが、あまりにもカタチと濃淡がドラマチックなので、ボクは長く彼の創作だと思い込んでいました。こんな雲が現実に存在するはずがないってね。やがて40代の終わりに、たまたま2週間をかけてフランスとイギリスをクルマで旅した時に、あれが本物の写実であることを知って改めて感動したのですが、日本の雲も決してそれに負けてはいません。当たり前といえば当たり前ですが、遅ればせながらも雲を見直すことができて本当に良かった。

  やっぱりね、頭の中でこしらえた物事には限度があります。デジタルな画面に映し出される物事も絵空事の一種に過ぎない。だから諸君、スマホなんか机の上にでも置いて、街や自然の中に出かけようではありませんか。

 

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2020年9月10日 (木)

弱い者イジメ

 

 たとえば真っ黒な大型高級車で、後席すべての窓も黒いフィルム張り。イカにもタコにも反社会勢力を思わせるクルマに、あおり運転を仕掛ける奴がいるでしょうか。自分の前を遮ったとして追い抜き、急ブレーキを踏んで停車したら、逆に黒い服を着込んだ連中が降りてきて、袋叩きにされかねません。暴対法があるので、まさかカタギ相手の無駄な喧嘩はしないにしても、雰囲気だけでも怖いじゃないですか。

 というわけで、あおり運転にどんな理屈があろうがなかろうが、その本質は、弱い者イジメなんですよね。屈強なドライバーが乗っていそうな四輪駆動のSUVが被害を受けたなんてことはほとんどなく、法を遵守する健全な市民が愛用しそうなファミリーワゴンや小型車、軽自動車が狙われてきたんじゃないかな。こういう卑怯な連中は、バックミラーで運転者を必ずチェックしているはずなので、太い二の腕をさらけ出したランニングシャツ姿などを目視したら、ターゲットを変えるに決まっています。運転席の窓をバンバン叩いて「出てこいよ」とやるのも、出てこないと見越しているからでありまして、もしも即座に「やるのかこらぁ」と言いながら威勢良くドアを開けたら、途端に逃げていくのではないでしょうか。弱い奴にはとことん強く振る舞い、強そうな奴には決して近づかないのが、彼らの習性なのです。

  だったら、ドライブレコーダーも結構ですけど、前述したように窓を黒いフィルム貼りにするとか、ド派手な“イタ車”にするほうが抑止効果をもたらすような気がします。ドライバーも空手道場に通うとかね。

  ここまでは半分くらい冗談ですけど、要するにイジメが学校から社会にどんどん浸潤、あるいは発展しているというのがボクの見立てなのです。教室などでイジメを見慣れた子供たちが成長して社会人になると、今度は体力や腕力ではなく、自分より弱い役割や立場にある人を見つけていたぶるようになるんだよな。セクハラもパワハラも、下請け企業に対する優越的立場の濫用も、みんな同根です。マスクを拒否して飛行機を緊急着陸させたクソ野郎も、客と乗務員という立場の格差を十分に理解しているからやったんですよね。警察署でも同じことをやってみろよとボクはオススメしたい。

 こんな卑怯で姑息なことが社会でまかり通るのも、学校段階でイジメをきちんと撲滅できていないことが原因だとボクは睨んでいます。太平洋戦争以前から継承されてきた、人権を平気で無視する日本の組織構造も大いに関与しているでしょうね。何しろ自殺攻撃を軍による上意下達の指示で遂行した国ですぜ。「臭い匂いは元から絶たなきゃダメ」なんていうテレビCMがありましたが、まさにその通り。何たらハラスメントで女性が死んだから新しい法律、あおり運転で家族が事故死したから道交法の改正なんてことを繰り返したところで、やらないよりはマシとしても、結局はモグラ叩きに過ぎないんじゃないかな。

  イジメを根本的になくすためには、やはり学校における倫理・道徳ならびに規範教育を強化するほかないと思います。それがうまくできないのは、教室では教員自身が誰よりも強者=支配者になれるからです。そうした強者と弱者という立場を生み出す構造から変えていく必要があるのに、それが正しく理解されていない。けれども、校門の向こうに世間の声は届きにくいんですよね。

 

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2020年9月 9日 (水)

LINEの終わり方


 スマホ経験がまだ2〜3年なので、エラソーなことは言えませんが、LINEというのは恐るべきコミュニケーションツールですよね。

 最初は簡易版の電子メールかと単純に解釈したのですが、おっとどっこいで、LINEには「既読」サインがつきますよね。これが曲者でありまして、間接的にレスポンスを強制するのであります。「既読スルー」なる言葉もあるようですが、出した方は「読んだなら返信が欲しい」と思うじゃないですか。ところが、忙しくてそんなことをやっているヒマがなかったり、運転中だったりしますよね。それで返信が遅れると、お互いの間に疑心暗鬼の川が流れ始めるのであります。

 それで痴話喧嘩や仲違いとか、答を求める質問調の内容ばかりで不愉快になるとか、いろいろなトラブルがあるんじゃないかなぁ。フェイスブックは「大きなお世話」的なSNSですけど、LINEはそれ以上のしつこさを伴うシステムだと思います。ボクたち大人は仕事で忙しいこともあって、適度なところで中断しますが、「既読」のおかげで際限なく対話を続ける若い人たちは多いんじゃないかな。

 つまりですね、「終わり方」が難しいSNSなんですよね。LINEの構造では、手紙のように「草々」「敬具」なんていう締めの言葉を置けません。それで最近になってボクが発明した「終わり方」は、スタンプなのであります。スタンプが出てきたら、そろそろ対話は終わりね、お休みなさい、みたいなシグナルにする。ただし、そんなことをいちいち説明するのも、距離を空けるようで失礼ですから、相手に推察してもらうことがポイントです。スタンプが頻繁に出始めたら、文字を打つのが面倒になってきたんじゃないかなと、何となく分かっていただくわけですね。

 この方法なら、お互いに無理がありません。皆さんもうやっているとしたらマヌケな話ですけど、誰かから聞いたことでもないので、オリジナリティはあると思うんだけどな。


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2020年9月 8日 (火)

あ、味がしない!!

 

 刻みウドンって、ご存知でしょうか。油揚げを細かく刻んで具にした立ち食い店の定番ですが、なぜだか関西にしかなく、関東でお目にかかることは、まったくといっていいほどありません。

 このため、大阪出張の際に時間があれば立ち寄る心づもりはしていても、ここ15年はなかなかそうした機会が巡ってきませんでした。

 でね、先週の金曜日。大阪郊外の某市駅で取材のための待ち合わせがあり、たまたまその駅に立ち食いの麺類店があったのです。メニューを見ると、ありましたよ、念願の刻みウドンが。もちろん注文して待つことしばしで、ボクの眼前に細く切り揃えた黄茶色の油揚げを載せたどんぶりがやってきました。さっそく数本のウドンを口の中に放り込んだのですが、あれ? おや? なーんにも味がしない。「げげっ、ウソだろ!」と疑いつつ、慌てて再び数本を食べ直しても、やはり何の味も感じないじゃないですか。

 わぁお、ついに新型コロナにつかまっちまったかなと、イヤな脂汗が全身から吹き出てきました。特徴的な初期症状が味覚や臭覚の障がいということは広く知られています。心中が嵐のように騒ぎながらも匂いを嗅いでみると、湯気の中で鰹節の風味は微かに感じます。油揚げもそれなりの味がするじゃないですか。ウドンはそもそも無味といえば無味です。ということは、汁に味を感じないのかなぁ。汚い比喩で恐縮ですが、誰かが入浴した後の風呂の湯みたい。そういえば「俺のだし」という空恐ろしい名前の店が東京・銀座にありますけどね。

 無味に加えて無臭ならもっとパニクったでしょうが、どうやら原因は汁らしいと判明したので、取りあえず完食。ケチだね。念のために、その直後に喫茶店に行き、アイスコーヒーを注文しました。「こっちは大丈夫かな」と怖るおそる口にすると、コーヒーの苦みとほのかな甘味をちゃんと舌がキャッチするではありませんか。

 「ああ良かった」と、ひと安心してから考察するに、ボクは名古屋生まれにもかかわらず、30年以上も住み続けた東京の味にすっかり慣れ切っていたらしい。以前にも書きましたが、東京の立ち食いそば屋が関西に進出したら3日でつぶれます。醤油を煮染めたような真っ黒な色と濃い味は、関東以北の食習慣なのです。けれども、なぜだかそんなソバ屋しか見当たらないので、次第に慣れていきますよね。それに関東ではウドンはマイナーな存在ですから、滅多に食べることがありません。ちなみに名古屋以西ではウドン屋でソバを注文しますが、関東でウドンはソバ屋のメニューのひとつに過ぎないのです。

 それはともかく、気づかないうちにボクはそうした濃厚な醤油味に過剰適応していたようです。だから、しっかりダシを取る関西の薄味を感じることができなかった。何にしても、それから高熱を発することもなく、平熱が続いているので、感染はしていません。PCR検査をやるほどでもないですよね。

 でもなぁ、あの店の薄味は尋常ではなかったように思います。もしかしたら味のつけ忘れかも。いずれにしても、味というのは慣れていくものなのだと再認識したのであります。

 

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2020年9月 7日 (月)

アナログ体重計

 

 日曜日の朝、いつものように起き抜けにヘルスメーターに載ったら、何と88キロ前後の数字が点滅するではありませんか。極秘を貫いてきたボクのアベレージは75キロ台でありまして、76キロはオーバーウェイト。74キロ台なら痩せる始まりと認識してきました。

 それに比べれば88キロはまったく想定外のデブりようです。大食い選手権に出たわけでもないので、たったひと晩でそんなにも体重が増えるわけがない。電池がアウトになったのかなと、近所の100円ショップで単四を4本購入して交換。もう1度メーターに載り直したのですが、状況は以前より悪くなり、ワケの分からない表示を繰り返すようになりました。ヘルスメーターをひっくり返して調べてみると、2つの足元が壊れてブラブラになっており、それがセンサーに悪影響を与えているようです。

 体重を毎日のように計測しなくても死ぬわけではありませんが、数字を知るのが習慣になっているので、分からないのはいかにも不安です。それで夕方にイオンの3階にある家電量販店で物色しましたが、あはははは、ここで大失敗してしまいました。それまでのヘルスメーターと同じデジタル計は2000円台ですが、その隣にタニタのアナログ式があったのです。これが消費税込みで998円。半分以下の安さです。

 その直前に100円ショップに行ったのが影響したせいか、ランニングコストになる電池が不要で、しかもイニシャルは半額以下なので「これは買いでしょう」と即決してしまいました。

 自室に戻ってパッケージを開け、さっそくトライしてみて、測定のケタが1つ違うことに気づきました。それまでは75.6とか76.3など、コンマ以下の数字がデジタルできっちり表示されていたのですが、こちらは昔ながらのアナログ、というよりバネ式でございまして、数字が刻まれたディスクが右に左にユラユラする仕組みです。このため目盛りもざっくりと1キロ刻み。ボクにとって大切な75から80まで僅か5本の線しかありません。75と76キロの違いは明らかでも、その途中は目分量の見当で75.5くらいかなという大雑把な精度なのです。

 すぐに返品しようかと思ったのですが、よくよく考えれば、人間の体重なんて1キロ単位で変わることは珍しくありません。朝メシを食べるだけで200グラムは増えるだろうし、下痢でもすれば500グラムの減量とかね。にもかかわらず、コンマ以下の数字、つまり100グラム単位の増減が分かると、過度に敏感になってしまうんですよね。実際には1キロや2キロ増えたところで、ジーパンやズボンが履けなくなるわけではなく、シャツのボタンが吹き飛ぶこともあり得ません。

 つまりですね、普通の人にとっては、ざっくりとキロ単位で把握する方が精神的に健康でいられるのではないでしょうか。ダイエットによる減量や体重維持を楽しみにする人もいるので、そうした人にはコンマ以下の数字が達成感につながると思いますが、それ以外の人にはプラスマイナス2〜3キロなんて大した違いではありません。なのに、ボクもそうでしたが、コンマ以下の数字をきっちり突きつけられると気にしないではいられなくなります。

 おそらく、いまというのはそういう時代であり社会なんでしょうね。であるなら、そんな風潮に逆らうこともボクらしい姿勢ではあります。スマホの体重記録もコンマ以下を打ち込む必要がなくなるので、簡単でいいじゃないですか。
 って、ひどく面倒くさい言い訳ですけど、このアナログ体重計をしばらく使ってみようと決めたのであります。

 

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2020年9月 3日 (木)

仰げば尊し

 

仰げば尊し 我が師の恩
教えの庭にも はや幾とせ
思えば いと疾し この年月
今こそ わかれめ いざさらば

 

 かつては卒業式で斉唱する定番の歌であり、悔しいことにボクなんかは一番を完全に覚えています。ところが、1990年代に激減。この歌にかえて、武田鉄矢の『贈る言葉』や森山直太朗の『さくら』などを選ぶ学校が増えてきたらしい。そりゃそうですよ。こんな臆面もない自画自賛の歌を、こともあろうに教え子に強制していたんですぜ。教員というのはどこまで無神経で傲慢なんだろうと思わざるを得ません。 

 ボクは高校の先生にはひとかたならぬ迷惑をかけ、お世話をしていただきました。しかしながら、それに対する個人的な感謝と、こんな歌を制度あるいは義務として歌わせることはまったく別物ですよ。高校生が卒業式の最後に、当の先生たちを面前にして「仰げば尊し、我が師の恩」と歌う。普通の神経を持つ人なら恥ずかしくて顔から火、じゃなくて炎が吹き出してもおかしくないのに、先生自身が「うんうん」と涙を浮かべてハンカチを目頭に押し当てたりする。これほどものすごい虚構あるいは茶番はほかにちょっと見当たらないだろうと、ボクは卒業以来ずっと思い続けてきました。 

 しかもですよ。歌詞の2番では、以下のフレーズが加わるのです。 

身を立て 名をあげ やよ励めよ 

 あくまでも超好意的に解釈すれば、出世して有名になっても、なお励むことを忘れるなよ、という意味ですが、エリートたちによる立身出世主義の匂いが濃厚に漂ってきます。エラくなることより、有名になることより大切なことは、いくらだってあるじゃないですか。1961年には『名もなく貧しく美しく』という映画が公開されているにもかかわらず、それと真っ向から対立する世界観なんですよね。 

 教員は子供たちと家庭環境に関する個人情報や秘密をすべて掌握しているだけでなく、成績評価という圧倒的な権力も有しています。だからこそ教員はもっと謙虚になれという、まさに「反面教師」としての意味で歌い継いでいくというのであれば、ボクは否定しませんけどね。 

 さて、明日は久々に大阪に出張となります。今年の2月末以来ですから、ほぼ半年ぶりかな。時節柄いろいろと心配がないわけではありませんけど、仕事があるだけでもありがたいじゃないですか。早朝の出発なので、ブログは休止。翌月曜日から再開いたします。

 

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2020年9月 2日 (水)

入試改革

 

 以前も指摘したように、来年の大学入試は受験生における格差がますます拡大するとボクは見ています。自粛期間中に朝から晩までオンラインで受験勉強をした私立高校生と、机の上に教科書を置きつつもゲームばっかりやって2〜3か月を過ごした公立高校生が同じ学力になるはずがない。公立でも名だたる進学校は別ですけどね。 

 そうした学習の遅れを取り戻すために、小・中・高校生は夏休み返上で頑張ってきたと思いますが、これは全国津々浦々の学校に共通した措置なので、今年前半に生まれた高校生間の学力格差が埋まるとはとても思えません。もとより大学入試なんて、東大生の親の4割が年収900万円以上という事実が示すように、とてもじゃないけど公明正大&平等公平なものではないのです。 

 資本主義のもとでは仕方ないとしても、今回のコロナ禍を好機として、ボクは画期的な入試改革を提案したい。端的に言えば、大学入試を完全撤廃して、進学希望者全員を希望の大学に入学させるということです。空前絶後、実現不可能な大馬鹿野郎の妄想と笑うのも結構ですが、まずは聞いてくださいよ。 

 そんなことをしたら、一生懸命に勉強してきた生徒と遊び回ってきた生徒を同じように扱うことになり、むしろ不公平・悪平等ではないかと誰だって思いますよね。はい、ボクもそう思います。だからね、入学させるといっても、いきなり正規学生として認めるわけではありません。正社員になる前段階として「試用期間」を設ける会社は少なくないですよね。それと同じく「試用学生」として登録していただく。で、3か月または1セメスターを過ごして、それなりの成績を取れなければ、どんどんキックアウト、つまり退学させるわけです。 もちろん授業料はいただくので、大学に損はないと思うんだけどな。

 そんな手間をかける余裕も施設も今の大学にはないという反論もあるはずです。だったらオンラインを利用しましょうよ。これなら教室は不要となり、多数の教員を揃える必要もありません。大教室での授業と同じで、講義とレポート、試験を繰り返せば、みんなの学力くらい分かってきますよ。そもそも学ぶ意欲のない連中も少なくないはずですから、この期間にほとんど淘汰されていくんじゃないかな。 

 それにしても東大や京大、有名私立など人気大学に希望者が集中するというなら、高校時代の平均点数といった選抜要件を加えておけばいい。特技や一芸、得意分野を持つ生徒やボランティア活動なんかも考慮したいですよね。何のことはない、早い話がAO入試の諸要件を「試用学生」になるためのハードルにすればいいってことです。 

 これなら家計による教育格差をかなり解消できるだけでなく、これまでの大学入試が取りこぼしてきた創造性に優れた受験生を幅広く掬い取れるのではないかと思うのです。学校の試験はあくまで「想像力」の勝負であって、決して「創造力」ではありません。学習塾などで勉強に精通してきた学校優等生は、問題作成者の意図を的確に推し量り、それまでの勉強範囲とつきあわせて正解を導きますよね。だから「想像力」なのですが、その思考方法に慣れれば慣れるほど、既存の枠を打ち破る自由で革新的な発想ができなくなるのです。 

 そんな人材ばかりが社会の中枢に集まったら、まともな改革ができるはずがない。行政も企業も、仕事の本質は「創造性」であって、それが欠落していれば衰退していくばかりじゃないですか。にもかかわらず、日本の国家的な教育は西欧のキャッチアップ、即ち物真似からスタートしたために、創造力やオリジナリティの養成という視点を持つことができなかった。新型コロナに対する無為無策ぶりが典型的ですよね。マスクが足りなかったのも、PCR検査の普及が遅れたのも、周囲の様子を見ながら責任を回避する臆病な意思決定と現場指揮だったからです。

 自民党の派閥政治も、テレビや新聞による政局報道も、結局は想像力の産物であって、創造力とはおよそかけ離れています。だから政策がきちんと評価・判断されない。どんな人ではなく、何をしてくれるかで首相を選ぶべきではありませんか。もうこんなつまらないムラ社会はやめようよ。そして、学力の基準を創造力に完全シフトする。それこそが教育改革のカナメにならなきゃいけないのに、官僚は学校優等生ばかりですから、誰も創造力の重要性に気づいていないのです。グローバル化やAI社会といった表層の言葉ばかりを改革ロードマップに載せたところで、肝腎なことは何ひとつ変わらないということに、そろそろ気づけよ。

 

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2020年9月 1日 (火)

フィッシングメール

 

 新型コロナのおかげでネット通販が絶好調のようですが、それに足並みを合わせるように、フィッシングメールも増加。毎朝ゴミ箱に捨てて消去する作業だけでも大変なことになってきました。

 最も多いのがAmazonです。注文が受け付けられなかったとか、異常信号だとかナントカで、個人情報を入れ直してくれという文面です。次に多いのがRakutenで、同じように個人情報を抜き取ろうとする魂胆がありあり。それを見破るも何も、そもそもワタクシ、アマゾンも楽天も会員ではなく、一度も利用したことがありません。世にも珍しい奴だと思われるかもしれませんが、おかげさまで騙されようがないのでありますよ。

 そのほかに、英文の凝ったインチキメールもたまに受け取ります。ある会社の財務マネジャーだけど、日本で資金を運用したいので代理人を探している。引き受けてくれれば高報酬を約束するという内容です。文章があまりに長いので最後まで読んだことはありませんが、Dearだけで相手の名前も知らない奴にそんな大切なことを依頼するはずがない。それよりも、日本には「M資金」という伝統的な詐欺があることを知らないのかなぁ。

 某有名俳優がこれに引っかかって猟銃自殺したといわれているほか、今年になっても大手飲食店チェーンの会長が30億円ほどやられたそうです。ちなみに、敗戦後の日本に進駐したGHQのウィリアム・マーカット少将が隠匿したとされる、莫大な金銀財宝が話のタネになっています。彼のイニシャルがMなのでM資金。そのほかにも諸説ありますけどね。いずれにしても、この大金の一部を提供します、そのかわりに、それなりの手数料を支払ってほしいというのが詐欺の骨格です。それを受け取ったら、もちろん詐欺師たちはドロン。シンプル極まりない内容ですが、自称“自社ビル”や有名ホテルという道具立てで信用させるのが手口になっているようです。

 太平洋戦争は国家の総力戦であり、敗北した日本にそんな金銀財宝が残されていたとはとても思えないのですが、何兆何千億円という金額に人は目が眩むらしい。詐欺を勧めるわけでは決してありませんが、それに比べてフィッシングメールも財務マネジャーの与太話もスケールが小さすぎる。というより、性根があまりにもあさましい。これも現代性ってことなのでしょうか。せめて安易な人真似だけはやめてほしいな。ものすごく不愉快なだけですから。

 

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