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福助くん その6

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    福助くん、9歳の秋です。 ちょっと長めの散歩をして、世田谷公園へ。 紅葉と福助をご覧くださいまし。

福助くん その5

  • 赤いサルビア♪
    2010年秋の福助くん。とある週末に埼玉県所沢市にある航空公園に行ってきました!

福助くん その4

  • 1 毎年恒例の・・・
    今さらですが、今年の花見の福助くん。ご近所の目黒川に行ってきました。

福助くん その3

  • 1 田舎に行ってきました!
    飼い主の田舎に行ってきた福助。うららかな春を迎えた大自然のなかで、いつもと違った表情に。

福助くん その2

  • 定位置
    平日は会社にいる福助。こんな感じの毎日です。

福助くん その1

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    笠木の飼い犬。甘えん坊でちゃっかり屋の8歳。雄。

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2020年10月

2020年10月30日 (金)

下町のマリア

 

 ボクはキリスト教徒ではなく、聖書もまともに読んだことはありませんが、「下町のマリア」に惹かれてきました。

 無私で公平、苦しむ人なら誰でも慈しみ、限りなく優しい心で寄り添おうとする女性。でね、親の虐待でどうしようもなく心が捻くれてしまい、粗暴で卑劣極まりない生き方をしてきた悪党をたまたま匿ったことで淡い恋が生まれる。けれども、その男は本気で彼女に惚れてしまったがゆえに、無垢な誠意を踏みにじって風俗に売り飛ばしてしまう。なんていうストーリーを考えたこともあります。もちろん続きもあって、それでもなお彼女は男のために神に許しを請い続け、お互いにズタズタのボロボロになった状態で再会する。明るい未来なんか絶対に描けない過酷で凄絶な境遇でも、2人は愛し合うことができるのか、みたいな展開で人間性を試そうと思ったわけですな。

 それがハッピーエンドになろうが悲劇で終わるにしても、「下町のマリア」は男が想う究極の女性像ではないでしょうか。だから、そんな女性は世界のどこにもいるはずがない。女性にとっても、そんなことを期待されるのは迷惑このうえないですよね。

 でも、ああ、ところが、現実にいたんだよな、それに近い女性が。大学教授の三女として山の手で裕福に育ったにもかかわらず、敗戦直後の隅田川・言問橋周辺で生まれた「蟻の町」と呼ばれる集落に身を投じて奉仕活動を行った北原怜子さんです。元ヤクザが仕切る廃品回収業の家族が住む地域で献身的な奉仕活動を行い、特に子供たちの教育環境の整備に尽力したとされています。このため「蟻の町のマリア」と呼ばれるようになり、海外でも報道されましたが、「財宝ばかりでなく、名誉や地位も悪魔的な誘惑だ」と取り合わなかったそうです(ウィキペディア)。忖度の強制や学者の集まりに横車を通して、権力や地位を誇示する前&現首相や、銅像や勲章を欲しがる政治家や社長にぜひ聞かせたいですな。

 ものすごく残念なことですが、過労や無理が祟ったのか、彼女は何と28歳の若さで亡くなっています。神様なんてホントにいるのかよと腹が立ってくる無情な仕打ちですよね。しかしながら、それから半世紀以上も経た今になって、ボクのような三文ライター、いや百円ライターが彼女の存在を再発見したのであります。

 人生は儚いほど短く、肉体は必ず滅びますが、彼女のような美しい心と善行は人伝てとなって永遠に残ります。そのために命が与えられているとみんなが考えれば、少しは生き良い社会になるんですけどね。

 

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2020年10月29日 (木)

批判的思考

 

 近頃は何だか鬱屈しているらしく、明るい文章がないな。そもそも、この国がかなりヘンなことになっているなんて、ボクだけしか思っていないのかもしれない。けれども、2008年のリーマンショック、2011年の原発事故をきっちり克服したかと問えば、ほとんどの経済学者は「ノー」というんじゃないかな。 

 アベノミクスで何とかなったと見る人もいるようだけど、あれは日本銀行が株を買い支えてきただけですよね。政府から独立した立場であるはずの中央銀行がそんなことをするのは禁じ手とされております。ウォルフレンは日銀をバブル崩壊の主犯であると名指ししていたので、元首相の要望に応じたにせよ、ムベなるかなと。独立といったところで、日本学術会議のように首相が横車を押すことも慣例化しつつあります。

 いずれにせよ、日本の借金は国と地方の合計で約1100兆円。GDPの約2・5倍という規模は、先進国の中でも突出して高い。そこに新型コロナ渦ですぜ。経済活性化のための給付金やら各種キャンペーン施策に投入されるのはすべて税金であり、景気が良くなって税収として戻ってくれば御の字ですけど、いったいいつになるんだよと財務省はアタマを抱えているんじゃないかな。

 とまぁ、こんなことを日夜考えつつも、欲しいものや買いたいものは特になく、かといって海外旅行も25年にわたってさんざん経験したので、特に行きたい国もない。ハワイのピンクフラミンゴホテルが念願ではあったけど、今のところは行けるメドがないもんね。酒を浴びるように飲めれば憂さも晴らせるだろうけど、一杯のグラスワインで真っ赤になるようになったので、どうしようもない。大昔は接待が伴う飲食店で毎週数回は散財しましたが、若いネーチャンの機嫌を取りながら酒を飲むなんていう面倒で不合理なことは二度とやりたくないもんね。

 あ、無意識に不行跡を暴露してしまいましたが、今回のテーマは「批判的思考」だったのであります。これをボク的に言い換えれば、教師を乗り越えろってことなんですよね。先生たちが教えているのは、過去のことが100%です。ところが、昨今は技術革新の速度が月ロケット並みでありまして、過去をベースに考えてきた人たちの想像をはるかに超えるような変化が起きています。そのうちAIだって確実に人間のアタマを上回るに違いありません。

 こんな時代に、先生の言うことを素直に聞いて無批判に従う優等生に未来はあるかというと、それはないだろうと。過去の専門家に昔の理屈や理論を学ぶだけでは、死ぬまで技術革新に追いつけないんじゃないかな。となれば、生徒や学生諸君が学ぶべきなのは基礎だけであり、自分のアタマでモノを考えられる能力を身に付けるしかないないんじゃないかな。それを批判的思考とすれば、つまりは教師を乗り越えていけってことだと理解できるわけです。バカにしろという意味では決してないので念のため。けれども、教師を過度に尊敬する必要はないと思う。昔なら先生の言うことはほとんど正しかったけど、今はいろいろ疑問符を付けることができます。

 なのに、ああなのに、高校の卒業式では『仰げばお通し』じゃなくて『仰げば尊し』を生徒たちに歌わせてきたのです。これではアメリカのようなIT革命やGAFAが生まれっこない。先生なんてどこが賢くて偉いんだ。歩く学習指導要領じゃねえかと。これくらいのガッツを持って学校に行かなきゃ、過去の奴隷になるだけだぞと言いたい、ホリエモンも似たようなことを言ってはいるけど、アンチ社会的な姿勢ばかりが目立つので、彼の真意が世間に正しく伝わっているとは思えません。

 久しぶりに長い文章になりましたが、もはや学校での学びは生徒や学生たちの将来を保障するものではあり得ないと自覚したほうがいい。にもかかわらず、学歴ならぬ出身学校歴の呪縛が一生続くんだから、この国は革新や改革なんてことからどんどん遠ざかっていく。残るのはこじれまくった自尊心にもとづく民族主義だけになり、元首相とお仲間たちの支持が依然として高いということになるわけです。これにてQ.E.D.証明終了。愚痴っぽくなるのも分かりますよね。

 

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2020年10月28日 (水)

社会の木鐸は何処?

 

 誰もが内心はヘンだおかしいと思っているのに、それを権力者が強引に押し通していく。いつまでこんなことを続けるんだろうね。ジャーナリストのくせに、口を開けば政権の太鼓持ちのような擁護論を言い出す唇が歪んだジーサンがいるだけでなく、あろうことか首相補佐官になった記者もいるから驚きます。そんな前例を作っておいて、あの会社はこれから政府を中立的に取材できるのかなぁ。女性からレイプで告訴されたのに、前首相の友達だか何だか、モリカケもどきに警察や検察に忖度させて不起訴で逃げてしまった往生際の悪いベッタリ記者もいるしね。振り返れば、どこぞの主筆は保守系重鎮政治家の懐刀となり、超大型の便宜供与を会社に引っ張ってきたとも囁かれたので、こんな癒着は今さら始まったことではないんですけどね。

 けれども、ジャーナリストやメディアが権力を批判しなければ、いったい誰ができるというんだろうか。そこらへんの雑誌でも有力政治家や政権に恥ずかしげもなく擦り寄るところは珍しくありませんが、気に入らなきゃ買わなきゃいいだけです。しかしながら、為政者の不実や嘘や隠蔽や汚職などを記者会見などで追究、また調査報道しなければ、民主主義なんてすぐに機能しなくなってしまうんですぜ。にもかかわらず、これだけメディアの関係者がホイホイと寝返って媚びやへつらいや追従しまくる時代なんて、寡聞ながらボクは初めてです。昔は皆さんもっと矜持があったのになぁ。ホントに恥を知れよ。カネさえ貰ったら、内臓まで見せて精神の自由も明け渡してしまうんかい。そもそも「社会の木鐸」なんて大層なことを言っていたはずなんですけどね。

 はぁ、またしても呆れました。例によって東京の隅っこで「武士は食わねど高楊枝」を続けさせていただきます。そっちのほうが、よっぽどカッコいいと思うのは、きっとボクだけなんだろうな。

 

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2020年10月27日 (火)

どうなってんだ?

 

 都民割とか地域共通クーポンとか、世間ではいろいろ騒いでいるようですが、ボクにはさっぱり分かりません。都民割を利用すると、有名ホテルに格安で宿泊できるようですが、割り当てが少ないらしく、文句や不満が噴出しているみたいですね。

 でもさぁ、有名とはいえ都内のホテルに都民が泊まる必要性があるのでしょうか。たまには贅沢して赤坂のシティホテルなんていう気持ちはよく分かるし、もしかすると愛人と一緒というラブホ路線も考えられなくもありませんが、だったら正規の値段を支払ったほうが格好いいと思うんだけどな。「都民割だからさぁ、一緒に一泊どうよ」なんて誘われたら、ボクが女性なら絶対にお断りします。

 皆さんいろいろな事情があるので、批判するつもりはありません。しかしながら、まだまだ新型コロナ禍だというのに、GoToナンタラも含めて、よくヒマとカネがあるもんだと感心します。一方では非正規社員の雇い留めや解雇が6万人を超えたとか、景気の悪化は弱者を直撃しています。だからこそ旅行してどんどんカネを遣ってねという政府の策略なのでしょうが、むしろ格差がますます拡大している印象は否めません。

 そんなに浮かれてはしゃぎ回って、大丈夫なんですかねぇ。こんなことを言っているのはボクくらいのようですが、皆さんの懐具合や仕事は果たして好転しているのか、それとも相変わらず萎縮しているのか、さっぱり分かりません。そういえば、3時頃のテレビで都内の感染者を毎日発表してきたのに、知らないうちにやめてしまったようです。

 100人から200人レベルで推移しているので、ちっとも収束なんかしいませんよ。むしろ第3波の気配が濃厚なのに、遊び回っていていいんだろうか。無症状が多いといっても、ウイルスはいつ突然変異するか分かりません。心配し過ぎならいいんだけど、悪い予感というのは往々にして当たるんだよな。

 

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2020年10月26日 (月)

嵐のように

 

 日記的なことを書くのは好きではありませんが、先週の金曜日から締め切りが嵐のようにやってきました。あっさり「無理でーす」と断ることができれば簡単なのですが、日頃からお世話になっているので、そんなことが言えるはずありません。

 かくて、4時間おきに寝ては起きて原稿に取り組み、今朝の時点で受注した原稿のほとんどを納品。残るは1ページというという状況になりました。要するに突貫工事なので、最低限の品質は確保しているはずでも、読んで感動するレベルかどうかはまるきり自信がありません、そもそも、そういうタイプの仕事ではないしね。

 そんなわけで、取り合えず締め切りには間に合いましたが、何だか忸怩たるものを感じております。かといって、時間さえかれば名文になるかといえば、絶対にそういうことはありません。どんな仕事もそうですが、締め切りがなければ、どんどん先送りするだけですからね。

 そんな言い訳をブログで書いてどうすんだよと叱られそうですが、嵐をやり過ごしてホッとした安心感だけはあります。そんな繰り返しが仕事なんですよね。

 あ、そういえば第2波が明日やってくるんでした。ひえーっ。こちらもさっさとやらないと不義理になってしまいます。でも今日だけは休みということにさせて下さい。

 

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2020年10月23日 (金)

生牡蠣

 

 新型コロナの影響で、今年の夏は生牡蠣を逃してしまいました。生牡蠣といえば冬の風物と考えている人もまだいるかも知れません。夏場は岩牡蠣という人はかなりの食通ですけど、近年は物流と養殖の技術革新によって、暑い夏でも世界中の牡蠣を生でいただけるようになったんですよね。

  これに合わせるのは、やはりシャンパンしかないとボクは断言します。シャープな細長のシルエットが美しいフルートグラスに注がれた黄金色のシャンパンで舌と喉を湿らしながら、冷たい生牡蠣をシュルリと口の中に放り込む。これこそが夏の醍醐味だったのであります。

  なのに、ああそれなのに、今年はたった1回だけです。銀座コリドー街の専門店でそそくさと食べたくらい。とはいっても2人で1ダース+アルファなので、居酒屋の3個一皿とは違います。氷を敷き詰めた皿にズラリと並んだ生牡蠣は、味が薄い順に食すのがコツだそうです。濃い味を先に食べると、微妙な差を感知しにくくなってしまうからです。 

 こんなふうに表現すると、贅沢なグルメのように思われるかもしれませんが、シャンパンはグラス一杯だけ。生牡蠣もハッピーアワーに行けば割安でいただけます。いくら好きでも、生牡蠣を1度に20個も食べる人は滅多にいないので、そんなに高価な食事ではありません。 

 ただし、問題なのは時間なんだよね。サーブされるまで時間がかかっても、半ダースなんかあっという間ですから。1個30秒もあればきっちり咀嚼できるので、続けて6個なら合計3分。1ダースでも6分程度。ガツガツするのはみっともないので、なるべく時間をかけようとは意識するのですが、ヒョイと殻を持ち上げて肉厚の身をシュルリですからね。ボクは無駄話というか、世間話が苦手なので、時間をかけたつもりでも、時計の針はほとんど進んでいなかったりするのです。

 そんなわけで、レストランの滞在時間もせいぜい30分程度。ダメだよなぁ。もうちょっと食事と会話を楽しまなきゃ、人生が勿体ない。そこで今年こそはと意気込んでいたのに、新型コロナで外食習慣まで消滅しつつあります。ああつまらん。どんな格好をしてもマスクでぶち壊しになるので、着替える楽しみもありません。早くワクチンを作ってくれないかなぁ。

 

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2020年10月22日 (木)

ズボンの裾

 

 ズボンの裾の長さは男にとって永遠の課題、と喝破したファッション評論家がいます。

 まったくその通りで、シニア世代の人たちは総じて長く、いわゆるワンクッションどころではないですからね。ズボンの幅も太いと、ほとんど袴状態といっていい。しかしながら、これが2〜30年前のスタンダードだったのです。

 ところが、今の若い人たちの裾はくるぶしを見せるくらい短くなっています。短い靴下をはいているので、裸足で革靴というわけはないのですが、どうしてもそのように見えてしまう。夏場は「抜け感」があって涼しそうに感じられても、今のような冬場になると寒々しく見えないですかねぇ。 

 こういうスタイルはちょっと前まで「ビジネスではNG」とされてきたのですが、おっとどっこいで、大手町のビル街でも普通に見かけるようになりました。ついでに、上半身はネクタイ姿でも、下半身はデニムなんていうドレスダウンな格好も珍しくありません。 

 どんな服を着ようが、基本的には個人の自由であり、ルールや礼儀もどんどん変わっていくので、もはや「そんな格好をするもんじゃない」なんてことを誰も言えなくなってきたようです。

 ボク自身も「なんでもあり」でやってきましたが、無意識に流行に引きずられるのだけはイヤだなぁ。率直に言えば、中高年がトレンドを追いかけても痛々しく見えるだけです。そんなことよりも、横並びなんかもうやめて、自分だけの理念や哲学や世界観を確立するべきじゃないかな。そして、それは生き方にほかならないってことなんですよね。

 

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2020年10月21日 (水)

不公平感

 

 さすがのトランプ大統領も、2度目の選挙は苦戦しているようです。彼はトリックスター以上の何者でもないとボクは考えているのですが、大方の予想を裏切ってそんな男を大統領にしてしまった背景をもっと深掘りすべきではないでしょうか。

 というのも、ボクは1990年代末に遠隔学習の取材でアメリカに行った時に、「プアホワイト」という言葉を知ったからです。社会的に有利な立場にいたはずの白人が、固定資産税のかからないトレーラーハウスに住んで貧困に喘いでいる。食事も粗末な豆料理ばかり。けれども、アメリカは自助努力による自由競争が国是ですから、そんな境涯も自業自得のように見られてしまうわけですね。

 それが20年ほどを経て、必ずしも自分たちの努力不足で貧困に陥ったわけではなく、社会の仕組みそのものが不公平であると認識されるようになったのではないでしょうか。そもそも親にカネがなければ大学に行くことができず、低所得の労働に甘んじなければならない。子供世代にまでそれが連鎖していく。それだけならまだしも、カネ持ちや高学歴の黒人が多くなり、彼らにこき遣われる白人だって珍しくない。そんな鬱屈した不満のはけ口が、これまでの政治的な支配層には属さないトランプに向かったことは間違いないでしょう。

 だからトランプが明らかに追い込まれるようになると、ミリシア=民兵組織の蜂起という恐ろしい予想もできなくはありません。要するに、第2次世界大戦を経て生まれた学歴による新たな秩序が、封建社会と同じように階級を固定化しつつある。それに対する不満や不公平感を抑えてきたのが、実はマイノリティと黒人に対する苛烈な差別だったんじゃないかな。ところが、1960年代の公民権運動などを経て、その重石が取れてしまった。もはや「見下す」相手がどこにもいなくなり、いよいよ自分たちが最下層であることを認識せざるを得なくなったわけです。

 こうした状況は社会の制度自体を変えなければどうしようもないのですが、富裕層や中間所得層が自らの既得権を捨てるはずがない。となれば、トランプが選挙で敗北したところで、憤懣の火種が消えることはありません。フランス革命で封建貴族たちが首を切られたように、新たな階級闘争が始まるような気もします。これからアメリカは大荒れになっていくんじゃないかな。そんな不穏な行動まで輸入してほしくはないけど、衆知のように情報化社会ですから、羊のように従順な国民性の日本にも大きな影響を及ぼす可能性は否定できません。

 そうした不公平感を解消するためには、いつでもやり直しができる社会にするしかないとボクは考えています。それを担保するのが出入り自由な学校制度です。年齢を問わず無料で学ぶことができ、得た学位は等しく尊重される。それこそが本来の学歴社会のはずなのに、現実は18〜20歳時点で入学した大学の名前だけで評価されますからね。社会に階級が生まれてしまうのは、スタートラインが平等ではないからです。だったら、それを改善すればいい。こんな簡単なことがどうしてできないんだろうか。

 

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2020年10月20日 (火)

消費行動

 

 人間というのは本当に不思議な生き物ですよね。新型コロナが大きな問題となり、政府が緊急事態宣言を発令したのは4月7日。それが5月25日に解除されるまで、繁華街から人の気配が完全に消えてしまいました。

 銀座の百貨店や高級店も軒並み営業を自粛。昼間にもかかわらず、日本を代表する繁華街に冷たい風が吹き抜けていく無惨な光景を眼前にした時は、強烈な終末感を覚えました。SF的なディストピアが、映画ではなく現実としてそこにあったのです。

 ちなみにボクは5月18日に恵比寿から西新井に移転しました。何もこんな時期に、と誰でも思うでしょうが、予定を立てたのは2月頃。3~4月は引越しシーズンなので、それを避けたおかげで、たまたま緊急事態宣言にぶつかってしまったんですよね。

 その経緯はいずれご紹介するとして、現在では当時のことをすっかり忘れてしまったかのような活況を呈しております。ボクなんかは、底なしの不景気がやってくるのではないかと震撼していたのですが、第一波よりも多数の感染者を出しているにもかかわらず、繁華街はもちろん、GoToナンタラで観光地も大賑わい。次はGoTo商店街だそうです。

 まさに「喉元過ぎれば暑さを忘れる」ですけど、その気分は分からないわけではありません。つまり、皆さんはおカネを遣いたくてウズウズしていたんですよね。3月アタマからほぼ3か月にわたって、スーパーマーケットくらいしか営業していなかったので、消費行動がかつてないほど抑圧されてきました。「モノを買いたい」という欲求がどんどん発酵・醸成され、そこに定額給付金が導火線となって、とうとう爆発したといえそうです。

 もちろん、新型コロナのおかげで職を失ったり、収入が激減した人はそれどころじゃないはずです。これからもっと手厚いサポートが必要になり、そろそろ本気でベーシックインカムも検討すべきだと思いますが、やはり消費行動の強烈な反動ぶりには驚かざるを得ません。人間はモノを作らないではいらない生き物であると同時に、おカネを遣いたいという欲求を止めることはできないらしい。

 ボクはもちろんカネ持ちではありませんが、もしも仮に貯金通帳の数字が知らないうちにヒトケタ増えていたとしても、それがどうしたと思いませんか。様々な贅沢を想像させるファンタジーの源にはなり得ても、しょせん数字は数字そのものに過ぎません。実体としてのボリュームはまったく感じられないはずです。

 つまりおカネは、遣わなければ価値を生まないんですよね。今回の新型コロナ禍で、そのことを何となくにせよ、みんなが理解したような気がします。サスティナブルも大変に結構ですが、そうした消費欲求をコントロールしない限り、簡単に後戻りしてしまうんじゃないかな。状況はもはや自然科学や経済学のフェイズではなく、心理学に移行しつつあるとボクは痛感したのですが、いかがでしょうか。

 

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2020年10月19日 (月)

ネットの真実

 

 不動産に興味があるので、ネットの記事をいろいろ読んできましたが、本当のところはどうなんだろうという疑問ばかりが膨れあがります。 

 ごく単純に考えれば、新型コロナ禍でマンションなどの購入意欲は激減。それに対応して価格も下がるはずですが、必ずしもそうはなっていないらしい。ひとつの理由としては、新築は資本力のある大手デベロッパーが高いシェアを占めているので、昔のようにダンピングして慌てて売り急ぐことがなくなったと分析されています。 低金利時代なので、ある程度は寝かせておいても資金負担は少ないのかもしれません。

 また、緊急事態宣言による自粛で我慢していた反動から、潜在的な購入希望者がここに来て一気に顕在化。それに対して新築マンションの供給は比較的少ないので、活況を呈しているなんていう解説もあります。それにつれて中古市場も活発化しているらしい。何のことはない、東京オリンピック以降は冷え込むと見込まれていた不動産市場が、新型コロナのおかげで逆に買い急ぎを促しているとも考えられるわけです。 

 その一方で、住宅ローンが払えず銀行から競売を迫られるケースが急増という記事もあるんだよな。そりゃそうです。厚労省の発表によれば、新型コロナによる今年の累計解雇者・雇い止め者数は9月末で6万人を突破しています。解雇されないまでも、給与を引き下げる会社だって珍しくないはずです。そうなったら、10万円の定額給付金なんて、ほとんど焼け石に水です。 

 こうした深刻な事情と、前述した景気の良さそうな解釈や情報が一緒くたになっているから、ネットは眉唾というか、にわかに信用できないんですよね。もちろん世間はそもそも一枚岩ではなく、不景気と好景気がモザイクのように織りなしています。その一部を捉えて、「針小棒大」と言いますが、些末な事実を大きく膨らませて語るのは難しくありません。高度な情報操作が行われている可能性もあるので、ネットから本当の情報を得ようとすれば、より高度なリテラシーが必要になってくるわけです。ま、いろいろあるのが世の中と言えばそうなんですけどね。

 ちなみにボクは、そんなリテラシーの持ち合わせはありません。唯一あるのは人生経験かな。いろいろ苦労だけはしましたからね。そこから普通に判断すれば、仮に不動産市場が好景気に見えても、それが長続きするはずがない。そもそも日本の人口はどんどん縮小しています。総務省統計局のデータによれば、全国平均の持ち家率は6割に達しているので、よほどの好景気にならない限り不動産需要が全国的に急拡大するなんてことは望めないはずです。 

 そんなわけで、普通の人が普通に考えれば、現下の不動産市場がいかに活況だとしても、その勢いが続くと考えるのは相当に無理があります。ということは、売れる時に売っておきたいという業界の意図が活況論を広めているとも考えられるわけです。ボク自身は、年末から年明けにかけて息切れするのではないかと見ています。その通りになるかどうかは神様ではないので分かりませんよ。 

 要するに、ネットの中の真実は、誰かが決めるのではなく、自分自身が判断するほかありません。その時の拠り所になるのは、常に変化するミクロな局面ではなくマクロな大状況だと思います。抜け駆け的に儲けたいのであれば、知る人がまだ少ない局所的な変化に注目すべきです。しかしながら、損や被害をできるだけ回避したいのであれば、大状況をきちんと踏まえておいたほうがいい。不動産であれば、買い手の家計環境と売り手の動向ということになるのかな。つまり需要と供給のバランスです。そこから考えれば、東京都心3区の不動産人気は依然として続くとしても、都内であるからといって値崩れの例外ではなくなるでしょう。実際に、山手線内にもかかわらず放置された空き家は少なくないといわれます。それが東京の未来図としたら、暗澹たる気分に陥ってしまいますけどね。 

「売上げはすべてを癒す」と喝破した経営者がいますが、経済が劇的に回復しない限りは、これから混乱と諍いと小競り合いと弱い者いじめが激化していくでしょうね。あおり運転はその予兆にほかならないと思います。心が抑圧されてこじれちゃってるんだよな。不動産市場なんかより、ボクはそっちのほうを深く憂慮するのであります。

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2020年10月16日 (金)

自由

 

 青春とは人生のある時期ではなく、心の持ち方を言う。こう書いたのはアメリカの詩人、サミュエル・ウルマンです。初めて知った時は何と美しい言葉かと思いましたが、現実には金と権力を持つ老人たちの合言葉になっているような気がします。

  若い人にはおよそ手の届かない地位と財力を持ったからこそ、心身ともに元気溌剌としていた頃の青春を憧憬するんじゃないかな。気持ちだけならともかく、シニアが若い人にこんなセリフを語り始めたら、「とっとと引退して俺たちに道を譲れよ」と心中で毒づかれるに決まっています。ボク自身もこれからの課題として意識しているのですが、ほどよく枯れていかないご老人は、自分自身を持てあますだけでなく、社会の邪魔者に近い存在になりかねません。どのように美しく格好良く引退するかが、日本のような超高齢社会の課題だと思うのであります。

 前置きが長くなりましたが、本題です。このウルマンに倣えば、自由とは以下のように表現できるのではないでしょうか。

 自由とは外的な状況を言うのでなく、心のありようを言う。

 自由といえば、反語である束縛や拘束、あるいは規制をすぐに思い浮かべますが、こうした外的あるいは社会的な状況を不自由だと感じるのは、心の中に自由を希求する気持ちが存在するからです。そして、誤解されがちなのですが、誰もが自由になりたいわけではありません。自ら進んで奴隷的に従属する人たちも少なくないのです。たとえばモリカケをもみ消した財務省の官僚が典型的じゃないですか。そこそこの権力があるくせに、いやだからこそヒラメのように上の意向を忖度してやまない。

 そうしなければカネや地位を失ってしまうと考えるだけでも、自由とはほど遠いところにいるとしか思えません。それだけに、こういう人ほど自由という言葉が大嫌いであり、何よりも憎悪するんですよね。「学問の自由? けっ、そんなもん現実には存在しないんだよ」とか何とか、自分自身の不自由と一緒に自由という概念まで抹殺しようとする。

 しかしながら、たとえ牢獄につながれても心の中を自由に保つことは可能です。手枷足枷で身体を拘束されても、頭の中は自由であり、知識と深い思惟さえあれば世界を、いや宇宙の果てまで飛び回ることも不可能ではありません。だからね、教養=リベラルアーツは「自由民の技芸」というより、自由になるための技芸であるとボクは解釈しているのです。

 自由を本当に束縛するものがあるとすれば、それは恐怖かもしれません。何かを失うだけでなく、疎外感が底なしの孤独に突き落としてしまう。自由というのはすっきり晴れた青空のように爽快なだけでなく、時が経つにれて不安と空虚感が立ちのぼってきますからね。何をするのも自由ということは、誰にも頼ることができないことと同義なのです。

 いずれにしても、誰もが自由を望むわけではないからこそ、不自由があり得る。逆にいえば、不自由を望む人たちが自由を殺し続けてきたのです。不自由に甘んじるのは個人の勝手でも、他人の自由まで侵害してはいけない。某大勲位に対する「弔意の表明」も、わざわざ「強制を伴うものではない」と付け加えるのであれば、そもそも通知なんかしなきゃいいじゃないか。忖度を強制する卑劣な支配はいい加減にやめろよ。おかげで自死した役人だっているんだぜ。

 かくのごとく、まさに真綿で首を絞められるかのように自由が制限されつつあります。これを看過しちゃっていいのかなぁ。かつても同じ道を辿り、結局は大政翼賛会を経て悲惨な太平洋戦争に突入したんですぜ。

 

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2020年10月15日 (木)

何も変わらない

 

 繰り返すようですが、ボクは日本学術会議がどんな団体なのか、まるきり知りません。しかしながら、この会議が選出した6名の学者の任命を拒否することと、団体としての活動見直しなどが、まったく違う次元の話であることくらいは分かります。 

 要するに「6人の学者の任命拒否の理由を教えて欲しい」という至極まっとうな要求に一切答えることなく、千人会議だの中国への協力とか何とか、論議が違うところで浮遊しまくっているんだよな。 フェイクな情報も飛び交っているしね。

 日本の学者の皆さんは、よくもまぁこんな理不尽を許しているものです。10月13日に、任命拒否に反対する14万人の署名が内閣府に提出されたらしいけど、国内の学者の数ってそんな程度なのかな。おそらく、これから似たような暴虐や無理難題が次から次へとやってくるはずです。その時に後悔したって遅いんですから、みんなが立ち上がって食い止めるべきじゃないかな。それとも「沈黙は金」なのでしょうか。

 もうひとつ。3月から5月あたりまで、あれほど流行したオンラインミーティングが、ボクのところだけかもしれませんが、近頃はさっぱりです。そりゃまあ、パソコンのディスプレイより実際に面談したほうがいろいろなことが分かるのですが、それにしてもZoomなどの使用頻度が激減しているんじゃないかな。とても便利なシステムなんですけどね

 前述の政府のゴリ押しも含めて、新型コロナを経験しても、世の中はなーんにも変わっていないように見えます。ボクは再び深く絶望してしまうのでありますよ。

 

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2020年10月14日 (水)

美しい食べ方

 

 夕方の5時頃から6時過ぎくらいまで、テレビでは食べ物の話題が花盛りになるようです。夕食の参考にしようとする主婦が多く、視聴率を稼げる話題だからでしょうか。

 確かに毎日毎日、献立を考えるのは大変ですからね。秋の名物があれば「あ、今晩はあれにしよう!」なんて思うことも十分にあり得るはずです。ただし、食レポというのか、タレントの食べ方や解説が最悪なのです。そもそも食事というのは、動物であれ植物であれ、生命を食べることにほかならないので、野蛮な営みであるということをどれだけ理解しているんだろうか。にもかかわらず、大口をあけてムシャムシャなんていうのは、太古の昔に戻るのと同じですから、営々と築いてきた食文化もへったくれもないじゃないか。 

 とりわけ握り寿司に至っては、このブログで何度も触れましたが、今もって平気でご飯のほうに醤油をつけて食べている人が少なくありません。ネタのほうに醤油をつけなきゃしょっぱくて仕方ないだろうと思うのですが、ディレクターなどが注意しないということは、テレビ局のおエライさんも同じように不細工な食べ方をしているのかな。高級店では煮きり醤油を刷毛でまぶしてくれますけどね。さらに、醤油をつけたネタのほうを舌の上に載せるのが旨い食べ方なのです。これができていない人もすごく目立つんだよな。では寿司をどうやってひっくり返すのか。それくらいは自分で勉強しようぜ。

 ところが、ネタが大きいと、このようには食べられず、どのように工夫しても口の端からこぼれまくって、実に不格好なことになります。昔はこういう寿司は「お女郎寿司」と呼び、下品だと考えられていました。近頃は逆にネタが大きいほうが褒められたりするので、それに迎合して寿司店も頑張ったりする。もはや世も末ですな。ネタがでかい「お女郎寿司」を上手に食べられるという人がいたら、ぜひ見て見たいものです。 

 というわけで、もうそろそろ分かっていただけたかと思うのですが、綺麗な食べ方の基本は、口の中にいれるものを小さくするってことなのです。逆にいえば大きなものにかぶりついたりしないこと。それだけでも上品に見えるので、是非やってみてください。こうした理由から、ボクは大食い選手権が大っ嫌いです。スポーツ感覚と豪語するプロの選手もいるらしいですが、スポーツはもっと美しいですよ。少なくとも生命をそんな粗末に扱ってはいけない。生けとし生きるものを口の中にいれて自分のエネルギーにするのですから、畏敬や感謝がなきゃウソでしょう。 

 そうした気持ちも込めて、大口をあけないことを心がければ、格好良く気品ある食事ができると思いますよ。

 

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2020年10月13日 (火)

あざとい

 

 このところ批判や悪口が目立つような気がするので、簡単に終わりますね。 

 目下、渋谷は100年に1度ともいわれる大規模な再開発が進んでいます。ボクには新しいビルがどんどん建つだけで、中のテナントなどにまったく新味を感じないのですが、それはそれとしておいておきましょう。 

 問題なのは「渋谷横丁」なんだよね。調べてみると、恵比寿の有名なナンパスポット「恵比寿横丁」を手がけた会社が運営しているらしい。「恵比寿横丁」は女性なら入店後1分以内に確実にお誘いを受ける飲み屋街であり、ボクの知人の歯科衛生士は「メチャうざいのですぐに外に出た」と言っておりました。 

 つまり、この「恵比寿横丁」をちょっと広く長くしただけで、まるきり完全コピーなのです。この姿勢は、ちょっとあざと過ぎるんじゃないかな。「横丁」というのは雑然とした界隈性が魅力なわけです。それを渋谷的にアレンジするならともかく、飲食系のメニューに関しても、ボクにとって興味を惹くものは何もありません。 

 要するに、「こんな風な仕立てにしておけば、テッパンで若い人たちが集まりますぜ」という魂胆がスカスカに透けて見えるんだよな。客を舐めんなよ、とボクは言いたい。こんな横丁がもしも長く繁盛したら、もはや若者たちのセンスに期待はできません。

 まぁね、そんな気配は以前からあったけど、マーケティングに踊らされるのがそんなに気持ちいいのかな?

 

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2020年10月12日 (月)

恩知らず

 

 人間というのは、つくづく恩知らずな生き物であるよな、と思います。

 いくら他人に酒を奢ったところで、翌朝まで覚えている奴がどれだけいることか。飲んでしまえば、誰のカネだろうが胃袋の中で一緒くたですからね。区別なんかつけられるはずがない。自慢じゃありませんが、これまでに奢ったカネを合算したら郊外のマンション1戸分、いやさすがにこれは大げさに過ぎますが、頭金と数年分のローン返済額には匹敵するのではないでしょうか。 

 なんてことを計算するだけでもケチくさくて潔くありません。それに加えてボク自身も人徳があるとは到底いえない人柄ですから、飲んだ後は、恩、つまり心の貸借関係が雲散霧消してしまうのは無理ないですよね。それに比べて教員はいいなぁ。給料というカタチでカネを貰った上に「我が師の恩」ですぜ。酒を飲んで得られるのは一時の楽しさだけであり、後悔と恥くらいしか残らないから当然ですよね。あ、現在では会食や会飲(?)で新型コロナに感染することもあるので要注意です。奢られた酒食の場で感染したら、恩や感謝どころか、恨みすら感じるんじゃないかな。

 さて、10万円です。はぁ? 何のことかと訝る人もいるはずですよね。今年5月頃に配られた特別給付金のことです。これでようやく思い出したという人が少なくないんじゃないかな。ほとんどの人は、応募または請求するときには熱心でも、銀行口座に振り込まれた瞬間から忘却が始まります。それどころか、いったい何に使ったのか思い出せない人が大多数でしょう。カネにラベルはついていないので、こちらも胃袋の中に入った酒と同じで一緒くたですもんね。 

 しかしながら、この定額給付金の総事業費は約13兆円にものぼります。もの凄い金額が国庫から支出されたにもかかわらず、自民党に恩義を感じている人がどれだけいるかなぁ。いえ、いなくていいんですよ。もしいたとしたら、1票10万円で買収したことになるので、むしろ大変な選挙違反ではありませんか。ごく小規模で似たようなことをやってきた気配はありますけどね。

 というわけで、ボクたちは等しく甚だしく恩知らずであるよなぁと痛感しているのであります。会社経営には貸借対照表がつきものですが、前述したように、受けた恩や与えた恩も心の貸し借りであると考えて、たまには決算してみてください。貸した恩は決して忘れないのに、借りた恩はなかなか思い出せないことに気づくはずです。恩返しをしようと思っても、相手が亡くなっていたりして、その機会がもはやないこともあるでしょう。

 だからね、もしも受けた恩を少しでも思い出すことがあったなら、できる相手にそれを返すべきじゃないかな。会社なら部下や若い人たち、あるいは寄付というカタチもいいじゃないですか。それによって志というか、暖かくて優しい気持ちをリレーしていく。それが助け合いってことになるわけです。奇しくも新首相は「自助、共助、公助」を掲げているようですが、政府が関与できるのは「公助」だけですから、早くも責任逃れと批判されております。こんな政府なんかアテにせず、ボクたちは自助と共助に励みましょうぜ。

 いずれにしても、カネにはケチでも心まで貧しくなったら、生きている価値はありません。というわけで「人生は奢り奢られ、感謝を忘れず」というのがボクのオリジナル格言なのであります。ご参考までに。

 

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2020年10月 9日 (金)

バランス

 

 今回の新型コロナ禍は大変な事態ではあるけど、これまでの生活の無理や無駄を炙り出したような気がします。 

 たとえば終電を早める問題にしても、夜中過ぎまで電車を走らせておく必要が本当にあったのでしょうか。ちょっとばかり繰り上げたからといって、居酒屋さんなどの売上げに影響するという論理も何だかおかしい。

 そんなに夜遅くまでみんなが残業しているというなら、こりゃもう過重労働ですよ。1か月あたり45時間を超える残業は労働基準法違反となります。週休2日なら月間の出勤日は約22日となり、1日あたりの残業時間は平均で2時間程度が限度。5時が退社時間とすれば毎日残業があっても7時には会社を出られます。よしんば1日に残業が5時間あったとすれば、その分だけ他の日は定時退社できるじゃないですか。いずれにしても、退社後に飲みに行く時間は十分にあります。 

 にもかかわらず、深夜の終電がどうしても必要というなら、タイムカード打刻後のサービス残業や隠れ残業といった長時間労働の改善を優先すべきです。もちろん業種業態によっては仕事の始まりが極端に遅いケースもないわけではありませんが、ボクの体験から率直に言わせていただければ、飲み始めて2軒目3軒目と流れていくことが少なくありませんでした。そんなグダグダ飲みのヨッパライのために電車を遅くまで動かしておくのは、鉄道員の皆さんにとって大いなる迷惑というべきでしょう。

 コンビニも同様で、24時間営業が本当に必要とはどうしても思えません。だってさ、昔はそんな店がなくても十分に生活できましたからね。けれども、他店が24時間営業を始めれば負けるわけにはいかない。 

 そうした加速度的な利便性の追求が現代のサービス業のテーゼとなっていたのですが、新型コロナ禍のおかげで、ようやくスローダウンすることができたんじゃないかな。

 企業経営も同じで、利益の最大化を追究するあまりに、綱渡り的なギリギリのバランスで業務を続けてきたように思います。ごく簡単にいえば、より働き、より売り上げることで多額の利益を得て、そのカネをどんどん使うってことです。このビジネスモデルが、新型コロナで壊れてしまった。そして、元に戻る気配もまったくありません。だからこそ銀行は週休3日制あるいは4日制を導入しようとしているわけです。給与もそれなりに減少するので、副業も解禁されていますが、これはもう働き方改革のレベルではなく、ビジネスモデルとライフスタイルの革命的な変化と見なすべきでしょう。

  これまでは目標レベルを上限近くにセットして必死に頑張ってきましたが、これからは無理のないレベルでビジネスを回そうということです。それでは発展が望めないと言われそうですけど、そうした発展や拡張、増加・増大を無際限に目指す姿勢こそがサスティナブルに反するということが、ようやく分かりかけてきたんですよね。そんなことを続けていたら、いずれ持続できなくなり、新型コロナがなくても破綻していたのではないか。

 だから、もっと休んでいいのです。もっと楽に仕事をしようよ。それで収入が少なくなるというなら、生活の無駄をなくそうじゃないですか。どうしてもカネが足りないというなら副業を持てばいい。そのための能力を若いうちから身に付けておくことも必要となります。今さら遅いという人は、厳しい言い方をすれば、それまで会社という組織にぶら下がるだけだったといえるでしょう。

 すべてはバランスなんですよね。ビジネスや生活のバランスをひと回り小さくすれば、その分だけみんなが楽になります。これまでは逆で、ひと回りもふた回りも大きくしようとする拡大再生産に血道を上げていたということになります。豊かさも結構ですが、その臨界点を超えたら疲労するばかりですよ。

 新型コロナは大変に不幸な災厄というほかありませんが、ボクたちの社会を見直す機会を与えてくれました。少なくともそのように認識しなければ、亡くなった沢山の人たちに申し訳ないじゃないですか。

 

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2020年10月 8日 (木)

せこましい

 

 誰から聞いたのか、あるいはボク自身の造語だったか忘れてしまいましたが、「せこい」と「いじましい」「あさましい」を一緒にした「せこましい」という言葉があります。あります、といってもテレビで聞いた記憶はまったくなく、仲間うちの会話でも使われないので、やはりボクだけの妄想的な造語なのかもしれません。

 いずれにしても、近頃の風潮にぴったりの言葉だと思うんだけどな。とりわけGoToナンタラに群がり、地域共通クーポンもアテにするだけでなく、「トリキの錬金術」も話題になりました。これは居酒屋チェーンの鳥貴族にGoToEatを利用して300円程度の1品を注文。それによって1000円分のポイントを得るので、差し引き700円程度の儲けになるというものです。グループの限度である10人で10回同じことを繰り返せば合計で何と7万円の純利益。そんなわけで「トリキの錬金術」だの「鳥貴族マラソン」としてSNSで紹介されていたらしい。「弁護士ドットコム」というサイトによれば、農林水産省のGoToEatキャンペーン事務局では、こんなやり方でも「理論上、問題ない」と回答したというのですから驚きます。このポイントに費されるのは紛れもなく税金ですぜ。まともな利用者がバカを見るようなことを容認する施策があっていいのでしょうか。

 さすがに見かねたのか、昨日に加藤官房長官は制度の見直しもあり得ることを示唆。続いて鳥貴族もポイント付与の対象を1000円以上のコースに変更したそうです。かくて「トリキの錬金術」は終了したと報道されていますが、近頃はこういう抜け穴を見つけるこすっからい連中が跋扈しているような気がします。システムや制度の脆弱な部分を探しまくって、すかさず自分だけトクをする。マスクの買い占めもそうでしたよね。現実を肌身で知らない政治家が増え、行政官僚もエリート街道まっしぐらの優等生ばかりなので、抜け穴を見逃した政策を作ってしまうんじゃないかな。

 こういう「せこましい」ことはやめようよ、といっても皆さんやめるはずがありません。なぜなら、安倍政権では寄生虫のようにぶら下がるお仲間たちに利権を付与してきたからです。その典型が「モリカケ問題」であり、役人が自殺したにもかかわらず、関係書類ごと闇に葬られました。お上がそうなら、下々だって負けてはいません。特殊詐欺は横行し、フィッシングも大賑わい。法律やルールがどうあれ、倫理も道徳もかなぐり捨てて、とにかく儲けた奴が勝ちなのでありますよ。

 以前に、ある会社の部長職の人から水増しの架空請求書を依頼されたことがあります。そのかわりにキックバックをよこせという。清廉潔白で倫理も道徳も大切にするボクは(自称)もちろん断りました。それによって彼の機嫌を損ねて仕事を失ったところで、やってもいない仕事の請求書なんて出したくない。それにしても、どういう会社なんだろうと思っていたら、経営が相当に悪化しており、沈没する船からネズミが逃げ出すように、退職者が続出する状況だったようです。どうせ破綻する会社なんだから、ちょっとばかり儲けて何が悪いという理屈なのでしょうか。

 これはあくまでも一例であり、世の中には「せこましい」ことは少なくありません。けれども、真似をしてズブリと浸かれば、その汚れは一生取れないと覚悟したほうがいい。世の中がどうあれ、生きるのは自分自身ですから、自分が守るべき基準は自分が作って遵守していくほかないのです。目先のトクばかりを追いかけると、逆に世間という魔物の奴隷になっちまうぜ。

 

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2020年10月 7日 (水)

依存症

 

 ボクの事務所の窓から、駅前の広い駐車場が見えます。その出口あたりに、飲み物の自動販売機と植栽に囲まれた喫煙場があるんですよね。通勤前に一服という人が多いらしく、朝が最も混雑しているのですが、それ以外の時間帯でも必ず数人は見かけます。完全に誰もいないのは午前2時~4時あたりまでの深夜ではないでしょうか。 

 ボクもかつてはヘビースモーカーだったので、煙草が欠かせない気持ちはよく分かります。昔の映画は紫煙まみれといっていいほど喫煙シーンが登場しますが、やがてニコチンなどの害が広く訴えられるようになりました。本人の健康を阻害するだけなら自己責任ですが、周囲の人たちにも副流煙で悪影響を及ぼすことが指摘されると、公共施設では完全禁煙。企業もそれに追随して、どんどん喫煙者は肩身の狭いところに追いやられるようになりました。シカゴのオヘア空港で喫煙場所を探し歩いたことがありますが、全米でも屈指の規模なのでヘトヘトになったことがあります。結局、空港の外に出ないとダメだったんですよね。 

 こんな時代でも、まだ煙草をやめられない人たちが少なくないことが、この喫煙場を見ているとよく分かります。禁煙に対する反対論はいろいろありますが、やめたボクに言わせれば、すべては依存症の合理化に過ぎないと思います。やめられないから、やめなくていい理屈をほじくり出して主張する。煙害はとっくに医学的に実証されているので、今度は個人の自由を持ち出すなど、様々な論理を駆使しても、禁煙の大勢を止めることはできませんでした。 

 そりゃそうです。ボクも煙草をやめてからつくづく分かったのですが、ニコチンの依存力は極めて高いんですよね。身体への害なんかより、この依存性が大問題なのです。煙草をすうのでなく、すわされてきたといっても過言ではありません。アルコールは継続的で過度な飲酒が依存症を引き起こしますが、煙草のほうはすぐに習慣化します。こんなにも凶悪な依存力を持つものを、日本専売公社というレッキとした国の機関が製造販売を続けてきたことに改めて驚かされます。 

 「やめられない、止まらない」という菓子のキャッチフレーズがありますが、何のことはない、喫煙者は国家によって依存症にさせられたといっても過言ではありません。それによって多額の税金を吸い上げ、繁栄の礎にしたという指摘もあります。

 それに気づいたボクは、ある日の午後、指にはさんで火を付けようとした煙草をゴミ箱に捨てました。半分以上残っていたパッケージもグシャグシャにしてゴミ箱へ。それから10年ほどが経過しますが、今でも煙草を口にする夢を見ます。ボクの脳はまだまだニコチンの悪夢を消すことができないのです。こんな危険なモノを販売してカネ儲けを続けてきた国は何らかのカタチで責任を負うべきなのに、そんな気配は微塵もなく、裁判でも負けていません。民営化は責任回避ともいえるでしょう。 

 別にボクは国家と対峙しようなんて大それたことを考えているわけではありません。しかしながら、個人を束縛しようとする動きには抵抗したい。煙草というのは、身体の内側から中毒にすることで人間を支配すると考えれば、これほど恐ろしい嗜好品はほかに見当たりません。だからね、すぐにでも煙草はやめたほうがいい。にもかかわらず「今日も元気だ、煙草がうまい」ですもんね。 

 自由意思に見せかけた依存症という仕掛けは、実は煙草以外にもいろいろとあります。それに気づくことが、現代的な「奴隷制度」や「封建制」からの脱却の始まりだと思うのですが、大げさに過ぎるでしょうか。

  

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2020年10月 6日 (火)

あさましい

 

 本日は早朝から撮影の立ち会いがあることを失念しておりました。

 よって、ブログもそそくさと終わりにしますが、GoToナンタラに我先に群がるのは、ちょっとあさましくないかなぁ。もともとボクは政府の策略に踊らされるのは大嫌いなので、テレビ局のインタビューなどで「高級ホテルに安く泊まれる絶好の機会なので」などと、いかにもトクしたことを嬉々として語る夫婦が出たりすると、実にまったく不愉快になるのです。

 いえね、経済を活性化することに異存はありません。ディスカウントもクーポンも需要刺激の方法として有効でしょうね。そのために巨額の税金を使うことも、まぁまぁ仕方ないことではあります。さもなきゃ温泉街はゴーストタウンになり、宿やホテルも閑古鳥が鳴いて倒産も必至です。でもね、観光客のほうはみんなが収めた税金でトクするのですから、そこには含羞がなきゃいけない。ホリエモンは「俺だって税金を納めている」と豪語したそうですが、国民全員が割引やらクーポンを使えるわけではないことを忘れてないかな。新型コロナによる大不況で倒産や失職、雇い留めで苦境に陥っている人もいるんですからね。そんな人たちがGoToだからといってホイホイと旅行したり、モノを買ったりできると思いますか。

 そんな状況を知ってか知らずか、すかさずGoToを利用したことを、いかにも頭良さげに自慢されると、こちらは赤面してしまいます。要するに、はしっこくて小狡いだけじゃないかと反発したくなるのであります。

 わずか数秒をトクするために、あるいは前にいる奴を1人でも追い抜きたいために、エスカレータをドカドカと急ぎ足で昇り降りする連中とよく似ていないかな。ボクのようにベルトを掴んで立ち止まっている人間に及ぼす危険性を、まるで意識していないことが問題なのです。

 何をしようがトクした者が勝ちで、損する奴はバカ。安倍さんの頃から、そんな風潮がどんどん強まってきたような気がするんだよな。世の中が生きにくい理由は、為政者の側だけにあるのでなく、普通の人間たちのエゴ=我欲にほかならなりません。そんな禍々しいものを刺激するのが果たして経済対策なんだろうか。

 

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2020年10月 5日 (月)

衣の下から鎧が

 

 何だか明智光秀的な小者感が漂う新首相だなと思っていたら、早速やってくれました。

 日本学術会議が推薦した新会員候補6人の任命を、菅首相が拒否したそうです。しかも、その理由の説明は一切なし。10月1日に行われた記者会見で加藤勝信官房長官は、「首相の下の行政機関である学術会議において、政府が責任を持って(人事を)行うのは当然」と述べたそうです(東京新聞)。そんなもん理由にも何にもなっていませんよね。

 日本学術会議は「行政、産業及び国民生活に科学を反映、浸透させることを目的として、昭和24年(1949年)1月、内閣総理大臣の所轄の下、政府から独立して職務を行う『特別な機関』として設立」されたそうです(日本学術会議HPより)。前首相の安倍さんが大好きだった諮問会議が一定期間だけのテンポラリーとしたら、こちらはレギュラーとして継続的に政策提言などを行う機関のようです。

 とはいっても、具体的にどんなことをやってきたのか、ボクはまるで知りません。しかしながら、「政府から独立して職務を行う」と規定された組織の推薦メンバーを、政府の代表である首相自らが拒否していいのでしょうか。問題になった6人の新会員候補は、報道によれば政府が目指す方向に反対しそうな識見を持つ、あるいはそれに類した研究をしていた学者のようです。だからダメというなら、いよいよ安倍さんの諮問会議と同じになってしまうじゃないですか。 

 ボクだって理想に燃えた若人ではもはやないので、「学の独立」と言ったところで、権力におもねる御用学者が至るところに棲息していることは分かっています。けれども、そのタテマエだけでも維持しなければ、これまで指摘してきた戦前の大政翼賛会と変わらなくなってしまう。それ以前に、政府の政策に反対しそうだからといって会員任命を拒否するなら、ほかの会員はすべて従順な御用学者という逆証明になるじゃないですか。そんな不名誉な評価を受けて我慢できるのかなぁ。

 だから政府は理由の開示を避けたんだろうけど、そんなもん意図はバレバレですよ。こんな横槍というか暴挙に対して、学者の皆さんは一致団結して立ち上がらなくてもいいのでしょうか。アメリカではトランプ政権や黒人やマイノリティ差別に公然と反対する芸能人やアーティストは珍しくないので、こんな不当な圧力を日本の学者が黙って見て見ぬフリをするなら、弱虫で卑怯者ばかりだと誹られかねないと思うぞ。 

 日本には「衣の下から鎧が見える」というみごとな言葉があります。鎧姿で武装した平清盛が、息子の重盛に気づかれないように着物で隠したという故事が原典らしい。こんな説明抜きでも、意味的にはぴったしカンカン。下三白眼で笑みを感じさせない人相が、いよいよ不気味さを発揮しつつあるように感じます。だーからさ、首相くらいは国民が直接選挙で選ぼうよと、ボクは言い継げてきたわけですな。

 これから日本がどうなっても皆さんの自業自得。ボクはいっさい知りまっしぇーん。武田鉄矢の真似なんだけど、ちょっと古いかな。

 

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2020年10月 2日 (金)

プランC

 

 他人任せの投資信託を除いて、ボクは株取引なんて一切したことがありません。投資信託にしても、バブル前夜の1989年頃に営業マンが飛び込みでやってきたので、ほんの少しばかりの金額をお願いしただけです。それも90年代に入ると半分くらいに値下がりしちゃいましたけどね。

 そんなボクでも、昨日の東証のシステムダウンは大変なトラブルであることは分かります。取引が電子化されたおかげでデイトレードが活発になったほか、予めプログラムされた自動取引も常識化しているので、目論見が外れたり、得られるはずだった利益を失った人たちもいるでしょうね。

  しかしながら、世の中は約束や予定通りにいかないこのほうが多いんじゃないかな。とりわけ鉄道なんて、人身事故やら架線に車両などの故障による遅延や運行停止はザラにあります。航空機ともなればなおさらで、ボクは3時間から6時間、ほぼ半日なんていう空港待機だって経験しましたからね。おかげで、何事もうまくいったら儲けもの、何か起きるのが当たり前という考え方に慣れてきました。それにしても腹が立つし、イライラや怒りも感じますが、以前にこのブログで書いたように「プランA」だけでなく、「プランB」も想定するようになったのです。

  証券取引所のシステムダウンに「プランB」があり得るかと問われたら、そんなの分からないと答えるほかないのですが、機械が動かなきゃ仕方ありません。ヒマができたので、これまでの投資戦略を見直すとか、すべての新聞や業界紙などを丹念に読み直して新たな知見を得るとか、いろいろやることがあると思うんだよね。

 要するに「プランA」だけでなく、常に「プランB」を用意しておけば、慌てずに、心を乱されることなく過ごせるということなのです。でね、今回は念のために「プランC」まで準備しておくこともオススメします。これなら盤石ではありませんか。

 ところが、面白いことに、というと語弊もありますが、誰の人生も必ず終わりが来るということだけは絶対的に確実です。つまり「プランA」だけがあって、「プランB」はあり得ない。そのかわりに、いつ終わり=死がやってくるのかは予測できません。少しばかり財産があると、それを消費するタイミングに悩むでしょうね。使い切れずに亡くなったら、俺の人生って何だったんだと後悔するかもしれません。大金持ちなら余裕があるだろうけど。

  そこで「遺言」を作っておくのが、現実的な「プランB」ってことになるのかな。もし死んだらと考えることが「プランB」にほかならないのです。そう考えると、生きているうちにやりたいことはいろいろとあります。それをまとめた「バケットリスト」(ネットで調べてね)が「プランC」にあたるんじゃないかな。何よりも自分の楽しみは遠慮することなく追究したい。美味しいモノも最初に食べておかないと、何かあったら後悔しますぜ。

  人生も予定通りにいかないからこそ、日々を大切に生きることが大切ってことになるわけです。そんな我欲はすっかり捨てて、薄らぼんやり淡々と過ごすこともひとつの方法ではありますけどね。

 

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2020年10月 1日 (木)

捨てる生活

 

 これまでは特に疑問に感じなかったのですが、転居してから気づくようになりました。1週間に2回から3回、ゴミ袋を階下の保管場所に捨てているんですよね。これを定期的に管理人さんが路上に積み上げ、朝方にやってくる収集車が運んでいきます。 

 人間は肉や魚、それに野菜などを食べて、養分を吸収したら排泄します。これを生物学的には「代謝」と言うようですが、生活もそれと同じように、外部から何かを運んできては捨てるという繰り返しが日常となっています。ヒマならまぁいいとしても、仕事が忙しくなると、このゴミ捨てがひどく面倒に感じるんですよね。そして、こんなにもゴミを出す生活は果たしてサスティナブル、すなわち持続可能なのだろうかと思惟するようになるわけです。

 こんなことはとっくに誰かが気づいており、ゴミをなくすべきだという論調は定期的に持ち上がります。しかしながら、ちっとも減っていないんだよな。ゴミ袋の中身を見直してみると、大半は生ゴミですが、紙や発泡スチロールなどのパッケージも少なくありません。ビニール袋による環境汚染が問題になったおかげで、ボクですらエコバッグを持ってスーパーに行くようになりましたが、おっとどっこいで、台所のシンクのコーナーで使う網の中の生ゴミを捨てる時などに、取り置きしたビニール袋を使うので、完全になくすことはできないんですよね。 

 ただし、こんなのは微々たることでありまして、要するに食品などの買い物を「消化」し切れていないことが最も大きな問題なんでしょうね。買ってきた食品をすべて吸収できれば、後はトイレで排泄するだけですから、生ゴミは激減します。しかし、そのためには入念に調理する時間が必要。ボクのようにほとんど調理しないで総菜に頼っていると、パッケージも多くなるのでゴミから逃れることができません。 

 でもねぇ、一言に調理といっても、ものすごく負担なんだよな。毎日食べるメニューを考えるだけでも大変ですからね。ちょっと前に「冷やし中華でいいや」と言った旦那に、茹でたソバの上にキュウリやゆで卵などをそのままゴロンと載せて出した奥さんが話題になっていましたが、その気持ちは良く分ります。「だったらお前が作れよ」とでも言いたかったんでしょうね。 

 つまり、ゴミを出さない生活は理想としても、そのためには家庭内で手間をかけなきゃいけない。このジレンマを解決しない限りは、人間はゴミから解放されないのではないでしょうか。手間をかけなきゃゴミが出る。ゴミを抑制しようするなら、料理のメニューや調理に手間をかけなきゃいけない。みごとにトレードオフの関係になっています。

 問題が発見できれば、解決はそれほど難しくはありません。ボクは「先行きが憂慮される」なんていう生半可な結論は大嫌いなので、考えましたよ、画期的な方法を。

  それはね、食材をすべて強力なジューサーに放り込むってことです。これで完璧に粉砕すれば、生ゴミが出るはずがない。肉も魚も野菜も、およそ養分となりそうなものは、何でもジューサーで流動食に処理してしまう。どうです奥さん、これなら簡単でしょ。といっても、これでは人類が営々と築いてきた食文化の破壊に等しい。そんなものを毎日食べたいと思う人がいるはずないですよね。

 さて、この大きな問題をどう解決するか。思考訓練に役立つので、このテーマとしばらく格闘してみたいと思います。

 

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