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福助くん その6

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    福助くん、9歳の秋です。 ちょっと長めの散歩をして、世田谷公園へ。 紅葉と福助をご覧くださいまし。

福助くん その5

  • 赤いサルビア♪
    2010年秋の福助くん。とある週末に埼玉県所沢市にある航空公園に行ってきました!

福助くん その4

  • 1 毎年恒例の・・・
    今さらですが、今年の花見の福助くん。ご近所の目黒川に行ってきました。

福助くん その3

  • 1 田舎に行ってきました!
    飼い主の田舎に行ってきた福助。うららかな春を迎えた大自然のなかで、いつもと違った表情に。

福助くん その2

  • 定位置
    平日は会社にいる福助。こんな感じの毎日です。

福助くん その1

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    笠木の飼い犬。甘えん坊でちゃっかり屋の8歳。雄。

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2020年11月

2020年11月30日 (月)

騒ぐな!

 

 皆さん実感されているはずですが、「マスク会食」はかなり無理がありますよね。飲食する時はマスクを外し、会話になったらマスクを着けるなんて小器用なマネを、言い出しっぺの菅さんたちはホントにやっているのかな。ボクもトライはしてみましたが、ついつい忘れるだけでなく、複数のマスクが必要でした。内側が食べ物で汚れて気持ち悪くなるからです。

 そんな人間性に反することや、「5つの小」なんていうそれこそ小賢しいことを指示するよりも、大声で騒ぐことだけを強権で禁止すべきじゃないかなぁ。

 昨日もね、行きつけのライブハウスで、いたのでありますよ、元気の良い若者たちが。事前の消毒や検温はもとより、テーブルにはアクリルの遮蔽板があるほか、セッションの後では必ず換気を行うなど、相当な注意を払っている店ですが、そんな努力を水の泡にしてしまうのは客のほうなんだよな。

 ライブハウスですから、さすがに最初のうちは静かにしていたのですが、「どうですアタシって綺麗でしょ」というオーラを出しまくる女の子を真ん中にして、次第に会話が盛り上がっていき、とうとうマスクなしで奇声や大声を上げるようになりました。終演近くにもなると、エントランスあたりでダンスまでするんだから始末におえません。もちろんマスクはテーブルの上に放置です。

 店員に再三注意されてはいたのですが、この「アタシって綺麗でしょオーラ」の女の子が、男たちを煽るカタチになるわけですよ。色気が抜けかかっているオッサンには事態が見え見えでありまして、この女の子にわらわらと群がり、生物的反応いや生物的欲求から「オレに注意を向けてね」と競うように目立ちたがるんだよな。しかも5人くらいのグループに、途中からもう1人の「アタシ綺麗でしょ」ネーちゃんを含めた3人組が合流。店員が配慮したのか、遠くの隔離した席に集められていましたが、何もジャズのライブハウスで騒ぐこたぁないだろ。渋谷あたりのロックの店でやれよ、まったく。これでクラスターでも発生したら、店は完全な被害者じゃないですか。

 こうして若い人たちから感染者が拡大し、やがて職場や家庭内に及べば、ハイリスクグループの高齢者も必然的に危険にさらされることになります。新型コロナはもはや誰もが共犯者になり得る「人災」にほかならないことを正しく意識しない限り、収束は望めないでしょうね。

 

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2020年11月27日 (金)

泥縄

 

 日本語には面白い表現が豊富にありますが、「泥縄」というのも実にユニークです。「泥棒を捕らえて(から拘束するための)縄をなう」という意味であり、「事が起こってから慌てて対策を立てたり準備をすること」とgoo国語辞書では説明しています。

 もうお分かりでしょうが、新型コロナに関する対策もまさに「泥縄」としか言いようがない。しかも、今回は第3波なんですよね。この国のリーダーは学習能力というものがないのでしょうか。さらに性懲りもなく国と自治体が責任を押しつけ合っています。GoToトラベルが感染拡大の火を付けたことは明らかなのに、菅首相は「今日までに4000万人が利用しているが陽性者は180人」と豪語。単純計算すれば感染率は0.00045%になるので、6%台の都内にいるよりトラベルに行った方が安全というワケの分からない言い訳をかましております。そのせいか東京はGoToから除外されていません。にもかかわらず都知事は「不要不急の外出は控えてください」と矛盾した指示を出しています。「泥縄」さえも裸足で逃げ出しそうな混迷ぶりじゃないですか。

 そういえば、仕事が終わりかけてから契約書を作るということもあったなあ。モノを買った後で値段を決めるなんていう商習慣は聞いたことがありません。そんな一方的なことができるのは、立場が非対称な取り引きだからです。仕事を依頼する側と受ける側は本来的に対等なはずなのに、カネの流れが上位と下位の意識を作ってしまう。口ではどんな立派な理屈を言おうが、その奥底には傲慢な差別意識が隠れているとしか思えません。建設関係で手抜きや杜撰な工事が今もってなくならないのも、下請けの連鎖が階級意識を生み出しているからじゃないかな。仕事に上下関係を持ち込むのはフェアではなく、それぞれの責任感を毀損することが分からないんでしょうね。

 いずれにしても、日本はもっと管理職教育を強化すべきだと思います。このブログで最初期から同じことを何度も何度も指摘してきましたが、個人としての業務能力と管理能力は別物なんですよね。。社内でナンバーワンの成績を挙げたからといって、課長や部長として優秀とは限らない。プロ野球でも「名選手必ずしも名監督にあらず」と言うじゃないですか。

 こんなことは説明し過ぎて疲れてしまったのでやめます。とにかく「懲りる」ということだけは覚えようよ。同じことを繰り返すのは自らの無能をさらす恥辱にほかなりません。せめてそれだけでもキモに命じて欲しいんだけど、無理だろうなぁ。

 

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2020年11月26日 (木)

『風は向かい風』

 

 目下のところのマイブームになってしまったのが、カンザスシティバンドです。メディアで売れているとは決して言えませんが、ライブは満員御礼の大盛況なんだよね。全国各地に熱狂的なファンがいるだけでなく、どうやら追っかけもいるらしい。

 ボクが聴く場所は、いわゆるジャズのライブハウスであり、このバンドも『セントジェームズ病院』などのスタンダードを演奏しますが、ボーカル&トランペットを担当するリーダーの下田卓さん自ら作詞作曲した歌になると、ものすごく盛り上がるんですよね。どの楽曲も、スイングやブルースというより、ほとんど昭和のフォークソングや歌謡曲の雰囲気。間奏は皆さんみごとにジャズしてますけどね。そんなレトロともいえそうな曲想と歌詞に、彼の渋く枯れた声が実に良く似合うんだよな。

 その中でも、とりわけ好きなのが『風は向かい風』です。風がみごとに重複していますが、歌だから許すとして、いつものように途中で解釈を入れるより、歌詞にざっと目を通すだけでも昭和の感覚が分かるんじゃないかな。YouTubeでも演奏がいろいろアップされていますが、このバンドの良さはデジタルの2次元ではどうにも伝わりにくい。まるっと人柄にもふれられるライブに参加することを強くオススメします。

風は向かい風 冷たい北風
自転車こぎ続ける 国道の夕暮れ
西の空に浮かぶ あの一番星は
遠いあの街でも 見えてるだろうか

悔いても 悔いても 悔やみきれない
いまはこの場所に 踏みとどまるだけ

お前に逢いたい お前に逢いたい

どうして夕陽は こんなにも切ない
負けてたまるか 死んでたまるか
自転車こぎ続ける 国道の夕暮れ

人と車が行き交う交差点
どこで行く道を間違えたのだろうか

お前に逢いたい お前に逢いたい

甘ったれたバカが 今ごろ泣いている
風は向かい風 冷たい北風
自転車こぎ続ける 国道の夕暮れ

 ほらね、いい感じでしょ。これを自然に、まったく気負うことなく、自分のことのように歌い上げていく。もがきながら懸命に生きてきた男なら、失った恋や取り返しのつかない後悔のひとつやふたつあって当然です。だから今度こそ「負けてたまるか、死んでたまるか」と踏みとどまろうとする。

 このように書くだけでも、ちょいとウルっときてしまうんだよな。吹きつのる冷たい北風を真正面から受け止めながら、必死で自転車をこぎ続ける。そんなバカみたいな意地を張るのが、昭和という時代だったような気がするのです。

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2020年11月25日 (水)

人柄と能力

 

 あまりにも品のない言い方ですが、男の下半身に人格はないといわれます。これをうまく飼い慣らす奴もいないわけではありません。ボクにはとてもできないのですが、お誘いがあってもギリギリの段階で踏みとどまることができる。羨ましいなぁ。ボクにはそれができなくてね。そのほうが波乱万丈で面白くはあっても、当人はハラハラのドキドキでトラウマもどきの経験だってあります。真面目で神経質なくせに、足を踏み外すような方向にばかり行きたがるのは、親父の遺伝なのかな。 

 また横道にそれてしまいましたが、テーマは人柄と能力です。かくのごとく、人柄と能力は相関関係にありません。まったく別々といってもいい。ところがね、この2つが出世や成功に大きくかかわってくるのです。トランプ元大統領のようにジャイアンさながらの強引&暴虐な人柄で、能力的にもいささか問題があっても、アメリカ国民の頂点に立つことができましたが、我らが日本ではそうはいきません。

 日産のカルロス・ゴーンが社内の腹心に後ろから刺されたように(あくまでも比喩です)、唯我独尊の独裁者が成功したためしがありません。織田信長もそうですよね。平清盛は謎の高熱だったようですが、病気にならなければ裏切られて暗殺されていたんじゃないかな。

 えーと、そんなわけで、日本で出世したり成功を続けていくためには、高い能力はあくまでも必要条件であって、円満な人格が揃って初めて必要十分条件を満たすわけです。こうした人格または性格は、時に「調整型」と呼ばれることもあります。様々な人たちの立場や利害に目配りを欠かさず、その存在を脅かすような決定を下さないからですが、おかげで改革や革新にはほど遠い。逆にいえば、リスク回避型とも表現できます。

 もうそろそろお分かりかと思いますが、1990年代初頭のバブル崩壊このかた日本が低迷を続けたのも、こうした人たちが君臨してきたからです。何かを変えようという急進派のほとんどは左遷あるいは退けられ、孤立を余儀なくされる。かくて残ったのは、隣が右を向いたら右を向けという同調社会です。その音頭を取ってきたのが、経済産業省や文部科学省などの官公庁なんだよな。彼らに好かれることも、自らの権力を維持するための大切な要素になってきます。

 星製薬という会社があります。SF作家・星新一の実父である星一(はじめ)が設立し、日本で初めてモルヒネの精製に成功するなど事業は飛躍的に発展しました。ところが、星の自由闊達な発想を官僚は嫌い、徹底的かつ執拗に妨害し続けたのです。その詳細を星新一は『人民は弱し 官僚は強し』(新潮社)としてまとめているので、興味があれば読んでみてください。こうした官僚の発想とふるまいは、ボクには清朝滅亡の直前に君臨していた宦官と重なるんですけどね。

 いずれにしても、もしもボクに子供がいたら、算数や国語の勉強の前に「人に逆らうな。誰にも好かれるような人間になれ」と教えるだろうな。もちろん異性だけでなく、同性にこそ好かれなきゃいけません。その上で、高い能力を身につければ鬼に金棒というものです。

 とはいえ、こんな条件はもはやオールドファッションなんだよな。新型コロナの蔓延でおろおろするばかりの政治家や官僚を見るにつけて、何と無能な連中だと思わなければおかしい。都知事が「5つの小」などとつまらない訓示を垂れる国なんてほかにあるでしょうか。首相だって負けずに「マスク食事」ですから噴飯ものです。もっと責任とリスクを背負ったことを言えよ。

 はい、その通りです。人格と能力はやっぱり関係なんかないのであります。人の上に立つのであれば、先を読む洞察力と果敢な決断を下す胆力が必要十分条件。下半身の乱倫なんかどうだっていい。そのどうだっていいことを、鬼の首を取ったかのように囃し立てる風潮も大きな問題です。小者ばかりの社会では、大物や変人は排除すべき化け物に見えるんだろうな。つまり、今の情けない社会を作ったのは誰のせいでもなく、ボクたち自身にほかならないことを自覚すべきだと思うのであります。そこからしか新しい社会は始まらないんじゃないかな。

 

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2020年11月24日 (火)

銭湯

 

 風呂に入らなくなって随分たちます。いや、シャワーは頻繁に浴びているので安心してください。髪もマメに洗っていますからね。ただし、湯に浸かるということがここ10年で2~3回あったかなと。ボクはバスタブに身体を沈めてじっとしているのがどうにも苦手でありまして、たまに湯を張っても長くて10分程度で上がってしまいます。しかも1人暮らしですからね。

 ヨーロッパのホテルではシャワーだけの部屋も珍しくないので、それに慣れてしまったということもあるかな。風呂場なんかに長く滞在するのは、トイレと同じく時間の無駄という意識も強いのです。

 その意味では、銭湯に通っていた昔はさぞかし不便だったのではないかと思うでしょうね。ところが、負担や面倒に感じた記憶があまりないのです。なぜだろうと考えてみて、はっと気づきました。銭湯はある種のイベントだったんですよね。身体を洗うのは必要不可欠な習慣であっても、やはり銭湯は特別なことだったのであります。週に何度も行こうが、決して普通のことではなく、特にお年寄りには数少ない娯楽でもあったんじゃないかな。

 ボクの場合も、「小さな石鹸カタカタ鳴った」という世代ですから、銭湯の帰り道に2人で居酒屋に顔を出すこともしばしばでした。火照った身体がすぐに冷めてしまう冬場は熱燗が最高に似合うので、酒を飲むために銭湯に行くということもあったような気がします。

 けれども、内風呂にこんなイベント感覚はまったくありません。ただただひたすらに便利というだけだもんな。廃れかけた銭湯が「スーパー銭湯」として復活したのも、こうしたイベント感覚が受け入れられたからでしょうね。ボクの母親も晩年は何かにつけてサウナ風呂のあるヘルスセンターに通っておりました。内風呂があるにもかかわらず、どうしてわざわざ外の風呂に行くのか理解できなかったのですが、彼女にとっては知人と会える唯一の社交場だったに違いありません。

 では、今のボクにそうしたイベントがあるかといえば、やはりライブハウスということになるかな。もちろん見知った顔もあるのですが、話をしたことはありません。常連面をしたりされるのがイヤなので、せいぜい会釈くらい。酒も自宅では飲まないので、ちょっとばかり酩酊しつつも、軽快なジャズをナマで聴くのが最高なんですよね。

 こういう愉しみがなければ人生がつまらなくなるので、新型コロナの感染者がこれ以上増えないで欲しいなぁ。再び東京アラートや緊急事態宣言なんてまっぴらゴメンです。

 

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2020年11月20日 (金)

ええじゃないか

 

 徳川慶喜が大政奉還した1867年の8月から12月にかけて、全国各地で民衆による大騒動が勃発しました。「ええじゃないか、ええじゃないか」と連呼する集団が街道を踊り歩いたそうです。ウィキペディアによれば、天から縁起の良い御札が振ってくるので、それをお祀りしようとする運動だったとされています。

 しかしながら、12月の王政復古発令の日にピタリと止んだというのですから、明治維新直前のマスヒステリーと分析することもできるでしょうね。江戸時代が終わってどんな社会になるか見当もつかない。ヘタすれば黒船の異人たちが日本を占領するかもしれないというのに、幕府も薩長からも、まともな情報がほとんど出てこない。このため社会不安が最高潮に達して、「ええじゃないか」と踊り歩くことで現実逃避したと考えるのは不合理な解釈ではないですよね。

 江戸時代末期のミステリーともいえるのですが、新型コロナ禍がこのまま蔓延し続ければ、21世紀の「ええじゃないか」運動が始まってもおかしくないと思うんですよね。ワクチンという希望はあるにしても、東京をはじめとして全国各地で最多の感染者が出ております。にもかかわらず都知事が懇切丁寧に説明した「5つの小」というのは、行政の対策と言えるんだろうか。そもそも「小人数」というのは正しくは「少人数」じゃないのかなぁ。そこは突っ込みどころではないにしても、小さな声で話せとか、料理は個別の小皿にしなさいとか、そんな細かいことを都知事から指示されてもねぇ。それよりも、ベッド数や医療関係者の配置をどうするとか、繁華街の時短要請や、そのための支援あるいは補助予算をどのように手当するかといった緊急対策を発表すべきではないでしょうか。

 どう考えたって、第3波の到来はGoToナンタラの影響としか思えません。にもかかわらず、これを中止する気配は一切なく、民間レベルの予防を強化しろというだけ。火を付けたのは政府のくせに、後は自己責任だから知りませんというのは卑怯極まりないですよ。旅行・観光業界の救済も必要ですが、それで感染者が倍増したら元も子もありません。首相自ら「静かなマスク会食」なんて無理なことを言う前に、もっと全国的な対策を検討すべきですよ。GoToはすべて緊急中止して、収束傾向が明らかになってから再開すればいいじゃないですか。

 いずれにしても、政府ならびに行政の無為無策によって感染拡大が続けば、突如として「ええじゃないか」が勃発するかもしれない。誰かが「ええじゃないかええじゃないか、ええじゃないか。コロナになってもええじゃないか」と踊り出してもボクは知りませんからね。そんなのはアホな奴の悪夢だと笑い飛ばせたら何よりなんですけど。

 

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2020年11月19日 (木)

冬はブリ丼

 

 大人になって初めて食べた旨いものは、いつまでも心の中に残ります。今は子供の頃から何でも揃っているので、逆に可哀想な気もするんだよな。豊かで便利なことは必ずしも万能ではないのです。

 このブログでは、ボクが感動した食べ物としてチーズたっぷりピザとマクドナルドのフィレオフィッシュを紹介したことがありますが、ブリ丼はまだでしたよね。

 これには前段がありまして、20歳そこそこの頃に初めて食べた鉄火丼が始まりです。何とか正社員として就職できた夏休みに、実家に帰省するために東京駅に行ったのですが、たまたま昼にかかったので何かを食べなきゃいけない。地下街で店を探している時に、深紅のバラの花が咲いたような食品サンプルをディスプレイの中に見つけたのです。鉄火丼。早い話がマグロの刺身丼であります。子供の頃は貧乏暮らしだったので、マグロの刺身なんて贅沢のひとつでした。そんなものを、こんなにも惜しげもなくご飯の上に並べている。もちろん安くはありませんが、ようやく月給を貰える身分になれたという安心感が後押しして店に入り、エイヤッと注文したわけです。

 味を説明するのは難しく、形容に苦労しても、世代や生活経験によって通じないこともしばしばですから、ごく簡単に言ってしまえば、ものすごぉく、メチャクチャにうまかったんですよね。ご飯とマグロが握り寿司のように密着しているわけではなく、その間にきざみ海苔が敷き詰められていることがポイントだとすぐに分かりました。おかげで醤油がご飯に直接に浸み込むことが少なく、海苔の乾いたうまみがマグロの脂と絶妙に調和するのであります。これは大発明といえるんじゃないかな。

 後で知ったのですが、鉄火とは鉄火場すなわち博打場の意味だそうです。そこで出されたファストフードだから鉄火丼。ボクはマグロの赤黒い色が理由かと思っていたのですが、昔の博徒はこんな贅沢なものを丁半を賭ける真っ最中にかっ込んでいたんですよね。それともマグロが取れ放題だったのでしょうか。

 それから鉄火丼の大ファンになったものの、店によって味や食感がかなり違うので、失望することもしばしばでした。この理由は、冷凍と解凍方法によるようです。冷凍マグロをヘタに解凍すると細胞が壊れて本来の旨味を損ねてしまいます。値段の関係でそんな鉄火丼を数回食べたおかげで、敬遠するようになりました。

 それから1~2年後かな。新橋駅前の寿司屋のランチでたまたま出会ったのがブリ丼なのです。これもまた初めての鉄火丼に負けず劣らず美味でした。マグロをブリにかえただけの丼なのですが、マグロよりも締まった身を噛みしめる時の感触が素晴らしい。ブリの脂と醤油との相性も抜群です。聞いてみると、これは年中食べられるものではなく、「寒ブリ」が出回る冬に限られるというのです。

 冷凍と解凍技術が発達した今はどうか知りませんが、まさに「旬」だけが放つ迫力を味わせてくれる丼だったのでありますよ。こういう食べ物に近頃、いやここ十数年出会ったことがありません。ああ、つまらん。食がつまらなければ、人生もつまらなくなってしまう。どこかに旨いものはないかなぁ。

 

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2020年11月18日 (水)

枠をはずせ!

 

 日記ではなく、プロのライターが記事を依頼される時には「です、ます」ですか「である、だ」ですかと、基本的な文体を確認するのが普通です。前者はたとえば「坂本電機から画期的なスマホが発売されました。二つ折りできるコンパクトさが特長です」という感じで、文末が「です、ます」になっているわけです。

 一方、「である、だ」で書き直せば「坂本電機から画期的なスマホが発売された。二つ折りできるコンパクトさが特長だ」となります。一般に「です、ます」は丁寧な言い回しですが、文章全体が長くなります。それに比べて「である、だ」は文章を短くできるので、端的で締まった印象を与えます。そのせいか事件を報道する日刊新聞は「である、だ」がほとんどなのですが、日本共産党の機関紙である「しんぶん赤旗」だけは珍しく「です、ます」を使っています。このため「山本さんはかねてから交際中の川口容疑者に包丁で腹を刺され、昨夜11時頃に死亡しました。川口容疑者は直後に埼玉県警に逮捕され、戸田署で取り調べを受けています」なんていう感じの報道になるわけです。どんなに悲惨な殺人事件や交通事故でも「です、ます」で通していたので、初めて読んだ時はびっくりしました。それはそれでユニークな独自路線とはいえますが、やはり事件報道は「である、だ」でないと緊張感が欠けますよね。

 そうした事情から、一般のマスメディアは「である、だ」が圧倒的な主流なので、ボクはこの文体で長く仕事をしてきました。このため、自分の名前を冠したブログくらいは「です、ます」を使おうと思ったのです。そのほうが親密感もあるんじゃないかな。

 ここまでは一般論ですが、では、「です、ます」と「である、だ」を混ぜて使ってはいけないのでしょうか。面白いことに、若い人や優等生、ベテランほど言下に「そんなのダメです」という拒否反応を示します。文体をどちらかに統一しないと読みにくいと教えられてきたのでしょうが、実はそんなこともないんだよな。その証明として、このブログでは敢えて「です、ます」と「である、だ」を混ぜております。たとえば「川口さんは離婚して田舎に帰ることにしました。いつの時代も故郷は傷ついた心を受け止めてくれる存在なのである」という表現に違和感あるでしょうか。文体の視座が動くことで、むしろ事実伝達と解釈部分が際立つとも言えますよね。

 つまり、ですね。教えられた枠組みに従っていたら、そうした新しい試みができなくなってしまうのです。ボクは「である、だ」と「です、ます」の混淆だけでなく、以前から=や×などの数学記号を差し挟むようにしてきました。その方が便利=分かりやすいと思うからです。

 いい年こいたオッサンがこんな実験的なことをしているのに、直されたりするんですよね。アタマが硬いというか、既存の枠組みやレールにおさめることが「いい仕事」だと思われているフシすらあります。これだから優等生は困るんだよな。古今未曾有のパンデミックを経験したのですから、そうした枠組みを取っ払ってもいいんじゃないかな。アフターコロナかウィズコロナか知りませんが、それこそが新しい日常につながると思うのです。いずれAIが文章も自動作成するようになれば、人間は固有の作家性を持たなければ生き残ることはできません。こんなことは写真が発明された時代の画家がとっくに経験したことであります。写実的な肖像画家は軒並み仕事を失いましたが、独自の世界観を伝える絵画は印象派として生き残ったではありませんか。

 ボクたちは機械ではないのですから、仕事も機械的であってはいけない。そんな仕事はすぐにAIに奪われるはずです。というわけで、これからは規範やルールに忠実な優等生ほど仕事を失うことになります。枠をどんどん取っ払う、あるいは飛び越えていく。それができなきゃ人間の仕事とはいえない時代になりつつあることが分かるかなぁ。学校の先生の言うことを無批判に盲信していると、使い物にならなくなるぜ。

 

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2020年11月17日 (火)

聖人君子

 

 何なんだろうね、この風潮。「マッッッ………チ、どえーす」という鶴ちゃんの物真似で知られる歌手の不倫が騒ぎになって、とはいっても、こんな説明自体がレトロではありますが、活動自粛を申し出たそうです。とてもじゃないけど歌がうまいとは全っ然思えない歌手ですが、年齢をチェックしてみたら何と56歳ですぜ。立派なアラ還ではありませんか。今年の10月に亡くなった筒美京平作曲の『ギンギラギンにさりげなく』発売から39年も経過しております。まさに「光陰矢の如し」であるよなと、別の感慨にふけってしまいました。

 さて、不倫です。このブログでも前に指摘しましたが、いつまで聖人君子を押しつけりゃ気が済むのかなぁ。そりゃね、一夫一婦制の結婚制度を前提にすれば、法律違反であることは間違いありません。昔の姦通罪(すごい名称だね)とは違って、罰則はないにしても、損害賠償すなわち慰謝料を請求できる事案ですからね。

 しかしながら、それが人間の生来に基づいているかといえば、決してそうではないことは伝承や小説や歴史などでも明らかです。男に限らず、女性だって放っておけば浮気くらいしますよ。そもそも結婚制度は、当人たちのためでなく、赤ん坊のために生まれたものだと考えられるからです。

 5年も10年も子育てが必要な動物なんて、人間以外にはあり得ないじゃないですか。そのインキュベータとしての社会制度が結婚なわけでありまして、それを無理矢理に「永遠の愛を誓う」なんていう厳しい縛りにしてしまったのは宗教なんだよね。逆にいえば、人間本来の性行動は「乱倫」だからこそ、このような枠組みが生まれたともいえるのであります。

 もっとも、こうした社会的制約に敏感かつ従順なのか、それとも純愛なのかは別として、仲むつまじい「一穴」(これまたすさまじい表現ですけど)で一生を通す人もいます。それはそれでアッパレめでたいことではあるけれども、他人に押しつけないで欲しいなぁと切に思うんですよね。

 レポーターだか何だか知りませんが、ワァワァ騒ぐ人ほど自分のことは棚上げというのが特にイヤなんだよな。人権意識が高まり、LGBTにも配慮が必要な時代にもかかわらず、こんなつまらないことが大きな話題になるってどういうことなんだろう。

 ちなみに、ボクは中学生の頃に女の子と手をつないで帰ったら、自宅から半径5キロ圏内、いや3キロくらいで噂になったそうです。ほかでもない母親からそれを聞いたのですが、小学生なら微笑ましいことでも、中学になるとダメなんですかね。理由を400字以内で説明しなさい。だったら大人はどうなんだよ。あ、だから少子化になってしまったのかな。

 井戸端会議と他人の噂とイジメもまた人間生来のものであるらしいので、不可避なことではありますが、それにしても窮屈だよな。かの伊藤博文が女好きで何人も愛妾を囲っていたなんて、もはや誰も知らないのでしょうか。それとも社会的なイジメ=生け贄を作らないと気が済まないのでしょうか。であるなら政界のほうが醜聞に満ちていると思うんだけどな。

 ボクも年齢的には聖人君子を目指したいのではあります。そのほうが尊敬されるし、何より楽だもんな。けれども、喜怒哀楽からなかなか抜け出ることができません。平穏な日々はそれなりに退屈だし、人間を痴呆化する可能性だってあります。

 というわけで皆さん、もうちょっと他人に優しく、寛容になろうよ。そうなる方法は実に簡単です。「お前はどうよ」と自分に呟けばいい。これはナザレのイエスも似たようなことを言っているので、「永遠の愛」とは矛盾しないと思うんだけどなぁ。

 

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2020年11月16日 (月)

PCR検査

 

 早とちりしないでくださいね。ボクがPCR検査を受けたわけではありません。知人のそのまた知人が体調を崩して発熱もあったので、医師から「こんな時期なので念のためにやっときますか」ということになったらしい。東京では感染者がこのところ毎日300人台なので、おそらく自発的な検査希望者も急増しているはずですが、その知人の知人は東北某県の農村地帯に在住。まだ医療的な余裕あるみたいですね。それでも鼻の穴に綿棒ではなく、最先端の唾液検査だったそうです。

 新型コロナは春先から数えて第3波。感染者数は11月14日現在で11万7262死亡者は188人に達します。東京に限れば、累計3万4496人で死亡者470人。こうして数字だけ見れば、やはり欧米に比べてかなり少ないことは確かですイギリスでは死者だけで累計5万人を超えていますからね。だからといって安心できないとはいうものの感染の現実感は置かれた環境によってかなり違うじゃないかな。 

 というのも、ボク個人に限れば、これまでに知人感染1人としてなく、PCR検査すら受けた人が見当たらないからです。ひた隠しということもないわけではないでしょうが、2週間も入院や自宅療養になったら、どうしたって分かりますからね。強いて言えば、ライブハウスで2〜3回聴いたことがある男性歌手が4月に亡くなりましたが、それだけで知人と呼ぶのはちょっと図々しいではありませんか。

 そんなわけで、知人の知人とはいえ、初のPCR検査ですから、さすがに不安になりました。短時間にしても40度近い発熱があれば、疑われるのは当然といえば当然ですけど、問題は感染ルートと濃厚接触者なんですよね。ボクの知人をAさんとして、その知人Bさんとします。このBさんがPCR検査の対象者です。でね、ボクはAさんとは新型コロナの感染定義上では「濃厚接触者」ということになりますこの言葉はいろいろあれこれ想像させるので嫌いなのですが、AさんBさんそれよりはるかに密接度の高い濃厚接触者です。しかしながら、ボクはBさんとお会いしたことは一度もありません。 

 それでもBさんの検査が陽性であれば、ボクも無関係とはいえず、もしかすると無症状で知らないうちにAさんを感染させ、それがBさんに伝播したという可能性否定できません。ボク自身はずっと平熱だったのでそんなはずないと思っても、客観的な証拠はどこにもありません。だから、PCRの結果が出るまで落ち着かない気分だったのです。 

 でも、皆さん、安心してください。土曜日午前に「陰性」という報告を受けました。併せてBさんの病気の原因も判明。抗生物質で細菌を退治できたそうです。それだけの話なので恐縮ですが、東京ではボクと似たような経験をする人たちがどんどん増加しているかもしれない。もはや誰が感染しても不思議ではないので、偏見が弱くなったのは良いとしても、今度は慣れによる蔓延がやはり危惧されます。いくら無症状や軽症者が多いといっても、母数が増えれば重症者や死者数を押し上げることになるほか、病院も逼迫しますからね。

  ただ、テレビでの報道を見ると、たとえば東京医科歯科大学病院で専用病床が8床というのは、あまりにも少なくないですか。これではすぐにパンクするのも無理はありません。かといって新型コロナだけ診るわけにもいかないこともよく分かります。とすれば、病床と医療人材をフレキシブルにアレンジする新しい病院マネジメントが必要ではないでしょうか。

 政府からの資金援助さえあれば病床などのハードは揃うはずなので、診療科の垣根を越えて、誰もが支援にあたれる人員体制を作らなきゃいけない。標準的な治療マニュアルの作成とあわせて、専門的なアドバイスができるスーパーバイザーを配置。いざという時の相互協力意識も涵養したほうがいいですよね。一番いけないのは、自分の診療科はコロナと関係ないもんという他人事感覚だと思うのですが、いかがでしょうか。感染者が押し寄せてくることを想定した「総員体制」の確立が、病院経営も救うことになると思います。どうにも日本は専門性にこだわり過ぎじゃないかという、いつもの結論になってしまうですけどね。

 

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2020年11月13日 (金)

エキストラ

 

 アメリカのテレビドラマをケーブルのCSで見始めて10年ほどにもなるでしょうか。日本のそれとの違いはいろいろありますが、何よりもリアリティへのこだわりが強いように感じます。日本のテレビドラマ顔のアップを多用しつつも舞台に近い静的なイメージとすれば、アメリカはドキュメンタリーといえるかもしれません。テレビカメラは手持ちが多いので画面が揺れますが、それこそ現実的な視線ですよねという感覚です。この手持ちカメラは、刑事ものでの追かけや格闘シーン圧倒的な威力を発揮。まるで本当に殴り合っているような臨場感があります。

 ところが日本の場合は据え置きが多いらしく、会話などは視点をスイッチして繰り返されるので、紙芝居的というべきか、動きに乏しいですよね。ザブンザブンと波が打ち寄せる崖の上での告白&謎解き大会なんて、ある種の様式美とは言えますが、「ありえね」と思う人は少なくないじゃないかな。

  それだけでなく、道具立ても全然違います。たとえば日本の医療ドラマでは、開業したばかりかよと感じさせる小綺麗過ぎる病院やモデルルームのように整理された手術室が出てきます。ところが、アメリカでは使い古しの雑然を大切にしているらしく、天井や壁などもほどよく汚れているのです手術にしても、そこまで内臓や血を見せなくてもいいだろうというほど徹底的なので、気の弱いボクは目をそむけることしばしば。世界的な有名俳優でも、患者役となったら平気で鼻からチューブを差し込むので、演出コンセプトそのものが違うというほかありません。

 狙いはそれと同じでしょうが、エキストラの数大きな違いではないでしょうかどんな場面でも必ず複数のエキストラが映り込んでおり意識して見ていると、時にはうるさく感じるほどです。それだけでなく、ちゃんと演技指導されているらしく、画面に映るかどうかギリギリというアングルでも、自然な雰囲気で仕事や立ち話などをしているだよな。日払いでかき集められたアルバイトではなく、役者の卵みたいな人たちに違いないと思います。

 いずれにしても、こうした背景があるからこそ、ドラマに深さと現実感が生まれ、主役や脇役が際立つわけです映画『ゴジラ』でも、巨大怪獣の偉容を強調し、恐怖心をかきたてたのは、逃げ惑う多数の人々なんですよね。そうした感覚が今の日本のテレビに乏しいのは、やはりゼニカネの問題なのかなぁ。

 

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2020年11月12日 (木)

第3波の正体

 本格的な冬を目前に、とうとう新型コロナの第3波がやってきたようです。アドバイザリーボードや日本医師会の意見を待たなくても、毎日の感染者数に注意していれば、誰だって分かることなんですけどね。

 今では全世代に拡散していますが、少し前までは20~30代の若い人たちが中心になっていました。繁華街では新型コロナなんてどこかに吹き飛んでいったかのような雰囲気で、マスクを着けていてもアゴの下ですから、ほとんどアクセサリー。顔を近づけて話したり、肩を組んだりしていれば、新型コロナだろうがインフルエンザにしても、感染は広がるに決まっていますよね。

 それを危惧していたら案の定です。大阪府ではマスクの徹底だけでなく、静かな飲食を呼びかけているようですが、そもそも静かに酒を飲んだり食べたりするというなら、みんなで会食する意味がない。酒を飲んでマスク越しにボソボソと言葉を交わすなんて、気晴らしになるどころか、悪酔いすることは間違いありません。

 思い切って5人、いや4人以上での飲み食いを禁止してしまうのが最も有効な対策ではないでしょうか。そうした規制や自粛要請だけでなく、なぜ日本では無症状者が多く、重症者が少ないのかということも迅速に解明すべきです。

 理由はともかく、日本での現在の病態は季節性インフルエンザ程度であって、肺炎で亡くなる人がいるにしても、第1波の時のような過剰な警戒心は不要というのであれば、指定感染症としての扱いを緩めたほうがいい。さもなきゃすぐに病床がパンクしますからね。実際に10月24日からは、感染者をすべて隔離入院させるのでなく、65歳以上や基礎疾患を持つ人などに限定するよう法改正されています。

 無症状または軽症であれば、宿泊療養あるいは自宅療養でよろしいと法律で認められたのですから、味覚や臭覚を奪う特殊な症状は発現しますが、重篤化率や死亡率などはインフルと極端な違いはないってことですよね。であれば、経済活動を控える必要なんかないということになるではありませんか。

 ボクが知りたいのは、まさにそこのところなんだよな。にもかかわらず、政府の諮問機関は何も言及していません。医療関係者が「安心しても大丈夫ですよ」なんて太鼓判を押すことは絶対にないにしても、欧米とアジアの被害の違いをもうちょっとしっかり分析するべきじゃないかな。さもなければ「万犬、虚に吠える」ということになりかねません。1匹の犬がワンワン吠えて、回りの犬もそれにつられて吠えたけれども、細い木の枝が風で揺れただけだったなんてね。

 お医者さんは警告や注意をするのが本業であり、そのほうが責任を取らなくて済むんだけど、そろそろ日本における新型コロナの実態に迫るべきじゃないかな。報道されるのは海外の論文ばっかりだもんね。それでも昨日の発表によれば、日本のウイルスは春先と同じで、ほとんど変異していないそうです。第2波の感染者数は第1波の倍くらいの規模にもかかわらず、なぜ重症者や死者は激減したのか。もちろん薬や治療方法が劇的に進歩したということもあるでしょうが、だったら欧米の現状はどうよってなりますよね。

 それを突き詰めていくと、一斉休校も緊急事態宣言による自粛も必要なかったという結論になるかもしれません。それでも、モリカケのように隠蔽するより明らかにすべきです。仮に失策であったとしても、あの頃は何も分からなかったのですから、誰も安倍さんを責めたりしないよ。

 

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2020年11月11日 (水)

空虚感

 

 まだ振り返るいささか早いですが、緊急事態宣言が出された4月7日以降の銀座や秋葉原、それに北千住(ちょっと差があり過ぎか)の閑散とした雰囲気は一生忘れないと思います。ビルのシャッターは固く引き下ろされ軒並みに臨時休業告知。道路も舗道もガラガラで、クルマも人っ気まるでありません。そんな街を風がヒューヒューと吹き抜けていく

 どこかで見た光景だよなと、おぼろな記憶をたどっていたのですが、ようやく思い出しました。東宝が製作した特撮映画『世界大戦争』のエンディングだったですよね。1961年に公開されたので、ボクが見たのは封切りではなく再映かもしれませんが、子供には衝撃的な結末であり映像だったのです

 テーマは当時の冷戦を背景にした第3次世界大戦原因は忘れましたが、国同士の対立が激化し、とうとう核ミサイルが世界の大都市に向けて発射されるというので人々は先を争うように避難を始めます。人間のおぞましい本性が露わになる混乱を嫌、死を覚悟して自宅に留まる決心をした人たちもいて、ボクはおそらくこっちだよなと感じたことを今でも覚えています。 

 そして核ミサイルで焼き尽くされる直前の誰もいなくなった夜の銀座が描かれていたのです。こんな空虚な繁華街は特撮映画らしい作り物だと思っていたのに、それから半世紀以上も経て再び眼前に表れたことになります4丁目の交差点から中央通り遠望すると8丁目の向こうまで視野を遮る人がほとんどいません晴海通りもまったく同じ。現実なのにどうにもリアリティが感じられない。けれども既視感だけはあるんでよすね。まだ寝床の中にいて悪夢を見ているじゃないかと錯覚したくらいです。地下鉄もガラガラなら、秋葉原のヨドバシカメラも客より店員のほうが多かったじゃないかな 

 この空虚感が、ボクのトラウマというか、精神的後遺症になっているらしく、たまに足の裏が地面から数センチのところをふわふわ浮いているような気がする時があります。格好良く言えば、無常ってことかな。すべて生滅流転し、いずれ何もかも無に帰ていく。だから心の中はスッカラカンのカラカラ。そんな気分になるのは、ボクだけじゃないはずなんだけどな。

 

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2020年11月10日 (火)

郵政省(後)

 

 とっくの昔に消滅した郵政省についてグチグチと書くのは憚れますが、よくよく考えてみれば、電信電話から電波行政、そしてインターネットやWi-Fiなど最先端の情報通信を管理していたんですよね。テレビ局だって同省の免許事業ですから、ヘタに逆らえば放送停止だってあり得る、実は怖い官庁なわけですよ。民主主義の目と耳、そして口=電話やSNSまで包含する行政権力を持っていたとも言い換えられます。

 現在では総務省に移管され、日本電信電話公社も民営化されてNTTとなりましたが、その権限はきっちり継承されています。「総務」というごった煮的な名称に幻惑されますが、かなり注意すべき官庁ではないでしょうか。

 大げさな前ふりをしてしまいましたが、日本語英語で対訳した外国人向けの郵便手続きパンフレットを作ったことがあります。海外への宅配便みたいものも含めると、結構な種類があるんですよね。それを日本語で解説するのは造作もないことですが、問題は英文です。専門の翻訳会社に依頼し、英語ネイティブが校正するので安心していたのですが、「前置詞が違う」という修正が入ったのです。「ネイティブがチェックしたのですが」と伝えても、どうやら上のほうからの指示らしく、とにかく直してくれの一点張り。ネイティブといっても文法の専門家とは限りませんが、郵便手続きの解説なんて日常的な英文ですからね。それを英語がセカンドランゲージの日本人が修正する。ものすごい話だと思いませんか。少なくともボクは、さすが東大卒の官僚様であるよなぁと感心してしまいました。

 もうひとつ。NTTに関しても、1990年代末から電話代が異常に高いことを指摘してきました。ボクは95年に『インターネット・キャンパス』(日経BP社)で世界100大学のウェブサイトを紹介したのですが、当時はヤフー・ジャパンも存在せず、回線も通常のアナログ電話。大きな絵柄のトップページを完全に開くまでに30分以上かかることもあった時代です。イギリス在住の知り合いの外国人が下調べをしてくれたおかげで出版までこぎ着けたのですが、この時に電話代の比較となり、「日本はどうしてそんなに高いの」と驚かれました。デジタルのISDNも率先して導入しましたが、決して早くないクセに料金は高い。あの頃に比べれば、最近のネット環境は夢のような未来ですけど、それでも日本のスマホ料金は高いと菅首相自ら指摘しております。あの本を上梓してから四半世紀にもなりますから、その間にNTTとドコモがどれだけ儲けてきたか計り知れません。

 諸外国のように通信費を安くできなかった理由がいろいろあるにしても、結局はインターネットで完全に出遅れてしまい、21世紀を20年ほども過ぎた今ごろになってデジタル庁の新設ですからね。既存の利権には聡いくせに、新しい産業を育成する発想に乏しい。これもまた日本の官庁の典型的な特徴ではないでしょうか。

 そのほかにエピソードはまだまだありますが、繰り言になるのでやめます。ボクの社会批判や政治批判は理屈ばかりでなく、不快な実体験にもとづくものであると釈明したかったので、その一部を紹介することにした次第です。

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2020年11月 9日 (月)

郵政省(前)

 

   省庁再編によって郵政省はとっくに消滅したので、どうでもいい話ですけど、その傘下の郵便関係で問題を感じることがいくつかありました。最初に疑問を感じたのは第三種郵便です。公益に寄与する定期刊行物を通常より割安な値段で郵送できる制度なのですが、そのかわりに紙・誌面の中で広告が占める割合が5割以下といった規定があります。では、その規定をすべてクリアすれば第三種として認可されるかといえば、必ずしもそうではありません。役所というのは、このグレーな部分を利権化する習性があるらしい。

 この第三種郵便の認可を受けた定期刊行物を持っていれば、様々なメリットが生まれます。インターネットやメルマガなどデジタルメディア全盛の今では考えられないでしょうが、通販などの商品カタログを格安で郵送できれば、コストを大幅に削減できるじゃないですか。ところが、このカタログは広告なので誌面全体の5割を超えることはできません。そこでしょうもない記事を申し訳のように掲載して、商品カタログを差し挟むという「第三種ビジネス」があったのです。こうしたDMの注文がない時には、印刷部数とページ数をギリギリまで絞り込み、定期刊行物の体裁だけ整えておく。

 それだけなら市場における創意工夫の一種といえそうですが、この第三種の認可にかかわる団体もあったのです。あくまでも知人からの伝聞ですが、認可のためにはそれなりの費用が必要と言われたそうです。かつてリクルートが発行していたドル箱週刊誌『住宅情報』も第三種郵便物だったといえば、何かカラクリがありそうだと思いませんか

 というのも、あの情報誌はほとんどが不動産会社の物件広告なので、前述した第三種の要件には合致しません。広告が5割どころか、9割以上ですからね。ところが、カコミでくくられた物件概要だけを広告として、レポーターの文章は記事と解釈されて認可されたらしい。どのように解釈しようが、不動産会社からページあたりナンボという大枚の料金が支払われているのですから、すべて広告ではありませんか。そんな広告のカタマリが第三種の認可を受けていたわけです。それだけでなく、郵便関連のガイドブックを制作する際に、間接的ですが監修料を要求されたこともあります。1人10万円×10人分で合計100万円。仕事を受注した会社の経理では前渡金で通りにくいというので、しばらくボクの事務所が立て替えることになったのです。

 ある行政研究者は「日本の公務員の数は欧米の先進国と比べて必ずしも多いわけではない。けれども底が抜けているんだよね」と語っていましたが、ボクのささやかな体験もまさにその通り。こんな官庁は解散すべきだと思っていたら、2001年にめでたく廃止となりました。にもかかわらず、近年も「かんぽ生命保険の不正販売」が発覚。2000人近い処分者を出しています。体質的な問題を抱えているとしか思えません。もっとも、情報通信の電子化のおかげで、手紙や年賀状などのハガキは減少の一途。このため、最近は家電量販店などの代送もやっているようですけどね。

 ちなみに、厚生省の外局だった社会保険庁も年金の杜撰な管理などの不祥事によって2009年に廃止されました。問題は郵政だけではなかったのです。大きな利権や巨額の資金を扱う官公庁ほど腐敗しやすいと断じてもいいんじゃないかな。だったら頂上に位置する政府はどうなんだと。メディアの監視機能が弱くなれば、似たような不祥事が跳梁跋扈することになります。もしかすると手遅れなのかな。

 それだけでなく、ほとんど冗談のようなことも経験したので、明日はそれについて紹介します。

 

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2020年11月 6日 (金)

よってたかって噂話

 

 日本のテレビは相変わらずだよなぁと思います。アメリカ大統領選挙を遠巻きにして、よってたかっての噂話大会。いや正しくは解釈論議ばっかり。アメリカという国はどうだこうだ、現地の選挙インフラは先進国では最下位ランクとか何とか、そりゃまぁそうですけどね、という観測ばっかり。そんな特番を昼間から何時間もやって、視聴者は良く飽きないものだと逆に感心します。

 そもそもトランプが大統領に選ばれた時に、ほとんどの人が予測を外しているんですからね。それをロクすっぽ反省もせず、今度はアンチトランプ票がバイデンに行くとか、いや隠れトランプ派は根強いとか何とか、どっちにも転んでも逃げられるような予測ばっかり。そんなコメンテーターや司会者による、わかった風な論評は5分も視聴するだけで嫌悪を感じるので、すぐにCSにチャンネルを替えております。

 批判ばかりでは卑怯なので、ボクの見立てをご紹介すれば、トランプは「バッドルーザー」なんですよね。Bad Loser。悪い負け犬。まだ負けてはいないけど、トランプの政治は中産階級以上の人たちの支持を失ったことは間違いありません。けれども、白人の貧困層はもはやバイデンのような伝統的な支配層による政治には戻りたくない。景気のいい演説に呼応して「グレート・アメリカ!」とシャウトして憂さを晴らしたいわけですな。それくらいアメリカの所得格差は大きく、国民の意識は深く分断されている。でね、問題なのは日本も早晩、それに追随するだろうということなのです。

 たまたまトランプみたいなトリックスターがいないだけで、社会構造自体はアメリカと大差ないはずです。先の大戦に敗北して以来、何でもかんでもアメリカ頼みでやってきた国ですから、似てくるのは当然じゃないですか。大昔は民主主義の先生と生徒という関係だった時期もありますが、今では親分と舎弟といったほうが近い。そうした関係性からアメリカの大統領選を見直せば、いったん権力を握った連中の往生際の悪さが共通しているってことになるわけです。

 日本では公文書の偽造や隠蔽に国会での虚偽答弁、あげくの果ては公務員の自殺ですが、トランプはむやみやたらな法廷闘争に持ち込もうとしています。そんな卑怯で下劣な姿勢は、豊かだった頃のアメリカでは「バッドルーザー」として侮蔑されたはずです。ところが、最高権力者が選ばれる戦いで潔く負けを認めないとしたら、もはや強者のやりたい放題で民主主義もへったくれもありません。ここのところが、強権と無理な横車を押し通そうとする日本の政権と実に良く似ている。だーからね、それを論議しなきゃ、バイデンまたはトランプどっちが勝ったところで、しょせんは対岸の火事ということになるのでありますよ。

 こう説明すると、安倍さんとトランプが妙に仲良しだった理由も分かるじゃないですか。あの国もこの国も、こぞって民主主義をぶち壊そうとしている。これこそが伝えるべき真実じゃないかと、ボクは思っているのであります。

 

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2020年11月 5日 (木)

自分を信じない

 

 あなたは自分を信じられますか?

 たとえば朝の出がけにドアにカギをかけたとします。駅への道すがら、ホントにカギをかけたかなぁ、もしかすると思い込みや錯覚だったんじゃないかと自分を疑ったことはありませんか。ボクはあるんですよね。それで踵を返して自宅に戻って確認したり。だから駅近のマンションばかりに住んでいた、というのは軽い冗談ですけど、自分の記憶がそれほど確かなものだとはどうにも思えないのです。もちろん室内も同様で、ガスの元栓は閉めたな、水栓はちゃんと止めたよなとか、いろいろあるわけです。このため、長期出張の場合のチェックシートなんてものも作りました。そこにマークがあればOKですけど、それにしたって、まだホントかなと疑うこともあるのですから始末におえません。

 その一方で、ドアのカギをどうしたなんてしっかり覚えていないけど、いつものことだから大丈夫。ガスの元栓も窓もヒーターも「どうしてそんなに何度も確認すんだよ」とボクを真っ向から批判するような人たちもいます。自分の記憶ばかりでなく、行動にしても自信たっぷりといえばそうかもしれない。彼らにとっては、ボクのように何度も確認する人間は、ある種の精神疾患に見えているのではないでしょうか。

 この彼我の違いがどうして生まれたのか、精神科医ならぬボクにはまったく分かりません。しかしながら、仕事の遂行に関しては、後者より前者のほうが圧倒的に優秀です。たとえばビルや戸建ての建築で「あそこは1回確認したもんね」などと安心し切っていると、思いがけないことで崩落することもあり得るじゃないですか。そうなったら人命にもかかわってきます。航空機のメンテナンスなども同じで、1人で確認するのでなく、管理者が後で重要箇所を再確認するというダブルチェックが行われているはずです。

 つまりですね、人間というのは、必ずといっていいほどミスをする間違える誤認する錯覚する勘違いする、極めて不完全な生き物であるという前提に立たなければ、完全な、いや完全に近いモノやコトはできないってことなんですよね。ざっくばらんで、何事も深く気にすることなく、テキトーなほうが生きる上では楽でしょうが、ほとんどの仕事はそうはいきません。テキトーにされたら、あちこちで支障が出て大問題になってしまいます。

 というわけで、人類というのは、ボクの観点に立てば、自分を信じられる人と信じられない人の2種類に大別できます。そして、人前に立つことが多い人ほど、たとえば政治家ですが、自分を信じるタイプが多いんじゃないかな。トランプなんか典型的ですよね。内心がどうかは知りませんけど。一方、研究者や編集者といった内勤型の専門職は病的でない程度の神経質さが要求されます。社内であれば会計・経理は緻密な数字を扱うので、机のカギをガチャガチャ音をたてて確認しないと退社できないという人が多いようです。

 精神的な緩急を自在にコントロールすることが生きやすくするコツだろうと思うのですが、実際にはなかなかそうもいかないんだよな。思考の穴ぼこみたいな部分があって、夜中に突然思い出したりするわけですよ。

 人間は本能の壊れた生物と言われてきましたが、現代的に言い直せば、バグが珍しくない不完全なOSとなりそうです。「大丈夫!」なんて言われたり思ったりしたら、むしろ疑ったほうがいい。だからこそ現代の仕事は、太古の昔とは比較にならないほど神経が磨り減るのです。手を使うのでなく、気を使うから疲れ果てる。どう考えても、これは健康に良くない。実はうまい方法があるのですが、次の機会にご紹介することにしましょう。

 

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2020年11月 4日 (水)

スローダウン

 

 渋谷区の恵比寿から足立区の西新井というドラスティックな転居を敢行したのは、仕事や生き方をもうちょっとスローダウンしたいと思ったからです。

 テレビ報道はあまりにも過剰だと思いますが、ハロウィンのバカ騒ぎをするような駅の隣になんか住んでいたくない。若者はそもそもアホでバカですから、法律に触れず、公序良俗の範囲内なら何をやっても勝手ですが、ボクの近くではやらないで欲しいんだよな。あっち行けと言っても聞かないのであれば、こちらがあっちに行くほかないじゃないですか。

 仕事にしても、丁寧にじっくりと質の高いことに取り組みたい。ボクにそれだけの才能があるかどうかは別物ですよ。ところが、高コストの都心部ではそれなりに稼がないと事務所が維持できません。もはや徹夜仕事ができる年齢でもなく、根気も粘りもなくなってきたので、だったら仕事や生活を全般的に見直すべき時期だろうと考えたわけですね。

 そりゃ都心部のほうが変化は激しく、その分だけ刺激にはなりますが、近頃の新しい商業施設はどこも似たりよったりで、ちっとも面白く感じません。ボクの感性が衰えてきたのかもしれないけど、都心にこだわらなくてもいいんじゃないかと。

 あくまでも理想としては、ほどよく仕事をしながら、ゆったりと過ごす。もちろん現実はなかなかそうなりません。仕事があるうちが華と思ってもいるので、忙しいのは嬉しいことではありますが、「忙」の字のごとく心を亡くすようになっては本末転倒です。

 そんなこんなで、複雑な心境で過ごしているのですが、皆さんもそろそろスローダウンを考えるようにしませんか。みんなで急ぎ、どんどん加速していけば、いずれ必ず疲弊します。そんなのはサスティナブルじゃないよなと思うのであります。

 

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2020年11月 2日 (月)

やらしい話

 

 関西弁で「やらしい話やけどね」と畳みかけられると、ものすごーくイヤらしいことに聞こえてしまうのはボクだけでしょうか。とりわけ、昼間2時頃のニュースショーの司会者である関西出身のMさん(特に名を秘す)の鼻にかかった発声は嫌悪すら感じます。おおお、このあたりでブログの読者がぐっと引いたかもしれないな。

 でね、どういうことが「やらしい話」なのかといえば、ボクの推測ですが、基本的におカネの話、続いて他人に関する大きなお世話となるんじゃないかな。件(くだん)のニュースショーでは、紹介した公園の広さや入場料を訊かれて答えられなかった女性レポーターに、「やらしい話やけどね、入場料くらいちゃんと調べておこうよ、そんなもん」とか何とか注意して、ネットで炎上したそうです。ボクは視聴していなかったので詳細は知りませんが、こんなことは彼女だけの責任でなく、むしろディレクターの指示や確認が甘かったはずです。だったら楽屋で議論すればいいことなのに、番組中に公衆の面前で叱責したから批判的な話題になったらしい。

 けれども、この程度の注意がパワハラやセクハラ扱いになったらたまりませんよ。皆さん仕事で怒られたことはないのでしょうか。ホメて伸ばすなんて、メディアがこしらえたタワゴトですから、絶対に信じてはいけません。増長するばっかりなんだから。今どきの視聴者はそんなことも分からない甘えんぼの素人ばかりかよ、と嘆息したくなります。それにしても「やらしい話やけどね」という前置きは、吐きそうになるほど薄っ気味が悪い。関西人と感性が合わないのかなぁ。ボクは名古屋出身なんですけど。

 いずれにしても、おしなべて近頃の若い女性は勉強不足です。これでは逆に性差別として叱られるかもしれないので、正しく言い換えれば、勉強不足の若い女性がひどく目立つんですよね。商品を選ぶ側なら感性だけで十分ですが、モノづくりやマーケティングは知識の裏打ちがなければ思いつきで失敗を繰り返すことになりかねません。女性が社会に進出してしばらく経ち、政界でも重視されるようになったのですから、その地位や待遇に安住するのでなく、もっと勉強して、そこらの男たちが真っ青になるくらいの知識や理論を身に着けようではありませんか。さもなきゃ時代は元に戻ってしまうよ。これも「やらしい話」になってしまうのかなぁ。

 

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